Soy español, aficionado a la segunda guerra mundial y a la aviación. Me encanta el Mitsubishi zero, su maniobrabilidad, su velocidad... Pero en ese avión los pilotos corrían un gran peligro al no poseer blindaje. Yo si fuese piloto en aquella época hubiese preferido ir en un avión estadounidense, sobre todo en un Mustang P-51 o en un F6F hellcat, pero hoy me encantaría poder pilotar un zero, ya que sigue siendo un avion muy ágil, muy ligero y maniobrable, pero en aquella época no me hubiese gustado ir en un zero y encontrarme con aviones estadounidenses, sobre todo si ellos son varios y yo soy uno.
日本人の繊細なデザインと感性が全てに配慮されている。美しすぎる
やはりお金のあるアメリカで大切に保管されてるのが一番なのかもしれませんね
返還された四式戦「ですよねー」
お前のこと一瞬反日主義者やと思ったわ笑
@@多々良長幸 疾風は帰国後飛べなくなったのは事実ですが、ウィキにあるような復元不能な状態ではなく直せば飛ばせるほどの状態だそうです。ただ零戦と違って現存があれ一機のみなので、資料的価値の観点から飛ばすという選択肢はもうないそうです。POFにある雷電と同じ状況ですね。
@@i_Ring 川崎の飛燕なんかあそこまで復元できるのだから飛行可能なんやろうけど
@@Keropyongemetrain あの飛燕は主桁が切断されているため桁をリバースエンジニアリングするなりしないと飛べませんが、疾風はエンジンも機体も割と状態が良く、それなりの整備で飛ばせる可能性があるそうですよ。
飛燕の修復は見た目だけのもので、飛行させるとなると新造まがいの重整備が必要になります。
貴重な映像、ありがとうございます。
現存機の飛行シーンは良く観るのですが、
乗り方降り方、操縦系の造作、主翼の折り畳み方
着艦フックなど、詳しく見れたのは初めてです。
そして何より、かつての敵機が仲良く編隊飛行するのは
感無量ですね。
私の祖父は海軍戦闘機搭乗員で空母瑞鶴に配属。まさにこの零戦21型に乗って大空を戦っていました。ちなみに機銃の発射ボタンは通常は操縦桿に付いていますが零戦はスロットルレバーについています。ちょうど写っていた「自転車のハンドルのブレーキレバー」がそうですね。祖父は飛行時間1000時間を超えるいわゆる「熟練搭乗員」でした。しかし大戦初期の日本海軍の搭乗員は「一番へっぽこでも外国では教官が務まる」と言われた世界一のレベルで、零戦の活躍はパイロットの熟練度にも支えられていたんでしょうね。
こうやってかつて敵同士だったP51やF6F、などと編隊を組んでみんなの目を楽しませてくれる、そんな平和が続いて欲しいです。
大変ご苦労様でした。
ずっと腑に落ちない質問があります。
日本は自由の為に、国籍を問わず人々の為に、戦ったのですが、アメリカは何の為に日本と戦ったのでしょうか?
世界に先駆けたモノコック構造の素晴らしい日本の工業の技術文化遺産です。その価値を認めて好きになってくれて😉やはりアメリカの方々がちゃんと残してくれうれしいです🙂。P51やP38、P40、コルセアやヘルキャット、メッサーシュミットやスピットファイア、フォッケウルフらと21世紀の青空をランデブーフライト してほしいです!✨スマートでカッコイイ先人らが作ったバトルバードらを永遠に残して欲しいです👏。
かつての敵同士だった戦闘機の編隊飛行は胸にぐっとくるものがありますね
ナオキナん さん
そうなんです。そのポイントを感じてくださり嬉しいです。
ビデオではあまり表現しませんでしたが。。。こんなに平和な世の中になってる。。と言いたいですが!!まだ戦争は起きてしまう世の中。😣
ワタシ25年以上前に茨城県竜ケ崎飛行場で零戦52型のフライトを見たんですが、オリジナルの栄エンジンの響きは今でも耳に残ってます。
21型同様、軽量なので滑走後わずか100m少々でフワッと機体が浮き上がったのには驚きました。会場のアナウンスで栄エンジンはパーツがなく
補修ができないのでエンジン出力40%に抑えての飛行でしたが水平飛行でも300㎞以上出てるとの事でした。
同時にP51ムスタングの飛行も行われましたがこちらは零戦とは対照的な飛行特性で水平、旋回共にとにかくパワフルという印象でした。
父から子供の頃、零戦は21型がバランスが良くて乗りやすかったと聞きました。昔の記憶です。ありがとうございました。
mini Iさん
お父様は零戦のパイロットでいらっしゃったのですか?
お国の為に色々お辛い経験をされたと想像します。
心から敬意と感謝を申し上げます。
ゼロ戦vsマスタングは、例えれば梅干しのおにぎり対カツサンドという感じがします。
昭和52−3年ころ、おそらくアメリカから飛ぶゼロ戦が日本に来日して、全国の飛行場を回ってくれました。自分は大学生のころで、浜松の自衛隊基地まで見に行きました。実際に飛ぶゼロ戦は感動しました。
私は桶川飛行場で観ました❗
エアロスバルとピッツ・スペシャルの曲技飛行も楽しみました。
なんて品格があって美しい飛行機なんでしょう….
航空機全般興味がなく、旧帝国海軍のこともあまり知りませんが、映像を見ていたら涙が止まらなくなりました。
なんて美しく、精巧なのか。エンジニア魂を見ました。
貴重な映像、ありがとうございました。
ダコタ・ブレィド社製で2004年に完成した「現用飴色」の零戦21型。機体表面の凹凸もなく、本当に美しい機体ですね。アニメ「風立ちぬ」をまた見たくなりました。
ゼロは美しいですね。
中島飛行機、車のスバルの前身社
日本が誇る工業製品🇯🇵
感動しました。
でも機体開発したのは三菱
レガシィの真意、この零戦の動画挙げて下さったりょうこさん,アランさん達のおかげでやっと見つけたられたような気がします。 ありがとうございました。 世界はEV自動車への流れですが、スバルはあのレガシィB4の心臓音は一般に乗用車として遺していって欲しいと願います。
私の祖父はこの21型を操縦し台湾で戦いました。米軍機と交戦し被弾。祖父と風呂に入ったときに尻半分がえぐられていました。海軍病院に収容され次は神風特攻隊員として出撃待機をしていました。ほどなく終戦。出撃なく復員しその後は航空自衛隊に入りF86戦闘機乗りになり日本の空を守っていました。もう15年も前に亡くなりましたが祖父はたくさん零戦話をしてくれました。
お祖父様の言葉一つ一つが貴方だけの宝物ですね😇羨ましい限りです。私の父はソロモン諸島の南方に海軍として行きましたが殆ど話ししてくれないまま逝ってしまいました。
Soy español, aficionado a la segunda guerra mundial y a la aviación. Me encanta el Mitsubishi zero, su maniobrabilidad, su velocidad... Pero en ese avión los pilotos corrían un gran peligro al no poseer blindaje. Yo si fuese piloto en aquella época hubiese preferido ir en un avión estadounidense, sobre todo en un Mustang P-51 o en un F6F hellcat, pero hoy me encantaría poder pilotar un zero, ya que sigue siendo un avion muy ágil, muy ligero y maniobrable, pero en aquella época no me hubiese gustado ir en un zero y encontrarme con aviones estadounidenses, sobre todo si ellos son varios y yo soy uno.
伯父は16歳で軍隊志願して、四国のほうで零戦をつくってました。2024年7月12日他界しました。特攻隊見送って帰ってこなかったと言ってました。
うちの祖父叔父は実際に零戦乗りで、終戦間際も特攻隊で出撃して不時着して助けられて終戦を迎えた人だったよ
因みに兄の祖父は武蔵の後方副砲手でフィリピン戦線から生きて帰って来て、グラマンの空襲の日の事を色々話して聞かせてくれました。
貴重なお話を聞かれましたね。当時の航空兵科の軍人は体力、知力が優秀だと先輩から聞きました。《マニュアル操縦だから尚更》
壮絶な戦いをした、機体が現在は仲良く飛行しているなんて本当に素晴らしいです、時間はかかるかもしれないけど仲良くなれる大変な時代ですが、無理ではないとゆうことを再確認できました。RYOKOさんいつかは、操縦できるといいですね。さらに英霊のパイロットも喜んでくれると思います、感動しました。
十河義勝 さん
素敵なコメントありがとうございます。
そうなんです。実際そのフォーメーションを見た時、強く感動してしまいました。でも残念ながら他の国ではまだ戦争をしているという現状がありその事もしっかり受け止めていかないと。。。と同時に思いました。悲しいです。
認め合う パワーゲームではく
零戦の魂 空の姿 再現してくださってありがとうございました。 大洋を渡って無事に帰りついてくださいね。
国内地上波で昨今、プロペラ機の国際レース放送していないのはウクライナ紛争の影響でしょうか? 何よりまずは停戦し無益な流血やめて欲しい。 ブチャの蛮行他戦争犯罪裁かれたし。 プロペラ機ファン
マニアックな物知りさんからは色々突っ込まれるかもしれませんが、普通の方から見たらすごく貴重な映像ですね。この操縦席に乗って戦いに向かったんだと感慨深いです。Thank you very much for sharing precious video! Great work!
マニアと言うかキチガイですが,機体だけでも十分嬉しいですよ。
欲を言えば榮で飛んでほしいですが,忠実再現はノンフライアブルで再現していただければ宜しいかと。
因みに自転車のブレーキは機銃の引き金ですね。
あなた様も趣味人ですよ。趣味を通して何か大切なことに気付くことがありますよね。この動画は素晴らしいです。
機体色が明灰白色じゃない。ひところ議論された「飴色」ってやつ?@@SSN921
解説が実に正確で聞いてて気持ちいいです。
プロペラに弾が当たらないのは、プロペラ同調装置のおかげです。
これはプロペラの回転速度が機銃弾より遅いことを利用し、歯車の組み合わでプロペラがくる前に機銃弾を発射する装置です。
なお操縦席の機銃はライセンスを取得したヴッカース7.7mm機関銃を航空機用にしたもの。主翼にはライセンス生産したエリコン20mm航空機関砲が装備されています。エンジンはこれもライセンスを取得した米国のプラット.アンド.ホイットニー社製星形エンジンに改良を加えたもので、エンジンスターターは無く、整備兵が手動でプロペラを回しエンジンを始動させたそうです。 ※元海軍整備兵だった方の実話より。
零式艦戦は米国のグラマン戦闘機と同じく、航空母艦から飛び立つ艦載機です。
1945年8月16日に進駐してきた米国海軍航空隊のF6Fヘルキャッツに乗せてもらった第二航空艦隊鈴鹿航空隊の元零式艦戦パイロットの話によると、F6Fの操縦かんはパワーステアリング付きで、パッキンが上等なうえ航空ガソリンのオクタン価が高く、操縦しやすく加速度は抜群だったそうです。
ところが零式艦戦にはパワステは無くパッキンも不良。操縦席が油だらけになるので出火を防ぐため空戦中でも窓を開けたそうです。しかしそれ以外は空戦性能抜群の戦闘機で、日本人の体格に合った戦闘機だと語っていました。
零式艦戦のエンジンにはキャブレターが3つあり、1つ目で3千mまで上昇し水平飛行、2つ目のキャブで6千mまで上昇し水平飛行、そして3つ目のキャブで1万mと言いたいのだが、大体7千mを超える辺りからアクセルを踏んでもエンジンの出力が上がらなくなり、もたついていると高度が下がり始めたそうです。これはターボチャージャー(過給機)がないのが原因ですが、これが1945年頃の日本の工業力です。
この話は航空母艦「瑞鶴」制空隊員としてマリアナ沖海戦に参加され、生き残った方の実話ですが今は故人です。霞ヶ浦の海軍航空学校を卒業した84名の戦闘機パイロットで、生き残ったのは僅か8名だそうです。
空戦の話を教えてほしいと頼むと、『日本軍が生き残っても米軍パイロットは死ぬのだぞ。二度と戦争はするな!』と言って怒られました。操縦された機体は、零式艦戦52型と54型、そして雷電です。
最後に日本陸海軍の戦闘機パイロットは英語がペラペラだったことをお伝えします。ただしBritish English です。帝都防空隊として千葉県松戸に駐屯していた陸軍航空隊戦闘機パイロットの方も英語は堪能でした。
この方も故人ですが、8月17日に進駐してきた米軍にマスタング戦闘機の操縦席に乗せてもらったそうです。英語力と、米軍がパイロットをエリートとして厚遇した結果だそうです。
上田利典さん
戦争経験者からの情報を教えていただきありがとうございます。
日本もアメリカのようにあちらこちらで戦争経験者の方々のお話を聞ける機会があれば戦争当時の悲惨な状況などより正しく理解できると感じました。
貴重な情報ですね。ありがとうございます。
零戦のキャブレターは一つです。過給機の切り替え段数の事を間違って聞いたのだと思います。中島栄21型は日本独自設計のエンジンですし、アクセルを踏むとか、そもそもありえんですね。飛行機には足ふみ式のアクセルは付いてません。燃料流量をコントロールするのは、今も昔も、手で操作するスロットルレバーですわい。
また、日本陸海軍のパイロットが全員英語ペラペラは明らかな間違いです。戦後、かつての名パイロットたちが大空へ復帰しようとしたときに、最も障害となったのは英語の壁でした。それから零戦にも過給機(スーパーチャージャー)は装備されていて、装備されていないのは排気タービン式過給機(ターボチャージャー)です。
貴重な映像ありがとうございます。
プロペラ同調装置ですね、プロペラの回転数に合わせて機銃を発射してます。
21型は、多くの零戦の搭乗員が良い機体だったと言っています。
日本の撃墜王の岩本徹三氏や坂井三郎氏も21型が良いと言っています。
21型は、零戦の中でも一番だと自分も思います。
開戦当時の零戦の性能も凄かったが、一騎当千の搭乗員の神に近いレベルだった事も忘れてはならないと思います。
零戦の性能で熟練パイロットが操縦したから、開戦当時は無敵を誇った訳です。
1対3で空戦の訓練をして、マスターした者は1対5までの訓練をしたそうです。
それにしても零戦は21型が一番美しいと思いますね。
32型「ん?」
? 被弾してからでは遅い。 事故防止 発生率 保証制度
当り前 自分の 他
指示,解釈ケアマネジメント 有 必要 指揮官 。
これは凄い。中島飛行機で製造された零戦のボディカラーはアメ色で三菱とは違うがそれまで再現されており、コクピット内部の復元も相当レベルが高い。形式はA6M2bですね。😃垂直尾翼には「AI」なので空母赤城所属部隊を示し、第1飛行隊(?)129番機という意味でしょうか?"AI-"という標識は昭和16(1941)年4月から昭和17(1942)年6月までの間使用されています。😂
Ichiro Matsuoさん
ご視聴&コメントありがとうございます。
カナダを始めアメリカの会社が専門家を集め限りなく元の飛行機へと復元をされたようで、きっとこのようなコメントはこの零戦に関わった全てのスタッフが大喜びされることと思います。
私は全く詳しくないので色々なことを皆様のコメントで勉強させていただいてます。
いや、、この機体には感動するほどの物語があるので驚きました!
@@RyokoAlansFlyingWorld 日本軍機の専門家でスミソニアン博物館で勤務経験のあるロバート・C・ミケシュ( Robert.C. Mikesh)という方が1994年頃にアリゾナのメサ、チャンプリン・ファイター博物館で旧日本海軍の紫電改の復元に関わられていました。この方は日本軍機の専門家で著書も多数出版されています。ヒストリーチャンネルでも日本軍機に関しての解説を行っておられる方です、もしこの方が監修に関わっておられるなら完ぺきでしょう。😂
零戦!私がアメリカにパイロット留学した時のホストファーザーが零戦を飛ばしてた為、ハンガーに置いてありました。おそらく零戦を教えられる唯一の日本人教官のはずです。
見入ってしまいました。高画質で素晴らしい映像ありがとうございます。
9:25 自転車のブレーキレバーの様なレバーは機銃発射レバーです
操縦かんに無いのは引き絞る時に操縦かんを動かしてしまい、狙いがズレてしまわないようにするためだそうです。
凄いね❤しかも、
これを手足のように自由に使いこなし、
B29やアメリカ戦闘機を何十機も撃墜した神技の
エースパイロットがいたと言う。また、 零戦の当時の最先端技術が素晴らしい。さらに零戦開発に辺り命を落とされた有名パイロットなど、
それが、現代に形となり
残っていることが、
当時の携わった先人の
生きた証でもあり、
素晴らしい❤
美しいよね。日本人以外でも感性としてこの美しさがわかるのかな?
Without a doubt, the Type 21 was a legend.
当時欧米列強と渡り合えた素晴らしき日本の誇り。先輩技術者に敬意をはらいたいです。
一度だけ地元にオリジナルの21型が飛んできたのを見た事があります。その機体は栄エンジンでした。
主翼先端の折りたたみや搭乗用ステップの格納ギミックが見れてとても貴重ですね。
機銃はプロペラの回転速度に連動して発射タイミングが取られている為間違ってプロペラを打たない仕組みになっていると聞いてます。
本当に美しい形。
復元技術が素晴らしいですね、まるで新品みたい。
12:54
最後に零戦(れいせん)って言ってくれたのが何故か嬉しい。
スロットルに自転車のブレーキレバーみたいなのが有るが、機銃発射レバー。スロットル先端に7.7mmと20mmの切り替えスイッチが有る。プロペラ同調銃を採用したのはドイツと同盟国の国だけ。元々第一次世界大戦のドイツの技術。
「うらやましい」の一言ですねー。
「いいなー」と思ってしまいます。
この零戦はエンジンスワップ後、修理とメンテナンスのために純正中島栄S12エンジンが入庫でした。そのままp&w製r-1830ツインワスプが同じのダグラスDC-3ダコタを使用です。また、別の零戦が純正栄エンジン付と、トレイニング飛行仕様です
凄く貴重な動画、ありがとうございます。
何かの特集で、地上波で流してもいいレベルの映像。
That's great. It's Zero the fruit of your hard work.
Please save It's Zero carefully. Thank you.
機銃がプロペラに当たらない理由はプロペラの軸に出っ張りがありカムがその出っ張りを乗り越えると機銃が発射されます。要するにカムがプロペラの撃ち抜きを防止するスイッチの役割をしてる感じです。
当時の工場出荷状態はこんなにつるつるでピカピカだったんだろうなぁ。良い物見せて貰いました。
プロペラに当たらない 弾丸が小学生の頃
理解出来ず45年たってしまった。
熱意が素晴らしいですね。結果はどうなるかは別にして、視聴されている方の、夢ものせてます✊😊頑張ってくださいね!
貴重な映像ありがとうございます。
やっぱり零戦は21型が一番美しいですね。いつかはアメリカに行って見てみたいです。
飛行機に興味を持ってもうすぐ半世紀、零戦の搭乗用ラッチ?と翼端折り畳みの操作方法を初めて見る事が出来ました! まだまだ勉強不足を痛感しますw 動画アップ有難うございました!
敵同士だった日米の戦闘機が仲良く飛行する様を見ると胸が熱くなりますね。
コクピット内、左側の機銃の下にある少し小さめのメーターは
セイコー(当時は精工舎)が製造していた「一式計器時計」と呼ばれていたものですね。
綺麗な状態で残っているオリジナルは非常に少ないらしいです。
取り付けられているのは復元されたものなのかな?
ちなみに中身の機械は、元々は鉄道運行管理用時計向きに作られたもので
戦後も作り続けられて広く普及し日本の鉄道を支えました。
大戦中もハミルトン社にパテント料を払っていて、敗戦後に待って貰おうと話したら大変だろうからもう結構と言われた様ですね。
それは逆で戦中の製造分を戦後に払いに行ったら呆れられたという話だったと覚えています。
@@soundonly2 私が聞いた話では戦時中に滞納した零戦に使った分の支払い交渉でアメリカは日本の復興に配慮して免除 逆で?◀支払ったと聞いたんですか? どっちでも構いませんが文章が否定してるのに呆れた結果について述べてないのが不思議でコメントしました
@@のもとしんいち 1:住友は戦争中も製造して三菱と中島に売っていたのでハミルトンに支払うべき特許料が発生していた。しかし住友は払っていなかった(戦争中は日米間の国交が断絶しているので支払う/決済するルートがなかった)(プロペラアセンブリーとプロペラスピナーは住友がセットで製造して各社に販売していました)
2:戦争が終わって国交が復活したので住友はハミルトンに滞納分の特許料を納めに行ったというか「払います」という話をした
3:ハミルトンは「戦争をやっている相手国(米国)が持っている特許で作った分まで特許料を払う」という住友の律儀さに呆れた
4:「まあ今は住友も金がないだろう」と思ってハミルトンは特許料として住友に総額で1ドルを請求した
5:住友は1ドルを払った
と理解しています。去年書いた短文は上記を要約したものになっていると思います。
21型を「にじゅういちがた」と読まれていましたが、これは二桁の数字ではなくもともとは一号二型という呼び方で、それぞれ分類の違うバージョンナンバーなので「にーいちがた」と読みます。32型は二号三型で「さんにーがた」、52型は二号五型で「ごーにがた」という具合です。
プレーンズ・オブ・フェイムの52型は見慣れた感がありますが、やはりこの塗装の21型はよいですね。奇しくも世の中、車やバイクでも「ねずみ色」が流行りのようでもあります。
defy51 さん
ありがとうございます。学ばせていただきました。
数年前、レッドブルエアレースに展示飛行で来た零戦(別個体)を見て、「あれ本当に飛ぶんだ」とか間の抜けたことを思わず呟いてしまった
Tal vez el ZERO es uno de los aviones más famosos,icónicos y bello de toda la historia...un fuerte abrazo desde Argentina 🇦🇷
一応は復元機なんでしょうけど、実質的にはリバースエンジニアリングの新造レプリカで、オリジナルの部品は動画にあったギアの支柱のほかに数えられるくらいなんでしょうね。その方が長く飛ばせていいですね。
完全オリジナルの61‐120はもうだいぶやれてて飛ばすのは精一杯みたいですし。
プロペラが機銃の前に来た時、安全装置が作動して弾が発射されません。ですが、プロペラの回転速度がとてつもなく速いため、あのように連射ができます。(とてもザックリ
こんなに美しく復元してくれてることに感謝ですね。翼の「ノルナ」や「オスナ」の表記もそのままですね。
操縦席の映像ありがとうございました。視界が割と良いようですが、反面、防弾的には良くないのでしょうね。
7.7mm機銃は、プロペラの回転と同期させて弾丸が当たらないようにしていると坂井三郎氏の本で読んだことがあります。
でも連続して機銃を打ち続けると、暴発して無関係に弾丸が出てしまい、プロペラに当たることもあったそうですよ。
秋飛行バイクch さん
情報ありがとうございます。昔の機体は本当に情報が色々あり奥が深く難しいです。コメントありがとうございます。
坂井三郎氏が零戦の欠点は語っている。当時、現場の意見を聞かす「ションベン弾」と
言われた20mmを使い続けた上層部。坂井氏はムスタングの12、7mmを羨ましがっていた。
「20ミリ失敗論」ですが、確かに坂井氏をはじめ零戦パイロットの意見を聞くと、そう思うのですが、陸軍パイロット証言を聞くと、必ずしも20ミリが失敗だったとは思えなくなる。陸軍パイロットは、とにかく隼の火力の弱さに閉口していたから。
小便弾だったのも、あれは零戦の20ミリがスイス製のエリコンだったからで、もし、それが、飛燕でも使われたドイツ製のマウザー砲なら、坂井氏の評価も、また違った物になっていたんじゃないでしょうか?
そうですね。この零戦も飛行可能な機体でしたね。リバースエンジニアリングでほとんどを作り直し、各種プレートやステンシルは専門家の資料等を参考に作り直したものと専門誌に紹介されてました。オリジナルも若干あるようです。
着艦フックは、元々素材が腐食しやすいので新規に作り直しと聞きました。
飛行ライセンス、日本人では1人しか取ってないと思います。取れて大空飛べること願っております。
So beautiful .I`ve always love those lines and the history of that plane (subarashii)
大戦当時のものより品質感が高そうにも見えます。今年に入ってから大戦中の映像で操縦士か整備士がフラップに勢いよく飛び乗っているのを見て驚きました。0,6ミリ前後だったと認識してますが必ずへこむわけではなっかったのでしょうね。
基本的にどの兵器も長く使うために運用法は耐久性に対して余裕を持たせて定めてるからね。
ピッカピカ!!
美しい21型ですね♪♪
素晴らしいですね♪♪♪
確か再生ゼロ戦などは皆オリジナルに近づけつつ現代の航空法に必要な装備類も装備されてるんですよね♪
山田英二さん
その通りなんです。現代の法律を考えながら飛行可能に持っていくのは恐ろしい時間とお金をかけたプロジェクトだったと想像します。
できるかぎりオリジナルに近づけたい、、、でも現代では難しいなどなど。このプロジェクトに携わってくださった方々に感謝いたします。
中島製の同型機を河口湖で見ました
綺麗な機体ですね、大事に保管されていることに感謝です
素敵な動画ありがとうございました
素晴らしい!解説ありがとうございました。
ムスタングにヘルキャットにゼロ戦に素晴らしい♪さすがアメリカ!
カウリングの二丁の機銃はエンジンのカムシャフトと連動してペラに当たらないらしいです!零式艦上戦闘機の整備士だった爺ちゃんが言ってました!🫡
これは良い事聞いた
幕張で飛行機レースをやっているときにゼロ戦のデモフライトを見ました。今にして思えば相当貴重な体験だったのですね。
この飛行機で戦いに行ったり、特攻に行ったりしたところを想像すると、涙が出そうになりますね
追悼飛行に日米の飛行機が一緒に飛んでいるのが美しい。
日米の英霊の皆さんも、(ご存命の方も含め)生き残った日米の搭乗員の皆さんも、きっと喜んでくださっていると信じたいです。
Thank you for teaching me about the Zero. 👍🏼
Ryoko様 久々のUP良かったです うらやましい限りですね 触って試乗できるなんて日本では不可能ですもん 次回も期待してますよ
なんか、ゼロ戦まで植民地で捕獲されてる感じで涙が出る。
@@NyasdaqCatGPT
日本国ではしてもらえないこの素晴らしい機体を復元しようと国境を越えカナダ、アメリカのチームが立ち上がり限りなく現代の法律に通る状態で飛行を可能にしてくださった方々の愛の結晶くらいに私は感じてしまいます。
興味深く拝聴しました。子供の頃から零戦が好きで今もラジコンで零戦を飛ばしています。模型でも21型や22型はとっても飛ばしやすいです。
かつては永遠といっていいほど撃ち合っていた彼らも今は撃ち合わずに余生をすごせることに平和の大切さをすごく感じる
零戦の設計は、堀越二郎さんが、徹底的、心底、精神を注ぎ込だ、世界屈指の最強戦闘機ですね‼️
とは言え、日本は、物資、燃料など不足していたことが終戦、間際に、アメリカ戦闘機に、
撃墜されてしまった、不運の戦闘機になってしまったのですね‼️しかし、その技術、精神は、
現在の日本人に引き継がれていると思います、日本が、現在のような、技術的に世界に誇れる国に、進化したことが、零戦を設計した堀越さんの精神が生きている証拠だと思います。
改めて、零戦の素晴らしさを教えて頂いたことに感謝します❣️
やっぱりゼロは世界の飛行機の中で一番美しい
機銃の球がプロペラに当たらないのは「プロペラ同調装置」というものがあって、プロペラに当たらないようにタイミングを調整しているんだそうです
零戦、
最高のスタイル。
素晴らしい❗
また、日の丸が良いなあ。
エンジンがアイドリングでも飛べる飛行機。
操縦は楽と聞いている。
メッサー、フォッケ、マスタングいずれもスピードを維持してないとすぐ失速するので、気を抜けないらしい。
自分が知っている機体は、ゼロ式艦上戦闘機52型です。
コックピット内は今でも覚えていますが、アメリカに有る機体のコックピットとは違いが有ります。
多分アメリカに有るのはオリジナル+扱いやすく継ぎ足しになっているのかなと思いました。
中央上寄りにある横滑り計とロール計だけオリジナルであとの計器類は似た形はしていますが全部別物ですね。サイドにあるスイッチパネル類も別物です。スロットルレバー辺りは割と精密に再現されてありますね。
11:36 これ、空母に搭載するための機構ですよね?すごい👍
誠に日本機は綺麗ですね。アメリカ機は頑丈でリスクを推察した造りが特徴ですね。確かに構造が時代高額もあってシンブルです。説明女性は上手いですね。
昭和41年陸上自衛隊大村駐屯地に零式戦闘機が到着し展示しています!よ。元自衛隊に所属していました。
機銃のプロペラ同調システムですがエンジンの回転をカムシャフトで取り出してプロペラブレードと、次のプロペラブレードのタイミングでカムに突起を作って機銃の撃鉄からピアノ線を伸ばしてカムに連携してプロペラブレードの隙間から7・7ミリを撃つメカニズムらしいです!(細いタイミングの計算は難し過ぎて分かりません)
零戦はまごうことなく三菱製ですが増産が三菱だけでは間に合わず中島も生産しています!中島製の方が制作工程が少ないのだそうです!中島製と三菱製のみわけるポイントの一つが胴体日の丸の白縁の幅の違いなのです!
他にも濃緑色塗装の機体の場合下面の明灰白色の塗り分けの境が胴体翼面から水平尾翼方向への巻き上がり方が違う様です!
モデラーにはたまらんな
良い資料映像だわ
ピッツスペシャルに乗りましたが、やはり足をかける場所が決まっていたのを思い出します。
零式艦上戦闘機美しい機体ですね\(^o^)/
昔所沢にプレーンオブフェイムスが所有する52型を見に行ったり
鹿児島で22型の操縦席で写真撮影会行ったりと大好きな大戦機です🎵
こんにちは、空母用の説明が、新鮮で良かったです✨。主翼が折れ曲がるのが、昔から、良く分からななかったのでした!中学校からです。
新潟のボケ老人72歳です。ありがとう。
ご視聴ありがとうございます😊
私は新潟で育ちました!
おすすめ動画で初めて拝見いたしました。
早速お気に入りに登録させて頂きました!
これからも珍しい機体の詳しいレポートお願いします!!
FG-1Dコルセアの字幕がずっとコースエアなのが気になる…。それはそれとしてスロットルレバーが自転車のハンドルみたいになってるのはスロットルレバーと機銃の発射レバー(当時風に言えば絞弁把柄と発射把柄)が一緒になってるからですね。自転車のブレーキレバーみたいに見えるのが機銃発射レバーです。スロットルレバー先端に付いているボタンみたいなのがコックピットからも見えている九七式7.7mm機銃と主翼に搭載されていた九九式一号20mm機銃を7.7㎜機銃単独発射にするか7.7mm機銃、20mm機銃両方を同時に発射するか切り替えれるスイッチです。ちなみにハミルトン・スタンダード製の定速プロペラは可変ピッチ自体は画期的なものでしたが1940年当時は戦闘機に装着されるプロペラとしては旧式でした。その当時にはすでに油圧式のような機械式ではなく電動式のガバナーを備えた定速プロペラがありました。あと、零戦の視界が良いのは空母に着艦するために下方視界を重視した結果ですね。アメリカの戦闘機が視界が日本の戦闘機と比べて悪いのが多いのは陸軍機に限らず海軍機もなのですが例え着艦でミスっても正規空母とは艦隊に随伴している護衛空母にスペアがあるから1機2機損傷したところで構わないといった感じです。
0323蚊龍さん
ご視聴そして情報ありがとうございます。大変勉強になりました。
英語の言い方をそのまま書いてしまいました。日本語ではコルセアですね。ありがとうございます。
@@RyokoAlansFlyingWorld 蛇足ですが、戦争中の日本の陸海航空隊員で、この機体をコルセアと呼んでいた人はいませんでした。では、なんと呼んでいたかというと
ヴォート・シコルスキーF4Uと呼んでいたのです。
前線の海軍戦闘機隊のパイロットたちが、当時歌っていた歌「搭乗員節」の歌詞に
「ソロモン群島 がダルカナルへ
今日も空襲大編隊
翼の二十ミリ 雄たけび上げりゃ
落ちるグラマン、シコルスキー」とある、そのシコルスキーは、このコルセアのことです。
お疲れ様です。
試験飛行の際、各務ヶ原の飛行場まで名古屋の三菱の工場から牛車に載せて運んだ逸話は有名ですね。当時の未舗装の凸凹道を自動車で運ぶと機体にダメージを与える可能性があったからだそうですね。
機体の塗色については諸説あるそうですが、薄い緑色(アーミーグリーン)であったという説が有力ですね。
さらに、それが空母運用時に甲板の上で、紫外線の影響で塗装が〝粉〟をふいた〝チョーキング〟を起こし、色褪せて白っぽくなったのを飛行中の空の色をパックに視た為に〝薄い灰色〟に見えたのだろうという事だそうですね。
現役プロペラ機 パイロット室屋氏のさらなる活躍、期待してます。
現代の零戦(チューニングアップされた機体)で大会参加も面白いかも知れない。
こういう乗り物に対するアメリカ人の本気度は尊敬に値する。
ウォーバード達をここまで再現できるのはアメリカ人しかいないと思う👍
Ryokoさん、Alanさん、本当に久々のUPありがとうございます。しかもナント!今回は零戦のご紹介とは!Amazingです。これからまた、Ryokoさん達のホットな動画を楽しみにしています。(^^)
こんにちは、操縦席の前の機銃は第一次世界大戦半ばにアントニーフォッカーが開発したプロペラ同調装置をさらに高精度化した装置を装備しているので基本的にはプロペラが機銃口の前にくるタイミングで発車出来ないようにしてあるためにプロペラには当たりませんと言うことです、
次郎丸さん
ご視聴そして情報ありがとうございます!
それにしても素晴らしい仕上がりです
大戦当時の生産機では隣接フレームのコンターラインがズレていたり、リベッティング作業者のスキル不足もあったりで外板は酷く波打っています。
それは大戦末期の勤労動員の学生たちが工程に加わり始めてのちの話であって、開戦当初の、特に、三菱製の二一型の表面品質は、沈頭鋲をさらにパテ埋めしてつるつるに磨き上げた、この動画の機体に勝るとも劣らない素晴らしいものでした。
そもそも外板も薄くしすぎて却って平滑性が損なわれるレベルでしたからね。工場ではきれいに仕上げても、戦地ではいくら整備兵が一生懸命磨いても飛ぶたびにヨレヨレになっていきました。
Is this Zero on display anywhere? Any way to come see it? Beautiful restoration of a beautiful warbird.
Yes, it is a beautiful ZERO. Unfortunately this airplane is a personal collection so usually nobody can see the airplane. Thanks for your comment!
そこの7,7mm機銃はプロペラが通り過ぎた後に発射するように調整されてますので、
若干タイミングがずれるみたいです。
当時のゼロ戦パイロットの話では、調整がずれて、たまにプロペラに当たってた機体もあったそうです;
当たったと言っても、太い芯の所ではなく端だそうです
シンプルな、機体かっこいい。
零戦も綺麗で美しいけど、個人的にはマスタングのメタリック塗装が綺麗すぎて痺れた
現代の塗装技術は本当に素晴らしいですよね。
コメントありがとうございました。
Jiro Horikoshi would be pleased to see this.
世界唯一無二の尾翼。綺麗な飛行機だと思う。遺してくれた人達に感謝。
毎年7月末にアメリカ、ウィスコンシン州 Oshkosh で開催される AirVenture という1週間続く航空ショートで、この機体は見ました。もちろん、飛んでいる姿も美しいかったです。私も、Private pilot license を持っているのですが、いつか、このゼロ戦を操縦できるようになりたいです。
ninさん
尾輪式のご経験はございますか?
零戦は尾輪式の機体ですので、今からガンガン飛んじゃってくださいませ!
ココまで大事にされ綺麗な状態でレストアされてるのなら湿気の多い国内でなくても納得いく
室内は当時のメタリックグリーンで塗装しなかったんですね足元のみ当時の色が少しだけ残ってたけど
コクピットの色はこれで正解。三菱色より薄い中島色を再現している。青竹色はコクピット以外の機体内部に使われていた。
素晴らしい!ツシノ航空ショーかと思いました。
確かこの機体はリバース・エンジニアリングの復元機で、バラレから回収した残骸は主に採寸に
使われて、仮にオリジナルの部品流用でも12%程度に留まっているはずです。12%流用なら
エンジンが栄でなく、外板等が新品と交換されていても復元機と名乗れますから。
日本では管理できない!
飛ぶものも飛べなくなる、アメリカにあればこそ幸せな零戦だね。
日本は疾風で前科があるからね。日本に置くのは壊すのと同義。
専門用語バリバリの解説にびっくりしました
羨ましい〜〜〜〜〜〜〜〜〜‼️‼️21型のコックピットに乗れるなんて羨まし過ぎる😭😭自分の夢は零戦52型のコックピットに乗ることです‼️‼️