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世界中の人の期待を裏切らない‼️感動の演技でした💕😭羽生選手の凄さが半端じゃない🙌
出来上がるまでには、いろいろな葛藤があったのですね😂演技と音楽が融合していて、素晴らしいプログラムですね🥰👍️流石、価値を追求する羽生選手ですね😉🥰👍️
見てきました。高いJUMP、音楽と舞いの美しいコラボ最高でした、涙が出ました。
📺️で、見ました。素晴らしいゆづ君素敵でした。さすがです。😍😍😍💕優勝🏆️ゆづ君ですね‼️
お疲れさまです、元気な姿を見て、安心しました。宮城、岩手、福島、地震から10年がすぎました、貴方にも、ずいぶん葛藤が、有るのを聞いていました、これからは、自分の、為に、してください。貴方から、沢山の勇気を頂きました、有りがたく、思っていますよ。北は北海どいから、南は、沖縄、九州、全国です。
この羽生選手の演技は、人を魅了する神がかりな魂が宿っているね。だから、どんな人の心にも響いて入って行くんだ。こんな選手、滅多にいない。
こんなに挑戦して来た人ばあばは尊敬しか有りません。👩🦳
羽生選手は金賞とか、そんなちっちゃなワクでなく、美しい羽生流フィギア、羽生選手は天才なのですからね🎵👀
でも羽生選手、今、北京オリンピック優勝、オリンピック三連覇に闘志を燃やしていますよ。「出るからには勝ちたい」、「オリンピックを連覇したから、金メダル以外は僕にとって問題ではない」、「オリンピック三連覇の権利を持っているのは僕だけ」、「皆様が羽生結弦のしかできないと言って下さるのであれば、それを見せる責任が僕にはある」などなど、口調は抑えていますが、激しい闘志が漲る言葉が次々に飛び出しています。アドレナリン全開。オリンピックまであと5週間半。集中力が持続してキーピングするには、ちょうどいい期間かな、と。期待しましょう。
Maravilloso!! Excelente como siempre! Muchas gracias y feliz navidad 🤗💜.
ものすごいカッコいい結弦君です。明日のフリーでは天地頑張って下さい。4回転半ジァンブお祈りします。目指せ優勝です。北京五輪へゴーです。
小塚崇彦氏、杉田秀男氏らが、羽生選手は音楽に合わせるのではなく、「羽生選手が音楽を主導している」、或いは「羽生選手の身体から音楽が出ていたよう」と評するのは、羽生選手の音楽との合わせ方が他の選手と違うからだと思います。.国際スケート連盟のルールでは、演技構成点の「音楽の解釈」は、音楽の拍と体の動きがあっているかどうかという意味だというのでびっくりしたことがあります。拍節を数えてそれに合わせている限り、身体の動きは絶対に音楽的に深い解釈にはなりませんからね。そのせいかどうか、北京オリンピック後は、「音楽の解釈」と「パフォーマンス」の項が演技構成点から消えて、他の3項目に絞られるというので、またびっくり。国際スケート連盟は、フィギュアスケートの試合の演技は、ジャンプ大会になってもよいとでも思っているのでしょうか?*****我々、音楽の専門的な基礎教育を受けてきた人間は、機械的に音楽の拍を数えてそれに合わせるなどということは絶対にしません。音楽は生きている。明らかなテンポや曲調の変化、或いはテンポ・ルバートやアッチェレランド、リタルダンドなどのテンポ表示がなくても、音楽のフレーズの形成に従って、僅かにテンポが揺れなければ、自然な音楽表現にはならない。MIDIソフトと楽譜作成ソフトを使い、鍵盤楽器から音の入力を試みるとすぐに分かります。普通に自然な弾き方をすると、フレージングに従って僅かにテンポが揺れるから、その揺れを機械が察知してしまって、その結果、意図している楽譜にならない。後から修正を掛けるにしても、心を鬼にして意図的に機械的に規則的な拍に合わせた演奏をしないと、意図している楽譜に近い形では入力できないのです。-逆に言うと、バロック時代以降の西洋音楽で一般的な五線譜の記譜法は、かなり精密に音の動きを規定しているとはいえ、実際には規則的な拍から少しずれる形で演奏しているということ。フィギュアスケートをやっている方に分かりやすい例でいえば、ジャンプを跳ぶ際には、放物線状のきれいな弧を描き、跳び始め、回転の掛け始めはスピードがあって回転も速いけれど、高さが最高位に達すると、ゆっくりと締めていた腕を開き、スピードを落としてふわりと下りてくるような。それと同じことを、演奏家は無意識に各フレーズごとに行っている。-だから、音楽に合わせるというのは、決して規則的な拍に合わせるという意味ではなく、音楽のもつ曲想ごとのフレーズを感じて、そのフレーズを呼吸するようにしてうまくそれに乗ること。演奏家達が合奏する際、微妙なテンポの揺れがあっても、全体がピタリと合うのは、曲想によってテンポの揺れ方は自ずと決まってくるから。そうでなければ、有名な「ルチアの狂乱の場」で、拍節もないようなルチアのコロラチューラ・アリアと伴奏のフルートが、同じ旋律をピタリと合わせて奏でられるわけがありません。*****羽生選手の演技が、音楽に合わせているのではなく、まるで彼自身が音楽を奏でているかのように見えるのは、彼が音楽家のように音楽のフレーズ感を全身で感じ、呼吸しているから。それができるのとできないのとでは、演技の質は大きく変わってくる。単に表現上のことではなく、音楽を感じてその微妙なフレーズ感に合わせて演技できるということは、それだけ、スケーティング技術が高く、自在に操れているということ。それなのに、国際スケート連盟が、なぜ「音楽の解釈」の項目を演技構成点から外そうとしているのか、私には理解できません。
全く同感です。私も譜面は読めませんが長年アメリカでソロ歌手そしてミュージカルなどの出演をしてきました。自分も含めて人の心を射る発現、表現が出来る人は型の中に有って型にはまらない自在感が有って(もちろん発声が良いのは基本)伸び伸びと演技しているからだと感じます。いやそう思います。それが音楽の解釈という事です。今は日本のスケート連盟が声を大にしてルール変更を止めさせるべきです。いつもロシアの好き勝手にさせてはなりません。スポーツですから確かにジャンプは大事な要素ですが、踊っているのですからスーピドスケートやスノーボードなどと一緒にされては成りません。48年間熱烈ファンとしてYTが見れるようになるまではVHSに録音して視られる限りの放映を記録してきたアメリカ在住者です。ロシアはスケート大国では有るが他の事と同様に(政治的、外交など)強引に我を通す質の悪さが有りますので日本以外の国と団結して戦わなければ成らない時です。
専門家の方からのご意見、音楽の素人の私には、細かくはわかりませんが、感覚で感じていたことは同じだと思いました。羽生結弦選手の素晴らしさが他の選手と次元が違うこと、そして、フィギュアスケートがジャンプ大会になってしまわないために、感情論ではないこうしたご意見をぜひいろんなところで発信していただきたく思います。
ネイサンに勝たせる為に変えた
@@mikiohirata9627 譜面が読めないのにソロ歌手、ミュージカル歌手としてご活躍とのこと。パヴァロッティ並みですね。パン屋の息子で、父君も楽譜が読めずに合唱団で歌っていたというパヴァロッティは、楽譜はまともに読めず、聞き覚えで三大テノールと呼ばれるまでになったそうです。あの巨体から繰り出すベルカント唱法を身に着ける苦労はあったのでしょうが、楽譜の譜面面に捉われない歌心あってこそ。サルスエラ劇団を主宰し、花形歌手としても活躍していた両親のもとに生まれたドミンゴは、両親から英才教育を受けてピアノもそれなりに引けるし楽譜も読めますが、新たな役を貰うと、やはり耳からできるだけ覚えるそうです。辻井伸行さんも、視覚障害があるためとはいえ、点字楽譜も使わず、恩師が吹き込んでくれた録音を聞き覚えて演奏することで、あれだけのピアニストになりました。-羽生選手が《ショパンのバラード第一番》を「三拍子のリズムに乗るのは難しい」と言ったのには笑いました。(この曲の主部は4分の6拍子であり、3拍子ではない。)裏返せば、羽生選手はプログラムの音楽を譜面は全く見ずに、音だけを聴いて演じているということ。それで《SEIMEI》では自分がジャンプを跳ぶタイミングに合わせて僅かな「間」を入れるなど、自分でも音源のデジタル編集に関わり、サウンドクリエイターの矢野氏に30か所くらい注文を付けて修正させている。驚異的です。-そういう風に音楽を精密に聴いて表現を磨くというのは、フィギュアスケートを芸術スポーツとして成立させるための基本。町田樹さんが博論で論じているようなバレエの型や著作権を与えて再演することなどより、遥かに重要なことです。国際スケート連盟も、今までは、「音楽解釈」の優れた例として、バトルの《サムソンとデリラ》やランビエールの《ポエタ》を挙げていたのに、どうしてしまったのでしょうか?
@@石楠花夏子 私は、2014年グランプリ・ファイナルでの羽生選手の《ショパンのバラード第一番》を観て「銀盤にショパンの音楽が立ち上がる」と感動してから、音楽に即して、彼の演技のどこがどう優れているのか、折に触れてコメントしてきました。当時は、羽生選手と言えばジャンプだけで、表現は高橋選手や宇野選手も或いはブラウン選手に及ばないと書いて憚らないスポーツライターが日本にも多かったので、そうではない、と。漸く国内外でも羽生選手の唯一無二の芸術性が理解され評価されてきたのに、それに冷や水を浴びせるような国際スケート連盟のルール改正案。この7年間の私の努力は何だったのか、虚しい気持ちでいっぱいです。
PARA YUZURU........¡¡¡¡¡¡¡¡AMOR , RECONOCIMIENTO , Y GLORIA , INCONDICIONAL .!!!!!!!!!!!!!!
そんなに素晴らしいのなら何故、111点?120点にならないのはどこが悪かったのかな?
一緒に見ていた人と納得出来ない点数もっと高いと思ったと話しながら感動で涙が止まりませんでした。
今年は去年までとは得点の形状が変えられてます。4回転でも基礎点が低くなっていて今までのように成功しても少しだけど低めの点しか貰えないのです。更に出来栄え点と言うのが曲者で素人には何を基にして出してるのか解らないけどプラマイ10点もの幅があり各ジャッジが個人の考え、見方で恣意的に決めるので統一が取れないとい欠点が有るのです。人間が評価している限り仕方がないとはいえ日本のジャッジは自国の選手でも盛るどころか逆に厳しい採点をする傾向が有ります。アメリカやロシアの大会を見れば良く解りますよ。まあそんなこんなでNathan Chenのように4回転を5-6回それもルッツとフリップが入っているのでそれだけで5-6点は高い得点に成るという基礎点なのですよ。それにしても彼もまだ一回しかフリーで高得点を出してないので羽生選手は十分に今の得点でも金を狙えるという事です。
世界中の人の期待を裏切らない‼️
感動の演技でした💕😭
羽生選手の凄さが半端じゃない🙌
出来上がるまでには、いろいろな葛藤があったのですね😂
演技と音楽が融合していて、素晴らしいプログラムですね🥰👍️
流石、価値を追求する羽生選手ですね😉🥰👍️
見てきました。高いJUMP、音楽と舞いの美しいコラボ最高でした、涙が出ました。
📺️で、見ました。素晴らしいゆづ君素敵でした。さすがです。😍😍😍💕優勝🏆️ゆづ君ですね‼️
お疲れさまです、元気な姿を見て、安心しました。宮城、岩手、福島、地震から10年がすぎました、貴方にも、ずいぶん葛藤が、有るのを聞いていました、これからは、自分の、為に、してください。貴方から、沢山の勇気を頂きました、有りがたく、思っていますよ。北は北海どいから、南は、沖縄、九州、全国です。
この羽生選手の演技は、人を魅了する神がかりな魂が宿っているね。
だから、どんな人の心にも響いて入って行くんだ。こんな選手、滅多にいない。
こんなに挑戦して来た人
ばあばは尊敬しか有りません。👩🦳
羽生選手は金賞とか、そんなちっちゃなワクでなく、美しい羽生流フィギア、羽生選手は天才なのですからね🎵👀
でも羽生選手、今、北京オリンピック優勝、オリンピック三連覇に闘志を燃やしていますよ。
「出るからには勝ちたい」、「オリンピックを連覇したから、金メダル以外は僕にとって問題ではない」、「オリンピック三連覇の権利を持っているのは僕だけ」、「皆様が羽生結弦のしかできないと言って下さるのであれば、それを見せる責任が僕にはある」などなど、口調は抑えていますが、激しい闘志が漲る言葉が次々に飛び出しています。
アドレナリン全開。
オリンピックまであと5週間半。集中力が持続してキーピングするには、ちょうどいい期間かな、と。
期待しましょう。
Maravilloso!! Excelente como siempre! Muchas gracias y feliz navidad 🤗💜.
ものすごいカッコいい結弦君です。明日のフリーでは天地頑張って下さい。4回転半ジァンブお祈りします。目指せ優勝です。北京五輪へゴーです。
小塚崇彦氏、杉田秀男氏らが、羽生選手は音楽に合わせるのではなく、「羽生選手が音楽を主導している」、或いは「羽生選手の身体から音楽が出ていたよう」と評するのは、羽生選手の音楽との合わせ方が他の選手と違うからだと思います。
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国際スケート連盟のルールでは、演技構成点の「音楽の解釈」は、音楽の拍と体の動きがあっているかどうかという意味だというのでびっくりしたことがあります。
拍節を数えてそれに合わせている限り、身体の動きは絶対に音楽的に深い解釈にはなりませんからね。
そのせいかどうか、北京オリンピック後は、「音楽の解釈」と「パフォーマンス」の項が演技構成点から消えて、他の3項目に絞られるというので、またびっくり。
国際スケート連盟は、フィギュアスケートの試合の演技は、ジャンプ大会になってもよいとでも思っているのでしょうか?
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我々、音楽の専門的な基礎教育を受けてきた人間は、機械的に音楽の拍を数えてそれに合わせるなどということは絶対にしません。
音楽は生きている。明らかなテンポや曲調の変化、或いはテンポ・ルバートやアッチェレランド、リタルダンドなどのテンポ表示がなくても、音楽のフレーズの形成に従って、僅かにテンポが揺れなければ、自然な音楽表現にはならない。
MIDIソフトと楽譜作成ソフトを使い、鍵盤楽器から音の入力を試みるとすぐに分かります。
普通に自然な弾き方をすると、フレージングに従って僅かにテンポが揺れるから、その揺れを機械が察知してしまって、その結果、意図している楽譜にならない。
後から修正を掛けるにしても、心を鬼にして意図的に機械的に規則的な拍に合わせた演奏をしないと、意図している楽譜に近い形では入力できないのです。
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逆に言うと、バロック時代以降の西洋音楽で一般的な五線譜の記譜法は、かなり精密に音の動きを規定しているとはいえ、実際には規則的な拍から少しずれる形で演奏しているということ。
フィギュアスケートをやっている方に分かりやすい例でいえば、ジャンプを跳ぶ際には、放物線状のきれいな弧を描き、跳び始め、回転の掛け始めはスピードがあって回転も速いけれど、高さが最高位に達すると、ゆっくりと締めていた腕を開き、スピードを落としてふわりと下りてくるような。
それと同じことを、演奏家は無意識に各フレーズごとに行っている。
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だから、音楽に合わせるというのは、決して規則的な拍に合わせるという意味ではなく、音楽のもつ曲想ごとのフレーズを感じて、そのフレーズを呼吸するようにしてうまくそれに乗ること。
演奏家達が合奏する際、微妙なテンポの揺れがあっても、全体がピタリと合うのは、曲想によってテンポの揺れ方は自ずと決まってくるから。
そうでなければ、有名な「ルチアの狂乱の場」で、拍節もないようなルチアのコロラチューラ・アリアと伴奏のフルートが、同じ旋律をピタリと合わせて奏でられるわけがありません。
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羽生選手の演技が、音楽に合わせているのではなく、まるで彼自身が音楽を奏でているかのように見えるのは、彼が音楽家のように音楽のフレーズ感を全身で感じ、呼吸しているから。
それができるのとできないのとでは、演技の質は大きく変わってくる。
単に表現上のことではなく、音楽を感じてその微妙なフレーズ感に合わせて演技できるということは、それだけ、スケーティング技術が高く、自在に操れているということ。
それなのに、国際スケート連盟が、なぜ「音楽の解釈」の項目を演技構成点から外そうとしているのか、私には理解できません。
全く同感です。私も譜面は読めませんが長年アメリカでソロ歌手そしてミュージカル
などの出演をしてきました。自分も含めて人の心を射る発現、表現が出来る人は
型の中に有って型にはまらない自在感が有って(もちろん発声が良いのは基本)
伸び伸びと演技しているからだと感じます。いやそう思います。
それが音楽の解釈という事です。今は日本のスケート連盟が声を大にしてルール変更を
止めさせるべきです。いつもロシアの好き勝手にさせてはなりません。
スポーツですから確かにジャンプは大事な要素ですが、踊っているのですからスーピド
スケートやスノーボードなどと一緒にされては成りません。
48年間熱烈ファンとしてYTが見れるようになるまではVHSに録音して視られる限りの
放映を記録してきたアメリカ在住者です。
ロシアはスケート大国では有るが他の事と同様に(政治的、外交など)強引に我を
通す質の悪さが有りますので日本以外の国と団結して戦わなければ成らない時です。
専門家の方からのご意見、音楽の素人の私には、細かくはわかりませんが、感覚で感じていたことは同じだと思いました。
羽生結弦選手の素晴らしさが他の選手と次元が違うこと、そして、フィギュアスケートがジャンプ大会になってしまわないために、感情論ではないこうしたご意見をぜひいろんなところで発信していただきたく思います。
ネイサンに勝たせる為に変えた
@@mikiohirata9627
譜面が読めないのにソロ歌手、ミュージカル歌手としてご活躍とのこと。パヴァロッティ並みですね。
パン屋の息子で、父君も楽譜が読めずに合唱団で歌っていたというパヴァロッティは、楽譜はまともに読めず、聞き覚えで三大テノールと呼ばれるまでになったそうです。
あの巨体から繰り出すベルカント唱法を身に着ける苦労はあったのでしょうが、楽譜の譜面面に捉われない歌心あってこそ。
サルスエラ劇団を主宰し、花形歌手としても活躍していた両親のもとに生まれたドミンゴは、両親から英才教育を受けてピアノもそれなりに引けるし楽譜も読めますが、新たな役を貰うと、やはり耳からできるだけ覚えるそうです。
辻井伸行さんも、視覚障害があるためとはいえ、点字楽譜も使わず、恩師が吹き込んでくれた録音を聞き覚えて演奏することで、あれだけのピアニストになりました。
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羽生選手が《ショパンのバラード第一番》を「三拍子のリズムに乗るのは難しい」と言ったのには笑いました。(この曲の主部は4分の6拍子であり、3拍子ではない。)
裏返せば、羽生選手はプログラムの音楽を譜面は全く見ずに、音だけを聴いて演じているということ。
それで《SEIMEI》では自分がジャンプを跳ぶタイミングに合わせて僅かな「間」を入れるなど、自分でも音源のデジタル編集に関わり、サウンドクリエイターの矢野氏に30か所くらい注文を付けて修正させている。
驚異的です。
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そういう風に音楽を精密に聴いて表現を磨くというのは、フィギュアスケートを芸術スポーツとして成立させるための基本。
町田樹さんが博論で論じているようなバレエの型や著作権を与えて再演することなどより、遥かに重要なことです。
国際スケート連盟も、今までは、「音楽解釈」の優れた例として、バトルの《サムソンとデリラ》やランビエールの《ポエタ》を挙げていたのに、どうしてしまったのでしょうか?
@@石楠花夏子
私は、2014年グランプリ・ファイナルでの羽生選手の《ショパンのバラード第一番》を観て「銀盤にショパンの音楽が立ち上がる」と感動してから、音楽に即して、彼の演技のどこがどう優れているのか、折に触れてコメントしてきました。
当時は、羽生選手と言えばジャンプだけで、表現は高橋選手や宇野選手も或いはブラウン選手に及ばないと書いて憚らないスポーツライターが日本にも多かったので、そうではない、と。
漸く国内外でも羽生選手の唯一無二の芸術性が理解され評価されてきたのに、それに冷や水を浴びせるような国際スケート連盟のルール改正案。
この7年間の私の努力は何だったのか、虚しい気持ちでいっぱいです。
PARA YUZURU........¡¡¡¡¡¡¡¡AMOR , RECONOCIMIENTO , Y GLORIA , INCONDICIONAL .!!!!!!!!!!!!!!
そんなに素晴らしいのなら何故、111点?
120点にならないのはどこが悪かったのかな?
一緒に見ていた人と納得出来ない点数もっと高いと思ったと話しながら感動で涙が止まりませんでした。
今年は去年までとは得点の形状が変えられてます。4回転でも基礎点が低くなっていて
今までのように成功しても少しだけど低めの点しか貰えないのです。更に出来栄え点と
言うのが曲者で素人には何を基にして出してるのか解らないけどプラマイ10点もの
幅があり各ジャッジが個人の考え、見方で恣意的に決めるので統一が取れないとい
欠点が有るのです。人間が評価している限り仕方がないとはいえ日本のジャッジは
自国の選手でも盛るどころか逆に厳しい採点をする傾向が有ります。
アメリカやロシアの大会を見れば良く解りますよ。
まあそんなこんなでNathan Chenのように4回転を5-6回それもルッツとフリップが入っているのでそれだけで5-6点は高い得点に成るという基礎点なのですよ。
それにしても彼もまだ一回しかフリーで高得点を出してないので羽生選手は十分に
今の得点でも金を狙えるという事です。