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とても興味深い歴史解説動画をありがとうございます✨プチトリアノンと王妃の村里だけにスポットを当てるというikkoさんのセンスが抜群に好きです❤
いつも温かいコメントをいただき、ありがとうございます。なかなか動画が出せない焦りと、沢山考えが出てきてうまくまとまらなかったのとでかなり苦しい日々でしたので、とても嬉しいお言葉でした。これからも精進してまいります❣️
ikkoさん、こんにちは。動画配信嬉しいです。😊プチ・トリアノンと王妃の村里からマリー・アントワネットを思うなんて素敵ですね。12のどんな人?からマリー・アントワネットを思うと上品で、きれい好きで、無邪気な愛らしい普通の女の子だったような・・・。もしも、上の上のお姉さんが亡くならなかったら、彼女は何処の国へ嫁いでいったのかなぁ?フランス革命はその周辺の国々にも大きく影響を与えていったから、また違った悲劇に翻弄されていたかもしれない。断頭台に消えた王妃なのに、造られたとはいえ、あまりにのどかな村里の風景になんだか王妃の明るい声が今にも聞こえてくるような気がします。🦆🦆
いつも温かいコメントをありがとうございます。マリー・アントワネットほど様々な憶測で人物像を語られる王妃もいません。でも一つ一つを追っていくと本当に可愛らしい女の人で、気の毒になる身の上だったなぁと思うのです。しかし最期まで王妃としての矜持を失わず、弁解も命乞いもせず、堂々と断頭台へ向かったのは肝が座っていなければできなかったことだと思います。義妹に宛てた最期の手紙でも愚痴らしいことは何も書かず、ただ愛情深い言葉で残される義妹と子どもたちへの思いを綴っています。本当に胸が痛くなります。
ベルばらのRUclips見ていて、こちらの動画にいきつきました。本当にマリーアントワネットって、生まれた時から、この運命が決まっていたとしか思えないのです。歴史に、もし、たらは、意味のない事ですが、マリーが本当はフランスではなくて、当初の通りの国にお輿入れしていたら?ちなみにすぐ上の姉はマリーと違ってとても優秀で彼女がフランスに行ってたら、革命が起こらなかったんでは・・という意見もありますが。ルイ16世も本来は国王じゃない3男くらいだと聞いたことがあります。(上2人が死去したとか?)ルイに公式妾姫がいたら、ポリニャックなんかにあわなかったら、革命時は特に、あの有名なヴァレンヌ逃亡の際、フェルゼンが最後まで同行していたら、またその当時、彼女の実家のハプスブルク家は何一つしてくれなかったようだけど、その当時母のマリアテレジアや(親しかった)長男の兄が生きていたら、何とか助け出してくれたかもしれない。逃亡計画は何個もあったと聞いています。しかし全て失敗したようですね。歴史は勝者によって作られます。特に(今ならまだしも)その当時は何の証拠も残せないのでただ人の口が全てです。そういう意味で、今でこそいろいろ知られるようになったけれど、当初は、マリーは、民衆の生活も顧みず、金満の極悪人というレッテルが張られていたと聞いています。革命家にとってはその方が都合がいいから。彼女は革命のスケープゴートだと思っています。少なくとも、いろいろ伝えられるエピソードからは、彼女は軽率ではあるけれど、とても純粋な優しい平凡な女性であったと思います。フランスの財政危機は、マリーが嫁ぐかなり前から始まっていたと聞いています。その原因は、戦費とベルサイユ宮殿の維持費等、フランスの国家予算のわずか6%が王室が使える金額で、マリーの裁量で使えるのはその中の数パーセント、一個人が国家を破綻させるなんて無理だと。それにマリーの贅沢ってその当時の王たちにとっては、普通の贅沢だったと思っています。すなわち歴代のフランス王家の負の遺産を、全てルイ16世とマリーが負ってしまったと。その上、その当時流行したのがルソーの啓蒙思想に、やってこなくてもいいのに来てしまった飢饉。全てが破滅の革命の方向に向かっているとしか思えないのです。多分ちょうどこのフランス革命を境に、人類が近代化に行く過渡期だったと思います。そういう意味で、彼女は神様に選ばれてしまったのかな?と思う人生です。ikkoさんはマリーは断頭台に送られるようなことはしていない・・とおっしゃっていましたが、いつだったか?確かフランス革命200年だったから1989年だったと思うけど、フランス人に”マリーの死刑は妥当か?”みたいなアンケートとったら、殆どの人が”NO"と答えたと何かの記事で読みました。私はマリーアントワネットという人が(ルイ16世もフェルゼンも)好きです。
長いコメントをいただき大変嬉しいです。どうもありがとうございました。フランスの歴史やマリー・アントワネットについて、ご興味を持ってお調べになっているのがよく分かります。そしてご意見やお考えはとても共感できます。王妃は「革命のスケープゴートだった」という言葉が響きました。革命時には多くのドラマティックな出来事がありましたが、私が特に胸が苦しくなるのはタンプル塔で亡くなったルイ・シャルル(ルイ17世)のことです。この小さな命に対する当時の革命政府のとった非道な仕打ちは悲しすぎて語れません。。。この動画ではマリー・アントワネットについてまだまだ完全に語れていないと思いますが、これが小さなきっかけとなり、視聴者様に興味を持っていただけたらいいなぁと思って作りました。
とても興味深い歴史解説動画をありがとうございます✨
プチトリアノンと王妃の村里だけにスポットを当てるというikkoさんのセンスが抜群に好きです❤
いつも温かいコメントをいただき、ありがとうございます。
なかなか動画が出せない焦りと、沢山考えが出てきてうまくまとまらなかったのとでかなり苦しい日々でしたので、とても嬉しいお言葉でした。これからも精進してまいります❣️
ikkoさん、こんにちは。動画配信嬉しいです。😊プチ・トリアノンと王妃の村里からマリー・アントワネットを思うなんて素敵ですね。12のどんな人?からマリー・アントワネットを思うと上品で、きれい好きで、無邪気な愛らしい普通の女の子だったような・・・。もしも、上の上のお姉さんが亡くならなかったら、彼女は何処の国へ嫁いでいったのかなぁ?フランス革命はその周辺の国々にも大きく影響を与えていったから、また違った悲劇に翻弄されていたかもしれない。断頭台に消えた王妃なのに、造られたとはいえ、あまりにのどかな村里の風景になんだか王妃の明るい声が今にも聞こえてくるような気がします。🦆🦆
いつも温かいコメントをありがとうございます。
マリー・アントワネットほど様々な憶測で人物像を語られる王妃もいません。でも一つ一つを追っていくと本当に可愛らしい女の人で、気の毒になる身の上だったなぁと思うのです。
しかし最期まで王妃としての矜持を失わず、弁解も命乞いもせず、堂々と断頭台へ向かったのは肝が座っていなければできなかったことだと思います。義妹に宛てた最期の手紙でも愚痴らしいことは何も書かず、ただ愛情深い言葉で残される義妹と子どもたちへの思いを綴っています。本当に胸が痛くなります。
ベルばらのRUclips見ていて、こちらの動画にいきつきました。本当にマリーアントワネットって、生まれた時から、この運命が決まっていたとしか思えないのです。
歴史に、もし、たらは、意味のない事ですが、マリーが本当はフランスではなくて、当初の通りの国にお輿入れしていたら?ちなみにすぐ上の姉はマリーと違って
とても優秀で彼女がフランスに行ってたら、革命が起こらなかったんでは・・という意見もありますが。ルイ16世も本来は国王じゃない3男くらいだと聞いたことがあります。
(上2人が死去したとか?)ルイに公式妾姫がいたら、ポリニャックなんかにあわなかったら、革命時は特に、あの有名なヴァレンヌ逃亡の際、フェルゼンが最後まで同行していたら、
またその当時、彼女の実家のハプスブルク家は何一つしてくれなかったようだけど、その当時母のマリアテレジアや(親しかった)長男の兄が生きていたら、何とか助け出してくれたかもしれない。逃亡計画は何個もあったと聞いています。しかし全て失敗したようですね。歴史は勝者によって作られます。特に(今ならまだしも)その当時は何の証拠も残せないので
ただ人の口が全てです。そういう意味で、今でこそいろいろ知られるようになったけれど、当初は、マリーは、民衆の生活も顧みず、金満の極悪人というレッテルが張られていたと聞いています。革命家にとってはその方が都合がいいから。彼女は革命のスケープゴートだと思っています。少なくとも、いろいろ伝えられるエピソードからは、彼女は軽率ではあるけれど、とても純粋な優しい平凡な女性であったと思います。フランスの財政危機は、マリーが嫁ぐかなり前から始まっていたと聞いています。その原因は、戦費とベルサイユ宮殿の維持費等、フランスの国家予算のわずか6%が王室が使える金額で、マリーの裁量で使えるのはその中の数パーセント、一個人が国家を破綻させるなんて無理だと。それにマリーの贅沢ってその当時の王たちにとっては、普通の贅沢だったと思っています。すなわち歴代のフランス王家の負の遺産を、全てルイ16世とマリーが負ってしまったと。その上、その当時流行したのがルソーの啓蒙思想に、やってこなくてもいいのに来てしまった飢饉。全てが破滅の革命の方向に向かっているとしか思えないのです。多分ちょうどこのフランス革命を境に、人類が近代化に行く過渡期だったと思います。そういう意味で、彼女は神様に選ばれてしまったのかな?と思う人生です。ikkoさんはマリーは断頭台に送られるようなことはしていない・・とおっしゃっていましたが、いつだったか?確かフランス革命200年だったから1989年だったと思うけど、フランス人に”マリーの死刑は妥当か?”みたいなアンケートとったら、殆どの人が
”NO"と答えたと何かの記事で読みました。私はマリーアントワネットという人が(ルイ16世もフェルゼンも)好きです。
長いコメントをいただき大変嬉しいです。どうもありがとうございました。
フランスの歴史やマリー・アントワネットについて、ご興味を持ってお調べになっているのがよく分かります。そしてご意見やお考えはとても共感できます。
王妃は「革命のスケープゴートだった」という言葉が響きました。
革命時には多くのドラマティックな出来事がありましたが、私が特に胸が苦しくなるのはタンプル塔で亡くなったルイ・シャルル(ルイ17世)のことです。
この小さな命に対する当時の革命政府のとった非道な仕打ちは悲しすぎて語れません。。。
この動画ではマリー・アントワネットについてまだまだ完全に語れていないと思いますが、これが小さなきっかけとなり、視聴者様に興味を持っていただけたらいいなぁと思って作りました。