Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
ガードからの小樽グランドホテル🏨の貴重な映像ですね汽車通だったので、学生時代に戻り涙が出ました🥲
「MW」って手塚治虫の作品タイトルではないですか。懐かしいです。
25年前に小樽に住んでいましたが、今でも昨日の事の様に良く覚えています。水天宮周辺の車窓はまさに当時の小樽ですね。素晴らしい映像です!
返事がだいぶ遅くなってしまい申し訳ありません。「C62ニセコ号」の撮影の帰り、余ったテープを使い切るために撮影した映像ですが、今となっては貴重な資料映像なのかもしれません。少し大きめの肩載せカメラだったので、隣の席の人の顔をぶん殴らないように注意しながら撮影してました。
昔はこういう感じだったのですねよく一人で電車小樽の祖父母の家へいくのですが小樽築港などの景色を動画で見るのは初めて見ました小樽育ちの祖母に見せたいと思います貴重な動画のアップありがとうございます
テープが余っちゃったぜ、どうしよっか。えい、車窓でも撮るべえか、程度の気持ちで撮っただけだったような気がしますが、沿線風景が大きく変わったことで想定外の記録映像になりました。でもハンディカムよりもずっと大きな肩乗せカメラ(あくまで民生用です)だったので、混雑した車内ではちょっと恥ずかしかったデス。
matuno kura そうですね今となっては貴重な映像です車窓を見ているだけでも 「あ、この建物がまだない!」や「ここの景色は変わっていない」と、考えるものがあります
人間という生き物はつくづく過去に囚われているようです。
懐かしくて涙が出ました!
「C62ニセコ号」撮影の帰り、ビデオテープが余ってしまったので、その消化のために何気なく撮影したものですが、いやいや、撮っておくものですね。
C62ニセコ号の旧客5両が留置されているところ、ウイングベイ小樽の敷地が小樽運転所だったところ。時代を感じさせます。自分が鉄になった原点でもあります。
小樽駅で見送ったC622+C6244重連が牽引する急行ニセコ号の圧倒的なド迫力は、あれから45年後の今でも覚えています。その頃の雰囲気が、撮影当時にはまだ仄かに残っていたような気がします。
今度小樽から快速エアポートに乗る時にこの映像と見比べてみたいと思います。素敵な映像をありがとうございます
今と30年前の車窓とを同時に見比べるのは面白そうですが、あっち見たりこっち見たりでめっちゃ忙しそうです。周囲の乗客から見たら、その動きが怪しいかも(笑)。
@@matunokura6028 最近は観光客が来ないので日中小樽駅から乗車しても全然人が乗っておらず、その心配はないのかもしれません(寂しすぎる…) 早く活気が戻るといいのですがね…
@@mikaringodango 様観光地はどこもガラガラのようですね。列車内もスカスカですか。ワクチン接種が普及し、やがて治療薬も出回るようになって、ようやくコロナ前の生活が甦るでしょうかね。
今とあまり変わらない感じがして好きですこの映像を撮っている時はまだ自分生まれていませんが、小さい頃南小樽にある蔵屋というラーメン屋さんでいつもアンパンマンアイスを貰った事を今でも鮮明に覚えています。貴重な映像を拝見させていただきありがとうございます。
ご覧いただきありがとうございます。生れる前ですか。じゃあ、地上を走っていた頃なんて全然ご存知ないでしょうね。私も知りませんけど。撮影した映像が、誰かの楽しい思い出とリンクしているというのは、撮影者として嬉しい限りです。
返信ありがとうございます。親と叔母に見せたら凄く懐かしがってました。これかも素敵な映像を楽しみにしています(^-^)
もしかすると、親御さんや叔母さんよりも私の方が年上かもしれません。いかにも「鉄!」という映像ばかりですので、普通の人には退屈かもしれません。
shinichiro wakasugi 今も蔵屋に行きますよ!店は蔵倉庫をじゃくて新しい建物になってますけど!!美味しいラーメンで大好きです
現在快速エアポートのホームとして使っているホームの向こうにも小さなホームがあったのですね。確かに石垣みたいになってますもんね。
昔は荷物や貨物を扱うホームだったのかもしれません。(←ただの憶測)
matuno kura 南小樽にも廃ホームがありましたね、俺の好物廃国鉄コンテナも…銭函駅にも謎のホームがありますねぇ。
南小樽駅は手宮線のホームでしょうか。銭函駅は貨物ホームかと。
matuno kura さすが先輩!お詳しい!
この頃はまだ手宮線が走っていたんですよね┄廃線になってからもう30年経ちますけど線路跡を歩いていると今にも汽笛が聴こえてくるような錯覚を覚えます
この時は手宮線はすでに廃線となっていました。ただレールは一部がまだ残っていたでしょうか。
matuno kura そうでしたね、廃線になったのはまだ昭和だった時でしたよね大変失礼しました
おおっ!!その日は19歳の誕生日でした!!上京してひと月経って帰省して札幌の実家にいましたよ~♪(^^ )。当時はまだ小樽築港のヤードが残っていましたね。けれども既に”東洋最大の扇形機関庫”は姿を消してしまっていたようで。亡き父が国鉄に就職して一番最初に勤務したのが小樽築港機関区だったそうです。機関助手をやって石炭をくべるのやっていたんだそうです。
御尊父は国鉄マンでいらっしゃいましたか。釜焚きですね。小樽築港機関区、岩見沢機関区、北海道の両横綱的機関区でした。
受験で疲れて事ある度に小樽築港の駅でぼんやりしていた頃でした。
う、それは切ない。昔の小樽築港駅だったらドラマの中の主人公っぽいかも。
撮影日が、平成二年五月とあるが、私が見た風景は昭和35年を中にして、前後10年間位毎年海水浴の、季節になると札幌から塩谷駅まで見た風景と、線路周りは余り変わってないかなと、見さして貰いました。
昭和35年前後10年間くらいは、沿線風景にあまり変化がなかったというのは、開発の進み方がゆっくりだったからでしょう。昭和末期から平成にかけては小樽築港機関区の縮小・廃止や小樽築港駅の移設改築の時期に合わせるようにして、沿線はかなり変わったように思います。
説明が足りなくてすいませんでした、撮影日の平成二年時と比較しての事でした。
平成2年と現在とではかなり変わっているので、相対的にそのようにお感じになられたのではないかと思います。
素敵な映像ありがとうございます🙂昔、小樽駅に東芝と日立の看板(夜光る)があったと思うんですけどご存知の方とかいないですかね?調べても全く情報無くて、、、
東芝と日立の看板ですか。思いっきりライバルですね。ん~、記憶にないですね。
matuno kura 他の方の動画で東芝の看板は映り込んでたんですけど日立のがなくて、、、記憶違いですかね😔小さい頃、祖父母の家が小樽駅近くにあったのでよく行ってて見た記憶あるんですよね( .. )
@@太郎みっちー 様北海道新聞社から星良助さんの「昭和30~40年代 北海道の鉄路」という鉄道写真集が発売になっていますが、その中の写真に写っていないでしょうかね。チラッとしか立ち読みしていないので詳しくは分かりませんが、小樽在住の方ですし。
matuno kura 御丁寧にありがとうございます! もし買えたらその雑誌買って見てみます(^^)
今とはけっこう違うんだな、まだ中学生の俺だが、時代の変化というものを感じた
大人になったらもっと変わっているから、今の光景をよ~く心に刻んでおくように。
ウイングベイがこんなに広大な小樽運転所だったこと走っている車がとても懐かしく思えました。この動画を母に見せたらとても懐かしがっておりました。この乗っている車両は何でしょうか? あと築港から後ろの映像は撮影していますでしょうか?長文コメントすいません。
地元の人たちに喜んでいただけるのはこちらとしても嬉しいです。平成2(1990)年5月3日の撮影です。乗車したのは倶知安からの3273Dで、キハ40 187です。小樽から札幌までを写していますが、海に沿う辺りからピントがボケたり、窓半分が車内の熱気で曇ったりして、車窓はあまり綺麗ではありません。
返信ありがとうございます。この頃はまだ活気がありましたね。今の小樽はどこを見回しても年老いた人ばかりです。時代の栄枯盛衰感じさせるものですね。何度見ても見応えある映像ですね。今ある風景は今のうちに撮らないといけないものですね。ちなみに私は朝里駅の踏切辺りに住んでいる者です。
@@eglef154 様銭函から朝里にかけての海沿いは、子供の頃から大好きな沿線風景です。線路際を何度も歩いて撮影したりもしました。今は安全上の問題から線路際を歩くことはご法度ですが、銭函・張碓・朝里にそれぞれ海水浴場があった頃は、鉄道もそうですが沿線も本当に活気があり、一般の人もせっせと線路際を歩いていましたね。
私は子供の頃は歩いて30秒ほどで海でしたのでうんざりするほど泳いでました。ちなみにこの頃高校受験の頃であまり外に出られずこの頃はシャッターをあまり切れずにいました。小学生のときにC62のニセコ号を見て感動したのが私の鉄になった原点でもあります。私のわがままですが築港から後の映像をアップしてもらえないでしょうか?難しかったら大丈夫です。それでは失礼します(^_^)/
@@eglef154 様うんざりした思い出が今の体にしっかり染みついて、将来、人生を振り返る年ごろになった時には堪らなく愛おしいものになるでしょうねえ。「C62ニセコ号」は私も感動のあまり会社を辞めた口です(笑)。こんな仕事をしている場合じゃないと。実に罪な機関車です。取り敢えずは↓この車窓動画で我慢して下さい。リクエスト動画のアップは可能です。ruclips.net/video/7U9dCVQOrZ8/видео.html
やっぱり今とだいぶ変わってるなー!俺生まれる前の映像!!ウイングベイが無いのすごい新鮮な感じがする笑
10年前にアップした時点でだいぶ変わっているので、今なら尚更変わっているでしょうね。
懐かしい客車だなぁ、昔はブラウン色の客車もあったはずなんだがねぇ自動でなくて手動のドア、たまに閉まっていないまま走行している事もあったっけね
チョコレート色の客車は古めの客車の色でした。古めの客車でも、近代化工事を受けたものの中には青に塗り替えられたものもあります。出入り扉は完全手動で、走行中にそこから身を乗り出して写真を撮り、車掌に叱られた自分がここにいます。
あこれ1999年以前だ!❤
「C62ニセコ号」が走っていた頃。
27年ですごい変わるんですね
27年というのは、赤ん坊がお父さんやお母さんになるくらいの時間ですからね。当時だと、今なら当たり前にある「スマホ・ケータイ」「ハイビジョンテレビ」「タブレット」「ノートパソコン」といった電子機器は影も形もありませんでした。私のお腹まわりの脂肪もあまりありませんでした。
マイカル…ウイングベイが無い!それに、ブコフ…はおろか前のレンタルビデオ店も無い!いかに今が不便では無く住めてる事に感謝します。昭和63年生まれの小樽市民より
感謝する気持ちはとても大切だと思います。
この頃のラーメン1番の味噌ラーメンが食べたいです😂
私まで食べたくなっちゃうじゃないか。
kousei 。 どこにあるんですか?
小樽。
初代店主が作る味噌ラーメンは私の中で日本一の美味しさです❗️
行ったことないのが残念。
今とは結構違う
30年以上も経てば変わりますね。
ガードからの小樽グランドホテル🏨の貴重な映像ですね
汽車通だったので、学生時代に戻り
涙が出ました🥲
「MW」って手塚治虫の作品タイトルではないですか。懐かしいです。
25年前に小樽に住んでいましたが、今でも昨日の事の様に良く覚えています。水天宮周辺の車窓はまさに当時の小樽ですね。素晴らしい映像です!
返事がだいぶ遅くなってしまい申し訳ありません。
「C62ニセコ号」の撮影の帰り、余ったテープを使い切るために撮影した映像ですが、今となっては貴重な資料映像なのかもしれません。
少し大きめの肩載せカメラだったので、隣の席の人の顔をぶん殴らないように注意しながら撮影してました。
昔はこういう感じだったのですね
よく一人で電車小樽の祖父母の家へいくのですが小樽築港などの景色を動画で見るのは初めて見ました
小樽育ちの祖母に見せたいと思います
貴重な動画のアップありがとうございます
テープが余っちゃったぜ、どうしよっか。えい、車窓でも撮るべえか、程度の気持ちで撮っただけだったような気がしますが、沿線風景が大きく変わったことで想定外の記録映像になりました。でもハンディカムよりもずっと大きな肩乗せカメラ(あくまで民生用です)だったので、混雑した車内ではちょっと恥ずかしかったデス。
matuno kura そうですね今となっては貴重な映像です
車窓を見ているだけでも 「あ、この建物がまだない!」や「ここの景色は変わっていない」
と、考えるものがあります
人間という生き物はつくづく過去に囚われているようです。
懐かしくて涙が出ました!
「C62ニセコ号」撮影の帰り、ビデオテープが余ってしまったので、その消化のために何気なく撮影したものですが、いやいや、撮っておくものですね。
C62ニセコ号の旧客5両が留置されているところ、ウイングベイ小樽の敷地が小樽運転所だったところ。
時代を感じさせます。
自分が鉄になった原点でもあります。
小樽駅で見送ったC622+C6244重連が牽引する急行ニセコ号の圧倒的なド迫力は、あれから45年後の今でも覚えています。その頃の雰囲気が、撮影当時にはまだ仄かに残っていたような気がします。
今度小樽から快速エアポートに乗る時にこの映像と見比べてみたいと思います。素敵な映像をありがとうございます
今と30年前の車窓とを同時に見比べるのは面白そうですが、あっち見たりこっち見たりでめっちゃ忙しそうです。周囲の乗客から見たら、その動きが怪しいかも(笑)。
@@matunokura6028 最近は観光客が来ないので日中小樽駅から乗車しても全然人が乗っておらず、その心配はないのかもしれません(寂しすぎる…) 早く活気が戻るといいのですがね…
@@mikaringodango 様
観光地はどこもガラガラのようですね。列車内もスカスカですか。
ワクチン接種が普及し、やがて治療薬も出回るようになって、ようやくコロナ前の生活が甦るでしょうかね。
今とあまり変わらない感じがして好きです
この映像を撮っている時はまだ自分生まれていませんが、小さい頃南小樽にある蔵屋というラーメン屋さんでいつもアンパンマンアイスを貰った事を今でも鮮明に覚えています。
貴重な映像を拝見させていただきありがとうございます。
ご覧いただきありがとうございます。
生れる前ですか。じゃあ、地上を走っていた頃なんて全然ご存知ないでしょうね。私も知りませんけど。
撮影した映像が、誰かの楽しい思い出とリンクしているというのは、撮影者として嬉しい限りです。
返信ありがとうございます。
親と叔母に見せたら凄く懐かしがってました。
これかも素敵な映像を楽しみにしています(^-^)
もしかすると、親御さんや叔母さんよりも私の方が年上かもしれません。
いかにも「鉄!」という映像ばかりですので、普通の人には退屈かもしれません。
shinichiro wakasugi 今も蔵屋に行きますよ!店は蔵倉庫をじゃくて新しい建物になってますけど!!
美味しいラーメンで大好きです
現在快速エアポートのホームとして使っているホームの向こうにも小さなホームがあったのですね。確かに石垣みたいになってますもんね。
昔は荷物や貨物を扱うホームだったのかもしれません。(←ただの憶測)
matuno kura 南小樽にも廃ホームがありましたね、俺の好物廃国鉄コンテナも…銭函駅にも謎のホームがありますねぇ。
南小樽駅は手宮線のホームでしょうか。銭函駅は貨物ホームかと。
matuno kura さすが先輩!お詳しい!
この頃はまだ手宮線が走っていたんですよね┄
廃線になってからもう30年経ちますけど線路跡を歩いていると今にも汽笛が聴こえてくるような錯覚を覚えます
この時は手宮線はすでに廃線となっていました。ただレールは一部がまだ残っていたでしょうか。
matuno kura
そうでしたね、廃線になったのはまだ昭和だった時でしたよね
大変失礼しました
おおっ!!その日は19歳の誕生日でした!!上京してひと月経って帰省して札幌の実家にいましたよ~♪(^^ )。
当時はまだ小樽築港のヤードが残っていましたね。けれども既に”東洋最大の扇形機関庫”は姿を消してしまっていたようで。
亡き父が国鉄に就職して一番最初に勤務したのが小樽築港機関区だったそうです。機関助手をやって石炭をくべるのやっていたんだそうです。
御尊父は国鉄マンでいらっしゃいましたか。釜焚きですね。小樽築港機関区、岩見沢機関区、北海道の両横綱的機関区でした。
受験で疲れて事ある度に小樽築港の駅でぼんやりしていた頃でした。
う、それは切ない。昔の小樽築港駅だったらドラマの中の主人公っぽいかも。
撮影日が、平成二年五月とあるが、私が見た風景は昭和35年を中にして、前後10年間位毎年海水浴の、季節になると札幌から塩谷駅まで見た風景と、線路周りは余り変わってないかなと、見さして貰いました。
昭和35年前後10年間くらいは、沿線風景にあまり変化がなかったというのは、開発の進み方がゆっくりだったからでしょう。
昭和末期から平成にかけては小樽築港機関区の縮小・廃止や小樽築港駅の移設改築の時期に合わせるようにして、沿線はかなり変わったように思います。
説明が足りなくてすいませんでした、撮影日の平成二年時と比較しての事でした。
平成2年と現在とではかなり変わっているので、相対的にそのようにお感じになられたのではないかと思います。
素敵な映像ありがとうございます🙂
昔、小樽駅に東芝と日立の看板(夜光る)があったと思うんですけどご存知の方とかいないですかね?調べても全く情報無くて、、、
東芝と日立の看板ですか。思いっきりライバルですね。ん~、記憶にないですね。
matuno kura 他の方の動画で東芝の看板は映り込んでたんですけど日立のがなくて、、、記憶違いですかね😔
小さい頃、祖父母の家が小樽駅近くにあったのでよく行ってて見た記憶あるんですよね( .. )
@@太郎みっちー 様
北海道新聞社から星良助さんの「昭和30~40年代 北海道の鉄路」という鉄道写真集が発売になっていますが、その中の写真に写っていないでしょうかね。チラッとしか立ち読みしていないので詳しくは分かりませんが、小樽在住の方ですし。
matuno kura 御丁寧にありがとうございます! もし買えたらその雑誌買って見てみます(^^)
今とはけっこう違うんだな、まだ中学生の俺だが、時代の変化というものを感じた
大人になったらもっと変わっているから、今の光景をよ~く心に刻んでおくように。
ウイングベイがこんなに広大な小樽運転所だったこと走っている車がとても懐かしく思えました。この動画を母に見せたらとても懐かしがっておりました。この乗っている車両は何でしょうか? あと築港から後ろの映像は撮影していますでしょうか?長文コメントすいません。
地元の人たちに喜んでいただけるのはこちらとしても嬉しいです。平成2(1990)年5月3日の撮影です。乗車したのは倶知安からの3273Dで、キハ40 187です。小樽から札幌までを写していますが、海に沿う辺りからピントがボケたり、窓半分が車内の熱気で曇ったりして、車窓はあまり綺麗ではありません。
返信ありがとうございます。この頃はまだ活気がありましたね。今の小樽はどこを見回しても年老いた人ばかりです。時代の栄枯盛衰感じさせるものですね。何度見ても見応えある映像ですね。今ある風景は今のうちに撮らないといけないものですね。ちなみに私は朝里駅の踏切辺りに住んでいる者です。
@@eglef154 様
銭函から朝里にかけての海沿いは、子供の頃から大好きな沿線風景です。線路際を何度も歩いて撮影したりもしました。今は安全上の問題から線路際を歩くことはご法度ですが、銭函・張碓・朝里にそれぞれ海水浴場があった頃は、鉄道もそうですが沿線も本当に活気があり、一般の人もせっせと線路際を歩いていましたね。
私は子供の頃は歩いて30秒ほどで海でしたのでうんざりするほど泳いでました。ちなみにこの頃高校受験の頃であまり外に出られずこの頃はシャッターをあまり切れずにいました。小学生のときにC62のニセコ号を見て感動したのが私の鉄になった原点でもあります。私のわがままですが築港から後の映像をアップしてもらえないでしょうか?難しかったら大丈夫です。それでは失礼します(^_^)/
@@eglef154 様
うんざりした思い出が今の体にしっかり染みついて、将来、人生を振り返る年ごろになった時には堪らなく愛おしいものになるでしょうねえ。
「C62ニセコ号」は私も感動のあまり会社を辞めた口です(笑)。こんな仕事をしている場合じゃないと。実に罪な機関車です。
取り敢えずは↓この車窓動画で我慢して下さい。リクエスト動画のアップは可能です。
ruclips.net/video/7U9dCVQOrZ8/видео.html
やっぱり今とだいぶ変わってるなー!
俺生まれる前の映像!!
ウイングベイが無いのすごい新鮮な感じがする笑
10年前にアップした時点でだいぶ変わっているので、今なら尚更変わっているでしょうね。
懐かしい客車だなぁ、昔はブラウン色の客車もあったはずなんだがねぇ
自動でなくて手動のドア、たまに閉まっていないまま走行している事もあったっけね
チョコレート色の客車は古めの客車の色でした。古めの客車でも、近代化工事を受けたものの中には青に塗り替えられたものもあります。
出入り扉は完全手動で、走行中にそこから身を乗り出して写真を撮り、車掌に叱られた自分がここにいます。
あこれ1999年以前だ!❤
「C62ニセコ号」が走っていた頃。
27年ですごい変わるんですね
27年というのは、赤ん坊がお父さんやお母さんになるくらいの時間ですからね。
当時だと、今なら当たり前にある「スマホ・ケータイ」「ハイビジョンテレビ」「タブレット」「ノートパソコン」といった電子機器は影も形もありませんでした。私のお腹まわりの脂肪もあまりありませんでした。
マイカル…ウイングベイが無い!
それに、ブコフ…はおろか前のレンタルビデオ店も無い!
いかに今が不便では無く住めてる事に感謝します。
昭和63年生まれの小樽市民より
感謝する気持ちはとても大切だと思います。
この頃のラーメン1番の味噌ラーメンが食べたいです😂
私まで食べたくなっちゃうじゃないか。
kousei 。 どこにあるんですか?
小樽。
初代店主が作る味噌ラーメンは私の中で日本一の美味しさです❗️
行ったことないのが残念。
今とは結構違う
30年以上も経てば変わりますね。