Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
あぁ、新日本鍛造シンニッタンですね!GTRは、サプライヤーさんにお世話になりました!
ハイソカーブームの火付け役のトヨタマークIIやソアラが大ヒットで日産もSKYLINER31をハイソカー仕様をラインナップしたが見事に販売台数が転けました。大きくなった車体、絶壁ダッシュボード、ツインカムターボの鈍足等々、マークII、クレスタの牙城を崩せず、次期モデルのR32に命運をかけた理由です。
日産32型スカイラインGTRですね。ケンメリスカイラインGTR以来16年ぶりのモデル日産32型スカイラインGTRはデザインがいいし大好きです。走りも文句なしで頭文字Dの中里の愛車なんです。
R32GT-Rの市販車は自主規制に収まるように、むちゃくちゃなデチューンをかましていましたからね。ECUとブーストアップキットを積むだけのお手軽チューンで、300台後半を軽く叩き出していました。ノーマルでも個体と計測方法にによっては300馬力を超えていたとか。あとは足回りを固めるだけの予算100万以内で、あっという間に草レースでも無敵のレーシングマシンの出来上がり。当時、父と友人がサーキットで走っていたので、GT-Rのすごさは体感的に知っています。でも私が一番好きだったのはその後に登場したランサーエボリューションでしたw父と友人に「次の車はランサーがいい」と言ったら「そんな金はない。それとあれはダート用だ。アスファルトでGT−Rには遠く及ばん」とあっさりと切り捨てられました。90年代の最高の車は私の中ではターマック=GT-Rダート=ランサーです。そして私が自分で働いて最初に買った車は、ランサーエボリューション2の中古という裏切り者ですwもうあの頃の日本車の栄光は二度と見ることができないのでしょうね。悲しいです。
海外で暴れまわった結果、大会から締め出されて、オーストラリアの記者から「GODZILLA」と呼ばれてそのままgtrの愛称になった話好き。
33Rにモデルチェンジする前に32Rとどっち買おうか悩んで会社の先輩に「32Rはどんなに後のモデルがでても伝説級だから」と言われまだデザインもハッキリわかってなかった33Rより、すでにかっこいいのがわかってる32Rを23歳の時、思い切って買いまだ乗っています。ホント買って乗って良かった最高の車です。運転してた楽しい。次に乗りたい車がみつからないのが欠点かな。
新車から乗れているのがうらやましい。私はR33で悩み、R34が出て「これじゃない」と感じR32を手に入れました。もちろん今も相棒です。
@@shengwushangye9001 返信ありがとうございます。ホント相棒ですよね。可能なかぎりいつまでも乗っていられたらなあと思います。
👍
出た時「480万!何とか買えるぞ!」と思ってました。しかしMTに乗っていてATが欲しかったので断念。最安値は48万でしたが買えませんでした。昨日、ワンオーナーと思われるR32GT‐Rの後ろにつき、羨望のまなこで追いかけました。
@@teikoku1945 32のタイプMをショールームで見て運転席に座ってみたんですけどサイドサポートがきつくシートバックから背中が浮いてしまい笑ってしまいましたgT-Rのシートはちゃんと座れました34肩口のサポートが出っ張てて違和感が
porsche959はATTESA E-TSの独自性を確認するために、無理をして購入したそうです。駆動配分の設定は手動選択と自動制御の違いが、素人にわかる、大きなPOINTですよね。メカニズムの面や制御技術の面で、両者は別物のシステムかと、思います。
平成2年に新車で購入。バブル期とは言え、当時25歳でしたから、かなり無理した買い物でした。納車後、すぐにHKSの吸排気系とコンピュータ、トラストの車高調とBBS鍛造17インチホイールに交換。ブーストはEVCで1.5kgまで上げて、シャシダイで400馬力+20馬力くらいでした。当時のボッシュ製シャシダイでは400馬力までしか計測出来なかったので、グラフ曲線からの推定です。エンジン本体や補器類、タービンもノーマルでしたから、驚きでした。高速を5速で引っ張るとクラッチが滑ってしまうので、日産が対策した強化品に交換しました。しかし、これでも滑るのでOS技研のツインプレートに交換。次に半年ほどでブレーキローターにクラック発生。峠や首都高をよく走っていたので、ノーマルブレーキでは些か心許なくロッキード製のローターに交換。車体剛性は十分でしたが、万が一のことを考えて7点式ロールゲージを入れました。するとアンダーが強くなり曲がり難くなってしまいました。そこでメーカーは忘れましたが、キャンバー調整出来るロアアームを購入しネガキャン12度に。それでも曲がらず、調整幅いっぱいの20度にしたらアンダーは良くなったけど、ブレーキ時に不安定な挙動が発生。仕方ないので12度に戻し、ボディ剛性を少し落とした方が良いかと思い、フロントストラットタワーバーを外したら、酷かったアンダーが劇的に改善。そんなこんなで、現在すでに40万キロ以上を走破。その間、22万キロでのエンジンOH1回のみ。クラッチは5~6回交換してます。タービンはノーマルを3回ほど交換。ラジエターとインタークーラーはARC製に交換。アテーサの配分を手元でコントロールできる装置(なんとかダンサー?)と、ハイキャスはキャンセル。その他メーカー不明の強化ブッシュやエンジンマウント、スタビや他車流用のエアコンエバポレーターなど交換部品は覚えていない物も多数あります。エンジンとタービンはノーマルで、追加インジェクターや強化燃料ポンプ無しで、排気温度はピーク980度で安定。ブースト1.5kgまでは十分対応してます。今まで大事に乗ってきましたが、流石に車体や足回りにガタがきています。数か所からビビリ音があり、ドアの建付けも少しずれているようです。某ショップにレストアしたら700万円と言われ、「ハイブリッドに買い替えろ」と言う妻をなんとか説得している最中です。その際には、某ショップカスタムのR34用のエンジンと6速ミッションに乗せ換え計画もありますが、どうなることやら。
昔、先輩に「GT-Rの試乗に行くから、お前も付き合え!」と言われて付き合わされたのを今でも思い出します。先輩は、試乗後、すぐに愛車のR31GT-Sを下取りに出して、速攻でR32GT-Rを買ってました。尚、未だに乗り続けています(今年御歳60歳)
大切にしてるんですね!凄い!
それだけインパクトがあった車なんですね!
めっちゃいい😂
鈴木亜久里がテスト車両が四駆だと知らされずにウェットで走らせてよくできたウェットタイヤだと言った話があった
何も知らず先日買った僕には大変勉強になりました🙂またBNR32の話を深掘りして作ってください🙂
グループAか、当時鈴鹿のレースでGT-Rが勝つところをGT-Rに友達を乗せて見に行ったよな!グッツ売り場では、土屋圭市さんのグッツも売っていたのですが、宣伝の為の土屋さんの名前の漢字が下記の様に間違っていました。正)土屋圭市、誤)土屋圭一2時間後に再度その店に行ったら、土屋さんの名前が直されていました。
32Rを買って7年乗ってエンジンブローして33Rに乗り換えましたが、33Rは33Rで良い車だけど、32Rの事を忘れられないです。あのサイズ感が扱いやすい。
めっちゃうろ覚えだけど日本一速い男星野がR32に試乗前「こんな重い四駆なんて走んねーよwww」と拒否したけど説得されコース一周したら手のひらクルーした話し好き
今思えば、100万台の内に買っておけば良かったと後悔。実はシルビアからのステップアップで現愛機のFD買う時に近所に150万で05Gツイン550馬力の出物が有った。既に交渉中のヤツだったけどアレ買っておけば良かったなw
GTーRは出てすぐに試乗したけどワシの使用目的だと性能をフルに発揮出来ないどころかむしろ持て余すと思って買わなかった。代わりにGTSー4を買ったけどね。ワシは林道とかの未舗装路に乗り入れる事が多い仕事をしていたからハイパワー&トルクスプリット4WDは相性最悪だったんだよね。(^_^;)トルクスプリット4WDはまだしも280馬力はパワフル過ぎて滑り易い路面だと直線はFRだけどコーナー進入時にいきなり4WDに切り替わるからFRと4WDの欠点ばかりが目立つ上に馬力を持て余す危険な車になる。GTSー4の215馬力と27kgのトルクって控えめな性能は未舗装路だと扱い易かったから最高だった。舗装路だとGTーR並みの車重に非力なエンジンでそこまで速い走りは出来なかったけどね。(^_^;)Rー32は車体と足回りのバランスが飛び抜けて良かったからそれほど不満は感じなかったかな。32GTーRはしっかり舗装された道では無類の強さを発揮する代わりにミューが低い未舗装路ではものすごく扱い難い上に速く走れない車だと思う。あと、32GTーRはノーマルだと雪道も苦手な車だと思います。GTーRもGTSー4もETSコントローラーを着けないと未舗装路と雪道は危ないと思います。(^_^;)
近所に32GT-Rを乗り続けてる人がいるんだけど、いつもきれいにしてるから、とても大事にしていると思うし、なんか格好良いと思う。
車好きで901運動知らんやつは少数だと信じたい
日産の901運動と初代セルシオのNVH源流管理と初代レガシイの開発とシーマ現象が同時に来て、協力会社は死に物狂いで残業して仕事してました。バブルがはじける寸前の最後の昭和の思い出です。
NAの4ドアのRB26DE載せたモデルもあったとあったと思います。4WD・ATのオーテックバージョンの限定モデルだったかな?
日本のスポーツカーのレベルがこの車で一気に上がったと思う。
なら、開発秘話をひとつ。あのみんな大好きR32GTRの16インチ純正ホイール。あれ、実はホイール担当者が原価のゼロが一桁少ないという間違いを犯してしまい、それがそのまま通ってしまったんですよ。本当なら採用されないはずの超高価なホイールが純正装着されてしまったんです。つまり、相当経理がグタグタだったことで奇跡が起こってしまったんですよ。最高のGTRという奇跡が。ちなみに、当時日産にいた叔父がR33の頃に開発から経理に部署移動になって、そのグダグダ、どんぶり勘定な経理に青くなったそうです。これは・・・会社が遅かれ早かれ潰れる!と。それはすぐに現実の危機になったんですよね。R32GTRは日産の栄光であると同時に日産を食い殺した悪魔のマシンと叔父は話してくれました。コストという概念が極めて欠如していたそうです。トヨタとの差はその意識だと。
原価のゼロが一桁少ない?多いんじゃないんですか!
コストと言えば一つお話を。最初の就職先が日産系の部品メーカーでしたでした。自分は事務部門だったので直接関わっていませんでしたが、設計部隊の同期の話によるとGセンサーはコストが3万数千円掛かっていたにも関わらず日産には1万円で卸していたそうです。コスト意識の問題は系列も同様だったんだなと思います。辞めて20年近く経ちますが、その会社は電機メーカー系になった上にH系のメーカーとも合併して今に至ります。
日産ディーラーの方に新品タイヤとホイール込みで4本セットで60万円と聞いたことがあります。
でもそのトヨタには「全てお手盛り」のスポーツカーが存在しない面白さ(笑)まぁメーカーが存続する事が1番大事なんですけど日産の「凄いスポーツカーを作る」とトヨタの「いろいろ難題をクリアしてスポーツカーを作る」意識の差が日産とトヨタにはあると思います。スーパーGTを観戦しても日産、本田はメーカーを応援してるファンが多いですが、トヨタはドライバーを応援してるファンが多い肌感です。
32GT-Rが出た頃に雑誌でポルシェのメカニックが同じ装備では利益を出すのに1千万超える記事が有りました。日産は1台5百万で売れば売るほど赤字になっている計算ですね。
このときの日産は本当にすごかった。何度聞いても感動するよねぇ・・・開発話。そして未だに色褪せない格好良さ。オーラが違うよねぇ・・・シルビア/180SXも好きだったけど・・・こいつは本当に別格だぜ・・・これが400万程度で購入できたとは、そこもどう考えてもおかしい(苦笑
当時、村山工場にいた日産の方から、テストコースで「バックファイアを出してる車を市販したら駄目だろ笑」という話しを聞いた
エンジンルームで鳩が鳴くと言われてた
当時、私は消防本部で事務で働いていて付き合っていた彼(有名電機メーカーの系列勤務)がGT-Rが好きでGT-Rのパンフレットを貰いに行こう!と二人で自転車二人乗りして日産に行ったところ「パンフレットはありません」って言われしょんぼりして帰りました。次の日何気なく本部の偉い人に「昨日彼と自転車で日産にGT-Rのパンフ貰いに行ったらありませんって言われた」って笑い話をしていたのですが、その次の日に出勤したら私のデスクの上にGT-Rのパンフレットがでーんと置かれていました。「あれ!無かったのに!」って言ったら「昨日うちの職員がGT-Rのパンフ貰いに行ったら無いって言われたらしいと電話したら速攻で持ってきたぞ笑」って言われて( ゚д゚)ハッ!こいつら金無さそう買えないだろって思われてパンフ貰えなかったのか!と気付きましたw嫌な話とか恨み節じゃなくそれこそさすがGT-Rだなぁと今思い出してもクスッとしますw自転車で行くはないですよねwww
当時の日産技報が大学の閉架書庫(教員と院生が閲覧できる)に有ったのでよく読んでいました。「市販車を改造してレースに出るのではなくグループAに勝てる車を作ってそれを市販車に落とし込む方法を取る」と書いてありました。エンジンは600psの物を作り、レギュレーションで変更可能な部品を市販車用に変更したものが400ps、吸排気系のコンピュータで280psに抑え、ついでに新しいセラミックタービンにしたそうです(だからN1タービン+エアクリ+マフラー+ECUで400psになってしまう。セラミックタービンのまま400ps化すると耐久性に難があるそうです)ポルシェ944はFC3S RX-7の対抗として生まれたらしいですが価格が3倍と性能は高くても比較にならなかったので売れなかったとか(もったいない)海外仕様のFC3SにはNA版もあってさらに安かったそうです(日本だとターボのベースグレードが206万円、そこからマツダ値引きがあったw)FD3S最終型なんて68万円引きの広告が入っていました(今じゃとんでもない価格に...)
昔GT-R開発メンバーの1人として😅当初リアトランクリッドもアルミにしようとしましたが、開発中に風圧で凹み、凹まないようにするとアルミの板厚あげなくてはならず、鉄のノーマルと余り重量変わらない為ノーマルと同じになりました。あの当時の馬鹿デカイリアスポにそれだけダウンフォースかかってんですねwGT-Xって懐かしい響き、開発中は、わかってても言えないもどかしさありましたけど😅
ご視聴ありがとうございます!開発メンバーの方からコメントいただけてとても感動しております!貴重な開発秘話ありがとうございます😭そんな裏話があったんですね!こんな素晴らしい、GT-Rを作っていただきありがとうございました!
おお!まさに関係者しか知らない情報ですね。デカいリアスポのダウンフォースについては、高速道路で違法な速度で踏み続けるとダウンフォースが効きすぎてリアのピラー下が歪むというか凹んでしまうというか、それほど効いてましたね!
その昔、ベスモか何かのビデオマガジンの映像の中で、今はなき谷田部の高速周回路でダッジバイパーGTSの最高速テストをしていた際にダウンフォースの風圧に負けてリアスポがステーごと外れたことがあったのを思い出しました。
確か関係者しか知らない情報としてインタークーラが黒い塗装の理由が極秘だった
@@muramasa00 極秘だったら教えてくれないでしょ笑笑
GT-Xっていうと、それ以前のスカイライン(型式はしらん)でツインキャブ仕様に付けられていたね。
【訂正】※2箇所(誤字と”901運動”に関して)①5:20 ラップタイプ→ラップタイムの間違いでした。失礼いたしました。②14:46 ”901運動に関して”1990年代までに→◎1990年までにが正解となります。大変申し訳ございませんでした。ご指摘いただいた方にこの場をお借りして感謝申し上げます。
デビュー戦で3位以下のシエラを全部周回遅れにしてしまってお口あんぐりでした
この見た目はスポーツカーに見えないルックスが魅力の一つかなと思っています
日産なりトヨタなりホンダなりとにかく"速い"車を作るためのノウハウを高め合ってた兵どもは夢の跡
20年前、極上車でも相場100万超えることはなく、スクラップ扱いだった時代に買っておけば良かった
R32GTS-T タイプM に乗っていましたFRで 楽しかったです
GTXて、たしかタイプMとかのエンブレムで見たことがあったような…
伝説的な車だったなぁ‥シンプルだからこそ威圧感満載の丸目4灯にミラーに映り込むと恐怖すら感じたと言われてる猫目のヘッドライト以外と知られていないエピソードとしては・日産営業部はお客さんに自分からGTRを勧めることは無かった(あくまで日本最高峰のスポーツクーペ、スカイラインGTSが主役その主役すら性能に満足できない客のみおすすめした)・ニュルのテスト車はS13シルビアのフレームにR32GT-Rの外装を貼っつけただけのやっつけ仕様(専用車を作るお金も時間も無く、カモフラージュさえ出来ればいいからホイールベースがほぼ同じシルビアを使ったらしい)・公道でも無敵を誇ったポテンシャルの詳細(マフラー変えてコンピューター書き換えただけで400馬力オーバー出せる)・実はそんなに重たくなかったR32 GT-R(前期通常グレードの車重は1430kgでスープラより100kg軽く、NSXより80kg重い程度重いと言う印象がついたきっかけは1540kgになったVspecⅡの仕業因みに最軽量なNISMOグレードだと1400kgジャストに収まってる)・実はニュルではR32は畑違い(元々国内のサーキットに主軸を置いてた為、旋回性能を求めた結果R32は高速コーナーが苦手だった(それでも日本車の中ではピカイチ)、ニュルは毎時200キロオーバーで走ることを想定してるドイツ車達のお膝元の為、ショートホイールベースで旋回力の高いR32にはニュルのコースは厳しかったそんなこともありローレルのフレームを流用して結果的にロングホイールベースとなったR33が歴代スカイラインGT-Rの中で最も高速コーナーが得意なGT-Rとなり一気にラップタイムが21秒も縮んだ)とかかな
GTR速えー!規制!ロータリー速えー!規制!そんな事してるからF1、スポーツカーが衰退するんだよ!
むしろ空力の悪いハイトワゴンやSUVを規制してほしい。
また901運動について間違えてるから訂正させていただきます。901運動は1990年代までではなく、1990年までにが正解です。最初はプロジェクト901活動と呼ばれてました。ちなみにウィキペディアにも901運動のことを間違えて記載してあります。あとニュルブルクリンクのラップタイムを削るために持ち込まれたのはR32GTRが初めてですが、テスト走行としては、前モデルのR31型もデビュー前に日産がもちこんだR31のRB20DET搭載車をフランス人レーサーのジャン クロードがニュルブルクリンクでテスト走行してますよ。本格的なテストに関して言えばR32GTRが最初なので間違いとは言えないかもしれませんが、901運動については間違いを広めないでほしいです。90年までと90年代まででは大きく違います。
最後までご視聴いただき誠にありがとうございます。また、貴重なお時間を割いてご丁寧にコメントいただき誠にありがとうございます。・ニュルでの走行についてこれに関しては、私の知識不足でした。調べたところ確かにこれ以前にも日産は別の車を持ち込んでニュルを走行していたようです。ただ、本格的に開発のためにテスト走行するのではR32GT-Rが初めてだったようです。貴重な情報ありがとうございます。・901運動に関してこれに関しては、今回参考文献として活用させていただいた、「R32スカイラインGT-Rの開発」(著:伊藤修令)に下記のような記載があったためこのように表現させていただきました。”プロジェクトP901活動は1990年代に日産車の総合的な走行性能に関して「世界のトップレベルである」という客観的な評価を目的としており、研究・開発設計・実験部門を中心に構成されている。”【R32スカイラインGT-Rの開発(著:伊藤修令・グランプリ出版発行)(2021年)※P161より引用】以上のようにあるので、動画内のような表現させていただきました。しかし、参考文献内には下記のような内容もあります。”1986年10月からシャーシ設計・実験部を中心にした「901委員会」で、90年に世界一と言われる車を目指して本格的な取り組みが始まった。R32プロジェクトの目指すものと901活動の目標は同じであり、901活動がR32プロジェクトの目標達成活動となった”【R32スカイラインGT-Rの開発(著:伊藤修令・グランプリ出版発行)(2021年)※P139より引用】”1986年8月にマルチリンク式フロントサスペンションの開発に目処をつけ”90音にシャーシ性能が世界一と評価されるクルマをつくろう”という「901活動」をシャーシ設計が発起した。”【R32スカイラインGT-Rの開発(著:伊藤修令・グランプリ出版発行)(2021年)※P161より引用】これらを加味すると、sky 1989s20さんが仰るように、”90年までに世界一”が正解かと思われます。大変失礼いたしました。ただ、最初の引用部分には1990年代と大まかな表現であったり、また参考文献内では「プロジェクト901活動」、「901活動」、「901委員会」と様々な呼称があるので(目標はどれも同じ)、あくまで憶測ですが、もしかすると呼称によって多少違いがあったのかもしれません。どれにしても、今回の表現には誤りがあるので、コメント欄に訂正させていただきます。重ねてになりますが、お忙しい中貴重なご指摘誠にありがとうございました。
RB系のエンジンって全部鋳鉄ブロックだったと思うんだけど・・・
93年式Vスペックを02年に購入して10年10万キロ乗りました。景色が思った通りに動く独特の感覚と、自分が車の一部になったような一体感が最高です。シートやステアリングもあまりにフィットして「NISSANが自分のために作ったのでは?」とまで思えました。
デビュ―戦での、終始他車を圧倒し続けた、カルソニックの青と、リ―ボックの白のランデブ―走行の様なレースは凄かった。
今の若者も車に興味はある。国が色々やって若者が近づけないようにさせてるだけ。13年経過した車両に重税を課して、ガソリンにも税金ばかり。税金ばかりだから、興味があるけど生活を犠牲には出来ない。
32でなくても対向車線にGTR走ってるとテンション上がる
30セルシオも解説お願いします!!もしくは180系クラウンでも!
自分は10年前、ハコスカGTとR32、33GT-Rと散々迷った挙句、ハコスカを買った(当時どっちも150万くらい)。乗って帰る途中の中古屋にハコスカGTより安いR32 、33GT-Rが並んでいて「あっちは本物GT-R。こっちはただのGT。あっち買えばよかったかな?」と思ったが、今はハコスカ買ってよかったと思う。
すごく面白いエピソードですね。
俺の32GT-Rは外国人窃盗団によって海外に旅立ちました。
どうにか帰ってくる事を祈ります……
901運動で産まれた傑作車は多い。R32スカイライン、S13シルビア、マーチ、プリメーラ、マジェスティなど
あの頃の日産はすごかった。とてもワクワクする時代だった。
自分はその当時日産のとある生産工場で働いてました‼️若い皆はGT-Rが買えないからtype-Mやシルビアが180を買ってたのが懐かしい‼️
typeMは2000CCですが、オートマ仕様とマッチングが良かったみたい。加速もすこぶるよくマルチリンクのサスペンションも秀逸でしたよ。シートもホールドがよくカーブでも安心でした。
グランツーリスモ4のブックレットにもテストドライバー加藤氏の逸話が載ってましたね小学生の頃擦り切れるまで何度も読んでました
ライバル車を駆逐しすぎて、レギュレーションに駆逐された車
うまい! ホントその通りですよね(⌒-⌒; ) (レギュレーション) 自分には、分かっていても言葉に出来ませんでした。
ご視聴ありがとうございます!うまい表現です!それ、霊夢に言わせたかった笑
交通機動隊のR32GT-Rのアクセルワイヤが2本に強化されていた
まさにターニングポイント。この前後で日産に限らず車の造りが全く違うと思う。速さ、燃費ってポイントが違うけどプリウスにも同じ事が言えるんだよなぁ。。
901活動は車の完成度を上げた事には間違いないものの、バブル期にあまりにどんぶり勘定でコスト度外視で邁進し、走りの性能以外の商品力が上げられなかった結果バブル崩壊で多額の赤字を背負いルノーに事実上の吸収をされてしまう結果になるとは皮肉なものですR32型もGT-Rありきの設計で売れ筋の4ドア車も巻き込まれて狭くなってしまいR32型全体の販売台数はR31型より減ってしまったのも会社として混迷を深めて行く結果になっていきます。R33が大きくなったのもこれが絡んで来ますが長くなるので割愛。
280ps自主規制は日産独自では無いから、300psで発売は無理ですね。
1989年にRB26搭載32GT-Rが登場するまで日本の四輪チューニングの世界での最強エンジンはトヨタ7Mだった特にその前年に70スープラに限定車turboA(270馬力)が登場し、オプションやカーボーイ等そっち方面が得意な雑誌では持て囃されていたしかしRB26が登場した1989年を境に一気にGT-R一色になっちゃったなあ
同時期にスバルのSVXが開発されていたんだけど、世界一早くてラグジュアリーな4wd目指して、フラット6のTurboエンジン載せようとしたから焦ってそれを阻止したんだよな。1年違ってたらGT-Rより間違いなく早い車になってたんだよね。
参考文献を紹介していて解説動画として満点
確かニュル用のテスト車両はS13にGT-Rを入れたような物だったらしい...。
R32GT-Rは本当に衝撃的な車だったな。出たばっかりの頃のストリートゼロヨンや首都高じゃ、エンジン本体ノーマルのタービン交換仕様のGT-Rで、7Mターボやロータリーのフルチューンに着いて行けるんだもん、次元が違うよな…
当時はたしか一流どころのチューナー、しかも矢田部最高速用カリカリ仕様でも400psは滅多になかった。ところがRB26ときたら、出たばかりで「お試し仕様です」なんて段階でその数字がポンポン出てきたもんな。シャシ性能も併せて、あの前世代からの隔絶ぶりインパクトは今となってはなかなか伝わりにくいんじゃないかな。
@@satoCurizane 当時は7Mターボ、ロータリー辺りは380馬力〜400馬力出てれば相当速かったですからね。400馬力オーバーなんてまともに街乗り出来ないし谷田部一発トライで終わりって時代でしたね…500〜600馬力が当たり前になって800馬力がウソ800じゃなくなりましたもんね。
グループAではフォードシエラが大勢だったのに、R32GTRが出てきてからは多くのチームが乗り換えた。速さの差は明確だった
32GTRは間違いなく良い車です。
海外だとグループA仕様のRが最終的には700ps超えてたらしい...
あまりに強すぎてマカオGPでは2クラスのBMW M3に負けるくらいまでキツイ性能調整を掛けられたという正真正銘の化け物
32タイプM、32Rと乗りましたが二台は全くの別の車と感じました。共通して言えることはフロントヘビーと低速トルクがなかったことが印象深いです。
やっちゃえ日産がやっちまったな日産になってしまった昨今
この頃、サーキットレースの様相をGT-Rが変えて、WRCの方はスバルと三菱がインプとランエボが変えたのだから、日本車すげえ‼️となるよねw
今回も面白い解説でした。続編お願いします。徳大寺さんがべた褒めした25リッターやRB26を積んだステージアとか脇道に逸れた解説を期待しています。
WRCのツール・ド・コルスに出場した32GT-RはプライベーターのGr.N車両だし、いくらターマックラリーでも山岳路なので相性が悪過ぎたと思います。
あんまり海外に中古車輸出しないでくれよ…………マジで。
RB25はどうなったの?
昔、GTSの4door乗ってた。80㌔以上になるとスポイラーが降りる「オートスポイラー」って機能が付いてたな〜。やっぱスカイラインは32が1番カッコいい!!
RB24ブロックもRB26同様、ど鉄では?長い直6のド鉄ブロックだからZ32等のVGブロックより重くて弱いエンジンになり、レースでは市販車とは別物のブロックを使用していた。市販車では普通に走っていてもブロックにクラック入る個体も目立ち、それで廃車になったのも多かったが、今は旧車が高騰で価値自体が上がったからニスモブロックや初期ロットブロックで再生。
>>レースでは市販車とは別物のブロックを使用していた。一応市販エンジンだったはずだよ。市販と言ってもエボ限定車だけれど。確か一億円だったか、金さえ払えばグループA仕様で売ってもらえたんだよ。一億円・・・ 誰が買うんだよって広告まで出していたからね。
@@BNR32GTRN1Vspec さん。でもブロック自体が市販車とは別物で肉厚が厚い割れないブロックです。市販車のブロックもチューンしてなんともないやつがあったり、オジサンオバサンの街乗り仕様でも割れるものは割れてたのでチューンする時にはN1ブロック(24U)や初期ロットブロックGTブロックを用いてゴミの05Uブロックは割れてなければヤフオク出品。割れてたら金属回収業者に買ってもらいます。ボーリングや砂落としや修正面研等にコストを掛けて組み上げて搭載、セッティングしてからブロック割れされるより安いから。クロースドデッキでクラックが入らなければ良いエンジンなのですが、33や34は更にダメ。金型問題も語られますが、素材自体も見た目から違っています。名車が実はボロエンジンなんて残念ですが、それを隠して価値が上がったのでブロックを替えてまでレストアされる稀な迷車です。
R32型はグレード等関係なく車両を全バラしてみると車体剛性をはじめとした車両のトータルレベルが予想外に…ですね。因みに当時工場で組立していたのでよく解りました。あと、エンジンも補器類は素晴らしいと思いましたがブロックをはじめとしたエンジン単体での素性は個人的には?です。
日産の社長が石原さんから技術屋出身の久米さんに替わったのが大きかったですよね、この頃の日産こそやっちぇ日産のCMコピーを使って欲しかった!
こいつのせいでZ32が普通のクルマに見えてしまった。かなり、ゴージャスな性能とデザインだったのに。
フロントのグリルだけでGTRとGTSの見た目の印象が全然違うから不思議だ
この車に黒星を付けたのは三菱ギャランvr4
一方、トヨタはハイブリッドシステムを開発していた、会社のかじ取りって難しい
ハイキャスのエラーランプいつも付いてたなぁ、あれ何?そしてエアコン2回壊れて廃車にした
たしか全日本ラリーは、出ていラリーたショップがあったような……
当時FFべーすのアテーサ四駆もある事にびっくりしました。
R32ならタイプMもGT-Rも所有してました。GT-Rは言うまでも無い存在ですが、個人的にはタイプMも名車だと思う。
俺はタイプMの方が好き、所有したい。
俺もタイプM所有してて好きだった更にいうとRB26の太い音より20detの排気音のが好きや
4ドアベースの32のGTBてチューニングカーかなんかでありませんでした?
@@Hiro-jh2ht おお!でも個人ですしメーカーやディーラーとは違うのでは?
@@Hiro-jh2ht GTB-4は桜井眞一郎氏が創立したS&Sエンジニアリングが注文改造で生産した4ドア版GT-Rの事ですね
日産とマツダは浮き沈み激しいよね。
世界のTOYOTA 国内止まりの日産だね。言い換えたら日産は技術だけの日産。赤字…もったいないですよね。
@@ぬこ吉ぬこ太郎 どう考えても国内が不調だよ。ジューク、キャシュカイ(デュアリス)、ムラーノ等々国内で切られた車種も海を越えれば人気車種としてモデルチェンジして新型でてるし、欧州じゃ今期はevの売り上げが60%近く上がってるらしい。東南アジアも悪くないし、海外の日産はラインナップ豊富。逆に日本に出し惜しみしてる様に感じる(エクストレイル.....
@@kotakotakotakota2587 言い換えれば、確かに仰る通りです!言葉足らずで申し訳ありません。私が言いたかったのはインフィニティーの失敗などです。経営戦略がねぇ…GTRは素晴らしい車ですが、それだけに注力・特化している気がしてなりません。今の状態では、やっちゃえ日産ではなく、やられちゃう日産になりますね。昔の日産が良かったかな~。若者の車離れも絡んでいるかも。
@@ぬこ吉ぬこ太郎 確かにインフィニティはここ3年不調ですね。ですが新型車はやはり売れているし、モデルチェンジ予定のモデルもあるので長い目で見ればそこまで悪くない気もします。国内外問わず新型車が連投されて黒字回復しているので日産はこれからに期待ですね。後は脳死でトヨタを選んでいる国内ユーザーを何処まで引き込めるかでしょう。
当時20代の若造には憧れのGT-Rは買えなかった。頑張って白のGTS-TタイプMにフルエアロと純正Rウィングおごっりパワーも自分には丁度よく、峠やツーリングに色々走った。これも、良いクルマだったし未だに、機会が有れば再度購入した一台ですよ
頼む日産!!もう一度販売してくれ~~~!!!
901運動、ターボ、アテーサ…P10にGTI-Rのエンジンを移植した記憶が…
MT率の方が高かったし、当時の車好きというか一般層も今と違って硬派層が多かったですね。同級生の女の子もATは恥ずかしいと言ってみんなMT乗ってましたから。
グループAだとタイヤ規制が厳しくて、市販車のホイールサイズから+2インチのアップまで、タイヤの幅は7~9インチ(大雑把のいえば175~225)タイヤサイズの制限が厳しいんでエンジンパワー自体には規制がなかった。いくらレーシングスリックっても17~18インチあたりでの225で400馬力オーバーはきついんで4WDは圧倒的アドバンテージだったでしょう。
新車から中古から結構たくさん買った車です (グランツーリスモで)
96年あたりなら中古のN1仕様でも450万、標準車でも350万くらいで極上車が選び放題だったような33もあったけど不人気だったのか32より安いのもあったね
Gr Aの出立ての頃は、駆動系やブレーキの耐久性を考え、敢えて馬力落としていたらしい。
エアコン、パワステ、オーディオなど快適装備の付いたスカイラインはGTX、GTRは車検さえ通れば良いというレース用車両。
特異点のような車
なるほど2.4→2.6の陰にはTWRジャガーがあったのですね当時はボルボが速くてTWRもローバー・ビデスに変わってたから、ジャガーは大した事はないと思われてたんですよねそれがレースが始まったら、驚異のタイムニッサンの開発陣はさぞや大慌てになったでしょうね
いつもご視聴ありがとうございます!ジャガーがいなかったら、最強のGT-Rも出来なかったかもしれませんね。
@@yukkuri-motoring 黙ってついて来い‼と挑発されたんですねwwwww #違うそうじゃない
32RをやったならBCNR33をお願いしたい
ご視聴ありがとうございます!近々動画出しますのでお楽しみにしてください^^
鉄仮面を乗っている時に首都高で一瞬にして抜かれた事が懐かしいです。あの速さは反則。
✕ あの速さは反則〇 あの速さで走るのは反則(違反)
@@solidchilli 確かに違反です。様々な事が煩く規制された末が現状の夢も希望もない世の中。無駄に強くなった生徒会の居る学校みたいな状況でしょうか。規制で硬め過ぎると気力や活力を削いで景気も衰退して行きます。日本の経済を殺したいなら、首都高速や国道1号線を法定速度厳守にすれば良いのですよ。グレーゾーンを大切にしていた昔が良かったと言われる理由を考えてみると良いかも?
@@赤色好き-e5d いくら何でもそこまで言ったら自分勝手が過ぎるのでは?日産にはスポーツ技術の開発は一旦中止して、安全性能、燃費、環境の研究開発に専念してほしい。日本の交通事情を無視した高性能車はサーキット専用の仕様として開発販売するべきです。日本のナンバーを付ける車に300psオーバーとか、300kmとかは冷静に考えて、まともじゃない。日産はもっとまともな技術開発を誇るべきです。
@@mcanthe ←害児か?
@@mcanthe 魅力なき車を造っても諸外国で相手にされません。夢を忘れたメーカーが辿るのは破滅です。二酸化炭素で温暖化…違和感を感じませんか?少し調べてみると不思議な気持ちに成りますよ。教えられるより調べて知った方が驚きを得られます。
アテ―サが弁当箱みたいなブルーバードに乘ったのは、後?
87年のU12からだけど、セダンでも丸みを帯びたデザインで弁当箱ってほどでも無いでしょ。親父に後期のハードトップSSS-X買わせたな。
昔500psまでチューニングして乗っていました、今は手放してしまいましたがまた乗りたい楽しい車でした。
日産でWRCといえばN14パルサーGTI-Rを取り上げて下さい。ヤリスGRが出た時に考え方は正しかったのに当時の技術では無理があったと思いました。
パルサーGTi-Rは熱対策が貧弱だったからなー、(鼻ホジー)
「GT-R」ってスカイラインでは最高グレードだけど、RX-7(FC3S)では「GT-R」は下から2番目の安いグレードなんだよな(笑
FAMILIAのGT‐Rは知っている人が余り居ないです。良い車なんですが。
セリカにもGT-Rあったね
@@すっとんきょういち カリーナやコロナにもGT-Rがありました。
スズキフロンテはGTにラジアルタイヤを履いたグレードにラジアルの「R」をつけてGT-Rと名乗ってました。
グランツーリスモ、アジアル?
あぁ、新日本鍛造シンニッタンですね!GTRは、サプライヤーさんにお世話になりました!
ハイソカーブームの火付け役のトヨタマークIIやソアラが大ヒットで日産もSKYLINER31をハイソカー仕様をラインナップしたが見事に販売台数が転けました。大きくなった車体、絶壁ダッシュボード、ツインカムターボの鈍足等々、マークII、クレスタの牙城を崩せず、次期モデルのR32に命運をかけた理由です。
日産32型スカイラインGTRですね。ケンメリスカイラインGTR以来16年ぶりのモデル日産32型スカイラインGTRはデザインがいいし大好きです。走りも文句なしで頭文字Dの中里の愛車なんです。
R32GT-Rの市販車は自主規制に収まるように、むちゃくちゃなデチューンをかましていましたからね。
ECUとブーストアップキットを積むだけのお手軽チューンで、300台後半を軽く叩き出していました。
ノーマルでも個体と計測方法にによっては300馬力を超えていたとか。
あとは足回りを固めるだけの予算100万以内で、あっという間に草レースでも無敵のレーシングマシンの出来上がり。
当時、父と友人がサーキットで走っていたので、GT-Rのすごさは体感的に知っています。
でも私が一番好きだったのはその後に登場したランサーエボリューションでしたw
父と友人に「次の車はランサーがいい」と言ったら
「そんな金はない。それとあれはダート用だ。アスファルトでGT−Rには遠く及ばん」とあっさりと切り捨てられました。
90年代の最高の車は私の中では
ターマック=GT-R
ダート=ランサー
です。
そして私が自分で働いて最初に買った車は、ランサーエボリューション2の中古という裏切り者ですw
もうあの頃の日本車の栄光は二度と見ることができないのでしょうね。悲しいです。
海外で暴れまわった結果、大会から締め出されて、オーストラリアの記者から「GODZILLA」と呼ばれてそのままgtrの愛称になった話好き。
33Rにモデルチェンジする前に32Rとどっち買おうか悩んで会社の先輩に「32Rはどんなに後のモデルがでても伝説級だから」と言われまだデザインもハッキリわかってなかった33Rより、すでにかっこいいのがわかってる32Rを23歳の時、思い切って買いまだ乗っています。ホント買って乗って良かった最高の車です。運転してた楽しい。次に乗りたい車がみつからないのが欠点かな。
新車から乗れているのがうらやましい。
私はR33で悩み、R34が出て「これじゃない」と感じ
R32を手に入れました。
もちろん今も相棒です。
@@shengwushangye9001 返信ありがとうございます。ホント相棒ですよね。可能なかぎりいつまでも乗っていられたらなあと思います。
👍
出た時「480万!何とか買えるぞ!」と思ってました。しかしMTに乗っていてATが欲しかったので断念。最安値は48万でしたが買えませんでした。
昨日、ワンオーナーと思われるR32GT‐Rの後ろにつき、羨望のまなこで追いかけました。
@@teikoku1945 32のタイプMをショールームで見て運転席に座ってみたんですけどサイドサポートがきつくシートバックから背中が浮いてしまい笑ってしまいましたgT-Rのシートはちゃんと座れました34肩口のサポートが出っ張てて違和感が
porsche959はATTESA E-TSの独自性を確認するために、無理をして購入したそうです。駆動配分の設定は手動選択と自動制御の違いが、素人にわかる、大きなPOINTですよね。メカニズムの面や制御技術の面で、両者は別物のシステムかと、思います。
平成2年に新車で購入。バブル期とは言え、当時25歳でしたから、かなり無理した買い物でした。納車後、すぐにHKSの吸排気系とコンピュータ、トラストの車高調とBBS鍛造17インチホイールに交換。ブーストはEVCで1.5kgまで上げて、シャシダイで400馬力+20馬力くらいでした。当時のボッシュ製シャシダイでは400馬力までしか計測出来なかったので、グラフ曲線からの推定です。エンジン本体や補器類、タービンもノーマルでしたから、驚きでした。
高速を5速で引っ張るとクラッチが滑ってしまうので、日産が対策した強化品に交換しました。しかし、これでも滑るのでOS技研のツインプレートに交換。次に半年ほどでブレーキローターにクラック発生。峠や首都高をよく走っていたので、ノーマルブレーキでは些か心許なくロッキード製のローターに交換。車体剛性は十分でしたが、万が一のことを考えて7点式ロールゲージを入れました。するとアンダーが強くなり曲がり難くなってしまいました。そこでメーカーは忘れましたが、キャンバー調整出来るロアアームを購入しネガキャン12度に。それでも曲がらず、調整幅いっぱいの20度にしたらアンダーは良くなったけど、ブレーキ時に不安定な挙動が発生。仕方ないので12度に戻し、ボディ剛性を少し落とした方が良いかと思い、フロントストラットタワーバーを外したら、酷かったアンダーが劇的に改善。そんなこんなで、現在すでに40万キロ以上を走破。その間、22万キロでのエンジンOH1回のみ。クラッチは5~6回交換してます。タービンはノーマルを3回ほど交換。ラジエターとインタークーラーはARC製に交換。アテーサの配分を手元でコントロールできる装置(なんとかダンサー?)と、ハイキャスはキャンセル。その他メーカー不明の強化ブッシュやエンジンマウント、スタビや他車流用のエアコンエバポレーターなど交換部品は覚えていない物も多数あります。エンジンとタービンはノーマルで、追加インジェクターや強化燃料ポンプ無しで、排気温度はピーク980度で安定。ブースト1.5kgまでは十分対応してます。今まで大事に乗ってきましたが、流石に車体や足回りにガタがきています。数か所からビビリ音があり、ドアの建付けも少しずれているようです。某ショップにレストアしたら700万円と言われ、「ハイブリッドに買い替えろ」と言う妻をなんとか説得している最中です。その際には、某ショップカスタムのR34用のエンジンと6速ミッションに乗せ換え計画もありますが、どうなることやら。
昔、先輩に「GT-Rの試乗に行くから、お前も付き合え!」と言われて付き合わされたのを今でも思い出します。先輩は、試乗後、すぐに愛車のR31GT-Sを下取りに出して、速攻でR32GT-Rを買ってました。尚、未だに乗り続けています(今年御歳60歳)
大切にしてるんですね!凄い!
それだけインパクトがあった車なんですね!
めっちゃいい😂
鈴木亜久里がテスト車両が四駆だと知らされずにウェットで走らせて
よくできたウェットタイヤだと言った話があった
何も知らず先日買った僕には大変勉強になりました🙂
またBNR32の話を深掘りして作ってください🙂
グループAか、当時鈴鹿のレースでGT-Rが勝つところをGT-Rに友達を乗せて見に行ったよな!
グッツ売り場では、土屋圭市さんのグッツも売っていたのですが、宣伝の為の土屋さんの名前の漢字が下記の様に間違っていました。
正)土屋圭市、誤)土屋圭一
2時間後に再度その店に行ったら、土屋さんの名前が直されていました。
32Rを買って7年乗ってエンジンブローして33Rに乗り換えましたが、33Rは33Rで良い車だけど、32Rの事を忘れられないです。
あのサイズ感が扱いやすい。
めっちゃうろ覚えだけど
日本一速い男星野がR32に試乗前
「こんな重い四駆なんて走んねーよwww」と拒否したけど
説得されコース一周したら手のひらクルーした話し好き
今思えば、100万台の内に
買っておけば良かったと後悔。
実はシルビアからのステップアップで
現愛機のFD買う時に
近所に
150万で05Gツイン550馬力の
出物が有った。
既に交渉中のヤツだったけど
アレ買っておけば良かったなw
GTーRは出てすぐに試乗したけどワシの使用目的だと性能をフルに発揮出来ないどころかむしろ持て余すと思って買わなかった。
代わりにGTSー4を買ったけどね。
ワシは林道とかの未舗装路に乗り入れる事が多い仕事をしていたからハイパワー&トルクスプリット4WDは相性最悪だったんだよね。(^_^;)
トルクスプリット4WDはまだしも280馬力はパワフル過ぎて滑り易い路面だと直線はFRだけどコーナー進入時にいきなり4WDに切り替わるからFRと4WDの欠点ばかりが目立つ上に馬力を持て余す危険な車になる。
GTSー4の215馬力と27kgのトルクって控えめな性能は未舗装路だと扱い易かったから最高だった。
舗装路だとGTーR並みの車重に非力なエンジンでそこまで速い走りは出来なかったけどね。(^_^;)
Rー32は車体と足回りのバランスが飛び抜けて良かったからそれほど不満は感じなかったかな。
32GTーRはしっかり舗装された道では無類の強さを発揮する代わりにミューが低い未舗装路ではものすごく扱い難い上に速く走れない車だと思う。
あと、32GTーRはノーマルだと雪道も苦手な車だと思います。
GTーRもGTSー4もETSコントローラーを着けないと未舗装路と雪道は危ないと思います。(^_^;)
近所に32GT-Rを乗り続けてる人がいるんだけど、いつもきれいにしてるから、とても大事にしていると思うし、なんか格好良いと思う。
車好きで901運動知らんやつは少数だと信じたい
日産の901運動と初代セルシオのNVH源流管理と初代レガシイの開発とシーマ現象が同時に来て、協力会社は死に物狂いで残業して仕事してました。バブルがはじける寸前の最後の昭和の思い出です。
NAの4ドアのRB26DE載せたモデルもあったとあったと思います。4WD・ATのオーテックバージョンの限定モデルだったかな?
日本のスポーツカーのレベルがこの車で一気に上がったと思う。
なら、開発秘話をひとつ。あのみんな大好きR32GTRの16インチ純正ホイール。
あれ、実はホイール担当者が原価のゼロが一桁少ないという間違いを犯してしまい、
それがそのまま通ってしまったんですよ。
本当なら採用されないはずの超高価なホイールが純正装着されてしまったんです。
つまり、相当経理がグタグタだったことで奇跡が起こってしまったんですよ。
最高のGTRという奇跡が。
ちなみに、当時日産にいた叔父がR33の頃に開発から経理に部署移動になって、そのグダグダ、どんぶり勘定な経理に
青くなったそうです。
これは・・・会社が遅かれ早かれ潰れる!と。
それはすぐに現実の危機になったんですよね。
R32GTRは日産の栄光であると同時に日産を食い殺した悪魔のマシンと叔父は話してくれました。コストという概念が極めて欠如していたそうです。
トヨタとの差はその意識だと。
原価のゼロが一桁少ない?多いんじゃないんですか!
コストと言えば一つお話を。
最初の就職先が日産系の部品メーカーでしたでした。自分は事務部門だったので直接関わっていませんでしたが、設計部隊の同期の話によるとGセンサーはコストが3万数千円掛かっていたにも関わらず日産には1万円で卸していたそうです。
コスト意識の問題は系列も同様だったんだなと思います。
辞めて20年近く経ちますが、その会社は電機メーカー系になった上にH系のメーカーとも合併して今に至ります。
日産ディーラーの方に新品タイヤとホイール込みで4本セットで60万円と聞いたことがあります。
でもそのトヨタには「全てお手盛り」のスポーツカーが存在しない面白さ(笑)
まぁメーカーが存続する事が1番大事なんですけど日産の「凄いスポーツカーを作る」とトヨタの「いろいろ難題をクリアしてスポーツカーを作る」意識の差が日産とトヨタにはあると思います。
スーパーGTを観戦しても日産、本田はメーカーを応援してるファンが多いですが、トヨタはドライバーを応援してるファンが多い肌感です。
32GT-Rが出た頃に雑誌でポルシェのメカニックが同じ装備では利益を出すのに1千万超える記事が有りました。日産は1台5百万で売れば売るほど赤字になっている計算ですね。
このときの日産は本当にすごかった。
何度聞いても感動するよねぇ・・・開発話。
そして未だに色褪せない格好良さ。
オーラが違うよねぇ・・・シルビア/180SXも好きだったけど・・・こいつは本当に別格だぜ・・・
これが400万程度で購入できたとは、そこもどう考えてもおかしい(苦笑
当時、村山工場にいた日産の方から、テストコースで「バックファイアを出してる車を市販したら駄目だろ笑」という話しを聞いた
エンジンルームで鳩が鳴くと言われてた
当時、私は消防本部で事務で働いていて付き合っていた彼(有名電機メーカーの系列勤務)がGT-Rが好きでGT-Rのパンフレットを貰いに行こう!と二人で自転車二人乗りして日産に行ったところ「パンフレットはありません」って言われしょんぼりして帰りました。
次の日何気なく本部の偉い人に「昨日彼と自転車で日産にGT-Rのパンフ貰いに行ったらありませんって言われた」って笑い話をしていたのですが、その次の日に出勤したら私のデスクの上にGT-Rのパンフレットがでーんと置かれていました。
「あれ!無かったのに!」って言ったら「昨日うちの職員がGT-Rのパンフ貰いに行ったら無いって言われたらしいと電話したら速攻で持ってきたぞ笑」って言われて( ゚д゚)ハッ!こいつら金無さそう買えないだろって思われてパンフ貰えなかったのか!と気付きましたw
嫌な話とか恨み節じゃなくそれこそさすがGT-Rだなぁと今思い出してもクスッとしますw自転車で行くはないですよねwww
当時の日産技報が大学の閉架書庫(教員と院生が閲覧できる)に有ったのでよく読んでいました。「市販車を改造してレースに出るのではなくグループAに勝てる車を作ってそれを市販車に落とし込む方法を取る」と書いてありました。エンジンは600psの物を作り、レギュレーションで変更可能な部品を市販車用に変更したものが400ps、吸排気系のコンピュータで280psに抑え、ついでに新しいセラミックタービンにしたそうです(だからN1タービン+エアクリ+マフラー+ECUで400psになってしまう。セラミックタービンのまま400ps化すると耐久性に難があるそうです)
ポルシェ944はFC3S RX-7の対抗として生まれたらしいですが価格が3倍と性能は高くても比較にならなかったので売れなかったとか(もったいない)
海外仕様のFC3SにはNA版もあってさらに安かったそうです(日本だとターボのベースグレードが206万円、そこからマツダ値引きがあったw)
FD3S最終型なんて68万円引きの広告が入っていました(今じゃとんでもない価格に...)
昔GT-R開発メンバーの1人として😅
当初リアトランクリッドもアルミにしようとしましたが、開発中に風圧で凹み、凹まないようにするとアルミの板厚あげなくてはならず、鉄のノーマルと余り重量変わらない為ノーマルと同じになりました。
あの当時の馬鹿デカイリアスポにそれだけダウンフォースかかってんですねw
GT-Xって懐かしい響き、開発中は、わかってても言えないもどかしさありましたけど😅
ご視聴ありがとうございます!
開発メンバーの方からコメントいただけてとても感動しております!
貴重な開発秘話ありがとうございます😭
そんな裏話があったんですね!
こんな素晴らしい、GT-Rを作っていただきありがとうございました!
おお!まさに関係者しか知らない情報ですね。
デカいリアスポのダウンフォースについては、高速道路で違法な速度で踏み続けるとダウンフォースが効きすぎてリアのピラー下が歪むというか凹んでしまうというか、それほど効いてましたね!
その昔、ベスモか何かのビデオマガジンの映像の中で、今はなき谷田部の高速周回路でダッジバイパーGTSの最高速テストをしていた際にダウンフォースの風圧に負けてリアスポがステーごと外れたことがあったのを思い出しました。
確か関係者しか知らない情報としてインタークーラが黒い塗装の理由が極秘だった
@@muramasa00 極秘だったら教えてくれないでしょ笑笑
GT-Xっていうと、それ以前のスカイライン(型式はしらん)でツインキャブ仕様に付けられていたね。
【訂正】※2箇所(誤字と”901運動”に関して)
①5:20 ラップタイプ→ラップタイム
の間違いでした。失礼いたしました。
②14:46 ”901運動に関して”
1990年代までに→◎1990年までに
が正解となります。大変申し訳ございませんでした。
ご指摘いただいた方にこの場をお借りして感謝申し上げます。
デビュー戦で3位以下のシエラを全部周回遅れにしてしまってお口あんぐりでした
この見た目はスポーツカーに見えないルックスが魅力の一つかなと思っています
日産なりトヨタなりホンダなり
とにかく"速い"車を作るためのノウハウを高め合ってた
兵どもは夢の跡
20年前、極上車でも相場100万超えることはなく、スクラップ扱いだった時代に買っておけば良かった
R32GTS-T タイプM に乗っていました
FRで 楽しかったです
GTXて、たしかタイプMとかのエンブレムで見たことがあったような…
伝説的な車だったなぁ‥
シンプルだからこそ威圧感満載の丸目4灯にミラーに映り込むと恐怖すら感じたと言われてる猫目のヘッドライト
以外と知られていないエピソードとしては
・日産営業部はお客さんに自分からGTRを勧めることは無かった(あくまで日本最高峰のスポーツクーペ、スカイラインGTSが主役
その主役すら性能に満足できない客のみおすすめした)
・ニュルのテスト車はS13シルビアのフレームにR32GT-Rの外装を貼っつけただけのやっつけ仕様(専用車を作るお金も時間も無く、カモフラージュさえ出来ればいいからホイールベースがほぼ同じシルビアを使ったらしい)
・公道でも無敵を誇ったポテンシャルの詳細(マフラー変えてコンピューター書き換えただけで400馬力オーバー出せる)
・実はそんなに重たくなかったR32 GT-R
(前期通常グレードの車重は1430kgでスープラより100kg軽く、NSXより80kg重い程度
重いと言う印象がついたきっかけは1540kgになったVspecⅡの仕業
因みに最軽量なNISMOグレードだと1400kgジャストに収まってる)
・実はニュルではR32は畑違い
(元々国内のサーキットに主軸を置いてた為、旋回性能を求めた結果R32は高速コーナーが苦手だった(それでも日本車の中ではピカイチ)、ニュルは毎時200キロオーバーで走ることを想定してるドイツ車達のお膝元の為、ショートホイールベースで旋回力の高いR32にはニュルのコースは厳しかった
そんなこともありローレルのフレームを流用して結果的にロングホイールベースとなったR33が歴代スカイラインGT-Rの中で最も高速コーナーが得意なGT-Rとなり一気にラップタイムが21秒も縮んだ)
とかかな
GTR速えー!
規制!
ロータリー速えー!
規制!
そんな事してるからF1、スポーツカーが衰退するんだよ!
むしろ空力の悪いハイトワゴンやSUVを規制してほしい。
また901運動について間違えてるから訂正させていただきます。901運動は1990年代までではなく、1990年までにが正解です。最初はプロジェクト901活動と呼ばれてました。ちなみにウィキペディアにも901運動のことを間違えて記載してあります。あとニュルブルクリンクのラップタイムを削るために持ち込まれたのはR32GTRが初めてですが、テスト走行としては、前モデルのR31型もデビュー前に日産がもちこんだR31のRB20DET搭載車をフランス人レーサーのジャン クロードがニュルブルクリンクでテスト走行してますよ。
本格的なテストに関して言えばR32GTRが最初なので間違いとは言えないかもしれませんが、901運動については間違いを広めないでほしいです。90年までと90年代まででは大きく違います。
最後までご視聴いただき誠にありがとうございます。また、貴重なお時間を割いてご丁寧にコメントいただき誠にありがとうございます。
・ニュルでの走行について
これに関しては、私の知識不足でした。
調べたところ確かにこれ以前にも日産は別の車を持ち込んでニュルを走行していたようです。
ただ、本格的に開発のためにテスト走行するのではR32GT-Rが初めてだったようです。
貴重な情報ありがとうございます。
・901運動に関して
これに関しては、今回参考文献として活用させていただいた、「R32スカイラインGT-Rの開発」(著:伊藤修令)に下記のような記載があったためこのように表現させていただきました。
”プロジェクトP901活動は1990年代に日産車の総合的な走行性能に関して「世界のトップレベルである」という客観的な評価を目的としており、研究・開発設計・実験部門を中心に構成されている。”
【R32スカイラインGT-Rの開発(著:伊藤修令・グランプリ出版発行)(2021年)
※P161より引用】
以上のようにあるので、動画内のような表現させていただきました。
しかし、参考文献内には下記のような内容もあります。
”1986年10月からシャーシ設計・実験部を中心にした「901委員会」で、90年に世界一と言われる車を目指して本格的な取り組みが始まった。R32プロジェクトの目指すものと901活動の目標は同じであり、901活動がR32プロジェクトの目標達成活動となった”
【R32スカイラインGT-Rの開発(著:伊藤修令・グランプリ出版発行)(2021年)
※P139より引用】
”1986年8月にマルチリンク式フロントサスペンションの開発に目処をつけ”90音にシャーシ性能が世界一と評価されるクルマをつくろう”という「901活動」をシャーシ設計が発起した。”
【R32スカイラインGT-Rの開発(著:伊藤修令・グランプリ出版発行)(2021年)
※P161より引用】
これらを加味すると、sky 1989s20さんが仰るように、”90年までに世界一”が正解かと思われます。
大変失礼いたしました。
ただ、最初の引用部分には1990年代と大まかな表現であったり、また参考文献内では「プロジェクト901活動」、「901活動」、「901委員会」と様々な呼称があるので(目標はどれも同じ)、あくまで憶測ですが、もしかすると呼称によって多少違いがあったのかもしれません。
どれにしても、今回の表現には誤りがあるので、コメント欄に訂正させていただきます。
重ねてになりますが、お忙しい中貴重なご指摘誠にありがとうございました。
RB系のエンジンって全部鋳鉄ブロックだったと思うんだけど・・・
93年式Vスペックを02年に購入して10年10万キロ乗りました。景色が思った通りに動く独特の感覚と、自分が車の一部になったような一体感が最高です。シートやステアリングもあまりにフィットして「NISSANが自分のために作ったのでは?」とまで思えました。
デビュ―戦での、終始他車を圧倒し続けた、カルソニックの青と、リ―ボックの白のランデブ―走行の様なレースは凄かった。
今の若者も車に興味はある。
国が色々やって若者が近づけないようにさせてるだけ。13年経過した車両に重税を課して、ガソリンにも税金ばかり。税金ばかりだから、興味があるけど生活を犠牲には出来ない。
32でなくても対向車線にGTR走ってるとテンション上がる
30セルシオも解説お願いします!!もしくは180系クラウンでも!
自分は10年前、ハコスカGTとR32、33GT-Rと散々迷った挙句、ハコスカを買った(当時どっちも150万くらい)。乗って帰る途中の中古屋にハコスカGTより安いR32 、33GT-Rが並んでいて「あっちは本物GT-R。こっちはただのGT。あっち買えばよかったかな?」と思ったが、今はハコスカ買ってよかったと思う。
すごく面白いエピソードですね。
俺の32GT-Rは外国人窃盗団によって海外に旅立ちました。
どうにか帰ってくる事を祈ります……
901運動で産まれた傑作車は多い。
R32スカイライン、S13シルビア、マーチ、プリメーラ、マジェスティなど
あの頃の日産はすごかった。とてもワクワクする時代だった。
自分はその当時日産のとある生産工場で働いてました‼️若い皆はGT-Rが買えないからtype-Mやシルビアが180を買ってたのが懐かしい‼️
typeMは2000CCですが、オートマ仕様とマッチングが良かったみたい。加速もすこぶるよくマルチリンクのサスペンションも秀逸でしたよ。シートもホールドがよくカーブでも安心でした。
グランツーリスモ4のブックレットにもテストドライバー加藤氏の逸話が載ってましたね
小学生の頃擦り切れるまで何度も読んでました
ライバル車を駆逐しすぎて、レギュレーションに駆逐された車
うまい! ホントその通りですよね(⌒-⌒; ) (レギュレーション) 自分には、分かっていても言葉に出来ませんでした。
ご視聴ありがとうございます!
うまい表現です!それ、霊夢に言わせたかった笑
交通機動隊のR32GT-Rのアクセルワイヤが2本に強化されていた
まさにターニングポイント。
この前後で日産に限らず車の造りが全く違うと思う。
速さ、燃費ってポイントが違うけどプリウスにも同じ事が言えるんだよなぁ。。
901活動は車の完成度を上げた事には間違いないものの、
バブル期にあまりにどんぶり勘定でコスト度外視で邁進し、
走りの性能以外の商品力が上げられなかった結果
バブル崩壊で多額の赤字を背負いルノーに事実上の吸収をされてしまう結果になるとは皮肉なものです
R32型もGT-Rありきの設計で売れ筋の4ドア車も巻き込まれて狭くなってしまい
R32型全体の販売台数はR31型より減ってしまったのも
会社として混迷を深めて行く結果になっていきます。
R33が大きくなったのもこれが絡んで来ますが長くなるので割愛。
280ps自主規制は日産独自では無いから、300psで発売は無理ですね。
1989年にRB26搭載32GT-Rが登場するまで日本の四輪チューニングの世界での最強エンジンはトヨタ7Mだった
特にその前年に70スープラに限定車turboA(270馬力)が登場し、オプションやカーボーイ等そっち方面が得意な雑誌では持て囃されていた
しかしRB26が登場した1989年を境に一気にGT-R一色になっちゃったなあ
同時期にスバルのSVXが開発されていたんだけど、世界一早くてラグジュアリーな4wd目指して、フラット6のTurboエンジン載せようとしたから焦ってそれを阻止したんだよな。1年違ってたらGT-Rより間違いなく早い車になってたんだよね。
参考文献を紹介していて解説動画として満点
確かニュル用のテスト車両はS13にGT-Rを入れたような物だったらしい...。
R32GT-Rは本当に衝撃的な車だったな。
出たばっかりの頃のストリートゼロヨンや首都高じゃ、エンジン本体ノーマルのタービン交換仕様のGT-Rで、7Mターボやロータリーのフルチューンに着いて行けるんだもん、次元が違うよな…
当時はたしか一流どころのチューナー、しかも矢田部最高速用カリカリ仕様でも400psは滅多になかった。
ところがRB26ときたら、出たばかりで「お試し仕様です」なんて段階でその数字がポンポン出てきたもんな。
シャシ性能も併せて、あの前世代からの隔絶ぶりインパクトは今となってはなかなか伝わりにくいんじゃないかな。
@@satoCurizane 当時は7Mターボ、ロータリー辺りは380馬力〜400馬力出てれば相当速かったですからね。400馬力オーバーなんてまともに街乗り出来ないし谷田部一発トライで終わりって時代でしたね…
500〜600馬力が当たり前になって800馬力がウソ800じゃなくなりましたもんね。
グループAではフォードシエラが大勢だったのに、R32GTRが出てきてからは多くのチームが乗り換えた。速さの差は明確だった
32GTRは
間違いなく良い車です。
海外だとグループA仕様のRが最終的には700ps超えてたらしい...
あまりに強すぎてマカオGPでは2クラスのBMW M3に負けるくらいまでキツイ性能調整を掛けられたという正真正銘の化け物
32タイプM、32Rと乗りましたが二台は全くの別の車と感じました。共通して言えることはフロントヘビーと低速トルクがなかったことが印象深いです。
やっちゃえ日産が
やっちまったな日産になってしまった昨今
この頃、サーキットレースの様相をGT-Rが変えて、WRCの方はスバルと三菱がインプとランエボが変えたのだから、日本車すげえ‼️となるよねw
今回も面白い解説でした。続編お願いします。徳大寺さんがべた褒めした25リッターやRB26を積んだステージアとか脇道に逸れた解説を期待しています。
WRCのツール・ド・コルスに出場した32GT-RはプライベーターのGr.N車両だし、いくらターマックラリーでも山岳路なので相性が悪過ぎたと思います。
あんまり海外に中古車輸出しないでくれよ…………マジで。
RB25はどうなったの?
昔、GTSの4door乗ってた。
80㌔以上になるとスポイラーが降りる「オートスポイラー」って機能が付いてたな〜。
やっぱスカイラインは32が1番カッコいい!!
RB24ブロックもRB26同様、ど鉄では?
長い直6のド鉄ブロックだからZ32等のVGブロックより重くて弱いエンジンになり、
レースでは市販車とは別物のブロックを使用していた。
市販車では普通に走っていてもブロックにクラック入る個体も目立ち、
それで廃車になったのも多かったが、今は旧車が高騰で価値自体が上がったから
ニスモブロックや初期ロットブロックで再生。
>>レースでは市販車とは別物のブロックを使用していた。
一応市販エンジンだったはずだよ。市販と言ってもエボ限定車だけれど。
確か一億円だったか、金さえ払えばグループA仕様で売ってもらえたんだよ。
一億円・・・ 誰が買うんだよって広告まで出していたからね。
@@BNR32GTRN1Vspec さん。
でもブロック自体が市販車とは別物で肉厚が厚い割れないブロックです。
市販車のブロックもチューンしてなんともないやつがあったり、オジサンオバサンの街乗り仕様でも割れるものは割れてたので
チューンする時にはN1ブロック(24U)や初期ロットブロックGTブロックを用いてゴミの05Uブロックは割れてなければヤフオク出品。
割れてたら金属回収業者に買ってもらいます。
ボーリングや砂落としや修正面研等にコストを掛けて組み上げて搭載、セッティングしてからブロック割れされるより安いから。
クロースドデッキでクラックが入らなければ良いエンジンなのですが、33や34は更にダメ。
金型問題も語られますが、素材自体も見た目から違っています。
名車が実はボロエンジンなんて残念ですが、それを隠して価値が上がったのでブロックを替えてまでレストアされる稀な迷車です。
R32型はグレード等関係なく車両を全バラしてみると車体剛性をはじめとした車両のトータルレベルが予想外に…ですね。因みに当時工場で組立していたのでよく解りました。あと、エンジンも補器類は素晴らしいと思いましたがブロックをはじめとしたエンジン単体での素性は個人的には?です。
日産の社長が石原さんから技術屋出身の久米さんに替わったのが大きかったですよね、この頃の日産こそやっちぇ日産のCMコピーを使って欲しかった!
こいつのせいでZ32が普通のクルマに見えてしまった。かなり、ゴージャスな性能とデザインだったのに。
フロントのグリルだけでGTRとGTSの見た目の印象が全然違うから不思議だ
この車に黒星を付けたのは三菱ギャランvr4
一方、トヨタはハイブリッドシステムを開発していた、会社のかじ取りって難しい
ハイキャスのエラーランプいつも付いてたなぁ、あれ何?
そしてエアコン2回壊れて廃車にした
たしか全日本ラリーは、出ていラリーたショップがあったような……
当時FFべーすのアテーサ四駆もある事にびっくりしました。
R32ならタイプMもGT-Rも所有してました。
GT-Rは言うまでも無い存在ですが、個人的にはタイプMも名車だと思う。
俺はタイプMの方が好き、所有したい。
俺もタイプM所有してて好きだった
更にいうとRB26の太い音より20detの排気音のが好きや
4ドアベースの32のGTBてチューニングカーかなんかでありませんでした?
@@Hiro-jh2ht おお!でも個人ですしメーカーやディーラーとは違うのでは?
@@Hiro-jh2ht GTB-4は桜井眞一郎氏が創立したS&Sエンジニアリングが注文改造で生産した4ドア版GT-Rの事ですね
日産とマツダは浮き沈み激しいよね。
世界のTOYOTA 国内止まりの日産だね。
言い換えたら日産は技術だけの日産。
赤字…もったいないですよね。
@@ぬこ吉ぬこ太郎 どう考えても国内が不調だよ。ジューク、キャシュカイ(デュアリス)、ムラーノ等々国内で切られた車種も海を越えれば人気車種としてモデルチェンジして新型でてるし、欧州じゃ今期はevの売り上げが60%近く上がってるらしい。東南アジアも悪くないし、海外の日産はラインナップ豊富。逆に日本に出し惜しみしてる様に感じる(エクストレイル.....
@@kotakotakotakota2587
言い換えれば、確かに仰る通りです!
言葉足らずで申し訳ありません。
私が言いたかったのはインフィニティーの失敗などです。経営戦略がねぇ…
GTRは素晴らしい車ですが、それだけに注力・特化している気がしてなりません。
今の状態では、やっちゃえ日産ではなく、やられちゃう日産になりますね。
昔の日産が良かったかな~。若者の車離れも絡んでいるかも。
@@ぬこ吉ぬこ太郎 確かにインフィニティはここ3年不調ですね。ですが新型車はやはり売れているし、モデルチェンジ予定のモデルもあるので長い目で見ればそこまで悪くない気もします。国内外問わず新型車が連投されて黒字回復しているので日産はこれからに期待ですね。後は脳死でトヨタを選んでいる国内ユーザーを何処まで引き込めるかでしょう。
当時20代の若造には憧れのGT-Rは買えなかった。
頑張って白のGTS-TタイプMにフルエアロと純正Rウィングおごっりパワーも自分には丁度よく、峠やツーリングに色々走った。
これも、良いクルマだったし未だに、機会が有れば再度購入した一台ですよ
頼む日産!!
もう一度販売してくれ~~~!!!
901運動、ターボ、アテーサ…
P10にGTI-Rのエンジンを移植した記憶が…
MT率の方が高かったし、当時の車好きというか一般層も今と違って硬派層が多かったですね。
同級生の女の子もATは恥ずかしいと言ってみんなMT乗ってましたから。
グループAだとタイヤ規制が厳しくて、市販車のホイールサイズから+2インチのアップまで、タイヤの幅は7~9インチ(大雑把のいえば175~225)
タイヤサイズの制限が厳しいんでエンジンパワー自体には規制がなかった。
いくらレーシングスリックっても17~18インチあたりでの225で400馬力オーバーはきついんで4WDは圧倒的アドバンテージだったでしょう。
新車から中古から結構たくさん買った車です (グランツーリスモで)
96年あたりなら中古のN1仕様でも450万、標準車でも350万くらいで極上車が選び放題だったような
33もあったけど不人気だったのか32より安いのもあったね
Gr Aの出立ての頃は、駆動系やブレーキの耐久性を考え、敢えて馬力落としていたらしい。
エアコン、パワステ、オーディオなど快適装備の付いたスカイラインはGTX、GTRは車検さえ通れば良いというレース用車両。
特異点のような車
なるほど
2.4→2.6の陰にはTWRジャガーがあったのですね
当時はボルボが速くてTWRもローバー・ビデスに変わってたから、
ジャガーは大した事はないと思われてたんですよね
それがレースが始まったら、驚異のタイム
ニッサンの開発陣はさぞや大慌てになったでしょうね
いつもご視聴ありがとうございます!
ジャガーがいなかったら、最強のGT-Rも出来なかったかもしれませんね。
@@yukkuri-motoring
黙ってついて来い‼と挑発されたんですねwwwww
#違うそうじゃない
32RをやったならBCNR33をお願いしたい
ご視聴ありがとうございます!
近々動画出しますのでお楽しみにしてください^^
鉄仮面を乗っている時に首都高で一瞬にして抜かれた事が懐かしいです。
あの速さは反則。
✕ あの速さは反則
〇 あの速さで走るのは反則(違反)
@@solidchilli 確かに違反です。
様々な事が煩く規制された末が現状の夢も希望もない世の中。
無駄に強くなった生徒会の居る学校みたいな状況でしょうか。
規制で硬め過ぎると気力や活力を削いで景気も衰退して行きます。
日本の経済を殺したいなら、首都高速や国道1号線を法定速度厳守にすれば良いのですよ。
グレーゾーンを大切にしていた昔が良かったと言われる理由を考えてみると良いかも?
@@赤色好き-e5d
いくら何でもそこまで言ったら自分勝手が過ぎるのでは?日産にはスポーツ技術の開発は一旦中止して、安全性能、燃費、環境の研究開発に専念してほしい。日本の交通事情を無視した高性能車はサーキット専用の仕様として開発販売するべきです。日本のナンバーを付ける車に300psオーバーとか、300kmとかは冷静に考えて、まともじゃない。日産はもっとまともな技術開発を誇るべきです。
@@mcanthe ←害児か?
@@mcanthe 魅力なき車を造っても諸外国で相手にされません。
夢を忘れたメーカーが辿るのは破滅です。
二酸化炭素で温暖化…
違和感を感じませんか?
少し調べてみると不思議な気持ちに成りますよ。
教えられるより調べて知った方が驚きを得られます。
アテ―サが弁当箱みたいなブルーバードに乘ったのは、後?
87年のU12からだけど、セダンでも丸みを帯びたデザインで弁当箱ってほどでも無いでしょ。
親父に後期のハードトップSSS-X買わせたな。
昔500psまでチューニングして乗っていました、今は手放してしまいましたがまた乗りたい楽しい車でした。
日産でWRCといえばN14パルサーGTI-Rを取り上げて下さい。
ヤリスGRが出た時に考え方は正しかったのに当時の技術では無理があったと思いました。
パルサーGTi-Rは熱対策が貧弱だったからなー、(鼻ホジー)
「GT-R」ってスカイラインでは最高グレードだけど、
RX-7(FC3S)では「GT-R」は下から2番目の安いグレードなんだよな(笑
FAMILIAのGT‐Rは知っている人が余り居ないです。
良い車なんですが。
セリカにもGT-Rあったね
@@すっとんきょういち
カリーナやコロナにもGT-Rがありました。
スズキフロンテはGTにラジアルタイヤを履いたグレードにラジアルの「R」をつけてGT-Rと名乗ってました。
グランツーリスモ、アジアル?