【ゆっくり解説】戦国最高の軍師「黒田官兵衛」が一目置いた戦国武将5選

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  • Опубликовано: 22 ноя 2024

Комментарии • 8

  • @greatapocalypse
    @greatapocalypse 15 часов назад +2

    吉弘統幸は、立花宗茂の従兄ですね、
    吉弘一族曽祖父、祖父(病没)父、叔父、自分と四代に渡って大友家のために忠節を尽くして戦死した武門の誉ような家系ですよね。

  • @HIDEHIDE-ol8so
    @HIDEHIDE-ol8so 21 час назад +3

    私の中での戦国最高の軍師は、竹中半兵衛です。
    秀吉の立身出世に最も貢献した軍師だと思っていますし、半兵衛と秀長が長寿であれば豊臣政権は安泰だと思っています。

  • @KazunariKawashima
    @KazunariKawashima 21 час назад +2

    長寿丸を竹中半兵衛が助ける話って、江戸時代の講談で、織田家からも黒田家からも竹中家からも一次資料は発見されていないとか、、、

  • @racing_high
    @racing_high 7 часов назад

    読み間違えが...

  • @じつどうだいすけ
    @じつどうだいすけ 17 часов назад +1

    黒田家譜というのは、儒学者のテンプレで書かれたもの。それに偏らず独自の見方で描かれたのが、司馬遼太郎の播磨灘物語。仮説だが、ほぼ独力で摂津を切り取った荒木村重が、官兵衛の交渉の窓口となり、織田信長への取次を担っていたという説は一理ある。村重と官兵衛の接点は、千利休。だから、村重は秀吉に許されている。
    大友家の宿老というべき吉弘嘉兵衛は、個人的に黒田家の重臣である井上九郎右衛門と付き合いがあった。大友氏の旧臣達への調略は井上主導で行われ、それが不調に終わり、嘉兵衛は討たれ、大友氏への降伏の使者には名将母里太兵衛が立っている。井上の独狂言と云われたのは、それ故なのだ。
    官兵衛が信頼をおいていたのは、豊臣秀長と小早川隆景、そして蒲生氏郷。共に、外交手腕に優れていた人物。才知ではなく、その人柄を信頼している。

  • @じょーうんじょーうん
    @じょーうんじょーうん 20 часов назад +1

    まだ黒田官兵衛を馬鹿の一つ覚えのように軍師軍師と連呼するとは…それもこれも江戸時代に入って黒田家のご都合主義で書かれた黒田家譜のせいですな…。

  • @えびせん-f7d
    @えびせん-f7d 20 часов назад

    秀吉の軍師、参謀(当時の日本にはそんな役職は無いが)と呼んでもおかしくないのは弟の秀長と蜂須賀小六正勝公だけ。

    • @mentaiko-pasta
      @mentaiko-pasta 16 часов назад

      秀長は普通に総大将も務めているから武将