Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
野球選手らしからぬ穏やかな好感の持てる話し方だなぁ藤田平好きだなぁ
平さんは、優勝が決まった試合でラジオか何かの解説をされていたそうです。優勝の瞬間、平さんが、人目も憚らず、号泣😖😢😭💨されたと聞いたことがあります。
昭和47年は江夏さんも田渕さんも藤田さんも若かった。昭和60年は真弓さんも掛布さんも岡田さんも成熟していた上にバースさんもいた。
子供の頃、初めて野球に関心を持った年が1985年でした。それだけに強く印象に残ってます。周りはもう阪神一色でした😊
お二人の話をうかがっていて阪神球団の闇を感じました。金田監督と球団の会談の詳しい内容までは分かりませんが、とにかく負けるように球団が仕向けたのですね。
淡々と冷静に穏やかに話されてる平さんに対して昭和の芸能リポーターのような掛布さん(笑)
晩年の藤田平さんも凄かったですよ。僅差の場面で代打で出て、あの今にも止まりそうなゴロで内野の間を綺麗に抜いて行くのですから、職人芸かと。子供の頃、よく真似しようとしてました。野手の逆方向に転がす打球。
ボール球を打てる長嶋さん!!さすが、バッティングの匠、篠塚選手の師匠です。
1973年は、阪神は絶対に優勝すべきシーズンだったが、あろうことか、当時の球団幹部は、「優勝したら年俸を上げないといけないから2位でいい」なんてことを平気で言っていた。しかし、翌年以降、巨人がリーグ優勝すらなかなかできない時代に入ったにもかかわらず、阪神もリーグ優勝できないシーズンが続くことになった。勝てるときに勝っておくことがいかに大事か。阪神の当時の経営幹部はまるでわかってなかったということだなぁ。
いつかの某大臣の「2位じゃダメなんですか?」を思い出しますが、2位じゃダメですよね。もはやどの球団もお金を出してでも優勝したい時代。この時代の阪神首脳陣および経営陣はどうかしてましたね。
平さん、オレンジのスーツオシャレです✨✨ 天才打者 藤田平⭐
平さんの打撃を動画で見ました。柔らかさという点では歴代屈指の左打者では。巧さでは田尾さんや篠塚さんも凄いですし、鋭さでは谷沢さんが凄いですが、スイングの柔らかさという点では平さん。
藤田平さんの解説は子守唄代わりにはちょうど良かったです。
藤田平氏、スーツ、お揃いのネクタイ、お洒落ですね。
参政党を連想しました
「優勝するな」ってこの当時の阪神球団の考えがヤバいやろ年俸高騰を気にしたんかな?
優勝するには監督、コーチ、選手だけでなく、親会社のバックアップ体制が必要である事がお二人の会話で理解できますね。
金田正泰さん、掛布さんを見出した人である一方、いろいろと逸話のある人。OBをお呼びして語ってほしいです
この1973の呪縛が暗黒時代まで続いたね。今季は阪神の評価が上がり、ファンとしても誇らしい一年だったが、生え抜きを変な形で退団させてしまう部分など、魅力もあるが不可解な体質も持ち合わせる球団だった。
お二人のトークとても興味深く視聴させて頂きました。特に1973年最後の阪神の2試合の先発投手起用についてはもし順序が江夏さんと上田次郎さんが逆だったらこの年は阪神優勝したでしょうね。それと1981年シーズンに藤田平さんがセ・リーグの首位打者を獲得した中でこの当時巨人の篠塚選手とタイトル争いになりファーストを守っていた藤田平さんが篠塚選手がヒットを放ち1塁ベースに行くと「シノよう打つな~俺も打たんといかんわな!」とかなり刺激を受けて更にご自身もヒットを放ち続けて見事タイトルに輝きましたね!
守りは大事なんですね
73年10月22日の甲子園決戦 この日はイチローが生まれた日でもあります。
要するに球団が監督に勝つな、巨人に優勝させろ~と監督と打ち合わせをしたという事だな 当時の阪神は闇の深い球団だったんだね
八百長ではないでしょうが、監督、球団社長は勝つ気はなかったのでしょうね。そしたら、選手もおかしくなって負けたというのが、本当の所じゃないかな。
昭和48年129試合目、藤田選手は、試合終盤あわや逆転ホームランか、と思う打球を、ファインプレーで阻まれました。巨人戦10対10の引き分けといい、勝利の女神に見放されていました。
球団社長「江夏君、うちはな優勝なんかせんでええねん。2位で十分なんや!!なぁ僕の言ってることわかるやろ?」
完全ウエーバーではないやろ。
当時の阪神はシブチンで有名❗😄優勝したら給料アップしないといけないもんナァ~🤢関西で一番小さかった私鉄でっセ…😢
諸君には万年2位を求める。1位でも3位でもダメだ。巨人と優勝を争い、そして敗れろ。これが君たちの仕事だ。🫅🫵
V9時代の巨人は、投手力及び守備のチーム。打線も凄いけど、投手力が抜群。西武の黄金期も盤石の投手陣が大きいです。
@@gilles5082 その通りです。
皆さんが決まって言いますよね、ONは凄かったよって。皆さんが決まって言いますよね、長嶋さんはむちゃくちゃだったって。
藤田さんおもっきり巨人カラーのジャケットとネクタイで草
阪神、この時に優勝損してますね。当時感じてた違和感の理由がやっとわかりました。藤田さんが言われてるように岡田監督の間に阪神を常勝軍団に変えてほしいです😊
昭和48年の重要な試合となると10月の後楽園決戦2戦目、阪神が序盤で7点リードしていたのに10対10の引き分けに終わった試合では。最終回の巨人の投手は新人だった小林繁、阪神が全く打てなかった。7点リードした時は間違いなく阪神優勝と確信したが、まさか最後にああなるとは・・・・。
その時の小林のピッチング映像残ってたらもう一度見たいです^ ^
1973年、巨人V9阻止直前の阪神のミステリー。 その一つの状況証拠に「阪神球団の歴史の長さに比べて異常に少ない優勝回数」があると思います。 根底に「ホンネは優勝よりも二位」、「巨人の敵役」であればよいと云う阪神電鉄の目論見があったんじゃないですか? 優勝回数でいえば巨人には遠く及ばず、球団黄金期を作ったヤクルト・広島・中日にも抜かれ横浜DeNA(大洋)程度でしかない。 しかし、近年以降は阪急と云う『奥の院』が出来てから、ドラフト含めて骨太球団に変貌してきた事はファンの目にもハッキリと分かります。 過去に黄金期を作った実績のある阪急電鉄が付いたと云う事はタイガースやファンにとっても有り難い事です。 同時に「新聞・テレビジョン時代」の斜陽と共に、讀賣が半世紀続けてきた「不正ジャッジ疑惑」を含めた身贔屓で歪なヒエラルキー=情報コントロールや人工的なG人気が終わった事も、プロ野球の興行にとってこれから来るフェアな時代を予感させます。 ps:今回の『憧球』は過去一! ジャーナリスティックで内容が濃かったです!
王ボール、長嶋ボールは当時から言われていましたね。また、試合後にボールと判定した球審が江夏に謝罪したという事もありました。ただ、それ以上に藤田氏の発言には驚きました。マスメディアが情報操作をしていたとは・・・。私の感覚では攻守関係なく巨人の話題しかしない日テレの吉田アナが鬱陶しいな~くらいでしたので、藤田氏の発言は初耳でショックでした。
@@コーチャン-l2n 全国ネットのテレビ局を傘下に置く讀賣による「プロ野球中継=巨人戦」と云う偏向した露出による異常なG人気作り=娯楽としての正義が罷り通っていたプロ野球興行、敵役としての他の5球団、最も割を食ったパリーグは見向きもされない歪んだ時代でした。 OBの青田昇や別所毅彦が解説をする放送では明から様なG贔屓が行われていて、「青田さんが解説で巨人を褒める毎に讀賣から2000円の報酬」(ダンカン談)と揶揄されてもいました。 実況もGの好プレーや得点の時は声のボリュームやトーンまで違っていて、子供心に「何かがおかしい・・」「不公平だ」と思って見ていたし、自分の立ち位置をアンチGへ駆り立ててゆきました。 カウントやアウトセーフの審判のG贔屓にも何度も憤ったし、他球団が勝つにはそう云った障害を掻い潜り実力でねじ伏せるしかない様に映りました。 「アンパイアが投げるボールもGと対戦相手とでは別のポケットから出していた。」(江本談?)と云う恨み節とも取れる話もありました。1990年のGxS開幕戦で篠塚がライトポール際に放った「疑惑のホームラン」の(明らかにポールの外を通り着弾する)スローVTRを、解説で来ていた長嶋が「へッへッへッ、今のVTRを見る限りビミョ〜ですね♫」、実況も「・・・」と、二人とも「ファール」と云う事実に言及しなかったと思います。 テレビが斜陽になる前のプロ野球はそう云った陰の圧力も十二分に感じたものでした。
村山さんの後任に故中村負弘氏ではなく藤田平さんが監督になっていればタイガースの暗黒時代はもっと短く済んだのではないかと思います😢
内部の政治的力が働いたのでしょうか?でも今は、阪急になったので、今シーズンの優勝に繋がったのではないでしょうか?ファンあっての球団なのに、世界中で数えても5本の指に入るほどの、観客動員数を誇る素晴らしい球団なのに、ファンを喜ばせる選手を大切にしない球団だったから低迷期があったのではないでしょうか?岡田さんの人選も阪急ですよね。暫くは阪急のもとに常勝軍団でいてくれることを願ってます。
昭和のプロ野球の優勝の話しになると選手個人の物語がある。令和の野球はチームの仲良し感が目立つ。
藤田平さん監督時代新庄との対立あわや新庄若くして引退か?それと巨人ファンの俺は3割5分を越える高打率👊首位打者獲得!篠塚が僅差獲れなかった。この二つが藤田平さんの俺のイメージ!V9は記憶なく微かにミスター90番時代❗️
最終戦の興業を優先させたんですかね?当時の巨人戦はドル箱だったし。
名指しで失礼ですけど、平光さん、、、絶対巨人びいきでしたね 😒
面白い内容なんですが掛布さんの声を我慢して最後まで聴くのは辛いですね。普通に藤田平さんのトーンで喋って欲しいですね。今の人達に巨人の綿密な勝ちへのこだわりを見せたかったです。牧野ヘッドコーチはデータを元に相手チームの選手を個々に丸裸にされてましたので太刀打ちは出来なかったと思います。藤田さん、掛布さんお二人共ミスタータイガースだったので当時をよく試合をTVで見てましたがいつまでもお元気で現在のプロ野球にカツを入れてください。
日本には、「平成の怪物」「天才」「神の子」という様々な天才が生まれましたが、「世界の王」を本気で超えているか匹敵する男は「二刀流」「ベーブルース以来世界で100年の男」しかいないですね。
田淵さん、江夏さんはトレード後にリーグ優勝そして日本一を経験したけど…平さんは…ホンマ色んな意味で運の無いお人やったなと思いましたわ…
1964年の優勝の翌年の65年に入団して
@@kmtakatsuki-kato0130 1985年のリーグ優勝と日本一になった前年の1984年に引退…安藤監督とも色々とあったからなぁ…
昭和48年は阪神球団による、阪神ファンへの裏切り。
中日最終戦、岡本伊佐美さんの証言ありますよ。ruclips.net/video/KcEGrGeDNJU/видео.htmlやはり当初の予定は二朗さんの先発だったみたいですね。まさか鶴岡親分にも相談してたとは
動画を見ました。岡本氏は当時も今も紳士然としていて嬉しかったですね。彼にとっての親分は鶴岡だけというのも良く分かりました。金田は・・・?一番知りたかった八百長説については一言もありませんでした。岡本氏らしく墓場まで持って行くのでしょう。
藤田平噺オモロイなあ
野球は投手が一番というが、V9はチーム防御率が一位は一度しかない。多分阪神のほうがこの9年間チーム防御率1位多い。なのになぜ優勝できない?そんなに打てなかった?藤田平さんいても全体が??
金田正泰監督 選手に殴られまくり。 負けるボス。
漫画でも藤村甲子園の恋女房岩風五郎に殴られました
マスコミは球団を持ってはいかん・・・か、成程、それよりも私はプロ野球の国営化を推奨してますが(笑)、フェアなプロ野球界の為に
昭和48年、最後の2試合は当時から大阪では八百長と言われていた。シーズンオフのラジオの名物企画でもあった。今回のお二人の話で初耳だったのは、金田正泰の「助けて~!」だけ。これも動画は初めてだが、ラジオや文書では知っていた。阪神球団がローテーションを崩してまで負けようとしているのを見た選手の士気は確実に下がり、余計な力が入った事は想像に難くない。悔しかったろうな。
阪神の疑惑まみれの戦い振りもあり、V9を達成した巨人だったが翌年は中日に王座を明け渡すことになりV10の夢は潰えることになる。その年のオフ、川上監督が勇退し看板スターの長嶋が後を引き継ぎ監督に就任するも、V9が終わった後の脱け殻になったチームを押しつけられる格好になり就任1年目はまさかの最下位。その後の5年間は2度のリーグ優勝を果たし世代交代に成功したものの3年間優勝出来なかったことを理由に解任の憂き目に遭う。一方阪神は相も変わらずゴタゴタを繰り返し江夏、田淵と言ったスター選手の放出などチーム一丸での優勝など望めない状況が続いていくことになる。
ショートを守る藤田が見た最高に衝撃的なホームランは大洋のシピン説。
阪神の話ではないけど、その当時、ヤクルトのオーナーが読売ファンを公言し、「今日はヤクルト負けたが巨人が勝った別に構わない」言ってたらしいが、「巨人様々」が他球団のオーナーでも常識なんてファンも白けるよな
1973年については、確か8月の甲子園の巨人戦で、江夏が完全に打ち取った打球を、センターの池田がバンザイだったかしてしまって逆転負けしたと記憶しているが、ここで勝っていれば、阪神は優勝できていたことを考えると、痛恨の1敗だった。
でも、負けるように仕組むきゅうだんだったからなぁ?
この阪神気質に若菜さんが嫌気さして大洋に移籍したのよね 真弓さんは堪えて阪神に留まった
クジで指名順位を決めたり、競合した選手をクジ引きにしていたから、完全ウェーバーではないと思いますが?!
人望のない監督でチームもバラバラ。雰囲気もかなり悪かったにも関わらず後一勝で優勝だったのは強いチームだった・・・と今になって思います。20勝投手が二人いると大きいですね。
その時代の阪神が常勝だとアメリカの民主党が困ったんだと思うよ!アメリカの公文書でも明らかなんだから正力松太郎さんはCIAの工作員なんだから、阪神の分裂がね今の世相と重なるね😢お察しくださいm(_ _)m
掛布の、音声が大きくて、聞きづらい。
八百長って言いたいの??
掛布、喋りすぎ。口下手な藤田さんが喋るを期待してみてるのに
僕は、江夏を中日戦に投げさせたのは。エースである江夏を胴上げ投手にしてやりたい意図が、球団、監督にあったと思います。上田で優勝が決まったら、そのタイミング、チャンスがないですから、リスクがあるけど、その意図があったと思います。
なんか2021年の最終戦もわざと負けた感じがする糸原のエラー演技やろ糸原なんかプロ未満の選手を獲るのもいかにも阪神らしいわ
へ
野球選手らしからぬ穏やかな好感の持てる話し方だなぁ
藤田平好きだなぁ
平さんは、優勝が決まった試合でラジオか何かの解説をされていたそうです。
優勝の瞬間、平さんが、人目も憚らず、号泣😖😢😭💨されたと聞いたことがあります。
昭和47年は江夏さんも田渕さんも藤田さんも若かった。昭和60年は真弓さんも掛布さんも岡田さんも成熟していた上にバースさんもいた。
子供の頃、初めて野球に関心を持った年が1985年でした。
それだけに強く印象に残ってます。
周りはもう阪神一色でした😊
お二人の話をうかがっていて阪神球団の闇を感じました。金田監督と球団の会談の詳しい内容までは分かりませんが、とにかく負けるように球団が仕向けたのですね。
淡々と冷静に穏やかに話されてる平さんに対して昭和の芸能リポーターのような掛布さん(笑)
晩年の藤田平さんも凄かったですよ。
僅差の場面で代打で出て、あの今にも止まりそうなゴロで内野の間を綺麗に抜いて行くのですから、職人芸かと。
子供の頃、よく真似しようとしてました。
野手の逆方向に転がす打球。
ボール球を打てる長嶋さん!!
さすが、バッティングの匠、篠塚選手の師匠です。
1973年は、阪神は絶対に優勝すべきシーズンだったが、あろうことか、当時の球団幹部は、「優勝したら年俸を上げないといけないから2位でいい」なんてことを平気で言っていた。しかし、翌年以降、巨人がリーグ優勝すらなかなかできない時代に入ったにもかかわらず、阪神もリーグ優勝できないシーズンが続くことになった。勝てるときに勝っておくことがいかに大事か。阪神の当時の経営幹部はまるでわかってなかったということだなぁ。
いつかの某大臣の「2位じゃダメなんですか?」を
思い出しますが、2位じゃダメですよね。
もはやどの球団もお金を出してでも優勝したい時代。
この時代の阪神首脳陣および経営陣はどうかしてましたね。
平さん、オレンジのスーツ
オシャレです✨✨ 天才打者 藤田平⭐
平さんの打撃を動画で見ました。
柔らかさという点では歴代屈指の左打者では。
巧さでは田尾さんや篠塚さんも凄いですし、鋭さでは谷沢さんが凄いですが、スイングの柔らかさという点では平さん。
藤田平さんの解説は子守唄代わりにはちょうど良かったです。
藤田平氏、スーツ、お揃いのネクタイ、お洒落ですね。
参政党を連想しました
「優勝するな」ってこの当時の阪神球団の考えがヤバいやろ
年俸高騰を気にしたんかな?
優勝するには監督、コーチ、選手だけでなく、親会社のバックアップ体制が必要である事がお二人の会話で理解できますね。
金田正泰さん、掛布さんを見出した人である一方、いろいろと逸話のある人。OBをお呼びして語ってほしいです
この1973の呪縛が暗黒時代まで続いたね。
今季は阪神の評価が上がり、ファンとしても誇らしい
一年だったが、生え抜きを変な形で退団させてしまう
部分など、魅力もあるが不可解な体質も持ち合わせる
球団だった。
お二人のトークとても興味深く視聴させて頂きました。特に1973年最後の阪神の2試合の先発投手起用についてはもし順序が江夏さんと上田次郎さんが逆だったらこの年は阪神優勝したでしょうね。それと1981年シーズンに藤田平さんがセ・リーグの首位打者を獲得した中でこの当時巨人の篠塚選手とタイトル争いになりファーストを守っていた藤田平さんが篠塚選手がヒットを放ち1塁ベースに行くと「シノよう打つな~俺も打たんといかんわな!」とかなり刺激を受けて更にご自身もヒットを放ち続けて見事タイトルに輝きましたね!
守りは大事なんですね
73年10月22日の甲子園決戦 この日はイチローが生まれた日でもあります。
要するに球団が監督に勝つな、巨人に優勝させろ~と監督と打ち合わせをしたという事だな 当時の阪神は闇の深い球団だったんだね
八百長ではないでしょうが、監督、球団社長は勝つ気はなかったのでしょうね。
そしたら、選手もおかしくなって負けたというのが、本当の所じゃないかな。
昭和48年129試合目、藤田選手は、試合終盤あわや逆転ホームランか、と思う打球を、ファインプレーで阻まれました。巨人戦10対10の引き分けといい、勝利の女神に見放されていました。
球団社長「江夏君、うちはな優勝なんかせんでええねん。2位で十分なんや!!なぁ僕の言ってることわかるやろ?」
完全ウエーバーではないやろ。
当時の阪神はシブチンで有名❗😄優勝したら給料アップしないといけないもんナァ~🤢関西で一番小さかった私鉄でっセ…😢
諸君には万年2位を求める。1位でも3位でもダメだ。
巨人と優勝を争い、そして敗れろ。これが君たちの仕事だ。🫅🫵
V9時代の巨人は、投手力及び守備のチーム。
打線も凄いけど、投手力が抜群。
西武の黄金期も盤石の投手陣が大きいです。
@@gilles5082 その通りです。
皆さんが決まって言いますよね、ONは凄かったよって。皆さんが決まって言いますよね、長嶋さんはむちゃくちゃだったって。
藤田さんおもっきり巨人カラーのジャケットとネクタイで草
阪神、この時に優勝損してますね。当時感じてた違和感の理由がやっとわかりました。藤田さんが言われてるように岡田監督の間に阪神を常勝軍団に変えてほしいです😊
昭和48年の重要な試合となると10月の後楽園決戦2戦目、阪神が序盤で7点リードしていたのに10対10の引き分けに終わった試合では。最終回の巨人の投手は新人だった小林繁、阪神が全く打てなかった。7点リードした時は間違いなく阪神優勝と確信したが、まさか最後にああなるとは・・・・。
その時の小林のピッチング映像残ってたらもう一度見たいです^ ^
1973年、巨人V9阻止直前の阪神のミステリー。 その一つの状況証拠に「阪神球団の歴史の長さに比べて異常に少ない優勝回数」があると思います。 根底に「ホンネは優勝よりも二位」、「巨人の敵役」であればよいと云う阪神電鉄の目論見があったんじゃないですか? 優勝回数でいえば巨人には遠く及ばず、球団黄金期を作ったヤクルト・広島・中日にも抜かれ横浜DeNA(大洋)程度でしかない。 しかし、近年以降は阪急と云う『奥の院』が出来てから、ドラフト含めて骨太球団に変貌してきた事はファンの目にもハッキリと分かります。 過去に黄金期を作った実績のある阪急電鉄が付いたと云う事はタイガースやファンにとっても有り難い事です。 同時に「新聞・テレビジョン時代」の斜陽と共に、讀賣が半世紀続けてきた「不正ジャッジ疑惑」を含めた身贔屓で歪なヒエラルキー=情報コントロールや人工的なG人気が終わった事も、プロ野球の興行にとってこれから来るフェアな時代を予感させます。 ps:今回の『憧球』は過去一! ジャーナリスティックで内容が濃かったです!
王ボール、長嶋ボールは当時から言われていましたね。
また、試合後にボールと判定した球審が江夏に謝罪したという事もありました。
ただ、それ以上に藤田氏の発言には驚きました。
マスメディアが情報操作をしていたとは・・・。
私の感覚では攻守関係なく巨人の話題しかしない日テレの吉田アナが鬱陶しいな~くらいでしたので、藤田氏の発言は初耳でショックでした。
@@コーチャン-l2n 全国ネットのテレビ局を傘下に置く讀賣による「プロ野球中継=巨人戦」と云う偏向した露出による異常なG人気作り=娯楽としての正義が罷り通っていたプロ野球興行、敵役としての他の5球団、最も割を食ったパリーグは見向きもされない歪んだ時代でした。 OBの青田昇や別所毅彦が解説をする放送では明から様なG贔屓が行われていて、「青田さんが解説で巨人を褒める毎に讀賣から2000円の報酬」(ダンカン談)と揶揄されてもいました。 実況もGの好プレーや得点の時は声のボリュームやトーンまで違っていて、子供心に「何かがおかしい・・」「不公平だ」と思って見ていたし、自分の立ち位置をアンチGへ駆り立ててゆきました。 カウントやアウトセーフの審判のG贔屓にも何度も憤ったし、他球団が勝つにはそう云った障害を掻い潜り実力でねじ伏せるしかない様に映りました。 「アンパイアが投げるボールもGと対戦相手とでは別のポケットから出していた。」(江本談?)と云う恨み節とも取れる話もありました。
1990年のGxS開幕戦で篠塚がライトポール際に放った「疑惑のホームラン」の(明らかにポールの外を通り着弾する)スローVTRを、解説で来ていた長嶋が「へッへッへッ、今のVTRを見る限りビミョ〜ですね♫」、実況も「・・・」と、二人とも「ファール」と云う事実に言及しなかったと思います。 テレビが斜陽になる前のプロ野球はそう云った陰の圧力も十二分に感じたものでした。
村山さんの後任に故中村負弘氏ではなく藤田平さんが監督になっていればタイガースの暗黒時代はもっと短く済んだのではないかと思います😢
内部の政治的力が働いたのでしょうか?でも今は、阪急になったので、今シーズンの優勝に繋がったのではないでしょうか?
ファンあっての球団なのに、世界中で数えても5本の指に入るほどの、観客動員数を誇る素晴らしい球団なのに、ファンを喜ばせる選手を大切にしない球団だったから低迷期があったのではないでしょうか?
岡田さんの人選も阪急ですよね。
暫くは阪急のもとに常勝軍団でいてくれることを願ってます。
昭和のプロ野球の優勝の話しになると選手個人の物語がある。
令和の野球はチームの仲良し感が目立つ。
藤田平さん監督時代新庄との対立あわや新庄若くして引退か?それと巨人ファンの俺は3割5分を越える高打率👊首位打者獲得!篠塚が僅差獲れなかった。この二つが藤田平さんの俺のイメージ!V9は記憶なく微かにミスター90番時代❗️
最終戦の興業を優先させたんですかね?当時の巨人戦はドル箱だったし。
名指しで失礼ですけど、平光さん、、、絶対巨人びいきでしたね 😒
面白い内容なんですが掛布さんの声を我慢して最後まで聴くのは辛いですね。普通に藤田平さんのトーンで喋って欲しいですね。今の人達に巨人の綿密な勝ちへのこだわりを見せたかったです。牧野ヘッドコーチはデータを元に相手チームの選手を個々に丸裸にされてましたので太刀打ちは出来なかったと思います。藤田さん、掛布さんお二人共ミスタータイガースだったので当時をよく試合をTVで見てましたがいつまでもお元気で現在のプロ野球にカツを入れてください。
日本には、「平成の怪物」「天才」「神の子」という様々な天才が生まれましたが、「世界の王」を本気で超えているか匹敵する男は「二刀流」「ベーブルース以来世界で100年の男」しかいないですね。
田淵さん、江夏さんはトレード後にリーグ優勝そして日本一を経験したけど…平さんは…ホンマ色んな意味で運の無いお人やったなと思いましたわ…
1964年の優勝の翌年の65年に入団して
@@kmtakatsuki-kato0130
1985年のリーグ優勝と日本一になった前年の1984年に引退…
安藤監督とも色々とあったからなぁ…
昭和48年は阪神球団による、阪神ファンへの裏切り。
中日最終戦、岡本伊佐美さんの証言ありますよ。
ruclips.net/video/KcEGrGeDNJU/видео.html
やはり当初の予定は二朗さんの先発だったみたいですね。
まさか鶴岡親分にも相談してたとは
動画を見ました。
岡本氏は当時も今も紳士然としていて嬉しかったですね。
彼にとっての親分は鶴岡だけというのも良く分かりました。
金田は・・・?
一番知りたかった八百長説については一言もありませんでした。
岡本氏らしく墓場まで持って行くのでしょう。
藤田平噺オモロイなあ
野球は投手が一番というが、V9はチーム防御率が一位は一度しかない。
多分阪神のほうがこの9年間チーム防御率1位多い。
なのになぜ優勝できない?
そんなに打てなかった?
藤田平さんいても全体が??
金田正泰監督 選手に殴られまくり。 負けるボス。
漫画でも藤村甲子園の恋女房岩風五郎に殴られました
マスコミは球団を持ってはいかん・・・か、成程、それよりも私はプロ野球の国営化を
推奨してますが(笑)、フェアなプロ野球界の為に
昭和48年、最後の2試合は当時から大阪では八百長と言われていた。
シーズンオフのラジオの名物企画でもあった。
今回のお二人の話で初耳だったのは、金田正泰の「助けて~!」だけ。
これも動画は初めてだが、ラジオや文書では知っていた。
阪神球団がローテーションを崩してまで負けようとしているのを見た選手の士気は確実に下がり、余計な力が入った事は想像に難くない。
悔しかったろうな。
阪神の疑惑まみれの戦い振りもあり、V9を達成した巨人だったが翌年は中日に王座を明け渡すことになりV10の夢は潰えることになる。その年のオフ、川上監督が勇退し看板スターの長嶋が後を引き継ぎ監督に就任するも、V9が終わった後の脱け殻になったチームを押しつけられる格好になり就任1年目はまさかの最下位。その後の5年間は2度のリーグ優勝を果たし世代交代に成功したものの3年間優勝出来なかったことを理由に解任の憂き目に遭う。一方阪神は相も変わらずゴタゴタを繰り返し江夏、田淵と言ったスター選手の放出などチーム一丸での優勝など望めない状況が続いていくことになる。
ショートを守る藤田が見た最高に衝撃的なホームランは大洋のシピン説。
阪神の話ではないけど、
その当時、
ヤクルトのオーナーが読売ファンを公言し、
「今日はヤクルト負けたが巨人が勝った別に構わない」言ってたらしいが、
「巨人様々」が他球団のオーナーでも常識なんてファンも白けるよな
1973年については、確か8月の甲子園の巨人戦で、江夏が完全に打ち取った打球を、センターの池田がバンザイだったかしてしまって逆転負けしたと記憶しているが、ここで勝っていれば、阪神は優勝できていたことを考えると、痛恨の1敗だった。
でも、負けるように仕組むきゅうだんだったからなぁ?
この阪神気質に若菜さんが嫌気さして大洋に移籍したのよね 真弓さんは堪えて阪神に留まった
クジで指名順位を決めたり、競合した選手をクジ引きにしていたから、完全ウェーバーではないと思いますが?!
人望のない監督でチームもバラバラ。雰囲気もかなり悪かったにも関わらず後一勝で優勝だったのは強いチームだった・・・と今になって思います。20勝投手が二人いると大きいですね。
その時代の阪神が常勝だとアメリカの民主党が困ったんだと思うよ!
アメリカの公文書でも明らかなんだから正力松太郎さんはCIAの工作員なんだから、阪神の分裂がね今の世相と重なるね😢
お察しくださいm(_ _)m
掛布の、音声が大きくて、聞きづらい。
八百長って言いたいの??
掛布、喋りすぎ。口下手な藤田さんが喋るを期待してみてるのに
僕は、江夏を中日戦に投げさせたのは。エースである江夏を胴上げ投手にしてやりたい意図が、球団、監督にあったと思います。上田で優勝が決まったら、そのタイミング、チャンスがないですから、リスクがあるけど、その意図があったと思います。
なんか2021年の最終戦もわざと負けた感じがする
糸原のエラー演技やろ
糸原なんかプロ未満の選手を獲るのもいかにも阪神らしいわ
へ