Battle of Kawanakajima
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- Опубликовано: 3 май 2020
- 時代は戦国時代中期の
弘治2年 1556年 秋
室町幕府は衰退し、三好長慶や松永久秀が京をはじめ 畿内を掌握していた頃である
今回紹介する合戦の舞台は
千曲川や犀川(さいがわ)が流れ、北国街道や飯山街道など 交通の要衝でもあった 今の長野県長野市周辺の北信濃
幾度と川の氾濫を繰り返してきたこの地は、その影響で川の中に幾つもの島が有るように見えた事から「川中島」とも呼ばれていた
周辺を治める各豪族は 信濃征圧を目指し北上する「甲斐の虎」こと 武田信玄(当時は晴信)と 戦うか降るかの選択を余儀なくされていた
その豪族のひとつ、塩田城を拠点とする村上家当主 村上義清と 真田家当主 真田幸隆は 上田平の地の覇権争いをしていたが、真田家は 即座に武田家に臣従を選び
戦国最強騎馬軍団の後ろ盾の元、村上家の排除に成功
村上義清は越後国を治める「越後の龍」こと上杉謙信(幼児は長尾景虎)を頼り、武田軍の北信濃侵攻を阻止すべく立ち上がる
領土拡大に躍起な武田信玄と、侵略された豪族を助けるべく義で動く上杉謙信
両者は 川中島で3度目となる対峙の時をむかえていた
[ご覧になられる方へ]
※番組内に登場する忍キャラ「サスケ・クノイチ」は、ユキムラが楽しむスマホ版ゲーム『みんゴル』でユキムラが愛用するキャラクターとなります。ぜひ「みんゴル」もやってみてね!
※通説に基づきつつも一部ユキムラ流に脚色を加えた合戦解説となります
※合戦や物語の出来事は諸説あります
※制作の都合上全ての情報や登場武将を網羅してはおりません
※登場人物名は改称時期に拘らずわかり易い表記で記載しております
※演出時に大きな音が出る場合があります
※2020年時点での歴史資料を元に作成しております Игры
歴史好きにはたまらん。新しい観点もあり、嫌味なくギャグを入れ本当に面白い。たんたんとした語りも耳心地よい。
今川義元のyearがワロタわ
で、あるか
歴史嫌いだけど、この動画は好き‼️
@@user-fs2fw1ug2q へほへ
やっぱ武田と上杉はつえええぇなぁ。いいライバル関係やなぁこの2人が一番好きやわぁ。こりゃ信長ですらも恐れるわな
「飯盛春盛」って初めて聞いたけどなんかめでたくていい名前だな
戦の場で総大将同士が対峙するってすごいことやな、、
最後のテーマ曲。これ痺れるわ。城の紹介と合わせてジーンとくる。
実力者揃いの武田軍団でしたが、唯一替えが聞かない存在だったのが、弟で一門衆でもあった信繁。
家中が結束する上での唯一無二のキーパーソン的存在だった彼の戦死は、多くの方も
コメントされてるように、後年に大きな暗い影を落としましたね。
彼が生きていれば、長篠の戦いのような無理な戦いはなかったかもしれません。
ただ、物量で負けるので、織田には負けるかもしれませんが。。
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信繁と勘助が一度に戦死したのが武田陣営の致命傷。せめてどちらかでも生き残っていれば織田との対決を回避、武田滅亡を回避できた可能性がある。
俺が初めて川中島の戦いを知ったときはまだ小学生やった
そんときは武田のキツツキ戦法実施の前日、いつもより海津城の炊事の煙が多いことに謙信が気づいて、武田方の策を見破ったってのが通説やったはず
最近受験とかで全く歴史について調べてなかったから遭遇説は自分にとって新鮮でとても面白かったです!
まさか自分と同じ境遇の人がおるとは笑笑
同じだ
関ヶ原の戦いの次に好き
武田信玄と上杉謙信のライバル同士がたまらない
越後勢のうち、足止めの決死隊として獅子奮迅の働きをした甘粕隊の言及がなかったですね。
あの部隊の配置と運動は、謙信が武田の作戦を予見してないとできない采配だと思います🌝
山本勘助が架空の人物ではなく、実在の人物という事が段々とわかってきて本当に嬉しいです。
系譜上では、山本五十六(旧姓:高野、1884(明治17)~1943(昭和18))の養家・山本家(長岡藩家老)は、山本勘助(1493(明応2)or 1500(明応9)?~1561(永禄4))の末裔(或いは一族の子孫)と伝わっている。
風林火山ってドラマやってなかったっけ
@@dragonesryan282 オラっと行っかねっか、どんき~なこ~ん(・w
@@dragonesryan282 さん
大河ドラマでやってました。
武田信玄を市川亀次郎さん(現 猿之助)
上杉謙信をGacktさん(現 GACKT)
主役の山本勘助を内野聖陽さんが演じています。
重臣に緒方拳さんや千葉真一さんも出演しており、かなり深みのある脚本でした。
今でも1番好きな大河ドラマです。
大河ドラマ【武田信玄】での山本勘助には目が釘付けになりましたね。うわ!これだ!という感じ。
目立たずに飾りの無い乱破あがりの謀将を描ききっていた事なんですよね。
今川義元が桶狭間にて討ち取られる日から少し遡ったタイミングでのワンシーンで、なんと周防染めの着衣(忍び装束)で 織田方の間者と耳打ちで情報交換をしているという💥なんとも驚くべきシーンがあったんですよね!
山本勘助を演じていた西田敏行の役作りへの探究心と共に演技力の奥行きと深さ。そしてなんといっても👉マニアの領域か?とも思わせられる高いレベルでの 脚色・演出・衣装・時代考証にあたった【武田信玄】のスタッフ陣らの有能さは歴代の大河ドラマの中でも最高レベルだったかと好評価致します。
啄木鳥戦法説がいつの間にか覆っていたことに驚きを隠せない
武田信玄は家臣と納得いくまで作戦を論ずるのに対し、上杉謙信はほぼ独断で作戦を決める。
後を継いだ勝頼や景勝が父親の逆の作戦を取るというのは面白い話。
でその結末も真逆というのも面白い(武田は勝頼で滅び、上杉は幕末まで存続する)
@@user-ho6hn8iu9o まぁそれに関しては結果論だけどね。
@@user-ho6hn8iu9o 群雄割拠の時代を生きた信玄謙信に対して勝頼景勝の時代には一強他弱が出来上がりつつあったからこそ、環境の差が出たんじゃないかな
信繁が討ち取られたのが痛すぎの武田軍でしたね。
彼が生きていれば義信事件も起きなかったと言われていますから。
ですね… 第4次川中島はほんと武田にとっては痛い戦いだったと思います
勝頼ではなかったらと思うと、信長も長篠で迎え撃つなんて悠長な事を言ってられなかったかもですからね…
武田っていろいろと惜しいよね。三方々原の戦いで勝利するもその後信玄が病気で死んでしまうという運の悪さ、2人の判断の過ちとはいえ川中島で信繁と勘助を失い勝頼は長篠で山県昌景、馬場信房、内藤昌豊ら四天王を3人失う。高天神城を奪うもその後徳川に攻められ再度奪われたうえに家臣からの信頼も失ってしまう。最後は天目山の戦い(甲州征伐)で穴山や小山田に裏切られ滅亡。信玄も勝頼も優秀だったけど勝頼は多くの過ちをおかしてしまいましたね。甲斐の虎と恐れられていましたが個人的にはちょっと切ないですね…
@@user-ve9gq8tl5x
加えて信玄が同盟反故を今川やら北条やら織田やらとやりすぎたのも
周りから信頼おけないと考えさせるに足るので最期は敵ばかりになってしまう下地となったのではないかと
@@asakazefuji なるほど、本当に詳しい人がたくさんいるなー。
@@user-ve9gq8tl5x
徳川家康の父、広忠は今川へ送る予定だった竹千代(→元康→家康)が織田へ送られてしまい、それをもとに織田信秀が織田側へ付けと脅したら
「息子を殺さんと欲せば即ち殺せ、吾一子の故を以て信を隣国に失はんや」
といったとされるそうで。もしかしたらここで家康の生涯は終わっていたかもしれない。…けども、信を貫くのも大事だと思います。
(信長と独立後の家康の同盟は、本能寺の変まで全く覆らなかった。裏切られが多い信長の中でも律義者だったと思います当時の家康は)
投稿ありがとうございます
上杉謙信一番好きで2番目が武田信玄でこの2人が争う川中島の戦いが一番好きです!これ解説してくれるのめっちゃ嬉しい!
見ていてニヤニヤがとまりません!
BGMや効果音もかっこいいです!
包囲突破する上杉やばすぎん?
この戦いで戦国の虜になりました。武田信玄上杉謙信日本人のほこりです。
いろいろな学説があるけど、こういう見方もあるんだなぁと改めて思いました。固定観念にとらわれていると頭が硬くなるので、非常にためになりました。
待ってたこの動画
最近はこのバッタリ出会った説が有力ですね
武田の重臣が次々やられてるのと武田上杉両軍の被害が多すぎるためバッタリ出会った説が説明がつきやすいとか
たまたま陽動部隊を送ったタイミングと上杉軍の撤退のタイミングが一緒で、たまたま川中島に濃霧が発生したために八幡原に移動した武田軍本隊と上杉軍の遭遇戦が発生したというのも無理がある。
やはり、上杉軍の斥候が武田軍の動きを監視していて、その報告に基づいて信玄の作戦を見破り、各個撃破のチャンスと考えリスクを承知で武田本隊を奇襲したのではないだろうか、武田別動隊が来る前に信玄の首を取っていれば前年の桶狭間の戦いのような大勝利になっていたわけだから。
とても素晴らしい!
BGMも最高であっという間に見終えました。
川中島の合戦て武田目線で語られることばかりだか、上杉目線の川中島も見てみたい。
大河ドラマでは何が何だか解りにくかったですが、こう観ると面白いですね!勉強になります
川中島の戦いは後世の創作もあるとはいえ信玄公、謙信公の心理戦も含めてドラマとして見ても面白いですよね。
大変分かりやすい動画、ありがとうございます。
thank you, love to see the history of jp war
信繁が生きていれば、武田家が簡単に滅亡する事はなかった。
真田の信繁かと思った。
武田にも信繁がいたのか…
@@kaka2329
真田の信繁は武田信繁にあやかって名付けられたと聞きます。
@@user-oi1pl6xc2i 調べてみたら真田幸隆の息子で長篠で戦死した長男・次男の弟で真田家三男武藤喜兵衛改め真田の家督を継いだあの知将昌幸が信玄兄弟を尊敬して次男の名に信繁をつけたみたいですね。
わざわざありがとうございました!!
信繁は潤滑油的な超重要ポジだったからね
そういう意味では信玄時代から滅亡はみえていたと言えるかもな
@@kaka2329 弟や
この合戦は、何度見ても興味深い。
両軍の策が見事。
海津城に本隊を入らせるのが謙信の狙い、動き出すときは米を炊く煙りがかなり多く出るこれで妻女山山中からも武田の動きが見て取れる
本当に面白い!
わかりやすいですね!
途中からこのチャンネルに気付きハマりました。この動画でサスケの出生の秘密が解り安堵しました笑
謙信、信玄共に理由は違えど
同じ時期に進軍するのは
2人に運命を感じる
このシリーズほんとに面白いわ
超絶面白い
分かりやすい!ありがとうございます!
おつかれさまでした! まってました決戦 川中島!
偶然説ですね~~
合戦解説はいつ見ても面白いです。私の好みです。
面白かった~。地図上の当時の裾花川の川の流れが違うのに気づいた
ついに川中島キター!主殿の動画はとてもテンポが良く、とても分かりやすい
一連の経緯で妻女山から13000もの上杉軍が引き揚げているのを朝まで気付かなかったというのが府に落ちないんですよね。武田にも上杉にも耳目となる忍者がいてこれまでの戦いでも互いの動向を割と正確に把握していた事が伺えるのに、この時ばかりは武田方が完全に出し抜かれていて、忍者同士の抗争が人知れず起きていたのかもと想像してしまいます。
偶然に起きた説もいいかも知れんが、自分はやっぱり謙信が見破った説の方がロマンがあって好きだな
妻女山に布陣したのだって決戦を仕掛ける為でしょう 戦をする気がなければあそこには布陣しないし、謙信があそこに布陣したのは全てを読んでいたからだ!
これも一つの説に過ぎなくて今でもよくはわかっていないのが川中島第四戦ですよね。ですが武田方には山本勘助など重鎮の戦死が多い。何らかの作戦ミスがあったと考えた方が自然かとも思います。一方車懸りの陣と甲陽軍鑑に出てくる戦法は、武田方の鶴翼の陣というポピュラーな陣形と違ってこの川中島第四戦以外ではどこの合戦にも出てこない戦法で今でも謎ですよね。いずれにせよ五回にも渡る川中島の戦いでお互いに戦力を消耗、結局上洛の機会を双方つかめなかった。信玄が動いたときはもう死に至る病に侵された状態でした。この二人、互いに敵対しつつも認め合った終生のライバルだったのでしょうね。
妻女山奇襲には5000千の兵の位でよかった、少し妻女山奇襲は兵が多すぎる
面白いですね😊私も戦国合戦史には、非常に興味がありますので他の合戦も宜しくお願いします。
どんどん人気RUclipsrになってる!!
めっちゃ分かりやすい
武田の武将みんな好き
面白いです
Thankyou for the English Substitle!!!
書状の内容もリンクされていて素晴らしい!
どちらも作戦を読んでいるのが凄い❗
川中島もスゴい戦いですね。
大友vs毛利の北九州攻防戦を是非とも宜しく御願い致します。
とても楽しみにしています。
ありがとうございます!
幸村さんイケボやなあ🎵うらやましい。
ステイホームの最中、堪能させて頂きました。
待ってました!分かりやすいです😆
興味深いシュミレーションでした。不期遭遇戦となり、甲越両軍ともに死力を尽くさざるを得ない戦いだった……。
当時、最強を謳われた信玄率いる武田軍を、唯一叩きのめした上杉軍を褒めたい。(地元補正入ってます^^;)
山梨補正の方、現れぬかww
川中島の合戦が、遭遇戦?謙信がキツツキの戦法を、見抜いてたのじゃ、なかったの?いつの間にか、定説が覆ってた?
武田軍が最強と言われ出したのはもっと後だぞ、この時期1561年まではまだ信濃攻略の時期なんで
ただの解説動画でなくドラマ見てるみたいでした。八幡原の夜明けのシーンとかクライマックスでハラハラドキドキ
(´ω`)
この古戦場に住んでる人を知ってるけど、土木工事中、今だに人骨が出土する例が有るそうな。
無名戦士の墓ですね。
信繁やヤマカンの骨もあるのだろうか
@@user-dc4ev7rc1r ねえだろ
開発が進んでない証拠ですね🎵
@@user-em9lc9nu9d 古代ローマがカルタゴを属州にしたとかでも、工事中に狼に襲われたとかで呪われた土地とかの扱いで結構開発とかが止まったとか、作ったのも時代が進んでとからしいし、ここの開発が進まないのは呪いやら祟りやらを恐れてとかの可能性が割と高そう。
あいも変わらずの安定感!
しっかり諸説ありと入れくる所作に、自分が思う観点と他にもあるんだよって第三者視点と良いですね!
それでは、信長の野望再開です
最新作でも、信玄、謙信、勘助も出てきたので不思議と懐かしい動画に思えますね。
信玄は臨終前に後継者の勝頼に、あんな強い男(=上杉謙信)と戦ってはいかんと諭したとか…
謙信は戦国最強と言われるだけあるな
小田原城攻略の話も、なんで日本海側にいるやつがたった一回の攻勢で太平洋側の小田原までまで押し寄せてきてるんだよ?って思ったもんw強すぎだろw
俺は甲斐源氏の子孫だが、謙信、カッコイイなぁ。これはリスペクトだわ👏❗️
😂おおお名門ですな🙌ちなみに俺は源氏に滅ぼされた奥州藤原氏の子孫す😅
わかりやすい!おもしろい!繰り返し視れちゃいます。感動です。
新たな説、画像製作向上の度に更新して頂きたい。
追伸 謙信の声が女性ぽいのは意図的?!・・・謙信の言動とリンクして好感です。
謙信は太刀を抜き、謙信の家臣が信玄に斬りかかった一騎打ちの戦い。
実に素晴らしい
二人とも、、天然な感じ。
ロバート 馬場信房 秋山信友 山本勘助
凄い!!!
えぇ!!感動Σ(゚ロ゚;)
言葉では現せないですけど、
コメント乱でのこの様な発見を発言できる方は、創造力が豊かですね♪(●´ω`●)
僕も戦国好きですし、ロバートという芸人さんも好きですが、気がつかなかったです!!
動画とは関係がありませんが、この要な発見を評価すべき!!
ダウンタウンの松本人志さんが、
発見してTVで言いそうな事ですね!
梅沢がいないの?🤣🤣
26:58 ワロタ
信玄の謙信に対する評価
「太刀においては日本無双の名大将」
アルビレックスvsヴァンフォーレ
まさに大規模アンジャッシュやな
地元民ですが、これとは違う説も色々とあります。
恐らく各地の合戦もそうなのだと思います。
結局は、現代人は残された断片的な(時に操作された)情報から「想像」をしているに過ぎないのですが、だからこそ引き込まれてしまいますね。
1,000の寡兵で武田の陽動部隊を一手に引き受けてその八幡原到着を遅れしめ、その結果 武田本軍に大打撃を被らしめた甘粕景持の奮戦も描いてほしかったでござる……😢
山本勘助の絵図うますぎだろwww
肖像画も勘助が書けょw
…織田信長もうかつに手を出せない2つの強豪(配下の家康と勝家は手を出し大火傷)、ぶつかると凄まじく両軍被害甚大になってしまったか。超高性能な武具がお互い衝突し破壊された話を思い出します。
謙信は信玄の作戦を見抜いた上での進軍です!
武田も上杉も上手い
いろいろな説があるけれど、たまたま決戦になったって話が納得しやすい気がするね
個人意見🤔係日本戰國時期,川中島之戰是我覺得最精彩的一場戰爭,武田信玄對上杉謙信
有名な一騎打ちも実質はこれも偶然的であり謙信側は信玄を知っても信玄は謙信をあの時何者かは知らずも後々になってようやく自分を斬りつけたのが謙信だったと気づいたものだと思います。
風林火山凄いはまって見てたの思い出したわー
上杉家強すぎない?
謙信の次の景勝も謙信譲りの強さを持つと言われてるし
越後の龍はいつまでも続くんや!
景勝といえば先代が偉大すぎたせいで眉間のシワが消えなかったとかw自身も越中が殺られてる時に滅亡寸前のかつての宿敵武田家に同盟の義理を守ろうと、援軍を送ろうとした男は日本中探しても彼しか居ない! あの状況じゃ謙信でも流石に援軍は出さないね(笑)
@@user-lw4xj3lx4f わーお
@@user-lw4xj3lx4f 景勝は直江兼続とコンビというイメージが強いですね😐
川中島(四次)の戦いは、武田軍、上杉軍とも生還率が低くかったそうですね。
それと、ほんの約50年位前まで川中島辺りの土地を掘り起こすと種子島(火縄銃)が
出てきたそうな。
いや~、面白かった。
山本勘助の扱いが酷すぎる…
本当にこの川中島の戦いは謎が多い。他の戦に比べて異常に戦死者が多すぎる。
たまたま遭遇したというだけでは説明がつかない。
偶然で発生した戦というところに歴史のロマンを感じる。。。
面白すぎる!
近年提唱されている新説川中島ですね。初見でしたがとても面白かったです。
真田信綱出してくれるのは嬉しい
武田、上杉が潰し合いしている間に織田が強大になり、信玄、謙信が亡くなってから手を結んでも時すでに遅し。
川中島の戦いなんとかならんかったのか。
登録者数1万おめでとうございます‼️歴史好きにはたまらない、動画ですね♪
更新する度にお声が聞きやすく説明のテンポが良くて、サムネ内容も分かりやすいです!また、動画の構成もお上手ですね♪(*・ω・*)
風林火山懐かし
ユキムラさん、お疲れ様です!アレ、この動画は何度も見たのにコメしてなかったですwww!自分が好きな武田信玄と上杉謙信ですから、集中してしまい、コメの事を忘れていた、www!
たらればになるけど、上杉相手にしないで織田を攻めてたらどうなっただろう・・
川中島の戦いはやっぱり歴史好きとしては1、2を争う激戦、熱戦。まあ睨み合いの時を覗いて
ありがとうございます。力作かつ素晴らしい解説だと思います。
三次会戦の経過も小谷城攻略と将軍の調停工作(謙信への関東管領職委任)など理解しやすい。
四次会戦は桶狭間の戦い後の政治情勢の変化
・武田の北条への援軍
・武田の北信濃への侵攻(海津城築城)
これによる上杉軍の撤収と北信濃への反攻への動きが分かりやすいです。
妻女山への上杉軍の布陣は不可解だと思っていますが、海津城への威圧の面が大きかったのかなと思ったりします。
2000の海津兵に対して13000での攻城なら海津城を攻略すれば川中島地域の制圧が可能であったと思うのですが、その辺りが棒道をつくり兵の早急な展開ができた武田勢の抑止効果だったのかもしれません。
ただ、20000の武田軍が海津城に詰めた時点で上杉軍には勝算はなくなっていただろうとは思います。上杉が勝つとすればその条件は海津城攻略だったでしょう。
妻女山は海津城への兵站線を切る位置にあったとしても、武田軍によって兵站線を切られる位置でもあります。
※ただ何らかの兵糧の搬入があったとするなら、案外真田氏あたりの動きは怪しそうな気がします。別働隊が真田家なのは武田本軍から切り離したかったのかもしれませんね。
一方武田軍の勝算については動画で説明されている説は説得力があります。
キツツキ戦法ではなく、別働隊は陽動と妨害による時間稼ぎ。本体で横山城を攻略する。こうすれば北信濃に武田領の版図は広がるということになります。
この動きを察知したのか、偶然か、両軍は遭遇線に突入するわけですが、上杉軍は中央突破で後退戦を行ったというのが現実的だろうと思います。ある意味車懸かりではありますよね。
もし武田軍が海津城に3~4000人守兵を残し、残りの全軍で横山城に向かっていたらどうなったかと考えると興味は涌いてきます。
別働隊がなくとも上杉軍は山を下りなければならないし、逆に武田本領に攻め込むことなどできなかったはずです。
こうすれば妻女山からの謙信を待ち受け殲滅し、返す刀で横山城も占領できていたかもしれません。
個人的には双方少しずつ読み違い手違いがあり痛み分けに終わったと言ってしまえば私が傲慢に感じられるのでしょうか?
編集ソフトとBGMてどこからもってきてるんですか?
遭遇説はかなり無理があるんだよね。
両将がたまたま都合の良い場所で同時刻にいましたっていうのは、戦を知らない現代人が思い付いたこじつけ論だと思うね。
両家に残る口伝とも異なるし、史書とも異なる。史実は現代人の希望や空想とは違うんだと思うよ。
武田の作戦が、本隊の善光寺平への進撃と陽動部隊の妻女山攻撃。山を下りた上杉軍への挟撃。と言うことだが、武田本隊は明け方にまだ八幡原を移動中である。動きが遅すぎる。明け方には善光寺平を攻撃しているくらいでないと、陽動作戦が成り立たない。したがって、武田の作戦は従来の上杉軍待ち伏せでいいのではないかと思うが。
そして、戦国最強であった武田軍の緒戦での損害の大きさをみても、武田本隊が完全に移動中の不意を突かれている。上杉軍は、海津城の動きを察知し、妻女山を降りて善光寺方面に移動しており、相手の動きを読んでいたので、いつ遭遇戦になってもいいように臨戦態勢で進んでいたと思っている。
謙信は自軍が武田軍より総兵力で劣勢であることは位は分かっているから、最初から信玄が兵力を分割して、何らかの方法で妻女山を攻撃してくる。謙信は、そのために危険を冒して敵中の山に登ったのだろう。妻女山への攻撃ルートも調査していたはずである。
謙信は敵が動いた瞬間が勝負と考えていたと思う。そして、信玄が軍を分割したその時を狙って、一気に信玄の本隊を襲撃して信玄の首をとる、との作戦だったと思う。
そのもくろみは大成功。ただ、本隊の粘り強い抵抗と陽動部隊の移動が思いのほか速かったため、今一歩のところで信玄の首を取り損ねた。
遺恨十年 一剣を磨き 流星光低に 長蛇を逸す
本戦では、常に謙信が先手を取っている。信玄はその対応に苦慮している。さすがに軍神と言ったところですね。しかし、信玄は、弟や軍師まで討ち取られながら、最後まで踏ん張った武田軍の粘り強さで引き分けまで持ち込んだ。って感じですね。
まさに虚実表裏の駆け引きですね。当代随一の名将同士の戦いにふさわしい一戦ですね。
❤
な、な、なんと1万人!!!!
本当におめでとうございます🎊
これからも頑張ってください!
やっぱりサスケはどこでも出てくるのですね😅
川中島の戦いは最近では偶然遭遇したという説が強くなってきてますよね
次の動画も楽しみにしてます!