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※訂正です。石嶺紹介の紹介画像は高橋智選手となっており申し訳ございませんでした。
高橋智はこの年はいなかったんでしたっけ?
@@山野不動産 阪急時代からいます
@@山浩-t7b ありがとうございます。たしかあの選手7番ですごかった記憶がありまして。
デカ
アップする前に気付こうよ失礼だし💢
石嶺選手は調子を落としても打率.277、20本塁打、77打点です。本調子なら打率.300、30本塁打、100打点は狙えたわけであり、3番から6番まで30本塁打以上が打てるジグザグ打線なんて、対戦相手にはもはや悪夢、地獄でしかない。
阪急からオリックスに身売りしても応援し続けることができたのは、このメンバーが魅力的だったことが一番の理由でした。
この打線憧れる、今のオリックスに欲しい
4:17石嶺紹介の写真、高橋智なんじゃないかな
高橋の背番号ですから、明らかに違いますよね。
ご指摘ありがとうございます。おっしゃる通りですね。申し訳ございません。
松永が一番って恐ろしい。石嶺がもう少し打ててたら、誰もが記憶に残る打線となっていた。
この年の石嶺が今一つだったのは前年までDHだったのに門田が加入した為、守備につく事が多かったのが大きかったと思います。
@@野坂慶一 打率277、20本塁打、77打点で今ひとつって言われるほど、石嶺は凄い打者だったんですね
翌年は37本塁打でホームラン王争いを終盤まで演じ、打点106で打点王(デストラーデと分け合った)。
この年は石嶺の1号ホームランがなかなか出なかったと記憶してます。最終的に20発打ったのはさすがだと思った。
ブルーウェーブ打線好き
面白かったです。西武の森監督があんな四番打者だらけの打線反則だと不貞腐れてましたね。
クリーンアップが終わっても康雄さんが6番に座っていたのが、この打線の肝が太い所でしょう!
藤井さんチャンスに強かった(*^^*)
藤井さんて、お釣り無しのサヨナラ満塁ホームラン打った人ですか?。2アウトから代打で。
@@友崎昌五郎-c1q そうです(*^^*)その藤井さんですね(
この頃のパリーグは森・西武の全盛であり、近鉄もブライアントと中心とする強力打線に剛腕・野茂がいるなどレベルが高かった。ブルーサンダー打線と言えども優勝は容易じゃなかったですね
西武には両渡辺、郭泰源、工藤いたし、近鉄には阿波野、小野、村田、山﨑などオリックスとは言えど相手チームのピッチャー凄かったからね
神戸移転の際、チーム名を募集して一番投票が高かったのはブルーウェーブではなく、ブルーサンダースだったね。
1989年オリックスのブルーサンダー打線でオリックスはリーグ優勝かと思ったら夏以降夏バテの投手陣崩壊でリーグ優勝出来なくてファンとして泣いた思い出
上田監督には試合に招待して頂いたり、グッズ沢山もらったりで感謝しっぱなしでしたね。
門田の入団と藤井の覚醒が重なり結果、凄い事になった打線😊
ブーマー、石嶺、門田、藤井のクリーンアップに加え、切り込み隊長の一番打者に、これまた長打力の塊の松永。こーんな怪物打者の群れを相手にする投手は大変だったろうな。巨人の原監督が嬉々として飛び付きそうだ
誰一人としてGユニフォーム似合わなそうだな!
巨人から高田が来た藤田とトレード
今となってはこの年のブーマーの盗塁『2』がなぜかうれしい
5点差ぐらいならまだまだ終盤に期待を持てる打線 ファミスタでよく使ってました😂
130試合制で128試合目が終わって上位3チームがゲーム差0!!((((;゚Д゚)))))))こんなシーズンはもうないね
西武の黄金時代がなければ何回も優勝できた上田監督のオリックス。
ブルーサンダー打線を今みると、スゴいメンバーだったんだと再認識できる動画でした。この頃のオリックスはピッチャーも良く、ゲームの話で恐縮ですが、ファミスタで上級プレイヤーが使うと厄介なチームでした。
長谷川が入るまで星野と酒井しかまともな投手居なかったけど…
ブルーサンダー打線は、破壊力だけでなくしぶといつながりや威圧感も加えれば、当時のライオンズ打線やいてまえ打線をも上回っていたと思う。
門田さんって本当に不惑の大砲だったんだな…亡くなって少し経ったけれどこれからも野球ファンの間で語り継がれるスラッガーでいてほしい。
あとで知ったことは当時、いや、「南海時代」より電車通勤されてた模様。奈良県の学園前から近鉄奈良線、大阪メトロ御堂筋線、阪急神戸線を乗り継いで「職場」の西宮球場へといったルートだったはず。しかも座らず、吊革持って常に「踵浮かせのつま先立ち」で通すことで、効率的に鍛えていたともいう。日々を無駄なくストイックに過ごした姿勢も、長く現役を張れた賜物でしょうね。
門田・ブーマー・石嶺の実績組に藤井が加わって強力な打線となった印象です
オリックスは30年で企業として大化けしたよなー
トップバッター松永、最高。
オリックスへのオーナーチェンジがなければ、門田加入でほぼリアル「レイルウェイズ」でしたね。
個人的に89年のパ・リーグは全てのプロ野球のシーズンの中でも1番面白かったと思いますしその中でのオリックスの打線は本当に脅威でしたよね((( ;゚Д゚)))ここにもしイチローがいようものならブーマーの打点も150打点くらいいって絶対に優勝もしてたでしょうねwww
石嶺の写真、高橋智じゃねぇかよw
確かに当時、この打線で負ける気がしなかったのは事実で、豪快かつ面白かったですね。しかし振り返ると、大抵「狭い球場」ばかりだったからできた要素もあろうか。神戸移転で、当時桁違いの広さだったGS神戸を本拠地として「使いこなす」にあたって「守備重視」にシフトするにつれ、「世代交代」もあって ブーマー石嶺に松永と、要が続々「退団」してスケールダウンを余儀なくされました。広いGS神戸に慣れ、仰木監督による「イチローフィーバー」という「新章」突入するまでには結局、3年待つこととなりましたね。
これ、福本さんがもし現役を続けていたらと思うと本当に凄いですね(笑)
そして中嶋監督が名監督の道を歩み出していると、付け加えていいと思う。
南牟礼豊蔵…インパクトのある打線にインパクトのある名前ですね
3番〜6番打者までブーマー、門田、石嶺、藤井と4番を並べた恐怖の打線!それが我等のブルーサンダー打線‼️
西武戦はともかく、近鉄・ダイエー戦は、ノーガードでのどつき合いと形容できるほどおもしろかった。
石嶺が89年もう少し打点挙げれば、6番まで驚異になった打線だったなぁー。
厳密に言うと門田は子供が小さかったからではなくて、中3で高校受験の年だったからですね
石嶺成績紹介のところの写真が高橋智になってますよ
松永の1番打者が、この打線の凄さを物語っている。
その後、松永はダイエーに移籍して同じく1番を打った。そのときのダイエー打線は、ダイハード打線と言われ日本一になりました。
ずっと3番だった松永を一番におけたのは大きかったですね。
中嶋悟監督も将来侍ジャパンになれるな工藤公康監督の次に
福本さんのおかげやね
打順がコロコロ変わっても結果が出るから凄いやね
子供心に魅了あった打線だったな…ブーマー・門田・石嶺・藤井4人でホームラン120本は当たり前打線だもんな…好きな打線でした
石嶺さんが高橋智さんになっとる…
この時代は本当に色々あったねぇ。山田引退、福本引退、球団身売りと衝撃が大きかったなぁ。酒井さんがルーキーとは思えないくらい頑張ってたけど投手陣がコマ不足でね。
1989年にオリックスが優勝していれば、日本シリーズで近鉄みたいに巨人に逆転負けをすることは絶対になかったと思います。1990年の西武と同じ日本シリーズ4連勝出来たでしょう。
この当時、ゲーセンにワールドスタジアムってゆう野球ゲームがあって、オリックス使ってやってました。ちなみに落合もめちゃめちゃホームラン打つんで中日も使ってました。
石嶺の写真がデカ髙橋になってるな
ご指摘ありがとうございます。申し訳ございませんでした。
高橋氏は現在、名古屋市在住でエレベーター管理会社勤務。一度だけあおなみ線(あおなみ=ブルーウェーブ なんたる偶然‼️‼️‼️)の「野跡駅」で点検作業中の彼に遭遇しました。現役当時の「威圧感」はそのままに、暑いなか黙々と作業してました。頑張ってるなあと、心の中でエールを送りましたわ。
オリックスブレーブス時代のブルーサンダー打線の破壊力はエグかったな。当時のパ・リーグは西武、近鉄、オリックスの3強、日ハム、ダイエー、ロッテの3弱がはっきりしていた。
オリックスがダントツに強すぎて一時期、近鉄の仰木監督(当時)が他球団に「オリックス包囲網」の勧めを説いたほどでしたしね。
石嶺の写真がデカ高橋なんですが
ブーマーとのハイタッチによる門田脱臼事件が無かったら、89年の近鉄の優勝は無かったような気がする。
90年代前半のオリックスブルーサンダー打線と2000年あたりの100打点カルテットの時代のダイエー打線はどちらのほうが強力かな?
前半終了を前にした89年6月、誰もがオリックスの優勝かと思われたが近鉄の仰木監督がオリックスに対し阿波野、小野、山崎を投入した時点で流れが代わり、8月に首位陥落、最後はロッテの園川がブーマーに撃たれるも愛甲が逆転3ランを放ってオリックスは陥落、園川や愛甲が翌日の近鉄優勝をアシストしたドラマは印象に残ります。
この年のブーマーの三振の数がホームラン数より少なかった事も触れて欲しいですね。ゲッツーもリーグ最多でしたが。
あまりの併殺の多さに、一時期3番門田、4番ブ-マ-で打順を組んだことがあった。確か脱臼の時もそうじゃないかな?前を打っていた門田がHRを打ち、得点し、次打者のブ-マ-とハイタッチしてアクシデント。
石嶺の顔が高橋智😂
門田の脱臼が無ければ、プロ野球の歴史は変わっていたかもしれませんね。
ブーマーのせい。
元から門田脱臼癖あったからね(^o^;ブーマー相当落ち込んだね
阪急・オリックスは、ブルーウェーブになり、監督が土井(正三)になってから好きでなくなった。ちなみに今のバファローズは近鉄との合併球団と捉えている。
石嶺がまるで高橋智にそっくりですなあ
松永 ブーマにあこがれのスターです 特に松永さんは小倉工業高校のスターでした私が野球部に入るきっかけは松永さんのおかげです
オリックスの小川博文はロッテの小川博かと一瞬思ってしまった
盗塁阪急の名残りは窺ゆんな🏟️⚾🌄😄。
この打線で優勝できなかったって事が凄い……
実力のパらしいシーズンでしたね
投手陣がね。
打力の限界。
チーム防御率4.259はパ・リーグ4番目で優勝した近鉄の3.859と大差ありました。
01近鉄はリーグ防御率最下位で優勝門田離脱が無かったら優勝してたかも
石嶺のかおが、高橋智が笑える
中嶋監督は名将の器かもしれませんね。采配が特に良いのはキャッチャー出身だからの采配かと。
40代でOPS1.0超えとか門田えぐすぎ
オリックスの名前、ブルーサンダーズって変えてほしいな…。バファローズって、一回も日本一になれないまま消えた、縁起悪い名前ですし…。
ハイタッチで脱臼
物心ついた時には近鉄とブルーウェーブはもうなかったこの2チーム人気あった?
オリックスブレーブスは一年目春先は全戦全勝で俺の記憶の中では良い打線だった、上田から土井監督になってから ブルーサンダー打線は無くなった、
狭い西宮から広いグリーンスタジアムに移転したのもあるけど、土井がV9時代の野球を目指していたからね。
ブーマーと門田がダイエーに移籍して代わりに来たのがトーベだからなぁ……
もしオリックスが1989年パを制して、巨人との日本シリーズになっていたらどうなってたんかな?
近鉄みたいに「巨人はロッテより弱い」なんて言わなきゃ、日本一になってたでしょ。
@@kei3996 その場合、巨人が翌年の西武に敗退→1991は4位転落という流れどおりだと、第二次藤田政権が史実より短命かつ評価も悪かったかもしれませんね。長嶋復帰も早かったかも。
ブルーサンダーの由来は、青いヘルメットに燦然と輝く三本のラインだったと、当時見ていた俺は記憶しているが。
石嶺さんのとこ、写真違うの入ってるよ絶対やっちゃ❌なやつ失礼極まりない💢( ̄▽ ̄;)高橋智の写真が間違って2枚使われてますよ( ̄▽ ̄;)
石嶺の写真が高橋w
なるほど!PCエンジンパワーリーグの打線並べたか!
石嶺の時に高橋が出てきてるやんか。ちゃんと作成してくれよ!
1985年の阪神🐅に似てる。ダイナマイト打線に。
石嶺の画像が高橋智になっている。
もしこの打線に覚醒後のイチローが入っていたら…
本当に今でもそう思います。鬼畜どころか相手投手やチームからしたら地獄絵図みたいな恐ろしい打線ですな。😅
それを言うなら、もし吉田が入っていたら超反則級の打線だろw
あまり知らないで作ったんだろうなという感じ
1985年のパ・リーグ新人王の熊野さんが、7番センターを本西さんや南牟礼さん、はたまた守備で魅せる山森さんと争うというのもエグかった。
最近は野球人気無くなって他のスポーツやる子増えたのと子供の体力無くなったので長打力のある選手本当に減ったよね
門田入った事でほぼほぼレールウェズになったからな
投手力がやや弱かったのが痛いです。
懐かしい!345を抑えてもまだ藤井がいるから相手にして見ると嫌だったと思う
ブーマー開幕5試合で8本塁打
ファミスタ89のレイルウェイズが具現化したようなチームでしたね。(笑)
近鉄の阿波野 小野 山崎を打ち崩して
石嶺 が高橋やん
ご指摘ありがとうございます。 申し訳ございませんでした!
蓑田さんは??と思ったけどもうすでに読売に移籍してたか…
いい打線でしたよ。投手陣がもう少し良かったら優勝してたでしょう。
星野 佐藤にもう一人凄いの居れば優勝出来たかも
山沖 酒井勉 ホフマンもいたけどいまいちだったな。
@@白いカラス-c7w いましたいました 佐藤 星野が抜けてましたから影薄かった後の野田が大当たりでしたね~ 阪神もったいなさすぎだった
@@白いカラス-c7w 西武もだけど、オリックスもリリーフが弱かったですね。
この時代の西武は先発完投ですよ。この年は工藤が不調だったけど3球団の中で一番投手陣が良かったですよ。10勝以上の投手が4人いましたし、近鉄は吉井につなく勝パターンがありましたからね。
それでもシーズンチーム200本塁打はいっていないブーマー、門田、石嶺、藤井が4人揃い踏みとはいかなかった(89年石嶺不振、90年ブーマー離脱)
石嶺違う
当に、ファミコンの「レーズウェイズ(笑)」みたいでした‼️
ローズ、カブレラ、ラロッカ、フェルナンデス 一応清原のビッグボーイズは最強。
名前はすごいけれど機能しなかったからね。
ブレーブスで ブルーウェーブで無い 西宮球場
阪急がいかに凄かったか分かるねキャッチャーは藤田じゃないかな
ブレーブスから名前変える時、名前募集したら1位はブルーサンダーズだった。オリックス・ブルーサンダーズを採用してたらどうなっていたのだろうか?
オリックスが経営するホテルが、ブルーサンダーズインになっていた。
3番〜6番までブーマー、門田、石嶺、藤井と他球団なら4番打者やで⚾!
本西さん好きだった~(*^^*)
今はブルーいてまえ打線か
そこまでの破壊力は見る影もない
ユニフォームがブルーでないし。
上田利治監督の胴上げが見たかったです。
上田利治監督は前身の阪急時代には胴上げを経験していましたけど、後身のオリックスでは胴上げを経験していなかったのが残念です。
@@山下敦士 はい。仰る通りですです。
※訂正です。
石嶺紹介の紹介画像は高橋智選手となっており申し訳ございませんでした。
高橋智はこの年はいなかったんでしたっけ?
@@山野不動産
阪急時代からいます
@@山浩-t7b
ありがとうございます。
たしかあの選手7番ですごかった記憶がありまして。
デカ
アップする前に気付こうよ失礼だし💢
石嶺選手は調子を落としても打率.277、20本塁打、77打点です。本調子なら打率.300、30本塁打、100打点は狙えたわけであり、3番から6番まで30本塁打以上が打てるジグザグ打線なんて、対戦相手にはもはや悪夢、地獄でしかない。
阪急からオリックスに身売りしても応援し続けることができたのは、このメンバーが魅力的だったことが一番の理由でした。
この打線憧れる、今のオリックスに欲しい
4:17石嶺紹介の写真、高橋智なんじゃないかな
高橋の背番号ですから、明らかに違いますよね。
ご指摘ありがとうございます。おっしゃる通りですね。申し訳ございません。
松永が一番って恐ろしい。
石嶺がもう少し打ててたら、誰もが記憶に残る打線となっていた。
この年の石嶺が今一つだったのは前年までDHだったのに門田が加入した為、守備につく事が多かったのが大きかったと思います。
@@野坂慶一 打率277、20本塁打、77打点で今ひとつって言われるほど、石嶺は凄い打者だったんですね
翌年は37本塁打でホームラン王争いを終盤まで演じ、打点106で打点王(デストラーデと分け合った)。
この年は石嶺の1号ホームランがなかなか出なかったと記憶してます。最終的に20発打ったのはさすがだと思った。
ブルーウェーブ打線好き
面白かったです。西武の森監督があんな四番打者だらけの打線反則だと不貞腐れてましたね。
クリーンアップが終わっても康雄さんが6番に座っていたのが、この打線の肝が太い所でしょう!
藤井さんチャンスに強かった(*^^*)
藤井さんて、お釣り無しのサヨナラ満塁ホームラン打った人ですか?。2アウトから代打で。
@@友崎昌五郎-c1q そうです(*^^*)その藤井さんですね(
この頃のパリーグは森・西武の全盛であり、近鉄もブライアントと中心とする強力打線に剛腕・野茂がいるなどレベルが高かった。ブルーサンダー打線と言えども優勝は容易じゃなかったですね
西武には
両渡辺、郭泰源、工藤いたし、
近鉄には
阿波野、小野、村田、山﨑などオリックスとは言えど
相手チームのピッチャー凄かったからね
神戸移転の際、チーム名を募集して一番投票が高かったのはブルーウェーブではなく、ブルーサンダースだったね。
1989年オリックスのブルーサンダー打線でオリックスはリーグ優勝かと思ったら夏以降夏バテの投手陣崩壊でリーグ優勝出来なくてファンとして泣いた思い出
上田監督には試合に招待して頂いたり、グッズ沢山もらったりで感謝しっぱなしでしたね。
門田の入団と藤井の覚醒が重なり結果、凄い事になった打線😊
ブーマー、石嶺、門田、藤井のクリーンアップに加え、切り込み隊長の一番打者に、これまた長打力の塊の松永。こーんな怪物打者の群れを相手にする投手は大変だったろうな。巨人の原監督が嬉々として飛び付きそうだ
誰一人としてGユニフォーム似合わなそうだな!
巨人から高田が来た藤田とトレード
今となってはこの年のブーマーの盗塁『2』がなぜかうれしい
5点差ぐらいならまだまだ終盤に期待を持てる打線 ファミスタでよく使ってました😂
130試合制で128試合目が終わって上位3チームがゲーム差0!!((((;゚Д゚)))))))
こんなシーズンはもうないね
西武の黄金時代がなければ何回も優勝できた上田監督のオリックス。
ブルーサンダー打線を今みると、スゴいメンバーだったんだと再認識できる動画でした。この頃のオリックスはピッチャーも良く、ゲームの話で恐縮ですが、ファミスタで上級プレイヤーが使うと厄介なチームでした。
長谷川が入るまで星野と酒井しかまともな投手居なかったけど…
ブルーサンダー打線は、破壊力だけでなくしぶといつながりや威圧感も加えれば、当時のライオンズ打線やいてまえ打線をも上回っていたと思う。
門田さんって本当に不惑の大砲だったんだな…亡くなって少し経ったけれどこれからも野球ファンの間で語り継がれるスラッガーでいてほしい。
あとで知ったことは当時、いや、「南海時代」より電車通勤されてた模様。奈良県の学園前から近鉄奈良線、大阪メトロ御堂筋線、阪急神戸線を乗り継いで「職場」の西宮球場へといったルートだったはず。しかも座らず、吊革持って常に「踵浮かせのつま先立ち」で通すことで、効率的に鍛えていたともいう。日々を無駄なくストイックに過ごした姿勢も、長く現役を張れた賜物でしょうね。
門田・ブーマー・石嶺の実績組に藤井が加わって強力な打線となった印象です
オリックスは30年で企業として大化けしたよなー
トップバッター松永、最高。
オリックスへのオーナーチェンジがなければ、門田加入でほぼリアル「レイルウェイズ」でしたね。
個人的に89年のパ・リーグは全てのプロ野球のシーズンの中でも1番面白かったと思いますしその中でのオリックスの打線は本当に脅威でしたよね((( ;゚Д゚)))
ここにもしイチローがいようものならブーマーの打点も150打点くらいいって絶対に優勝もしてたでしょうねwww
石嶺の写真、高橋智じゃねぇかよw
確かに当時、この打線で負ける気がしなかったのは事実で、豪快かつ面白かったですね。しかし振り返ると、大抵「狭い球場」ばかりだったからできた要素もあろうか。
神戸移転で、当時桁違いの広さだったGS神戸を本拠地として「使いこなす」にあたって「守備重視」にシフトするにつれ、「世代交代」もあって ブーマー石嶺に松永と、要が続々「退団」してスケールダウンを余儀なくされました。広いGS神戸に慣れ、仰木監督による「イチローフィーバー」という「新章」突入するまでには結局、3年待つこととなりましたね。
これ、福本さんがもし現役を続けていたらと思うと本当に凄いですね(笑)
そして中嶋監督が名監督の道を歩み出していると、
付け加えていいと思う。
南牟礼豊蔵…インパクトのある打線にインパクトのある名前ですね
3番〜6番打者までブーマー、門田、石嶺、藤井と4番を並べた恐怖の打線!それが我等のブルーサンダー打線‼️
西武戦はともかく、近鉄・ダイエー戦は、ノーガードでのどつき合いと形容できるほどおもしろかった。
石嶺が89年もう少し打点挙げれば、6番まで驚異になった打線だったなぁー。
厳密に言うと門田は子供が小さかったからではなくて、中3で高校受験の年だったからですね
石嶺成績紹介のところの写真が高橋智になってますよ
松永の1番打者が、この打線の凄さを物語っている。
その後、松永はダイエーに移籍して同じく1番を打った。そのときのダイエー打線は、ダイハード打線と言われ日本一になりました。
ずっと3番だった松永を一番におけたのは大きかったですね。
中嶋悟監督も将来侍ジャパンになれるな工藤公康監督の次に
福本さんのおかげやね
打順がコロコロ変わっても結果が出るから凄いやね
子供心に魅了あった打線
だったな…
ブーマー・門田・石嶺・藤井4人でホームラン
120本は当たり前打線だもんな…好きな打線でした
石嶺さんが高橋智さんになっとる…
この時代は本当に色々あったねぇ。
山田引退、福本引退、球団身売りと衝撃が大きかったなぁ。
酒井さんがルーキーとは思えないくらい頑張ってたけど投手陣がコマ不足でね。
1989年にオリックスが優勝していれば、日本シリーズで近鉄みたいに巨人に逆転負けをすることは絶対になかったと思います。1990年の西武と同じ日本シリーズ4連勝出来たでしょう。
この当時、ゲーセンにワールドスタジアムってゆう野球ゲームがあって、オリックス使ってやってました。ちなみに落合もめちゃめちゃホームラン打つんで中日も使ってました。
石嶺の写真がデカ髙橋になってるな
ご指摘ありがとうございます。申し訳ございませんでした。
高橋氏は現在、名古屋市在住でエレベーター管理会社勤務。一度だけあおなみ線(あおなみ=ブルーウェーブ なんたる偶然‼️‼️‼️)の「野跡駅」で点検作業中の彼に遭遇しました。現役当時の「威圧感」はそのままに、暑いなか黙々と作業してました。頑張ってるなあと、心の中でエールを送りましたわ。
オリックスブレーブス時代のブルーサンダー打線の破壊力はエグかったな。
当時のパ・リーグは西武、近鉄、オリックスの3強、日ハム、ダイエー、ロッテの3弱がはっきりしていた。
オリックスがダントツに強すぎて一時期、近鉄の仰木監督(当時)が他球団に「オリックス包囲網」の勧めを説いたほどでしたしね。
石嶺の写真がデカ高橋なんですが
ブーマーとのハイタッチによる門田脱臼事件が無かったら、89年の近鉄の優勝は無かったような気がする。
90年代前半のオリックスブルーサンダー打線と
2000年あたりの100打点カルテットの時代のダイエー打線はどちらのほうが強力かな?
前半終了を前にした89年6月、誰もがオリックスの優勝かと思われたが近鉄の仰木監督がオリックスに対し阿波野、小野、山崎を投入した時点で流れが代わり、8月に首位陥落、最後はロッテの園川がブーマーに撃たれるも愛甲が逆転3ランを放ってオリックスは陥落、園川や愛甲が翌日の近鉄優勝をアシストしたドラマは印象に残ります。
この年のブーマーの三振の数がホームラン数より少なかった事も触れて欲しいですね。ゲッツーもリーグ最多でしたが。
あまりの併殺の多さに、一時期3番門田、4番ブ-マ-で打順を組んだことがあった。
確か脱臼の時もそうじゃないかな?
前を打っていた門田がHRを打ち、得点し、次打者のブ-マ-とハイタッチしてアクシデント。
石嶺の顔が高橋智😂
門田の脱臼が無ければ、プロ野球の歴史は変わっていたかもしれませんね。
ブーマーのせい。
元から門田脱臼癖あったからね(^o^;ブーマー相当落ち込んだね
阪急・オリックスは、ブルーウェーブになり、監督が土井(正三)になってから好きでなくなった。
ちなみに今のバファローズは近鉄との合併球団と捉えている。
石嶺がまるで高橋智にそっくりですなあ
松永 ブーマにあこがれのスターです 特に松永さんは小倉工業高校のスターでした私が野球部に入るきっかけは松永さんのおかげです
オリックスの小川博文はロッテの小川博かと一瞬思ってしまった
盗塁阪急の名残りは窺ゆんな🏟️⚾🌄😄。
この打線で優勝できなかったって事が凄い……
実力のパらしいシーズンでしたね
投手陣がね。
打力の限界。
チーム防御率4.259はパ・リーグ4番目で優勝した近鉄の3.859と大差ありました。
01近鉄はリーグ防御率最下位で優勝
門田離脱が無かったら優勝してたかも
石嶺のかおが、高橋智が笑える
中嶋監督は名将の器かもしれませんね。采配が特に良いのはキャッチャー出身だからの采配かと。
40代でOPS1.0超えとか門田えぐすぎ
オリックスの名前、ブルーサンダーズって変えてほしいな…。バファローズって、一回も日本一になれないまま消えた、縁起悪い名前ですし…。
ハイタッチで脱臼
物心ついた時には
近鉄とブルーウェーブはもうなかった
この2チーム人気あった?
オリックスブレーブスは一年目春先は全戦全勝で俺の記憶の中では良い打線だった、上田から土井監督になってから ブルーサンダー打線は無くなった、
狭い西宮から広いグリーンスタジアムに移転したのもあるけど、土井がV9時代の野球を目指していたからね。
ブーマーと門田がダイエーに移籍して代わりに来たのがトーベだからなぁ……
もしオリックスが1989年パを制して、巨人との日本シリーズになっていたらどうなってたんかな?
近鉄みたいに「巨人はロッテより弱い」なんて言わなきゃ、日本一になってたでしょ。
@@kei3996
その場合、巨人が翌年の西武に敗退→1991は4位転落という流れどおりだと、第二次藤田政権が史実より短命かつ評価も悪かったかもしれませんね。長嶋復帰も早かったかも。
ブルーサンダーの由来は、青いヘルメットに燦然と輝く三本のラインだったと、当時見ていた俺は記憶しているが。
石嶺さんのとこ、写真違うの入ってるよ絶対やっちゃ❌なやつ失礼極まりない💢
( ̄▽ ̄;)
高橋智の写真が間違って2枚使われてますよ( ̄▽ ̄;)
石嶺の写真が高橋w
なるほど!PCエンジンパワーリーグの打線並べたか!
石嶺の時に高橋が出てきてるやんか。
ちゃんと作成してくれよ!
1985年の阪神🐅に似てる。ダイナマイト打線に。
石嶺の画像が高橋智になっている。
もしこの打線に覚醒後のイチローが入っていたら…
本当に今でもそう思います。
鬼畜どころか相手投手やチームからしたら地獄絵図みたいな恐ろしい打線ですな。😅
それを言うなら、もし吉田が入っていたら超反則級の打線だろw
あまり知らないで作ったんだろうなという感じ
1985年のパ・リーグ新人王の熊野さんが、7番センターを本西さんや南牟礼さん、
はたまた守備で魅せる山森さんと争うというのもエグかった。
最近は野球人気無くなって他のスポーツやる子増えたのと子供の体力無くなったので長打力のある選手本当に減ったよね
門田入った事でほぼほぼレールウェズになったからな
投手力がやや弱かったのが痛いです。
懐かしい!345を抑えてもまだ藤井がいるから相手にして見ると嫌だったと思う
ブーマー開幕5試合で8本塁打
ファミスタ89のレイルウェイズが具現化したようなチームでしたね。(笑)
近鉄の阿波野 小野 山崎を打ち崩して
石嶺 が高橋やん
ご指摘ありがとうございます。 申し訳ございませんでした!
蓑田さんは??と思ったけど
もうすでに読売に移籍してたか…
いい打線でしたよ。
投手陣がもう少し良かったら優勝してたでしょう。
星野 佐藤にもう一人凄いの居れば優勝出来たかも
山沖 酒井勉 ホフマンもいたけど
いまいちだったな。
@@白いカラス-c7w いましたいました 佐藤 星野が抜けてましたから影薄かった
後の野田が大当たりでしたね~ 阪神もったいなさすぎだった
@@白いカラス-c7w 西武もだけど、オリックスもリリーフが弱かったですね。
この時代の西武は先発完投ですよ。
この年は工藤が不調だったけど3球団の中で一番投手陣が良かったですよ。10勝以上の投手が4人いましたし、近鉄は吉井につなく勝パターンがありましたからね。
それでもシーズンチーム200本塁打はいっていない
ブーマー、門田、石嶺、藤井が4人揃い踏みとはいかなかった
(89年石嶺不振、90年ブーマー離脱)
石嶺違う
ご指摘ありがとうございます。 申し訳ございませんでした!
当に、ファミコンの「レーズウェイズ(笑)」みたいでした‼️
ローズ、カブレラ、ラロッカ、フェルナンデス 一応清原のビッグボーイズは最強。
名前はすごいけれど機能しなかったからね。
ブレーブスで ブルーウェーブで無い 西宮球場
阪急がいかに凄かったか分かるね
キャッチャーは藤田じゃないかな
ブレーブスから名前変える時、名前募集したら
1位はブルーサンダーズ
だった。
オリックス・ブルーサンダーズを採用してたらどうなっていたのだろうか?
オリックスが経営するホテルが、ブルーサンダーズインになっていた。
3番〜6番までブーマー、門田、石嶺、藤井と他球団なら4番打者やで⚾!
本西さん好きだった~(*^^*)
今はブルーいてまえ打線か
そこまでの破壊力は見る影もない
ユニフォームがブルーでないし。
上田利治監督の胴上げが見たかったです。
上田利治監督は前身の阪急時代には胴上げを経験していましたけど、後身のオリックスでは胴上げを経験していなかったのが残念です。
@@山下敦士 はい。仰る通りですです。