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お話しありがとうございます僕は病気になって色んな事に囚われた心理状態で長い時間を過ごしてきました母に私は過去にこだわるなとさとされましたそれでもそこから抜け出すのに結果30年弱かかりました生まれた時から成人の年齢になりこだわりから抜け出すまでつきあってくれた母を僕は大変苦るしめてしまったと思っています昨年母が亡くなり母の遺品整理をしていた時にその中から精神疾患の本がいくつか出てきましたその時また涙が出てきました母は僕を不安にさせない事を考えていて本を読んで僕の病気を理解しようと僕の見えないところで読んでいたことに気付き涙が止めれませんでした僕はギャグ漫画を描き社会の色んな事が動いた感覚?描いた事が自分の手をはなれて勝ってに悲しみや喜びが発生させていく恐ろしさに描く事が怖くなりましたはじまりは喜んでもらおうと描いたのは事実ですが僕が妄想を操るようになったのはその経験からです相対性理論からの原子力も天動説もダイナマイトも発見気付き発明も人を陥れよう不幸にしようとは考えていなかったはず親鸞聖人も自分の信念を実戦され当時の人には受入られなかったとしても人を不幸にしようなど思わなかったはずで逆ですよね思いは人の理解はいつもイッテンポおそく僕は母を亡くし色々気付きましたその愛情のこだわりは持っていたいです僕が人に施しができる人間になるためにお話しありがとうございました
今日もありがとうございます🙇人生とは選択の積み重ね✨なんですね🐣人生の目的を考える👍✨
2024年5月30日(木曜日☁16時40分)執着は良い意味でも悪い意味でもとらえられますね。なので何に執着しているのかが良いも悪いも 人生の生きる道でのポイントに成りえますね。確かに執着を手放さないと手に入らない物が密かに存在していて掛け替えのないものを手放しているのですね。菊谷先生、本日も貴重な大切なお話を学ばせて頂きました。ありがとう御座いました🙇♂🙏
今日もありがとうございました!(菊谷隆太先生動画視聴メモ)★執着を手放すにはどうしたらいいか1.全ての執着が悪いわけではない(信心、こだわり・思い入れ)2.執着を手放さないために手放しているものがある(選択の連続)
菊谷隆太先生、こんにちは。🤱🧑🍼👨🍼👩🍼今日も、ありがとうございます。🤱🧑🍼👨🍼👩🍼
人生の目的、人生の選択、とても良いお話しでした。私の次の世代、子供達、孫達にも伝えたいと思っています。ありがとうございます。
人生色々どれに執着するか、みんな執着なんですね。後悔しない道を選びたいです。今日も有り難うございます🙇
ありがとうございました。
菊谷先生、今晩は。一文惜しみの百知らず !! この言葉は良く分かります。今日もありがとうございました。
菊谷先生本日も大変ありがとうございます
若い頃、執着から離れる時、心が不安定になり、体の病気にもなりました。しかし、本当の自分に戻りました。定年まで、働くことが出来ました。
今日も、とても学びになりました。ありがとうございました。
人は執着すればするほど渇愛を起こします。思い通りにならないことで、失うことで、否定されることで感情が乱れる。こだわりと執着は同義ではありません。こだわりは自分の中の見方のこと、執着は他者(物)に対して言います。そこを混同していては、自分の心の在り方を問う仏教の教えは分かりません。
貴重な話ありがとうございました。たしかに意思決定をする上で、一方を選べば片方の選択肢を失うわけで物でも行動でも、何かに執着することで、何かを手放しているということを自覚することは大切だと思います。そして、選択を最終的にしているのは自分であり、その種まきは自分に返ってくるという自因自果の考え方も忘れないようにしたいと思います。執着についての考え方は、別の宗教ではノーペイン・ノーゲインとか言われていた気がします。
大変参考と勉強になります。 ありがとうございます。 これからも いろんな話 どんどんお願いします。
お話、聴きました。今後の参考になります。🙂
菊谷先生いつも本当にありがとうございます。人生は選択の連続である〜「執着を手放さないために手放しているものがある」〜ハッ!とさせられ改めて深く考えさせられました〜心より深く感謝申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。釈尊出世の本懐の中の本懐〜大無量寿経〜阿弥陀仏の御本願〜一向専念無量寿仏〜信心正因称名報恩〜南無阿弥陀仏〜三戸拝🙏🙏🙏
人の関心や感動に結びつくものか?ここにはこだわっています 愛の反対は無関心です 無関心を提供することは時間の略奪のように思います 学びと気づきの光が人生の宝です ここを大切にせずに刹那の楽しみに興じていても不幸せです いい時間の提供ありがとうございました
良いものを信じればよい。信じることが悪いのではなく、何を信じるか? が大切。何に執着するか? 信じるものが揺らぎないもの。裏切らないものならば幸せになる。執着を手放さないために、手放しているものがある。 人生は選択の様々な連続。本当に自分にとって大切なものは何なのかを、自問自答してみる。究極的には人生の目的を 見つめる。何のために生まれて来たのか?何のために生きているのか?人生の目的を知ることが一番大事である。 菊谷先生 よく分かりました。有難うございます。🙏😄
自分はいま何に執着しているだろうかと考えました。当然になりすぎていると、わからなくなるものですね。すっと出てこなかったです
皆が、信心というこだわりや執着を抱いて生きている。僕たちは何かにとらわれて生活している。そのとらわれた心を捨て去ることができれば楽になれるのは当然なことであり大事なことです。エネルギーを注ぐのに何に使うかは良し悪しであり何に使うかによってその後の人生を大きく左右するのは言うまでもありません。人生の目的を明確に知ることは核にあたる部分でその後の選択に影響を及ぼしますよね。
投稿ありがとうございます執着していいもの悪いもの、と別にしない方がいいかと思いました。執着していいものに「こだわり」とあえて別の言葉をあてがう辺りに人間の無知さを感じますやっぱり何にも執着しない、こだわりも無くすべき、しかし先生も仰った通り人間にそれは無理です、執着しますしこだわりを持たずには居れません。しかし無理なことでもチャレンジはできる、した方が良いのではないかというのが仏教だと、僕は思いました。この思いましたという執着も、あくまで「無いなら無い方が良い」という認識です
死後があるのか無いのかに執着する心に
菊谷先生 こんばんは😊本日もありがとうございます。本日のテーマは、『執着を手放す方法』というお話しでした。1 全ての執着が悪いのではない2 執着を手放さないために手放して いるものがある1 執着 執れ心=信心=こだわり 思い入れ 信心~心で何かを信じる 信心←力にし、頼りにしている信心・執着・こだわりが悪いのではなくて何に執着しているか、何にこだわっているかこれが大事信じること自体が悪いのではなく、何を信じるか、何に執着するか、何に思い入れを持つかによって幸せな人生を歩む方向にもなれば、不幸になって行くこともある信ずる者の真願人生の目的は何か? 本日もありがとうございました。
日常生活の中で何に執着しているかを自覚するのは中々難しい。それの最たるものが、自分の肉体への執着である。自分の肉体を自分自身だと思っている。お釈迦様は、人間は魂が肉体に宿って生きている存在であると説かれている。肉体には、肉体を維持する為に、食欲・睡眠欲・性欲や味覚・嗅覚・触覚などの機能がある。そして、これらを満足させることに幸福を感じるようになる。いわゆる煩悩の始まりである。やがて本来の自分である魂も気持ち良い感覚に引きずられ執着となり、肉体的欲望と一体となる。お釈迦様は、これを苦しみと説かれた。「肉体の持つ機能は必要であるが、それに執着してはいけない。本来の自己に目覚めよ」お説きになられた。
執着は向上心の表れでもある。ただ身の丈に合わない執着は不孝をよぶのかもですね…。執着を捨てるというと、一見凄い様にも思うけれど夢も成長もなく淡々と生きがちになるのは間違ってそうだし。時間や能力には限りがありますから、取捨選択は大事ですよね。私は…ひとりでは生きられず誰かに期待しもしちゃうけど、悩みの原因は大抵人間関係だったりする。人生の時間は自分のために使いたいのに、人に振り回され面倒な事ばかかり…_(:3 」∠)_何してるねかわからない。
ポストといえば、政治の世界総理の座を手放したくない人もいますね😅
執着駅は始発駅
南無阿弥陀仏m(__)m
選択の積み重ね…📀
私の修行においては、とにかく執着の対象を他人に譲渡することで、乗り越えてきた!あと自分の無我を観じて、所有意識を無くすようにしました!その結果、今は無所有と無欲に住しています!私は九次元天上界にいます。
死後無になる執着を手放さないと、無明の闇が晴れる一念の瞬間は来ないのか?
お話しありがとうございます
僕は病気になって色んな事に囚われた心理状態で長い時間を過ごしてきました
母に私は過去にこだわるなとさとされました
それでもそこから抜け出すのに結果30年弱かかりました
生まれた時から成人の年齢になりこだわりから抜け出すまでつきあってくれた母を僕は大変苦るしめてしまったと思っています
昨年母が亡くなり母の遺品整理をしていた時にその中から精神疾患の本がいくつか出てきました
その時また涙が出てきました
母は僕を不安にさせない事を考えていて本を読んで僕の病気を理解しようと僕の見えないところで読んでいたことに気付き涙が止めれませんでした
僕はギャグ漫画を描き社会の色んな事が動いた感覚?描いた事が自分の手をはなれて勝ってに悲しみや喜びが発生させていく恐ろしさに描く事が怖くなりました
はじまりは喜んでもらおうと描いたのは事実ですが
僕が妄想を操るようになったのはその経験からです
相対性理論からの原子力も天動説もダイナマイトも発見気付き発明も
人を陥れよう不幸にしようとは考えていなかったはず
親鸞聖人も自分の信念を実戦され当時の人には受入られなかったとしても人を不幸にしようなど思わなかったはずで逆ですよね思いは
人の理解はいつもイッテンポおそく
僕は母を亡くし色々気付きました
その愛情のこだわりは持っていたいです
僕が人に施しができる人間になるために
お話しありがとうございました
今日もありがとうございます🙇人生とは選択の積み重ね✨なんですね🐣人生の目的を考える👍✨
2024年5月30日(木曜日☁16時40分)執着は良い意味でも悪い意味でもとらえられますね。なので何に執着しているのかが良いも悪いも 人生の生きる道でのポイントに成りえますね。確かに執着を手放さないと手に入らない物が密かに存在していて掛け替えのないものを手放しているのですね。菊谷先生、本日も貴重な大切なお話を学ばせて頂きました。ありがとう御座いました🙇♂🙏
今日もありがとうございました!
(菊谷隆太先生動画視聴メモ)
★執着を手放すにはどうしたらいいか
1.全ての執着が悪いわけではない(信心、こだわり・思い入れ)
2.執着を手放さないために手放しているものがある(選択の連続)
菊谷隆太先生、こんにちは。🤱🧑🍼👨🍼👩🍼今日も、ありがとうございます。🤱🧑🍼👨🍼👩🍼
人生の目的、人生の選択、とても良いお話しでした。私の次の世代、子供達、孫達にも伝えたいと思っています。ありがとうございます。
人生色々どれに執着するか、みんな執着なんですね。後悔しない道を選びたいです。
今日も有り難うございます🙇
ありがとうございました。
菊谷先生、今晩は。一文惜しみの百知らず !! この言葉は良く分かります。今日もありがとうございました。
菊谷先生本日も大変ありがとうございます
若い頃、執着から離れる時、心が不安定になり、体の病気にもなりました。
しかし、本当の自分に戻りました。定年まで、働くことが出来ました。
今日も、とても学びになりました。
ありがとうございました。
人は執着すればするほど渇愛を起こします。
思い通りにならないことで、失うことで、否定されることで感情が乱れる。
こだわりと執着は同義ではありません。
こだわりは自分の中の見方のこと、執着は他者(物)に対して言います。
そこを混同していては、自分の心の在り方を問う仏教の教えは分かりません。
貴重な話ありがとうございました。
たしかに意思決定をする上で、一方を選べば片方の選択肢を失うわけで
物でも行動でも、何かに執着することで、何かを手放しているということを自覚することは大切だと思います。
そして、選択を最終的にしているのは自分であり、その種まきは自分に返ってくるという自因自果の考え方も忘れないようにしたいと思います。
執着についての考え方は、別の宗教ではノーペイン・ノーゲインとか言われていた気がします。
大変参考と勉強になります。 ありがとうございます。 これからも いろんな話 どんどんお願いします。
お話、聴きました。今後の参考になります。🙂
菊谷先生いつも本当にありがとうございます。人生は選択の連続である〜「執着を手放さないために手放しているものがある」〜ハッ!とさせられ改めて深く考えさせられました〜心より深く感謝申し上げます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。釈尊出世の本懐の中の本懐〜大無量寿経〜阿弥陀仏の御本願〜一向専念無量寿仏〜信心正因称名報恩〜南無阿弥陀仏〜三戸拝🙏🙏🙏
人の関心や感動に結びつくものか?ここにはこだわっています 愛の反対は無関心です 無関心を提供することは時間の略奪のように思います 学びと気づきの光が人生の宝です ここを大切にせずに刹那の楽しみに興じていても不幸せです いい時間の提供ありがとうございました
良いものを信じればよい。信じることが悪いのではなく、何を信じるか? が大切。何に執着するか?
信じるものが揺らぎないもの。裏切らないものならば幸せになる。執着を手放さないために、手放しているものがある。
人生は選択の様々な連続。本当に自分にとって大切なものは何なのかを、自問自答してみる。究極的には人生の目的を
見つめる。何のために生まれて来たのか?何のために生きているのか?人生の目的を知ることが一番大事である。
菊谷先生 よく分かりました。有難うございます。🙏😄
自分はいま何に執着しているだろうかと考えました。
当然になりすぎていると、わからなくなるものですね。すっと出てこなかったです
皆が、信心というこだわりや執着を抱いて生きている。僕たちは何かにとらわれて生活している。そのとらわれた心を捨て去ることができれば楽になれるのは当然なことであり大事なことです。エネルギーを注ぐのに何に使うかは良し悪しであり何に使うかによってその後の人生を大きく左右するのは言うまでもありません。人生の目的を明確に知ることは核にあたる部分でその後の選択に影響を及ぼしますよね。
投稿ありがとうございます
執着していいもの悪いもの、と別にしない方がいいかと思いました。
執着していいものに「こだわり」とあえて別の言葉をあてがう辺りに人間の無知さを感じます
やっぱり何にも執着しない、こだわりも無くすべき、しかし先生も仰った通り人間にそれは無理です、執着しますしこだわりを持たずには居れません。
しかし無理なことでもチャレンジはできる、した方が良いのではないかというのが仏教だと、僕は思いました。この思いましたという執着も、あくまで「無いなら無い方が良い」という認識です
死後があるのか無いのかに執着する心に
菊谷先生 こんばんは😊
本日もありがとうございます。
本日のテーマは、『執着を手放す方法』というお話しでした。
1 全ての執着が悪いのではない
2 執着を手放さないために手放して
いるものがある
1 執着
執れ心=信心=こだわり
思い入れ
信心~心で何かを信じる
信心←力にし、頼りにしている
信心・執着・こだわりが悪いのではなくて何に執着しているか、何にこだわっているかこれが大事
信じること自体が悪いのではなく、何を信じるか、何に執着するか、何に思い入れを持つかによって幸せな人生を歩む方向にもなれば、不幸になって行くこともある
信ずる者の真願
人生の目的は何か?
本日もありがとうございました。
日常生活の中で何に執着しているかを自覚するのは中々難しい。
それの最たるものが、自分の肉体への執着である。
自分の肉体を自分自身だと思っている。
お釈迦様は、人間は魂が肉体に宿って生きている存在であると説かれている。
肉体には、肉体を維持する為に、食欲・睡眠欲・性欲や味覚・嗅覚
・触覚などの機能がある。そして、これらを満足させることに幸福を感じるようになる。いわゆる煩悩の始まりである。やがて本来の自分である魂も気持ち良い感覚に引きずられ
執着となり、肉体的欲望と一体となる。
お釈迦様は、これを苦しみと説かれた。「肉体の持つ機能は必要であるが、それに執着してはいけない。本来の自己に目覚めよ」お説きになられた。
執着は向上心の表れでもある。ただ身の丈に合わない執着は不孝をよぶのかもですね…。執着を捨てるというと、一見凄い様にも思うけれど夢も成長もなく淡々と生きがちになるのは間違ってそうだし。時間や能力には限りがありますから、取捨選択は大事ですよね。
私は…ひとりでは生きられず誰かに期待しもしちゃうけど、悩みの原因は大抵人間関係だったりする。人生の時間は自分のために使いたいのに、人に振り回され面倒な事ばかかり…_(:3 」∠)_何してるねかわからない。
ポストといえば、
政治の世界
総理の座を手放したくない人もいますね😅
執着駅は始発駅
南無阿弥陀仏m(__)m
選択の積み重ね…📀
私の修行においては、とにかく執着の対象を他人に譲渡することで、乗り越えてきた!あと自分の無我を観じて、所有意識を無くすようにしました!その結果、今は無所有と無欲に住しています!私は九次元天上界にいます。
死後無になる執着を手放さないと、無明の闇が晴れる一念の瞬間は来ないのか?