【三国志】ハリボテの城で魏軍を退かせた呉の戦巧者「徐盛」の解説【ゆっくり歴史解説】

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  • Опубликовано: 15 дек 2024

Комментарии • 38

  • @ろっこく堂
    @ろっこく堂 7 месяцев назад +2

    勇猛で頭が切れるがとにかく我が強い、孫呉の将ってこういうタイプが妙に多いような気が。

  • @yasubb9533
    @yasubb9533 7 месяцев назад +1

    どんなに困難でもどんなに危機でも諦めず死なず度胸と肉体で戦い生き抜く…
    まるでどこかのロボットアニメの主人公を思い出してしまうような猛将ですね

  • @saburiryu28go
    @saburiryu28go 6 месяцев назад +1

    サムネイルに、なぜかKー1時代のミルコ・クロコップ。

  • @イシイマチコ
    @イシイマチコ 7 месяцев назад

    いつの間にか孫呉にいて多くの戦いに参戦はしており名将の一人ではあるものの、強く印象には残らないのはなぜだろう。

    • @KOUMEI_NO_WANADA
      @KOUMEI_NO_WANADA  7 месяцев назад +1

      総大将!みたいなタイプではなく、あくまでずっと最前線の武将の一人って感じだっから、みたいな🤔

    • @イシイマチコ
      @イシイマチコ 7 месяцев назад +1

      @@KOUMEI_NO_WANADA 大将ではなくそれを支えるイメージはありますね。

  • @華煌
    @華煌 7 месяцев назад

    いつかやるさん達とのコラボ

  • @矢追鈍一
    @矢追鈍一 7 месяцев назад +3

    徐盛のイメージは横山光輝先生版だと丁奉とコンビを組んでいた頬骨の出た武将で、当初は劉備陣営に翻弄されてた感じ。
    ハリボテ城壁のエピソードの時自ら名乗り出て建策し魏軍を撃退した時はお見事と感心し、記憶に定着しました。
    今回の動画で対荊州の最前線に赴任したり、ピンチを奇襲で乗り切ったことも知り、名将として再認識出来ました。

  • @アイーン四郎
    @アイーン四郎 7 месяцев назад +2

    はりぼて城壁がやはり印象的ですが武勇に関しても相当で孫権からの信頼も厚かったんでしょうね
    孫韶との言い合いも好きでしたね

  • @匿名希望とくめー
    @匿名希望とくめー 6 месяцев назад

    目の前の城壁が仮にハリボテだと気づいたとして、その目隠しの向こうに呉軍主力や本物の城壁が隠されてない保証はないわけで。詐術一手で騙し切ったというよりそういう心理戦で押し勝ったんだと思う。

  • @shou-sho
    @shou-sho 7 месяцев назад +1

    演義だとやたら出番多いんです。
    ゲームでもなぜか優遇されてますね。程普や黄蓋より強いという破格の扱い。

  • @卯金刀-n1q
    @卯金刀-n1q 7 месяцев назад +2

    文帝紀にある224年に青徐の守将を改易したというのは
    偽城に騙された責任取らされたんじゃ・・

  • @shou-sho
    @shou-sho 7 месяцев назад

    今回のエピソードでわかるとおり、建業って都市の周りを囲むいわゆる城壁がないんですよね。まあ竹の柵くらいはあったでしょうが。
    偽城壁の長さは、石頭から江乗ということなので15~20kmくらいかな?

  • @櫛森鉄平
    @櫛森鉄平 7 месяцев назад

    反三国志では名将としてやたら出番が多い徐盛さん

  • @武闘派のび太
    @武闘派のび太 7 месяцев назад +1

    「兵は詭道なり」と言うが、トリックが暴かれたら一転自身が窮地に陥るのだから命がけである。なるほど「度胸と義気がある人物」のようだ。甘寧と言い呉にはこういう人物が集いやすかったのだろうか。

    • @KOUMEI_NO_WANADA
      @KOUMEI_NO_WANADA  7 месяцев назад +1

      なんかやたらこういう武将多い印象ありますよね、呉って(笑)

  • @Katuragi-Housiyou
    @Katuragi-Housiyou 7 месяцев назад +1

    何故かコーエーの三國志3では姿は武官、能力は文官という全然戦闘で活躍できない能力でしたね。
    普通に考えたら周泰や凌統並みの戦闘力はあってもおかしくないのですが。

  • @mocchi2643
    @mocchi2643 7 месяцев назад +1

    KOEIの三國志Ⅲでは武官系の顔グラだったのに能力は文官だった。

  • @shou-sho
    @shou-sho 7 месяцев назад +1

    張遼との戦いで旗を失うという大失態も犯すけど、大成功もやってのける直情家という印象かな~。
    (戦場では旗で命令を伝えるので失うと部隊は機能停止するんですね。孫権が危なかったのは正直徐盛のせいだと思う)

    • @KOUMEI_NO_WANADA
      @KOUMEI_NO_WANADA  7 месяцев назад +2

      賀斉によく助けられてるイメージ(笑)

  • @garyouandhousuu
    @garyouandhousuu 7 месяцев назад +1

    合肥の戦いのマップ右上におり、
    よく橋を渡って敵に囲まれ敗走してまーす
    (三国無双2)

  • @tomohiro19880307
    @tomohiro19880307 7 месяцев назад

    いつも楽しく拝見しています^ ^
    前半はテンプレのような"前線武将"って感じですが、徐々に成長を遂げていく様が、聴いていてとても面白かったです(*゚∀゚*)b

  • @小野裕輝-o7p
    @小野裕輝-o7p 7 месяцев назад

    徐盛は武勇だけでなく知略戦術にも優れていたが、味方との軋轢の一面もあり濡須口の戦いで家格の低い周泰が上官になるとその指示を拒否したり、蒋欽の部下を勝手に処罰しようとする逸話もある。ハリボテの城壁で魏の進軍を食い止めたハッタリはすごい。

    • @KOUMEI_NO_WANADA
      @KOUMEI_NO_WANADA  7 месяцев назад +2

      ハリボテをハリボテと漏洩させなかった手腕が本当に素晴らしい

  • @キジトラ-b7q
    @キジトラ-b7q 7 месяцев назад

    第二次世界大戦時でも、ハリボテの町、ハリボテの軍隊なんかは意外と有効だったらしいので、基本目視しかない三国時代なら更に有効だったんでしょうね。

  • @matukawatositane
    @matukawatositane 7 месяцев назад

    徐盛殿の助勢しなきゃ
    孫呉を代表する将の一人だわな…戦功がたくさんよ

    • @KOUMEI_NO_WANADA
      @KOUMEI_NO_WANADA  7 месяцев назад

      ホントにずっと戦場にいる(;'∀')

  • @大深和
    @大深和 6 месяцев назад

    この動画を作成した貴殿に『何植』を作成してほしいと言いたいです。
    この人はネタになれますよ

  • @RE-050
    @RE-050 7 месяцев назад

    ありゃ、石亭の戦いにも徐盛さん出陣していた記憶があるけどもしかして演義の創作ですかね?🤔

  • @bar2000tom
    @bar2000tom 7 месяцев назад

    おそらく怨恨の意味が間違ってますよw

  • @もひもひ-j8e
    @もひもひ-j8e 7 месяцев назад +1

    徐盛はよく知らなかったなぁ…
    女性ではないことくらいしか…
    失礼しましたm(*_ _)m

  • @MisakiAyana
    @MisakiAyana 7 месяцев назад

    甘寧一番乗り!

  • @tk2011
    @tk2011 7 месяцев назад +1

    負けないということも戦闘における一つのあり方っぽいですね(時にじれったいか?)。
    かといって、堅実なポジショナルプレイヤーという感じでもなく、スパイス的な独創性がある。
    蒋欽もかっけーな。

    • @KOUMEI_NO_WANADA
      @KOUMEI_NO_WANADA  7 месяцев назад +1

      敵にしてこれほど嫌な相手もいない(`・ω・´)