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うちのじいちゃんはニューギニアのジャングルで終戦を知らず10年生きて帰ってきた日本兵の1人だったそうです。小さい頃じいちゃんにその時の話を聞きましたがあまり興味を持てず記憶も曖昧ですが、じいちゃんが亡くなって自分も大人になり、こういった動画を見るたびにもっとお話を聞いておけばよかったと思うことがよくありました。素晴らしい動画ありがとうございます。当時一緒に生き残った方が書いた本が実家にあるので、読んでもっと知りたいと思います。
戦争を記録する長崎の会中野清香さまこの映像を制作して世に出して下さり、まずは本当にありがとうございます。ニューギニアでの戦争体験を伺い、祖父も参加した在りし日の闘いの様子を感じておりました。亡くなった祖父に聞けなかったことをお伺いできる機会に恵まれたことに、深く敬意を表します。わたしは国政にチャレンジしたことのある若者ですが、歴史を繰り返さないためにも、中野さまにニューギニアでの闘いの話をもう少し深く聞かせて頂けないかと強く思っております。ご無理を承知ですが可能でしたら、ご連絡お待ちしております🙇♀️100才を越えられてるとのこと、お身体にはくれぐれもご自愛していただきどうかお元気で。大分県佐伯市 桑原
漢字検定で報道されていましたね。今もお元気で何よりです。 貴重なお話しです。
私のお祖父さんもニューギニアで戦った兵士で、一度だけ話を聞かせてもらったことがあります。その時の話ではもっと酷かったように思います。私が幸せに生きていられるのは、沢山の人達の犠牲があっての事だと再認識させられる動画でした。
本当に貴重な映像ですね。本当に素晴らしい映像です。
貴重な証言です。
103歳にしては見た目も若々しい、言葉もはっきりしてる
103歳にしては流暢でハキハキした喋り、戦中派の人はみんなそんな感じで歳を感じさせない
地獄の様相は悲惨です。この方たちの慰霊なくして戦後はまだ終わらないのではないか?生き延びて帰還した方もトラウマとなってしまったに違いない。現地でなくなった多くの方たちのご冥福を祈らせていただきました。
私の大叔父は東部ニューギニアのカブトモンで玉砕作戦で3歳の子供を残し戦死したと祖母から母へ母から私へ伝わりました遺骨は帰ってこなく現地の石だけが箱に入ってたと聞きましたひょっとしたらこの映像のどこかに大叔父の遺骨が入ってるかも思うと嬉し涙が出ました動画をありがとうございますちなみに祖父は日中戦争から大東亜戦争終戦までマラリアにかかったけど外傷はなく無事帰還したそうです!
私の祖父もニューギニアから生きて帰ってきました。ここのコメント欄にもそういう方が多いんですね。ジャワは天国、ビルマは地獄、死んでも帰れぬニューギニアとは言葉どおり骨になっても帰れないような場所だったんですね。
長崎出身の大叔父は第79聯隊からニューギニアのフィンシュハーフェンの戦いの中、カテカで戦死しました。1943年10月戦死なので食料不足の悲惨になる前に亡くなったのでは?という事でした。東部ニューギニア慰霊参拝に参加したいです。姪孫でも遺族となるのか市に交渉してみたいです。貴重な動画をありがとうございます。しかし103歳とは思えないハッキリお話をされる方ですね。驚きです。
家の祖父もニューギニアで生きて帰ってきました。中隊長だったみたいで昔TVにも出ました。相当壮絶だったみたいです。
小さい頃、仏壇にあった過去帳をペラペラめくると難しい字がたくさん書いてあるページがありました。漢字が読めるようになってから再度見返すと「戦死」の文字があり、祖父に聞くと祖父のお兄さんがニューギニア島のサルミで亡くなったことを知りました。戦死とは言えきっと餓死だったかもしれません。どんだけ辛い思いをしていたのか…祖父も昨年亡くなり、そのお兄さんの人生も写真も遺品すらありません。でもどういう環境でどんなものを見ていたのかを知りたいと思い現在調べているところです。今のわたしたちには到底理解できないほどの辛い体験をされてきたと思います。地獄のようなところから生きて帰ってきてこうして動画を通してお話を聞けて本当に良かったです。ありがとうございます
貴重な体験談、ありがとうございました。 戦後生まれで、戦争の経験もない者が、語る資格はないと思いますが、実際に、従軍した方の、体験談は、説得力があります。飢餓のあまり、人肉を口にした兵隊が居たことは、耳にしたことはありますが、現実だったのですね。 しかし、病気に冒されて、飢餓状態になり、戦友の亡骸を口にしても、非難することは、出来ません。 仮に私が、その状況に追い込まれた場合、同じ行動をしたかも知れません。 戦争が、いかに悲惨なものか、よく分かりました。 政治家の口から、遺骨収集に関する、答弁など、聞いたこともありません。情けない❗ 遠い異国の地で亡くなられ、今だに祖国に帰れない、多くの将兵のことを思うと、辛くてなりません。
こういう本当に貴重なお話を後世のためにも直視しなければならない。
日本の為に我が命を賭して戦ってくれたこのような方がいらした事は絶対に忘れてはいけないし、今の日本の平和はこう言った方達の上に成り立ってるのだと私は思います。
兵站の概念はまるでなしの「食料現地調達」。軍参謀は気が狂っていたに違いない。
ありがとうございます
ジャワの極楽、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア
ニューギニア戦線。砲兵士官と軍医が書いた戦記を読みましたが、坂東川渡河作戦失敗や歓喜嶺の戦い…それよりも半分沼地である約100キロを後退していく経過が正しく地獄耳…と感じました。海トラで連隊長が夜間移動しようとして敵の魚雷艇に殲滅された哀しさ…鈴木正己軍医の著作をあらためて読み返してみます。
兵隊さんは悪人なんかじゃない!!!!!
遺骨収集に税金を使うならおおいに賛成‼️
補給は戦闘と同じくらい重要なのに敵から奪ってとか現地で調達とかなにをかいわんや。すべて精神主義の思い上がり、皇軍なるぞの思い上がり。
私の祖父もここへ行った兵士の一人だと生前に聞かされました。祖父は戦争のことは自らは孫の私にはあまり話さない人でした。祖母も語ることはなかったです。後にこの動画やパプアニュ一ギニアについて調べて生還した兵士が極悪な環境でしかもごく少数だったのを知り驚きました。1、2度だけ祖父の体の銃弾を受けた傷痕を見たことがありました。軍人は悪人ではありません。むしろ被害者です。悪いのは政治家らです。
そのとおりです。兵士たちや現場の士官は命令通りに戦うしかない。戦わなかったら非難されるし脱走兵など軍規違反で営倉行きか処刑です。後方の戦争指導者や参謀たちが現実離れした戦略や荒唐無稽な作戦を立てて大失敗したのです。
餓死を戦死?ふざけるな、餓死なんて恥だから書けない、ほんと酷い話だ。
インタビュアーはトーチカくらい知っとけよー
たぶん視聴者に、わかりやすくするためなのかも☝️
根本原因は 戦後の風潮にある と言ったのは どこのだれだろう 日本の悪しき風潮になりますね
何がスゴイって、このお爺様103歳位に見えない。。見た目は80代。。認知機能に衰えなさそうだし、脳内年齢はもっとお若そう!!どの様な生活なさっているのだろう?!益々お元気で‼️
ワープロもご自分でなさる様ですね!!2023年8月もご健在のようです!😊
TVドラマにもなった「嗚呼 南に島に雪が降る」加東大介主演の部隊の隊長の方と仕事上で付き合いがありました。戦場の話は聞かない様しました。戦記既に、読んでおりすざまじぃ状況を口にするのも、憚れました。
例えば、ウサギとか"どぶねずみ"・ゴキブリとか携帯して上陸。ゴキブリはどぶねずみの餌。ウサギさん用のエサ葉・のみ水・大気(酸素)はたっぷりだったと思う(潜水艦内ならば窒息)。どれも繁殖力は強いんだが。「三木の干焼かし・鳥取の餓え焼かし」インパール作戦もしかり、かの羽柴筑前殿が参謀連におられたならばと思わずにはいられません。およそ情けない軍隊だが、そんなんでも中国戦線では強かったんだ、軍隊の格差を感じざる得ません。中国軍はわざと負けたんだろうか。
こういう話聞くとほんと腹立たしい、米軍は現地でタバコ片手にビール飲んでるのに、そりゃもう圧倒的物量の差。
中野さん ゴリッパそつなくゆくように いのっています、
苦しかったが楽しいこともあった
にほんのへいたい あわれなり にほんのぐんたい おそろしや
悪人?そんな風潮ありません誰ですか?その政治家は!( *`ω´)
人肉事件、経験した者でないと分からん?いやいや分かりますよ、極限の飢餓状態考えただけでゾッとする。
分かるわけないだろ
2年間ゼロたんぱく質で生きてみたら
うちのじいちゃんはニューギニアのジャングルで終戦を知らず10年生きて帰ってきた日本兵の1人だったそうです。
小さい頃じいちゃんにその時の話を聞きましたがあまり興味を持てず記憶も曖昧ですが、じいちゃんが亡くなって自分も大人になり、こういった動画を見るたびにもっとお話を聞いておけばよかったと思うことがよくありました。
素晴らしい動画ありがとうございます。
当時一緒に生き残った方が書いた本が実家にあるので、読んでもっと知りたいと思います。
戦争を記録する長崎の会
中野清香さま
この映像を制作して世に出して下さり、まずは本当にありがとうございます。
ニューギニアでの戦争体験を伺い、祖父も参加した在りし日の闘いの様子を感じておりました。亡くなった祖父に聞けなかったことをお伺いできる機会に恵まれたことに、深く敬意を表します。
わたしは国政にチャレンジしたことのある若者ですが、歴史を繰り返さないためにも、中野さまにニューギニアでの闘いの話をもう少し深く聞かせて頂けないかと強く思っております。ご無理を承知ですが可能でしたら、ご連絡お待ちしております🙇♀️100才を越えられてるとのこと、お身体にはくれぐれもご自愛していただきどうかお元気で。大分県佐伯市 桑原
漢字検定で報道されていましたね。今もお元気で何よりです。
貴重なお話しです。
私のお祖父さんもニューギニアで戦った兵士で、一度だけ話を聞かせてもらったことがあります。その時の話ではもっと酷かったように思います。
私が幸せに生きていられるのは、沢山の人達の犠牲があっての事だと再認識させられる動画でした。
本当に貴重な映像ですね。本当に素晴らしい映像です。
貴重な証言です。
103歳にしては見た目も若々しい、言葉もはっきりしてる
103歳にしては流暢でハキハキした喋り、戦中派の人はみんなそんな感じで歳を感じさせない
地獄の様相は悲惨です。
この方たちの慰霊なくして戦後はまだ終わらないのではないか?
生き延びて帰還した方もトラウマとなってしまったに違いない。
現地でなくなった多くの方たちのご冥福を祈らせていただきました。
私の大叔父は東部ニューギニアのカブトモンで玉砕作戦で3歳の子供を残し戦死したと祖母から母へ母から私へ伝わりました
遺骨は帰ってこなく現地の石だけが箱に入ってたと聞きました
ひょっとしたらこの映像のどこかに大叔父の遺骨が入ってるかも思うと嬉し涙が出ました
動画をありがとうございます
ちなみに祖父は日中戦争から大東亜戦争終戦までマラリアにかかったけど外傷はなく無事帰還したそうです!
私の祖父もニューギニアから生きて帰ってきました。ここのコメント欄にもそういう方が多いんですね。
ジャワは天国、ビルマは地獄、死んでも帰れぬニューギニアとは言葉どおり骨になっても帰れないような場所だったんですね。
長崎出身の大叔父は第79聯隊からニューギニアのフィンシュハーフェンの戦いの中、カテカで戦死しました。1943年10月戦死なので食料不足の悲惨になる前に亡くなったのでは?という事でした。東部ニューギニア慰霊参拝に参加したいです。姪孫でも遺族となるのか市に交渉してみたいです。貴重な動画をありがとうございます。しかし103歳とは思えないハッキリお話をされる方ですね。驚きです。
家の祖父もニューギニアで生きて帰ってきました。中隊長だったみたいで昔TVにも出ました。相当壮絶だったみたいです。
小さい頃、仏壇にあった過去帳をペラペラめくると難しい字がたくさん書いてあるページがありました。
漢字が読めるようになってから再度見返すと「戦死」の文字があり、祖父に聞くと祖父のお兄さんがニューギニア島のサルミで亡くなったことを知りました。
戦死とは言えきっと餓死だったかもしれません。どんだけ辛い思いをしていたのか…
祖父も昨年亡くなり、そのお兄さんの人生も写真も遺品すらありません。
でもどういう環境でどんなものを見ていたのかを知りたいと思い現在調べているところです。
今のわたしたちには到底理解できないほどの辛い体験をされてきたと思います。地獄のようなところから生きて帰ってきてこうして動画を通してお話を聞けて本当に良かったです。
ありがとうございます
貴重な体験談、ありがとうございました。
戦後生まれで、戦争の経験もない者が、語る資格はないと思いますが、実際に、従軍した方の、体験談は、説得力があります。飢餓のあまり、人肉を口にした兵隊が居たことは、耳にしたことはありますが、現実だったのですね。
しかし、病気に冒されて、飢餓状態になり、戦友の亡骸を口にしても、非難することは、出来ません。
仮に私が、その状況に追い込まれた場合、同じ行動をしたかも知れません。
戦争が、いかに悲惨なものか、よく分かりました。
政治家の口から、遺骨収集に関する、答弁など、聞いたこともありません。情けない❗
遠い異国の地で亡くなられ、今だに祖国に帰れない、多くの将兵のことを思うと、辛くてなりません。
こういう本当に貴重なお話を後世のためにも直視しなければならない。
日本の為に我が命を賭して戦ってくれたこのような方がいらした事は絶対に忘れてはいけないし、今の日本の平和はこう言った方達の上に成り立ってるのだと私は思います。
兵站の概念はまるでなしの「食料現地調達」。軍参謀は気が狂っていたに違いない。
ありがとうございます
ジャワの極楽、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア
ニューギニア戦線。砲兵士官と軍医が書いた戦記を読みましたが、坂東川渡河作戦失敗や歓喜嶺の戦い…それよりも半分沼地である約100キロを後退していく経過が正しく地獄耳…と感じました。海トラで連隊長が夜間移動しようとして敵の魚雷艇に殲滅された哀しさ…
鈴木正己軍医の著作をあらためて読み返してみます。
兵隊さんは悪人なんかじゃない!!!!!
遺骨収集に税金を使うならおおいに賛成‼️
補給は戦闘と同じくらい重要なのに敵から奪ってとか現地で調達とかなにをかいわんや。すべて精神主義の思い上がり、皇軍なるぞの思い上がり。
私の祖父もここへ行った兵士の一人だと生前に聞かされました。祖父は戦争のことは自らは孫の私にはあまり話さない人でした。祖母も語ることはなかったです。後にこの動画やパプアニュ一ギニアについて調べて生還した兵士が極悪な環境でしかもごく少数だったのを知り驚きました。1、2度だけ祖父の体の銃弾を受けた傷痕を見たことがありました。軍人は悪人ではありません。むしろ被害者です。悪いのは政治家らです。
そのとおりです。兵士たちや現場の士官は命令通りに戦うしかない。戦わなかったら非難されるし脱走兵など軍規違反で営倉行きか処刑です。後方の戦争指導者や参謀たちが現実離れした戦略や荒唐無稽な作戦を立てて大失敗したのです。
餓死を戦死?ふざけるな、餓死なんて恥だから書けない、ほんと酷い話だ。
インタビュアーはトーチカくらい知っとけよー
たぶん視聴者に、わかりやすくするためなのかも☝️
根本原因は 戦後の風潮にある と言ったのは どこのだれだろう 日本の悪しき風潮になりますね
何がスゴイって、このお爺様103歳位に見えない。。見た目は80代。。認知機能に衰えなさそうだし、脳内年齢はもっとお若そう!!どの様な生活なさっているのだろう?!益々お元気で‼️
ワープロもご自分でなさる様ですね!!2023年8月もご健在のようです!😊
TVドラマにもなった「嗚呼 南に島に雪が降る」加東大介主演の部隊の隊長の方と仕事上で付き合いがありました。戦場の話は聞かない様しました。戦記既に、読んでおりすざまじぃ状況を口にするのも、憚れました。
例えば、ウサギとか"どぶねずみ"・ゴキブリとか携帯して上陸
。ゴキブリはどぶねずみの餌。ウサギさん用のエサ葉
・のみ水・大気(酸素)はたっぷりだったと思う(潜水艦内ならば窒息)。どれも繁殖力は強いんだが。「三木の干焼かし・鳥取の餓え焼かし」インパール作戦もしかり、かの羽柴筑前殿が参謀連におられたならばと思わずにはいられません。およそ情けない軍隊だが、そんなんでも中国戦線では強かったんだ、軍隊の格差を感じざる得ません。中国軍はわざと負けたんだろうか。
こういう話聞くとほんと腹立たしい、米軍は現地でタバコ片手にビール飲んでるのに、そりゃもう圧倒的物量の差。
中野さん ゴリッパそつなくゆくように いのっています、
苦しかったが楽しいこともあった
にほんのへいたい あわれなり にほんのぐんたい おそろしや
悪人?
そんな風潮ありません
誰ですか?その政治家は!
( *`ω´)
人肉事件、経験した者でないと分からん?いやいや分かりますよ、極限の飢餓状態考えただけでゾッとする。
分かるわけないだろ
2年間ゼロたんぱく質で生きてみたら