仙台空襲の7日前に「謎の空襲」アメリカ軍資料から明らかになったB‐29偵察機の目的とは

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  • Опубликовано: 24 июл 2024
  • およそ1400人が犠牲になった仙台空襲から79年となるのに合わせ、仙台市内で展示会が行われています。被害をまとめた企画展や実体験の語りなど戦争の悲惨さを伝え続ける人たちがいます。
    「戦争は人災」語り継ぐ人たち
    仙台空襲を体験した菊田弘子さんは、あの日を振り返り、「真っ赤な空にトンボが飛んでいると思った。それが飛行機だった」と語りました。6日、仙台市青葉区の戦災復興記念館では、仙台空襲の体験者が戦争の悲惨さを訴えました。仙台空襲を体験した佐々木あさ子さん:
    「戦争というのは人災なんだと。人間の本当に悪なるものがぶつかりあってなっているんだと」体験者の話を聞いた小学生:
    「空が真っ赤になっていたというのが印象に残った。体験した人から(話を)聞くと戦争の本当の怖さがよく分かった」1945年7月10日未明の仙台空襲では、アメリカ軍の「B-29」の爆撃で、1399人が犠牲になりました。仙台・空襲研究会 新妻博子代表:
    「アメリカの資料があり、攻撃側の視点で、攻撃した後に必ず報告書を出す。何時何分どこに何を落としたとか、攻撃の意図が書かれている」
    「謎の空襲」その目的とは
    仙台空襲を研究する市民グループの代表、新妻博子さんです。新妻さんたちは、今回の企画展で7月10日とその前後の空襲についてもまとめました。その中で、新たに分かったことがあります。仙台・空襲研究会 新妻博子代表:
    「仙台空襲の1週間前の空襲。この時は夜中に三神峯の(陸軍)幼年学校があった場所の近くに爆弾が落とされた」これまで目的が不明だった7月3日の空襲。新妻さんたちは、2022年に見つけたアメリカ軍の資料からB‐29の偵察機が任務の傍ら、長町の操車場を狙ったものだったと明らかにしました。訪れた人:
    「7月10日だけではなく(空襲が)いろいろあったんだと驚いた」
    「現実に起きたことなんだと直に話を聞いて。リアルに感じることができた」仙台・空襲研究会 新妻博子代表:
    「少しでも戦争から遠ざかる世の中にしたいと思って活動してきたが、結局また危ない感じがしてきて。(Q ウクライナ侵攻などですか?)そうですね海外で。
    仙台でも同じようなことがあったと引き寄せて考えてくれる時期でもあるので、(戦争)が起きたらどうなるか、無くすためにはということまでそれぞれ考えるしかない」仙台空襲から10日で79年。「戦災復興展」は青葉区の戦災復興記念館で7月14日まで開かれています。新妻さんたちは、7年前から戦災復興展に協力していて「少しでも戦争について考えることに繋がれば」と話していました。ところで、戦災復興記念館について仙台市は、新しい音楽ホールの整備と建物の老朽化に伴い、新音楽ホールが開館した後は施設の更新は行わず、閉館の方向で検討を進めるとしています。展示機能や資料の保存については別途あり方を検討するとしていて、今後の動向が注目されます。
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