Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
ありがとうございます!
ご喜捨ありがとうございます
確かに小屋が三昧には見えませんね😉歩く動画は新機軸ですね😃
地面に掘った穴、しかも石積みがない火葬場もあちこちで見ておりますので、どちらなのか大変悩みました
「「火屋跡」の方が疑問」とのお気持ちはちゃんと伝わっていますよ。さすがの私でも火屋でのリアルタイム火葬は見たことがないのですが、仮名垣魯文の荼毘室混雑の図でも煙は煙抜き小窓から出ており、それがない火屋は考えられないと思います。したがって、萌さま撮影のありし日の建物は、火屋跡に建てた葬祭具置き場だった可能性はあります。なお手前の円形石組みは先々代?の座棺火葬炉で矛盾はないと思います。
ご喜捨ありがとうございます。また考察ありがとうございます。皆様のコメントを拝読して、やはり小屋が火葬場であったという結論が強化されました。ずばり火葬に立会いされた方がおられました。自分の常識にとらわれずくまなく記録を残す必要性を感じるきっかけとまりました。
そういえば昔は樽の形をした座棺を三角巾つけた白装束の集団で担いでお墓まではこんだんだっけ、なら丸い穴も解かる気がする
小学生の頃40年以上前、白煙をあげて異臭を放つ煉瓦の煙突の光景は今でも鮮明に覚えてます😂
しばらくぶりにみたらクオリティがかなり上がってグッド👍
トラック乗ってます 1号線鈴鹿峠はよく通ります 雰囲気がいいんですよね
一般道の本格的な峠道って楽しいですよね
What an interesting topic! It was fascinating to see those crematoria. The animation of Moe chan was adorable! ❤
Thank you for watching my video.I hope you become more interested in the history of cremation in Japan.
2:00 ~ 萌さんが歩く姿は珍しいですね。沓掛の場合は小屋に排気口がなくても入り口から排気していたとも考えられなくもないですが(天井に排気用の戸があったとか?)解体されてしまった今となっては推測の域を抜け出せられません。
利用時には扉を開放する、という単純な話かもしれませんね
萌さんと一緒に歩けるなんて…
火葬場探求道をすでに一緒に歩いてきたではありませんか(笑)
この沓掛の火屋も近くの小野町の火屋も煙突や煙抜きの隙間が無さそうですね
小野町の火葬場はたまたま損傷個所から中を覗けましたが、密閉式に見えますよね
沓掛の火葬場について、最後の写真の小屋が火葬場です。沓掛集落にある親戚の葬儀後、その小屋で火葬したのを実際に目にしています。長時間かけて火葬したので、長い時間寂しさを感じながらお別れしました。小屋が建っていたときは、墓参のついでにのぞき込んで思い出したりもしていました。もうなくなったんですね。
これは貴重な体験談、ありがとうございます!ほかのかたのコメントを拝読して、やっぱり外の丸い穴も怪しいのかな、と少し揺らいでいましたが迷いが消えました。小屋は覗ける所があったのですね?中は、四角い穴が床に掘ってある感じだったのでしょうか。
@@saiba_moe さん返信ありがとうございます。私自身の記憶を元にお答えします。まず、火葬場であった小屋は、お墓参り時に扉が開いていたため、見ることが出来ました。おそらく使われなくなってからは扉を閉めたのでしょう。覗ける所はありません。穴は、正方形の棺が納められる大きさの円形です。円形穴の壁部分は石を使って固められていました。また、墓参時にお花を持っていき花筒にある枯れた花は自宅に持ち帰りますが、昔は、墓地に枯れた花を捨てることが出来るようごみ捨て場がありました。それが外にあった丸い穴と思われます。地元の方がまとめて燃やしていただいたと想像します。最後に、私は沓掛集落の者ではありませんので、自分の経験だけの内容です。不正確な内容が含まれる可能性がありますので、沓掛のお寺の住職さん等に確認されると答えが出ると思われます。
この前の返信を送った後、穴の形状について丸形としていましたが、最後に扉が開いていた時からも年数が経過し、記憶も薄れていた中で、丸形か四角形か記憶に自信がなくなってきました。5:40頃の映像のようなはっきりした四角形ではなかったので、丸形と思い込んだ可能性もあります。曖昧な記憶で返信してごめんなさいね。
@@かわげっつぅ-c1n 2件のご回答拝読しました。ありがとうございます!あの小屋にそんな秘密があったのですね!
現在は鈴鹿市斎苑と亀山市斎場に集約されましたね。
その前は関町単独の火葬場がありましたね。三昧を集約できていたのかどうか、知りたいところです
おはようございます☀
おはようございます!
穴の内壁に積まれた石に、一つずつ仏が彫ってるあるところがありましたよね?(ちょっと今正確な場所が思い出せない💦)年月で分からなくなってるだけで何かギミックがあったのかもしれませんね
このチャンネルで紹介した火葬場でしたっけ?視聴者さんより忘れている可能性高い💦別の火葬場でしたら、思い出したら教えて頂けると幸いです
こんばんは。沓掛の火葬場(2つめ)完全勝利おめでとうございます。今回、謎解きっぽくてワクワクドキ視聴しました。2つめの火葬場で完全勝利したときは、こちらも安堵しました。最後の沓掛の小屋の火葬場(火屋)は、延焼しないか少し心配になりますが、そうした措置はしていたのでしょうね。
延焼しないノウハウを持っていたのでしょうかね。自治体経営の火葬場は、火災して消失した記録が山のように発掘されますが😅
おはよう萌ちゃん☺️💕なんか動画がどんどんパワーアップしてますね。😊いつも思うんだけど、狭い階段ォ登って火葬場にって所有るけど、棺をだいて登れたんですかね😮
時間を火葬場にほとんど全振りしちゃってますが、VTuberであることを活かすためも調査研究は怠りません!
おお❕萌さんが歩いとる❕Σ(゚д゚;)ェ!!
たまに歩きますよ!ruclips.net/user/shortsp-HlL9wOLSM
丸い穴、ふと鳥葬を連想してしまいました(日本ではあり得ませんが) その後に火葬とか。色々なパターンを想像してしまう内容でした。
想像力が調査のきっかけになり、真実がわかっていく。このプロセスが楽しいですね
火屋とはまた火葬の昔のキーワードが出てきましたね。火葬の歴史をたどれば必ずでてきます。
火屋という言葉、近世の江戸の言葉と思っていましたが、結構最近まで全国的に使われていたことを最近知りました。まさか「火屋跡」という表現を使うとは思っていませんでしたが(笑)
沓掛集落の火葬場ですが、私は穴だという萌さんの予想の方が何となく合ってる気がしてたまりません。資料が少ないとかで関係者もそれっぽい方に碑を建てたってこともあるんじゃないでしょうか。
動画では一応最終結論を出しましたが、編集中も公開後も揺らいでいました。しかし後に立ち会ったことがある方が、小屋が火葬場だと教えてくれましたので、謎は解けたといってよいかなと思います
お疲れ様です。いつも不思議に感じているのですが、火葬場台帳というのはいつ頃に編纂されたもので、どこで拝見することができるのでしょうか?差し支えなければ教えていただけると嬉しいです。
コミュニティ欄あたりで説明しようかと考えています。しばらくお待ちください!
煙突が無く煙抜きの無い小屋はおそらく火葬用薪を入れて置く物置?火葬場の在る墓地に巨石が二つ置いて在る処が在る中には一つは円形に加工され蓮花型もう一つは長方形加工で共に上は平で高さが揃えて在るのが在る運び込んだ棺を一時置く場所で蓮型石にアタマ側を置くと云う滋賀側の坂下、土山辺りは過去は土葬だったので墓地には火葬場はなかった
峠の滋賀県側は難易度がさらにあがるみたいですね
山の怪談で割と聞く施設だけど、地元だと見た事も聞いた事がないのよね父方の実家では土葬が長かったからかな
今回は近代化以降しばらく日本最大の幹線道路であり、現在でも高規格な道路の峠を扱いましたが、もっと交通量の少ない峠だと、本当に寂しい山道の途中に火葬場があった、ということはあったようです
亀山市関町は。名阪国道を使って通り過ぎる町です。のんびり亀山市の火葬場巡りをしたいです。
動画公開が前後してまだ紹介していませんが、名阪国道の旧道、国道25号沿いに火葬場があるのを知って、関町も網羅的に調べることにしました
穴は刈った草を燃やすところなんじゃないかな?
どうもそんな感じのようです
関町の火葬路は煙突もなくて福井県のようですね
そうですね。ただ、福井県の場合、煙突がない火葬場は扉がなくて横方向に煙を出す構造が多いような気がします
坂下の主要なお寺、浄土真宗でない浄土教?つまり浄土宗または時宗?
なんと、曹洞宗です!南無阿弥陀仏の石碑があるのは珍しいですね
@@saiba_moe 意外過ぎます
確かに霧島市国分共同斎場は葬儀場は中央典礼から荘厳社中央斎場変わりました。平安祭典や天国会館、家族葬の一想があって。しかし自分近くはJA葬祭のやすらぎあります、
4:56唐突な小泉構文
ツッコミありがとうございます。政治マターは扱いませんが、政治家語録は多用する方針で、ご推察のとおり小泉進次郎先生の弁舌を参考にさせていただきました!
ありがとうございます!
ご喜捨ありがとうございます
確かに小屋が三昧には見えませんね😉
歩く動画は新機軸ですね😃
地面に掘った穴、しかも石積みがない火葬場もあちこちで見ておりますので、
どちらなのか大変悩みました
「「火屋跡」の方が疑問」とのお気持ちはちゃんと伝わっていますよ。さすがの私でも火屋でのリアルタイム火葬は見たことがないのですが、仮名垣魯文の荼毘室混雑の図でも煙は煙抜き小窓から出ており、それがない火屋は考えられないと思います。したがって、萌さま撮影のありし日の建物は、火屋跡に建てた葬祭具置き場だった可能性はあります。なお手前の円形石組みは先々代?の座棺火葬炉で矛盾はないと思います。
ご喜捨ありがとうございます。また考察ありがとうございます。
皆様のコメントを拝読して、やはり小屋が火葬場であったという結論が強化されました。
ずばり火葬に立会いされた方がおられました。
自分の常識にとらわれずくまなく記録を残す必要性を感じるきっかけとまりました。
そういえば昔は樽の形をした座棺を三角巾つけた白装束の集団で担いでお墓まではこんだんだっけ、
なら丸い穴も解かる気がする
小学生の頃40年以上前、白煙をあげて異臭を放つ煉瓦の煙突の光景は今でも鮮明に覚えてます😂
しばらくぶりにみたらクオリティがかなり上がってグッド👍
トラック乗ってます 1号線鈴鹿峠はよく通ります 雰囲気がいいんですよね
一般道の本格的な峠道って楽しいですよね
What an interesting topic! It was fascinating to see those crematoria. The animation of Moe chan was adorable! ❤
Thank you for watching my video.
I hope you become more interested in the history of cremation in Japan.
2:00 ~ 萌さんが歩く姿は珍しいですね。
沓掛の場合は小屋に排気口がなくても入り口から排気していたとも考えられなくもないですが
(天井に排気用の戸があったとか?)
解体されてしまった今となっては推測の域を抜け出せられません。
利用時には扉を開放する、という単純な話かもしれませんね
萌さんと一緒に歩けるなんて…
火葬場探求道をすでに一緒に歩いてきたではありませんか(笑)
この沓掛の火屋も近くの小野町の火屋も煙突や煙抜きの隙間が無さそうですね
小野町の火葬場はたまたま損傷個所から中を覗けましたが、密閉式に見えますよね
沓掛の火葬場について、最後の写真の小屋が火葬場です。沓掛集落にある親戚の葬儀後、その小屋で火葬したのを実際に目にしています。長時間かけて火葬したので、長い時間寂しさを感じながらお別れしました。小屋が建っていたときは、墓参のついでにのぞき込んで思い出したりもしていました。
もうなくなったんですね。
これは貴重な体験談、ありがとうございます!
ほかのかたのコメントを拝読して、やっぱり外の丸い穴も怪しいのかな、と少し揺らいでいましたが迷いが消えました。
小屋は覗ける所があったのですね?中は、四角い穴が床に掘ってある感じだったのでしょうか。
@@saiba_moe さん返信ありがとうございます。私自身の記憶を元にお答えします。
まず、火葬場であった小屋は、お墓参り時に扉が開いていたため、見ることが出来ました。おそらく使われなくなってからは扉を閉めたのでしょう。覗ける所はありません。
穴は、正方形の棺が納められる大きさの円形です。円形穴の壁部分は石を使って固められていました。
また、墓参時にお花を持っていき花筒にある枯れた花は自宅に持ち帰りますが、昔は、墓地に枯れた花を捨てることが出来るようごみ捨て場がありました。それが外にあった丸い穴と思われます。地元の方がまとめて燃やしていただいたと想像します。
最後に、私は沓掛集落の者ではありませんので、自分の経験だけの内容です。不正確な内容が含まれる可能性がありますので、沓掛のお寺の住職さん等に確認されると答えが出ると思われます。
この前の返信を送った後、穴の形状について丸形としていましたが、最後に扉が開いていた時からも年数が経過し、記憶も薄れていた中で、丸形か四角形か記憶に自信がなくなってきました。5:40頃の映像のようなはっきりした四角形ではなかったので、丸形と思い込んだ可能性もあります。曖昧な記憶で返信してごめんなさいね。
@@かわげっつぅ-c1n 2件のご回答拝読しました。ありがとうございます!
あの小屋にそんな秘密があったのですね!
現在は鈴鹿市斎苑と亀山市斎場に集約されましたね。
その前は関町単独の火葬場がありましたね。
三昧を集約できていたのかどうか、知りたいところです
おはようございます☀
おはようございます!
穴の内壁に積まれた石に、一つずつ仏が彫ってるあるところがありましたよね?
(ちょっと今正確な場所が思い出せない💦)
年月で分からなくなってるだけで何かギミックがあったのかもしれませんね
このチャンネルで紹介した火葬場でしたっけ?視聴者さんより忘れている可能性高い💦
別の火葬場でしたら、思い出したら教えて頂けると幸いです
こんばんは。沓掛の火葬場(2つめ)完全勝利おめでとうございます。
今回、謎解きっぽくてワクワクドキ視聴しました。2つめの火葬場で完全勝利したときは、こちらも安堵しました。
最後の沓掛の小屋の火葬場(火屋)は、延焼しないか少し心配になりますが、そうした措置はしていたのでしょうね。
延焼しないノウハウを持っていたのでしょうかね。
自治体経営の火葬場は、火災して消失した記録が山のように発掘されますが😅
おはよう萌ちゃん☺️💕
なんか動画がどんどんパワーアップしてますね。😊
いつも思うんだけど、狭い階段ォ登って火葬場にって所有るけど、
棺をだいて登れたんですかね😮
時間を火葬場にほとんど全振りしちゃってますが、
VTuberであることを活かすためも調査研究は怠りません!
おお❕萌さんが歩いとる❕
Σ(゚д゚;)ェ!!
たまに歩きますよ!
ruclips.net/user/shortsp-HlL9wOLSM
丸い穴、ふと鳥葬を連想してしまいました(日本ではあり得ませんが) その後に火葬とか。色々なパターンを想像してしまう内容でした。
想像力が調査のきっかけになり、真実がわかっていく。このプロセスが楽しいですね
火屋とはまた火葬の昔のキーワードが出てきましたね。火葬の歴史をたどれば必ずでてきます。
火屋という言葉、近世の江戸の言葉と思っていましたが、結構最近まで全国的に使われていたことを最近知りました。
まさか「火屋跡」という表現を使うとは思っていませんでしたが(笑)
沓掛集落の火葬場ですが、私は穴だという萌さんの予想の方が何となく合ってる気がしてたまりません。
資料が少ないとかで関係者もそれっぽい方に碑を建てたってこともあるんじゃないでしょうか。
動画では一応最終結論を出しましたが、編集中も公開後も揺らいでいました。
しかし後に立ち会ったことがある方が、小屋が火葬場だと教えてくれましたので、
謎は解けたといってよいかなと思います
お疲れ様です。
いつも不思議に感じているのですが、火葬場台帳というのはいつ頃に編纂されたもので、どこで拝見することができるのでしょうか?差し支えなければ教えていただけると嬉しいです。
コミュニティ欄あたりで説明しようかと考えています。しばらくお待ちください!
煙突が無く煙抜きの無い小屋はおそらく火葬用薪を入れて置く物置?
火葬場の在る墓地に巨石が二つ置いて在る処が在る
中には一つは円形に加工され蓮花型
もう一つは長方形加工で共に上は平で高さが揃えて在るのが在る
運び込んだ棺を一時置く場所で蓮型石にアタマ側を置くと云う
滋賀側の坂下、土山辺りは過去は土葬だったので墓地には火葬場はなかった
峠の滋賀県側は難易度がさらにあがるみたいですね
山の怪談で割と聞く施設だけど、地元だと見た事も聞いた事がないのよね
父方の実家では土葬が長かったからかな
今回は近代化以降しばらく日本最大の幹線道路であり、現在でも高規格な道路の峠を扱いましたが、
もっと交通量の少ない峠だと、本当に寂しい山道の途中に火葬場があった、ということはあったようです
亀山市関町は。名阪国道を使って通り過ぎる町です。のんびり亀山市の火葬場巡りをしたいです。
動画公開が前後してまだ紹介していませんが、名阪国道の旧道、国道25号沿いに火葬場があるのを知って、
関町も網羅的に調べることにしました
穴は刈った草を燃やすところなんじゃないかな?
どうもそんな感じのようです
関町の火葬路は煙突もなくて福井県のようですね
そうですね。
ただ、福井県の場合、煙突がない火葬場は扉がなくて横方向に煙を出す構造が多いような気がします
坂下の主要なお寺、浄土真宗でない浄土教?つまり浄土宗または時宗?
なんと、曹洞宗です!南無阿弥陀仏の石碑があるのは珍しいですね
@@saiba_moe 意外過ぎます
確かに霧島市国分共同斎場は葬儀場は中央典礼から荘厳社中央斎場変わりました。平安祭典や天国会館、家族葬の一想があって。しかし自分近くはJA葬祭のやすらぎあります、
4:56
唐突な小泉構文
ツッコミありがとうございます。
政治マターは扱いませんが、政治家語録は多用する方針で、
ご推察のとおり小泉進次郎先生の弁舌を参考にさせていただきました!