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誰が何と言おうと、ミスターシービーが最高‼️
中学生時代少し背延びして競馬夢中なった季節の3冠馬です❤❤❤振り返ると競馬ファン初期にこの様なドラマチックな美しく格好良く華やかで光も影もある超一流3冠馬に巡り会えた僥倖に心底感謝しております。
この頃の芝って秋になると色が変わって季節感じられて好きなんだよなぁ。
大好きな大好きな本当に愛した馬でした。競馬を見始めてから55年、これほど美しい馬はいません。
生まれ年のダービー馬が三冠馬だから好きになりました。映像が見れて嬉しいです!ただ日本馬で初めてジャパンカップを勝ったカツラギエースも好きなんですよねー。逃げて勝ってて西浦さんが股下から後続覗きながら追い出して…衝撃でした。
「大地が弾んでミスターシービー」杉本節に導かれるように淀の3冠ロードを駆け抜けた姿をきのうのことのように思い出します。
私が競馬を知るきっかけとなったトウショウボーイ。その息子ミスターシービーの3冠達成を見届けた高校1年生の時、競馬が大好きになり現在にいたります。強さともろさを兼ね備えていたミスターシービーの追込みは現代競馬にはあわないかも知れないけど、魅力あふれるサラブレッドでした。京都のマイルチャンピオンシップを走る姿が個人的には見たかったです。動画配信ありがとうございます。
一番大好きなミスターシービーの動画ありがとうございます!
こちらこそご覧頂きありがとうございます✨
競馬歴50年、いまだこれ以上に美しい体躯と薄い皮膚、そしてこれほど小さく麗しい顔のサラブレッドに出逢ったことはありません。関東のレースはすべて、競馬場で見ています。
ちょうど競馬を覚えた頃の名馬です、名前がかっこよくてインパクトのある馬でした。
小さい頃初めて父から『この黒い馬見ててごらん、凄いから』と言われて初めてサラブレッドの競走を見る事になりました。1983年のダービーです。当時はゼッケンに名前もなく、何て名前かもわからないまま見ていました、、そしてその馬はスタートは1番後ろでした。それが、、直線では、、力強い脚を見せて、、一気に先頭で駆け抜けているのを見て、、子供ながら見惚れて固まってしまったのを覚えています。美しい黒鹿毛の馬体に秘めたあの爆発的な加速力、、お父さんのトウショウボーイとお母さんのシービークインが新馬戦で一緒に走った縁というのもまた素敵なエピソードですね😊
綺麗な馬なんだよなあ。
大好きでした😀
本当に届くのか、ってレースでしたね。信じた騎乗の吉永騎手も素晴らしい
2戦目の黒松賞で出遅れた。中山で指定席でこの馬の単勝を買って見ていた。完全に諦めていた。4角後方インをつく。坂上から物凄い脚で伸びる 他馬が止まってみえた。初めて見る脚色 勝った。確信した。稀に見る大物だと
父トーショウボーイ、母シービークインはデビューの新馬戦を一緒に走りましたね。目立たないけどグリーングラスも一緒だった。グリーングラスっていつも控え目だったなぁ。
この三冠馬シービーを子供扱いしたのが翌年の三冠馬皇帝ルドルフなんだよね。そして日本の三冠馬2頭が世界に挑んだジャパンカップ😊日本馬で初めて勝ったのが何とシービーに勝てなかったカツラギエース🎉ルドルフでもなかった競馬の難しさ😅 今の若い競馬ファンには今後、絶対に見れない三冠馬2頭の世界戦を見れて当時は幸せだったなぁ〜
自分も父が競馬を見ていて、小学2年の時の1976年の有馬記念でテンポイント、トウショウボーイ、グリーングラスのレースを見たのが競馬へのきっかけでした‼️そして競馬へのブランクがあって、ミスターシービーを知って、アノトウショウボーイの仔だと分かってから競馬にハマりました‼️競馬歴今年で40年目ですが、今でも歴代No.1の神推し馬はミスターシービー‼️2番目はシンボリルドルフです👏🏼
リアルタイムで名馬たちをご覧になられて羨ましいです☺️
思い出しました!「大地が弾んでミスターシービーだ!」の名実況😊いつも素敵な動画をありがとうございます!
中学生の頃、プロ野球ニュースの最後は競馬の結果だったけど、必ずミスターシービーの名前が出てた。私が初めて覚えた競走馬でした。とにかく強かった
どこかの競馬番組で「ルドルフが王貞治なら、シービーは長嶋茂雄」という例えを出していた気がするけれど、言われてみれば確かにという感じも
三冠もそうですが、毎日王冠→天皇賞は盛り上がりましたね。カツラギは直後ジャパンカップ勝つわけて、ルドルフも絡み、この後の競馬ブームの先駆けになったと思います。しかしルドルフと秋天でやらせたかったですね。シービーは府中1800から2000が最高ですので。
自分が競馬やりだした頃は皐月賞、ダービー、菊花賞の舞台で競馬したらシンザン、ルドルフ、ブライアンには劣るけども府中の2000で競馬したら3頭の三冠馬を間違いなく差し切る!って言われてたなぁ。
大変失礼ながらルドルフと比べてインパクトの薄い三冠馬だと思っていました。当時はルドルフ以上に人気があった事をコメントで初めて知った若輩者です。戦績(も十二分に凄いですが)だけでは語ることができないのが競馬のロマンですね。
それはしょうがないですよ。久し振りの三冠馬シービーだったのに翌年もっと強い三冠馬ルドルフが出てきて1984年有馬記念勝てず1985年天皇賞春勝てずだからシービーの印象はどんどんなくなりましたからね。
当時は東西対決やったからシービーは敵役やったけど今思えばいい馬やったな 親父に手を引かれて見に行った菊花賞のパドックで群を抜いたキレイな馬やったの思い出すわ
2歳戦(旧3歳戦)の映像って無いんですよね~。新馬戦だけは観たことあるんですが、黒松賞とひいらぎ賞は観たこと無いんです💦
淀の坂を上るところで、吉永正人が去年菊花賞を取った菅原康夫に仕掛けどころがここでいいかと聞いて仕掛けたらシービーが思ったより伸びて焦ったという話が好き。本当なのかどうかは知らないけど。
その逸話は菅原騎手から「正ちゃん、そろそろ行かなくていいのか?」だったと思いますよ。それで吉永騎手が少しだけ追うと、そこからもうシービーはノンストップだったと…
ミスターシービー❤メジロモンスニー❤ビンゴカンタ❤
シンボリルドルフの、一つ上の、三冠馬だが、人気は、こちらが上❗️あの追い込みが、衝撃的、菊花賞は、三角先頭での、圧勝は、お見事‼️
へぇ、当時はルドルフより人気があったんですね😦過去のレースを動画をみることはできるけど、当時の空気感までは分からない。現役時代を追いかけたオールドファンが羨ましい。
@@hachiware_bigcat長い低迷期の競馬界に突如現れたトウショウボーイ産駒の内国産三冠馬、私は当時中学3年生で競馬など知らない同級生もミスターシービーの名前だけは知っているほど騒がれてましたね。翌年に皇帝ルドルフが出てきてシービーが不幸だと言われがちだけど、私に言わせれば前年にシービーがいたことがルドルフにとって気の毒だったと思うほどのシービー人気でした。まさに「ターフの偉大なる演出家」でした。
大地が❗大地が弾んでミスターシービーだ‼️
マクリはロマン、翌年に優等生が出てきて対比がまた味。
シンボリルドルフが大嫌いです。今も。
血統的に長距離の菊花賞は難しい気がしたがよく勝ったね
ジャパンカップを勝ったカツラギエースもいたし弱い世代の馬ではない。上がり32秒の追い込みは20馬身差を逆転する。直接対決でルドルフに負けた悲運は将棋の谷川浩司さんと羽生善治さんを思わせますね。もう少し世代が開いていたらもっと沢山称賛されているのになと
最近引退した競走馬なのですがユニコーンライオンして欲しいです!
シンザンの次は20年後のシンボリルドルフが3冠馬予定だったのに、1年前にミスターシービーが3冠馬になっちゃった(by競馬の神様)
チャンネル登録とコメントをします。ミスターシービーは牡馬三冠馬の中では唯一の兄弟馬がいない。松山康久調教師は40歳2ヶ月で史上最年少での牡馬三冠馬の調教師
ご登録、コメントありがとうございます✨調教師さんのお話は知りませんでした☺️教えて頂きありがとうございます✨
そのミスターシービーに恋をして、馬上の騎手と結婚、名著を書いた女性。女性競馬エッセイストの先駆者です。
その時にはもうすでに、ご結婚されてますね。母親のシービークインが人気薄で毎日王冠を逃げ切ってしまった頃に結婚。あの時の賞金は本当に嬉しかった、と著書で述懐されています。
群馬の星野牧場三冠馬ですよね
間違いました星野牧場でなくちぎら牧場でした
晩年は我が家の近くの牧場で余生を送っていました。千明牧場、三里塚分場(千葉県成田市)です。休みの日には幼かった子供達とよくミスターCBに会いに行っていました。写真もたくさん撮りました。いつまでも宝物です。
羨ましいです😭
メジロモンスニーが裂蹄という持病を持っていなかったら。ミスターシービーの3冠は無理だった。もしかしたら一冠取るのがやっとだったろう。トウショウボーイという短めの距離が適性距離となる馬の子供では、メジロモンスニーに勝って菊花賞はほぼ無理だった。現にミスターシービーが4歳となる年から、秋の天皇賞は距離3200mから2000mに変更された。距離の持たないトウショウボーイの仔でも、古馬になってからGIを勝てる様にという策であったと思う。その血統(テスコボーイ〜トウショウボーイ)を栄えさせたいという事情。
騎手が柴田だったらルドルフ以外には負けなかったはず。
誰が何と言おうと、ミスターシービーが最高‼️
中学生時代少し背延びして競馬夢中なった季節の3冠馬です❤❤❤振り返ると競馬ファン初期にこの様なドラマチックな美しく格好良く華やかで光も影もある超一流3冠馬に巡り会えた僥倖に心底感謝しております。
この頃の芝って秋になると色が変わって季節感じられて好きなんだよなぁ。
大好きな大好きな本当に愛した馬でした。競馬を見始めてから55年、これほど美しい馬はいません。
生まれ年のダービー馬が三冠馬だから好きになりました。映像が見れて嬉しいです!
ただ日本馬で初めてジャパンカップを勝ったカツラギエースも好きなんですよねー。逃げて勝ってて西浦さんが股下から後続覗きながら追い出して…衝撃でした。
「大地が弾んでミスターシービー」杉本節に導かれるように淀の3冠ロードを駆け抜けた姿をきのうのことのように思い出します。
私が競馬を知るきっかけとなったトウショウボーイ。その息子ミスターシービーの3冠達成を見届けた高校1年生の時、競馬が大好きになり現在にいたります。強さともろさを兼ね備えていたミスターシービーの追込みは現代競馬にはあわないかも知れないけど、魅力あふれるサラブレッドでした。京都のマイルチャンピオンシップを走る姿が個人的には見たかったです。動画配信ありがとうございます。
一番大好きなミスターシービーの動画ありがとうございます!
こちらこそご覧頂きありがとうございます✨
競馬歴50年、いまだこれ以上に美しい体躯と薄い皮膚、そしてこれほど小さく麗しい顔のサラブレッドに出逢ったことはありません。
関東のレースはすべて、競馬場で見ています。
ちょうど競馬を覚えた頃の名馬です、名前がかっこよくてインパクトのある馬でした。
小さい頃初めて父から『この黒い馬見ててごらん、凄いから』と言われて初めてサラブレッドの競走を見る事になりました。
1983年のダービーです。
当時はゼッケンに名前もなく、何て名前かもわからないまま見ていました、、そしてその馬はスタートは1番後ろでした。
それが、、直線では、、力強い脚を見せて、、一気に先頭で駆け抜けているのを見て、、子供ながら見惚れて固まってしまったのを覚えています。
美しい黒鹿毛の馬体に秘めたあの爆発的な加速力、、
お父さんのトウショウボーイとお母さんのシービークインが新馬戦で一緒に走った縁というのもまた素敵なエピソードですね😊
綺麗な馬なんだよなあ。
大好きでした😀
本当に届くのか、ってレースでしたね。
信じた騎乗の吉永騎手も素晴らしい
2戦目の黒松賞で出遅れた。中山で指定席でこの馬の単勝を買って見ていた。完全に諦めていた。4角後方インをつく。坂上から物凄い脚で伸びる 他馬が止まってみえた。初めて見る脚色 勝った。確信した。稀に見る大物だと
父トーショウボーイ、母シービークインはデビューの新馬戦を
一緒に走りましたね。目立たないけどグリーングラスも一緒
だった。グリーングラスっていつも控え目だったなぁ。
この三冠馬シービーを子供扱いしたのが翌年の三冠馬
皇帝ルドルフなんだよね。
そして日本の三冠馬2頭が
世界に挑んだジャパンカップ😊
日本馬で初めて勝ったのが何とシービーに勝てなかったカツラギエース🎉
ルドルフでもなかった競馬の難しさ😅
今の若い競馬ファンには
今後、絶対に見れない三冠馬2頭の世界戦を見れて
当時は幸せだったなぁ〜
自分も父が競馬を見ていて、小学2年の時の1976年の有馬記念でテンポイント、トウショウボーイ、グリーングラスのレースを見たのが競馬へのきっかけでした‼️
そして競馬へのブランクがあって、ミスターシービーを知って、アノトウショウボーイの仔だと分かってから競馬にハマりました‼️
競馬歴今年で40年目ですが、今でも歴代No.1の神推し馬はミスターシービー‼️2番目はシンボリルドルフです👏🏼
リアルタイムで名馬たちをご覧になられて羨ましいです☺️
思い出しました!「大地が弾んでミスターシービーだ!」の名実況😊
いつも素敵な動画をありがとうございます!
中学生の頃、プロ野球ニュースの最後は競馬の結果だったけど、必ずミスターシービーの名前が出てた。私が初めて覚えた競走馬でした。とにかく強かった
どこかの競馬番組で「ルドルフが王貞治なら、シービーは長嶋茂雄」という例えを出していた気がするけれど、言われてみれば確かにという感じも
三冠もそうですが、毎日王冠→天皇賞は盛り上がりましたね。カツラギは直後ジャパンカップ勝つわけて、ルドルフも絡み、この後の競馬ブームの先駆けになったと思います。しかしルドルフと秋天でやらせたかったですね。シービーは府中1800から2000が最高ですので。
自分が競馬やりだした頃は皐月賞、ダービー、菊花賞の舞台で競馬したらシンザン、ルドルフ、ブライアンには劣るけども府中の2000で競馬したら3頭の三冠馬を間違いなく差し切る!って言われてたなぁ。
大変失礼ながらルドルフと比べてインパクトの薄い三冠馬だと思っていました。当時はルドルフ以上に人気があった事をコメントで初めて知った若輩者です。戦績(も十二分に凄いですが)だけでは語ることができないのが競馬のロマンですね。
それはしょうがないですよ。
久し振りの三冠馬シービーだったのに
翌年もっと強い三冠馬ルドルフが出てきて
1984年有馬記念勝てず
1985年天皇賞春勝てず
だからシービーの印象はどんどんなくなりましたからね。
当時は東西対決やったからシービーは敵役やったけど今思えばいい馬やったな 親父に手を引かれて見に行った菊花賞のパドックで群を抜いたキレイな馬やったの思い出すわ
2歳戦(旧3歳戦)の映像って無いんですよね~。
新馬戦だけは観たことあるんですが、黒松賞とひいらぎ賞は観たこと無いんです💦
淀の坂を上るところで、吉永正人が去年菊花賞を取った菅原康夫に仕掛けどころがここでいいかと聞いて仕掛けたらシービーが思ったより伸びて焦ったという話が好き。
本当なのかどうかは知らないけど。
その逸話は菅原騎手から「正ちゃん、そろそろ行かなくていいのか?」だったと思いますよ。それで吉永騎手が少しだけ追うと、そこからもうシービーはノンストップだったと…
ミスターシービー❤メジロモンスニー❤ビンゴカンタ❤
シンボリルドルフの、一つ上の、三冠馬だが、人気は、こちらが上❗️あの追い込みが、衝撃的、菊花賞は、三角先頭での、圧勝は、お見事‼️
へぇ、当時はルドルフより人気があったんですね😦過去のレースを動画をみることはできるけど、当時の空気感までは分からない。現役時代を追いかけたオールドファンが羨ましい。
@@hachiware_bigcat
長い低迷期の競馬界に突如現れたトウショウボーイ産駒の内国産三冠馬、私は当時中学3年生で競馬など知らない同級生もミスターシービーの名前だけは知っているほど騒がれてましたね。翌年に皇帝ルドルフが出てきてシービーが不幸だと言われがちだけど、私に言わせれば前年にシービーがいたことがルドルフにとって気の毒だったと思うほどのシービー人気でした。まさに「ターフの偉大なる演出家」でした。
大地が❗大地が弾んでミスターシービーだ‼️
マクリはロマン、翌年に優等生が出てきて対比がまた味。
シンボリルドルフが大嫌いです。今も。
血統的に長距離の菊花賞は難しい気がしたがよく勝ったね
ジャパンカップを勝ったカツラギエースもいたし弱い世代の馬ではない。上がり32秒の追い込みは20馬身差を逆転する。直接対決でルドルフに負けた悲運は将棋の谷川浩司さんと羽生善治さんを思わせますね。もう少し世代が開いていたらもっと沢山称賛されているのになと
最近引退した競走馬なのですが
ユニコーンライオンして欲しいです!
シンザンの次は20年後のシンボリルドルフが3冠馬予定だったのに、1年前にミスターシービーが3冠馬になっちゃった(by競馬の神様)
チャンネル登録とコメントをします。ミスターシービーは牡馬三冠馬の中では唯一の兄弟馬がいない。松山康久調教師は40歳2ヶ月で史上最年少での牡馬三冠馬の調教師
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調教師さんのお話は知りませんでした☺️
教えて頂きありがとうございます✨
そのミスターシービーに恋をして、馬上の騎手と結婚、名著を書いた女性。女性競馬エッセイストの先駆者です。
その時にはもうすでに、ご結婚されてますね。母親のシービークインが人気薄で毎日王冠を逃げ切ってしまった頃に結婚。あの時の賞金は本当に嬉しかった、と著書で述懐されています。
群馬の星野牧場三冠馬ですよね
間違いました星野牧場でなくちぎら牧場でした
晩年は我が家の近くの牧場で余生を送っていました。
千明牧場、三里塚分場(千葉県成田市)です。
休みの日には幼かった子供達とよく
ミスターCBに会いに行っていました。
写真もたくさん撮りました。
いつまでも宝物です。
羨ましいです😭
メジロモンスニーが裂蹄という持病を持っていなかったら。ミスターシービーの3冠は無理だった。もしかしたら一冠取るのがやっとだったろう。
トウショウボーイという短めの距離が適性距離となる馬の子供では、メジロモンスニーに勝って菊花賞はほぼ無理だった。現にミスターシービーが4歳となる年から、秋の天皇賞は距離3200mから2000mに変更された。距離の持たないトウショウボーイの仔でも、古馬になってからGIを勝てる様にという策であったと思う。その血統(テスコボーイ〜トウショウボーイ)を栄えさせたいという事情。
騎手が柴田だったらルドルフ以外には負けなかったはず。