Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
永井豪先生、「ハレンチ学園」の時に人間不信になったのは糾弾されたことより、「糾弾会」の後に「先生、サインいただけませんか」と言われたりしたのを「なんだこれは」と思ったと言う話を聞いた記憶が。
6:31 ここら辺、ジンのセリフが「俺」になってますが、正しくは「オリ」です
永井豪先生のデビュー作は「目明かしポリ吉」
今もそう「クレヨンしんちゃん」のげんこつや下半身を出してゾウさんなど親から苦情が来て無くなりましたがしんちゃんを見ていたのは、三十代後半〜なはず自分達は見てて笑ってたのに親になれば禁止しろってなんだかな…と思ってしまう。
90~00年代の円光まっさかり時代を過ごした女性も、今やフェミになって性的搾取ガー言ってますしね。思うんですがね、1970年代に「男性による性的抑圧から解放されたウーマンリブ」ってありましたけど、あれ本当に抑圧してたのは母親じゃないんですかね?今も女性が主導して女の子の制服を男と同じズボンにしようとしてるじゃないですか。
自分が親になるとわかるけど、下半身出してぞうさんとか普通に子供が真似したがるから厄介なのよ😅体罰もまぁ良くないのはわかるでしょ?しゃーない部分はあるよ
怒らないでくださいね?お下品なものから遠ざけたい気持ちは分かるけれど、作者を叩くとかエネルギー有り余った馬鹿みたいじゃないですかただ禁止するんじゃなく、自分が昔好きだったし学びがある漫画やアニメを観させるのが教育ッスよね
貴様ーっモンスターペアレントを愚弄する気かあっ
@@カワサキカワサキ-i9x なにっ
因みに宿毒のジンはジャギのパクりではなく「オリはよう、オリは一体誰なんだよう」と実存について苦悩するキチでもあります。
山田玲司は情熱と知性と思い入れのバランスが、バランスが取れてると思わせない高度なレベルで秀逸で、信頼できる。岡田斗司夫は「僕判ってるんです」感が強くて、そこに至る肉体的な物が希薄に感じられてしまう分、正しくても飲み込みにくい。島本先生は、全てを思い入れと情熱で飲み込ませてしまうので、もう何と言って良いのかわかんないの介。
島本先生がマンガのイメージと同じで、一番面白いすね。今回は語りにくい作家さんばかりでも楽しそうで良かったです。もちろんオタキングの話も、山田先生の話も面白いよ。
@@よしなが-e4b 岡田さんの話は正答率は高めなんだけど、潤沢な予算による資料をベースに(余裕で)語ってるんだろうなと思うと、少し気が削げるのです(あくまで個人的に)。そこのバランスが山田さんは秀逸で、しかも熱さもあるので飲み込みやすいという。島本先生はもう伝統芸能の域なので(ry「風の戦士ダン」と「炎の転校生」の、俗に言う「増刊サンデー最盛期」にリアタイで読んでた僕には、(尊敬してないという意味では無く)「先生」というより「同期・同志」くらいの思い入れの人なので、論評などとても出来ないのです・・・。その「自分と同じ土俵(時代)に戦って(もがいて)きてる」感(あくまで「感」)が、岡田斗司夫には薄いのです・・・。島本先生もちゃんと年上なので、正確には同じ土俵じゃ無いんですけども、やはりそこは島本先生の芸風の為せる技というか。
@@NealJackMe 岡田さんと近い世代だから面白いと思うんだよね。山田先生は世代論で良く語りがちですが、まあ共感できますよ。芸風があれな島本先生、やはり熱く暑苦しいのが面白いです。
@@よしなが-e4b まぁファンロードとかアニメックとか読んでたので、岡田さん系統は世に出た頃から知っているし、岡田さんの俎上に上る作品はリアルタイムに観てきてる(=島本先生の話に出てくる作品も同じ)わけなのですけど、やはり岡田さんの表現に「当事者感」が薄いので思い入れ的な意味で「のり」難いという。もう、ただそれだけ(何かが悪い、間違っているというのでもない)なのです。極秘資料を入手してて、それを根拠に「こうなのです」みたいな話は、巻末の「答え」を知った上で解説してるようで、正直ズルい(笑)と感じますが。じゃぁ「当事者感って何だよ?」って話になりますが、端的に言えば「読者(視聴者)目線から逃げないこと」と「敗北感」なんだと思います。土俵はさておき「やられた!」「これは敵わない!」というような「完敗」の記憶や、それを公表する態度が「同志」「戦友」的な「信頼」に繋がる(という要素が少しある)と思っていて、岡田さんの話にはそういう要素をあまり感じないわけで、目線が第三者的というか、当事者的な感情を隠してる感じがするのです。もちろんそこそこ有名になってからは、一般的な「作品」との間に距離を取って俯瞰するのは仕方ないと思いますが、どうみても世代的に夢中になったはずの「作品」でも、岡田さんは基本そのスタンスなんですね・・・。それを考えると、岡田さんと同世代ながら、今もあの「当事者感」の島本先生は、凄いというか、異常だとも思います。ちなみに山田さんは2コ上の学年3コ上で、より時代感が近いですが、結構自分と同じような感覚で当時の作品を観ていた方が少ないというのと、「俯瞰しすぎない熱量」が心地よいと感じます。確かに世代論(ある種の俯瞰)を持ち出しますが、たぶん説明(整理)して伝えやすいからで、実際はもっと複雑な物(混沌)を抱えているような。僕らの世代は「狭間」と「(複数回の)時代(価値観)の逆転」と「百花繚乱」に晒されてるので、そのまま伝えちゃうとルネッサンス的な滅茶苦茶になるのです・・・。
@@NealJackMe すごい長いアンサーありがとう。熱いね。君も島本先生タイプですか?岡田先生の評価は判ります。うさんくさい所も含めて面白いです。
ジョージ先生!ジョージ先生!とか言ってたら、きっと、ジョージ森川先生が激しく反応してるんじゃないかと、想像していますw
ぜんぜんレベルと方向が違うよ打ち切りになるのが怖くて商業的作品展開しかできない漫画家と一緒にしてはいけない(商業作品を連載続けることができることはすごいことだけど)今回の話は「サブカル」ですから
ハレンチ学園よりだいぶ後の世代ですが、小学校1年の頃はクラスでスカートめくりが流行っていましたね。スカートめくりだけじゃなく男子のズボンをずらすというのも流行ってました。もっと言うとスカートめくり&ズボンずらし派と相手の脇をくすぐる派の二大派閥が出来ていて、お互いがお互いに向けて仕掛け合っていました。私は当時はハレンチ学園の存在は知らなかったのですが、もしかしたらやり出しっぺの奴は漫画の影響を受けていたのかもしれません。
あれはマチコ先生っすよ。
ラブリンモンローはリアタイでよんでたなー。キャラものとしては傑作。
80年代でジョージ秋山先生というと、当時小学生がDrスランプとキン肉マンからの流れでみんな読んでた週刊少年ジャンプで連載されてた「海人ゴンズイ」が初遭遇の人多いだろうな。
弘兼憲史先生が読者の見たくない年配の情事や裸体を書いてしまうのもジョージ秋山先生に影響されたんでしょうか。
違うと思う。
封書→焚書だと思う!
アシュラは完結編が打ち切りになった少年ジャンプで読み切りで掲載されてた。でも打ち切り時の支持者から全く支持されなかった。息子の名前にする位だから思入れが有ったんだろう。
オイルショックよりも公害問題等でしょうね。
僕の中のスカートめくりの漫画は、ハレンチ学園ではなく、まいっちんぐマチコ先生です。この番組で漫画史を語る上で、なぜマチコ先生が出て来ないのか謎でした。あれは衝撃的でした。あと、ジョージ秋山さんと言えば海人ゴンズイ。あっと言う間に打ち切りになったけど滅茶苦茶記憶に残ってて、誰に聞いても誰も覚えてなかった。主人公は難破した船から日本の浜辺に流れ着いた奴隷の黒人少年で、それを助けたヒロインは既に死んでしまって白骨化した弟を背負い育ててるつもりになってる狂った少女という、ほんとうにイカレた漫画でしたわ。それが少年ジャンプで連載されてたという。
「マチコ先生」のえびはら武司先生は藤子不二雄先生の直弟子で(当時の藤子スタジオでは両先生のアシを務めていたので、どちらか専属ということはないけど、おそらく藤本先生の比率が高いかな)、ジャイアンの本名「剛田武」は彼から取られたとか。
ハレンチ学園は、映画の中であの時代に子供である山岸君が親に向かって『親の分際で子供に何て箏言いやがる』って言ってるの見て凄いと思った。未だにないのでは?この発想する子供が出るやつって。普通に虐待親に対してその子供が更に凶悪で強いという。
島田和彦が語る永井豪
老人同士のアレを書くのってやはり需要があるんですかね?黄昏流星群って今も連載続いてるじゃないですか。
あなたの言う需要ってポルノの需要でしょ。〜物とかのポルノのジャンルで。需要という言葉だけで比較して、ドラマとの需要と比べても意味ないと思うな。
@@Pajamakura 黄昏流星群知らないのにレスしないでどんな漫画家がどんな誌面に向けて描いてると思ってんんだよ
あなたの文章を間違って捉えてたようです。老人同士のアレと需要ってとこでちょっと誤解してたかも。私自身がポルノ脳になってたみたいです。黄昏流星群は良質なドラマだと思ってますので、誤解のあるような返信に対しては謝罪いたします。
@@Pajamakuraまあ「アレ」と書いたら勘違いしやすいのは認めます、アレのアレは阪神日本一。ただ、黄昏流星群はラブとセックスを描くけどコメディでもなくポルノでもなく、ましてロマンスでもないのでアレとしか言いようが無いなと思いました。ロマンスには不必要な老いの陰の部分を絵として殊更にリアルに描くのは、絵で老いを美化せずとも良い物語をちゃんと描く為なんだろうかと思ったりするんですよね。それが今も黄昏流星群の連載が続く理由なのかなと。
蛭子、みうら、J太郎の話かとオモタ
炎尾先生は自分の息子にノボルとか命名したりするんすか?w
封書やない、焚書や
ハレンチ学園もアシュラも今では考えられないくらい袋叩きにあってるよなあ、あれぐらい過激な漫画今だったらいくらでもあるよね。
思想→失速 パッシング→バッシンク 封書→焚書
あれは俺が小学生の頃だった。スカートめくりという謎の儀式が流行り始め、それは中学校1年生の時まで続いた。真面目な男子はもちろん女子のスカートをめくったりしない。スカートをめくっていたのは発達障害の子供達とヤンキー系のオラオラキャラの一部の人間だけだった。だが、まじめな男子達も、できることなら参加したいと心の底から思っていた儀式であった。島本先生は俺よりも年上だから、当時おそらく大学生くらいだったのではないだろうか。だから、スカートめくりが流行したことを知らないのである。俺はデビルマンはテレビアニメで見ていたが、ハレンチ学園は見ていなかった。ガッチガチの硬派だったからである。そして漫画家を目指して上京した後に、仕事で美少女絵を描かされるようになって、軟派になってしまったのである。言いたいことは以上である。
ジョージ秋山先生の作品は「ゴミムシくん」を始め今では禁書扱いになる物が多いわな。でも俺たちのガキの頃は、ハレンチ学園もあればとりいかずよし氏の「トイレット博士」だって山上たつひこ氏の一連の作品だって、そんな作品は腐る程あった。幸せな時代を経験したと思っている。スカートめくりは小学校低学年の頃はやってたなぁ。経験上言える事は、先生や親に告げ口する女子生徒は大抵「めくられない」女子生徒だったよw
両ワキの2人が置き物のように見えるが喋る瞬間、人に戻る。中の2人は会話してるようで、どちらがよりウケる事を言えるか?で競い合っている。カリカチェアライズされた群像劇のように
永井豪先生、「ハレンチ学園」の時に人間不信になったのは糾弾されたことより、「糾弾会」の後に「先生、サインいただけませんか」と言われたりしたのを「なんだこれは」と思ったと言う話を聞いた記憶が。
6:31 ここら辺、ジンのセリフが「俺」になってますが、正しくは「オリ」です
永井豪先生のデビュー作は「目明かしポリ吉」
今もそう「クレヨンしんちゃん」のげんこつや下半身を出してゾウさんなど
親から苦情が来て無くなりましたが
しんちゃんを見ていたのは、三十代後半〜なはず
自分達は見てて笑ってたのに親になれば禁止しろってなんだかな…と思ってしまう。
90~00年代の円光まっさかり時代を過ごした女性も、今やフェミになって性的搾取ガー言ってますしね。
思うんですがね、1970年代に「男性による性的抑圧から解放されたウーマンリブ」ってありましたけど、あれ本当に抑圧してたのは母親じゃないんですかね?
今も女性が主導して女の子の制服を男と同じズボンにしようとしてるじゃないですか。
自分が親になるとわかるけど、下半身出してぞうさんとか普通に子供が真似したがるから厄介なのよ😅
体罰もまぁ良くないのはわかるでしょ?
しゃーない部分はあるよ
怒らないでくださいね?お下品なものから遠ざけたい気持ちは分かるけれど、作者を叩くとかエネルギー有り余った馬鹿みたいじゃないですか
ただ禁止するんじゃなく、自分が昔好きだったし学びがある漫画やアニメを観させるのが教育ッスよね
貴様ーっモンスターペアレントを愚弄する気かあっ
@@カワサキカワサキ-i9x なにっ
因みに宿毒のジンはジャギのパクりではなく「オリはよう、オリは一体誰なんだよう」と実存について苦悩するキチでもあります。
山田玲司は情熱と知性と思い入れのバランスが、バランスが取れてると思わせない高度なレベルで秀逸で、信頼できる。
岡田斗司夫は「僕判ってるんです」感が強くて、そこに至る肉体的な物が希薄に感じられてしまう分、正しくても飲み込みにくい。
島本先生は、全てを思い入れと情熱で飲み込ませてしまうので、もう何と言って良いのかわかんないの介。
島本先生がマンガのイメージと同じで、一番面白いすね。今回は語りにくい作家さんばかりでも楽しそうで良かったです。もちろんオタキングの話も、山田先生の話も面白いよ。
@@よしなが-e4b 岡田さんの話は正答率は高めなんだけど、潤沢な予算による資料をベースに(余裕で)語ってるんだろうなと思うと、少し気が削げるのです(あくまで個人的に)。
そこのバランスが山田さんは秀逸で、しかも熱さもあるので飲み込みやすいという。
島本先生はもう伝統芸能の域なので(ry
「風の戦士ダン」と「炎の転校生」の、俗に言う「増刊サンデー最盛期」にリアタイで読んでた僕には、(尊敬してないという意味では無く)「先生」というより「同期・同志」くらいの思い入れの人なので、論評などとても出来ないのです・・・。
その「自分と同じ土俵(時代)に戦って(もがいて)きてる」感(あくまで「感」)が、岡田斗司夫には薄いのです・・・。島本先生もちゃんと年上なので、正確には同じ土俵じゃ無いんですけども、やはりそこは島本先生の芸風の為せる技というか。
@@NealJackMe
岡田さんと近い世代だから面白いと思うんだよね。山田先生は世代論で良く語りがちですが、まあ共感できますよ。
芸風があれな島本先生、やはり熱く暑苦しいのが面白いです。
@@よしなが-e4b まぁファンロードとかアニメックとか読んでたので、岡田さん系統は世に出た頃から知っているし、岡田さんの俎上に上る作品はリアルタイムに観てきてる(=島本先生の話に出てくる作品も同じ)わけなのですけど、やはり岡田さんの表現に「当事者感」が薄いので思い入れ的な意味で「のり」難いという。もう、ただそれだけ(何かが悪い、間違っているというのでもない)なのです。極秘資料を入手してて、それを根拠に「こうなのです」みたいな話は、巻末の「答え」を知った上で解説してるようで、正直ズルい(笑)と感じますが。
じゃぁ「当事者感って何だよ?」って話になりますが、端的に言えば「読者(視聴者)目線から逃げないこと」と「敗北感」なんだと思います。
土俵はさておき「やられた!」「これは敵わない!」というような「完敗」の記憶や、それを公表する態度が「同志」「戦友」的な「信頼」に繋がる(という要素が少しある)と思っていて、岡田さんの話にはそういう要素をあまり感じないわけで、目線が第三者的というか、当事者的な感情を隠してる感じがするのです。
もちろんそこそこ有名になってからは、一般的な「作品」との間に距離を取って俯瞰するのは仕方ないと思いますが、どうみても世代的に夢中になったはずの「作品」でも、岡田さんは基本そのスタンスなんですね・・・。
それを考えると、岡田さんと同世代ながら、今もあの「当事者感」の島本先生は、凄いというか、異常だとも思います。
ちなみに山田さんは2コ上の学年3コ上で、より時代感が近いですが、結構自分と同じような感覚で当時の作品を観ていた方が少ないというのと、「俯瞰しすぎない熱量」が心地よいと感じます。確かに世代論(ある種の俯瞰)を持ち出しますが、たぶん説明(整理)して伝えやすいからで、実際はもっと複雑な物(混沌)を抱えているような。僕らの世代は「狭間」と「(複数回の)時代(価値観)の逆転」と「百花繚乱」に晒されてるので、そのまま伝えちゃうとルネッサンス的な滅茶苦茶になるのです・・・。
@@NealJackMe
すごい長いアンサーありがとう。
熱いね。君も島本先生タイプですか?
岡田先生の評価は判ります。
うさんくさい所も含めて面白いです。
ジョージ先生!ジョージ先生!とか言ってたら、きっと、ジョージ森川先生が激しく反応してるんじゃないかと、想像していますw
ぜんぜんレベルと方向が違うよ
打ち切りになるのが怖くて商業的作品展開しかできない漫画家と一緒にしてはいけない(商業作品を連載続けることができることはすごいことだけど)
今回の話は「サブカル」ですから
ハレンチ学園よりだいぶ後の世代ですが、小学校1年の頃はクラスでスカートめくりが流行っていましたね。
スカートめくりだけじゃなく男子のズボンをずらすというのも流行ってました。
もっと言うとスカートめくり&ズボンずらし派と相手の脇をくすぐる派の二大派閥が出来ていて、お互いがお互いに向けて仕掛け合っていました。
私は当時はハレンチ学園の存在は知らなかったのですが、もしかしたらやり出しっぺの奴は漫画の影響を受けていたのかもしれません。
あれはマチコ先生っすよ。
ラブリンモンローはリアタイでよんでたなー。キャラものとしては傑作。
80年代でジョージ秋山先生というと、当時小学生がDrスランプとキン肉マンからの流れでみんな読んでた週刊少年ジャンプで連載されてた「海人ゴンズイ」が初遭遇の人多いだろうな。
弘兼憲史先生が読者の見たくない年配の情事や裸体を書いてしまうのもジョージ秋山先生に影響されたんでしょうか。
違うと思う。
封書→焚書だと思う!
アシュラは完結編が打ち切りになった少年ジャンプで読み切りで掲載されてた。でも打ち切り時の支持者から全く支持されなかった。息子の名前にする位だから思入れが有ったんだろう。
オイルショックよりも公害問題等でしょうね。
僕の中のスカートめくりの漫画は、ハレンチ学園ではなく、まいっちんぐマチコ先生です。
この番組で漫画史を語る上で、なぜマチコ先生が出て来ないのか謎でした。
あれは衝撃的でした。
あと、ジョージ秋山さんと言えば海人ゴンズイ。
あっと言う間に打ち切りになったけど滅茶苦茶記憶に残ってて、誰に聞いても誰も覚えてなかった。
主人公は難破した船から日本の浜辺に流れ着いた奴隷の黒人少年で、それを助けたヒロインは既に死んでしまって白骨化した弟を背負い育ててるつもりになってる狂った少女という、ほんとうにイカレた漫画でしたわ。
それが少年ジャンプで連載されてたという。
「マチコ先生」のえびはら武司先生は藤子不二雄先生の直弟子で(当時の藤子スタジオでは両先生のアシを務めていたので、どちらか専属ということはないけど、おそらく藤本先生の比率が高いかな)、ジャイアンの本名「剛田武」は彼から取られたとか。
ハレンチ学園は、映画の中であの時代に子供である山岸君が親に向かって『親の分際で子供に何て箏言いやがる』って言ってるの見て凄いと思った。未だにないのでは?この発想する子供が出るやつって。普通に虐待親に対してその子供が更に凶悪で強いという。
島田和彦が語る永井豪
老人同士のアレを書くのってやはり需要があるんですかね?
黄昏流星群って今も連載続いてるじゃないですか。
あなたの言う需要ってポルノの需要でしょ。〜物とかのポルノのジャンルで。
需要という言葉だけで比較して、ドラマとの需要と比べても意味ないと思うな。
@@Pajamakura 黄昏流星群知らないのにレスしないで
どんな漫画家がどんな誌面に向けて描いてると思ってんんだよ
あなたの文章を間違って捉えてたようです。老人同士のアレと需要ってとこでちょっと誤解してたかも。
私自身がポルノ脳になってたみたいです。
黄昏流星群は良質なドラマだと思ってますので、誤解のあるような返信に対しては謝罪いたします。
@@Pajamakuraまあ「アレ」と書いたら勘違いしやすいのは認めます、アレのアレは阪神日本一。
ただ、黄昏流星群はラブとセックスを描くけどコメディでもなくポルノでもなく、ましてロマンスでもないのでアレとしか言いようが無いなと思いました。
ロマンスには不必要な老いの陰の部分を絵として殊更にリアルに描くのは、絵で老いを美化せずとも良い物語をちゃんと描く為なんだろうかと思ったりするんですよね。
それが今も黄昏流星群の連載が続く理由なのかなと。
蛭子、みうら、J太郎の話かとオモタ
炎尾先生は自分の息子にノボルとか命名したりするんすか?w
封書やない、焚書や
ハレンチ学園もアシュラも今では考えられないくらい袋叩きにあってるよなあ、あれぐらい過激な漫画今だったらいくらでもあるよね。
思想→失速 パッシング→バッシンク 封書→焚書
あれは俺が小学生の頃だった。
スカートめくりという謎の儀式が流行り始め、それは中学校1年生の時まで続いた。真面目な男子はもちろん女子のスカートをめくったりしない。スカートをめくっていたのは発達障害の子供達とヤンキー系のオラオラキャラの一部の人間だけだった。だが、まじめな男子達も、できることなら参加したいと心の底から思っていた儀式であった。
島本先生は俺よりも年上だから、当時おそらく大学生くらいだったのではないだろうか。だから、スカートめくりが流行したことを知らないのである。俺はデビルマンはテレビアニメで見ていたが、ハレンチ学園は見ていなかった。ガッチガチの硬派だったからである。そして漫画家を目指して上京した後に、仕事で美少女絵を描かされるようになって、軟派になってしまったのである。
言いたいことは以上である。
ジョージ秋山先生の作品は「ゴミムシくん」を始め今では禁書扱いになる物が多いわな。でも俺たちのガキの頃は、ハレンチ学園もあれば
とりいかずよし氏の「トイレット博士」だって山上たつひこ氏の一連の作品だって、そんな作品は腐る程あった。幸せな時代を経験したと
思っている。スカートめくりは小学校低学年の頃はやってたなぁ。経験上言える事は、先生や親に告げ口する女子生徒は大抵「めくられない」
女子生徒だったよw
両ワキの2人が置き物のように見えるが喋る瞬間、人に戻る。中の2人は会話してるようで、どちらがよりウケる事を言えるか?で競い合っている。カリカチェアライズされた群像劇のように