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皆さんご視聴ありがとうございます!イベントもだんだんと近付いて来ました‼️✨✨進撃の歴史旅イベントスケジュール✨✨✨その①進撃の歴史旅初トーク&交流会12月14日(土)会場 東京都渋谷 KOBUSHI BEER BAR16:00 受付開始16:30 イベント開始18:00 には終了予定チケット一般の方 ¥2500メンバーシップ会員様 ¥1500【受付】peatix.com/event/4153305/view✨その②読売旅行様企画進撃の歴史旅「信政の野望」と行く阿波・聖徳太子伝説と天照大御神ゆかりの地2日間2025年1月11日〜12日ツアーの見所は何と言っても!天皇陛下の即位儀式「践祚大嘗祭」で献上される「三種の御膳」の中から阿波徳島に伝わる「天都御膳」と「長乃御膳」を再現して皆様に召し上がって頂きます😊このツアーの為に今回特別に再現して頂くとても貴重なお料理となっています。【受付】www.yomiuri-ryokou.co.jp/r/tour-search/type-kokunai/coursecd-243185812%60/✨その③表博耀×杣浩二 風の時代新たな価値観を知り世界を読む! 歴史宗教から学ぶ「人生の歩み方」2025年1月13日(月祝)あわぎんホール5F13:30〜前売り3000円【受付】t.livepocket.jp/e/tatsr?LINE&
素晴らしいですね🎉
感動しますね❤
ありがとうございます!四天王寺に行くと、この用明殿が一番不思議な場所でした。聖徳太子のお父さんに導かれてたのか?とか、思い込んでたんです!鳥居のエネルギーだったんですねわかりやすくありがとうございます!これからはその先に向かい手を合わせようと思いますこの隣に猫の門があり、用明殿に猫がお昼寝してくださり…メッセージ貰ってました夢で猫の兵士が出てきました。
元々あった位置からは変えられてしまっていますが鳥居からのラインの繫がりは残ってるのかもしれませんね😊
素晴らしいですね
配信お疲れ様です、野沢菜は天王寺に勤めていた坊様が、故郷の長野県の野沢村に持って帰り育てた所、寒さで変異して茎が伸び今の野沢菜になりましたv
コメントありがとうございます😆野沢菜にこんなエピソードがあったなんて驚きでした!でも天王寺から長野へって所がまた物部氏との繫がり感じますね😊
感動しました😊
待ってました~聖徳太子ターン!!徳島ツアーに参加予定なので、この動画でさらにワクワクしております😊それにしても、四天王寺にある鳥居の謎から、用明殿や饒速日命の存在に気が付き、太陽信仰に行き着くなんて...驚きましたッ!
ツアー楽しみですね😆聖徳太子はまだまだここから深掘り要素たくさんあるので、来年の動画ではたくさん登場すると思います!
久々の動画公開、とても興味深い考察でした。寺院仏閣は、あまりわかりませんが神社鳥居に関するところの太陽崇拝は全然ありだと思います。というか古いものは基本的に自然信仰、自然崇拝なので磐座、神木、だったり、神体が山であることも多々あります。大神神社の話もありましたが伊勢神宮も太陽崇拝の代表的なところです。今後とも面白い興味深い考察楽しみにしてます。阿波以外もじゃんじゃん考察期待してます。
ありがとうございます😊
聖徳太子いいですね!彼もまた謎だらけの偉人、ここから考察がどう進んで行くのか次も期待しています。
ありがとうございます!今回は四天王寺からの視点でしたが人物像からの深掘りもやってみようと思います😊
16:45 四天王寺の山号を荒陵山「あらはかさん」と読んでいますが、四天王寺学園での仏教の時間に「こうりょうざん」と習いました。少しひっかかりますね。
ご指摘ありがとうございます😊「こうりょうざん」という読み方も確かにあってひよっとしたら仏教的にはそちらの読み方の方が正解なのかもしれませんね🙇ただ僕が調べた範囲では「あらはかさん」という読み方が多かったのでそちらで読ませて頂きました!
1月のツアーに参加予定です😊阿波と聖徳太子がどう繋がるのか?ミステリーですね🤔進撃さんの考察が楽しみです。今年3月のツアーで徳島に行き実際に神社⛩️巡りをしましたがやはり現場を見ると体感できて印象深かったです。
ツアー楽しみですね♪実は僕もタタリ谷常厳寺に行くのは初めてなので早く行きたくてワクワクしてます😊
山背大兄王は蘇我入鹿に攻められたんですよね。
進撃さんの為に私の多利思比孤考察は進撃さんのツアーの後に公開する事にしました!安心して下さい!
ありがとうございます🤣
あまり取り上げらる事がないのですが、大阪府八尾市に #大聖勝軍寺 が有ります。
子供の頃から祖母や母に連れられて参った寺のひとつ、です。境内にある学校で学びましたが、七不思議があったりしてヤヤコシイところ。寺でもあり、神社でもある。伽藍配置と北斗信仰、レイラインにも関わる東西には隠れた祠の存在も。中山市朗さんほか、中沢新一さんも書籍を出してますね。
お堂もたくさんありますし整理して見ていかないと混乱するぐらい見所たっぷりのお寺ですね😊
@ さん、本来の山号は、「荒れた陵墓で築かれた寺」から、あらはかやま、と伺いました。こうりょうさんは、ゴマカシ❓かも。我々が高校生の頃の、副校長→校長→管長猊下からの話です。
@@おかめ有希 情報ありがとうございます😊こうりょうざんでは?とご指摘頂いた方も四天王寺学校で学んだと仰っているので、やっぱり何かしら隠されているみたいですね😱
南無聖徳太子救世菩薩 合掌
四天王寺の先祖供養のしめくくりは、必ず亀井水の経木流しです。創建時、亀井水はなんだったのか。平安時代末まではお堂はなく、朝の太陽礼拝の水鏡でした。生駒山地が暦となります。亀井水から冬至の日の出の位置に、牛が変化した磐座を祀る、牛王尊があります。冬至の方位の磐座信仰のなごりが、江戸時代まで大晦日にお詣りする風習がありました。鎌倉時代の絵画をみると、中心伽藍の東、亀井水から太子殿の間は天皇殿がありました。西の鳥居のまっすぐ先は、天皇殿となります。
天皇殿はおそらく用明殿の事ですよね😊亀井堂の位置は元からずっと今の場所なんでしょうか?動画内でもやりましたが牛王尊はおそらく位置が変わってしまっているので、亀井堂と牛王尊の関係性については元あった位置関係で考えた方が良いのかなと思っています🤔
@shingekinobumasa 図面は江戸時代はじめの元和再建図を参照したほうがいいでしょう。鎌倉時代を代表する絵図、一辺絵伝、をみると、中心伽藍の東西の出口重門の、東重門がことさらに豪華です。東重門が天皇殿の拝殿でもあったようです。西重門はシンプルです。亀井水から冬至の日の出は、遠く信貴山です。大体の位置で石神堂はいいんでしょう。亀井水から生駒山頂部から日の出の時は、穀雨と処暑。農作業の開始と刈入れの大切な時です。亀井堂裏には創建当時の石垣が保存されています。石垣の上から見下ろすと、亀井が水鏡として輝く、という幾何学的設計になります。話は果てしないです。noteに色々書いています。
都市伝説系の作家中山市朗氏は四天王寺には牛の燔祭の痕跡があるとしています。燔祭は物部神道の儀式で聖徳太子がそれを残したと言うのです。真偽不明ですが日本にも各地に燔祭の風習があったことは確かなようです。
ありがとうございます😊実際に牛王尊も残されているので燔祭の話しはあり得る事だと思います。物部氏系の子孫の方々が今も四天王寺に関わっていらっしゃるようなので、聖徳太子は単に物部氏を消そうとしていた訳じゃない様子が見えて来そうです😊
四天王寺て面白いですよね大阪の街の再開発で除かれたお地蔵さんなども寺院敷地の一角に集められ祀られています内乱で滅した物部一族の鎮撫四天王寺の建立目的からして祟り封じの場所と大阪の人の共通認識があったかも知れない
今も物部の人達がお寺に関わり続けているというのも不思議で歴史を感じますよねー😊
池に囲まれた石舞台が何かを封じ込めた蓋に見えました。
四天王寺の前にそこに元々神社があったのでしょうね。罰当たりと言いたいところですが、物部氏との対抗上そうなったのでしょうかね。用明殿の右上に前方後円墳のようなものが描かれていますが、それはなんでしょう?
用明殿の右上のは僕も最初気になったんですが、あれはおそらく弁財天なので池だと思われます。狙ってあの形にしたのかは不明ですが…現在は丸の部分だけが池として残ってますね😊
聖徳太子につきましては「阿波千年物語36〜43」を参照下さい
四天王寺ある物見た人物楠木正成他の人知らない。
未来記ですね😎
馬小屋ではなく馬舎の戸の前で生まれたですね。彼は実在ではないと思ってます。
聖徳太子はいないという説はどうなんですか?
僕はいた、或いはモデルとなった人物はいたと考えています😊
@@shingekinobumasa モデルとは?日本国の一万札になったから謎ですねいまでは歴史の教科書では馬小屋あつかい 僕は昭和人です弘法大師ならできるのでわ?
@@shingekinobumasa厩戸皇子はいましたよね。
@@kyonchannel6333 遣隋使派遣して朝鮮半島にビビってたヤツか?なんで、随に守ってほしいかわからん結果、朝鮮に大好きな随が滅ぼされたおれは、キライですな
皆さんご視聴ありがとうございます!
イベントもだんだんと近付いて来ました‼️
✨✨進撃の歴史旅イベントスケジュール✨✨
✨その①
進撃の歴史旅初トーク&交流会
12月14日(土)
会場 東京都渋谷 KOBUSHI BEER BAR
16:00 受付開始
16:30 イベント開始
18:00 には終了予定
チケット
一般の方 ¥2500
メンバーシップ会員様 ¥1500
【受付】
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✨その②
読売旅行様企画
進撃の歴史旅「信政の野望」と行く阿波・聖徳太子伝説と天照大御神ゆかりの地2日間
2025年1月11日〜12日
ツアーの見所は何と言っても!
天皇陛下の即位儀式「践祚大嘗祭」で献上される「三種の御膳」の中から阿波徳島に伝わる「天都御膳」と「長乃御膳」を再現して皆様に召し上がって頂きます😊
このツアーの為に今回特別に再現して頂くとても貴重なお料理となっています。
【受付】
www.yomiuri-ryokou.co.jp/r/tour-search/type-kokunai/coursecd-243185812%60/
✨その③
表博耀×杣浩二 風の時代
新たな価値観を知り世界を読む!
歴史宗教から学ぶ「人生の歩み方」
2025年1月13日(月祝)
あわぎんホール5F
13:30〜
前売り3000円
【受付】
t.livepocket.jp/e/tatsr?LINE&
素晴らしいですね🎉
感動しますね❤
ありがとうございます!
四天王寺に行くと、この用明殿が一番不思議な場所でした。聖徳太子のお父さんに導かれてたのか?
とか、思い込んでたんです!
鳥居のエネルギーだったんですね
わかりやすくありがとうございます!これからはその先に向かい手を合わせようと思います
この隣に猫の門があり、用明殿に猫がお昼寝してくださり…メッセージ貰ってました
夢で猫の兵士が出てきました。
元々あった位置からは変えられてしまっていますが鳥居からのラインの繫がりは残ってるのかもしれませんね😊
素晴らしいですね
配信お疲れ様です、野沢菜は天王寺に勤めていた坊様が、故郷の長野県の野沢村に持って帰り育てた所、寒さで変異して茎が伸び今の野沢菜になりましたv
コメントありがとうございます😆
野沢菜にこんなエピソードがあったなんて驚きでした!
でも天王寺から長野へって所がまた物部氏との繫がり感じますね😊
感動しました😊
待ってました~聖徳太子ターン!!
徳島ツアーに参加予定なので、この動画でさらにワクワクしております😊
それにしても、四天王寺にある鳥居の謎から、用明殿や饒速日命の存在に気が付き、太陽信仰に行き着くなんて...驚きましたッ!
ツアー楽しみですね😆
聖徳太子はまだまだここから深掘り要素たくさんあるので、来年の動画ではたくさん登場すると思います!
久々の動画公開、とても興味深い考察でした。
寺院仏閣は、あまりわかりませんが神社鳥居に関するところの太陽崇拝は全然ありだと思います。
というか古いものは基本的に自然信仰、自然崇拝なので磐座、神木、だったり、神体が山であることも多々あります。
大神神社の話もありましたが伊勢神宮も太陽崇拝の代表的なところです。
今後とも面白い興味深い考察楽しみにしてます。
阿波以外もじゃんじゃん考察期待してます。
ありがとうございます😊
聖徳太子いいですね!
彼もまた謎だらけの偉人、ここから考察がどう進んで行くのか次も期待しています。
ありがとうございます!
今回は四天王寺からの視点でしたが人物像からの深掘りもやってみようと思います😊
16:45 四天王寺の山号を荒陵山「あらはかさん」と読んでいますが、
四天王寺学園での仏教の時間に「こうりょうざん」と習いました。少しひっかかりますね。
ご指摘ありがとうございます😊
「こうりょうざん」という読み方も確かにあってひよっとしたら仏教的にはそちらの読み方の方が正解なのかもしれませんね🙇
ただ僕が調べた範囲では「あらはかさん」という読み方が多かったのでそちらで読ませて頂きました!
1月のツアーに参加予定です😊阿波と聖徳太子がどう繋がるのか?ミステリーですね🤔
進撃さんの考察が楽しみです。
今年3月のツアーで徳島に行き実際に神社⛩️巡りをしましたがやはり現場を見ると体感できて印象深かったです。
ツアー楽しみですね♪
実は僕もタタリ谷常厳寺に行くのは初めてなので早く行きたくてワクワクしてます😊
山背大兄王は蘇我入鹿に攻められたんですよね。
進撃さんの為に私の多利思比孤考察は進撃さんのツアーの後に公開する事にしました!安心して下さい!
ありがとうございます🤣
あまり取り上げらる事がないのですが、大阪府八尾市に #大聖勝軍寺 が有ります。
子供の頃から祖母や母に連れられて参った寺のひとつ、です。
境内にある学校で学びましたが、七不思議があったりしてヤヤコシイところ。
寺でもあり、神社でもある。
伽藍配置と北斗信仰、レイラインにも関わる東西には隠れた祠の存在も。
中山市朗さんほか、中沢新一さんも書籍を出してますね。
お堂もたくさんありますし整理して見ていかないと混乱するぐらい見所たっぷりのお寺ですね😊
@ さん、
本来の山号は、「荒れた陵墓で築かれた寺」から、あらはかやま、と伺いました。
こうりょうさんは、ゴマカシ❓かも。
我々が高校生の頃の、副校長→校長→管長猊下からの話です。
@@おかめ有希 情報ありがとうございます😊
こうりょうざんでは?とご指摘頂いた方も四天王寺学校で学んだと仰っているので、やっぱり何かしら隠されているみたいですね😱
南無聖徳太子救世菩薩 合掌
四天王寺の先祖供養のしめくくりは、必ず亀井水の経木流しです。創建時、亀井水はなんだったのか。平安時代末まではお堂はなく、朝の太陽礼拝の水鏡でした。生駒山地が暦となります。亀井水から冬至の日の出の位置に、牛が変化した磐座を祀る、牛王尊があります。冬至の方位の磐座信仰のなごりが、江戸時代まで大晦日にお詣りする風習がありました。
鎌倉時代の絵画をみると、中心伽藍の東、亀井水から太子殿の間は天皇殿がありました。西の鳥居のまっすぐ先は、天皇殿となります。
天皇殿はおそらく用明殿の事ですよね😊
亀井堂の位置は元からずっと今の場所なんでしょうか?
動画内でもやりましたが牛王尊はおそらく位置が変わってしまっているので、亀井堂と牛王尊の関係性については元あった位置関係で考えた方が良いのかなと思っています🤔
@shingekinobumasa 図面は江戸時代はじめの元和再建図を参照したほうがいいでしょう。
鎌倉時代を代表する絵図、一辺絵伝、をみると、中心伽藍の東西の出口重門の、東重門がことさらに豪華です。東重門が天皇殿の拝殿でもあったようです。西重門はシンプルです。
亀井水から冬至の日の出は、遠く信貴山です。大体の位置で石神堂はいいんでしょう。
亀井水から生駒山頂部から日の出の時は、穀雨と処暑。農作業の開始と刈入れの大切な時です。亀井堂裏には創建当時の石垣が保存されています。石垣の上から見下ろすと、亀井が水鏡として輝く、という幾何学的設計になります。
話は果てしないです。noteに色々書いています。
都市伝説系の作家中山市朗氏は四天王寺には牛の燔祭の痕跡があるとしています。燔祭は物部神道の儀式で聖徳太子がそれを残したと言うのです。真偽不明ですが日本にも各地に燔祭の風習があったことは確かなようです。
ありがとうございます😊
実際に牛王尊も残されているので燔祭の話しはあり得る事だと思います。
物部氏系の子孫の方々が今も四天王寺に関わっていらっしゃるようなので、聖徳太子は単に物部氏を消そうとしていた訳じゃない様子が見えて来そうです😊
四天王寺て面白いですよね
大阪の街の再開発で除かれた
お地蔵さんなども寺院敷地の
一角に集められ祀られています
内乱で滅した物部一族の鎮撫
四天王寺の建立目的からして
祟り封じの場所と大阪の人の
共通認識があったかも知れない
今も物部の人達がお寺に関わり続けているというのも不思議で歴史を感じますよねー😊
池に囲まれた石舞台が何かを
封じ込めた蓋に見えました。
四天王寺の前にそこに元々神社があったのでしょうね。罰当たりと言いたいところですが、物部氏との対抗上そうなったのでしょうかね。
用明殿の右上に前方後円墳のようなものが描かれていますが、それはなんでしょう?
用明殿の右上のは僕も最初気になったんですが、あれはおそらく弁財天なので池だと思われます。
狙ってあの形にしたのかは不明ですが…
現在は丸の部分だけが池として残ってますね😊
聖徳太子につきましては「阿波千年物語36〜43」を参照下さい
四天王寺
ある物
見た人物
楠木正成
他の人
知らない。
未来記ですね😎
馬小屋ではなく馬舎の戸の前で生まれたですね。
彼は実在ではないと思ってます。
聖徳太子はいないという説はどうなんですか?
僕はいた、或いはモデルとなった人物はいたと考えています😊
@@shingekinobumasa モデルとは?
日本国の一万札になったから謎ですね
いまでは歴史の教科書では馬小屋あつかい 僕は昭和人です
弘法大師ならできるのでわ?
@@shingekinobumasa厩戸皇子はいましたよね。
@@kyonchannel6333 遣隋使派遣して朝鮮半島にビビってたヤツか?
なんで、随に守ってほしいかわからん
結果、朝鮮に大好きな随が滅ぼされた
おれは、キライですな