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9:30マジで解りやすいというか実際目覚められずにストーリーの中に永住する事になってもこの考え方を頭の片隅で採用する事でストーリーを気楽に生きれるこのチャンネルまじ伸びろ〜
スペース聞きました!とても楽しかったです😊また是非、やってください❤️
ありがとうございます!!わたしもとても楽しかったので、またみんなでワイワイやりたいです😆そのときは、また一緒に楽しんでもらえたら、とても嬉しいですヽ(・ω・*)ノ イェイ!!
よかったです。ありがとうございます😊
おもしろいなぁ〜。高齢者で、不安症の私としては、ついつい、一人で井戸の底に落ちてしまっている!となりがちですが、気づいてみれば、なぁ〜んだ🤣ということになりますね。「非二元」(真理)は有り難いな〜。サヤカさんありがとう。これから、「いいこと」あるかなぁ〜😙
井戸に落ちているのは誰??ですね。その誰がいない…に気づくと「井戸」も消えてしまったりしますよね。これがホントの根本解決!なにを選ぶか、どう生きるか「お好きにどうぞ」というのは、良いも悪いもない=ダメがない(ひとつ=非二元)なんですよね
「ぶっとびアドヴァイス」とても絶妙な言葉ですね。コミニュケーションにおいて、概念(観念)やストーリーを否定しようとしたら、沈黙しかないでしょうね。「わかっちゃった人たち」では、なぜかトニー・パーソンズの門下にいた人が多いのはなぜだろう。
なんというか、、、なんでもかんでも、どこででも、非二元のハナシをしはじめちゃうのって、どうかとおもっちゃうんですよ笑 その沈黙しかない…っていうのは、本当に落ち込んでいる人を目の前にしたとき、アドバイスや励ましでもない、沈黙という寄り添い、そっとそばにいてあげることであったとき、非二元やノンデュアリティで語られていることが真実であっても、そこでノンデュアリティのトークをすることは違うとおもうんですよね(話し相手が非二元好きだったら、また話は変わってくるかもですけど🤫)
@@wrsayaka そうですね。真実の様相だけを垂れ流す発信は、「それって、人としてどうなの?」って思います。人を見て法を説け、という感じですね。
ありがとう🙇リック・リンチツの「あなたも私もいない」の中に、「ジョーが底なし沼に落ちる」という漫画があるのを、時々思いだしたりしています。「最終的には、これでも大丈夫、底はないし何も起こらないと認識します。そして安心します。」と語っております。(「ありのままにー永遠の今に生きる」)
リックリンチのこちらの本!表紙も好きだし、書籍紹介にもある、、、こちらの文章に共感します。悟りは状態ではないので、個人のストーリーではないのですよね。「個人に覚醒は起こりません。覚醒とは、個人は今も今までも存在していないと見抜くことである、と定義することもできるでしょう。覚醒が起きても個人は何も得ません。それどころか、個人は失うのです。個人という信念が消えるのです。ところが途方もないことに、そうなっても何一つ変わり ません。幻想が消えたからといって、実際に何が変わるというのでしょう。」
非常に面白いですありがとうございます😊
はたはたさん、よかったです!!コメントにて感想、伝えてくださって、ありがとうございます😆
おもろいね😊
古閑博丈さん、私も信頼してます!ブログも止めてしまったので残念ですが。。実在よりもイメージや記憶がパワーを持ってるという意味で、オーストラリアどころか近所のスーパー、通ってた学校、もっというとこの部屋の今いる場所以外だって実際存在するかどうか個人的には怪しいです笑
stさん、ですかですか!ほんと、ブログ残念…って、、、このマニアックすぎるやりとりがおたくとしては、ありがたし笑 コトバ、コトバにならない印象=感情含めて概念=前提ありきありきで、やはり夢とはよくいったもんですね。
9:30
マジで解りやすい
というか実際目覚められずにストーリーの中に永住する事になっても
この考え方を頭の片隅で採用する事でストーリーを気楽に生きれる
このチャンネルまじ伸びろ〜
スペース聞きました!
とても楽しかったです😊
また是非、やってください❤️
ありがとうございます!!わたしもとても楽しかったので、またみんなでワイワイやりたいです😆そのときは、また一緒に楽しんでもらえたら、とても嬉しいですヽ(・ω・*)ノ イェイ!!
よかったです。ありがとうございます😊
おもしろいなぁ〜。高齢者で、不安症の私としては、ついつい、一人で井戸の底に落ちてしまっている!となりがちですが、気づいてみれば、なぁ〜んだ🤣ということになりますね。「非二元」(真理)は有り難いな〜。サヤカさんありがとう。これから、「いいこと」あるかなぁ〜😙
井戸に落ちているのは誰??ですね。
その誰がいない…に気づくと「井戸」も消えてしまったりしますよね。これがホントの根本解決!
なにを選ぶか、どう生きるか「お好きにどうぞ」というのは、良いも悪いもない=ダメがない(ひとつ=非二元)なんですよね
「ぶっとびアドヴァイス」とても絶妙な言葉ですね。
コミニュケーションにおいて、概念(観念)やストーリーを否定しようとしたら、沈黙しかないでしょうね。
「わかっちゃった人たち」では、なぜかトニー・パーソンズの門下にいた人が多いのはなぜだろう。
なんというか、、、なんでもかんでも、どこででも、非二元のハナシをしはじめちゃうのって、どうかとおもっちゃうんですよ笑 その沈黙しかない…っていうのは、本当に落ち込んでいる人を目の前にしたとき、アドバイスや励ましでもない、沈黙という寄り添い、そっとそばにいてあげることであったとき、非二元やノンデュアリティで語られていることが真実であっても、そこでノンデュアリティのトークをすることは違うとおもうんですよね(話し相手が非二元好きだったら、また話は変わってくるかもですけど🤫)
@@wrsayaka そうですね。真実の様相だけを垂れ流す発信は、「それって、人としてどうなの?」って思います。人を見て法を説け、という感じですね。
ありがとう🙇
リック・リンチツの「あなたも私もいない」の中に、「ジョーが底なし沼に落ちる」という漫画があるのを、時々思いだしたりしています。「最終的には、これでも大丈夫、底はないし何も起こらないと認識します。そして安心します。」と語っております。(「ありのままにー永遠の今に生きる」)
リックリンチのこちらの本!表紙も好きだし、書籍紹介にもある、、、こちらの文章に共感します。悟りは状態ではないので、個人のストーリーではないのですよね。
「個人に覚醒は起こりません。
覚醒とは、個人は今も今までも存在していないと見抜くことである、と定義することもできるでしょう。覚醒が起きても個人は何も得ません。それどころか、個人は失うのです。個人という信念が消えるのです。ところが途方もないことに、そうなっても何一つ変わり ません。幻想が消えたからといって、実際に何が変わるというのでしょう。」
非常に面白いです
ありがとうございます😊
はたはたさん、よかったです!!コメントにて感想、伝えてくださって、ありがとうございます😆
おもろいね😊
古閑博丈さん、私も信頼してます!ブログも止めてしまったので残念ですが。。
実在よりもイメージや記憶がパワーを持ってるという意味で、オーストラリアどころか近所のスーパー、通ってた学校、もっというとこの部屋の今いる場所以外だって実際存在するかどうか個人的には怪しいです笑
stさん、ですかですか!ほんと、ブログ残念…って、、、このマニアックすぎるやりとりがおたくとしては、ありがたし笑 コトバ、コトバにならない印象=感情含めて概念=前提ありきありきで、やはり夢とはよくいったもんですね。