平戸市・弘法大師像・田ノ浦霊場

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  • Опубликовано: 8 фев 2025
  • 弘法大師空海は、密教の奥義を学ぶため、唐(中国)に渡ることを目指した。そして、延暦二十三年(804)三十一歳の時、留学生として第十六回遣唐使船で難波を出航。その時の大使は藤原葛野麻呂。伝教大師最澄や義心、橘逸勢なども、同じく入唐して いる。瀬戸内の各所に立ち寄りながら九州に至り、最後に日本を離れたのが、田ノ浦である。寺号の由来は、嵐など苦労の末、弘法大師が十二月の終わりに唐に上陸後、一ヵ月の間とどまった福州の寺院が開元寺で、近年にその寺号を称したものである。入唐山開元寺 というが、お寺であるわけではなく、顕彰碑と法要殿があり、顕彰碑には『弘法大師唐渡解纜之地』と刻まれている。石碑には、石造の厨子のなかに、弘法大師の石仏が安置されている。また、法要殿においては五月に『田ノ浦法要』が勤修される。弘法大師の時代と同じ風景を見、大師の心の内を垣間見ることのできる霊場である。

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