孫武|「孫子」の著者が実戦した結果!孫子の兵法をご堪能あれ【春秋戦国時代/呉越戦争】
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- Опубликовано: 10 сен 2024
- 「孫子」の著者である孫武。
時代は紀元前500年代。
伍子胥、范蠡、孔子と同時期に生きた戦略家。
孫子の兵法は有名であり、曹操、武田信玄、ナポレオン、ビルゲイツと時代を超えて多くの人に影響を与えています。
では実際に「孫子」の著者である孫武は一体どのような人生を送ったのでしょうか。
実際の戦略はどうだったのでしょうか。
是非ともご堪能ください!
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孫武の実際の武功はよく知らなかったので動画で分かりやすく為になりました
孫子は、この動画で言われてるほど何やったか分かって無いです。残ってるエピソードらしいのは、最初の寵姫を斬った練兵話だけです。謎が多いとか説が多いとか活躍が分かってないとかではなく、残ってるのは書だけです、現在も実在性は確実視されてません
現在まで残っている孫子兵法は『魏武注孫子』つまり魏の武王であった曹操が元々孫武、孫臏それぞれ数十遍(?)に分かれて存在していたものを自ら13遍にまとめ上げて注釈まで付けたものだそうで曹操はかなり頭が良かったんだろうなと思います。ただ恐ろしく忙しい毎日を送っていただろう事を考えると、よっぽど勝利のための知恵を自分のものとして身に付けたかったんだろうなと思いますね。まあ曹操も最後は司馬懿に王朝を掻っ攫われてしまった訳なんですが..
曹操は王朝をかっさらわれていないですよ。
曹操の孫がかっさらわれたんです。
孫のやらかしを、曹操がやられたと言うのは違うのでは?
曹操の時代に司馬懿や司馬一族が、何か企めたかと言えば100%無理だったでしょ。
クーデターやっても即効で潰されて終わりです。
曹操は そもそも 皇帝になっていません。 皇帝になっていないのにその時代が 王朝 なわけないでしょ。 形だけですが後漢王朝の最後の皇帝に従えていたわけでしょ。知ったかぶりで色々と書かない方がいいですよ。
掻っ攫ったのは司馬懿の息子の司馬昭で、掻っ攫われたのは曹操のひ孫の曹髦なんすよ
本当に勉強になります。楽しみながら簡単に入って行けます。今後もよろしくお願いします。
ありがとうございます!そう言っていただけて嬉しいです。
定期的に配信していきますので、今後ともよろしくお願いいたします!
孫子の兵法書は、若いうちに読む事をお勧めします。
確かに、孫武、孫文なのか今でも解りませんが、日本に孫子の兵法書が入った時の誤りかと。
かの、武田信玄は有名な風林火山。
この頃には、後の、竹中半兵衛、
黒田官兵衛らも、兵法書を参考にした様な、戦略立ててますね。
世の中、一直線では無く立ち止まる勇気が必要だと孫子は語ってます。
本日も、楽しく視聴でき日本の戦国時代迄行きましたが、それ程影響力が強い孫子の兵法書。
いつもありがとうございます!
確かにこれだけ影響を与えている兵法書はないかと思います。
孫臏兵法もやりたいです!
孫武の美女二人の首を刎ねた逸話は
秀逸ですね。軍権(兵権)を将軍に
委ねることは国王にとってもかなり
我が身にも危険なことではなかったのか。
後の秦の時代の白起や王翦の身の処し方に
影響を与えていますよね。孫武恐るべし。
エピソードはびっくりしますよね。
王によってはと言ったところでしょうか。
伍子胥の支えもあったのだろうと思います!
いつもありがとうございます♪
孫子の兵法、普段、本を読まない私ですが、これだけはよく読みました。
昔の兵法書ではありますが、心得書的な側面もあり、現代にも必要な知識かと。もちろん戦争だけではなくて、ビジネスにおいても大事な事が書かれていると思います。
孫武の著書、孫子を改めて読んでみると原理原則を踏まえて当たり前の事を利用し
効率よく的確に相手なり自分なりに損益を与えていく技術はまさに天下の奇才とい
うに相応しくあり、呉王にしつこく何回も推薦した伍子胥もかなりの才気の持ち主
であるからこそ孫武の才が活かされた経緯があります。凡人では孫武の才気は見抜
けなかっただろうし闔閭もただの暗君であれば怒りに任せて孫武の首を刎ねていた
でしょうし、一見偶然に見えても必然的に傑物は出て来るのかもしれませんね。
失礼します。ご指摘のとおりですね。特に、仮に闔閭が孫武の頸を刎ねるなどしておれば、伍子胥の顔を潰すだけでなく、伍子胥が呉を去ってしまう懸念もあったと思います。それすらわからなければ、闔閭はただの暗君となつてしまいます。
返信ありがとうございます。自然界で言うなら虎が生きる為には環境が整っていないと
ダメな訳で、どこか一つでも崩れていると長くは生きられないものです。
英傑がまとまって現れるのはある種の条件が整った状態であることも関係している
のかもしれません。
@@icch100 さま
そうですね。我が国も、どこかに虎が生まれているかもしれませんが、バラバラに生まれておれば結局は虎であつたことも現れずに終わってしまいます。古代中国も、記録に残らなかっただけでなく、記録が消えてしまった英傑も居たと思いますが、そもそも、英傑として世に現れることすら叶わなかった者も多かったと思います。21世紀に生まれて、孫武や伍子胥の物語を断片にしても知ることができるのは奇跡のようなことです。
相手に不利な状況と自分に有利な状況を効率的に作り出し最小限の労力で戦いに勝利する事が近代戦の真髄であり古代中華において格式ばった戦いに囚われずその思想に辿り着いた孫武の才は飛び抜けていますよね。
この時代は飛び抜けた人が集まっていたようで、とても魅力的なんですよね。
この兵法書でのちの歴史も大きく変わったんだろうなと思っています。
孫子の兵法で一番ショックだったのは、戦争は下策って、孫子自身が言っている事でした。Σ(・ω・ノ)ノ
「兵は凶事なり」ですね。本来外交でどうにかすべきで、戦はなるべくすんな、って明言してるのは本当に凄いですよね
面白かったです。個人的には無中生有とか好きです。裏の裏は表みたいな。
孫呉の兵法は、人間研究にほかなりません、戦争においては、戦わずして勝つのが最善としながらも際どい戦いが多い、老荘哲学思想においてはよくいくものは、てっせきなしとある、はで好き、目立ちたがりの側面もある、ただ命を捨てても、守りたいという親友がいたということは、ただのおめでたい人では、なかったといえる。孫子の兵法は、時を超え未だに読む価値ありだが知ったかぶり自慢は、恥ずかしくないですか
呉王の寵姫二人を斬ったエピソードは有名ですね。後宮を敵に回すと厄介ということはなかつたとすれば、呉王もそれなりに名君であつたということかと思います。孫武としては、思い切った対処だと思います。伍子胥からの日常の話で王の器量の程度如何を見込んだ上で、勝算は充分にあつたのでしようか。または、伍子胥の呉における重みを踏まえれば、王としても、孫武の対応を認めざるを得ないと見切っていたのでしようか。はたまた、彼としても、やっと拝謁が叶つたところ、このままくすぶっても致し方なく、ここ一番の勝負に出たのかですね(また、推薦してくれた伍子胥も、じっと、孫武自身の出方を見つめています)。
このあたり、どう思われますか? 登場人物それぞれの胸に一瞬のうちに去来するもの、重いです。
とにかく、エピソード自体はさらりと終わりますが、手に汗握る深い話です。
なお、当時は、まだ宦官勢力は余りなかったのでしようか?
豎刁がいるので宦官はすでにいたようですが、勢力となるとどうなんでしょう。
悪役でいくと趙高は有名ですが、勢力となると十常侍なのか。
@@zenreki さま
ご教示有難う御座います。呉はすでに宦官の制度があつたようなのですね。中国の宦官制度はいつからなのか、どのあたり(地域。例えば、北辺)からなのかと常々思っているところです。
後漢の十常待(約10人の中常待)ですが、やはりそれくらいの人数でなければ、「宦官勢力」とは言えないかもしれないですね。
何度も軍律を説明したのは、斉出身の孫武と呉の後宮の寵姫たちでは言葉が通じなかったから。かの国は同じ漢字を使っていても地域が違うと発音も違うのです。これは今でも影響が残っでいて、国内向けのテレビドラマに普通に字幕がついています。
言葉の壁。
諸葛孔明と劉備も出身地域が離れているため、言葉が余り通じていなかったのではないかと言う説もありますね。
なので孔明が文章に起こして劉備に読ませて、顔色を見て理解の具合を見ていたのでは?と言う。
誤ってるけど中華の事なんで許すw笑笑
お聞きしたいんですが
孫子の兵法、日本でたくさん出版されています。どれを読めば孫子の兵法をより良く理解できますか?
岩波の孫子が良いと思いますよ。
すぐ読めます!
@@zenreki
ありがとうございます。読んでみます。
孫子は経営戦略やビジネス・起業 企画に応用されるが、私 個人的には 生き方 処世の戦略の参考にするべきと考えています。例えば ギャンブル賭博 などは
負けない 損をしない
事を基本思考するなら
賭事に金を使わない
のが 最善なのだ。例え
賭事で2回に1度 勝っている者も1度は負けて損をしている。やらなければ絶対に損をしないだろう。
「孫子の兵法」で、「いただきりりちゃん」のマニュアルに対抗できるだろうか?
兵法の基本、人を知る事。。いろんな人がおります。と、私は思っています。
ちょうど、中国のドラマ、孫子兵法を見終わった所です。
伍子胥のその後も知りたく、動画を見させてもらいました。
簡潔にまとめられていて、とても分かりやすくて、いい動画になっていると思いますよ。
ちなみに、孫武と孫臏のどちらがホントの孫子なのか、孫武は実在しない人物なのでは?という問題に決着がついたそうですね。
2次大戦頃に、孫武の竹簡が発見されたとかで。
それまで、現在に伝わる孫子の兵法書は、三国志の曹操が編さんした物だけだった、しいですもんね。
曹操「うぽつ。とりま兵法書に注釈入れたわ。( ̄▽ ̄)」
曹操の仕事量は半端じゃないですよね。
一人ブラック企業ですよ!!!
呉の孫武なのに子孫は斉に逃れ孫賓となりますよね
孫子の兵法も孫武と孫賓両方ありますし
元々斉出身ですからね。太公望呂尚の兵法書も『りくとう』でしたって?あれも書いてある内容がえぐいです。あれを利用して藤原氏が平安時代天下を取ってますからね。孫子の兵法書も読んでたらとても面白いです。戦争は準備が重要で戦わないのが最上位って言ってるんですよね。ただ遊牧民には全然通用しないから異民族に制服されたりしてますが兵站の重要性とか本当にその通りやと思うわ。大東亜戦争で大本営は補給を全く無視したインパール作戦とかクズすぎると思ってる。アメリカって国は大量生産を目的として機関銃の弾とライフル銃を一緒にして生産効率をあげてるのに日本軍はライフル銃も種類があって弾が違うから弾があっても銃が違うから利用出来ないとか馬鹿な事やってんだよな
面白いです。もっと詳細でもよいくらいです。
私の体力が奪われる敵と味方が分からない
なんちゅう覇気のなさw
登録します😂
12:25 申包胥(ほうしんしょ)って誰?
しんほうしょだと思います。楚の重鎮です。
孫子の兵法書いたのは孫だったと思うぞw
孫貧w
という説が長らく主流でしたけど、孫臏の兵法が出土して、孫子と結構違うねって分かって、今は孫武作説が主流です。ちなみに孫臏はマゴではなく、百年くらい後の子孫(自称)ですが
…主さんは年齢層2層かしらん???…声がまだまだ若々しいから1層の可能性も有り得るですよね~…いずれにせよ若いと思いますので是非とも次回動画からは『いらすとや』を使わずにご自身の絵で勝負すればもっと伸びると思いますです…自分は既に3層の加齢臭野郎ですのでウザがられても、ついつい若人の可能性の話をしたくなるのです…😅
アドバイスありがとうございます!
イラストも全て自作したいところですが、とても追いつかない・・・です。
頑張ります!!!!!
孫武は人としては、悪人だね。
実際の戦争じゃないんだから、殺すなよ。
脅せば済む事!
いやいや、呉王の寵姫二人に脅したままで終わらせると、その後、二人に讒言される可能性が非常に高いから、処分して正解。
当時は軍隊の指揮者として任せられたんだから、信賞必罰は当然。
軽い気持ちで将軍としての器量を試した呉王の方が悪いのよ。
脅しただけで殺さなかったら、「アイツは口だけで実際に行動できるわけではないのだな。」って思われて却って舐められるだけでは?相手に舐められている状況を変えたいならば、時には厳格な対応も大事になってくると思います。
古代中国において、孫子で最も重要な箇所と評価されてるのが、このエピソードと、用間の章なんですよ。そういうのを、知ったかぶりとか生兵法と言います