イエスのもたらした変革シリーズ(50) 放蕩息子の兄

Поделиться
HTML-код
  • Опубликовано: 14 дек 2024

Комментарии • 3

  • @creationlover1572
    @creationlover1572 3 месяца назад +1

    Nice message 🎉 I am blessed by the message today!
    Thank you Pastor Sakamoto. One day,if God allows, I want to serve Jesus at your church 🎉❤
    God richly bless you!🙏

    • @olive-church
      @olive-church  3 месяца назад

      Thank you for listening to the message of the Bible.
      I am glad God is working in you!
      It would be wonderful if we could worship together!

  • @サスピロアン
    @サスピロアン 4 года назад +5

    放蕩息子を考えるとき、兄の存在を考えたい。
    放蕩息子の話の中で、まるで兄は、損な存在に見える。
    親というのは、子供達に与えるばかりで、ややもすると損な存在に見える。
    私は若い幼い頃、父に、「親っていうのは、与えるばかりで、子から受けることは少なくって、親のおかげで育った子供に、老齢になると、世話してやるとかなんとか、与えたきたことに比べると比べ物にならないくらいの些細なことで威張られて、損なこと、この上もないよね?」と聞いたことがある。
    父は、「与えることの喜びもあるのですよ」と静かにわらっていた。
    クリスチャンソングに、「主はあまねく全地を見渡し、ご自分と同じ思いの者に目をとめられる」という歌がある。
    なんのことか分からなかったし、神さまと同じ思いとは不遜な!とか思ってた。
    親が必死で働き、家族を養い、子を育ててるとき、もし、少し上の兄や姉が、親の手伝いをしてくれたら、親はどんなに嬉しいか。助かるか。
    「放蕩息子」の記述で出てくる父親は、兄に、
    「お前は私と同じ側に立ってくれているのではなかったのかい?」
    「一見、損なばかりに見えて、与えるばかりの私の側に立ってくれる、私の手伝いをしてくれる、私を喜ばせてくれる側の人間だと思っているよ」
    「損してばかりで、ちえっと、思うかもしれないが、頼りになるお前に、私と同じ側に、与えてばかりで損な側に、一緒に立っていてほしい」
    兄の方は、一見損に見えるが、神様と同じ側、与える側を支えて神様の手助けをする側になれる。
    受けるより、与えるが幸いです。
    主は、あまねく全地を見渡し、ご自分と同じ思いの者に目をとめられる。