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仰木彬監督の71番ユニフォーム姿が懐しい
この日のブライアントは、大金星で値千金の大活躍!!
10.19、そしてこの10.12。どちらも愛知から見に行けたのが、一生の思い出。ありがとう仰木監督、大好き✨
このシーズンは最高だった。前年はめちゃくちゃ泣いたから。
2:52 4:15 中西さんがやんちゃすぎる
西武ライオンズファン歴35年になりますが、この試合は一生忘れないです。
西武線沿線、大泉学園に住む私も同じでした。ライオンズ少年でこの年から野球を観始めました。黄金時代真っ只中でしたから、最後は必ず主役の西武が勝つ、というシナリオ通りの展開になると思っておりました。現に中盤までは全くその通りだったのに。私の父は、私が生まれる少し前だったか、西武線車内で、初代黄金期のメンバーであるテリーをよく見かけたと言っていました。
@@mittyatya やっぱりそうですよね笑パ・リ-グを盛り上げる為にライオンズはわざと苦戦して近鉄と接戦はしてるけど、最後にはライオンズが優勝するレ-ンに乗ってるんだと、全く疑いもせずに、当時は僕も子供でしたから、根拠も何もなくライオンズの優勝を当時は信じてました笑でも、今でもこのダブルヘッダーはライオンズが連勝する可能性は充分にあった、と今でもあれこれと考えてしまいます。2022年7月22日(金)
現地参戦してました、本当にブライアント怖い存在でしたこのからナベさんの一発病が始まったような…
@@toshibow1209 さらに91年~92年頃から、ヒーローインタビューで帽子をとるたびに、「!?あれ??いや僕の勘違いかな!?」という疑念を抱かせるようになり、93年頃にはすっかりと前から無くなってしまい、見る者皆を確信させる状況になりました。
10.12の動画をもう何回見たことか、、、100回は超えたありがとう仰木さんありがとうブライアントさん最高のドラマだ
1988.10.19は、1989.10.12で完結する物語であります。
moaki eno 単行本の上下巻セットってとこですよね。
1963年は仰木さんが選手で中西太さんが監督で、1988/10/19よりも過酷な条件で西鉄の優勝をしたそうです。南海が全日程終了で西鉄は3勝1分け以上のところを4戦全勝で、南海に最大14.5差つけられたのを大逆転優勝だったそうです。1988年のようにニュースステーションで特集が組まれることなんてなかったのでしょうね。
このストーリーを脚本で書いて出したら「やりすぎ」って言われそう。そのくらい劇的
御意
佐藤秀明と吉竹、元阪神
あの栄華を極めた獅子帝国に一矢報いた唯一の軍団。それがいてまえ軍団。
1日に2試合やってたんだ😅
昨年の10.19があるから、このダブルヘッダーがドラマテックなんですよね。リアルタイムで見ていたので、強く感じます。
4:11三塁側は近鉄ファンでけっこう埋め尽くされてますね。(その多くが応援グッズを持っていないパターン)
西武球場だしなw ビジターって販売権ないんでしょwその試合会場では。 ダイエーなんてひどいよ。神戸への移動が面倒だからと言って、オリックスとの試合を福岡ドームでオリックスを後攻で試合をさせてあげたけどグッズや飲食の売り上げ全部ダイエーがかっさらうんだから。ま、ダイエーの大チョンボは2000年の日本シリーズで。其の3年前に脳外科学会に福岡ドームを気安く貸してしまったのでに日本シリーズの日程が狂ってリーグ辛い制裁金数千万円取られたというwバカなダイエー また、公式戦を台湾で行って、騒音条例に抵触させるという大チョンボ。
@@koichioyama3086 貴重なお話ありがとうございます
大事なゲームなのでグッズどころではなかったのでは?昔東京ドームでは少しだけ12球団のグッズが売っていました。当時の西武ライオンズ球場にも少しだけ置いてあったような??ちなみに西武球場でも近鉄ファンはとにかく怖かったですよ。西武が投手交代に入れば、「はよやれーはよやれーライオンズー」の掛け声。デストラーデの穴を埋めるべく、若手の鈴木健がフル出場して、守備でエラーすれば、「やったーやったーまたやったー、鈴木の野郎がエラーしたー!」西武びいきのラジオの文化放送、NACK5あたりで昔アナウンサーが茶化していました。「西武ファンは本当に大人しくて人がいい。マナーもいい。ほんわかしますよねこういうのって。何だか12球団のファンを集めてバトルロワイヤルをさせれば1番に全滅してしまいそうな。」こんな具合でしたから、近鉄ファンが西武球場でグッズを買い、やりたい放題やっても大丈夫でしょう(笑)。
@@mittyatya サッカーに例えると欧州と日本のサポーターくらいの差があったかもしれませんね。
堤オーナーが激怒した試合でしたね😢
こういう重要な試合でホームランを打てる、しかも4打席連続で打てるブライアントって本当に凄かったんだな。
4打数連続なw第2試合第1打席は四球。連続打数であっても打者に落ち目はない。
4打数連続です。第2試合の第1打席は四球です。
@@koichioyama3086 1年越しに言い直しにきたの草
中西太、存在感あるなあ
ある日本を代表する大企業の横浜支社に、孫請けくらいの感じで仕事していた。社員食堂に有ったTVでこの実況中継を映していて、一部の社員さん達も仕事そっちのけで視てたな。私も数分だけ立ち視したけど、あの時の雰囲気は忘れられない。
こんな試合は、前年の10.19と共に二度とない!プロ野球史上、最高の三試合! その前日のオリックスが西武に勝った試合も含めて!
これ森監督が四球で良いと言った。森さんの献眼も凄すぎ。
そしてまさかの初級ど真ん中のスライダー。
10.19の動画を見た後にこの動画見るのが最高
10月19日がプロローグに過ぎない心境になる。
懐かしい近鉄バファローズ懐かしい
仰木というよりブライアントが主役やね
89年の日本シリーズで、某投手があんな発言さえしなければ。
シーズンの勝ち方がこれだったから有頂天だったんでしょうなぁー(´・ω・`)
もともとああいう奴だったらしいね。性格的に あのシリーズの後も野茂の契約金1億円にケチつけてたみたいだし。
3:54 ゲッツー崩しのリベラのスライディング凄いな。この年の近鉄はブライアントばかり語られるけれどリベラも闘志あふれるプレーで優勝の立役者。
仰木監督より太っさんコーチのはしゃぎっぷりに目が行くw
高校生のときだったなあ。学校から帰宅したとき、テレビをつけたら満塁の時でブライアントが打ったときは興奮したなあ。
忘れられません。
仰木さんに敬意を表します。一年間闘い抜いて、あと1つも負けられない崖っぷち、、、負ければ、、終わり。しかも前年もあと1つで涙を飲んだ。同じ屈辱を二度までも味わうことは許されない。その想いがブライアントのバットに乗り移ったんだと思います。このプレッシャーの中での戦い。とんでもない重圧だったろうと想像されます。こんな重圧の中で戦いが続いて本当に命を削られたのかな、と思わずにはいられません。監督お疲れ様でした。
あと1回チャンスあったんですけどね、やはり近鉄と西武の3連戦でどちらかが3連勝したらマジックが点灯という条件があって。
1988年の25年前には西鉄では1988年の近鉄より過酷な条件で優勝してたらしいぞw。中西太監督に仰木彬選手で。1963年 西鉄ライオンズでは最後の優勝
高校生の頃の帰り道で商店街の電気屋のTVで放送されてました。自分以外にも数名の会社員が立ち止まって見ていて、渡辺からのブライアントのホームランで皆がガッツポーズしたこと思い出しました。ありがとうございました。
監督仰木、ヘッド中西、投手コーチ権藤とかめっちゃ豪華ですな。
でもね…この年のリーグ優勝を決めたダイエー戦で最後に阿波野を起用したことが原因で、それまで微妙な仲だった仰木さんと権藤さんの関係が決裂して権藤さんの退団につながってしまったんですよ…(権藤さんは「吉井を起用すべきだ」と強硬に主張したが、仰木さんが阿波野登板を決めたので、頭にきたらしい。また、吉井もそのことがしこりになってのちにヤクルトに移籍している)
@@TANAKEN2009 さん阿波野は前年の10.19の第一、第二試合両方に登板し、第二試合の時に水上にホームランを打たれたと記憶している。その思いがあったから、リーグ優勝のマウンドは阿波野に託したのかもしれない。
@@tsuka5116 水上じゃなくて、高沢。水上は新井の三塁線の痛烈な打球を獲り、「This is プロ野球!」という名実況を生んだのだよ。
ドキュメント!10.12です。
このダブルヘッダーの試合は、野球の神様が近鉄の味方をして、神様が近鉄に乗りうつっていたいうしかない試合でしたね。
審判も味方してます
そして、シリーズで神の怒りをかうのか、、、
ブライアントのダブルヘッダーの1試合目の3本目のHRは打った瞬間鳥肌立ったのを思い出します❗このダブルヘッダーに西武に連勝して近鉄の優勝確信しました👊
近鉄が西武にガンバって2連勝したら、オリックスがロッテに負けてオリックス終了した。(ロッテは前年近鉄をいじめたが1989年はオリックスをいじめたw オリックスはこの1989年は開幕8連勝スタートでブレーブス優勝するかも?と思われたが。そうは問屋が卸しませんでしたね。前年に続いて熱パ。しかも今回は三つ巴になったという。
この時のロッテの借りは、世代を越えて33年後に返される事になる。
憎いくらい強いというほど西武の強さは誰もが認めてた時代 ブレーブスとて強かったしスター選手もいたんだけど だからこそ鮮烈に記憶に残る試合 この頃のスタンドは紙ふぶき投げたり戦国時代の足軽が背中につけてる旗指し物みたいな自前のものがあったりタオル中心の今とは違う楽しさと熱気が良くも悪くもあって楽しかった 球場はエンタメ的な役目の司会もボールパーク要素もなく野球見るだけしかないけど 近鉄はうまくやればこのあと野茂を中心にもう一回二回は間に優勝出来てただけに惜しい強さだった
懐かしいー。近鉄のブライアントのホームランがすごかったね。まさに神様仏様ブライアント様だね。
この間死んだ野村克也さんは近鉄を嫌っていたらしい「みんな何も考えんで打っとるからだ」とでもそういう思考だからこそ理屈を超えた人々の心を打つ試合を何回も起こしたんだろうなぁと俺は思う
片岡篤史(日本ハム)も自身で3塁守ってて近鉄戦怖かったと。みんな引っ張り倒してくるwって
本能のままに戦う野球、ある意味ID野球の天敵と言えるかもなぁ・・・・・
本能野球ならば、1994年の長嶋勘ピューター。
@@saburiryu28go 開幕当初から巨人があり得ない程の独走。普通の監督ならこのまま無難にやり過ごして乗り切るはずが、こともあろうに秋が来る頃にはマジック消滅。そして130試合目、先発投手陣を全員つぎ込んで優勝。本当に何を考えているんだか。
その分指揮官がとんでもない分量の思考を巡らしている、というか。野村監督が選手に自分の思考を移植したのに対し、仰木監督は選手としての本分を尽くすことを要求しているというか。仰木さんと野村さんは同い年で同期、パ・リーグの名選手同士なので対比するのは面白いですね。
そりゃ当時最強と言われてた西武に勝っての日本シリーズだもんな加藤が煽るのも無理ないわ
それでもあの「(巨人は)大した事無い。ロッテより楽に投げられた。」と公言するだけでも駄目でしょう。それは巨人も同じリーグ優勝チームだし逆上して怒りの逆襲心を燃やして4連勝しての大逆転日本一になるわ…。逆に加藤氏がここで敢えて演技で「ウチの近鉄はここまで運良く大手出来ただけで次から巨人さんが奇跡の4連勝して日本一を取りますよ。ウチの近鉄は日本一取れる力はもう無いですわ…。降参です…。」と相手を褒め殺しさせたら近鉄が悲願の日本一獲れたと思う…。
ブライアントの3本目のホームランで西武の息の根を止めた。第二試合は近鉄の猛攻でペナントの流れは近鉄に行った。
1試合単位でしたら西武の息の根を止めたことになりますが、その後の試合なども考えれば近鉄が1つずつ首の皮をつないでいった感しかなかったシーズンですね。ダブルヘッダーの1試合目で勝てても2試合目落としたらそれでも西武優勝だったはず。その後数年ずっと近鉄は優勝もできなかった。1度こそ西武と近鉄3連戦でどちらかが3連勝したら勝ったほうにマジック点灯っていうのはありましたが近鉄はそこでも勝てなかった。
この日まだ学生だった私は授業をさぼって西武球場へ観に行った。。 前年の10.19ロッテ戦も授業で行けなかったので何としてもという気持ちでした。西武も今と違って本当に憎らしいくらい強い時代でした。本当にいい思い出です。 (*日本シリーズは無かったこととする)
第一試合で途中で、ダメだと思ったらまさかの逆転。第二試合圧勝して、優勝確信した。日本シリーズ?そうなんです!!日本シリーズはその年は中止になったのであります(笑)
この日、誰を投げさせてもブライアントを止めることはできなかった気がする。阿波野の球もえぐいね・・・。
仰木さんより中西さんの方が監督では?…と思える位。
改めてプロ野球の醍醐味を感じたシーンだと思います。
修学旅行で10.19を生放送で見れませんでしたが、あの時の凄まじさは家に帰ってから、父にとって貰ったビデオですら伝わってきました。あの当時、関東でパ・リーグの試合をキー局が放送しなかったけど、10.19とこの日でバファローズファンになりました!!
いいチームでしょ?とにかく、打つ打つ打つ打つがカラーのチームだからね。必殺仕事人の中村主水こと藤田まことさんも、近鉄バファローズファンだったからね。
そもそもパの試合がテレビ放映されることはほぼなかった。10.19に関してはテレ朝の早河氏が決断してニュースステーションの合間に放映した。そしたら凄い事実が解説されていた。1988年の25年前の西鉄ライオンズが、1988年の近鉄より過酷な条件で優勝していて、西鉄の当時監督は中西太で、選手に仰木がいたとか。南海に一時は14.5差を付けられたところから追い上げ、南海が全日程終了し、西鉄は残4を3勝1分け以上しなければならないところを4勝して優勝。
考えてみると監督等はライオンズの元選手が元巨人の選手であった監督のチームを倒すのだから面白いとみてしまう自分がいる
僕もそう思いたいです。僕だって近鉄ファンですから。
このブライアントは鳥肌立った
これが西武に取って鹿取と潮崎を獲得するきっかけになりますね❗
23年前の今日、伝説が起きた。
翌日のスポーツ紙の見出し神様!、仏様!、ブライアント様!
当時人気アイドルグループの光GENJIの諸星勝己さんは、西武ファンでした。
大女優の吉永小百合さんも球場によく足を運ばれいたそうですw。
フジテレビジョンとくダネ!のMC小倉智昭さんもそうです。
@@koichioyama3086 吉永さんは元々巨人ファンだったらしいですが江川事件をきっかけに西武ファンに寝返ったそうですね
ナレーター飛田展男さん?
この年か次の年の10.19に阿波野さんの第1子が誕生されたと記憶している。まさにドラマ。
バッファローズじゃなくてバファローズやぞ
渡辺久信、工藤公康、郭泰源の西武3本柱を粉砕。
それも一人で全てHRで粉砕はヤバイ。
この時代は、まさに西武の黄金期。85~88・90~94年にリーグ優勝、うち86~88・90~92年が日本一。唯一優勝できなかったのが、この89年。もしこのダブルヘッダーに1勝でもしていればリーグ優勝、そして当時は巨人は西武に全く歯が立たなかったから、間違いなく西武が日本一になっていたと思う。もしそうなっていたらリーグ10連覇(日本シリーズは7連覇)だったんだよなぁ。この歴史に風穴を開けたブライアントと近鉄。正にドラマだよなぁ。
ええねん 1985年に阪神が西武に勝ったのも凄いなと思いました
周知のように、そんな森ライオンズの黄金期の布石となったのが82-83、広岡監督擁する西武のシリーズ2連覇!!
名勝負ですね❗️❗️
褐色の大明神と呼ぶにふさわしい大活躍でしたね。ラルフ・ブライアントは。
納得いかない終わりだった前年からすぐ1年後、見事でした(^^)
ナベQがダイナミックなフォームで剛速球を投げ、ブライアントが打ち返す。この場面未だに脳に焼き付いてます!
王さんや落合みたいにホームランも打率もっていう選手ならともかく、ブライアントはホームラン以外はほとんど三振だからw。相手ベンチとしたら厄介この上ないわな。
忘れらない試合🤖
ダメモトで西武球場に友人と学校サボって行った。本当に意外なことだが、当日券で入場できた。(実話)うれしかった半面、複雑な思いだった。だって、ライオンズ胴上げの可能性もあったんだよ?!
当時の西武ファンって、優勝するのが当たり前、といった感じでリーグ優勝に関してはやや冷めているなあ、と感じていました。ただ日本シリーズで相手が巨人、となると燃えていましたね。巨人相手だと圧倒的にメディアに採り上げられるから。だからかな、優勝決定の試合でも当日券で買えたのは。一方、ベイスターズファンの僕は、今回の優勝を逃すといつ優勝シーンが見れるか分からない、という気持ちが強かったから、遠い甲子園や広島で優勝が決まっても会社休んで応援に行く気でした。実際に甲子園で優勝決定の試合になったから、そうしましたけど、甲子園は大きいし、阪神は消化試合で普段は横浜ファンいないから余裕で当日券買えました。しかし日本シリーズのチケットは前売り券手に入らず、新橋の金券屋で定価の何倍かで4戦目以降のチケットを買いました。
そう。条件なら前年のロッテ2連戦の方が絶対的に可能性あった。この年は最強の西武相手に連勝が絶対だったもんね。プロ野球史上最高のドラマ。巨人ファンだけど、メイクドラマの比じゃない。ほんと興奮した。前年の高見沢~~なんであの試合だけロッテ頑張ったんだよ、が報われた。
@@まるこめ-k7m ホームラン打ったのは高沢だ。高見沢はアルフィーじゃ...。😵
近鉄は必死に1つ1つ首の皮をつなげるような勝ち進むしか道がなかったということですね。
神様 仏様 ブライアント様さすがだなぁ~
この満塁の場面で、93年だったら、西武はブライアントに杉山をぶつけました‼️
集団バッファローの逆襲でライオン殺す。百獣の王もここまでかって思ってしまった。
第1試合は平日の昼間なのになんでこんなに人が入っているだろう?今じゃ絶対無理。
やはり埼玉所沢だから、東京からも西武池袋線で人がやってくるのだと思います。
今でも普通に平日やすみの人はたくさんいますよ?
むしろこの頃よりも今の方が働き方、職種など全てが多様化しているので、お客さんも観に行きやすい。このころは会社や学校をさぼって観に行ったのでしょう。
鬼のブライアント西武ファンの俺はテレビの前で茫然自失だったな
スポーツに「たられば」は、付き物だけど、もしブライアントが中日ドラゴンズのファームで埋もれていたら、デービスが「逮捕」されていなければ、こんな事は、なかったはずです。でも、中西打撃コーチのお陰で才能が開花。世の中は、本当にわからない。
ブライアントが、見せた、4打席連続ホームランは、最高❗️
4打数連続ねw。第2試合第1打席は四球。
4打数連続です。第2試合第1打席は四球(立たないで4球はゾーン外し)、4打数でも打者の落ち目にはならないよw。。
当時の西武はほんとうに本当に憎いくらいに強かったよ。スター選手もたくさんいたし、先発投手も揃ってたし、守備も堅いし、|だってさ、平野辻に石毛、清原アキヤマデストラーデにいとうだぜ?苫篠に北村、工藤に両渡辺、松沼、カク、勝てねーよ!普通!
この日に実質的に近鉄の優勝は決まった。当然大盛り上がりだったけど、もしもこの年の優勝が西武だったらMVPは誰だったんだろ?阿波野やブライアントのようなMVP級の選手は居なかったから、全体的の選手層は西武の方が上だったのかなってときどき思う。
ブラインアントォーーーーーーー😨
今でもパリーグのほうがセリーグより凌駕してる。現に交流戦の成績が証明してるわ。
*AKI NA* パリーグが面白くなっているのは、プロ野球にとってもいいことですね。パリーグ人気復活していますね。
阪神もこれくらいいってくれたらな
この頃は明らかにレベルではセ・リーグをパ・リーグが凌駕していた。それにしてもパ・リーグはパワフルだ。
野球は、ドラマだって改めて感じた。
ロッテより弱い巨人に負けたのはどこ?
今でもですね(笑)
面白い
当時の文化とかも加味して、この頃に生まれたかったと本気で思ってる
jonyy dann 自分はCS制度がなかったこの頃のプロ野球が大好きでした。CS制度があるプロ野球しか知らない世代はかわいこうに思います。
@nishiaka ただ、このダブルヘッダーはフジで地上波中継がありましたよ(完全中継じゃ無いうえに初戦は関東ローカル)。だから、ある程度は現場にいなくても試合展開を把握できる状況にはあった人もいた。
関西でも中継ありましたよ。大学で皆で見ていてブライアントが渡辺からHR打った時は大歓声でした。
中西ヘッド喜びすぎ(笑)まあブライアントを覚醒させたのがこの人だから分からんでもないな
ブライアントも「中西さんは内角球の打ち方を教えてくれたし常にエネルギッシュで大きな声で盛り立ててた」と言うてる
さすが伝説の打撃コーチ
ガキの頃、西武ファンだった西武強くてよかった、、って思ってたこの年の、、、近鉄とブライアントはトラウマです
ブライアント元中日ドラゴンズ説二軍でくすぶってたのを取ったんだよね
「説」じゃないねただの事実だね日本語はちゃんと使おうその後のブライアントの活躍を見て中日の首脳陣は苦虫をかみつぶしていたらしいな
中日で出番のなかったモヤがブライアントのような活躍してくれると思う
中日ドラゴンズに、いた事は間違いないよ。当時、郭源治とゲーリーがいて本人は出番が全くなかった。そんな時に、近鉄バファローズに当時所属していた、デービスという選手が麻薬所持で逮捕されて国外退去となって、代わりにという事で呼ばれたのが本人という事。
1988年のシーズンが始まる際はドジャースと交流試合とかしてたみたいですね。
この運命の日の前日に生まれたのが巨人のエースの智之。この試合に勝った仰木さんは智之の伯父をシリーズで見事に封じていたが、起死回生の満塁ホームランを打たれてから大逆転で日本一を逃すことになる。
この試合は、ブライアント一人にやられた様なものだ。猛牛打線はエース級を投入しても、勢いは止められない。そして、時代は流れて、平成の怪物だった松坂大輔は、猛牛打線に打たれまくった。何故なら、猛牛打線は力押しでくる相手には、めっぽう強かった。特に松坂大輔の様なタイプは…
中西ヘッドコーチの喜び様、興奮するぜ。また鈴木貴久選手は2004年に他界したた。ご冥福をお祈りしたい。
プロレスに転向して行った仲根も亡くなってな。中根(のちベイスターズ)のはこの年新人。
中根仁ね。鈴木貴久と同じ番号を付けていたよな。背番号「2」仲根正裕→政裕「10→20」この2人、外野手なんだよね。
近鉄ファンなのに、近鉄の選手以上にいろいろ覚えてるわw
Hanspeter Zimmerfrei 近鉄ファン「やからこそ」の間違いでしょう?
第1試合は特にブライアント1人が得点したんでしたよね今見ると、改めてすごい選手ですけど4番ではなく3番だったんですよね(4番はリベラ)
四球という選択肢があったら結果は違ってたかもなこんな展開なら選手も首脳陣もテンパる
ブライアント、すごい…。中日はブライアントを二軍でくすぶらせ、簡単に手放したのはミスだったね。
まあ、この当時は2人と言う枠がなければ中日にいて活躍したかもよ。
ゲーリーもギリギリで踏みとどまり中日も優勝した。外国人枠2名でしたし。皮肉にも郭源治は翌年日本人となった(友人や著名人の反対を押し切り帰化した)
ブライアントを二軍でくすぶらせ???いやブライアントの出来が悪いからずっと2軍だったんでしょ。
森さんは、今年の巨人とホークスのOB戦で、偶然のホームランより必然のバントを、と言っていた。おそらく、この試合を未だに痛恨に思っているのでしょうね。しかし、偶然のホームランを使う仰木さんだから、このブライアントの4打数連続ホームランが生まれた。たしかに、必然のバントの方が、勝つ確率は高い。しかし、野球のダイナミズムを分かっていたのは、仰木さんでしょうね。野茂さんや、イチローさんも、仰木さんとの出会いが、メジャーリーガーとしての活躍を生んだのでしょうね。
この頃がパリーグの全盛期。
今の方が全盛期ですよ?
パリーグがセリーグを超えたのが88年。
この翌日にロッテオリオンズがオリックスを5-3で破り、近鉄をナイスアシストしましたね。 1988年は近鉄の優勝を阻止したロッテでしたが、1989年は逆に近鉄の優勝をアシストしましたね。 この年の西武は、ダイエー戦の8点リードをひっくり返されたように、安定しなかったですね。
そうそうww
ベース・ボールはUSAからきたもんや、何故あるかさないんや。森はボールぎみに入れといいながら、伊東はアウトコース高めにかまえて久信は力まかせにインコース高め。打たれて当たり前。監督が悪い。
ヨーツベ ブライアントは高めの球に弱いというデータがあったからでしょう。これは誰が悪いとかではなく、打ったブライアントが凄かった。
リベラは元ボクサーですよ
プエルト・リコのアマチュアの王者だったらしいねw。
リベラのボクシング戦績ですが、20戦無敗15KOの実績だったらしいです。
第一試合と第二試合の客の入れ替え早いんだな・・・
入れ替えとかはないよ料金は1試合分で2試合みれるよ最近ダブルヘッダーないから知らんひと多いけど
2:33にこの年の日本シリーズ第3戦で言ってしまった加藤投手が…でも、巨人は間違いなくこの年の西武やオリックスより弱かったですね~ちなみに加藤投手はロッテが苦手だったそうです
巨人は弱いと言って勝ったのは1976だか77年の阪急福本豊だけだw 近鉄やロッテもうちと3連戦やれば1つは勝てるといって王貞治激怒。急〇〇〇●●●〇巨 で巨人を倒すw(ってかぎりぎりかよw)
めっパって何?
岩花祐汰 様!「めっパ」ではなく「熱パ」です。当時のレベルの高い優勝争いをこう呼んでました。
困った
ブラボー
ブライアント〝ゾーン〟に入った〜。
村本信行 でもその試合後肩を脱臼する。
最近のペナントレースは1988年の10.19や1989年のダブルヘッダーみたいなドラマはないですからね逆に1980年代後半のパリーグは最後まで分からなかったですからねパリーグは1980年代前半まではペナントレースを前期後期で分け、最後に前期後期優勝チームでプレーオフしてましたから、クライマックスシリーズは否定しません
1973-1982は前後期、1983-1985は首位とのゲーム差が5以下ならプレーオフだったらしいお(83-85は西武、阪急、西武独走のため実施されず)
いてこませ西武
仰木彬監督の71番ユニフォーム姿が懐しい
この日のブライアントは、大金星で値千金の大活躍!!
10.19、そしてこの10.12。
どちらも愛知から見に行けたのが、一生の思い出。
ありがとう仰木監督、大好き✨
このシーズンは最高だった。前年はめちゃくちゃ泣いたから。
2:52 4:15 中西さんがやんちゃすぎる
西武ライオンズファン歴35年になりますが、この試合は一生忘れないです。
西武線沿線、大泉学園に住む私も同じでした。ライオンズ少年でこの年から野球を観始めました。
黄金時代真っ只中でしたから、最後は必ず主役の西武が勝つ、というシナリオ通りの展開になると思っておりました。現に中盤までは全くその通りだったのに。
私の父は、私が生まれる少し前だったか、西武線車内で、初代黄金期のメンバーであるテリーをよく見かけたと言っていました。
@@mittyatya やっぱりそうですよね笑
パ・リ-グを盛り上げる為にライオンズはわざと苦戦して近鉄と接戦はしてるけど、最後にはライオンズが優勝するレ-ンに乗ってるんだと、全く疑いもせずに、当時は僕も子供でしたから、根拠も何もなくライオンズの優勝を当時は信じてました笑
でも、今でもこのダブルヘッダーはライオンズが連勝する可能性は充分にあった、と今でもあれこれと考えてしまいます。
2022年7月22日(金)
現地参戦してました、本当にブライアント怖い存在でした
このからナベさんの一発病が始まったような…
@@toshibow1209
さらに91年~92年頃から、ヒーローインタビューで帽子をとるたびに、「!?あれ??いや僕の勘違いかな!?」という疑念を抱かせるようになり、93年頃にはすっかりと前から無くなってしまい、見る者皆を確信させる状況になりました。
10.12の動画をもう何回見たことか、、、
100回は超えた
ありがとう仰木さん
ありがとうブライアントさん
最高のドラマだ
1988.10.19は、1989.10.12で完結する物語であります。
moaki eno 単行本の上下巻セットってとこですよね。
1963年は仰木さんが選手で中西太さんが監督で、1988/10/19よりも過酷な条件で西鉄の優勝をしたそうです。南海が全日程終了で西鉄は3勝1分け以上のところを4戦全勝で、南海に最大14.5差つけられたのを大逆転優勝だったそうです。1988年のようにニュースステーションで特集が組まれることなんてなかったのでしょうね。
このストーリーを脚本で書いて出したら「やりすぎ」って言われそう。そのくらい劇的
御意
佐藤秀明と吉竹、元阪神
あの栄華を極めた獅子帝国に一矢報いた唯一の軍団。それがいてまえ軍団。
1日に2試合やってたんだ😅
昨年の10.19があるから、このダブルヘッダーがドラマテックなんですよね。
リアルタイムで見ていたので、強く感じます。
4:11
三塁側は近鉄ファンでけっこう埋め尽くされてますね。
(その多くが応援グッズを持っていないパターン)
西武球場だしなw ビジターって販売権ないんでしょwその試合会場では。 ダイエーなんてひどいよ。神戸への移動が面倒だからと言って、オリックスとの試合を福岡ドームでオリックスを後攻で試合をさせてあげたけどグッズや飲食の売り上げ全部ダイエーがかっさらうんだから。ま、ダイエーの大チョンボは2000年の日本シリーズで。其の3年前に脳外科学会に福岡ドームを気安く貸してしまったのでに日本シリーズの日程が狂ってリーグ辛い制裁金数千万円取られたというwバカなダイエー また、公式戦を台湾で行って、騒音条例に抵触させるという大チョンボ。
@@koichioyama3086
貴重なお話ありがとうございます
大事なゲームなのでグッズどころではなかったのでは?
昔東京ドームでは少しだけ12球団のグッズが売っていました。当時の西武ライオンズ球場にも少しだけ置いてあったような??
ちなみに西武球場でも近鉄ファンはとにかく怖かったですよ。
西武が投手交代に入れば、「はよやれーはよやれーライオンズー」の掛け声。
デストラーデの穴を埋めるべく、若手の鈴木健がフル出場して、守備でエラーすれば、「やったーやったーまたやったー、鈴木の野郎がエラーしたー!」
西武びいきのラジオの文化放送、NACK5あたりで昔アナウンサーが茶化していました。
「西武ファンは本当に大人しくて人がいい。マナーもいい。ほんわかしますよねこういうのって。何だか12球団のファンを集めてバトルロワイヤルをさせれば1番に全滅してしまいそうな。」
こんな具合でしたから、近鉄ファンが西武球場でグッズを買い、やりたい放題やっても大丈夫でしょう(笑)。
@@mittyatya
サッカーに例えると欧州と日本のサポーターくらいの差があったかもしれませんね。
堤オーナーが激怒した試合でしたね😢
こういう重要な試合でホームランを打てる、
しかも4打席連続で打てるブライアントって
本当に凄かったんだな。
4打数連続なw第2試合第1打席は四球。連続打数であっても打者に落ち目はない。
4打数連続です。第2試合の第1打席は四球です。
@@koichioyama3086 1年越しに言い直しにきたの草
中西太、存在感あるなあ
ある日本を代表する大企業の横浜支社に、孫請けくらいの感じで仕事していた。
社員食堂に有ったTVでこの実況中継を映していて、一部の社員さん達も仕事そっちのけで視てたな。
私も数分だけ立ち視したけど、あの時の雰囲気は忘れられない。
こんな試合は、前年の10.19
と共に二度とない!
プロ野球史上、最高の三試合!
その前日のオリックスが
西武に勝った試合も含めて!
これ森監督が四球で良いと言った。森さんの献眼も凄すぎ。
そしてまさかの初級ど真ん中のスライダー。
10.19の動画を見た後にこの動画見るのが最高
10月19日がプロローグに過ぎない心境になる。
懐かしい近鉄バファローズ懐かしい
仰木というよりブライアントが主役やね
89年の日本シリーズで、某投手があんな発言さえしなければ。
シーズンの勝ち方がこれだったから有頂天だったんでしょうなぁー(´・ω・`)
もともとああいう奴だったらしいね。性格的に あのシリーズの後も野茂の契約金1億円にケチつけてたみたいだし。
3:54 ゲッツー崩しのリベラのスライディング凄いな。
この年の近鉄はブライアントばかり語られるけれど
リベラも闘志あふれるプレーで優勝の立役者。
仰木監督より太っさんコーチのはしゃぎっぷりに目が行くw
高校生のときだったなあ。学校から帰宅したとき、テレビをつけたら満塁の時でブライアントが打ったときは興奮したなあ。
忘れられません。
仰木さんに敬意を表します。
一年間闘い抜いて、あと1つも負けられない崖っぷち、、、
負ければ、、終わり。
しかも前年もあと1つで涙を飲んだ。
同じ屈辱を二度までも味わうことは許されない。
その想いがブライアントのバットに乗り移ったんだと思います。
このプレッシャーの中での戦い。
とんでもない重圧だったろうと想像されます。
こんな重圧の中で戦いが続いて本当に命を削られたのかな、と思わずにはいられません。
監督お疲れ様でした。
あと1回チャンスあったんですけどね、やはり近鉄と西武の3連戦でどちらかが3連勝したらマジックが点灯という条件があって。
1988年の25年前には西鉄では1988年の近鉄より過酷な条件で優勝してたらしいぞw。中西太監督に仰木彬選手で。1963年 西鉄ライオンズでは最後の優勝
高校生の頃の帰り道で商店街の電気屋のTVで放送されてました。
自分以外にも数名の会社員が立ち止まって見ていて、渡辺からのブライアントのホームランで皆がガッツポーズしたこと思い出しました。
ありがとうございました。
監督仰木、ヘッド中西、投手コーチ権藤とかめっちゃ豪華ですな。
でもね…
この年のリーグ優勝を決めたダイエー戦で最後に阿波野を起用したことが原因で、それまで微妙な仲だった仰木さんと権藤さんの関係が決裂して権藤さんの退団につながってしまったんですよ…(権藤さんは「吉井を起用すべきだ」と強硬に主張したが、仰木さんが阿波野登板を決めたので、頭にきたらしい。また、吉井もそのことがしこりになってのちにヤクルトに移籍している)
@@TANAKEN2009 さん
阿波野は前年の10.19の第一、第二試合両方に登板し、第二試合の時に水上にホームランを打たれたと記憶している。その思いがあったから、リーグ優勝のマウンドは阿波野に託したのかもしれない。
@@tsuka5116 水上じゃなくて、高沢。水上は新井の三塁線の痛烈な打球を獲り、「This is プロ野球!」という名実況を生んだのだよ。
ドキュメント!10.12です。
このダブルヘッダーの試合は、野球の神様が近鉄の味方をして、神様が近鉄に乗りうつっていたいうしかない試合でしたね。
審判も味方してます
そして、シリーズで神の怒りをかうのか、、、
ブライアントのダブルヘッダーの1試合目の3本目のHRは打った瞬間鳥肌立ったのを思い出します❗このダブルヘッダーに西武に連勝して近鉄の優勝確信しました👊
近鉄が西武にガンバって2連勝したら、オリックスがロッテに負けてオリックス終了した。(ロッテは前年近鉄をいじめたが1989年はオリックスをいじめたw オリックスはこの1989年は開幕8連勝スタートでブレーブス優勝するかも?と思われたが。そうは問屋が卸しませんでしたね。前年に続いて熱パ。しかも今回は三つ巴になったという。
この時のロッテの借りは、世代を越えて33年後に返される事になる。
憎いくらい強いというほど西武の強さは誰もが認めてた時代 ブレーブスとて強かったしスター選手もいたんだけど だからこそ鮮烈に記憶に残る試合 この頃のスタンドは紙ふぶき投げたり戦国時代の足軽が背中につけてる旗指し物みたいな自前のものがあったりタオル中心の今とは違う楽しさと熱気が良くも悪くもあって楽しかった 球場はエンタメ的な役目の司会もボールパーク要素もなく野球見るだけしかないけど 近鉄はうまくやればこのあと野茂を中心にもう一回二回は間に優勝出来てただけに惜しい強さだった
懐かしいー。
近鉄のブライアントのホームランがすごかったね。
まさに神様仏様ブライアント様だね。
この間死んだ野村克也さんは近鉄を嫌っていたらしい
「みんな何も考えんで打っとるからだ」と
でもそういう思考だからこそ理屈を超えた人々の心を打つ試合を何回も起こしたんだろうなぁと俺は思う
片岡篤史(日本ハム)も自身で3塁守ってて近鉄戦怖かったと。みんな引っ張り倒してくるwって
本能のままに戦う野球、ある意味ID野球の天敵と言えるかもなぁ・・・・・
本能野球ならば、1994年の長嶋勘ピューター。
@@saburiryu28go
開幕当初から巨人があり得ない程の独走。普通の監督ならこのまま無難にやり過ごして乗り切るはずが、こともあろうに秋が来る頃にはマジック消滅。
そして130試合目、先発投手陣を全員つぎ込んで優勝。
本当に何を考えているんだか。
その分指揮官がとんでもない分量の思考を巡らしている、というか。
野村監督が選手に自分の思考を移植したのに対し、仰木監督は選手としての本分を尽くすことを要求しているというか。
仰木さんと野村さんは同い年で同期、パ・リーグの名選手同士なので対比するのは面白いですね。
そりゃ当時最強と言われてた西武に勝っての日本シリーズだもんな
加藤が煽るのも無理ないわ
それでもあの「(巨人は)大した事無い。ロッテより楽に投げられた。」と公言するだけでも駄目でしょう。
それは巨人も同じリーグ優勝チームだし逆上して怒りの逆襲心を燃やして4連勝しての大逆転日本一になるわ…。
逆に加藤氏がここで敢えて演技で「ウチの近鉄はここまで運良く大手出来ただけで次から巨人さんが奇跡の4連勝して日本一を取りますよ。ウチの近鉄は日本一取れる力はもう無いですわ…。降参です…。」と相手を褒め殺しさせたら近鉄が悲願の日本一獲れたと思う…。
ブライアントの3本目のホームランで西武の息の根を止めた。
第二試合は近鉄の猛攻でペナントの流れは近鉄に行った。
1試合単位でしたら西武の息の根を止めたことになりますが、その後の試合なども考えれば近鉄が1つずつ首の皮をつないでいった感しかなかったシーズンですね。ダブルヘッダーの1試合目で勝てても2試合目落としたらそれでも西武優勝だったはず。その後数年ずっと近鉄は優勝もできなかった。1度こそ西武と近鉄3連戦でどちらかが3連勝したら勝ったほうにマジック点灯っていうのはありましたが近鉄はそこでも勝てなかった。
この日まだ学生だった私は授業をさぼって西武球場へ観に行った。。 前年の10.19ロッテ戦も授業で行けなかったので何としてもという気持ちでした。
西武も今と違って本当に憎らしいくらい強い時代でした。
本当にいい思い出です。 (*日本シリーズは無かったこととする)
第一試合で途中で、ダメだと思ったらまさかの逆転。第二試合圧勝して、優勝確信した。日本シリーズ?そうなんです!!日本シリーズはその年は中止になったのであります(笑)
この日、誰を投げさせてもブライアントを止めることはできなかった気がする。
阿波野の球もえぐいね・・・。
仰木さんより中西さんの方が監督では?…と思える位。
改めてプロ野球の醍醐味を感じたシーンだと思います。
修学旅行で10.19を生放送で見れませんでしたが、あの時の凄まじさは家に帰ってから、父にとって貰ったビデオですら伝わってきました。
あの当時、関東でパ・リーグの試合をキー局が放送しなかったけど、10.19とこの日でバファローズファンになりました!!
いいチームでしょ?
とにかく、打つ打つ打つ打つが
カラーのチームだからね。
必殺仕事人の中村主水こと藤田まことさんも、近鉄バファローズファンだったからね。
そもそもパの試合がテレビ放映されることはほぼなかった。10.19に関してはテレ朝の早河氏が決断してニュースステーションの合間に放映した。そしたら凄い事実が解説されていた。1988年の25年前の西鉄ライオンズが、1988年の近鉄より過酷な条件で優勝していて、西鉄の当時監督は中西太で、選手に仰木がいたとか。南海に一時は14.5差を付けられたところから追い上げ、南海が全日程終了し、西鉄は残4を3勝1分け以上しなければならないところを4勝して優勝。
考えてみると監督等はライオンズの元選手が元巨人の選手であった監督のチームを倒すのだから面白いとみてしまう自分がいる
僕もそう思いたいです。僕だって近鉄ファンですから。
このブライアントは鳥肌立った
これが西武に取って鹿取と潮崎を獲得するきっかけになりますね❗
23年前の今日、伝説が起きた。
翌日のスポーツ紙の見出し
神様!、仏様!、ブライアント様!
当時人気アイドルグループの光GENJIの諸星勝己さんは、西武ファンでした。
大女優の吉永小百合さんも球場によく足を運ばれいたそうですw。
フジテレビジョンとくダネ!のMC小倉智昭さんもそうです。
@@koichioyama3086 吉永さんは元々巨人ファンだったらしいですが江川事件をきっかけに西武ファンに寝返ったそうですね
ナレーター飛田展男さん?
この年か次の年の10.19に阿波野さんの第1子が誕生されたと記憶している。まさにドラマ。
バッファローズじゃなくてバファローズやぞ
渡辺久信、工藤公康、郭泰源の西武3本柱を粉砕。
それも一人で全てHRで粉砕はヤバイ。
この時代は、まさに西武の黄金期。
85~88・90~94年にリーグ優勝、うち86~88・90~92年が日本一。
唯一優勝できなかったのが、この89年。
もしこのダブルヘッダーに1勝でもしていればリーグ優勝、
そして当時は巨人は西武に全く歯が立たなかったから、間違いなく西武が日本一になっていたと思う。
もしそうなっていたらリーグ10連覇(日本シリーズは7連覇)だったんだよなぁ。
この歴史に風穴を開けたブライアントと近鉄。正にドラマだよなぁ。
ええねん 1985年に阪神が西武に勝ったのも凄いなと思いました
周知のように、そんな森ライオンズの黄金期の布石となったのが82-83、広岡監督擁する西武のシリーズ2連覇!!
名勝負ですね❗️❗️
褐色の大明神と呼ぶにふさわしい大活躍でしたね。ラルフ・ブライアントは。
納得いかない終わりだった前年から
すぐ1年後、見事でした(^^)
ナベQがダイナミックなフォームで剛速球を投げ、ブライアントが打ち返す。この場面未だに脳に焼き付いてます!
王さんや落合みたいにホームランも打率もっていう選手ならともかく、ブライアントはホームラン以外はほとんど三振だからw。相手ベンチとしたら厄介この上ないわな。
忘れらない試合🤖
ダメモトで西武球場に友人と学校サボって行った。
本当に意外なことだが、当日券で入場できた。(実話)
うれしかった半面、複雑な思いだった。
だって、ライオンズ胴上げの可能性もあったんだよ?!
当時の西武ファンって、優勝するのが当たり前、といった感じでリーグ優勝に関してはやや冷めているなあ、と感じていました。ただ日本シリーズで相手が巨人、となると燃えていましたね。巨人相手だと圧倒的にメディアに採り上げられるから。だからかな、優勝決定の試合でも当日券で買えたのは。一方、ベイスターズファンの僕は、今回の優勝を逃すといつ優勝シーンが見れるか分からない、という気持ちが強かったから、遠い甲子園や広島で優勝が決まっても会社休んで応援に行く気でした。実際に甲子園で優勝決定の試合になったから、そうしましたけど、甲子園は大きいし、阪神は消化試合で普段は横浜ファンいないから余裕で当日券買えました。しかし日本シリーズのチケットは前売り券手に入らず、新橋の金券屋で定価の何倍かで4戦目以降のチケットを買いました。
そう。条件なら前年のロッテ2連戦の方が絶対的に可能性あった。
この年は最強の西武相手に連勝が絶対だったもんね。プロ野球史上最高のドラマ。
巨人ファンだけど、メイクドラマの比じゃない。ほんと興奮した。
前年の高見沢~~なんであの試合だけロッテ頑張ったんだよ、が報われた。
@@まるこめ-k7m ホームラン打ったのは高沢だ。高見沢はアルフィーじゃ...。😵
近鉄は必死に1つ1つ首の皮をつなげるような勝ち進むしか道がなかったということですね。
神様 仏様 ブライアント様
さすがだなぁ~
この満塁の場面で、93年だったら、西武はブライアントに杉山をぶつけました‼️
集団バッファローの逆襲でライオン殺す。百獣の王もここまでかって思ってしまった。
第1試合は平日の昼間なのになんでこんなに人が入っているだろう?今じゃ絶対無理。
やはり埼玉所沢だから、東京からも西武池袋線で人がやってくるのだと思います。
今でも普通に平日やすみの人はたくさんいますよ?
むしろこの頃よりも今の方が働き方、職種など全てが多様化しているので、お客さんも観に行きやすい。このころは会社や学校をさぼって観に行ったのでしょう。
鬼のブライアント
西武ファンの俺はテレビの前で茫然自失だったな
スポーツに「たられば」は、付き物だけど、もしブライアントが中日ドラゴンズのファームで埋もれていたら、デービスが「逮捕」されていなければ、こんな事は、なかったはずです。でも、中西打撃コーチのお陰で才能が開花。
世の中は、本当にわからない。
ブライアントが、見せた、4打席連続ホームランは、最高❗️
4打数連続ねw。第2試合第1打席は四球。
4打数連続です。第2試合第1打席は四球(立たないで4球はゾーン外し)、4打数でも打者の落ち目にはならないよw。。
当時の西武はほんとうに本当に憎いくらいに強かったよ。
スター選手もたくさんいたし、先発投手も揃ってたし、
守備も堅いし、|
だってさ、平野辻に石毛、清原アキヤマデストラーデにいとうだぜ?
苫篠に北村、工藤に両渡辺、松沼、カク、
勝てねーよ!普通!
この日に実質的に近鉄の優勝は決まった。
当然大盛り上がりだったけど、もしもこの年の優勝が西武だったらMVPは誰だったんだろ?
阿波野やブライアントのようなMVP級の選手は居なかったから、全体的の選手層は西武の方が上だったのかなってときどき思う。
ブラインアントォーーーーーーー😨
今でもパリーグのほうがセリーグより凌駕してる。
現に交流戦の成績が証明してるわ。
*AKI NA*
パリーグが面白くなっているのは、プロ野球にとってもいいことですね。パリーグ人気復活していますね。
阪神もこれくらいいってくれたらな
この頃は明らかにレベルではセ・リーグをパ・リーグが凌駕していた。それにしてもパ・リーグはパワフルだ。
野球は、ドラマだって改めて感じた。
ロッテより弱い巨人に負けたのはどこ?
今でもですね(笑)
面白い
当時の文化とかも加味して、この頃に生まれたかったと本気で思ってる
jonyy dann
自分はCS制度がなかったこの頃のプロ野球が大好きでした。CS制度があるプロ野球しか知らない世代はかわいこうに思います。
@nishiaka
ただ、このダブルヘッダーはフジで地上波中継がありましたよ(完全中継じゃ無いうえに初戦は関東ローカル)。だから、ある程度は現場にいなくても試合展開を把握できる状況にはあった人もいた。
関西でも中継ありましたよ。大学で皆で見ていてブライアントが渡辺からHR打った時は大歓声でした。
中西ヘッド喜びすぎ(笑)まあブライアントを覚醒させたのがこの人だから分からんでもないな
ブライアントも「中西さんは内角球の打ち方を教えてくれたし常にエネルギッシュで大きな声で盛り立ててた」と言うてる
さすが伝説の打撃コーチ
ガキの頃、西武ファンだった
西武強くてよかった、、って思ってた
この年の、、、近鉄とブライアントはトラウマです
ブライアント
元中日ドラゴンズ説
二軍でくすぶってたのを
取ったんだよね
「説」じゃないね
ただの事実
だね
日本語はちゃんと使おう
その後のブライアントの活躍を見て
中日の首脳陣は苦虫をかみつぶしていたらしいな
中日で出番のなかったモヤがブライアントのような活躍してくれると思う
中日ドラゴンズに、いた事は間違いないよ。
当時、郭源治とゲーリーがいて本人は出番が全くなかった。
そんな時に、近鉄バファローズに当時所属していた、デービスという選手が
麻薬所持で逮捕されて国外退去となって、代わりにという事で呼ばれたのが本人という事。
1988年のシーズンが始まる際はドジャースと交流試合とかしてたみたいですね。
この運命の日の前日に生まれたのが巨人のエースの智之。この試合に勝った仰木さんは智之の伯父をシリーズで見事に封じていたが、起死回生の満塁ホームランを打たれてから大逆転で日本一を逃すことになる。
この試合は、ブライアント一人にやられた様なものだ。
猛牛打線はエース級を投入しても、勢いは止められない。
そして、時代は流れて、平成の怪物だった松坂大輔は、猛牛打線に打たれまくった。
何故なら、猛牛打線は力押しでくる相手には、めっぽう強かった。
特に松坂大輔の様なタイプは…
中西ヘッドコーチの喜び様、興奮するぜ。また鈴木貴久選手は2004年に他界したた。ご冥福をお祈りしたい。
プロレスに転向して行った仲根も亡くなってな。中根(のちベイスターズ)のはこの年新人。
中根仁ね。鈴木貴久と同じ番号を付けていたよな。
背番号「2」仲根正裕→政裕「10→20」
この2人、外野手なんだよね。
近鉄ファンなのに、近鉄の選手以上にいろいろ覚えてるわw
Hanspeter Zimmerfrei
近鉄ファン「やからこそ」の間違いでしょう?
第1試合は特にブライアント1人が得点したんでしたよね
今見ると、改めてすごい選手ですけど4番ではなく3番だったんですよね(4番はリベラ)
四球という選択肢があったら結果は違ってたかもな
こんな展開なら選手も首脳陣もテンパる
ブライアント、すごい…。
中日はブライアントを二軍でくすぶらせ、簡単に手放したのはミスだったね。
まあ、この当時は2人と言う枠がなければ中日にいて活躍したかもよ。
ゲーリーもギリギリで踏みとどまり中日も優勝した。外国人枠2名でしたし。皮肉にも郭源治は翌年日本人となった(友人や著名人の反対を押し切り帰化した)
ブライアントを二軍でくすぶらせ???いやブライアントの出来が悪いからずっと2軍だったんでしょ。
森さんは、今年の巨人とホークスのOB戦で、偶然のホームランより必然のバントを、と言っていた。
おそらく、この試合を未だに痛恨に思っているのでしょうね。
しかし、偶然のホームランを使う仰木さんだから、このブライアントの4打数連続ホームランが生まれた。
たしかに、必然のバントの方が、勝つ確率は高い。
しかし、野球のダイナミズムを分かっていたのは、仰木さんでしょうね。
野茂さんや、イチローさんも、仰木さんとの出会いが、メジャーリーガーとしての活躍を生んだのでしょうね。
この頃がパリーグの全盛期。
今の方が全盛期ですよ?
パリーグがセリーグを超えたのが88年。
この翌日にロッテオリオンズがオリックスを5-3で破り、近鉄をナイスアシストしましたね。
1988年は近鉄の優勝を阻止したロッテでしたが、1989年は逆に近鉄の優勝をアシストしましたね。
この年の西武は、ダイエー戦の8点リードをひっくり返されたように、安定しなかったですね。
そうそうww
ベース・ボールはUSAからきたもんや、何故あるかさないんや。森はボールぎみに入れといいながら、伊東はアウトコース高めにかまえて久信は力まかせにインコース高め。打たれて当たり前。監督が悪い。
ヨーツベ
ブライアントは高めの球に弱いというデータがあったからでしょう。
これは誰が悪いとかではなく、打ったブライアントが凄かった。
リベラは元ボクサーですよ
プエルト・リコのアマチュアの王者だったらしいねw。
リベラのボクシング戦績ですが、20戦無敗15KOの実績だったらしいです。
第一試合と第二試合の客の入れ替え早いんだな・・・
入れ替えとかはないよ
料金は1試合分で2試合みれるよ
最近ダブルヘッダーないから知らんひと多いけど
2:33にこの年の日本シリーズ第3戦で言ってしまった加藤投手が…
でも、巨人は間違いなくこの年の西武やオリックスより弱かったですね~
ちなみに加藤投手はロッテが苦手だったそうです
巨人は弱いと言って勝ったのは1976だか77年の阪急福本豊だけだw 近鉄やロッテもうちと3連戦やれば1つは勝てるといって王貞治激怒。急〇〇〇●●●〇巨 で巨人を倒すw(ってかぎりぎりかよw)
めっパって何?
岩花祐汰 様!
「めっパ」ではなく「熱パ」です。
当時のレベルの高い優勝争いをこう呼んでました。
困った
ブラボー
ブライアント〝ゾーン〟に入った〜。
村本信行 でもその試合後肩を脱臼する。
最近のペナントレースは1988年の10.19や1989年のダブルヘッダーみたいなドラマはないですからね
逆に1980年代後半のパリーグは最後まで分からなかったですからね
パリーグは1980年代前半まではペナントレースを前期後期で分け、最後に前期後期優勝チームでプレーオフしてましたから、クライマックスシリーズは否定しません
1973-1982は前後期、1983-1985は首位とのゲーム差が5以下ならプレーオフだったらしいお(83-85は西武、阪急、西武独走のため実施されず)
いてこませ西武