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関西の片田舎の実家で少なくとも曽祖父の代から伝わっている正月お節のメニューは「煮豆/数の子/たたき牛蒡/梅干/ごまめ/棒鱈/蒟蒻」です。これを「豆で数とってたたき牛蒡で皺の寄るまで祝いましょう/ごまめもととまじり棒鱈も酒の肴/蒟蒻」と唱えながら1品づつその順番で食べる、というのが作法でした。「皺」が梅干しを指していたりと雅な表現で全ての品が台詞調で綴られているのに、最後に「蒟蒻」だけ取って付けたようにくっ付いているのもこれまた意味不明で、米寿に近い母が嫁いできた時に教え込まれ、祖父母も曾祖父母も「意味はワカラン」だったそうですwとても地味ぃ~ですし、海老や鯛や栗きんとんなんて上京するまで見たことも無かったです。そもそも正月の間くらいは女衆を料理の労から解放してあげよう、というのがコンセプトだから日持ちがするものばかりになっている、と教えられました。実家に居た頃を思い出すと、調理は母がしてましたが、食材の調達は父や祖父ら男衆が中心になってたのを覚えています。
手のひら大の真鮒を素焼きしてあらめ(昆布)で煮崩れしないようちまき風に巻いて大鍋に詰め込み、醬油、砂糖、酒、水、みりん等を入れ、かんてき七輪で6時間以上コトコト炊いて煮詰めて出来上がり。お頭丸ごと中骨丸ごと もう一度食べた~い・・・60年程以前母の故郷岐阜県で味わったあの味、今では味わうことが出来なくなりました。
明けましておめでとうございます。昔の新潟県南魚沼市では餅と新米と蕎麦と鮭後は甘酒やあんこですが砂糖は貴重で甘くないあんこで新年を迎えてました。つい昭和中期までこんな正月でしたね!何でもある良い時代になりました。雑煮も野菜ばかりですが塩サケの尻尾と頭でしょっぱい雑煮でした。
私も南魚沼市ですが違いますねぇ😮貝柱と鮭の出汁のきいたノッペ(母は国生と呼んでた)鮭の氷頭の 入ったなます、いずれもトト豆と呼んでたイクラがたっぷりは年越しならではで毎年楽しみでした商人だったためか新しい年来い(鯉)古い年飛んでいけ、と鯉こくと鳥の料理は必ずついてました
@@tomokosakuno1154 そういえば、年越しの鯉こくありましたね。秋のたながえで鯉を深い棚に移すときに選別してました。黒鯉のちょうどいいサイズを選んでましたね!懐かしいです。
初コメントです。江戸の武家は鶴を食ってたと曽祖父(幕臣)から伝え聞いてます。因みに正月2日の日には神君、家康公の若き日の苦労を偲んでとろろを食べるのが習わしとか。
雑煮餅噛み切れずとも歯切れ善し❤今年もどうぞ、よろしくお願い致します🙇✨
豪華なお正月料理よりも質素でも縁起物や自然の恵みを感謝していただく日本人の心は大切にしていきたいと思いました。餅、雑煮おいしいです。ほーりーさんの動画、楽しく見ています。ありがとうございます。今年も健康で良い年になりますようお祈りしています。
ほーりー様、明けましておめでとうございます!今年も素敵な一年になりますように✨どうぞよろしくお願いいたします!
今回は「正月」にふさわしいお話でためになりました。私の好きな黒豆は江戸時代からあったのですね😊!
はじめの曲と堀口さんのポーズ好き😊
明けましておめでとうございます。本年も素敵な配信を楽しみにしてます☺里芋と青菜の雑煮、かつて生家で出された雑煮そのものです(笑) 我が家では将軍家と同じく切り昆布も添えてました(笑)牛蒡の名産地だった「滝野川」大学時代の下宿があった場所で少し懐かしくなりました。滝野川は東京の巣鴨と板橋に挟まれた地区です。江戸時代、遠いようで意外と近い時代なのかも☺
ほーりーさん、スタッフさん、あけましておめでとうございます江戸のおせちやお雑煮のような地味ながらも深い味わいの動画を今年も楽しみにしています
以外にシンプルなお雑煮でしたが、野菜たっぷりで美味しそう!ちなみに徳川家インスパイアでウサギ肉のお雑煮を作っているRUclipsrがいました。最近、テレビでも活躍してる野食ハンター茸本さんです。昔に松平の時に信州に行ってウサギ肉を振る舞って貰って飢えをしのいだとか…まあ、旨そうでした😊
明けましておめでとうございます🐍お身体に気を付けて頑張って下さい!今年も楽しみにしています🎵
開けおめです⛩今年の正月料理は、まさにコレでした😂
ほとんど語呂合わせww明けましておめでとうございます🎍いつも楽しみにしています。今年はお餅をたくさん買ってしまって、何か工夫して飽きないように食べようと思ってます。
江戸のお雑煮はサトイモが入るんですね,初めて知りました.今の東京(関東一般に)の伝統的?な雑煮にはあまり使わないような気がします.転勤でいった中部や近畿地方ではサトイモ君が使われていました.
東日本出身なので、実家では江戸風に近い雑煮を食べていました。しかし、学生時代を京都で過ごし、京都の白味噌雑煮の美味しさに目覚めました。甘くてとろりとした汁に最初は違和感がありましたが、お汁粉のようなもの、と捉えてみるとこれが本当に美味しくて大好きになりました。おせちを肴に酒を飲んで、締め兼デザートとして甘い白味噌雑煮を頂く。これが最高です。
ほーりーさんの動画を見てたら江戸の風俗は良くわかっていいんだけど、私にはあと一つ「**と上方、いいね」のチャンネルが欲しいな。江戸の澄まし仕立ての雑煮と味噌仕立ての上方の雑煮などの正月料理を知りたいし。
あけましておめでとうございます。油断してました。今日の配信はないものと高をくくっておりました。動画ありがとうございます。おせちにお雑煮、まさにこのタイミングですよね。お餅を含めてそろそろ飽きがきていたのですが、三が日の締めとして今夜はお雑煮食べることにしました。ほーりーさん、今年も配信楽しみにしていますね。
あけましておめでとうございます今年もかわいい。地味だけれど今もぜいたくなメニューですよね!
江戸時代坂東のみなさまの歴史、個人的には坂東こそあったかくておだやかでほんわかします🌅
新年御慶ちょうどこの正月、おせちを食べながら、おせち料理の起源はなんだろう?「お江戸いいね」で取り上げてくれないかなぁと思ったところなので、願いがかないうれしいです😂確かに地味だけどそれぞれに意味があって素晴らしいですね👍 お雑煮も地味だけど美味しそう🤤早速作ってみます☺️今年も「」を楽しみにしています‼️
小さい時に真鶴の母方の祖父母の家では雑煮はすまし汁と白菜と餅だけでしたが、かっての殿様が,正月であっても質素であるべきを通したから庶民もそうしたと祖母に聞きました。
ふむw。確かに子供の頃は地味だと思っていた。今年痛烈に感じたの「滋味」だと。その理由を沢山書き込みたいけど、90になる父親を抱えてちょっと忙しいので、本当に感謝致します。今後に指針になるので、動画を保存しました。先生の動画をこれからさらに掘り下げようと思います。良かった。先生をブックマークしていて。
明けましておめでとうございます、私は里芋と鶏肉は絶対で大根、人参、椎茸、蒲鉾にほうれん草と具沢山で大晦日に作ってます😊
江戸時代からのお雑煮…現代とかなり通じるところがあるんですね……江戸庶民が正月三日に普通に食べてたんですね……。😊倅が餅を食べないので親としては「どうしたものか」と毎年悩みますが仕方ないですね。私は、雑煮もおせち料理も大好きで毎年、沢山食べるのでウエイト増加で困ってます。😅(笑)
ほーりー様、明けましておめでとうございます。🙇
ほーりーさんあけましておめでとうございますXのほうで時々コメントありがとうございます初めて視聴させていただきました🙇♂
明けましておめでとうございます🎉
お雑煮、大好きです!
噛み切れないの可愛い笑 将軍様もあれぐらい質素と言う事は、お雑煮はあれが完成形なのかも!
愛知県出身ですがお雑煮は、澄まし汁に具材は餅菜(小松菜のようなもの)くらいで焼かない角餅の超シンプルなものでしたから三河出身の将軍家もこれに似たようなものだったのだと思います。
ハゼを出汁にしたお雑煮もありますね夏場に釣って干しておく。
ハゼの甘露煮は聞いたことありますが、干して出汁に使うとは知りませんでした。
旧暦だと節分は大晦日の行事だから、前日撒いた豆を回収して四の重の煮豆にしてたんですかね。
あけましておめでとうございます将軍のお雑煮で鰹節と昆布って直接入れるんですか?出汁ではなくて・・・?お雑煮って その土地によって入れるものが違うんですよね岡山だとブリを入れるそうです
少子化日本🇯🇵をおせちから考えさせられます😊ニシンも二親から生まれ育つ子孫繁栄🤗
正月は仕事もしないし、お店もやってないので、大晦日までに日持ちのする物を多めに作っておく、という認識がありました。
喉に餅が詰まってもおかしくない食べ方に見えました。お気をつけて😅
餅、真っ白だったんですかね? みんな白米食べてたの?
確かに今のおせち料理と比較すれば地味ですが、江戸時代は高級料亭が何軒も営業していたとのこと。高級料亭では現代と遜色ないものを作っていても良さそうですが。それとも元日から初売りをしているスーパー等と異なり年末年始はお休みしていて(他の節句はともかく正月は)おせち料理を出すことはあり得なかったのですか?
将軍様は冷えたお雑煮をたべていたのだろうか
お餅大好きで一年中お餅を食べていますが、江戸時代のお雑煮はごちそうに見えないですね。飽きるのもわかる。お正月を過ぎたら、コンビニチェーンによって捏造された歴史「恵方巻」に触れてほしいです。どこを探しても江戸時代の記録にはないと思いますが。
楽しいですね!つまんないことですが…いわゆる江戸時代って260年くらいあるじゃないですか、1603年の江戸時代と1800年の江戸時代では、だいぶ違うと思うのですが、ほーりーさんの「江戸」はいつ頃ですか?…今さらm(__)m
ダイダイとミカン違うんだ
江戸時代の文献では、「黒豆」という呼称はまず極めて稀で、代わりに「坐禅豆」「開豆」と呼ばれています。また江戸時代の歳時記には、「まめまめしく働けるように」という理由付けは見当たりません。
お餅は頬張らない方がいいかも😱
バッグのミュージックが邪魔で落ち着きません。せっかくの話が聞きにくいかも。
おいおい、江戸っ子だったら将軍様のお食事を「頂く」とか言っちゃいけねーや。そこは「召し上がる」てえもんだ。動画はためになったけどな!
おめでとう。また今年も空想が楽しみです。
関西の片田舎の実家で少なくとも曽祖父の代から伝わっている正月お節のメニューは
「煮豆/数の子/たたき牛蒡/梅干/ごまめ/棒鱈/蒟蒻」です。これを
「豆で数とってたたき牛蒡で皺の寄るまで祝いましょう/ごまめもととまじり棒鱈も酒の肴/蒟蒻」
と唱えながら1品づつその順番で食べる、というのが作法でした。
「皺」が梅干しを指していたりと雅な表現で全ての品が台詞調で綴られているのに、最後に「蒟蒻」だけ取って付けたようにくっ付いているのもこれまた意味不明で、米寿に近い母が嫁いできた時に教え込まれ、祖父母も曾祖父母も「意味はワカラン」だったそうですw
とても地味ぃ~ですし、海老や鯛や栗きんとんなんて上京するまで見たことも無かったです。そもそも正月の間くらいは女衆を料理の労から解放してあげよう、というのがコンセプトだから日持ちがするものばかりになっている、と教えられました。実家に居た頃を思い出すと、調理は母がしてましたが、食材の調達は父や祖父ら男衆が中心になってたのを覚えています。
手のひら大の真鮒を素焼きしてあらめ(昆布)で煮崩れしないようちまき風に巻いて大鍋に詰め込み、醬油、砂糖、酒、水、みりん等を入れ、かんてき七輪で6時間以上コトコト炊いて煮詰めて出来上がり。お頭丸ごと中骨丸ごと もう一度食べた~い・・・60年程以前母の故郷岐阜県で味わったあの味、今では味わうことが出来なくなりました。
明けましておめでとうございます。昔の新潟県南魚沼市では餅と新米と蕎麦と鮭後は甘酒やあんこですが砂糖は貴重で甘くないあんこで新年を迎えてました。つい昭和中期までこんな正月でしたね!何でもある良い時代になりました。雑煮も野菜ばかりですが塩サケの尻尾と頭でしょっぱい雑煮でした。
私も南魚沼市ですが違いますねぇ😮
貝柱と鮭の出汁のきいたノッペ(母は国生と呼んでた)鮭の氷頭の
入ったなます、いずれもトト豆と呼んでたイクラがたっぷりは年越しならではで毎年楽しみでした
商人だったためか新しい年来い(鯉)古い年飛んでいけ、と鯉こくと鳥の料理は必ずついてました
@@tomokosakuno1154 そういえば、年越しの鯉こくありましたね。秋のたながえで鯉を深い棚に移すときに選別してました。黒鯉のちょうどいいサイズを選んでましたね!懐かしいです。
初コメントです。
江戸の武家は
鶴を食ってたと
曽祖父(幕臣)
から伝え聞いてます。
因みに正月2日の日には
神君、家康公の
若き日の苦労を偲んで
とろろを食べるのが習わしとか。
雑煮餅
噛み切れずとも
歯切れ善し❤
今年もどうぞ、よろしくお願い致します🙇✨
豪華なお正月料理よりも質素でも縁起物や自然の恵みを感謝していただく日本人の心は大切にしていきたいと思いました。餅、雑煮おいしいです。ほーりーさんの動画、楽しく見ています。ありがとうございます。今年も健康で良い年になりますようお祈りしています。
ほーりー様、明けましておめでとうございます!今年も素敵な一年になりますように✨どうぞよろしくお願いいたします!
今回は「正月」にふさわしいお話でためになりました。私の好きな黒豆は江戸時代からあったのですね😊!
はじめの曲と堀口さんのポーズ好き😊
明けましておめでとうございます。本年も素敵な配信を楽しみにしてます☺
里芋と青菜の雑煮、かつて生家で出された雑煮そのものです(笑) 我が家では将軍家と同じく切り昆布も添えてました(笑)
牛蒡の名産地だった「滝野川」大学時代の下宿があった場所で少し懐かしくなりました。滝野川は東京の巣鴨と板橋に挟まれた地区です。
江戸時代、遠いようで意外と近い時代なのかも☺
ほーりーさん、スタッフさん、あけましておめでとうございます
江戸のおせちやお雑煮のような地味ながらも深い味わいの動画を今年も楽しみにしています
以外にシンプルなお雑煮でしたが、野菜たっぷりで美味しそう!ちなみに徳川家インスパイアでウサギ肉のお雑煮を作っているRUclipsrがいました。最近、テレビでも活躍してる野食ハンター茸本さんです。昔に松平の時に信州に行ってウサギ肉を振る舞って貰って飢えをしのいだとか…まあ、旨そうでした😊
明けましておめでとうございます🐍
お身体に気を付けて頑張って下さい!
今年も楽しみにしています🎵
開けおめです⛩
今年の正月料理は、まさにコレでした😂
ほとんど語呂合わせww
明けましておめでとうございます🎍
いつも楽しみにしています。
今年はお餅をたくさん買ってしまって、何か工夫して飽きないように食べようと思ってます。
江戸のお雑煮はサトイモが入るんですね,初めて知りました.今の東京(関東一般に)の伝統的?な雑煮にはあまり使わないような気がします.
転勤でいった中部や近畿地方ではサトイモ君が使われていました.
東日本出身なので、実家では江戸風に近い雑煮を食べていました。
しかし、学生時代を京都で過ごし、京都の白味噌雑煮の美味しさに目覚めました。甘くてとろりとした汁に最初は違和感がありましたが、お汁粉のようなもの、と捉えてみるとこれが本当に美味しくて大好きになりました。
おせちを肴に酒を飲んで、締め兼デザートとして甘い白味噌雑煮を頂く。これが最高です。
ほーりーさんの動画を見てたら江戸の風俗は良くわかっていいんだけど、私にはあと一つ「**と上方、いいね」のチャンネルが欲しいな。
江戸の澄まし仕立ての雑煮と味噌仕立ての上方の雑煮などの正月料理を知りたいし。
あけましておめでとうございます。油断してました。今日の配信はないものと高をくくっておりました。動画ありがとうございます。おせちにお雑煮、まさにこのタイミングですよね。お餅を含めてそろそろ飽きがきていたのですが、三が日の締めとして今夜はお雑煮食べることにしました。
ほーりーさん、今年も配信楽しみにしていますね。
あけましておめでとうございます今年もかわいい。地味だけれど今もぜいたくなメニューですよね!
江戸時代
坂東のみなさまの歴史、個人的には坂東こそあったかくておだやかでほんわかします🌅
新年御慶
ちょうどこの正月、おせちを食べながら、おせち料理の起源はなんだろう?「お江戸いいね」で取り上げてくれないかなぁと思ったところなので、願いがかないうれしいです😂
確かに地味だけどそれぞれに意味があって素晴らしいですね👍
お雑煮も地味だけど美味しそう🤤早速作ってみます☺️
今年も「」を楽しみにしています‼️
小さい時に真鶴の母方の祖父母の家では雑煮はすまし汁と白菜と餅だけでしたが、かっての殿様が,正月であっても質素であるべきを通したから庶民もそうしたと祖母に聞きました。
ふむw。確かに子供の頃は地味だと思っていた。
今年痛烈に感じたの「滋味」だと。
その理由を沢山書き込みたいけど、90になる父親を抱えてちょっと忙しいので、
本当に感謝致します。今後に指針になるので、動画を保存しました。先生の動画をこれからさらに掘り下げようと思います。良かった。先生をブックマークしていて。
明けましておめでとうございます、私は里芋と鶏肉は
絶対で大根、人参、椎茸、蒲鉾にほうれん草と具沢山で大晦日に作ってます😊
江戸時代からのお雑煮…現代とかなり通じるところがあるんですね……江戸庶民が正月三日に普通に食べてたんですね……。😊
倅が餅を食べないので親としては「どうしたものか」と毎年悩みますが仕方ないですね。
私は、雑煮もおせち料理も大好きで毎年、沢山食べるのでウエイト増加で困ってます。😅(笑)
ほーりー様、明けましておめでとうございます。🙇
ほーりーさん
あけましておめでとうございます
Xのほうで時々コメントありがとうございます
初めて視聴させていただきました🙇♂
明けましておめでとうございます🎉
お雑煮、大好きです!
噛み切れないの可愛い笑 将軍様もあれぐらい質素と言う事は、お雑煮はあれが完成形なのかも!
愛知県出身ですがお雑煮は、澄まし汁に具材は餅菜(小松菜のようなもの)くらいで焼かない角餅の超シンプルなものでしたから
三河出身の将軍家もこれに似たようなものだったのだと思います。
ハゼを出汁にしたお雑煮もありますね夏場に釣って干しておく。
ハゼの甘露煮は聞いたことありますが、干して出汁に使うとは知りませんでした。
旧暦だと節分は大晦日の行事だから、前日撒いた豆を回収して四の重の煮豆にしてたんですかね。
あけましておめでとうございます
将軍のお雑煮で
鰹節と昆布って直接入れるんですか?
出汁ではなくて・・・?
お雑煮って その土地によって
入れるものが違うんですよね
岡山だとブリを入れるそうです
少子化日本🇯🇵をおせちから考えさせられます😊ニシンも二親から生まれ育つ子孫繁栄🤗
正月は仕事もしないし、お店もやってないので、大晦日までに日持ちのする物を多めに作っておく、という認識がありました。
喉に餅が詰まってもおかしくない食べ方に見えました。お気をつけて😅
餅、真っ白だったんですかね? みんな白米食べてたの?
確かに今のおせち料理と比較すれば地味ですが、江戸時代は高級料亭が何軒も営業していたとのこと。高級料亭では現代と遜色ないものを作っていても良さそうですが。それとも元日から初売りをしているスーパー等と異なり年末年始はお休みしていて(他の節句はともかく正月は)おせち料理を出すことはあり得なかったのですか?
将軍様は冷えたお雑煮をたべていたのだろうか
お餅大好きで一年中お餅を食べていますが、江戸時代のお雑煮はごちそうに見えないですね。飽きるのもわかる。
お正月を過ぎたら、コンビニチェーンによって捏造された歴史「恵方巻」に触れてほしいです。どこを探しても江戸時代の記録にはないと思いますが。
楽しいですね!
つまんないことですが…
いわゆる江戸時代って260年くらいあるじゃないですか、1603年の江戸時代と1800年の江戸時代では、だいぶ違うと思うのですが、ほーりーさんの「江戸」はいつ頃ですか?…今さらm(__)m
ダイダイとミカン違うんだ
江戸時代の文献では、「黒豆」という呼称はまず極めて稀で、代わりに「坐禅豆」「開豆」と呼ばれています。また江戸時代の歳時記には、「まめまめしく働けるように」という理由付けは見当たりません。
お餅は頬張らない方がいいかも😱
バッグのミュージックが邪魔で落ち着きません。せっかくの話が聞きにくいかも。
おいおい、江戸っ子だったら将軍様のお食事を「頂く」とか言っちゃいけねーや。
そこは「召し上がる」てえもんだ。
動画はためになったけどな!
おめでとう。また今年も空想が楽しみです。