Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
「恋多き女」のイメージが強いですが「愛別離苦を味わった女性」ですね。恋人の新皇2人も、娘まで先立ってしまうなんて…悲しみを何度も耐えた和泉式部は、本当に強い人です。今頃は、あの世で会えてるといいですね。
和泉式部、平安の女性で最も好きな人物です。彼女の和歌はまさしく直感から来るもので、色々技巧を凝らした歌より遥かに心にダイレクトに響くものが多いです。言葉のピントがキリッと合っていて、とても素直で真摯に満ちている。これでは、心を持っていかれる男性が続出したのも仕方ないですよね。私が男ならやっぱり和泉式部に恋してしまうと思います。「暗きより暗き道にぞ入りぬべき 遥かに照らせ山の端の月」を読んだ時は脳天突き抜かれたような衝撃を感じました。亡くなった娘を思う歌も、子を亡くした母親の女性から多くの共感を得たでしょう…この偽りない心を読む和歌の力は彼女の人となりの本質を表していて、浮名を流しても、人からは本当に憎まれることがなかったのではないかなあと思います。とても素敵な動画をありがとうございました。
日本の絵は少ないけど咲熊さんの絵が好きなので満足
かかし朝浩「暴れんぼう少納言」ではアンニュイな感じでしたが。こちらの和泉式部の方が良かった。
サムネ!咲熊さんのお姫様イラスト!ありがとうございます!やっぱり好き…!
👍
和泉式部は恋多き女性というイメージでしたが、感情豊かで愛に溢れてて、自分の気持ちをたった31字で表現する天才😍娘がなくなった時に詠んだ歌涙がでました😭
動画配信ありがとうございます。色々としがらみが多く、自分の気持ちに正直に生きることが難しかった時代で、情熱的に生きた和泉式部は、精神的に強い人だったのかもしれませんね。
「おお~さかしき~ぶぅ🎵」にワロタ(笑)グリコの万歳タロウ破壊力抜群www
「おお〜さ〜か、しぐぅ〜れぇ〜♪」かと思いましたwww
本当に同感です。自然と笑いが…(笑)大好きです🤣
源氏物語がご専門の先生に、和歌解釈の一環として、和泉式部の授業をして頂いたことがあります。和泉式部のよさは、歌の技巧など知らない現代人でも詠めばわかる、説明の要らないところだということでした。すぱーんと、感情を打つ。いろんな和歌を教えていただきましたが、和泉式部の和歌だけは、今でもよく覚えています
「とどめおきて誰をあはれと思ふらむ 子はまさるらむ子はまさりけり」和泉式部ときいてこの歌を思い出します。和泉式部の娘、小式部内侍も母から和歌の才能を受け継ぎ恋に生きる女性だったそうで百人一首にも母と同じく和歌を採用されています。さっきの歌の意味は「あの世にいった私の娘は、私と子供とどちらを愛おしく思うのででしょうか?それは子供たちでしょう。私だってそうなのですから」娘の小式部も子供(和泉式部にとっては孫)がいましたがその子たちを置いてこの世をさってしまった娘の悲しみと、我が子に先立たれた母親の悲しみを重ねた凄い和歌だと思います。
そして母娘そろって小倉百人一首に入っているんですよね。母娘揃って和歌の天才。
この和歌、子供を持つとつくづくそうだなぁ、と思いますね。私、娘にこの和歌を紹介したことがあるんですよ。
大河ドラマ「光る君へ」が楽しみです。誰が和泉式部やるのか気になります
泉里香さんが演じます。「魔性の女」キャラで起用されたのは確かなようで(゚∀゚)
面白かった〜!大阪〜式部〜は一緒に歌いたくなるノリの良さ!!
いやもう和泉式部、歌がうまいですね。久しぶり日本史、ありがとうございます。私は特に彼女の晩年の歌「暗きより暗き道にぞ入(い)りにけり はるかに照らせ 山の端(は)の月」(人生の道に迷い闇から闇へさまよい歩く私を、天空に浮かぶ月よ(たぶん仏)はるか彼方から私を照らしてほしい)が好きです。どれ見ても名歌なので天才です。ところで、そのうち神に使える斎宮から天皇の妃になった斎宮女御や、在原業平との恋に落ちて神域を汚してしまった宿命の斎宮・恬子内親王、斎宮に選ばれた後、自殺した噂のある十市皇女など「斎宮シリーズ」リクエストします!
『暗きより~』は書写山円教寺開祖、性空上人にあてて送ったといわれている歌ですね。上東門院(藤原彰子)は仏の教えを乞うために性空上人のいる書写山を訪れたのですが、性空上人は女性が山に入れば修行の妨げになこると考え、「この山に七匹の鬼が来るだろう。もし来たら九州に修行に行ったと伝えてくれ」と言い断ろうとしました。上東門院はこの事を知り落胆したのですが、随行していた和泉式部が『暗期より~』の歌を性空上人の元へ送ったところ、「女性であっても仏の教えを心得ているのか」と性空上人は感じ入り、上東門院ら一行を呼び戻して法華経の講義を行ったといわれてます。この伝説にちなみ、書写山円教寺には「和泉式部の歌塚」と呼ばれている石塔が残されております。
@@黒市川花田平 様 あの頃は女人成仏は難しいと言われてましたもんね。誰に産んで貰って、そーゆ~事言ってんだ💢
和泉式部様きたぁ〜!!彼女の悲恋は有名ですよね。禁断だったけどバッシング受けても貫く強い女性ですね!!紫式部と同僚だったんですね!!大阪式部には吹きました(≧∀≦)
恋文の和歌なんてプライベートなものなのに、ここまでたくさんの和歌が現代まで伝えられてるのって凄いなぁ
紙もそこに書かれた文字も内容も現代とは価値が違って貴重なもの教養も物資も全て手作り手渡し人伝い宝物として大事に残すでしょう
自分で調べた時はピンとこないのに、このチャンネルで紹介されると皆大好きになってしまいます。いつも楽しい動画を本当にありがとうございます。大好きです
咲熊さんの絵柄凄く好きなのでサムネイルからワクワクしてしまいました。ここまでも真っ直ぐに人を愛せるエネルギー凄いと思いました。道長……というかこの時代の男子年齢関係なくやんちゃ坊主すぎて式部に一蹴されてて吹きました。
これだけポンポン五七五七七の和歌でやりとりができる平安貴族はすごいですね。私には無理だな・・・・・
あの時代は昔の和歌に使われた言葉をさりげなく組み入れて「私ってこんな和歌をしってんのよどや!」ってするのが高等技術てされてたから感性のまま和歌を読んだ和泉式部は紫式部からみればまだまだだったんだろうな
当時としてもスキャンダル満載な恋多き女性だったと思うけど、離婚と勘当を潔く受け入れたから伝説になったんでしょうね........全力で愛を叫んだ彼女現在生きる自分でもカッコいい女性だと思います❗
平安時代というとどうしても源氏物語を思い浮かべてしまうんよ。しかも、大和和紀先生の絵柄でな… 後で白塗り点眉が男女ともにデフォだったと知った時はめちゃショックでしたwww 大阪式部と言う新しい表現を聞いた時もパンチパーマに豹柄のいかにもな人が十二単を着てる図がパッと頭に浮かんでしまう下世話な私を許して下さい。でも、とてもロマンチックなお話でした!
和歌にお返事しないことを「既読スルー」と表現する咲熊さんのセンスに脱帽😂
誰かが言ってた、清少納言はブログ女子。
和泉式部を取り上げると聞いて、これはさぞや雅で優雅な話だろうなあと思っていたら...「大~阪式部ううううううう~」これだけで、暑さで辛い日々が乗り越えられそうです。本当にありがとうございました
upありがとうございます為尊親王の母親は藤原兼家の長女超子です。昌子内親王は養母だと思います。母親、和泉式部、娘小式部内侍と三代続けて女房勤め、典型的な受領階級の女性ですね。恋多き女性の和泉式部を雇った道長は娘彰子の後宮に色気を持たせたかったのかも。小式部内侍も恋多き女性でしたね。あの紫式部に和歌を認められ清少納言とも交流があったとはきっと人懐っこい性格だったのでしょう。リクエストします宇多天皇と敦慶親王の親子と関係をもった女房伊勢をお願いします来週もよろしくお願いいたします。
小倉百人一首と三十六歌仙に選ばれている人ですね。なお娘の中務(なかつかさ)も三十六歌仙に選ばれております。
@@黒市川花田平 はい、その人です。皇族と浮名を流した和泉式部の先輩ですね(笑)宇多天皇の后温子に仕えて宇多天皇の皇子を産み后温子の一人娘の均子内親王の夫の敦慶親王の娘の中務を産んだある意味和泉式部より凄い女性です。
久々に咲熊さんのイラストが見られてよかった。繊細な中に凜とした強さを持った和泉式部のイメージにぴったり。グリコで笑っちゃったけど。
浮かれ女と言うけど浮気男の訪れを悶々と待った挙げ句の生き霊化よりずっとマシ!!てか、敦道も和泉も超プライベートな恋の歌のやり取りを即公開しちゃってるわけ?!そら武士に全部持ってかれるわ(-_-;)
恋に生きた と言うイメージの強い和泉式部ですが、孫を残されて小式部内侍に先立たれた慟哭とも言える歌もあり情の深い女性だったのかと思います。
毎週の楽しみ、今週もどうもありがとうございました! 日本、いいですね! 咲熊さんの日本女性のイラスト、大好きです!和泉式部、藤原彰子からお待ちしていました! 神回、神回です! 情熱の強気のオラオラ和泉式部、ますます好きになりました!愛に生きた和泉式部に清少納言、紫式部、オールスター登場、やっぱりこの時代、燃えますね!
1000年も昔の日本で、こんなにエロチックな和歌を書くなんて💕💕和泉式部の才能や感受性って素晴らしい‼️当時の日本人女性でこんなにも自分を表現して、他人の目を気にせず宮中で暮らした和泉式部🇯🇵羨ましい生き方ですわ☺️💕
和泉式部の娘も和歌の腕前が相当なものなんですよね。さすが学者家系。紫式部もそうだけど、男に生まれていればと親は思ったんだろうな。
男に生まれても家の格でどこまで出世できたろう?なまじ才長けて天皇に重用されると道真みたいな目に遭うし(-_-;)しんどい時代だったなあ!そら武士に全部持ってかれるわ!⬅これ、真実!名言、至言だと思います👏👏
@@言霊の幸う國のムソジニスト 確かに名言!紫式部の父は、出世してもらいたいというより男ならその(兄弟より秀でた)才覚を思う存分発揮できただろうに、不憫だという思いの言葉だったんだと思います。正に本名でなくても充分名を残してますね。
和泉式部は道長がからかったように浮名を流したけど、すごい憎まれた魔性の女というような評価は滅多にみないですよね。奔放だけど堂々として、なにより詠んだ歌がみんな人の心をゆさぶるようにうまかった、人を感動させたってところがはるかに大きいと思います。 リクエストなんですが、式部の生きた時代なら、一條帝女御の藤原元子さんの生涯をいつか、短いものでもやっていただけたら嬉しいです!
和歌がたくさん織り交ぜられており、当時の恋愛を想像しながら拝見いたしました………!!!二人の男性との許れぬ恋に堕ちながらも、どんなに誹謗中傷を浴びようとも、それでも、自分の想いを貫こうとした姿はとても素敵です。そして姿絵の御復活、とても嬉しいです🌙.*·̩͙やはりとてもとても美しい🥰これからも陰ながら応援しております!
日本史で1番好きな時代キタ━(゚∀゚)━!
今ちょうどテストで和泉式部の歌を覚えなくてはいけないのでタイムリーで嬉しいです!
毎週楽しみにしてます🎵今回は平安のイケ女和泉式部なので嬉しい(*⌒∇⌒*)イラストもとても素敵です😊
動画、有り難うございます。いつも、土曜の朝を、楽しみにしております。初コメです。❣ 2024年の大河ドラマの主人公が、紫式部と言う事なので、きっと、大阪、、、、和泉式部たんも出演するのでしょうね。😊 和歌の事は、よく分からないのですが、上手い歌って、何故か、上手い!てわかるんですよね。。。それが『上手さ』なのでしょうね。
サムネイルのイラストとってもとっても素敵です!!憂を帯びた表情…美しい!!
私も主さんと同じ大阪市在住です。なんか、嬉しいです😆
娘の小式部内侍も母に似てなかなか気が強かったらしく、「もうお母さんに和歌の代作は頼んだのか?」とからかってきた男に即滅茶苦茶巧みな和歌を即興で詠んでやり返した話がありますよね。詠まれたら返歌しなければならないのが常識だったけど、あまりの巧さに男は返歌出来なかったとか。今より男女差別が強かった時代なのに、女性の頭の良さが分かる話が約1000年後まで伝わってるのは凄い事だと思います。
余分な事して恥さらしたね、宮廷人😁宮廷人なんて、セクハラ、パワハラの塊だね👎そら武士に全部持ってかれるわ!
「大江山 いくのの道の遠ければ まだふみも見ず 天の橋立」ですね。生野と、行く、踏みと、文、二重の意味をもたせた、ウィットにあふれる歌だと思います。
そう、それです!!
「私、母に代作なんてしてもらっていません!」なめないでよね、という母譲りの勝気さを感じるエピソードですよね。ちなみにこの時小式部内侍をからかった中納言藤原定頼も歌人として有名で、小式部に惚れていた男たちの1人だったそうです。
今回の和泉式部、咲熊さんの絵もさることながら背景も綺麗で音楽も雰囲気があって、しかも、純日本風なのがとってもイイ。(^-^)和泉式部についてはかなりざっくりしたことは知ってましたが、そんな彼女の気持ちに寄り添った、きめ細やかな解説のおかげで、式部への理解を進めることができました。それにしても、“大阪式部”の某グ〇コのランナーには、笑っちゃいましたね。(≧▽≦)ところで、歴史作家の永井路子先生は、式部と同型の歌人で、現代人の知名度は落ちるがよりスゴい才能の持ち主として“伊勢”という女房を挙げておられますが、彼女を動画にするご予定はあるのでしょうか?次回も、またよろしくお願いいたします。(^-^)”
和泉式部さんの絵可愛いです!素晴らしい才覚と情熱の女性でした、道長をやりこめた扇のエピソード格好良い😍彰子様が道長を黙らせてるところも好きです。
あーこういうの好きです〜。🥰日本の女性たちのお話。式部が娘をなくした後読んだ和歌に泣けます。本当に愛情深い女性だったと思います。しかし和歌って凄い。どんな恋愛ドラマもさーっと高みに昇華させちゃう。
おおさかしきぶ~🎵に滅茶苦茶笑いました。女童時代から可愛いとか評判の子だったのでしょうね。白波は盗賊などの罪人の意味もあるそうです。道ならぬ恋に落ちてしまう我が身を罪人とも感じていたのかもしれませんね。
おおっっっっっ炯眼です👏👏
こういう歌人の話は難しいので懸念していましたが、分かりやすく動画にして頂きありがとうございます☺️和泉式部がどういう方だったのかが解り良かったです💕咲き熊さんは大阪の方だったのですね✨私も半分関西の血が入っているので嬉しいです🤭 笑次回の動画も楽しみにしております❣️
素敵な和歌にうっとりな回でした😊
親の決めた契約結婚でもそれなりに幸せだった彼女は夫の裏切り離婚を経験し苦難の日々だったでしょうが、その経験があったからこそ、その後深く一人の人を愛せたのではないでしょうか。その幸せも又別れの深い哀しみへと繋がるのですが...その想い(哀しみ)ごと敦道親王は受け入れて愛して下さったのではないでしょうか、それ故に恋は熱く燃える深い愛へと、絆も深まって行ったのではないか、と信じております。人生とは分からないもので幸福の絶頂期に又しても最愛の伴侶を失くし絶望的に思えた和泉式部に道長が与えた光。藤原彰子の女房として新たに人生の光が差したのです。道長の懐の深さ、心の暖かさは勿論ですが、和泉式部自身の幼少期から学んで来た漢文と歌の才能があったからこそ成すべくして成った事ではないかと存じます。紫式部の娘賢子(大弐三位)が先祖代々歌人として優れた様に和泉式部の娘小式部内侍も歌人として優れていた事も有名ですね。しかし愛する人を2度も死別し孫たちを残して娘にも先立たれ和泉式部の哀しみはとても深いものだった事でしょう。軽薄何かではない深く強い絆で結ばれた熱い恋愛の歌、哀しみに伏せった時の涙の歌、余生に末永く残して行かなければ行けませんね。
紫式部の和泉式部評はまあ手厳しいですがごもっともで、確かに和歌の知識とか技巧が凝っているわけではないのにもの凄く心に響く。さらりと詠んだ歌がとても胸を打つというのが彼女の刹那的・情熱的な人柄を表している気がします。恋の歌とか見ると、私もこんな恋をしてみたかったと思えるくらい素敵。
技巧派にしかなれない紫式部の嫉妬だ!嫉妬!!きっと大して美人でも無い陰キャのヤな女だったと思う👎
だから紫式部は和泉式部を嫌ってたのか。紫式部は自己中だから定子に仕えていた清少納言もボロクソに評価してたからな。2年後「光る君へ」で紫式部が清少納言や和泉式部と嫉妬剥き出しのバトルを繰り広げるのは間違いなさそう。鎌倉殿も兄弟ブッ殺しの頼朝が死んで本格的に血みどろの粛清劇始まるし、朝廷も後鳥羽院が自らの権力を固める為に粛清劇を繰り広げ幕府と朝廷が抜き差しならぬ状況に。
咲熊さんが描く偉人のイラストが、美麗過ぎて解説がそっちのけになりそう。でも、毎回の解説は楽しくて楽しみにしてます。頑張って下さいね‼️
私は『和泉式部日記』に関する題で卒論を書いています!まさかこのチャンネルで和泉式部を取り上げてもらえるとは…!!いつも面白くわかりやすい説明ありがとうございます!
彼女は生きてた時代が現代なら普通の女性だったのにと思う、大好きな平安女性です。あと、娘の小式部内侍の小さい頃ずっと和歌をお母さんに作ってもらってたと思われていたエピソードも好きです。それをからかった公達に即興で和歌を作ってびっくりさせた何年か後、その公達と交際していたと言うからびっくり(笑)
微笑ましいエピソード。。亡き娘に向けた和歌をきいて泣いてしまいました😢和泉式部さんは、恋人や娘、沢山の人を愛した女性なのでしょうね。才能もあるし、現代に生きていたらきっと皆んなの憧れのような存在として生きていたに違いない。
『和泉式部日記』は結構ロマンチックだけど、牛車の中でカー◯ックスしたとか、他の男と敦道親王がダブルブッキングしかけたとか割とぶっ飛んだことも書いてるのよなwww
和泉式部〜待ってた〜やめてやめてと言いながら〜これがリアル誘い受けか〜定子様も日中…(車じゃないか)大河ドラマで純愛扱いしないで欲しいな男に弱くて多少軽率だっていいじゃないか魔性…いいよね…紫式部が通常運転で安心した
平安時代は御簾や御格子、几帳で仕切る程度なので、ぶっちゃけ、筒抜けですわね。寝所で致したところで、外に女房とか控えてますし。(;´∀`)使用人は見ないふりを徹底出来るできた人ばかりです。(笑)しかしながら、初めて髪をかき撫でた、とか。情愛を表す言葉がいちいち、艶めかしく、荒々しく、惹かれます。短い文字の中に熱を込められる才能は、彼女のスキャンダルなど薄くしたことでしょう。今回の動画は平安風味がとても美しく、絵巻を眺めるようで堪能致しました。あさき〜のファンなので、もう垂涎ものです。おおさ〜〜か〜〜しき〜〜い〜ぶぅ〜……都はるみ、大坂しぐれ、の節でどうぞ♪この時代、通婚ですから、女性は待つ身。移り気な男の便りなさに頼るしかなかったのです。宮仕えで身を立てた和泉式部はある意味で幸せな女人だったはず。紫の上のように、耐えて、待って、目を赤くしたり、袖の湿りを隠す生活は辛いなーと思います。でも現代より、愛が深いと感じます。ビバ!平安!!(*´∀`*)
小式部内侍は、まだふみもみずの歌で有名ですね。夫の任地に付いて行ってるお母さんは遠くに居るから和歌の代作頼めませんねとからかったバカ宮廷人に見事な一撃でマットに沈めた👏👏この頃の男、マジ、糞だな👎そら武士に全部持ってかれるわ!!
荘園経営に自ら現地行ってそのまま武士化した貴族もいる。受領あるいは地頭と時代で変化するが、そこから大名になった人もいる。まぁ大名も守護大名・戦国大名・幕藩期の大名(近世大名)があるし。その1つが赤染衛門の子孫達(つまり長州藩毛利家)。
紫式部と清少納言もやってほしいです!!
2024年の大河ドラマは紫式部だそうですから和泉式部も登場するかもしれませんね
同僚ですもんね!基本、陰キャの紫式部より華があるし。しかし、陰キャ ヒロイン大河って…
今週も楽しい動画をありがとうございました🥰 和泉式部の和歌の、まあ何と美しく雅で且つ粋なこと❣️😍 そらあ、2人の親王にもモテますわな😁ところで咲熊さんが大阪にお住まいとお聞きして、職場が大阪である自分としては何だかとても嬉しかったです☺️♬ 今後も楽しみにしておりますので宜しくお願い致します😌✨
14:24 ダメだよ敦道…和泉式部が「本妻を追い出した不倫女」って思われるじゃん💦こんなスキャンダルがあっても、好かれる和泉式部はすごいです!きっと素敵な人柄だったんでしょうね。「ゲス不倫…と思ったら、めっちゃいい人✨」って感じでしょうか。再婚もできたからお見事です。
おお〜さかしきぶ〜でグリコがでてきて笑ってしまった
主さん大阪なんや∑ฅ(º ロ º ฅ)親近感増した❤️w
和歌の解釈がとても良かったです。
敦道親王の正妻は定子の妹さんでしたね。和泉式部が二人の別居の原因になったくらいなのに、清少納言と親交があったのか。昔の人はおおらかですね今回も面白かったです。ありがとうございます
@@ae3779 赤染衛門の曾孫大江匡房も曾祖母と共に小倉百人一首に撰ばれている。匡房の曾孫が大江広元であの血みどろ粛清劇の鎌倉殿の13人に。しかも息子(大江親広)が朝廷方に。後に息子は降伏して所領寒河江に隠居。寒河江家の祖先に。一方、広元のもう1人の息子季光は毛利元就や北条高広・安田顕元らの先祖に。
和泉式部は愛に生きた、素敵な女性ですね💕解説して下さってるお二方、今回の記事解説めっちゃ面白い(笑)声だして笑ってました。ありがとうございます💕
和歌の才能が余りにも類い稀すぎて、人を惹き付ける魅力が強かった女性なのでしょうね。スキャンダラスな評価は本人も思いがけない望まない事だったでしょう。決して相手を誑かすような人物とは思えません。恋愛の喜びと苦しみ、最愛の人や愛娘を喪った喪失感はいつの時代も人々の共感を呼び古びないのでしょうね。そして、これからも。咲熊様、関西の方なんですね。ギャグのセンスに納得です。
和歌のやりとりってさ、なんかLINEでの駆け引きみたい❤登場人物全員、なかなかの肉食❤
和歌がとても綺麗ですね。和泉式部は好意的に思ったことがありませんでしたが制限がある中、綺麗に気持ちを盛り込めるのですね。語りもオチもすごくよかったです!動画作成ありがとうございました。
和泉式部が再婚した藤原保昌は武人として有名で、夜に一人で笛を吹いて道を行く保昌を見つけた袴垂(はかまだれ)という盗賊の首領が衣装を奪おうとその後をつけたが、どうにも隙がなく手を出すことができず、保昌は逆にそのまま袴垂を自らの家に連れ込んで衣を与え、袴垂は慌てて逃げ帰った、という説話を中学の古典の時間にやったのをよく覚えています。恋文を送り続ける保昌に対し、和泉式部は御所の梅を手折ってきて欲しいという難題を出し、保昌は警護の武士に弓を射掛けられながらもなんとか一枝を持ち帰り、愛を射止めたという逸話もあるそうです。
当たり前の事だけど、和泉式部好きですもちろん清少納言も紫式部も好きですこの動画では御子二人との恋愛が書かれていますが、ほかの方との恋愛もあったのでしょうか?和泉式部はとても美人だったそうです紫式部よりもそうであるなら男性から言い寄られるのは当たり前ですねだとしたら、よほど頑なな女性でないと関係を持ってしまいますねそれは現在も変わらないと思いますただ昔は(今よりも昔、戦後とかの話)頑なな女性が多かったですが紫式部も藤原道長に言い寄られて断るの大変だったとか紫式部は結婚もして子供もいるけど、ちょっと同性愛気質だったらしく、お堅い女性だったようですスキャンダルになってしまいましたが、当時はおそらくそれほど世の中乱れていないのではなかったのでしょうか?だからこそこの程度でスキャンダルになったもっと時代が下れば、これくらいではスキャンダルにならないでしょうね
和泉式部はあまり知りませんでしたが、勇気のある素敵な女性だなと思いました。恋多き女性ですが、どの人でも真剣に向き合い恋愛していて言い訳一切せず常に覚悟を持って毅然としている女性という印象です。持って生まれた才能はもちろんですが、愛し愛され…時には愛に破れて…そういう経験も糧にして素晴らしい和歌が出来るんでしょうね…。娘の小式部内侍に先立たれたのはとてもお気の毒でした💧紫式部や清少納言の娘を宮廷に出仕していたんですね。二世が活躍していたなんて驚きです❗️☺️
20:30 動画ではサラリと流されていますが藤原保昌と和泉式部の恋は謡曲「花盗人」に謡われその中で熱烈に恋文を送り続けた保昌に対して和泉式部は保昌の本気度を試すため「紫宸殿の庭に咲く紅梅の枝を一枝持ち帰って欲しい」と難題をぶつけます。保昌は夜陰に乗じて内裏に忍び込み、髷を警備の兵士に射られながらも保昌は紅梅の枝を持ち帰ることに成功します。その後二人は結ばれるのは史実の通りなのですがこのエピソードがもとになっているのが祇園祭の山鉾「保昌山」です。保昌が紅梅の枝を捧げ持つ姿を表したこの山は恋愛成就、縁結びの加護があると言われ、宵山期間中の山鉾町は授与品の恋愛お守りや粽を求めて多くの女性でにぎわいます。和泉式部は死の間際に「自分が死んだら自分のことなど忘れ去られてしまうのではないか」と不安を口にしたようですが京の人は祇園祭が来るたびに思いを馳せるのです。二人の恋のエピソードに。
京都・祇園祭の山鉾の一つに、保昌山(ほうしょうやま)と言うものがありまして。赤い鎧を着た武士が紅梅の枝をささげた姿をした人形が、ご神体として飾られているんだけど、この山は和泉式部と藤原保昌の恋愛エピソードを元にした物だそうです。そのエピソードというのは藤原保昌は、宮中で和泉式部を見初め、自身の妻になって欲しいと何度も和泉式部に文や和歌を届けていた。ある時、和泉式部は保昌に、紫宸殿の梅の枝が一枝欲しいという、難題をだす。保昌は夜陰に紛れて紫宸殿の庭に忍び込み、途中、警備の武士に矢を射かけられるというアクシデントはあったものの。紫宸殿の梅の枝を手に入れ、和泉式部の元に届けた。それを見た和泉式部は、保昌の熱意に感激してしまい、保昌の妻となることを承諾した。と、いうものだそうです。ちなみに保昌山は、別名を花盗人山(はなぬすびとやま)とも呼ばれ、恋愛成就の御利益があるようです。
矢張り此の時代の女流作家では彼女が一番好き🩷そして暗きより…の歌が好き🩷恋多き女性👩とか足の指が二股に分かれてたとか伝説的な存在ですね❤
おお平安貴族、と思っていたらまさかのグリコ乱入!紫式部や清少納言にはない明るさを持つ歌人にはいいですね🌹
2代目グリコマークのモデルは、フィリピンのフォルトゥナート・カタロン氏という陸上選手らしい。
大阪式部と聞いて、何故か上沼恵美子さまの十二単衣姿を思い浮かべました🫠
😂
@@言霊の幸う國のムソジニスト さん大阪は上沼恵美子さんの”縄張り”だと、お笑いの話で聞きました( ̄▽ ̄;)
@@kankan5470 様十二単がアニマルプリントとか😂
@@言霊の幸う國のムソジニスト さんお似合い過ぎ∵ゞ(≧ε≦o)ぶ!
@@kankan5470 様 いたら、物凄く後宮を引っ掻き回しそうですね😂
奈良式部です。咲熊さんは、関西人なんだろうなーと思ってましたが、やっぱりでしたね。それもおおーさかーしーきーぶー! すべてを持っていきましたね。笑いました。あの時代の女房の中で和泉式部と飲みに行ってみたい人NO1です。 恋バナ聞きたいです。。。
日本だ~!!大阪式部にはちょっと笑ってしまいました。私は、沢の螢の歌が一番好きです。
この時代というとマンガ「暴れん坊少納言」でしか知らなかったけど、大変勉強になったし、面白かった。それにしてもこの時代の外出着というとかなりかさばって面倒くさい服装という印象だったが、牛車の中で致せるなんて驚きました。やはり愛はすべてを超えるのですね。
感性の天才は惹かれるんだろうね人々は。
コメント失礼します。いつも咲熊さんの動画を楽しみに拝見させていただいております。動画の内容関係なく申し訳ありませんが、言わせてください。咲熊さんの動画を毎回見ると、いつも元気をもらえています。ノリツッコミが本当・・・・最高にツボです♪これからも動画作り頑張ってください♪応援しています( *´艸`)
和泉式部で思い出しました。「とはずがたり」の作者、後深草院二条もぜひ咲熊様に取り上げて頂けないでしょうか?リクエストです。よろしくお願いいたしますm(__)m
咲熊さんの解説で、大弐三位(紫式部の娘)の話を見てみたいです!和泉式部と清少納言を足して2で割ったような性格で、60歳超えてるのに太宰府に赴任中の愛しい夫に2度も京から逢いに行く、強くて元気な方です!
和泉式部、好きなのです。「光る君へ」にのっかり主人にも聞いて欲しくて休日夜のドライブ中は咲熊ch…。「おお〜さかしき〜ぶぅ」で笑いが!「大阪の女の子は情に篤いよなぁ」←何か思い出している?(笑)…。
突然の摂津ワロタwwwうちは徒歩1分もかからないところに和泉式部のお墓が有ります。各地に有るのでどれが本当か分かりませんが…
和泉式部は私の中で知ってるようであまり知らない歴史上の人物の一人だったので、咲熊さんの解説で知ることができて良かったです。あと私も関西人なので、咲熊さんが大阪在住と知って親近感がわきます♪
道長、扇に落書きとか小学生か😅↓和歌でやり返す和泉式部強い(笑)和泉式部と清少納言と仲良いのはなんか嬉しい(*^▽^*)紫式部はねちっこいのはやっぱりな😅
👍あたしも清少納言の零落を嘲笑った紫式部のねちっこい根性の悪さ嫌い👎
紫式部は、練りに練った文章や和歌を作るタイプだから、天賦の才で呼吸するように情熱的な歌を連打できた和泉式部や、自分の気持ちを真っ直ぐに表せる清少納言に嫉妬してたような気がする。紫式部、友達居ないタイプ
@@言霊の幸う國のムソジニスト 紫式部に友達がいないかどうかは知らないけど、自分順序で申し訳ないけど、一番才能があるのは清少納言でしょうね書くのに苦労していないタイプ例えるのが漫画家で申し訳ないけど、大成した漫画家は「自分は絵がうまくないからストーリーで勝負する」とよく言っています絵がうますぎる人ってそういえば漫画家でもいつの間にかいなくなったりするんですよ実は和泉式部良く知らないけど、清少納言は天才ですねただ明治になって政府は源氏物語を訳させて世界に広めたけど、清少納言はしなかったそれは当たり前で文才のある人というのは文章がうまいんで、それを訳しても意味がないんですよ日本語だから輝きを放つもし訳しても内容は大したことがないから外人が読んでも{なにこれ?}になっちゃうでも源氏物語なら物語だから外人でも評価を高くしてくれる実際紫式部のファンは世界中に結構います性格は正反対ですよね紫式部と和泉式部
@@user-ls6wm7gs1p 様💕あたしも清少納言の飾りの無さが好きです!!中宮定子命!!の処も泣かせるし、中宮サマに褒められちったー💕\(^o^)/と書くのも好き💕零落を若い阿呆パリピにバカにされて駿馬の骨を買う者は居らぬか~と怒鳴ったってエピソードも好き💕きっと道長は高給で娘のサロンに召し抱えようとしたんだろうが、爽やかに蹴ったんだと思います👏
@@user-ls6wm7gs1p 様 紫式部、少なくても友達は一人は居ましたね。百人一首の雲隠れせし夜半の月ってのは友達の事だそうです。彼女みたいな陰キャじゃ、友達ってもフレネミー、いつ、どこでディスられてるかわかんない💦
古代平安の世でシングルマザーが生きていくには誰かに頼らざるを得ない身の上なんだろうな。自分の持つ才覚を発揮できる場も少ないし、機会も限られていただろうから、親王の目に留まるのはよっぽどの幸運と言いようがない。それを思えば藤原道長の器の大きさには尊敬する。でもやってることが中学生っぽい。
すぐに我が子をネグレクト、虐待死させる令和のシングルマザーより遙かにマシ!
「暴れん坊清少納言」だとビッチだけど、いい人だったな。はじめ定子に仕えてたんだけど、パパの期待に応えようと頑張ってる彰子に心動かされて、定子に仕えたまま彰子側に移籍するという離れ技を演じてた。
いつか儀同三司母(高階貴子)やって欲しいです!身分は低めながらも夫に愛された才女です!皇后の定子様のご母堂様です!
最後は嘆きの日々でしたね😭
@@言霊の幸う國のムソジニスト あれだけ栄華を誇ったのに最後は…
@@ヨーク公爵夫人セシリーネヴィル 様 ま、道長に肩入れした姉さんがいたし、兄息子はアホだし、弟息子は元気いっぱい過ぎたし(-_-;)先の事は判らないから、今、このしあわせの中で死にたいという歌はまるで彼女の行く末の予言みたいですよね(-_-;)
しかし、因果な人達!親戚だとライバルで助け合う事は皆無
@@言霊の幸う國のムソジニストその結果、あの悪名高き左大臣藤原頼長(またの名を悪左府)を生んでしまう。
紫式部の生涯もやって欲しいです!!!
お手紙のやり取りいいなぁ・・・現代人が忘れてしまった良き文化
和泉式部日記は円地文子訳を更級日記と共に読みました、ちくま文庫から出ています。この動画で読んだ場面がそのまま出ていてとても嬉しいです。
咲熊さんの解説は楽しくてためになります。更に茶番がサイコーですwもうCD出しちゃえ!
オラオラの和泉式部が、本当の姿かも知れないです。そうでないと、自身の悪評が広がっている、宮中に出仕出来ないと思う。
咲熊さんのノリが心地よいのは同じ関西人だからなのね💕
大阪式部にハマりましたw夫の単身赴任から恋多き女になったんですね有名な女人ですね
平安シリーズの新作嬉しいです!道長が和泉式部を推挙したのは、彰子様の局は定子様の局に比べて堅苦しいと言われてたのを気にしてたからなのかな~と思いました。パリピッピ(笑)な彼女を彰子様に仕えさせることで彰子様の局に新しい風を吹かせようとしたのかな・・・紫式部からは「魅力的だけど頭はよくなさそう」と言われ、サバサバしてた清少納言と仲が良かったというのも今で言うと一軍女子と陰キャ女子の関係性みたいで面白い笑彰子様は当時からするとすごく長生きされたので、和泉式部・清少納言・紫式部の娘達も仕えていて平安時代きっての才媛達の二世が揃い踏みなのも興味深いですね。
待ってました!
いつも動画楽しみにしています😊最近話題のビザンツ帝国皇女アンナ・コムネナをリクエストします!
息を吐く様に和歌を詠めると言うのは短歌を詠む人間ならば喉から手が出るほど欲しい才能。彼女の才能が宮廷によってより花開く様は壮観だったんでしょうね。紫式部もそら妬むわ。
こんにちは。三十六歌仙のひとりに数えられる、有名な歌人というのは知っていましたが、紫式部や、清少納言とも仲が良く、「浮かれ女」と陰口をたたかれても気にしない、おおらかで、人に好かれる女性だったのですね。それぞれの娘たちも、同じ宮仕えをしていたのなら、娘同士も、仲が良かったのではないかと思います。マンガの、「うた恋」にも、和泉式部の話しがあります。
「恋多き女」のイメージが強いですが「愛別離苦を味わった女性」ですね。
恋人の新皇2人も、娘まで先立ってしまうなんて…悲しみを何度も耐えた和泉式部は、本当に強い人です。今頃は、あの世で会えてるといいですね。
和泉式部、平安の女性で最も好きな人物です。彼女の和歌はまさしく直感から来るもので、色々技巧を凝らした歌より遥かに心にダイレクトに響くものが多いです。言葉のピントがキリッと合っていて、とても素直で真摯に満ちている。これでは、心を持っていかれる男性が続出したのも仕方ないですよね。私が男ならやっぱり和泉式部に恋してしまうと思います。
「暗きより暗き道にぞ入りぬべき 遥かに照らせ山の端の月」を読んだ時は脳天突き抜かれたような衝撃を感じました。
亡くなった娘を思う歌も、子を亡くした母親の女性から多くの共感を得たでしょう…この偽りない心を読む和歌の力は彼女の人となりの本質を表していて、浮名を流しても、人からは本当に憎まれることがなかったのではないかなあと思います。
とても素敵な動画をありがとうございました。
日本の絵は少ないけど咲熊さんの絵が好きなので満足
かかし朝浩「暴れんぼう少納言」ではアンニュイな感じでしたが。
こちらの和泉式部の方が良かった。
サムネ!咲熊さんのお姫様イラスト!ありがとうございます!やっぱり好き…!
👍
和泉式部は恋多き女性という
イメージでしたが、感情豊かで
愛に溢れてて、自分の気持ちを
たった31字で表現する天才😍
娘がなくなった時に詠んだ歌
涙がでました😭
動画配信ありがとうございます。
色々としがらみが多く、自分の気持ちに正直に生きることが難しかった時代で、情熱的に生きた和泉式部は、精神的に強い人だったのかもしれませんね。
「おお~さかしき~ぶぅ🎵」にワロタ(笑)
グリコの万歳タロウ破壊力抜群www
「おお〜さ〜か、しぐぅ〜れぇ〜♪」かと思いましたwww
本当に同感です。自然と笑いが…(笑)大好きです🤣
源氏物語がご専門の先生に、和歌解釈の一環として、和泉式部の授業をして頂いたことがあります。
和泉式部のよさは、歌の技巧など知らない現代人でも詠めばわかる、説明の要らないところだということでした。すぱーんと、感情を打つ。
いろんな和歌を教えていただきましたが、和泉式部の和歌だけは、今でもよく覚えています
「とどめおきて誰をあはれと思ふらむ 子はまさるらむ子はまさりけり」
和泉式部ときいてこの歌を思い出します。
和泉式部の娘、小式部内侍も母から和歌の才能を受け継ぎ恋に生きる女性だったそうで百人一首にも母と同じく和歌を採用されています。
さっきの歌の意味は「あの世にいった私の娘は、私と子供とどちらを愛おしく思うのででしょうか?それは子供たちでしょう。私だってそうなのですから」
娘の小式部も子供(和泉式部にとっては孫)がいましたがその子たちを置いてこの世をさってしまった娘の悲しみと、我が子に先立たれた母親の悲しみを重ねた凄い和歌だと思います。
そして母娘そろって小倉百人一首に入っているんですよね。母娘揃って和歌の天才。
この和歌、子供を持つとつくづくそうだなぁ、と思いますね。
私、娘にこの和歌を紹介したことがあるんですよ。
大河ドラマ「光る君へ」が楽しみです。誰が和泉式部やるのか気になります
泉里香さんが演じます。
「魔性の女」キャラで起用されたのは確かなようで(゚∀゚)
面白かった〜!大阪〜式部〜は一緒に歌いたくなるノリの良さ!!
いやもう和泉式部、歌がうまいですね。久しぶり日本史、ありがとうございます。
私は特に彼女の晩年の歌「暗きより暗き道にぞ入(い)りにけり はるかに照らせ 山の端(は)の月」(人生の道に迷い闇から闇へさまよい歩く私を、天空に浮かぶ月よ(たぶん仏)はるか彼方から私を照らしてほしい)が好きです。
どれ見ても名歌なので天才です。ところで、そのうち神に使える斎宮から天皇の妃になった斎宮女御や、在原業平との恋に落ちて神域を汚してしまった宿命の斎宮・恬子内親王、斎宮に選ばれた後、自殺した噂のある十市皇女など「斎宮シリーズ」リクエストします!
『暗きより~』は書写山円教寺開祖、性空上人にあてて送ったといわれている歌ですね。上東門院(藤原彰子)は仏の教えを乞うために性空上人のいる書写山を訪れたのですが、性空上人は女性が山に入れば修行の妨げになこると考え、「この山に七匹の鬼が来るだろう。もし来たら九州に修行に行ったと伝えてくれ」と言い断ろうとしました。
上東門院はこの事を知り落胆したのですが、随行していた和泉式部が『暗期より~』の歌を性空上人の元へ送ったところ、「女性であっても仏の教えを心得ているのか」と性空上人は感じ入り、上東門院ら一行を呼び戻して法華経の講義を行ったといわれてます。
この伝説にちなみ、書写山円教寺には「和泉式部の歌塚」と呼ばれている石塔が残されております。
@@黒市川花田平 様 あの頃は女人成仏は難しいと言われてましたもんね。誰に産んで貰って、そーゆ~事言ってんだ💢
和泉式部様きたぁ〜!!
彼女の悲恋は有名ですよね。禁断だったけどバッシング受けても貫く強い女性ですね!!
紫式部と同僚だったんですね!!
大阪式部には吹きました(≧∀≦)
恋文の和歌なんてプライベートなものなのに、ここまでたくさんの和歌が現代まで伝えられてるのって凄いなぁ
紙もそこに書かれた文字も内容も現代とは価値が違って貴重なもの
教養も物資も全て手作り手渡し人伝い
宝物として大事に残すでしょう
自分で調べた時はピンとこないのに、このチャンネルで紹介されると皆大好きになってしまいます。いつも楽しい動画を本当にありがとうございます。大好きです
咲熊さんの絵柄凄く好きなのでサムネイルからワクワクしてしまいました。
ここまでも真っ直ぐに人を愛せるエネルギー凄いと思いました。
道長……というかこの時代の男子年齢関係なくやんちゃ坊主すぎて式部に一蹴されてて吹きました。
これだけポンポン五七五七七の和歌でやりとりができる平安貴族はすごいですね。
私には無理だな・・・・・
あの時代は昔の和歌に使われた言葉をさりげなく組み入れて「私ってこんな和歌をしってんのよどや!」ってするのが高等技術てされてたから感性のまま和歌を読んだ和泉式部は紫式部からみればまだまだだったんだろうな
当時としてもスキャンダル満載な恋多き女性だったと思うけど、離婚と勘当を潔く受け入れたから伝説になったんでしょうね........
全力で愛を叫んだ彼女
現在生きる自分でもカッコいい女性だと思います❗
平安時代というとどうしても源氏物語を思い浮かべてしまうんよ。しかも、大和和紀先生の絵柄でな… 後で白塗り点眉が男女ともにデフォだったと知った時はめちゃショックでしたwww 大阪式部と言う新しい表現を聞いた時もパンチパーマに豹柄のいかにもな人が十二単を着てる図がパッと頭に浮かんでしまう下世話な私を許して下さい。でも、とてもロマンチックなお話でした!
和歌にお返事しないことを「既読スルー」と表現する咲熊さんのセンスに脱帽😂
誰かが言ってた、清少納言はブログ女子。
和泉式部を取り上げると聞いて、これはさぞや雅で優雅な話だろうなあと思っていたら...
「大~阪式部ううううううう~」
これだけで、暑さで辛い日々が乗り越えられそうです。
本当にありがとうございました
upありがとうございます
為尊親王の母親は藤原兼家の長女超子です。
昌子内親王は養母だと思います。
母親、和泉式部、娘小式部内侍と三代続けて女房勤め、
典型的な受領階級の女性ですね。
恋多き女性の和泉式部を雇った道長は娘彰子の後宮に
色気を持たせたかったのかも。
小式部内侍も恋多き女性でしたね。
あの紫式部に和歌を認められ
清少納言とも交流があったとは
きっと人懐っこい性格だったのでしょう。
リクエストします
宇多天皇と敦慶親王の親子と関係をもった女房伊勢をお願いします
来週もよろしくお願いいたします。
小倉百人一首と三十六歌仙に選ばれている人ですね。なお娘の中務(なかつかさ)も三十六歌仙に選ばれております。
@@黒市川花田平
はい、その人です。
皇族と浮名を流した和泉式部の先輩ですね(笑)
宇多天皇の后温子に仕えて宇多天皇の皇子を産み
后温子の一人娘の均子内親王の夫の敦慶親王の娘の中務を産んだ
ある意味和泉式部より凄い女性です。
久々に咲熊さんのイラストが見られてよかった。
繊細な中に凜とした強さを持った和泉式部のイメージにぴったり。グリコで笑っちゃったけど。
浮かれ女と言うけど浮気男の訪れを悶々と待った挙げ句の生き霊化よりずっとマシ!!てか、敦道も和泉も超プライベートな恋の歌のやり取りを即公開しちゃってるわけ?!
そら武士に全部持ってかれるわ(-_-;)
恋に生きた と言うイメージの強い和泉式部ですが、孫を残されて小式部内侍に先立たれた慟哭とも言える歌もあり情の深い女性だったのかと思います。
毎週の楽しみ、今週もどうもありがとうございました! 日本、いいですね! 咲熊さんの日本女性のイラスト、大好きです!
和泉式部、藤原彰子からお待ちしていました! 神回、神回です! 情熱の強気のオラオラ和泉式部、ますます好きになりました!
愛に生きた和泉式部に清少納言、紫式部、オールスター登場、やっぱりこの時代、燃えますね!
1000年も昔の日本で、こんなにエロチックな和歌を書くなんて💕💕和泉式部の才能や感受性って素晴らしい‼️当時の日本人女性でこんなにも自分を表現して、他人の目を気にせず宮中で暮らした和泉式部🇯🇵羨ましい生き方ですわ☺️💕
和泉式部の娘も和歌の腕前が相当なものなんですよね。
さすが学者家系。紫式部もそうだけど、男に生まれていればと親は思ったんだろうな。
男に生まれても家の格でどこまで出世できたろう?なまじ才長けて天皇に重用されると道真みたいな目に遭うし(-_-;)しんどい時代だったなあ!
そら武士に全部持ってかれるわ!⬅これ、真実!名言、至言だと思います👏👏
@@言霊の幸う國のムソジニスト 確かに名言!
紫式部の父は、出世してもらいたいというより男ならその(兄弟より秀でた)才覚を思う存分発揮できただろうに、不憫だという思いの言葉だったんだと思います。
正に本名でなくても充分名を残してますね。
和泉式部は道長がからかったように浮名を流したけど、すごい憎まれた魔性の女というような評価は滅多にみないですよね。奔放だけど堂々として、なにより詠んだ歌がみんな人の心をゆさぶるようにうまかった、人を感動させたってところがはるかに大きいと思います。 リクエストなんですが、式部の生きた時代なら、一條帝女御の藤原元子さんの生涯をいつか、短いものでもやっていただけたら嬉しいです!
和歌がたくさん織り交ぜられており、
当時の恋愛を想像しながら拝見いたしました………!!!
二人の男性との許れぬ恋に堕ちながらも、
どんなに誹謗中傷を浴びようとも、それでも、自分の想いを貫こうとした姿はとても素敵です。
そして姿絵の御復活、とても嬉しいです🌙.*·̩͙
やはりとてもとても美しい🥰
これからも陰ながら応援しております!
日本史で1番好きな時代キタ━(゚∀゚)━!
今ちょうどテストで和泉式部の歌を覚えなくてはいけないのでタイムリーで嬉しいです!
毎週楽しみにしてます🎵
今回は平安のイケ女和泉式部なので嬉しい(*⌒∇⌒*)
イラストもとても素敵です😊
動画、有り難うございます。いつも、土曜の朝を、楽しみにしております。初コメです。❣ 2024年の大河ドラマの主人公が、紫式部と言う事なので、きっと、大阪、、、、和泉式部たんも出演するのでしょうね。😊 和歌の事は、よく分からないのですが、上手い歌って、何故か、上手い!てわかるんですよね。。。それが『上手さ』なのでしょうね。
サムネイルのイラストとってもとっても素敵です!!
憂を帯びた表情…美しい!!
私も主さんと同じ大阪市在住です。なんか、嬉しいです😆
娘の小式部内侍も母に似てなかなか気が強かったらしく、「もうお母さんに和歌の代作は頼んだのか?」とからかってきた男に即滅茶苦茶巧みな和歌を即興で詠んでやり返した話がありますよね。
詠まれたら返歌しなければならないのが常識だったけど、あまりの巧さに男は返歌出来なかったとか。
今より男女差別が強かった時代なのに、女性の頭の良さが分かる話が約1000年後まで伝わってるのは凄い事だと思います。
余分な事して恥さらしたね、宮廷人😁宮廷人なんて、セクハラ、パワハラの塊だね👎
そら武士に全部持ってかれるわ!
「大江山 いくのの道の遠ければ まだふみも見ず 天の橋立」ですね。
生野と、行く、踏みと、文、二重の意味をもたせた、ウィットにあふれる歌だと思います。
そう、それです!!
「私、母に代作なんてしてもらっていません!」なめないでよね、という母譲りの勝気さを感じるエピソードですよね。
ちなみにこの時小式部内侍をからかった中納言藤原定頼も歌人として有名で、小式部に惚れていた男たちの1人だったそうです。
今回の和泉式部、
咲熊さんの絵もさることながら
背景も綺麗で音楽も雰囲気があって、
しかも、純日本風なのがとってもイイ。(^-^)
和泉式部についてはかなりざっくりしたことは知ってましたが、
そんな彼女の気持ちに寄り添った、きめ細やかな解説のおかげで、
式部への理解を進めることができました。
それにしても、“大阪式部”の某グ〇コのランナーには、
笑っちゃいましたね。(≧▽≦)
ところで、歴史作家の永井路子先生は、式部と同型の歌人で、現代人の知名度は落ちるがよりスゴい才能の持ち主として
“伊勢”という女房を挙げておられますが、彼女を動画にするご予定はあるのでしょうか?
次回も、またよろしくお願いいたします。(^-^)”
和泉式部さんの絵可愛いです!
素晴らしい才覚と情熱の女性でした、道長をやりこめた扇のエピソード格好良い😍
彰子様が道長を黙らせてるところも好きです。
あーこういうの好きです〜。🥰日本の女性たちのお話。式部が娘をなくした後読んだ和歌に泣けます。本当に愛情深い女性だったと思います。しかし和歌って凄い。どんな恋愛ドラマもさーっと高みに昇華させちゃう。
おおさかしきぶ~🎵に滅茶苦茶笑いました。
女童時代から可愛いとか評判の子だったのでしょうね。
白波は盗賊などの罪人の意味もあるそうです。道ならぬ恋に落ちてしまう我が身を罪人とも感じていたのかもしれませんね。
おおっっっっっ炯眼です👏👏
こういう歌人の話は難しいので懸念していましたが、分かりやすく動画にして頂きありがとうございます☺️
和泉式部がどういう方だったのかが解り良かったです💕
咲き熊さんは大阪の方だったのですね✨
私も半分関西の血が入っているので嬉しいです🤭 笑
次回の動画も楽しみにしております❣️
素敵な和歌にうっとりな回でした😊
親の決めた契約結婚でもそれなりに
幸せだった彼女は夫の裏切り
離婚を経験し苦難の日々だったでしょうが、その経験が
あったからこそ、その後深く
一人の人を愛せたのではない
でしょうか。
その幸せも又別れの深い哀しみへと
繋がるのですが...
その想い(哀しみ)ごと敦道親王は
受け入れて愛して下さったのでは
ないでしょうか、それ故に
恋は熱く燃える深い愛へと、絆も深まって行ったのでは
ないか、と信じております。
人生とは分からないもので
幸福の絶頂期に又しても最愛の
伴侶を失くし絶望的に思えた
和泉式部に道長が与えた光。
藤原彰子の女房として新たに
人生の光が差したのです。
道長の懐の深さ、心の暖かさは
勿論ですが、和泉式部自身の
幼少期から学んで来た漢文と
歌の才能があったからこそ
成すべくして成った事では
ないかと存じます。
紫式部の娘賢子(大弐三位)が
先祖代々歌人として優れた様に
和泉式部の娘小式部内侍も
歌人として優れていた事も
有名ですね。
しかし愛する人を2度も死別し
孫たちを残して娘にも先立たれ
和泉式部の哀しみはとても深い
ものだった事でしょう。
軽薄何かではない深く強い絆で
結ばれた熱い恋愛の歌、哀しみに
伏せった時の涙の歌、余生に
末永く残して行かなければ
行けませんね。
紫式部の和泉式部評はまあ手厳しいですがごもっともで、確かに和歌の知識とか技巧が凝っているわけではないのにもの凄く心に響く。さらりと詠んだ歌がとても胸を打つというのが彼女の刹那的・情熱的な人柄を表している気がします。恋の歌とか見ると、私もこんな恋をしてみたかったと思えるくらい素敵。
技巧派にしかなれない紫式部の嫉妬だ!嫉妬!!きっと大して美人でも無い陰キャのヤな女だったと思う👎
だから紫式部は和泉式部を嫌ってたのか。紫式部は自己中だから定子に仕えていた清少納言もボロクソに評価してたからな。2年後「光る君へ」で紫式部が清少納言や和泉式部と嫉妬剥き出しのバトルを繰り広げるのは間違いなさそう。鎌倉殿も兄弟ブッ殺しの頼朝が死んで本格的に血みどろの粛清劇始まるし、朝廷も後鳥羽院が自らの権力を固める為に粛清劇を繰り広げ幕府と朝廷が抜き差しならぬ状況に。
咲熊さんが描く偉人のイラストが、美麗過ぎて解説がそっちのけになりそう。でも、毎回の解説は楽しくて楽しみにしてます。頑張って下さいね‼️
私は『和泉式部日記』に関する題で卒論を書いています!まさかこのチャンネルで和泉式部を取り上げてもらえるとは…!!いつも面白くわかりやすい説明ありがとうございます!
彼女は生きてた時代が現代なら普通の女性だったのにと思う、大好きな平安女性です。あと、娘の小式部内侍の小さい頃ずっと和歌をお母さんに作ってもらってたと思われていたエピソードも好きです。それをからかった公達に即興で和歌を作ってびっくりさせた何年か後、その公達と交際していたと言うからびっくり(笑)
微笑ましいエピソード。。亡き娘に向けた和歌をきいて泣いてしまいました😢和泉式部さんは、恋人や娘、沢山の人を愛した女性なのでしょうね。才能もあるし、現代に生きていたらきっと皆んなの憧れのような存在として生きていたに違いない。
『和泉式部日記』は結構ロマンチックだけど、牛車の中でカー◯ックスしたとか、他の男と敦道親王がダブルブッキングしかけたとか割とぶっ飛んだことも書いてるのよなwww
和泉式部〜待ってた〜
やめてやめてと言いながら〜
これがリアル誘い受けか〜
定子様も日中…(車じゃないか)
大河ドラマで純愛扱いしないで欲しいな
男に弱くて多少軽率だっていいじゃないか
魔性…いいよね…
紫式部が通常運転で安心した
平安時代は御簾や御格子、几帳で仕切る程度なので、ぶっちゃけ、筒抜けですわね。
寝所で致したところで、外に女房とか控えてますし。(;´∀`)
使用人は見ないふりを徹底出来るできた人ばかりです。(笑)
しかしながら、初めて髪をかき撫でた、とか。
情愛を表す言葉がいちいち、艶めかしく、荒々しく、惹かれます。
短い文字の中に熱を込められる才能は、
彼女のスキャンダルなど薄くしたことでしょう。
今回の動画は平安風味がとても美しく、
絵巻を眺めるようで堪能致しました。
あさき〜のファンなので、もう垂涎ものです。
おおさ〜〜か〜〜しき〜〜い〜ぶぅ〜……
都はるみ、大坂しぐれ、の節でどうぞ♪
この時代、通婚ですから、女性は待つ身。
移り気な男の便りなさに頼るしかなかったのです。
宮仕えで身を立てた和泉式部はある意味で幸せな女人だったはず。
紫の上のように、耐えて、待って、目を赤くしたり、袖の湿りを隠す生活は辛いなーと思います。
でも現代より、愛が深いと感じます。
ビバ!平安!!(*´∀`*)
小式部内侍は、まだふみもみずの歌で有名ですね。夫の任地に付いて行ってるお母さんは遠くに居るから和歌の代作頼めませんねとからかったバカ宮廷人に見事な一撃でマットに沈めた👏👏この頃の男、マジ、糞だな👎
そら武士に全部持ってかれるわ!!
荘園経営に自ら現地行ってそのまま武士化した貴族もいる。受領あるいは地頭と時代で変化するが、そこから大名になった人もいる。まぁ大名も守護大名・戦国大名・幕藩期の大名(近世大名)があるし。その1つが赤染衛門の子孫達(つまり長州藩毛利家)。
紫式部と清少納言もやってほしいです!!
2024年の大河ドラマは紫式部だそうですから
和泉式部も登場するかもしれませんね
同僚ですもんね!基本、陰キャの紫式部より華があるし。しかし、陰キャ ヒロイン大河って…
今週も楽しい動画をありがとうございました🥰 和泉式部の和歌の、まあ何と美しく雅で且つ粋なこと❣️😍 そらあ、2人の親王にもモテますわな😁
ところで咲熊さんが大阪にお住まいとお聞きして、職場が大阪である自分としては何だかとても嬉しかったです☺️♬ 今後も楽しみにしておりますので宜しくお願い致します😌✨
14:24 ダメだよ敦道…和泉式部が「本妻を追い出した不倫女」って思われるじゃん💦
こんなスキャンダルがあっても、好かれる和泉式部はすごいです!きっと素敵な人柄だったんでしょうね。
「ゲス不倫…と思ったら、めっちゃいい人✨」って感じでしょうか。再婚もできたからお見事です。
おお〜さかしきぶ〜でグリコがでてきて笑ってしまった
主さん大阪なんや∑ฅ(º ロ º ฅ)
親近感増した❤️w
和歌の解釈がとても良かったです。
敦道親王の正妻は定子の妹さんでしたね。
和泉式部が二人の別居の原因になったくらいなのに、清少納言と親交があったのか。昔の人はおおらかですね
今回も面白かったです。ありがとうございます
@@ae3779 赤染衛門の曾孫大江匡房も曾祖母と共に小倉百人一首に撰ばれている。匡房の曾孫が大江広元であの血みどろ粛清劇の鎌倉殿の13人に。しかも息子(大江親広)が朝廷方に。後に息子は降伏して所領寒河江に隠居。寒河江家の祖先に。一方、広元のもう1人の息子季光は毛利元就や北条高広・安田顕元らの先祖に。
和泉式部は愛に生きた、
素敵な女性ですね💕
解説して下さってるお二方、今回の記事解説めっちゃ面白い(笑)声だして笑ってました。
ありがとうございます💕
和歌の才能が余りにも類い稀すぎて、人を惹き付ける魅力が強かった女性なのでしょうね。スキャンダラスな評価は本人も思いがけない望まない事だったでしょう。決して相手を誑かすような人物とは思えません。恋愛の喜びと苦しみ、最愛の人や愛娘を喪った喪失感はいつの時代も人々の共感を呼び古びないのでしょうね。そして、これからも。
咲熊様、関西の方なんですね。
ギャグのセンスに納得です。
和歌のやりとりってさ、なんかLINEでの駆け引きみたい❤
登場人物全員、なかなかの肉食❤
和歌がとても綺麗ですね。和泉式部は好意的に思ったことがありませんでしたが制限がある中、綺麗に気持ちを盛り込めるのですね。語りもオチもすごくよかったです!動画作成ありがとうございました。
和泉式部が再婚した藤原保昌は武人として有名で、夜に一人で笛を吹いて道を行く保昌を見つけた袴垂(はかまだれ)という盗賊の首領が衣装を奪おうとその後をつけたが、どうにも隙がなく手を出すことができず、保昌は逆にそのまま袴垂を自らの家に連れ込んで衣を与え、袴垂は慌てて逃げ帰った、という説話を中学の古典の時間にやったのをよく覚えています。
恋文を送り続ける保昌に対し、和泉式部は御所の梅を手折ってきて欲しいという難題を出し、保昌は警護の武士に弓を射掛けられながらもなんとか一枝を持ち帰り、愛を射止めたという逸話もあるそうです。
当たり前の事だけど、和泉式部好きです
もちろん清少納言も紫式部も好きです
この動画では御子二人との恋愛が書かれていますが、ほかの方との恋愛もあったのでしょうか?
和泉式部はとても美人だったそうです
紫式部よりも
そうであるなら男性から言い寄られるのは当たり前ですね
だとしたら、よほど頑なな女性でないと関係を持ってしまいますね
それは現在も変わらないと思います
ただ昔は(今よりも昔、戦後とかの話)頑なな女性が多かったですが
紫式部も藤原道長に言い寄られて断るの大変だったとか
紫式部は結婚もして子供もいるけど、ちょっと同性愛気質だったらしく、お堅い女性だったようです
スキャンダルになってしまいましたが、当時はおそらくそれほど世の中乱れていないのではなかったのでしょうか?
だからこそこの程度でスキャンダルになった
もっと時代が下れば、これくらいではスキャンダルにならないでしょうね
和泉式部はあまり知りませんでしたが、勇気のある素敵な女性だなと思いました。恋多き女性ですが、どの人でも真剣に向き合い恋愛していて言い訳一切せず常に覚悟を持って毅然としている女性という印象です。
持って生まれた才能はもちろんですが、愛し愛され…時には愛に破れて…そういう経験も糧にして素晴らしい和歌が出来るんでしょうね…。
娘の小式部内侍に先立たれたのはとてもお気の毒でした💧紫式部や清少納言の娘を宮廷に出仕していたんですね。二世が活躍していたなんて驚きです❗️☺️
20:30 動画ではサラリと流されていますが藤原保昌と和泉式部の恋は謡曲「花盗人」に謡われその中で
熱烈に恋文を送り続けた保昌に対して和泉式部は保昌の本気度を試すため「紫宸殿の庭に咲く紅梅の枝を一枝持ち帰って欲しい」と難題をぶつけます。
保昌は夜陰に乗じて内裏に忍び込み、髷を警備の兵士に射られながらも保昌は紅梅の枝を持ち帰ることに成功します。
その後二人は結ばれるのは史実の通りなのですが
このエピソードがもとになっているのが祇園祭の山鉾「保昌山」です。
保昌が紅梅の枝を捧げ持つ姿を表したこの山は恋愛成就、縁結びの加護があると言われ、宵山期間中の山鉾町は授与品の恋愛お守りや粽を求めて多くの女性でにぎわいます。
和泉式部は死の間際に「自分が死んだら自分のことなど忘れ去られてしまうのではないか」と不安を口にしたようですが
京の人は祇園祭が来るたびに思いを馳せるのです。二人の恋のエピソードに。
京都・祇園祭の山鉾の一つに、保昌山(ほうしょうやま)と言うものがありまして。
赤い鎧を着た武士が紅梅の枝をささげた姿をした人形が、ご神体として飾られているんだけど、この山は和泉式部と藤原保昌の恋愛エピソードを元にした物だそうです。
そのエピソードというのは
藤原保昌は、宮中で和泉式部を見初め、自身の妻になって欲しいと何度も和泉式部に文や和歌を届けていた。
ある時、和泉式部は保昌に、
紫宸殿の梅の枝が一枝欲しい
という、難題をだす。
保昌は夜陰に紛れて紫宸殿の庭に忍び込み、途中、警備の武士に矢を射かけられるというアクシデントはあったものの。紫宸殿の梅の枝を手に入れ、和泉式部の元に届けた。
それを見た和泉式部は、保昌の熱意に感激してしまい、保昌の妻となることを承諾した。
と、いうものだそうです。
ちなみに保昌山は、別名を花盗人山(はなぬすびとやま)とも呼ばれ、恋愛成就の御利益があるようです。
矢張り此の時代の女流作家では彼女が一番好き🩷
そして暗きより…の歌が好き🩷
恋多き女性👩とか足の指が二股に分かれてたとか伝説的な存在ですね❤
おお平安貴族、と思っていたらまさかのグリコ乱入!
紫式部や清少納言にはない明るさを持つ歌人にはいいですね🌹
2代目グリコマークのモデルは、フィリピンのフォルトゥナート・カタロン氏という陸上選手らしい。
大阪式部と聞いて、何故か上沼恵美子さまの十二単衣姿を思い浮かべました🫠
😂
@@言霊の幸う國のムソジニスト さん
大阪は上沼恵美子さんの”縄張り”だと、お笑いの話で聞きました( ̄▽ ̄;)
@@kankan5470 様
十二単がアニマルプリントとか😂
@@言霊の幸う國のムソジニスト さん
お似合い過ぎ∵ゞ(≧ε≦o)ぶ!
@@kankan5470 様 いたら、物凄く後宮を引っ掻き回しそうですね😂
奈良式部です。
咲熊さんは、関西人なんだろうなーと思ってましたが、やっぱりでしたね。
それもおおーさかーしーきーぶー! すべてを持っていきましたね。笑いました。
あの時代の女房の中で和泉式部と飲みに行ってみたい人NO1です。 恋バナ聞きたいです。。。
日本だ~!!
大阪式部にはちょっと笑ってしまいました。
私は、沢の螢の歌が一番好きです。
この時代というとマンガ「暴れん坊少納言」でしか知らなかったけど、大変勉強になったし、面白かった。それにしてもこの時代の外出着というとかなりかさばって面倒くさい服装という印象だったが、牛車の中で致せるなんて驚きました。やはり愛はすべてを超えるのですね。
感性の天才は惹かれるんだろうね人々は。
コメント失礼します。いつも咲熊さんの動画を楽しみに拝見させていただいております。
動画の内容関係なく申し訳ありませんが、言わせてください。
咲熊さんの動画を毎回見ると、いつも元気をもらえています。
ノリツッコミが本当・・・・最高にツボです♪
これからも動画作り頑張ってください♪応援しています( *´艸`)
和泉式部で思い出しました。「とはずがたり」の作者、後深草院二条もぜひ咲熊様に取り上げて頂けないでしょうか?
リクエストです。よろしくお願いいたしますm(__)m
咲熊さんの解説で、大弐三位(紫式部の娘)の話を見てみたいです!
和泉式部と清少納言を足して2で割ったような性格で、60歳超えてるのに太宰府に赴任中の愛しい夫に2度も京から逢いに行く、強くて元気な方です!
和泉式部、好きなのです。「光る君へ」にのっかり主人にも聞いて欲しくて休日夜のドライブ中は咲熊ch…。「おお〜さかしき〜ぶぅ」で笑いが!「大阪の女の子は情に篤いよなぁ」←何か思い出している?(笑)…。
突然の摂津ワロタwww
うちは徒歩1分もかからないところに和泉式部のお墓が有ります。
各地に有るのでどれが本当か分かりませんが…
和泉式部は私の中で知ってるようであまり知らない歴史上の人物の一人だったので、咲熊さんの解説で知ることができて良かったです。
あと私も関西人なので、咲熊さんが大阪在住と知って親近感がわきます♪
道長、扇に落書きとか小学生か😅
↓
和歌でやり返す和泉式部強い(笑)
和泉式部と清少納言と仲良いのはなんか嬉しい(*^▽^*)
紫式部はねちっこいのはやっぱりな😅
👍あたしも清少納言の零落を嘲笑った紫式部のねちっこい根性の悪さ嫌い👎
紫式部は、練りに練った文章や和歌を作るタイプだから、天賦の才で呼吸するように情熱的な歌を連打できた和泉式部や、自分の気持ちを真っ直ぐに表せる清少納言に嫉妬してたような気がする。紫式部、友達居ないタイプ
@@言霊の幸う國のムソジニスト
紫式部に友達がいないかどうかは知らないけど、自分順序で申し訳ないけど、一番才能があるのは清少納言でしょうね
書くのに苦労していないタイプ
例えるのが漫画家で申し訳ないけど、大成した漫画家は「自分は絵がうまくないからストーリーで勝負する」とよく言っています
絵がうますぎる人ってそういえば漫画家でもいつの間にかいなくなったりするんですよ
実は和泉式部良く知らないけど、清少納言は天才ですね
ただ明治になって政府は源氏物語を訳させて世界に広めたけど、清少納言はしなかった
それは当たり前で文才のある人というのは文章がうまいんで、それを訳しても意味がないんですよ
日本語だから輝きを放つ
もし訳しても内容は大したことがないから外人が読んでも{なにこれ?}になっちゃう
でも源氏物語なら物語だから外人でも評価を高くしてくれる
実際紫式部のファンは世界中に結構います
性格は正反対ですよね
紫式部と和泉式部
@@user-ls6wm7gs1p 様💕
あたしも清少納言の飾りの無さが好きです!!中宮定子命!!の処も泣かせるし、中宮サマに褒められちったー💕\(^o^)/と書くのも好き💕零落を若い阿呆パリピにバカにされて駿馬の骨を買う者は居らぬか~と怒鳴ったってエピソードも好き💕きっと道長は高給で娘のサロンに召し抱えようとしたんだろうが、爽やかに蹴ったんだと思います👏
@@user-ls6wm7gs1p 様 紫式部、少なくても友達は一人は居ましたね。百人一首の雲隠れせし夜半の月ってのは友達の事だそうです。彼女みたいな陰キャじゃ、友達ってもフレネミー、いつ、どこでディスられてるかわかんない💦
古代平安の世でシングルマザーが生きていくには誰かに頼らざるを得ない身の上なんだろうな。自分の持つ才覚を発揮できる場も少ないし、機会も限られていただろうから、親王の目に留まるのはよっぽどの幸運と言いようがない。それを思えば藤原道長の器の大きさには尊敬する。でもやってることが中学生っぽい。
すぐに我が子をネグレクト、虐待死させる令和のシングルマザーより遙かにマシ!
「暴れん坊清少納言」だとビッチだけど、いい人だったな。はじめ定子に仕えてたんだけど、パパの期待に応えようと頑張ってる彰子に心動かされて、定子に仕えたまま彰子側に移籍するという離れ技を演じてた。
いつか儀同三司母(高階貴子)やって欲しいです!身分は低めながらも夫に愛された才女です!皇后の定子様のご母堂様です!
最後は嘆きの日々でしたね😭
@@言霊の幸う國のムソジニスト あれだけ栄華を誇ったのに最後は…
@@ヨーク公爵夫人セシリーネヴィル 様 ま、道長に肩入れした姉さんがいたし、兄息子はアホだし、弟息子は元気いっぱい過ぎたし(-_-;)先の事は判らないから、今、このしあわせの中で死にたいという歌はまるで彼女の行く末の予言みたいですよね(-_-;)
しかし、因果な人達!親戚だとライバルで助け合う事は皆無
@@言霊の幸う國のムソジニストその結果、あの悪名高き左大臣藤原頼長(またの名を悪左府)を生んでしまう。
紫式部の生涯もやって欲しいです!!!
お手紙のやり取りいいなぁ・・・
現代人が忘れてしまった良き文化
和泉式部日記は円地文子訳を更級日記と共に読みました、ちくま文庫から出ています。この動画で読んだ場面がそのまま出ていてとても嬉しいです。
咲熊さんの解説は楽しくてためになります。更に茶番がサイコーですw
もうCD出しちゃえ!
オラオラの和泉式部が、本当の姿かも知れないです。
そうでないと、自身の悪評が広がっている、宮中に出仕出来ないと思う。
咲熊さんのノリが心地よいのは同じ関西人だからなのね💕
大阪式部にハマりましたw
夫の単身赴任から恋多き女になったんですね
有名な女人ですね
平安シリーズの新作嬉しいです!
道長が和泉式部を推挙したのは、彰子様の局は定子様の局に比べて堅苦しいと言われてたのを気にしてたからなのかな~と思いました。
パリピッピ(笑)な彼女を彰子様に仕えさせることで彰子様の局に新しい風を吹かせようとしたのかな・・・
紫式部からは「魅力的だけど頭はよくなさそう」と言われ、サバサバしてた清少納言と仲が良かったというのも今で言うと一軍女子と陰キャ女子の関係性みたいで面白い笑
彰子様は当時からするとすごく長生きされたので、和泉式部・清少納言・紫式部の娘達も仕えていて平安時代きっての才媛達の二世が揃い踏みなのも興味深いですね。
待ってました!
いつも動画楽しみにしています😊
最近話題のビザンツ帝国皇女アンナ・コムネナをリクエストします!
息を吐く様に和歌を詠めると言うのは短歌を詠む人間ならば喉から手が出るほど欲しい才能。彼女の才能が宮廷によってより花開く様は壮観だったんでしょうね。紫式部もそら妬むわ。
こんにちは。
三十六歌仙のひとりに数えられる、有名な歌人というのは知っていましたが、紫式部や、清少納言とも仲が良く、「浮かれ女」と陰口をたたかれても気にしない、おおらかで、人に好かれる女性だったのですね。
それぞれの娘たちも、同じ宮仕えをしていたのなら、娘同士も、仲が良かったのではないかと思います。
マンガの、「うた恋」にも、和泉式部の話しがあります。