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98歳で御存命なのですね。短命なレスラーが多い中で御長寿であるのは何よりです。関節技をかけられると「イタイ。イタイ。」と悲鳴をあげるのが、お約束でした。解説の時、ドリー・ファンク・ジュニアをドリー「フランク」ジュニアと言っていたことが印象的でした。
「イテテ、イテテ」でしょ‼️_(^^;)ゞ
@@user-ng2nz2nz3d 記憶が変容しているかもしれませんね。
@@user-wh6kr6gv9sイタイ、イタイのイメージが有りました…人望がなかった!
そうです、あいた、あいたがトレードマークだった!情けないイメージですね😮
@@user-wh6kr6gv9s イテテの遠藤たこ踊りというフレーズがありました。
遠藤幸吉がまだ健在(らしい)とは驚きだ。
新人時代の古舘アナと組んで試合中継した事もあるらしい。ワープロ解説者を辞めたのは77年秋頃で、解雇ではなく自分から辞めたと聞いた記憶がある。
遠藤幸吉といえば1952年、大山倍達と共にアメリカプロレスマットに上がって活躍したことは余りに有名。遠藤は普通にヒールとして試合をしたが、大山はあくまで空手のデモンストレーションでの登場であり、レスラーやボクサーと異種格闘技戦のような試合を行った事実はない。あるいはあったとしてもアトラクションのようなものであり、「空手バカ一代」などで語られたエピソードは、創作もしくはかなり脚色されたものであることが、今では一般的認識になっている。それを最初に明かしたのが、この遠藤だった。大山死去の翌年(1995)に出版された「大山倍達とは何か?」(ワニマガジン社)の中で「(大山君が)試合をしたところは見たことがない。やったとしたら、私が知らない所でのことでしょう」、「(タム・ライスのあばら骨を7本折ってKOしたというが)そんなことをしたら、もう使って貰えなくなる。(大事な仕事仲間に怪我させて)オマンマ食えなくしちゃったら、即クビに決まっている」、「そもそも大山君は80キロくらいの体で(アメリカの百数十キロの相手と)レスリングなんて出来ない」などと語り、定説になっていた「空バカ」などの゙大山倍達神話゙の信奉者に衝撃を与えた。以後、遠藤の元にば信奉者゙と思われる多くの者から嫌がらせや脅迫めいた抗議が殺到し、遠藤は貝になって全く公のメディアに姿を見せなくなった。数年前に某マスコミが取材を申し込むと、家族から、本人が高齢な上、病気で伏せっていることを理由に断られている。それも決して嘘ではないだろうが、やはりあの゙暴露゙インタビューの余波が余りに大きく、遠藤をして「もう懲り懲り ! 」と感じさせたのではないか ?虚構であるプロレスの世界には、暴露話は付き物である。しかし、事実を語った者を精神的に追い込み、生活を脅かすようなことは絶対にあってはならない。
遠藤幸吉が自らネタにした『エン(遠)グリッシュ』は、プロレス史に残る愉快な方の名言かと?
遠藤幸吉は力道山のベストパートナーだった。ただ力道山の死後は、金にがめつい守銭奴になってしまった。
梶原一騎「ダラカン」
遠藤の悪役ぶりがどこまで事実かは不明だな。本当に猪木から嫌われていたらNETテレビも遠藤を解説者から下ろしたと思うし、アリ戦のジャッジも任されなかったろう。
空手バカ一代で存在を知りました
遠藤幸吉と言えば、『空手バカ一代』でのマス大山との全米道中が印象的。あとこの人、猪木VSアリ戦のジャッジでアリの勝ちにしてたんだよな…。
戦後の昭和31年力道山と組み、シャ―プ兄弟から、世界タッグ選手権を奪取した。力道山と組んだ木村政彦さんがシャ―プ兄弟にやられ役になった仇打ちかなと思いました。引退後は新日本のテレビ朝日の解説者としても活躍され、あの猪木対アリ戦のジャツジもつとめられ、この時はアリの勝ちにジャツジしたから、当時、若手だった藤原さん達から、文句を言われたとも聞きました。77年3月30日東京・蔵前国技館の外人側控え室に取材に遠藤さんが行くと、シン、上田組が襲いかかってきて、シンからサ―ベルで一撃を受けてしまったのは気の毒に思いました。優しいおじさんのイメ―ジがあり、冷静さと暖かさが遠藤さんの人柄を物語っています。私は遠藤さんの解説も山本小鉄さんの解説も両方すきでしたよ。
77年3月31日が正しいです。この日私は猪木対パワーズ戦を観戦した帰りに、たまたま帰る途中の遠藤さんを見かけ、遠藤さんと声をかけたら笑顔を見せてくれました。笑。ちなみに私の初生観戦で、猪木の大ファンでしたが、2年後にパワーズの大ファンにもなっていました。❤
雌雄を決すると言う事をオスメスを決すると言ったり上田馬之助さんに不意打ちを喰らって踏みつけられたり結構面白い方でした。
上田馬之助さんから見たら屋台骨が傾いても一生懸命にやっていたのに遠藤幸吉さんはNETで解説に転身その経緯で上田馬之助さんが遠藤幸吉さんの躰を踏みつけていました。
両者真一文字ですな〜😆迷解説をありがとう😊
昔は、S,Dシキと、ドロップキック合戦をする程だったらしいが、自分が、横浜の文体に見に行くようになった頃には、ぜい肉が、つきまくって、イタタの遠藤と、下駄の芳の里で前座の道化役だった😩
それが原因でロンパリになりましたね‼️ ゚ ゚ ( Д )
NETの中継(日プロ 新日本)のトンチキ解説で印象に残ってます「バランスがオフになる」「それ!! 行け!! 」「あの〜サカ(坂口)がですね」等の迷調子のオンパレードw反則を喰らうと血だるまにされ「イテテ…」と言うので「イテテの遠藤」とも呼ばれてました猪木のワールドリーグ戦、決勝の不可解なカードを組んだ事も有名ですね
@@user-zt2fj2oq7b 後、タイガージェットシンさんが新日初参戦した時思いっきりテレビ放送でキチガイと言っていました。
遠藤氏は後々には後輩の上田とシンにボコられていたとのこと。遠藤氏は『上田の奴、俺を先輩なんて気持ちは最早全くない』と。
控室でのインタビューでシンと上田から襲撃された際の台詞ですね。猪木のクーデター未遂を利用し、追放し自分はNETの解説者としてちゃっかりと収まり猪木からは「裏切り者」馬場からは「信用出来ない奴」のレッテルを張られ、日本で居場所が無くなり海外に活路を求めたのは有名日プロ崩壊の一因となった「新日と日プロの合併」に反対した大木も襲撃してますruclips.net/video/vm4R7O_HNIQ/видео.htmlsi=TI4-y_qnKYVYPrkb
元葬儀屋ですけど、数年前にお亡くなりになりましたよ。
やはり、そうなのですね。今の時代、個人情報に敏感で、たとえ著名人でも発表しないこともあるようです。葬儀なども近親者だけで済ませるケースが多いですね。格闘技指導者で有名な黒崎健時氏も生死両方の説があります。存命なら94歳ですが、私は幾つかの情報を踏まえ、(失礼ながら)生存の可能性は低いと思っています。
でも、発表されてないですよね?一般マスコミもはともかく、ゴングとか週プロで発表されてないのはおかしい。
未だに健在と思いましたが亡くなっていたんですね
数年前に亡くなったけどかなりの長生きでしたね。
wikiに書かれてないだけでもう亡くなってるんでは。猪木と豊登を追放した?
子供頃、いつも、あ痛たたたたたた、といつも言っていました。
遠藤といえば「イテテの遠藤」こんなのをパートナーにしたところでプロレスの人気は盛り上がらなかった。戦前とはいえ、柔道王の名を欲しいままにした木村だからこそ逆にシャープ兄弟の強さも力道山の強さも引き立ったんだから。木村はその名声をギャラと引き換えにしたんだから、八百長だやられ役だったとあとから文句を言うなど卑劣そのものだ。
98歳で御存命なのですね。短命なレスラーが多い中で御長寿であるのは何よりです。関節技をかけられると「イタイ。イタイ。」と悲鳴をあげるのが、お約束でした。解説の時、ドリー・ファンク・ジュニアをドリー「フランク」ジュニアと言っていたことが印象的でした。
「イテテ、イテテ」でしょ‼️_(^^;)ゞ
@@user-ng2nz2nz3d 記憶が変容しているかもしれませんね。
@@user-wh6kr6gv9sイタイ、イタイのイメージが有りました…人望がなかった!
そうです、あいた、あいたがトレードマークだった!情けないイメージですね😮
@@user-wh6kr6gv9s イテテの遠藤たこ踊りというフレーズがありました。
遠藤幸吉がまだ健在(らしい)とは驚きだ。
新人時代の古舘アナと組んで試合中継した事もあるらしい。
ワープロ解説者を辞めたのは77年秋頃で、解雇ではなく自分から辞めたと聞いた記憶がある。
遠藤幸吉といえば1952年、大山倍達と共にアメリカプロレスマットに上がって活躍したことは余りに有名。
遠藤は普通にヒールとして試合をしたが、大山はあくまで空手のデモンストレーションでの登場であり、レスラーやボクサーと異種格闘技戦のような試合を行った事実はない。あるいはあったとしてもアトラクションのようなものであり、「空手バカ一代」などで語られたエピソードは、創作もしくはかなり脚色されたものであることが、今では一般的認識になっている。
それを最初に明かしたのが、この遠藤だった。
大山死去の翌年(1995)に出版された「大山倍達とは何か?」(ワニマガジン社)の中で「(大山君が)試合をしたところは見たことがない。やったとしたら、私が知らない所でのことでしょう」、「(タム・ライスのあばら骨を7本折ってKOしたというが)そんなことをしたら、もう使って貰えなくなる。(大事な仕事仲間に怪我させて)オマンマ食えなくしちゃったら、即クビに決まっている」、「そもそも大山君は80キロくらいの体で(アメリカの百数十キロの相手と)レスリングなんて出来ない」などと語り、定説になっていた「空バカ」などの゙大山倍達神話゙の信奉者に衝撃を与えた。
以後、遠藤の元にば信奉者゙と思われる多くの者から嫌がらせや脅迫めいた抗議が殺到し、遠藤は貝になって全く公のメディアに姿を見せなくなった。
数年前に某マスコミが取材を申し込むと、家族から、本人が高齢な上、病気で伏せっていることを理由に断られている。
それも決して嘘ではないだろうが、やはりあの゙暴露゙インタビューの余波が余りに大きく、遠藤をして「もう懲り懲り ! 」と感じさせたのではないか ?
虚構であるプロレスの世界には、暴露話は付き物である。
しかし、事実を語った者を精神的に追い込み、生活を脅かすようなことは絶対にあってはならない。
遠藤幸吉が自らネタにした『エン(遠)グリッシュ』は、プロレス史に残る愉快な方の名言かと?
遠藤幸吉は力道山のベストパートナーだった。
ただ力道山の死後は、金にがめつい守銭奴になってしまった。
梶原一騎「ダラカン」
遠藤の悪役ぶりがどこまで事実かは不明だな。
本当に猪木から嫌われていたらNETテレビも遠藤を解説者から下ろしたと思うし、アリ戦のジャッジも任されなかったろう。
空手バカ一代で存在を知りました
遠藤幸吉と言えば、『空手バカ一代』でのマス大山との全米道中が印象的。あとこの人、猪木VSアリ戦のジャッジでアリの勝ちにしてたんだよな…。
戦後の昭和31年力道山と組み、シャ―プ兄弟から、世界タッグ選手権を奪取した。力道山と組んだ木村政彦さんがシャ―プ兄弟にやられ役になった仇打ちかなと思いました。引退後は新日本のテレビ朝日の解説者としても活躍され、あの猪木対アリ戦のジャツジもつとめられ、この時はアリの勝ちにジャツジしたから、当時、若手だった藤原さん達から、文句を言われたとも聞きました。77年3月30日東京・蔵前国技館の外人側控え室に取材に遠藤さんが行くと、シン、上田組が襲いかかってきて、シンからサ―ベルで一撃を受けてしまったのは気の毒に思いました。優しいおじさんのイメ―ジがあり、冷静さと暖かさが遠藤さんの人柄を物語っています。私は遠藤さんの解説も山本小鉄さんの解説も両方すきでしたよ。
77年3月31日が正しいです。この日私は猪木対パワーズ戦を観戦した帰りに、たまたま帰る途中の遠藤さんを見かけ、遠藤さんと声をかけたら笑顔を見せてくれました。笑。ちなみに私の初生観戦で、猪木の大ファンでしたが、2年後にパワーズの大ファンにもなっていました。❤
雌雄を決すると言う事をオスメスを決すると言ったり上田馬之助さんに不意打ちを喰らって踏みつけられたり結構面白い方でした。
上田馬之助さんから見たら屋台骨が傾いても一生懸命にやっていたのに遠藤幸吉さんはNETで解説に転身その経緯で上田馬之助さんが遠藤幸吉さんの躰を踏みつけていました。
両者真一文字ですな〜😆
迷解説をありがとう😊
昔は、S,Dシキと、ドロップキック合戦をする程だったらしいが、自分が、横浜の文体に見に行くようになった頃には、ぜい肉が、つきまくって、イタタの遠藤と、下駄の芳の里で前座の道化役だった😩
それが原因でロンパリになりましたね‼️ ゚ ゚ ( Д )
NETの中継(日プロ 新日本)の
トンチキ解説で印象に残ってます
「バランスがオフになる」
「それ!! 行け!! 」
「あの〜サカ(坂口)がですね」
等の迷調子のオンパレードw
反則を喰らうと血だるまにされ
「イテテ…」と言うので
「イテテの遠藤」とも呼ばれてました
猪木のワールドリーグ戦、決勝の不可解なカードを組んだ事
も有名ですね
@@user-zt2fj2oq7b 後、タイガージェットシンさんが新日初参戦した時思いっきりテレビ放送でキチガイと言っていました。
遠藤氏は後々には後輩の上田とシンにボコられていたとのこと。
遠藤氏は『上田の奴、俺を先輩なんて気持ちは最早全くない』と。
控室でのインタビューでシンと上田から
襲撃された際の台詞ですね。
猪木のクーデター未遂を利用し、追放し
自分はNETの解説者としてちゃっかりと収まり
猪木からは「裏切り者」
馬場からは「信用出来ない奴」
のレッテルを張られ、日本で居場所が無くなり海外に活路を求めたのは有名
日プロ崩壊の一因となった「新日と日プロの合併」に反対した大木も襲撃してます
ruclips.net/video/vm4R7O_HNIQ/видео.htmlsi=TI4-y_qnKYVYPrkb
元葬儀屋ですけど、数年前にお亡くなりになりましたよ。
やはり、そうなのですね。
今の時代、個人情報に敏感で、たとえ著名人でも発表しないこともあるようです。
葬儀なども近親者だけで済ませるケースが多いですね。
格闘技指導者で有名な黒崎健時氏も生死両方の説があります。
存命なら94歳ですが、私は幾つかの情報を踏まえ、(失礼ながら)生存の可能性は低いと思っています。
でも、発表されてないですよね?
一般マスコミもはともかく、ゴングとか週プロで発表されてないのはおかしい。
未だに健在と思いましたが亡くなっていたんですね
数年前に亡くなったけどかなりの長生きでしたね。
wikiに書かれてないだけでもう亡くなってるんでは。猪木と豊登を追放した?
子供頃、いつも、あ痛たたたたたた、といつも言っていました。
遠藤といえば「イテテの遠藤」
こんなのをパートナーにしたところでプロレスの人気は盛り上がらなかった。
戦前とはいえ、柔道王の名を欲しいままにした木村だからこそ逆にシャープ兄弟の強さも力道山の強さも引き立ったんだから。
木村はその名声をギャラと引き換えにしたんだから、八百長だやられ役だったとあとから文句を言うなど卑劣そのものだ。