【勤行】ご門徒さんから依頼された祥月命日のお勤め

Поделиться
HTML-код
  • Опубликовано: 10 фев 2025

Комментарии • 2

  • @拓也佐々木-k3i
    @拓也佐々木-k3i 2 года назад +1

    いつも、ありがとうございました。本日もありがとうございました。我が家は、真宗の門徒では、無いですが、別の真宗大谷派の方の法話投稿の動画で、コメントしましたら、真宗は、生き方、貴方が、どの様に生きる方です。貴方様のコメントは、いつも、他人事の様です。動画なので、そのようなコメントするですかと、その方は、書かれていました。その方は、宗教イコール幸福では、ありません。真宗を勉強しても、幸せに、なりませんと書かれていました。無宗教とは、それぞれの考え方で、無宗教では、無いですと話しや真宗は、公平や平等は無いですと言われましたが、我々凡人には、真宗さんのお話は、難しかしかったです。また、私は他人様に、はっきりと申すのが苦手で、そういう時は、どうしたら良いですか。真宗さんの考え方を否定しているわけでは、ありません。真宗さんのお上人様が、個個に、そのような考え方なさっているのでしょうか。合掌南無阿弥陀仏

    • @souonji
      @souonji  2 года назад +1

      コメントありがとうございます。
      考え方や表現は人それぞれでしょう。
      他宗の動画で述べておられる事と、真宗の人の動画では、ずいぶんと言うことが異なります。
      同じ真宗でも、多少違いがありますし、親鸞会の方は既存の真宗教団に敵愾心を持っておられるように感じます。
      「貴方様のコメントは、いつも、他人事の様です」という返信は、知識・論理だけで語っている方に対して、親切心で仰ったことだと思います。
      宗教は知識・論理ではないので、それに頼っている佐々木様に対して「宗教イコール幸福ではありません」と語らずにはおれなかったのだと拝察します。
      「真宗さんのお話は、難しかった」というのは、よくある事です。
      知識・論理ではないのですが、それまで構築してきた貴方の論理を壊すために、僧侶が論理でお話する、という事もします。
      疑問を持つ、という事は、とても大切な縁となります。
      大谷派の僧侶で、曽我量深という方がおられました。
      現代に真宗教学を開花させた方といっても過言ではないと思いますが、
      曽我量深師は、近代教学の祖といわれる清澤満之師の説に対して、悉く疑問を投げかけた方です。
      その疑問に対して、清澤満之師は、丁寧に丁寧に答える論文を発表していかれました。
      「あたなに理解いただけないのは、私の力不足です」という姿勢で、答え続けていかれました。
      その結果、曽我量深師は、阿弥陀如来と出会うことが出来たのです。
      曽我量深師の晩年の論文は、曽我師に見える浄土の働きの姿を語ったものです。
      浄土に出会っていない人には、理解できないので、大谷派の中でも、常に批判の的にもなっています。
      ただ本来、人はみな幸福なのだと思います。
      「幸福」の定義は難しいのですが、一見、苦労の人生で幸福にほど遠い人であっても、「苦労を見せる」という人生脚本の中では最高の見せ場を生きているので、「幸福」なのです。(《偽物の幸せ》ではありますが。)
      そう言い切れるのは、自分の人生脚本に気づいたからであり、人生脚本の要らない生き方を選んだからです。
      そういう意味では、人生脚本で生きていた過去も、脚本が要らなくなったそれからも、幸福です。
      私は不幸だとばかり思っていた過去が、実は幸せだったんだ、と意味がひっくり返る、という経験をしました。
      それを、真宗の経典や聖教で確認するのが、現在の私の学びです。
      「円融至徳の嘉号は、悪を転じて徳を成す正智、難信金剛の信楽は、疑いを除き証を獲しむる真理なりと。」
      という親鸞聖人の言葉は、私に掛けられていた如来の願いに気づいた時に、理解できます。
      「他人様に、はっきりと申すのが苦手で、そういう時は、どうしたら良いですか」という問いかけですが、
      何を相手に伝えたいのか、が気になります。
      救われたいのか、仏教を理解したいのか、ですね。
      相手に「私を分からせる」というのであれば、他者への依存であり執着です。
      「救われたいから尋ねている」のであれば、何を躊躇する必要があるのでしょうか。
      思考を離れ、気持ちで行動する事ができる状態、それこそが《本当の幸せ》ではないでしょうか。