【毛利元就解説】第十八話・備後神辺城の死闘【豪族達と往く毛利元就の軌跡】
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- Опубликовано: 5 фев 2025
- #毛利元就 #ゆっくり解説 #東方project
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初めましての人は初めまして、しかかくと申します。
今回は月山富田城の戦い後におこった備後国を巡る大内vs尼子の重要な戦い・神辺城の戦いについて解説します。内容は忘れても大内の大軍に数年間耐え続けた山名理興については忘れないでください。
・参考文献
「毛利元就卿伝」「新裁軍記」「萩藩閥閲録」「陰徳太平記」
光成準治編『戦国武将列伝9 中国編』
河合正治 『安芸毛利一族』
藤井崇 『大内義隆ー類葉武徳の家を称し、大名の器に載る』
岸田裕之 『毛利元就ー武威天下無双、下民憐愍の文徳は未だ』
光成準治 『小早川隆景・秀秋 消え候わんとて、光増すと申す』
長谷川博史『大内氏の興亡と西日本社会』
川岡勉 『戦国期守護権力の研究』
木下和司 「山名理興出自について(理興は石見守護家「彦次郎」か?)」
畑和良 「細川通董の野州家相続とその背景」
柴原直樹 「備後国衆宮氏の動向と毛利氏」
川岡勉 「毛利氏の覇権確立と家格上昇」
・使用楽曲
針の音楽: / @harimusic896
『音降る神霊廟』『やまとごはん』『音降る幻想郷』より
(アレンジ:白鷺ゆっきー 様)
唯道是真 「音降る神霊廟」より
斑鳩の伽藍 「やまとごはん」より
夏に競う茶抗争 「音降る幻想郷」より
不咲蕾未咲蕾 「音降る神霊廟」より
素敵な墓場でおどりましょ 「音降る神霊廟」より
夜の腐踏会 「音降る神霊廟」より
ひび割れた金魚鉢 「音降る神霊廟」より
大和に散らばる不思議な森 「やまとごはん」より
・使用サムネイル
『豪族達の神楽祭』(絵:友部キヌコ 様)
/ kinuk
・使用立ち絵
豊聡耳神子・物部布都・蘇我屠自古
(原作:東方project、 絵:真田源次郎ベル助 様)
/ berusuke_sanada
・地図:国土地理院
・他イラスト:イラストAC
・効果音:効果音ラボ
NicoNico; www.nicovideo.....
Twitter; / squaredeerhorn
Vやねん大内、ここまで粘った山名理興はもっと知られて良い武将ですね。
順風満帆なはずなのに次回が怖い。
プリンストン訪問お疲れさまです
めちゃくちゃ面白かた。感謝
ありがとうございます!そう言っていただけるとこの企画を立ち上げた甲斐がありました!
忍び寄る大寧寺、フラグ成立確認の旅と大内氏の版図とは裏腹の不穏さよ
ここまで順風満帆だと、何故反乱をやったのだと思いますね…。
ありがとうございます!
ありがとうございます!
ありがとうございます。
地元周辺である備中備後の歴史について調べているので、参考になります。
毎回思うが大内家の底力はマジでやべーな、行政、経済、武力を総てそろえている。
なかったのは時代の巡り合わせ。秀吉の時代ならば、信長以前の人々が室町的残滓をことごとく消してくれたので、邪魔な将軍権力がなかった。
しかし義隆の時代はまだ健在…
大内は、義興の代までは、代替わりの度に家督相続の内乱があったため、決して安定した家ではなかったが、
義興、義隆の父子の代で安定政権を築く事が出来、無傷な兵力を多く有していました。
少弐氏を滅亡させ、太宰大弐としての地位を名実共に固め、
財政面でも最盛期を迎えました。
きたー。元就好きなので待っていました。筆まめが幸いして人間味がよく伝わってくるんですよね。この一族。厳島にも2回行ったのですが、吉田郡山にもぜひ一度行ってみたいです。
なるほどな、大内尼子で一旦休戦が結ばれたから毛利内部の粛清ができたのか
待ってましたよぉ!休日にアゲてくれるの神
なんとも難しく複雑な状況下の
山口に2ヶ月もいた元就の心象を
思うと溜息が出ますね。やはりこの時隆元は同行していなかったと。
52歳の元就が長期不在でしかも、
弟2人もとなると毛利家には不安も
あったはず。本当にドラマチックな
人生だな選ばれた主人公元就。
ちょっとニヒルだけど、戦闘になるとめちゃくちゃ強い理興(キャラは後付けにしても)。
相手何倍いるのって話よ。弘中、青景、小原、杉、毛利、吉川、小早川、平賀・・・
並じゃないね。
余り目立たないけど、この設定でキャラ化されたらファン沢山付きそう。神辺で死ななくて良かった。
山名を調べたら、但馬、因幡にも毛利、という家が幾流かあったけど、鳥取城包囲戦までで全て滅んでしまったようです・・・
山名理興はもったいないことしましたねぇ。今回、大内も尼子も毛利も不穏で次回が楽しみ
25:03
元就「やっと井上一族を粛清できる。😎⚔️」
領地周囲の敵勢力が消えた、このタイミング(今回動画終了時)しかなかった気もする。少なくとも、今回動画で扱った期間中、お前は俺の家の子分だよなーと、大内家版御所巻をすると打ち明けられた晴賢から圧迫接待(?)を4回も受けていた。今後陶晴賢が嫌なタイミングで毛利家内に介入してくる前に、反乱の芽は潰しておかないとな。
堀立直政、大河ドラマであの名俳優、原田芳雄氏が演じてた
この調子悪くなった後75歳まで生きるって凄い。酒飲まされまくったんだろうなあw
瀬戸内海の温暖な気候
中国地方山間部(毛利本拠)の寒暖差が激しいところ
バチクソ寒い山陰
こんなところを転々としてたら健康志向の元就さんでもそりゃ体調不良になるときもあるでしょうなぁ...
青景さん「ぶっちゃけ御屋形様は出陣するべきだったんだよなぁ...(小声)」
後ろに意味深な陶さんが...やっぱ勝ち確の戦でもいや勝ち確だからこそ当主が来なければ当主のメンツにかかわるということなんですかねぇ
17:56
コンラン先生との対談で言っていた内藤興盛が大寧寺の変の主犯格の一人とする話が事実ならこの婚姻も大内毛利の関係強化に見せかけた反義隆の結束を深めるものになっていた可能性もあるってことか…
元就が反義隆と協力(もしくは黙認)していたならという前提ではあるが
この辺りは難しい問題で、元就は隆元に対して「尾崎局殿は義隆様から頂いたもの、お前が、ふがいないと申し訳がたたない」と供述しており義隆との結束と捉えていたようです。但し、内面までは史料からは読み解けないため、反義隆への協力という面もあったかもしれません。動画では言及できませんが。
山名理興が二年にも亘る籠城戦、兵員資材がよく保ったものだと思う。よく戦い抜いたものだと感じ入るんだけど、神辺周辺は荒廃してしまったろうな。
青景隆著、おさらいで調べてみたら青景氏の庶流なんだな。本家は姓を変えて残ったみたい。
田舎が近所なので神辺合戦があったことは知っていましたが、その背景がよく判りました。ありがとうございました。
余談ですが、終盤に少し解説されている泉山城の岡氏を研究しています。
岡伯耆守七郎兵衛の嫡流は、その後、丸亀京極の家老になっているのですが、その間、何があったのか不思議です。
また、岡和泉守与次郎の流れは、萩藩諸家系譜に那須与一の末裔とか、信じ難いことが山盛りなので興味津々です。
にとり「なんやかんやはなんやかんやです!」
ありがたやー。待ってましたー
城じゃなくて要害、要害山城とか名がついているのは砦みたいもので、区別は当時の人がそう呼んでたからという認識で良いのかね。
宮氏、最後の戦いがさらっとナレーションで終了してしまった。
その戦いで宮氏の記録が燃えてしてしまったので備後の戦国時代がよくわからない事になってしまったんですよね。
備後宮氏、中央でも名前が覚えられている位重要な一族なはずなのに滅亡した&備後方面の書状がかなり少ない(恐らく担当の隆景が使用後の書状を城の壁の材料に使ったり、小早川家のゴタゴタで散逸した)ため実態が現時点でも不明確過ぎるんですよね・・・
当時なら当たり前に食あたりで
命を落としたりもありますし
風土病などとざっくり呼ばれる
固有の寄生虫や感染症の変異株などもあります。後年の隆元や江戸初期の加藤清正の例もあるので招かれて
饗応されるのも寿命ガチャであり
元就が無事でよかた
大河ドラマ毛利元就リメイクでやってくれないかなww
大河ドラマ「三本の矢」とかいう名前で
毛利元就とその配下もそうだけど、大内義隆が良い味だしそうwww
2:37 4:02 4:38
立ち絵が大好きなんで
時間が出来たら
魔多羅オンデマンドを
またおぬがいします。
摩多羅on Demandは原稿が2つ出来上がっているので、繁忙期が終わったら仕上げて投稿する予定です。
あややだから文って訳ですか?
Exactly!
備後国と毛利と言ったら、元就に臣従して娘を側室に差し出し毛利元秋、出羽元倶、末次元康、元就の三女(上原元将室)を生むことになった三吉氏が頭をよぎります。
そして石見国の小笠原長直・長弘親子ですが、Wikipedeiaによれば、それぞれの室が三好氏の娘と三善氏の娘となっていますが、個人的には地理的にも二人とも備後三吉氏の娘の誤記じゃないかと思っているのですが、どうお考えなのか動画やXでもいいので意見をお聴きたいです。
ただ阿波三好氏も小笠原庶流なので何ら繋がりが無いとは断言できませんし、中国地方の国人領主らが大内氏と共に近畿へ出陣したときに意気投合したのかとも考えたりしましたが出陣した時期はもっと後のことなので可能性は低いかなと。
また戦国時代は、よく従兄妹を室に迎えることが多かったので長直の室が仮に阿波三好氏の娘だとしたら長弘の室も阿波三好氏の娘だった可能性が出てくると思っています。
おかしいな
広島と山口の全住民が見れば
百万再生は軽いはずなのに
ちょっと県教委に凸るかな
なんやかんや😂
ここまで勢力築いてる大内さんなんだから、きっとこの後山口に遷都して日ノ本統一するんやろなぁ
フラグ立ちますた
隆元の結婚年齢がかなり遅いですね。
まぁ、不明なだけで初婚という訳では無いでしょう。
10:30のとこ、この時の安芸守護代って弘中隆兼じゃねぇの?
現状大内家が正式に安芸守護に任命された形跡はなく、その都合上、大内家の直轄地である安芸国東西条の代官(この時点では弘中隆兼)が実質的な安芸守護代の役割を果たしていました。しかし、東西条代官の仕事が備後方面にも拡大しており、芸備国衆に対する権限も増えていたことから、弘中隆兼は"西条守護"と呼ばれていたことが確認できます。一方で、大内家における弘中隆兼の立場は他の守護代とは明らかに異なっており、この点からも隆兼はあくまで守護代的立ち位置なだけであって守護代に任命された訳ではないことがわかります。
そのため、この時の弘中隆兼の正式な立場は「安芸国東西条代官」、呼び名は「西条守護」でありますが、「安芸守護代」とは呼べない、というのが現状です(書状内で弘中隆兼が守護代と呼ばれていないのもそのため)。
@@SquareDeerHorn なるほど、興兼父子で安芸を盛り立ててたので大内家に安芸守護が与えられたタイミングで興兼か隆兼に守護代が与えられてたと思ってましたわ