Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
番組のフル視聴はこちら。bit.ly/3OHW3fL
ありがとうございます。
植物の遺伝子が長いのはすべての環境を受け止めながら生きてきたから。動物は遺伝子が対応できる場所に移動できるからだろう。ちなみに空間を発火させるというのは量子力学の真髄まで理解しているのかも知れないが世に出ていない科学は何処まで到達していているのだろうか。掘り下げる余地はあるのだろうか。
岡本先生の考え方が面白かったな!ありがとうございます。
落合さんの人文の力を信じてるという言葉にこれまでの発言のベースがよく見えました!
動画ありがとうございます。しっかり勉強します。
今回もありがとうございます。
2つの考え勉強になりました!
興味深いおはなし、とても面白かったです。
今回も面白かったです。
興味深いお話、とても面白かったです。、
2:40人間は終わり6:10落合
大変面白かったです!
面白いお話でした
人間って存在ってなんなんでしょうか。尊いと思ってました。
人間って考えたことなかったので、面白かったです。
面白かったです
人間であることの自由と不自由のバランスをとるのが大変です。
落合さんまた最近キレが増してきましたね。
フルバージョン視聴決定!!
人間とは何かを改めて考えさせられました。
なかなか奥の深い話ですね。
ヒューマニズム…我々は他のケダモノとは違うんだって気持ちが発露した源ってなんなんでしょうね
人間が単純に機械に還元されるのが嫌なんじゃないですかねぇ (イノセンスから)
家で飼ってた柴犬は自分のことを「人間」だと思っていた様に思うけどなぁー。
そこまでの飛躍をしなくても、M.テグマークのLife3.0や、現在にオーバーラップするところでは、ALSを克服しようとするP.スコット・モーガンのネオ・ヒューマンなども、眼前の存在条件にともかく適応しようとする例だと思う。
人間の在り方につながっていくのですね…ちょっと難しい問題だな。
お二人の考え方が、各々おもしろい
ありがとうございます
なんかこう「人間」て概念であって今のところは人体という端末上でしか動作しないシステム的な……精神性そのものというか、うーん(語彙の死)
めっちゃさんこうになりますあ
完璧な答えがないものは議論が面白いですね。
タンパク質の塊としての計算機と電気的信号で動く計算機の違いを埋めるのは、倫理学や人文科学、多分、そんな気もします。
なるほど
F.ダイソンは、生物は環境悪化の時、進化を速めるのを例にし、人間は地球環境悪化によって宇宙に飛び出すコスミック・バタフライへ進むと仮説を立てた。これもポスト・ヒューマンの一つだろう。
進化過程を見れば、存在条件に適応するように試行錯誤され、錯誤に陥らなかった存在が進展する。Aiによるシミュレーションはその費用対効果の効率を高めるが、分子情報基体としての生物にとっての「環境」と呼ばれる存在条件は、地球の表層面程度の僅かな場に過ぎない。当然、「情報」は広大な宇宙での存在条件をシミュレートする。
難しいです。
人間だから人間中心になる
それはそうだよなあまり人間以外の他者を優先しないわな
やはりこの手の話は、凡人には超高等な超アホな話を超優秀な人たちがしていて、それをSNSで共有してくれる事が超面白くてありがたいです。
岡本先生は自然主義的・還元主義的連続的世界・人間観(落合先生もその現状を補足的に説明され、ご自分の立場として表明されていましたが)と、フーコーが示したとされる近代(ここでは18C’)人間中心主義の観方が、対立しているとされた。その上でポストヒューマンへの連続性と不連続性を説明された。実はその根本は、普遍と個との問題であるといえます。普遍的知性と個的知性。ブラフマンとアートマン。ネゲントロピーが蓄積する「情報」の「能動主体」を、どの位置に置いて観るか?シュレーディンガーを典型に自然科学者は、連続な普遍性に置きます(落合先生のように)。キリスト教神学では「個霊の救済=個の永遠化」を説き、不連続性を考察します。トマスの天使論、ライプニッツのモナドロジー、カントールの無限集合論・・・、こうした思弁を続けています。岡本先生の九大では、稲垣先生がその代表です。
堂本剛クン?かと思った❤😊。
人間ってなんなんだろう?
生物も物理も化学も数学も追求していくと宗教学になるという話を思い出した。
ゲーデル不完全性定理があるから、人間のアルゴリズム化はできないだろうし。人間という開かれたOSの上に同一性還元アルゴリズムがあるのだから、OS自体をOSの上で起動するプログラム言語で記述できない筈だが。自己同意性確定の手前を突き抜けないと。
ホントに知性あるなら、他人の総括にその身を委ねられるかどうか。人工知能なり、自意識を持った別枠の個性からの感慨や評価というのを、はたして人間自体が受け入れられるかどうかという点。メモリが有限で、その枠自体がかなり狭い人間には、規定したところでそれが持続出来ない。記憶は風景処理に食い荒らされていて、巨大なビル群の情報処理でほとんど磨耗している。残された僅かなスペックをフル活用して、やっとこ意味ありげな可能性を見出したつもりになっている。それが人のやっていることのリアル。
人間をどういう形で設計したのか気になる。失敗するし、簡単に裏切るし。何故完璧にしなかったのだろう。
なんかおもしろい視点だなぁ
そんな考え方があるんですね
落合は主体性の喪失を経験したことがあるのだろうか。また、人間観の話はポストモダン思想の「異なる言語ゲームは共約不可能である」ことにつながるように思う。
ポスト・ヒューマン同士の戦争でどんな武器が使われるか分かりませんが、ポスト・ポスト・ヒューマンの武器なら分かる。石とこん棒だ。
岡本さんの話聞きたいのに落合さんいつまで喋るねん笑笑
ハイデガーも「ヒューマニズムについて」という本で・・・あの現存在の扱いも面白いですね。主体という言い方はハイデガーが生涯を掛けて批判したものですが・・・
@@thomasaqinas2000 お世話様です。ちょっと変な言い方でした。私が言いたかったのは、主観と客観みたいなもので、自分が主体的に生きていると同時に生かされている、と言えば良いのでしょうか。主観があって客観があるのかもしれない(またその逆かもしれない)のですが、自分が客観であり主観であると。自分の中には他の現存在の実存があり、他の存在がある。自分のそれは、自分の外にある。主観から離れたところですね。
@@kll3406 Da-Sein「現に在り」は、DaもSeinも大文字で表現されるという象徴的表現もされますが、「存在者的に最も遠く、存在論的に最も近い」、その「存在の忘却」をしないようにする、ということですね。実存投企は、その投企を現実態の状態にする存在の地平に支えられているという自覚を要請するものであり、決して「自分が存在を現に在りとする主体」ではない、ということですね。近代の人間中心主義という意味でのヒューマニズム批判でしょうか・・。その意味では岡本先生が「断続的人間観」とした観念への批判だと思いますが、いかがでしょう?
@@thomasaqinas2000 トマスさん、私はあまりこの動画を観ていないので・・あとでよく観てみます。人間という概念が発明されたとかあったので、ついハイデガーのことを書いてしまったというわけです。ただ、何度も読むのですが、よく分からないところがありますね。私は、今日も職場に来ています。7月末までの状況を報告しないといけないので、そのための資料作りです。世人そのものです。こまいかい報告を求めてくるので。ハイデガーが世界内存在という言い方をするじゃないですか? 私は世界の中にあり、その中で他の存在しているものに出会う。そりゃ気遣いますよ。提出期限だってあるのですから。世界が私に強いることと、私が世界に強いることがある。誕生したことも死ぬことも理解しながら私はここにある。それだけで十分ではないか?という意識があるのです。それこそがヒューマニズムだって。ナポレオンもロスチャイルドも素晴らしいと思います。天才科学者たちも、ノーベル賞も素晴らしいとは思っています。ただ、何と言ったらよいか分からないのですが、可能性の中で完結したいのですよ。
@@kll3406 失礼いたしました。主客の範疇に陥ることなく「放下」の状態に実存があると、ハイデガーを解釈されておられるのですね。すみませんでした。ここでのテーマが自分の扱うトマスの「個のイデア」(個と普遍)が、現実的に論議される内容なので、意識が「問いかける」モードになってしまいました。お許しください。そして、またお教えください。
@@thomasaqinas2000 イデアですか?面白かったのが、村上春樹の小説で、イデアが出てきて、そのあたりにいるんですね。少女に話しかけたり。ハイデガーのニーチェ論で、このイデアなるものが昔は巷にいたのに、いつの間にか手の届かないところに行ってしまった・・そんな話がありました。プラトニズムとかいうやつで。ニーチェはそれをひっくり返した、というのですね。真理は天上ではなくて、ここにあるんだって。
個人的に自然派ガーデ二イズムについても聞きたいです。動物と人間の枠に機械も横並びとして位置付けて考える時代なんですね。融合という意味では、どう進化されるのか?凄く興味深いです
アニメみたいなアホ毛が出ててカワイイ
Did you get a haircut?
コイツラ意味不明、人間って発話の水準に発生するものだろうが。科学の対象に還元しても、だからということになるだろうが。
ふーん
どちらも間違ってる
落合陽一って、あんまり頭良くなさそう。
番組のフル視聴はこちら。
bit.ly/3OHW3fL
ありがとうございます。
植物の遺伝子が長いのはすべての環境を受け止めながら生きてきたから。動物は遺伝子が対応できる場所に移動できるからだろう。ちなみに空間を発火させるというのは量子力学の真髄まで理解しているのかも知れないが世に出ていない科学は何処まで到達していているのだろうか。掘り下げる余地はあるのだろうか。
岡本先生の考え方が面白かったな!
ありがとうございます。
落合さんの人文の力を信じてるという言葉にこれまでの発言のベースがよく見えました!
動画ありがとうございます。
しっかり勉強します。
今回もありがとうございます。
2つの考え勉強になりました!
興味深いおはなし、とても面白かったです。
今回も面白かったです。
興味深いお話、とても面白かったです。、
2:40人間は終わり
6:10落合
大変面白かったです!
面白いお話でした
人間って存在ってなんなんでしょうか。尊いと思ってました。
人間って考えたことなかったので、面白かったです。
面白かったです
人間であることの自由と不自由のバランスをとるのが大変です。
落合さんまた最近キレが増してきましたね。
フルバージョン視聴決定!!
人間とは何かを改めて考えさせられました。
なかなか奥の深い話ですね。
ヒューマニズム…我々は他のケダモノとは違うんだ
って気持ちが発露した源ってなんなんでしょうね
人間が単純に機械に還元されるのが嫌なんじゃないですかねぇ (イノセンスから)
家で飼ってた柴犬は自分のことを「人間」だと思っていた様に思うけどなぁー。
そこまでの飛躍をしなくても、M.テグマークのLife3.0や、現在にオーバーラップするところでは、ALSを克服しようとするP.スコット・モーガンのネオ・ヒューマンなども、眼前の存在条件にともかく適応しようとする例だと思う。
人間の在り方につながっていくのですね…
ちょっと難しい問題だな。
お二人の考え方が、各々おもしろい
ありがとうございます
なんかこう「人間」て概念であって今のところは人体という端末上でしか動作しないシステム的な……精神性そのものというか、うーん(語彙の死)
めっちゃさんこうになりますあ
完璧な答えがないものは議論が面白いですね。
タンパク質の塊としての計算機と電気的信号で動く計算機の違いを埋めるのは、倫理学や人文科学、多分、そんな気もします。
なるほど
F.ダイソンは、生物は環境悪化の時、進化を速めるのを例にし、人間は地球環境悪化によって宇宙に飛び出すコスミック・バタフライへ進むと仮説を立てた。これもポスト・ヒューマンの一つだろう。
進化過程を見れば、存在条件に適応するように試行錯誤され、錯誤に陥らなかった存在が進展する。Aiによるシミュレーションはその費用対効果の効率を高めるが、分子情報基体としての生物にとっての「環境」と呼ばれる存在条件は、地球の表層面程度の僅かな場に過ぎない。当然、「情報」は広大な宇宙での存在条件をシミュレートする。
難しいです。
人間だから人間中心になる
それはそうだよな
あまり人間以外の他者を優先しないわな
やはりこの手の話は、凡人には超高等な超アホな話を超優秀な人たちがしていて、
それをSNSで共有してくれる事が超面白くてありがたいです。
岡本先生は自然主義的・還元主義的連続的世界・人間観(落合先生もその現状を補足的に説明され、ご自分の立場として表明されていましたが)と、フーコーが示したとされる近代(ここでは18C’)人間中心主義の観方が、対立しているとされた。その上でポストヒューマンへの連続性と不連続性を説明された。実はその根本は、普遍と個との問題であるといえます。普遍的知性と個的知性。ブラフマンとアートマン。ネゲントロピーが蓄積する「情報」の「能動主体」を、どの位置に置いて観るか?シュレーディンガーを典型に自然科学者は、連続な普遍性に置きます(落合先生のように)。キリスト教神学では「個霊の救済=個の永遠化」を説き、不連続性を考察します。トマスの天使論、ライプニッツのモナドロジー、カントールの無限集合論・・・、こうした思弁を続けています。岡本先生の九大では、稲垣先生がその代表です。
堂本剛クン?かと思った❤😊。
人間ってなんなんだろう?
生物も物理も化学も数学も追求していくと宗教学になるという話を思い出した。
ゲーデル不完全性定理があるから、人間のアルゴリズム化はできないだろうし。人間という開かれたOSの上に同一性還元アルゴリズムがあるのだから、OS自体をOSの上で起動するプログラム言語で記述できない筈だが。自己同意性確定の手前を突き抜けないと。
ホントに知性あるなら、他人の総括にその身を委ねられるかどうか。
人工知能なり、自意識を持った別枠の個性からの感慨や評価というのを、はたして人間自体が受け入れられるかどうかという点。
メモリが有限で、その枠自体がかなり狭い人間には、規定したところでそれが持続出来ない。
記憶は風景処理に食い荒らされていて、巨大なビル群の情報処理でほとんど磨耗している。
残された僅かなスペックをフル活用して、やっとこ意味ありげな可能性を見出したつもりになっている。
それが人のやっていることのリアル。
人間をどういう形で設計したのか気になる。失敗するし、簡単に裏切るし。何故完璧にしなかったのだろう。
なんかおもしろい視点だなぁ
そんな考え方があるんですね
落合は主体性の喪失を経験したことがあるのだろうか。また、人間観の話はポストモダン思想の「異なる言語ゲームは共約不可能である」ことにつながるように思う。
ポスト・ヒューマン同士の戦争でどんな武器が使われるか分かりませんが、ポスト・ポスト・ヒューマンの武器なら分かる。石とこん棒だ。
岡本さんの話聞きたいのに落合さんいつまで喋るねん笑笑
ハイデガーも「ヒューマニズムについて」という本で・・・
あの現存在の扱いも面白いですね。
主体という言い方はハイデガーが生涯を掛けて批判したものですが・・・
@@thomasaqinas2000 お世話様です。ちょっと変な言い方でした。
私が言いたかったのは、主観と客観みたいなもので、自分が主体的に生きていると同時に生かされている、と言えば良いのでしょうか。
主観があって客観があるのかもしれない(またその逆かもしれない)のですが、自分が客観であり主観であると。
自分の中には他の現存在の実存があり、他の存在がある。
自分のそれは、自分の外にある。主観から離れたところですね。
@@kll3406 Da-Sein「現に在り」は、DaもSeinも大文字で表現されるという象徴的表現もされますが、「存在者的に最も遠く、存在論的に最も近い」、その「存在の忘却」をしないようにする、ということですね。実存投企は、その投企を現実態の状態にする存在の地平に支えられているという自覚を要請するものであり、決して「自分が存在を現に在りとする主体」ではない、ということですね。近代の人間中心主義という意味でのヒューマニズム批判でしょうか・・。その意味では岡本先生が「断続的人間観」とした観念への批判だと思いますが、いかがでしょう?
@@thomasaqinas2000 トマスさん、私はあまりこの動画を観ていないので・・あとでよく観てみます。人間という概念が発明されたとかあったので、ついハイデガーのことを書いてしまったというわけです。
ただ、何度も読むのですが、よく分からないところがありますね。
私は、今日も職場に来ています。7月末までの状況を報告しないといけないので、そのための資料作りです。世人そのものです。こまいかい報告を求めてくるので。
ハイデガーが世界内存在という言い方をするじゃないですか? 私は世界の中にあり、その中で他の存在しているものに出会う。そりゃ気遣いますよ。提出期限だってあるのですから。
世界が私に強いることと、私が世界に強いることがある。誕生したことも死ぬことも理解しながら私はここにある。
それだけで十分ではないか?という意識があるのです。それこそがヒューマニズムだって。
ナポレオンもロスチャイルドも素晴らしいと思います。天才科学者たちも、ノーベル賞も素晴らしいとは思っています。
ただ、何と言ったらよいか分からないのですが、可能性の中で完結したいのですよ。
@@kll3406 失礼いたしました。主客の範疇に陥ることなく「放下」の状態に実存があると、ハイデガーを解釈されておられるのですね。すみませんでした。ここでのテーマが自分の扱うトマスの「個のイデア」(個と普遍)が、現実的に論議される内容なので、意識が「問いかける」モードになってしまいました。お許しください。そして、またお教えください。
@@thomasaqinas2000 イデアですか?
面白かったのが、村上春樹の小説で、イデアが出てきて、そのあたりにいるんですね。少女に話しかけたり。
ハイデガーのニーチェ論で、このイデアなるものが昔は巷にいたのに、いつの間にか手の届かないところに行ってしまった・・そんな話がありました。
プラトニズムとかいうやつで。ニーチェはそれをひっくり返した、というのですね。
真理は天上ではなくて、ここにあるんだって。
個人的に自然派ガーデ二イズムについても
聞きたいです。
動物と人間の枠に機械も横並びとして
位置付けて考える時代なんですね。
融合という意味では、どう進化されるのか?凄く興味深いです
アニメみたいなアホ毛が出ててカワイイ
Did you get a haircut?
コイツラ意味不明、人間って発話の水準に発生するものだろうが。科学の対象に還元しても、だからということになるだろうが。
ふーん
どちらも間違ってる
落合陽一って、あんまり頭良くなさそう。