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吉野ヶ里はとても貴重な遺跡ですね! 環濠集落のその全容が発掘されることはほぼ無いので当時の大規模集落や社会構造の様子が窺えるとても素晴らしい遺跡ですね。幸運なことに大規模な工業団地の造成に伴って発見されてその後佐賀県が工業団地の開発を諦めて全面的な史跡公園として整備したことは佐賀県の英断でしょう。吉備の盾築墳丘墓は埴輪の原型となる「特殊基台」が出ておりその直後に奈良盆地に出現する前方後円墳に大きな影響を与えたと言われています。
環濠集落が丸ごと見つかるのは珍しいんですね。近所の弥生時代の遺跡といえばここ、ぐらいの認識でした。遺跡としては上手く知名度を上げているので、工業団地を作るよりはよっぽど良かったと思います。墳丘墓から古墳への進化も徐々に進んでいったのですね。恥ずかしながら、今回まで「墳丘墓」を知りませんでした😅
@@chiri_rider さん遺跡は大体開発に伴って出土することが多く、すでに付近は様々な土地利用がなされているのでその一部しか発掘できない場合がほとんどです。吉野ヶ里が幸運だったのは、県が工業団地の造成を計画していて一帯をきちんと買収していたからですね。本当に幸運でしたね。でも福岡市内こそ弥生遺跡の宝庫ですよ! なんせ、漢の皇帝陛下から金印を授かったあの「奴国」の王都だったところですからね。当時の博多湾岸はぶっちぎりで日本の先進地域だったとことは数々の遺物が物語っています。3000年前の板付の田んぼの跡に始まって、須玖・岡本・比恵・那珂など博多から春日にかけての那珂川沿いは「奴国」の中心地と思しき遺構が集中しています。「掘れば遺跡に当たる」のではないでしょうか。残念ながら吉野ヶ里のような史跡公園として整備されていないだけでその出土物は吉野ヶ里以上に重要な意義があります。2000年前の遺跡の上に今も街が営まれ栄えているのはローマと博多くらいのものなのも貴重ですね。
@@chiri_rider さんまあ古墳も墳丘墓も似たようなもんなんですが、前方後円墳以降を「古墳」と呼んでいるようですね。福岡では弥生後期、糸島の「平原王墓」の頃にはかなり立派なお墓(副葬品が超豪華)が営まれていますね。
気持ちいいバイクで走りながら 地質の旅は知的でいい小さな旅ですね♪ 非常にに良い動画😮
地形巡りをテーマにすると、行き先に困らず道中も楽しくなります😁
吉野ケ里遺跡の成り立ちが地質面でも歴史面でも分かりやすい動画だと思います。阿蘇の火砕流の規模の大きさにも自然の力の恐ろしさを感じさせられます。
地質はともかく、歴史はろくすっぽ見てませんけどね笑しかし9万年前の活動の痕跡が、これだけ遠くにハッキリ残っているのがすごいですね。
阿蘇山の噴火から吉野ヶ里遺跡への導入そして流れるようなナレーションさすが地理ライダーさん。吉野ヶ里がこんなに広い遺跡だと知らなかったので良い勉強になりました。湘南乃風になれない佐賀乃海の説明も分かりやすいです😂
ありがとうございます。吉野ヶ里はかなり広いです。さらに未発掘のエリアがありますからね。佐賀乃海…他の方のコメントで相撲取りと言われて、そうとしか思えなくなってしまいました。
到達距離100km! 九州の大半はその火砕流に飲み込まれた…正に「破局噴火」。火山灰の降灰では無く「火砕流」がここまで押し寄せてくるのは想像を絶しますね! 背振山地がなければそのまま玄界灘に到達していたことでしょう!恐るべしASO4
そうです、火山灰ではなく火砕流ですからね。北西は脊振山地で止まったようですが、北東は海を越えて山口まで到達したそうです。
吉野ヶ里遺跡は開発と遺跡保存の問題で20年以上前に視察しました。地理ライダーさんの解説付きでこんなにも立派な遺跡公園になっているのもびっくりでしたが、話題の石棺発見直後の映像も、Aso-4の火砕流との関係のことも興味深く観させていただきまして、また行きたくなりました。当方の居住地の中央構造線と糸静線の関係について調べていましたら、地理ライダーさんの動画にハマってしまっている還暦ライダーでもあります。これからも様々な地域の地形の紹介と解説をお願いします。
吉野ヶ里遺跡、立派になりましたねえ。遺跡の周囲をウロウロしていると、台地だということがよくわかります。中央構造線と糸魚川静岡構造線😁今後も各地の地形をおとどけしてまいりますので、お楽しみに。
地形と成り立ちの説明が非常に素晴らしく、遺跡の土地との関連が良く分かりました。有難う御座います。
ありがとうございます。遺跡の位置と、台地はピッタリ一致します😁御覧頂きありがとうございます。
今年の秋に佐賀・長崎あたりをぶらぶらする予定なので、地理ライダーさんの聖地巡礼をしたいと思っています。九十九島とか早岐瀬戸とか巨石パークとか…。もちろん吉野ヶ里遺跡の高低差も楽しみたいと思います。
秋に佐賀と長崎ですか。良いですね。九十九島と早岐瀬戸はおすすめです。巨石パークは!遠くからわざわざ来る必要は無いかなあ😅吉野ヶ里の台地もまた一見の価値ありですよ。
お疲れ様です。阿蘇の火砕流の威力は凄かったんですねー昔から山の手は高級住宅地だったというのも面白かったです。地理とは関係ないですが、三層構造の木造建築物を作っていたとは、弥生時代の土木建築技術も凄かったんですね。毎回新たな発見の連続で、いつもいつも勉強させていただいてます。いつもありがとうございます。次回も楽しみにしてます。
100kmも離れたところに、火砕流が届くなんてびっくりです。偉い人の家とお墓は高台にあるものです。三層構造の建物は、主祭殿だけでしたね。1階部分がピロティーになっておましたが、駐車場?そんな馬鹿な話はないので、何故だったんでしょうね。次回もお楽しみに。
日本の城の原形を見た感じですね。この時代にあったことが分かりちょっと感動いたしました。
城というか、ムラですね。2000年前…地形の話をしていると、逆にめったに見ないぐらい短い時間です。
20年以上前に行った時と比べて広くなり整備も進んでいるようで、行ってみたくなりました!地理ライダーさんのように知識があるとさらに楽しめていいですね。いつも流暢に解説しているかと思ったら、噛むこともあったオマケ動画にも楽しませてもらいました。
僕も前回は昔20年ほど前に行ったんですけど、綺麗になっていました。弥生時代のことは全然知りませんが、9万年前の台地を目当てに見に行く、なかなか無いと思います😅走行中に話しながら撮っているので、実は結構噛み噛みです。
昨日行ってきました!行ってよかったです。
渦中の場所を見せてもらって良かった。島原の原城も阿蘇火砕流だそうですね。あそこも全国区の観光地です。ナポリのヌオーボ城はカタコンベの上にガラスの床が作ってあった。人骨密度?の高さに観光客は衝撃を受ける。
今大いに話題の場所ですね。原城の阿蘇の火砕流については、すでに動画がありますのでそちらをご覧ください。ruclips.net/video/o4pTC8SUeMg/видео.htmlガラスの床と人骨…吉野ヶ里と同じですね。
別件ですが、雷山の上宮手前標高700mで登山道が谷を横切る。その時、左上を見ると巨岩が滑り台の上に載って今にも落ちそうで恐ろしい。クフ王ピラミッドの尖塔の落ちなかった花崗岩を連想する。谷は急傾斜で落ちたら助からない。機会があれば見に行って下さい。雷山からは別動画のなんちゃら盆地が見えます。嘉瀬川ダムと棚田が目前だ。
いつか遺跡巡りの旅をしたい地域。噴火でできた台地の上にあろうとは!吉野ケ里を散策するだけで9万年前と2.000年の時を一度に体験できる嬉しい情報。古庄さんのチャンネルでは地図を見ながら歴史を考えるという面白い視点に、地理ライダーさんの情報を足したら、無敵に感じました。台地上の環濠の溝に水は流れない(流しにくい)・地質的に水はけ良すぎる点、お堀的なイメージは違っていたのかもしれません。馬もまだ居なかった。興味深い視点に丁寧な説明・解説を楽しんでいます。ありがとうございます!
そうなんです、9万年前と2000年前、2つの時代を考えながら回れるのがポイントです。古庄さん?のチャンネルを存じ上げないのですが、地図には地形から集落の成り立ちまで、歴史が詰まっています。台地の上の環濠は空壕だったんじゃないかなあと思います。台地の下は水を張れたと思いますが。馬、いなかったんですね。
@@chiri_rider お返事ありがとうございます。古庄さんのチャンネル名は地図をなぞって日本古代史を考える、、です。
動画をありがとうございました!面白かったですぅ。興味が湧き、大変勉強になりました!!!!大分発掘は進み整備されていましたね。バイクで一緒に、貴方と一緒の目線で観ると、こんなに違うんだ。佐賀って単なる平野と思ってました。また吉野ケ里に行って見ます。動画を参考にしてね。いい時代になりました、感謝です。今後も配信期待してますね、ワタシも博識になりそうです❤😊
こちらこそご覧いただきありがとうございます。昔と比べて、明らかに広くなりましたが、今もまだ北に向かって発掘調査が進んでいます。今話題の石棺墓も、発掘が進んでいるエリアの物です。動画を参考にして吉野ヶ里に行くと、台地の崖を求めて歩き回る変な人になります笑今後の配信もお楽しみに、日本全国の地理について、少しずつ詳しくなっていきましょう。
埋没林にご興味がお有りなら「三瓶小豆原埋没林」もお気に召すと思います。 この時期、古代蓮も咲いていたと思います。
面白そうですね。山陰方面に行くときは立ち寄ります。
吉野ヶ里遺跡はAso-4火砕流の台地の上にあったのですね。俄然興味が出てきました♪4億年前の焼けた木の年輪も感慨深いものですね。ライダーさんいつもありがとう!
歴史はそこまで興味がないので、吉野ヶ里遺跡…フーン、という感じだったのですが今回石棺墓で話題になっていたので改めて調べてみると、地形と地質…面白いやん!となって見に行きました。焼けた木は4億年前ではなく9万年前のものです。樹齢400年ですね、色々混ざってスケールがデカくなってますよ😂
あらら😅お恥ずかしいです。4万年前ですね。ライダーさんの動画見過ぎて、スケールがデカくなり過ぎました。一旦脳内整理します😂人間の小さな営みの下に隠れた、地球の歴史を知ることが出来て感謝です。
すみません。9万年前でした😂
説明が聞きやすくてとても分かりやすかったです。古墳が好きなのでバイクの免許取ったら行ってみたいなと思いました。
ありがとうございます。バイクの免許これから取得でしょうか。他の動画も、面白い場所をいっぱいご紹介していますので、あちこち行ってみてくださいね👍
プレミア公開ありがとうございました。今、何かと話題の吉野ヶ里遺跡ということで、途中からはチャットそっちのけで動画に見入ってしまいました。それにしても、吉野ヶ里で阿蘇山が出てくるとは想像していませんでした。いかにAso-4が想像を絶する噴火(火砕流)だったのかという証拠ですね。地形図と地質図を照らし合わせて、吉野ヶ里遺跡が火砕流台地の上にあることがよく分かりました。遺跡には20年近く前に行ったっきりご無沙汰なので、久しぶりに行ってみたくなりました。その時は、遺跡はもちろんですが、動画にあった周囲の地形にも注目したいと思います。
300人近くに見ていただいていたので、チャットが大忙しですみません。吉野ヶ里で阿蘇、びっくりですよね。100km離れていても届くんですから、噴火の規模がもはや想像を絶するレベルです。地形図と地質図で、台地と遺跡がピッタリ合うのが面白いですよね。僕は遺跡はほとんど見ずに、台地の地形ばかりをしげしげと見ていたので、墳丘墓をスルーして帰ろうとしてしまいましたが、帰り際ガイドさんに「墳丘墓どうでした?」と聞かれ、「何それ?」という反応をしたら、行かない人がいるんだ…😅みたいな反応をされました笑
登録者2万人、おめでとうございます(^^) 私がはじめてこのチャンネル登録した時には1万人もいなかった気がします。各地を訪れて、ペラペラ解説してくださる地理ライダーさんのスタイル、ほんとに面白いですよね。これからも動画期待しています。
ありがとうございます。この半年ぐらいで、1万人到達ぐらいから急激に増えました。ありがたい限りです。今後もよろしくお願いします。
お疲れ様です。吉野ヶ里遺跡が阿蘇山の火砕流で作られた台地を利用しているとは知りませんでした。先人の自然を観察する力は大したものです。歴史が地理の知識で深まります。鳥居?や酒蔵など原型が見れて面白かったですね。酒造りは、処女がコメを口で噛んでつくるということは書物で読んだ記憶があります。今回も新しい視点での吉野ヶ里を楽しめました。ありがとうございました。
そもそも当時は今よりも海水面が高く、佐賀平野の堆積も進んでいなかったはずですから、台地の重要性は高かったかもしれませんね。浸水を避けるには、台地に集落を作るしかなかったのかなと思います。酒蔵の復元は普通の小屋で、あんまり酒造りをイメージできませんでした😅口噛み酒、何かの映画(君の名は。)でもそんなのが出てきましたね。吉野ヶ里の紹介動画としては異色中の異色だと思いますが、楽しんでいただけたようでよかったです。
巷では流行っていても自分の頭には記憶に残らず日ごろスルーする情報だけど、現地で解説してもらうとイメージがわきます。西は弥生人でもりあがるけど、東は縄文人でもりあがってる感じ。
僕も歴史ネタはあまり…なのですが、吉野ヶ里の地形を見ていて台地!🤩と気付いてしまったのです。調べて行ってみると、想像以上に面白かったです。東は縄文時代で盛り上がっているのですか?全然知りません😅
吉野ヶ里、タイムリーな配信で興味深く視聴いたしました☺️古代人の集落の形成や人流、文化の発展に興味があるのですが、それには当時の地質分布や災害の歴史がすごく関係していることがよく分かりますね。実際に現場で周辺の地形を見渡すと、地図を見るだけでは分からないことが見えて来るような気がします。
吉野ヶ里遺跡が話題なので調べてみると…台地!🤩ということで見に行くと、やっぱり面白かったです。古代は治水の技術も未発達だったでしょうから、地形の意味は今以上に大きかったはずです。地形図でもある程度予想はつきますが、現地で見ると、「おお〜本当に台地だ😆」と感じられて最高ですよ。
@@chiri_riderご返信いただくなんて、感激です🥰なんだか私が知りたかったことにドンピシャな動画に行き当たった気がして、このところ毎週末、地理ライダーさんの動画であっちこっちへ旅をしている気分です。昔から地質にも興味がありまして、鳴門の褶曲した地層とか色の違っている岩場や層になった崖とかを見るのが大好きです。前に長崎の生月島や野母崎にも行ったことがあります。大バエの柱状節理に驚いたり、野母崎あたりの阿波青石に似た緑の石を見て中央構造線を妄想で勝手に延長してみたりしています😆四国東部にも特徴のある地層がいろいろありますので、ぜひお越しを。また新しい旅へのお出かけを楽しみにしています。道中どうぞお気をつけて😉
こんにちは!最近、地理ライダーさんの動画を偶然見てからはまってます。この回も面白かったです。那珂川住みなので、阿蘇の火砕流と言えば、安徳台ですねどうやってあっこまで流れてきたのか。想像もできませんね。
ありがとうございます。動画が200本以上あるので、ぜひ制覇を😊️那珂川の安徳台、ありますね。入水した天皇…。それはともかく、阿蘇の火砕流は規模が桁違いで、本当に想像も付きません。九州の大部分を壊滅させたと思います。
プレミア公開には参加できず残念でした。そういえば母の実家近くも台地に村があって、くだった低地には田んぼしかなくて次の台地集落に至るみたいなことになってました。日本中でそんなとこばかりなんでしょうけど、吉野ヶ里は最先端をいっていたということかしら。
プレミア公開はこれからも時々やりますので、情報お見逃しなく。Twitterで当日朝には告知をします。日本中の遺跡がどうなのか知らないのですが、吉野ヶ里は水害を受けにくい場所だから、長期間集落が存在した、ということは確実だと思います。
懐かしい。吉野ケ里遺跡は二度行ったことがあります。一度目は時期をよく覚えていないのですが、本遺跡が発見されて数年後だったと思います。たぶん昭和の末か平成の初め頃です。整備される以前でしたが、適宜見学者を集めて発掘者による説明が行われていました。二度目は平成25年(2013年)で、現在ある施設は大半が出来上がっていましたが、北部の墓地は発掘中で行けなかったのが、本動画で見れて良かったです。吉野ケ里遺跡が阿蘇の火砕流の台地だとは知りませんでした。今度行くことがあったらそれも意識しつつ見学しようと思います。いつ誰から聞いたのか忘れてしまったのですが、阿蘇の火砕流は山口県まで流れて行ったとのことで、想像を絶する規模だったということですね。人類が日本列島に渡って来るより前で本当に良かったです。
僕は20年ほど前ですかね、小学生の頃友達と行って以来の2回目でした。もう当時の記憶も曖昧ですが、整備が進んだ気がします。北部は今もまだ発掘中のエリアが残っているようですね。阿蘇の火砕流が山口まで届いたというのは正しいです。火砕流はガスを伴って海を越えていくこともあり、恐ろしい話です。
1億年前の脊振山地、9万年前のAso-4火砕流、2000年前の弥生時代、樹齢400年の焼けた巨木、絶対火災を起こさない現代のハイテク炎、みたいに時間の長さ近さ遠さを考えると、それを30分の動画にまとめて説明してしまう能力の高さに舌を巻きました。それでも最後のオチで舌を噛むのはご愛嬌で、バイクを運転しながら観察しながらしゃべるのは大変な作業だと改めて感謝しました、ご安全に!
楽しい動画をいつもありがとうございます。動画で行った道のりを地図で示してもらえたら、そのルートを真似して辿ってみたいです!
道のりは、Google Mapの言う通りに進んでいるので本人もよく分かっていません😂目的地から目的地にルート検索すれば、だいたい同じになると思います。
@@chiri_rider 返信ありがとうございます。同じルート挑戦してみたいと思います!
はじめましてー!最近見始めました。とても丁寧に説明されていて、勉強になります。湘南より佐賀乃海、すきっすねー笑
ご覧いただきありがとうございます。湘南じゃなくて佐賀ですし、干潟しか無いんですけど、盛り上がっていました🤙🎤
私も春先に訪れてみました弥生時代に特別興味があるわけではありませんが長く離れていた地元を見直そうとツーリングがてら佐賀県内を回ってます吉野ヶ里公園は敷地が広大で3時間かけても半分も回れませんでしたまた訪れてみようと思ってますそれにしても阿蘇の噴火の凄まじいこと今の防災対策でも被害は防げそうにありませんね🥶
僕も弥生時代には興味ないのですが、話題の場所の地形を見ていたら、ムム!台地だ…と思い、見に行ったら結構面白かったという話です。公園は広いですが、台地を中心に、建物はほぼ無視して回れば2時間でした。間違いなく変な回り方です。Aso-4規模の火砕流が来たら、為す術なしです。焼け焦げるしかありませんな😂
わが故郷。出てきて、もう40年も前の事。昔はここ、何にもなかったです。北の松隈辺りが大好きで、ランニングコースだった。今にして思えば、小さな断層はたくさんありました。紹介してくれてありがとう。
故郷のご紹介ができ良かったです。ありがとうございます。
12月初旬に吉野ヶ里遺跡行って来ました。この動画を見てから行けばもっと深く見れたのに残念です。発掘現場は公開されていて目の前で発掘作業を見学出来ました。もう一度ジックリと見に行きたいですね。😊😊
火砕流が侵食されてできた細長い台地、地形が何より面白い場所です。上峰の埋没林も一緒に行ってみると良いと思います😄
@@chiri_rider 次回が物凄く楽しみです。有難う御座いました。😀
@chunkmeet4615 次回は萩と津和野です。ここもかなり面白いです😎
年末に家族で吉野ケ里遺跡に行くために調べていました。地理の観点から見る吉野ケ里はとても面白かったです。 「阿蘇4」というキーワードも興味深いですね。 元旦は天気が良ければ太良町から有明湾越しの初日の出も考えていますが、有明湾の成り立ちも知れて楽したったです。地理ライダーさんと湘南乃風(呼び捨て)に感謝!
吉野ヶ里に行く前に、変な予習をしてしまいましたね笑実は、この辺りまでAso-4の火砕流が押し寄せてきたのです。有明海の初日の出、見られれば綺麗でしょうね。ありがとうございます。
干潟で取れる豊富な食料に人が集まってきたんでしょうね、潮が満ちて引いたら食べ物が毎日取れる、干潟は昔のスーパーマーケットみたいな物だったんでしょうね。
干潟の海の幸(特に貝?)も重要でしょうし、火砕流の台地は水害の被害を受けにくく、とても良い立地だったのだと思います。
1回目はプレミアでチャット、2回目はじっくり動画、3回目はコメントを読んで楽しんでしまった。これから金曜日はこのパターンになりそう
雨、大丈夫ですか?朝起きたら凄い雨が降ってる
毎回プレミア公開はできませんが、プレミア公開のときはそのパターンでぜひ復習どうぞ。雨は酷いですね~。靴がずぶ濡れになっただけで、特に大きな被害はありません。
ライダーさんお疲れ様でした。隠さないけど、吉野ヶ里遺跡行ったことありません😢道の駅吉野ヶ里に近いのかな?って思ってたら、違いました……阿蘇山の噴火は広範囲にわたって色んな地形を作ってるんですね😊
ありがとうございます。吉野ヶ里遺跡自体は、そんなに面白い場所でもないんですが、地形を見ると、弥生人がここを選んだ理由、そして地形の成り立ちになるほどなあと思います。阿蘇の噴火は凄いですね。道の駅吉野ヶ里は、ずいぶん山の中ですね。吉野ヶ里遺跡は平野の縁です。
待ってましたぁ(*^^*)👏👏👏👏👏
ありがとうございます!
湘南乃風からの流れは笑いました😂吉野ケ里遺跡は男はつらいよで寅さんの甥っこがガールフレンドとタンデムデートをした場所ですね…( ´∀`)
なぜ吉野ヶ里遺跡で湘南乃風を聞く羽目になったのか、非常に謎でした笑男はつらいよ…、見たことがないのですが、葛飾柴又の話ですよね。吉野ヶ里でデートって、渋すぎませんかね🤣
Aso-4はいろんなところに爪痕を残していますね.その一つである地元の地形を詳しく説明してもらえて,ありがとうございます.確かに遺跡より台地優先は珍しいかも(まぁイベントとかフェス目当ての人はもっと多い).まぁ確かに吉野ケ里周辺へ田んぼ以外何もないです.何もないとこにぽわって遺跡があり,しかもそれがかなり広大というのが面白いというか,歴史の不思議さやなぁと思います.確かに佐賀乃海は波と対極ですなぁ.
Aso-4は阿蘇の噴火の中でも規模が最大だったわけですが、火砕流が佐賀まで及んでいるのが凄いです。イベントは遺跡の下の広場でやっていましたが…そういや、あれは入場料払ってるんですかね?僕はフェスも遺跡もあまり興味なく、台地だけを見に来たわけですが😅吉野ヶ里の周辺は今も昔も稲作が盛ん…サガは稲作がサカん…お後がよろしいようで。
ここ最近、急に登録者数が増えてる気がしますね。最近のニュースで170㎞離れた山口の山間部で阿蘇火砕流の痕跡が見つかったとありました。間に海があると抵抗が少ないので遠くまで行くのでしょうか。
そうですね、火砕流はガスと一体化して流体として流れていくので、平坦な海は越えていくことが多々あります。鬼界島のカルデラからの火砕流が九州本土まで到達して、壊滅的な被害をもたらしたこともあったはずです。阿蘇火砕流は、佐賀の脊振山地を越えることができず、この辺りで止まったようですね。
吉野ヶ里公園近くの鳥栖市在住者です。なのに吉野ケ里の地質や歴史には全く知識がなくお恥ずかしい。今回楽しく学ばさせていただきました。これまでにアトラクションとしてみていた吉野ケ里遺跡に興味がわきました。バイクとのコラボも斬新でした。実は6月21日にツーリングに行った際に立ち寄ったのですが、残念なことに雨のため駐車場で引き返し中には入りませんでした。まぁ、それでも何度か訪れたことはあります。春や秋は景色もいいところです。今後ほかの動画も見させていただきます。
吉野ヶ里の地形の成り立ちは、普通気にしないと思います。だからこそ動画の出し甲斐があるというものです。遺跡の建物は復刻されたものですが、台地の地形は当時とそこまで変わっていないはずですよ。他の動画もどうぞご覧くださいませ。
バイク、カッコいい‼️
ありがとうございます。格好良いですよね😊️
遺跡を地形目線で考えたことなかったので勉強になります。解説も分かりやすく、色々見させてもらってますが興味そそられてついつい見ちゃいますw余談ですが現在、吉野ケ里遺跡公園入り口の向かい側に某釣りRUclipsrのお店海鮮丼がオープンしてますので是非行ってみてください。😁
遺跡も、そこにある理由が地形と地質に隠されています。興味持ってご覧いただきありがとうございます😊️海鮮は苦手なので、海鮮丼は食べられませんが…😅️ありがとうございます。
吉野ケ里の集落は現在では海岸線から30キロも内陸にあるんですね。当時は丘の上から海は見えていたのだろうか。
当時は今より海水面が高く、筑後川の土砂の堆積も進んでいなかったため、海岸線が随分北にあったはずです。丘の上から、割と近くに海が見えていた可能性は高いと思いますよ。
弥生時代の集落跡(諸富町)が吉野ヶ里の南郭から約12km南南西の筑後川沿いにあり、当時の海岸線もその辺りにあったらしいです。2年に1回大洪水を起こし日本三大暴れ川と恐れられた筑後川河口に集落を営むのも根性ある話ですが、漁業や交易の為には仕方ないのでしょうね。
九州大学が六本木、箱崎の時代の人間です。応援します。酔っ払らったのでごめんなさい。
六本松は僕が入学する少し前に閉鎖されてしまいましたが、箱崎には通っていました😊️今後ともよろしくお願いします。
吉野ケ里遺跡が本格的に発掘される前に旧東脊振村にちっちゃい時に住んでました。懐かしい
吉野ヶ里遺跡が発掘される前ですか、遺跡周辺は随分変わったと思います。ご覧頂けて良かったです😊️
吉野ケ里遺跡に行ったときは阿蘇の噴火の火砕流の堆積物のことは全く気にしていなかったので、この動画は新鮮に見れましたの。
吉野ヶ里遺跡で阿蘇の火砕流が来たとか気にする人は、あんまりいないと思います笑ありがとうございます。
おじゃましまーす。車で5分圏内に住んでますが、吉野ヶ里がそんな地形だったとは😮フェスには息子が行ってました。湘南乃風と有明海!繋がるとは😁楽しんで見てますので、これからも、ぶら地形ライダー
いらっしゃいませ。めちゃくちゃ近くですね。フェスに行くのも楽々ですね。湘南乃風と有明海は、あまりにも対極で突っ込まざるを得ませんでした😅今後もよろしくお願いします。
佐賀大和インターから山手に行くと嘉瀬川沿いに巨石群公園がありますここまではるか昔は海だったそうです。道の駅前のうどん屋さんが教えてくれました。このうどん屋さんには世界中からスピ系の有名人が来るらしい。不思議な写真見せてくれました。三角山つまり何万年か前のピラミッド。山頂から光が出てる不思議な写真見せてくれました。ここ早く閉めます行くときは気をつけて行ってください。道の駅の前綺麗な川の水です…いやされます。其処の柿アイス美味しかったです。
巨石パークについては動画を出していますので、ぜひご覧ください。縄文時代は今よりも数メートル海水面が高かったので、海岸線は随分山側にあったと思いますが、さすかに巨石パークからは少し離れていたと思います。スピリチュアル、ピラミッドは眉唾ですけど…柿ラム酒ソフトは、なんともいえない渋い味ですね。
非常に興味深い。熊本の山鹿 不動岩から八女市黒木から旧矢部村のハート岩八女津姫神社この辺の地質も掘り下げて解説してください。
山鹿については「菊鹿盆地」の動画黒木町については「八女茶と段丘」、「バイクでたどる国鉄矢部線」の動画で解説していますので、そちらもぜひご覧ください。
バイク使った ブラタモリならぬ ぶらバイクの🏍旅 良いもんだ
バイクの旅、いいですよー
はじめまして。還暦OverのRUclipsを観るの好きGGIです。とっても興味深く観させてもらいました。吉野ケ里遺跡の事は一般人以下レベルの私で、長崎に行く電車の車窓から見える・・・程度で知ってました。阿蘇山の噴火(ASO-4)が大きく関わり、大木の焼跡や遺跡公園内での丘陵の意味を聞き「なるほど」と感じました。詳細な説明をありがとうございました。吉野ケ里遺跡+阿蘇山4+若者に流行の湘南乃風には「伝統の魂」でしょうか?
吉野ヶ里遺跡のことは、僕も全然詳しくないですよ。最近話題なので、改めて調べて行ってみました。遺跡は明らかに台地の上にあって、近くでは焼け焦げた木が見つかった、なかなか面白かったです。伝統の魂?🤔
吉野ヶ里歴史公園、一度は行ってみたいですね。戦国時代、ここは東に流れる田手川を文字通り盾とした日吉城と呼ばれる城塞(日吉神社のあった発掘場所が本曲輪?)だったそうです。この地を支配していたのは少弐冬尚でしたが、家臣の龍造寺氏の下剋上により滅ぼされました。日吉城はその際に度々戦闘が起こったそうなのですが、公園の方ではどのような解説がされていたのでしょうね。
なるほど、田手川の名前の由来は「盾」なんでしょうか。地名から色々と想像が膨らみますね。日吉城については説明は見た記憶がありません。というか、遺跡の説明はろくすっぽ見ずに台地!へえ〜台地😙とばかり言っていたので良く分かりません😂
@@chiri_rider ありがとうございます。あくまでも大規模な弥生集落としての一面に重点を置いて、あえて他の時代は詳しく触れない事で重点をブレさせないプランなのでしょうね。
昨年吉野ヶ里遺跡に行って思ったのは、環濠部分が柵の中であることや外側からの柵はかなり低いのを見て、外部からの侵入者を防ぐというより、どっちかというと柵の中の人の脱走を防いでいるんじゃないかという気になりました。
たしかに、柵の中に濠ですね。防衛上こっちのほうが良かったのかな、とも思いますし、よく分かりません。柵の中の人の脱走ですか、これまた分かりませんね〜。歴史には疎くて、全然分かりません😅
@@chiri_rider その後の日本の築城を見る限りは堀は塀の外側。動物園などの屋外展示で逃走を防ぐ場合は塀の内側に堀という固定概念があって、昨年訪れてみて、ふと思いついたことなんですよ。この時代にはこの時代の防衛の考えがあったのでしょうね。今度行ったら現地ガイドボランティアの方に聞いてみます。
火砕流で焼け焦げた木、実物大レプリカが武雄の宇宙科学館にあります!それなりの大木でびっくりしましたね…
武雄に原寸レプリカが!ぜひ見に行きたいです。この水槽に入ったサンプルは幹の一部でしたが、相当大きかったです。
脊振山中麓にある道の駅から佐賀平野を見下ろすと太古には幾つかのクニがあったんだなァ~!と実感します自分は卑弥呼がいたのは吉野ヶ里ではないでしょうが北部九州の何処かにいたのだと思いますさて阿蘇山の大火砕流というと多くの人が今の阿蘇山が大噴火したと思っている方も多いのではないでしょうかカルデラを形成する前にはとてつもない大火山があったので佐賀平野迄火砕流が届いたのですよね
太古のクニに思いを馳せてしまいますね。吉野ヶ里は台地の上なので、長期間にわたって安定して集落があったのかな…その後も土砂崩れや堆積作用の影響を受けず、きれいに発見されたのかな…。などと想像が膨らみます。阿蘇はおっしゃるとおり、もともと巨大な火山でした。この9万年前の噴火後にカルデラができ、中央火口丘(現在の中岳など)ができました。
吉野ケ里遺跡はその情景が魏志倭人伝に書いてあるのと全く同じで、全容が発掘された時は本当に驚いたものです。それにしても地理ライダーさんはあれ程の適格なコメントをしながら運転もスマート。私だったら運転が疎かになって、わきの田んぼにつっこんでしまいそう。😁
歩いていても実感しましたが、吉野ヶ里遺跡は台地に沿って南北に広いですね。邪馬台国の浪漫が広がりますが、果たして…。あんまり脇見をしてはいけないので、カメラだけ向けて目線は前を向いて喋ったりしています。
楽しかったです 最近朝倉か佐賀、筑後平野のどこか土地が安いとこ買って移住したいと思ってる福岡市民です
都会に出る必要がないなら、それで良いと思います。水害の危険がない段丘面、もしくは扇状地に住みましょう。氾濫原は駄目ですよ。
配信を、ありがとうございます。 九州、佐賀県吉野ケ里遺跡は、邪馬台国の弥生時代の国宝級の遺跡です。 魏志倭人伝は歴史書であり、客観的に記述された考古学的資料です。
こちらこそありがとうございます。
おほ!吉野ヶ里歴史公園に聖地巡礼行って参りましたデス😙佐賀県民なのに行った事がありませんでしたのじゃ!Aso-4!9万年前!と騒ぎ過ぎて社会科見学の子供達からの冷たい視線を浴びましたデス🥺むむ、遠い阿蘇からここまで火砕流が流れてきたもんだと思いました😊上峰町のふるさと学館は道に迷いたどり着けませんでした…再チャレンジしますデス。自分の記憶が確かなら発掘された時に友達とチャリ漕いで見に行った様な?…泥の中に黒焦げの木が折り重なってたのは覚えてるんですが…(笑)
佐賀県民で行ったことがない!県民の義務を果たせましたね😊️社会科見学の子供たちに、これは阿蘇の火砕流が〜😙️とか言わないように、引かれますから笑上峰町のふるさと館は、役場の近くなのでもう一度探してみてください。埋没した木の発掘、見られたんですか!お羨ましい。
@chiri_rider フフフ県民の義務(笑)危うく、ここ9万年前のAso-4の噴火がーって言いそうになりましたデスw上峰町の埋没林は高校の地理の先生が近くに住んでる人は見に行って~って言われてチャリ漕いで見に行きましたデス😙きっと、その時にもAso-4の話されてたんでしょうなぁ。全く覚えてないデスケド(笑)むむ、30年以上前の謎が解けましたデス😁
Aso-4 の焼け焦げて埋没した木の方に興味を持ちました(←少数派)。約9万年前ということですが、九州には約6500万年前の木々が石炭化して(岩盤の高圧と熱がかかったためでしょうか。)、各地に炭田がありました。一方、海外の炭田は、数億年前の石炭紀のものですので、何故?日本の石炭は比較的早く出来たのかということに興味があります。この時期は(約6500 万年前)は、恐竜絶滅の K-pg 境界とほぼ同時期みたいなのですが、Aso-4 みたいに九州各地の木々がなぎ倒されたのでしょうか?
このチャンネルでは多数派かもしれません笑約3億年前は石炭紀とも呼ばれ、世界中で大量の石炭ができた時代です。しかし、原因は謎だそうです。(シダを分解する微生物がいなかったとか、色々な説があるようです)もちろんその後も、植物が埋まって地熱や圧力に晒されれば石炭はできます。日本はそもそも成り立ちの新しい場所なので、石炭紀の岩石はなかなかお目にかかれませんね。
@@chiri_rider 多数派(かも?)でよかったです(笑)。九州の有明海底(三池炭田)を掘進すると、当たり前のように花崗岩にあたってしまうそうでした。
なんかマニアックで好きwww ふと地形を見てたら「この大地の高低の根拠は何だろう」とか、そんな類の疑問が沸いて来る。
マニアックの極みみたいな動画をご覧いただきありがとうございます。地形の成り立ち、気にしはじめると退屈することがありません😄
脊振山地の舌状台地に残る阿蘇🌋火砕流は、その中間にある筑紫平野では浸食され削られたのでしょうか?
筑紫平野は断層に挟まれた沈降域で、巨大な地溝になっています。Aso-4堆積物は地下深くに沈んでいて、その上に筑後川が運んできた土砂が乗っかっています。ちなみに南には耳納山地の傾動地塊、北には筑紫山地があり、いずれも地塁です。
詳しい解説ありがとうございました。邪馬台国=脊振【山】南麓の舌状【台】地という意味かも知れませんね。
吉野ヶ里遺跡の石棺の被葬者は、出雲の国譲りに登場する天若日子命の父親の天津国玉命です。 天津国玉命は紀元前238年に生まれ183年に崩御されました。
縄文時代や石器時代の記憶があるって言っている知り合いがいます前世は卑弥呼と一緒に古代冥王星から古代日本に来たと言っていました当時は卑弥呼の親族であり側近だったそうです自分は信じていませんが😊
んー、スピリチュアル。本当に記憶があるなら、邪馬台国は畿内九州のどっち?吉野ヶ里だとしたら、海岸線はどこにあって、筑後川の河口は…佐賀平野の干潟は…とか色々聞きたいです。
阿蘇の大噴火はまだ日本列島が大陸と陸続きだった頃でしょうか?
阿蘇の4回目の大噴火🌋Aso-4は約9万年前で、つい最近の出来事です。日本列島が大陸から分離したのは約2000万年前で、もっともっと昔のこと。日本列島の地盤は、すでに大陸と離れた後のことです。で、氷河期だけ、海水面が下がって大陸と日本列島が地続きになります。氷河期は10万年ぐらいの周期でやって来ます。9万年前のAso-4の頃は、温暖な間氷期で大陸とは繋がっていなかったと思います。その後の7万年〜1万年前の最終氷期で地続きになり、1万年前から再び間氷期に入って、大陸と日本列島は海で切り離されました。今は間氷期です。
わ~、この前は木が燃えた後の溶岩だったけど、今回は木そのものが!吉野ヶ里!いつも唐津に行く通り道にある吉野ヶ里!!初めて中を見ます!(*'▽')火砕流のあとに立ってたんだ。"φ(・ェ・o)~メモメモやかましい中での古代の住居探訪、お疲れ様でしたwガッツリ吉野ヶ里遺跡を勉強できました!\(^o^)/あ!ロゴが推してたお山3つのやつになってる!!ヽ('ヮ'*)ゝ
そういや、この間は富士山で溶岩樹型を見ましたね。富士山の鳴沢はダイレクトに溶岩が流れてきましたが、今回の八藤丘陵は火砕流です。火砕流は、熱々の火山灰や軽石がガスと一緒に高速で流れてくる現象です。なので溶岩の型が残るようなことはなく、焼け焦げた木が残ったわけですね。台地が〜火砕流が〜Aso-4が〜ばかり言っていて、吉野ヶ里遺跡の勉強にはならない気もしますが😂ロゴはお山3つにしました!
@@chiri_rider あー、火砕流とダイレクト溶岩の違いでしたか!(*'▽')ワカッタ!解説ありがとうですー。
湘南乃風のくだりおもしろすぎるwww
佐賀平野で湘南乃風は、ねえ…😅
吉野ケ里遺跡は、邪馬台国ではありませんが、連合の一つです。この度キンドル版誰も書かなかった邪馬台国探しを出版しました。関心があれば、そちらをお読み下さい
連合国の中央政府が吉野ヶ里にあったことは事実のようですね。ありがとうございます。
失礼します、90,000年前の阿蘇村の大噴火、その後に7800年前にアカホヤの大噴火、で九州と太平洋が全部子、その後に吉野ヶ里ができた
阿蘇4回目の大噴火、そして鬼界カルデラの大噴火、その後の弥生時代ですね。短期間に色々とあったもんだなあと思います。
焼け焦げた木の種類は何ですか?
詳しくは判明していないそうですが、マツ科トウヒ属(針葉樹)であることまでは分かっているそうです。
阿蘇の火砕流が100Km離れた吉野ケ里まで(^-^; それにしても広いですね。邪馬台国九州説うなずけます。
そうなんです、阿蘇から遥か100km…でも、北の方はまだまだ進み、山口県まで到達したそうな。広いのですが、中心的な施設の規模は思ったより小さいなと思いました。当時はそんなもんなんですかね。
こんにちは(゚▽゚)/ガイド付きの吉野ヶ里観光ありがとうございました!吉野ヶ里関係者の皆さん、地理ライダーさんとコラボしませんか?(笑)そしたら行きますよ!
あまり説明が上手くないガイドですが😅吉野ヶ里遺跡とコラボですか~というか、企業案件ってどうやって舞い込むんですか?😵💫
やっぱりここに卑弥呼はいたんだろうなぁ
卑弥呼がいたような気もしますし、それにしては規模が小さくないか…?とも思います。全部は発掘されていないので、まだまだ何か見つかるかもしれませんね。
北九州には弥生時代の遺跡が多くあるので直接的な理由ではないと思う。遠因ではあるとは思いますけど。
厳密に言うと、南北に細長い集落になった理由が、火砕流堆積物の残った丘陵にあるということですね。皆さんの興味を掴むため、やや大袈裟な話になっていますがすみません。
@@chiri_rider そうですね^^RUclipsはそういうところもあると思います。
ん?2023年の6月18日?あっ!俺が行った時だ確かあの時,瑛人が歌ってたような!
あのフェスに行かれていたんですね。瑛人…香水の人ですか?外から聞いていると誰が誰なのか分かりませんでした😅️
@@chiri_rider 偶々吉野ケ里遺跡の方に遊びに行った時,に瑛人が歌ってましたね確かあの時は,12時くらいだったような
門の上に鳥!そう鳥居です。鳥居の語源は門(結界)の上に鳥がいたからの説が最有力。確か鳥らしい物が発掘されていたので、再現しているんじゃなかったかな。門の上の鳥が知らない人が入ってきたら騒ぐんでしょうかね。 現在でも中国奥地少数民族の集落に入る時は、鳥や色んな妖しい物を置いている門で結界を作っているとのこと。
毎度思うんですけど、かわいい猫ちゃんのアイコンですね。門の上に鳥がいるのを見て「鳥居…」と思いました。監視役、守り神、結界の印が鳥居になっていったのでしょうね。
吉野ヶ里はとても貴重な遺跡ですね! 環濠集落のその全容が発掘されることはほぼ無いので当時の大規模集落や社会構造の様子が窺えるとても素晴らしい遺跡ですね。
幸運なことに大規模な工業団地の造成に伴って発見されてその後佐賀県が工業団地の開発を諦めて全面的な史跡公園として整備したことは佐賀県の英断でしょう。
吉備の盾築墳丘墓は埴輪の原型となる「特殊基台」が出ておりその直後に奈良盆地に出現する前方後円墳に大きな影響を与えたと言われています。
環濠集落が丸ごと見つかるのは珍しいんですね。
近所の弥生時代の遺跡といえばここ、ぐらいの認識でした。
遺跡としては上手く知名度を上げているので、工業団地を作るよりはよっぽど良かったと思います。
墳丘墓から古墳への進化も徐々に進んでいったのですね。恥ずかしながら、今回まで「墳丘墓」を知りませんでした😅
@@chiri_rider さん
遺跡は大体開発に伴って出土することが多く、すでに付近は様々な土地利用がなされているのでその一部しか発掘できない場合がほとんどです。吉野ヶ里が幸運だったのは、県が工業団地の造成を計画していて一帯をきちんと買収していたからですね。本当に幸運でしたね。
でも福岡市内こそ弥生遺跡の宝庫ですよ! なんせ、漢の皇帝陛下から金印を授かったあの「奴国」の王都だったところですからね。当時の博多湾岸はぶっちぎりで日本の先進地域だったとことは数々の遺物が物語っています。
3000年前の板付の田んぼの跡に始まって、須玖・岡本・比恵・那珂など博多から春日にかけての那珂川沿いは「奴国」の中心地と思しき遺構が集中しています。「掘れば遺跡に当たる」のではないでしょうか。残念ながら吉野ヶ里のような史跡公園として整備されていないだけでその出土物は吉野ヶ里以上に重要な意義があります。
2000年前の遺跡の上に今も街が営まれ栄えているのはローマと博多くらいのものなのも貴重ですね。
@@chiri_rider さん
まあ古墳も墳丘墓も似たようなもんなんですが、前方後円墳以降を「古墳」と呼んでいるようですね。
福岡では弥生後期、糸島の「平原王墓」の頃にはかなり立派なお墓(副葬品が超豪華)が営まれていますね。
気持ちいいバイクで走りながら 地質の旅は知的でいい小さな旅ですね♪ 非常にに良い動画😮
地形巡りをテーマにすると、行き先に困らず道中も楽しくなります😁
吉野ケ里遺跡の成り立ちが地質面でも歴史面でも分かりやすい動画だと思います。
阿蘇の火砕流の規模の大きさにも自然の力の恐ろしさを感じさせられます。
地質はともかく、歴史はろくすっぽ見てませんけどね笑
しかし9万年前の活動の痕跡が、これだけ遠くにハッキリ残っているのがすごいですね。
阿蘇山の噴火から吉野ヶ里遺跡への導入そして流れるようなナレーションさすが地理ライダーさん。吉野ヶ里がこんなに広い遺跡だと知らなかったので良い勉強になりました。湘南乃風になれない佐賀乃海の説明も分かりやすいです😂
ありがとうございます。
吉野ヶ里はかなり広いです。さらに未発掘のエリアがありますからね。
佐賀乃海…他の方のコメントで相撲取りと言われて、そうとしか思えなくなってしまいました。
到達距離100km! 九州の大半はその火砕流に飲み込まれた…正に「破局噴火」。火山灰の降灰では無く「火砕流」がここまで押し寄せてくるのは想像を絶しますね! 背振山地がなければそのまま玄界灘に到達していたことでしょう!恐るべしASO4
そうです、火山灰ではなく火砕流ですからね。
北西は脊振山地で止まったようですが、北東は海を越えて山口まで到達したそうです。
吉野ヶ里遺跡は開発と遺跡保存の問題で20年以上前に視察しました。地理ライダーさんの解説付きでこんなにも立派な遺跡公園になっているのもびっくりでしたが、話題の石棺発見直後の映像も、Aso-4の火砕流との関係のことも興味深く観させていただきまして、また行きたくなりました。当方の居住地の中央構造線と糸静線の関係について調べていましたら、地理ライダーさんの動画にハマってしまっている還暦ライダーでもあります。これからも様々な地域の地形の紹介と解説をお願いします。
吉野ヶ里遺跡、立派になりましたねえ。
遺跡の周囲をウロウロしていると、台地だということがよくわかります。
中央構造線と糸魚川静岡構造線😁
今後も各地の地形をおとどけしてまいりますので、お楽しみに。
地形と成り立ちの説明が非常に素晴らしく、遺跡の土地との関連が良く分かりました。有難う御座います。
ありがとうございます。遺跡の位置と、台地はピッタリ一致します😁
御覧頂きありがとうございます。
今年の秋に佐賀・長崎あたりをぶらぶらする予定なので、地理ライダーさんの聖地巡礼をしたいと思っています。九十九島とか早岐瀬戸とか巨石パークとか…。もちろん吉野ヶ里遺跡の高低差も楽しみたいと思います。
秋に佐賀と長崎ですか。良いですね。
九十九島と早岐瀬戸はおすすめです。巨石パークは!遠くからわざわざ来る必要は無いかなあ😅
吉野ヶ里の台地もまた一見の価値ありですよ。
お疲れ様です。
阿蘇の火砕流の威力は凄かったんですねー
昔から山の手は高級住宅地だったというのも面白かったです。
地理とは関係ないですが、三層構造の木造建築物を作っていたとは、弥生時代の土木建築技術も凄かったんですね。
毎回新たな発見の連続で、いつもいつも勉強させていただいてます。いつもありがとうございます。
次回も楽しみにしてます。
100kmも離れたところに、火砕流が届くなんてびっくりです。
偉い人の家とお墓は高台にあるものです。
三層構造の建物は、主祭殿だけでしたね。1階部分がピロティーになっておましたが、駐車場?そんな馬鹿な話はないので、何故だったんでしょうね。
次回もお楽しみに。
日本の城の原形を見た感じですね。この時代にあったことが分かりちょっと感動いたしました。
城というか、ムラですね。
2000年前…地形の話をしていると、逆にめったに見ないぐらい短い時間です。
20年以上前に行った時と比べて広くなり整備も進んでいるようで、行ってみたくなりました!
地理ライダーさんのように知識があるとさらに楽しめていいですね。
いつも流暢に解説しているかと思ったら、噛むこともあったオマケ動画にも楽しませてもらいました。
僕も前回は昔20年ほど前に行ったんですけど、綺麗になっていました。
弥生時代のことは全然知りませんが、9万年前の台地を目当てに見に行く、なかなか無いと思います😅
走行中に話しながら撮っているので、実は結構噛み噛みです。
昨日行ってきました!行ってよかったです。
渦中の場所を見せてもらって良かった。
島原の原城も阿蘇火砕流だそうですね。あそこも全国区の観光地です。
ナポリのヌオーボ城はカタコンベの上にガラスの床が作ってあった。人骨密度?の高さに観光客は衝撃を受ける。
今大いに話題の場所ですね。
原城の阿蘇の火砕流については、すでに動画がありますのでそちらをご覧ください。
ruclips.net/video/o4pTC8SUeMg/видео.html
ガラスの床と人骨…吉野ヶ里と同じですね。
別件ですが、
雷山の上宮手前標高700mで登山道が谷を横切る。その時、左上を見ると巨岩が滑り台の上に載って今にも落ちそうで恐ろしい。クフ王ピラミッドの尖塔の落ちなかった花崗岩を連想する。谷は急傾斜で落ちたら助からない。機会があれば見に行って下さい。
雷山からは別動画のなんちゃら盆地が見えます。嘉瀬川ダムと棚田が目前だ。
いつか遺跡巡りの旅をしたい地域。噴火でできた台地の上にあろうとは!吉野ケ里を散策するだけで9万年前と2.000年の時を一度に体験できる嬉しい情報。古庄さんのチャンネルでは地図を見ながら歴史を考えるという面白い視点に、地理ライダーさんの情報を足したら、無敵に感じました。台地上の環濠の溝に水は流れない(流しにくい)・地質的に水はけ良すぎる点、お堀的なイメージは違っていたのかもしれません。馬もまだ居なかった。興味深い視点に丁寧な説明・解説を楽しんでいます。ありがとうございます!
そうなんです、9万年前と2000年前、2つの時代を考えながら回れるのがポイントです。
古庄さん?のチャンネルを存じ上げないのですが、地図には地形から集落の成り立ちまで、歴史が詰まっています。
台地の上の環濠は空壕だったんじゃないかなあと思います。台地の下は水を張れたと思いますが。
馬、いなかったんですね。
@@chiri_rider お返事ありがとうございます。古庄さんのチャンネル名は地図をなぞって日本古代史を考える、、です。
動画をありがとうございました!面白かったですぅ。興味が湧き、大変勉強になりました!!!!
大分発掘は進み整備されていましたね。
バイクで一緒に、貴方と一緒の目線で観ると、こんなに違うんだ。佐賀って単なる平野と思ってました。
また吉野ケ里に行って見ます。動画を参考にしてね。いい時代になりました、感謝です。今後も配信期待してますね、ワタシも博識になりそうです❤😊
こちらこそご覧いただきありがとうございます。
昔と比べて、明らかに広くなりましたが、今もまだ北に向かって発掘調査が進んでいます。今話題の石棺墓も、発掘が進んでいるエリアの物です。
動画を参考にして吉野ヶ里に行くと、台地の崖を求めて歩き回る変な人になります笑
今後の配信もお楽しみに、日本全国の地理について、少しずつ詳しくなっていきましょう。
埋没林にご興味がお有りなら「三瓶小豆原埋没林」もお気に召すと思います。 この時期、古代蓮も咲いていたと思います。
面白そうですね。山陰方面に行くときは立ち寄ります。
吉野ヶ里遺跡はAso-4火砕流の台地の上にあったのですね。俄然興味が出てきました♪4億年前の焼けた木の年輪も感慨深いものですね。
ライダーさんいつもありがとう!
歴史はそこまで興味がないので、吉野ヶ里遺跡…フーン、という感じだったのですが
今回石棺墓で話題になっていたので改めて調べてみると、地形と地質…面白いやん!となって見に行きました。
焼けた木は4億年前ではなく9万年前のものです。樹齢400年ですね、色々混ざってスケールがデカくなってますよ😂
あらら😅お恥ずかしいです。4万年前ですね。ライダーさんの動画見過ぎて、スケールがデカくなり過ぎました。
一旦脳内整理します😂
人間の小さな営みの下に隠れた、地球の歴史を知ることが出来て感謝です。
すみません。9万年前でした😂
説明が聞きやすくてとても分かりやすかったです。古墳が好きなのでバイクの免許取ったら行ってみたいなと思いました。
ありがとうございます。バイクの免許これから取得でしょうか。
他の動画も、面白い場所をいっぱいご紹介していますので、あちこち行ってみてくださいね👍
プレミア公開ありがとうございました。
今、何かと話題の吉野ヶ里遺跡ということで、途中からはチャットそっちのけで動画に見入ってしまいました。
それにしても、吉野ヶ里で阿蘇山が出てくるとは想像していませんでした。
いかにAso-4が想像を絶する噴火(火砕流)だったのかという証拠ですね。
地形図と地質図を照らし合わせて、吉野ヶ里遺跡が火砕流台地の上にあることがよく分かりました。
遺跡には20年近く前に行ったっきりご無沙汰なので、久しぶりに行ってみたくなりました。
その時は、遺跡はもちろんですが、動画にあった周囲の地形にも注目したいと思います。
300人近くに見ていただいていたので、チャットが大忙しですみません。
吉野ヶ里で阿蘇、びっくりですよね。100km離れていても届くんですから、噴火の規模がもはや想像を絶するレベルです。
地形図と地質図で、台地と遺跡がピッタリ合うのが面白いですよね。
僕は遺跡はほとんど見ずに、台地の地形ばかりをしげしげと見ていたので、墳丘墓をスルーして帰ろうとしてしまいましたが、
帰り際ガイドさんに「墳丘墓どうでした?」と聞かれ、「何それ?」という反応をしたら、行かない人がいるんだ…😅みたいな反応をされました笑
登録者2万人、おめでとうございます(^^) 私がはじめてこのチャンネル登録した時には1万人もいなかった気がします。
各地を訪れて、ペラペラ解説してくださる地理ライダーさんのスタイル、ほんとに面白いですよね。
これからも動画期待しています。
ありがとうございます。この半年ぐらいで、1万人到達ぐらいから急激に増えました。ありがたい限りです。
今後もよろしくお願いします。
お疲れ様です。吉野ヶ里遺跡が阿蘇山の火砕流で作られた台地を利用しているとは知りませんでした。先人の自然を観察する力は大したものです。歴史が地理の知識で深まります。
鳥居?や酒蔵など原型が見れて面白かったですね。酒造りは、処女がコメを口で噛んでつくるということは書物で読んだ記憶があります。
今回も新しい視点での吉野ヶ里を楽しめました。
ありがとうございました。
そもそも当時は今よりも海水面が高く、佐賀平野の堆積も進んでいなかったはずですから、台地の重要性は高かったかもしれませんね。
浸水を避けるには、台地に集落を作るしかなかったのかなと思います。
酒蔵の復元は普通の小屋で、あんまり酒造りをイメージできませんでした😅口噛み酒、何かの映画(君の名は。)でもそんなのが出てきましたね。
吉野ヶ里の紹介動画としては異色中の異色だと思いますが、楽しんでいただけたようでよかったです。
巷では流行っていても自分の頭には記憶に残らず日ごろスルーする情報だけど、現地で解説してもらうとイメージがわきます。
西は弥生人でもりあがるけど、東は縄文人でもりあがってる感じ。
僕も歴史ネタはあまり…なのですが、吉野ヶ里の地形を見ていて台地!🤩と気付いてしまったのです。
調べて行ってみると、想像以上に面白かったです。
東は縄文時代で盛り上がっているのですか?全然知りません😅
吉野ヶ里、タイムリーな配信で興味深く視聴いたしました☺️
古代人の集落の形成や人流、文化の発展に興味があるのですが、それには当時の地質分布や災害の歴史がすごく関係していることがよく分かりますね。
実際に現場で周辺の地形を見渡すと、地図を見るだけでは分からないことが見えて来るような気がします。
吉野ヶ里遺跡が話題なので調べてみると…台地!🤩ということで見に行くと、やっぱり面白かったです。
古代は治水の技術も未発達だったでしょうから、地形の意味は今以上に大きかったはずです。
地形図でもある程度予想はつきますが、現地で見ると、「おお〜本当に台地だ😆」と感じられて最高ですよ。
@@chiri_riderご返信いただくなんて、感激です🥰
なんだか私が知りたかったことにドンピシャな動画に行き当たった気がして、このところ毎週末、地理ライダーさんの動画であっちこっちへ旅をしている気分です。
昔から地質にも興味がありまして、鳴門の褶曲した地層とか色の違っている岩場や層になった崖とかを見るのが大好きです。
前に長崎の生月島や野母崎にも行ったことがあります。
大バエの柱状節理に驚いたり、野母崎あたりの阿波青石に似た緑の石を見て中央構造線を妄想で勝手に延長してみたりしています😆
四国東部にも特徴のある地層がいろいろありますので、ぜひお越しを。
また新しい旅へのお出かけを楽しみにしています。
道中どうぞお気をつけて😉
こんにちは!
最近、地理ライダーさんの動画を偶然見てからはまってます。
この回も面白かったです。
那珂川住みなので、阿蘇の火砕流と言えば、安徳台ですね
どうやってあっこまで流れてきたのか。
想像もできませんね。
ありがとうございます。動画が200本以上あるので、ぜひ制覇を😊️
那珂川の安徳台、ありますね。入水した天皇…。
それはともかく、阿蘇の火砕流は規模が桁違いで、本当に想像も付きません。九州の大部分を壊滅させたと思います。
プレミア公開には参加できず残念でした。
そういえば母の実家近くも台地に村があって、くだった低地には田んぼしかなくて次の台地集落に至るみたいなことになってました。日本中でそんなとこばかりなんでしょうけど、吉野ヶ里は最先端をいっていたということかしら。
プレミア公開はこれからも時々やりますので、情報お見逃しなく。Twitterで当日朝には告知をします。
日本中の遺跡がどうなのか知らないのですが、吉野ヶ里は水害を受けにくい場所だから、長期間集落が存在した、ということは確実だと思います。
懐かしい。吉野ケ里遺跡は二度行ったことがあります。一度目は時期をよく覚えていないのですが、本遺跡が発見されて数年後だったと思います。たぶん昭和の末か平成の初め頃です。整備される以前でしたが、適宜見学者を集めて発掘者による説明が行われていました。二度目は平成25年(2013年)で、現在ある施設は大半が出来上がっていましたが、北部の墓地は発掘中で行けなかったのが、本動画で見れて良かったです。
吉野ケ里遺跡が阿蘇の火砕流の台地だとは知りませんでした。今度行くことがあったらそれも意識しつつ見学しようと思います。いつ誰から聞いたのか忘れてしまったのですが、阿蘇の火砕流は山口県まで流れて行ったとのことで、想像を絶する規模だったということですね。人類が日本列島に渡って来るより前で本当に良かったです。
僕は20年ほど前ですかね、小学生の頃友達と行って以来の2回目でした。
もう当時の記憶も曖昧ですが、整備が進んだ気がします。
北部は今もまだ発掘中のエリアが残っているようですね。
阿蘇の火砕流が山口まで届いたというのは正しいです。火砕流はガスを伴って海を越えていくこともあり、恐ろしい話です。
1億年前の脊振山地、9万年前のAso-4火砕流、2000年前の弥生時代、樹齢400年の焼けた巨木、絶対火災を起こさない現代のハイテク炎、みたいに時間の長さ近さ遠さを考えると、それを30分の動画にまとめて説明してしまう能力の高さに舌を巻きました。
それでも最後のオチで舌を噛むのはご愛嬌で、バイクを運転しながら観察しながらしゃべるのは大変な作業だと改めて感謝しました、ご安全に!
楽しい動画をいつもありがとうございます。動画で行った道のりを地図で示してもらえたら、そのルートを真似して辿ってみたいです!
道のりは、Google Mapの言う通りに進んでいるので本人もよく分かっていません😂
目的地から目的地にルート検索すれば、だいたい同じになると思います。
@@chiri_rider
返信ありがとうございます。同じルート挑戦してみたいと思います!
はじめましてー!
最近見始めました。とても丁寧に説明されていて、勉強になります。
湘南より佐賀乃海、すきっすねー笑
ご覧いただきありがとうございます。
湘南じゃなくて佐賀ですし、干潟しか無いんですけど、盛り上がっていました🤙🎤
私も春先に訪れてみました
弥生時代に特別興味があるわけではありませんが
長く離れていた地元を見直そうとツーリングがてら
佐賀県内を回ってます
吉野ヶ里公園は敷地が広大で
3時間かけても半分も回れませんでした
また訪れてみようと思ってます
それにしても阿蘇の噴火の凄まじいこと
今の防災対策でも被害は防げそうにありませんね🥶
僕も弥生時代には興味ないのですが、話題の場所の地形を見ていたら、ムム!台地だ…と思い、見に行ったら結構面白かったという話です。
公園は広いですが、台地を中心に、建物はほぼ無視して回れば2時間でした。間違いなく変な回り方です。
Aso-4規模の火砕流が来たら、為す術なしです。焼け焦げるしかありませんな😂
わが故郷。出てきて、もう40年も前の事。昔はここ、何にもなかったです。北の松隈辺りが大好きで、ランニングコースだった。今にして思えば、小さな断層はたくさんありました。紹介してくれてありがとう。
故郷のご紹介ができ良かったです。ありがとうございます。
12月初旬に吉野ヶ里遺跡行って来ました。この動画を見てから行けばもっと深く見れたのに残念です。発掘現場は公開されていて目の前で発掘作業を見学出来ました。もう一度ジックリと見に行きたいですね。😊😊
火砕流が侵食されてできた細長い台地、地形が何より面白い場所です。
上峰の埋没林も一緒に行ってみると良いと思います😄
@@chiri_rider 次回が物凄く楽しみです。有難う御座いました。😀
@chunkmeet4615 次回は萩と津和野です。ここもかなり面白いです😎
年末に家族で吉野ケ里遺跡に行くために調べていました。
地理の観点から見る吉野ケ里はとても面白かったです。 「阿蘇4」というキーワードも興味深いですね。 元旦は天気が良ければ太良町から有明湾越しの初日の出も考えていますが、有明湾の成り立ちも知れて楽したったです。
地理ライダーさんと湘南乃風(呼び捨て)に感謝!
吉野ヶ里に行く前に、変な予習をしてしまいましたね笑
実は、この辺りまでAso-4の火砕流が押し寄せてきたのです。
有明海の初日の出、見られれば綺麗でしょうね。ありがとうございます。
干潟で取れる豊富な食料に人が集まってきたんでしょうね、潮が満ちて引いたら食べ物が毎日取れる、干潟は昔のスーパーマーケットみたいな物だったんでしょうね。
干潟の海の幸(特に貝?)も重要でしょうし、
火砕流の台地は水害の被害を受けにくく、とても良い立地だったのだと思います。
1回目はプレミアでチャット、2回目はじっくり動画、3回目はコメントを読んで楽しんでしまった。これから金曜日はこのパターンになりそう
雨、大丈夫ですか?朝起きたら凄い雨が降ってる
毎回プレミア公開はできませんが、プレミア公開のときはそのパターンでぜひ復習どうぞ。
雨は酷いですね~。靴がずぶ濡れになっただけで、特に大きな被害はありません。
ライダーさんお疲れ様でした。
隠さないけど、吉野ヶ里遺跡行ったことありません😢
道の駅吉野ヶ里に近いのかな?って思ってたら、違いました……
阿蘇山の噴火は広範囲にわたって色んな地形を作ってるんですね😊
ありがとうございます。
吉野ヶ里遺跡自体は、そんなに面白い場所でもないんですが、
地形を見ると、弥生人がここを選んだ理由、そして地形の成り立ちになるほどなあと思います。阿蘇の噴火は凄いですね。
道の駅吉野ヶ里は、ずいぶん山の中ですね。吉野ヶ里遺跡は平野の縁です。
待ってましたぁ(*^^*)
👏👏👏👏👏
ありがとうございます!
湘南乃風からの流れは笑いました😂吉野ケ里遺跡は男はつらいよで寅さんの甥っこがガールフレンドとタンデムデートをした場所ですね…( ´∀`)
なぜ吉野ヶ里遺跡で湘南乃風を聞く羽目になったのか、非常に謎でした笑
男はつらいよ…、見たことがないのですが、葛飾柴又の話ですよね。吉野ヶ里でデートって、渋すぎませんかね🤣
Aso-4はいろんなところに爪痕を残していますね.その一つである地元の地形を詳しく説明してもらえて,ありがとうございます.確かに遺跡より台地優先は珍しいかも(まぁイベントとかフェス目当ての人はもっと多い).
まぁ確かに吉野ケ里周辺へ田んぼ以外何もないです.何もないとこにぽわって遺跡があり,しかもそれがかなり広大というのが面白いというか,歴史の不思議さやなぁと思います.確かに佐賀乃海は波と対極ですなぁ.
Aso-4は阿蘇の噴火の中でも規模が最大だったわけですが、火砕流が佐賀まで及んでいるのが凄いです。
イベントは遺跡の下の広場でやっていましたが…そういや、あれは入場料払ってるんですかね?
僕はフェスも遺跡もあまり興味なく、台地だけを見に来たわけですが😅
吉野ヶ里の周辺は今も昔も稲作が盛ん…サガは稲作がサカん…お後がよろしいようで。
ここ最近、急に登録者数が増えてる気がしますね。
最近のニュースで170㎞離れた山口の山間部で阿蘇火砕流の痕跡が見つかったとありました。
間に海があると抵抗が少ないので遠くまで行くのでしょうか。
そうですね、火砕流はガスと一体化して流体として流れていくので、平坦な海は越えていくことが多々あります。
鬼界島のカルデラからの火砕流が九州本土まで到達して、壊滅的な被害をもたらしたこともあったはずです。
阿蘇火砕流は、佐賀の脊振山地を越えることができず、この辺りで止まったようですね。
吉野ヶ里公園近くの鳥栖市在住者です。なのに吉野ケ里の地質や歴史には全く知識がなくお恥ずかしい。今回楽しく学ばさせていただきました。これまでにアトラクションとしてみていた吉野ケ里遺跡に興味がわきました。バイクとのコラボも斬新でした。実は6月21日にツーリングに行った際に立ち寄ったのですが、残念なことに雨のため駐車場で引き返し中には入りませんでした。まぁ、それでも何度か訪れたことはあります。春や秋は景色もいいところです。今後ほかの動画も見させていただきます。
吉野ヶ里の地形の成り立ちは、普通気にしないと思います。だからこそ動画の出し甲斐があるというものです。
遺跡の建物は復刻されたものですが、台地の地形は当時とそこまで変わっていないはずですよ。
他の動画もどうぞご覧くださいませ。
バイク、カッコいい‼️
ありがとうございます。格好良いですよね😊️
遺跡を地形目線で考えたことなかったので勉強になります。
解説も分かりやすく、色々見させてもらってますが興味そそられてついつい見ちゃいますw
余談ですが現在、吉野ケ里遺跡公園入り口の向かい側に某釣りRUclipsrのお店海鮮丼がオープンしてますので是非行ってみてください。😁
遺跡も、そこにある理由が地形と地質に隠されています。
興味持ってご覧いただきありがとうございます😊️
海鮮は苦手なので、海鮮丼は食べられませんが…😅️ありがとうございます。
吉野ケ里の集落は現在では海岸線から30キロも内陸にあるんですね。当時は丘の上から海は見えていたのだろうか。
当時は今より海水面が高く、筑後川の土砂の堆積も進んでいなかったため、海岸線が随分北にあったはずです。
丘の上から、割と近くに海が見えていた可能性は高いと思いますよ。
弥生時代の集落跡(諸富町)が吉野ヶ里の南郭から約12km南南西の筑後川沿いにあり、当時の海岸線もその辺りにあったらしいです。
2年に1回大洪水を起こし日本三大暴れ川と恐れられた筑後川河口に集落を営むのも根性ある話ですが、漁業や交易の為には仕方ないのでしょうね。
九州大学が六本木、箱崎の時代の人間です。応援します。酔っ払らったのでごめんなさい。
六本松は僕が入学する少し前に閉鎖されてしまいましたが、箱崎には通っていました😊️
今後ともよろしくお願いします。
吉野ケ里遺跡が本格的に発掘される前に旧東脊振村にちっちゃい時に住んでました。懐かしい
吉野ヶ里遺跡が発掘される前ですか、遺跡周辺は随分変わったと思います。ご覧頂けて良かったです😊️
吉野ケ里遺跡に行ったときは阿蘇の噴火の火砕流の堆積物のことは全く気にしていなかったので、この動画は新鮮に見れましたの。
吉野ヶ里遺跡で阿蘇の火砕流が来たとか気にする人は、あんまりいないと思います笑
ありがとうございます。
おじゃましまーす。
車で5分圏内に住んでますが、吉野ヶ里がそんな地形だったとは😮
フェスには息子が行ってました。
湘南乃風と有明海!繋がるとは😁
楽しんで見てますので、これからも、ぶら地形ライダー
いらっしゃいませ。
めちゃくちゃ近くですね。フェスに行くのも楽々ですね。
湘南乃風と有明海は、あまりにも対極で突っ込まざるを得ませんでした😅
今後もよろしくお願いします。
佐賀大和インターから山手に行くと嘉瀬川沿いに巨石群公園があります
ここまではるか昔は海だったそうです。
道の駅前のうどん屋さんが教えてくれました。このうどん屋さんには世界中からスピ系の有名人が来るらしい。不思議な写真見せてくれました。
三角山つまり何万年か前のピラミッド。
山頂から光が出てる不思議な写真見せてくれました。ここ早く閉めます行くときは気をつけて行ってください。道の駅の前綺麗な川の水です…いやされます。其処の柿アイス美味しかったです。
巨石パークについては動画を出していますので、ぜひご覧ください。
縄文時代は今よりも数メートル海水面が高かったので、海岸線は随分山側にあったと思いますが、さすかに巨石パークからは少し離れていたと思います。
スピリチュアル、ピラミッドは眉唾ですけど…
柿ラム酒ソフトは、なんともいえない渋い味ですね。
非常に興味深い。熊本の山鹿 不動岩から八女市黒木から旧矢部村のハート岩八女津姫神社この辺の地質も掘り下げて解説してください。
山鹿については「菊鹿盆地」の動画
黒木町については「八女茶と段丘」、「バイクでたどる国鉄矢部線」の動画で解説していますので、
そちらもぜひご覧ください。
バイク使った ブラタモリならぬ ぶらバイクの🏍旅 良いもんだ
バイクの旅、いいですよー
はじめまして。還暦OverのRUclipsを観るの好きGGIです。とっても興味深く観させてもらいました。
吉野ケ里遺跡の事は一般人以下レベルの私で、長崎に行く電車の車窓から見える・・・程度で知ってました。
阿蘇山の噴火(ASO-4)が大きく関わり、大木の焼跡や遺跡公園内での丘陵の意味を聞き「なるほど」と感じました。
詳細な説明をありがとうございました。吉野ケ里遺跡+阿蘇山4+若者に流行の湘南乃風には「伝統の魂」でしょうか?
吉野ヶ里遺跡のことは、僕も全然詳しくないですよ。最近話題なので、改めて調べて行ってみました。
遺跡は明らかに台地の上にあって、近くでは焼け焦げた木が見つかった、なかなか面白かったです。
伝統の魂?🤔
吉野ヶ里歴史公園、一度は行ってみたいですね。
戦国時代、ここは東に流れる田手川を文字通り盾とした日吉城と呼ばれる城塞(日吉神社のあった発掘場所が本曲輪?)だったそうです。
この地を支配していたのは少弐冬尚でしたが、家臣の龍造寺氏の下剋上により滅ぼされました。
日吉城はその際に度々戦闘が起こったそうなのですが、公園の方ではどのような解説がされていたのでしょうね。
なるほど、田手川の名前の由来は「盾」なんでしょうか。地名から色々と想像が膨らみますね。
日吉城については説明は見た記憶がありません。というか、遺跡の説明はろくすっぽ見ずに台地!へえ〜台地😙とばかり言っていたので良く分かりません😂
@@chiri_rider
ありがとうございます。
あくまでも大規模な弥生集落としての一面に重点を置いて、あえて他の時代は詳しく触れない事で重点をブレさせないプランなのでしょうね。
昨年吉野ヶ里遺跡に行って思ったのは、環濠部分が柵の中であることや外側からの柵はかなり低いのを見て、外部からの侵入者を防ぐというより、どっちかというと柵の中の人の脱走を防いでいるんじゃないかという気になりました。
たしかに、柵の中に濠ですね。防衛上こっちのほうが良かったのかな、とも思いますし、よく分かりません。
柵の中の人の脱走ですか、これまた分かりませんね〜。歴史には疎くて、全然分かりません😅
@@chiri_rider その後の日本の築城を見る限りは堀は塀の外側。動物園などの屋外展示で逃走を防ぐ場合は塀の内側に堀という固定概念があって、昨年訪れてみて、ふと思いついたことなんですよ。この時代にはこの時代の防衛の考えがあったのでしょうね。今度行ったら現地ガイドボランティアの方に聞いてみます。
火砕流で焼け焦げた木、実物大レプリカが武雄の宇宙科学館にあります!
それなりの大木でびっくりしましたね…
武雄に原寸レプリカが!
ぜひ見に行きたいです。
この水槽に入ったサンプルは幹の一部でしたが、相当大きかったです。
脊振山中麓にある道の駅から佐賀平野を見下ろすと
太古には幾つかのクニがあったんだなァ~!と
実感します
自分は卑弥呼がいたのは吉野ヶ里ではないでしょうが
北部九州の何処かにいたのだと思います
さて阿蘇山の大火砕流というと多くの人が今の
阿蘇山が大噴火したと思っている方も多いのでは
ないでしょうか
カルデラを形成する前にはとてつもない大火山が
あったので佐賀平野迄火砕流が届いたのですよね
太古のクニに思いを馳せてしまいますね。
吉野ヶ里は台地の上なので、長期間にわたって安定して集落があったのかな…その後も土砂崩れや堆積作用の影響を受けず、きれいに発見されたのかな…。などと想像が膨らみます。
阿蘇はおっしゃるとおり、もともと巨大な火山でした。
この9万年前の噴火後にカルデラができ、中央火口丘(現在の中岳など)ができました。
吉野ケ里遺跡はその情景が魏志倭人伝に書いてあるのと全く同じで、全容が発掘された時は本当に驚いたものです。それにしても地理ライダーさんはあれ程の適格なコメントをしながら運転もスマート。私だったら運転が疎かになって、わきの田んぼにつっこんでしまいそう。😁
歩いていても実感しましたが、吉野ヶ里遺跡は台地に沿って南北に広いですね。
邪馬台国の浪漫が広がりますが、果たして…。
あんまり脇見をしてはいけないので、カメラだけ向けて目線は前を向いて喋ったりしています。
楽しかったです 最近朝倉か佐賀、筑後平野のどこか土地が安いとこ買って移住したいと思ってる福岡市民です
都会に出る必要がないなら、それで良いと思います。
水害の危険がない段丘面、もしくは扇状地に住みましょう。氾濫原は駄目ですよ。
配信を、ありがとうございます。 九州、佐賀県吉野ケ里遺跡は、邪馬台国の弥生時代の国宝級の遺跡です。 魏志倭人伝は歴史書であり、客観的に記述された考古学的資料です。
こちらこそありがとうございます。
おほ!吉野ヶ里歴史公園に聖地巡礼行って参りましたデス😙佐賀県民なのに行った事がありませんでしたのじゃ!Aso-4!9万年前!と騒ぎ過ぎて社会科見学の子供達からの冷たい視線を浴びましたデス🥺むむ、遠い阿蘇からここまで火砕流が流れてきたもんだと思いました😊上峰町のふるさと学館は道に迷いたどり着けませんでした…再チャレンジしますデス。自分の記憶が確かなら発掘された時に友達とチャリ漕いで見に行った様な?…泥の中に黒焦げの木が折り重なってたのは覚えてるんですが…(笑)
佐賀県民で行ったことがない!県民の義務を果たせましたね😊️
社会科見学の子供たちに、これは阿蘇の火砕流が〜😙️とか言わないように、引かれますから笑
上峰町のふるさと館は、役場の近くなのでもう一度探してみてください。
埋没した木の発掘、見られたんですか!お羨ましい。
@chiri_rider フフフ県民の義務(笑)危うく、ここ9万年前のAso-4の噴火がーって言いそうになりましたデスw上峰町の埋没林は高校の地理の先生が近くに住んでる人は見に行って~って言われてチャリ漕いで見に行きましたデス😙きっと、その時にもAso-4の話されてたんでしょうなぁ。全く覚えてないデスケド(笑)むむ、30年以上前の謎が解けましたデス😁
Aso-4 の焼け焦げて埋没した木の方に興味を持ちました(←少数派)。
約9万年前ということですが、九州には約6500万年前の木々が石炭化して(岩盤の高圧と熱がかかったためでしょうか。)、各地に炭田がありました。
一方、海外の炭田は、数億年前の石炭紀のものですので、何故?日本の石炭は比較的早く出来たのかということに興味があります。
この時期は(約6500 万年前)は、恐竜絶滅の K-pg 境界とほぼ同時期みたいなのですが、Aso-4 みたいに九州各地の木々がなぎ倒されたのでしょうか?
このチャンネルでは多数派かもしれません笑
約3億年前は石炭紀とも呼ばれ、世界中で大量の石炭ができた時代です。
しかし、原因は謎だそうです。(シダを分解する微生物がいなかったとか、色々な説があるようです)
もちろんその後も、植物が埋まって地熱や圧力に晒されれば石炭はできます。
日本はそもそも成り立ちの新しい場所なので、石炭紀の岩石はなかなかお目にかかれませんね。
@@chiri_rider 多数派(かも?)でよかったです(笑)。
九州の有明海底(三池炭田)を掘進すると、当たり前のように花崗岩にあたってしまうそうでした。
なんかマニアックで好きwww ふと地形を見てたら「この大地の高低の根拠は何だろう」とか、そんな類の疑問が沸いて来る。
マニアックの極みみたいな動画をご覧いただきありがとうございます。
地形の成り立ち、気にしはじめると退屈することがありません😄
脊振山地の舌状台地に残る阿蘇🌋火砕流は、その中間にある筑紫平野では浸食され削られたのでしょうか?
筑紫平野は断層に挟まれた沈降域で、巨大な地溝になっています。
Aso-4堆積物は地下深くに沈んでいて、その上に筑後川が運んできた土砂が乗っかっています。
ちなみに南には耳納山地の傾動地塊、北には筑紫山地があり、いずれも地塁です。
詳しい解説ありがとうございました。
邪馬台国=脊振【山】南麓の舌状【台】地
という意味かも知れませんね。
吉野ヶ里遺跡の石棺の被葬者は、出雲の国譲りに登場する天若日子命の父親の天津国玉命です。
天津国玉命は紀元前238年に生まれ183年に崩御されました。
縄文時代や石器時代の記憶があるって
言っている知り合いがいます
前世は卑弥呼と一緒に古代冥王星から
古代日本に来たと言っていました
当時は卑弥呼の親族であり
側近だったそうです
自分は信じていませんが😊
んー、スピリチュアル。
本当に記憶があるなら、
邪馬台国は畿内九州のどっち?吉野ヶ里だとしたら、海岸線はどこにあって、筑後川の河口は…佐賀平野の干潟は…
とか色々聞きたいです。
阿蘇の大噴火はまだ日本列島が大陸と陸続きだった頃でしょうか?
阿蘇の4回目の大噴火🌋Aso-4は約9万年前で、つい最近の出来事です。
日本列島が大陸から分離したのは約2000万年前で、もっともっと昔のこと。日本列島の地盤は、すでに大陸と離れた後のことです。
で、氷河期だけ、海水面が下がって大陸と日本列島が地続きになります。
氷河期は10万年ぐらいの周期でやって来ます。
9万年前のAso-4の頃は、温暖な間氷期で大陸とは繋がっていなかったと思います。
その後の7万年〜1万年前の最終氷期で地続きになり、1万年前から再び間氷期に入って、大陸と日本列島は海で切り離されました。今は間氷期です。
わ~、この前は木が燃えた後の溶岩だったけど、今回は木そのものが!
吉野ヶ里!いつも唐津に行く通り道にある吉野ヶ里!!初めて中を見ます!(*'▽')
火砕流のあとに立ってたんだ。"φ(・ェ・o)~メモメモ
やかましい中での古代の住居探訪、お疲れ様でしたw
ガッツリ吉野ヶ里遺跡を勉強できました!\(^o^)/
あ!ロゴが推してたお山3つのやつになってる!!ヽ('ヮ'*)ゝ
そういや、この間は富士山で溶岩樹型を見ましたね。
富士山の鳴沢はダイレクトに溶岩が流れてきましたが、今回の八藤丘陵は火砕流です。
火砕流は、熱々の火山灰や軽石がガスと一緒に高速で流れてくる現象です。
なので溶岩の型が残るようなことはなく、焼け焦げた木が残ったわけですね。
台地が〜火砕流が〜Aso-4が〜ばかり言っていて、吉野ヶ里遺跡の勉強にはならない気もしますが😂
ロゴはお山3つにしました!
@@chiri_rider あー、火砕流とダイレクト溶岩の違いでしたか!(*'▽')ワカッタ!
解説ありがとうですー。
湘南乃風のくだりおもしろすぎるwww
佐賀平野で湘南乃風は、ねえ…😅
吉野ケ里遺跡は、邪馬台国ではありませんが、連合の一つです。この度キンドル版誰も書かなかった邪馬台国探しを出版しました。関心があれば、そちらをお読み下さい
連合国の中央政府が吉野ヶ里にあったことは事実のようですね。
ありがとうございます。
失礼します、90,000年前の阿蘇村の大噴火、その後に7800年前にアカホヤの大噴火、で九州と太平洋が全部子、その後に吉野ヶ里ができた
阿蘇4回目の大噴火、そして鬼界カルデラの大噴火、その後の弥生時代ですね。
短期間に色々とあったもんだなあと思います。
焼け焦げた木の種類は何ですか?
詳しくは判明していないそうですが、マツ科トウヒ属(針葉樹)であることまでは分かっているそうです。
阿蘇の火砕流が100Km離れた吉野ケ里まで(^-^; それにしても広いですね。邪馬台国九州説うなずけます。
そうなんです、阿蘇から遥か100km…でも、北の方はまだまだ進み、山口県まで到達したそうな。
広いのですが、中心的な施設の規模は思ったより小さいなと思いました。当時はそんなもんなんですかね。
こんにちは(゚▽゚)/
ガイド付きの吉野ヶ里観光ありがとうございました!
吉野ヶ里関係者の皆さん、地理ライダーさんとコラボしませんか?(笑)そしたら行きますよ!
あまり説明が上手くないガイドですが😅
吉野ヶ里遺跡とコラボですか~
というか、企業案件ってどうやって舞い込むんですか?😵💫
やっぱりここに卑弥呼はいたんだろうなぁ
卑弥呼がいたような気もしますし、それにしては規模が小さくないか…?とも思います。
全部は発掘されていないので、まだまだ何か見つかるかもしれませんね。
北九州には弥生時代の遺跡が多くあるので直接的な理由ではないと思う。
遠因ではあるとは思いますけど。
厳密に言うと、南北に細長い集落になった理由が、火砕流堆積物の残った丘陵にあるということですね。
皆さんの興味を掴むため、やや大袈裟な話になっていますがすみません。
@@chiri_rider そうですね^^
RUclipsはそういうところもあると思います。
ん?2023年の6月18日?あっ!俺が行った時だ確かあの時,瑛人が歌ってたような!
あのフェスに行かれていたんですね。
瑛人…香水の人ですか?外から聞いていると誰が誰なのか分かりませんでした😅️
@@chiri_rider 偶々吉野ケ里遺跡の方に遊びに行った時,に瑛人が歌ってましたね確かあの時は,12時くらいだったような
門の上に鳥!
そう鳥居です。鳥居の語源は門(結界)の上に鳥がいたからの説が最有力。
確か鳥らしい物が発掘されていたので、再現しているんじゃなかったかな。
門の上の鳥が知らない人が入ってきたら騒ぐんでしょうかね。
現在でも中国奥地少数民族の集落に入る時は、鳥や色んな妖しい物を置いている門で結界を作っているとのこと。
毎度思うんですけど、かわいい猫ちゃんのアイコンですね。
門の上に鳥がいるのを見て「鳥居…」と思いました。
監視役、守り神、結界の印が鳥居になっていったのでしょうね。