【命の記憶】出征直前 母の手料理を… 駆逐艦に乗った元少年兵 93歳の戦争体験 『every.特集』
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- Опубликовано: 14 авг 2023
- 『アメリカのパイロットの顔が突っ込んでくるのが見えた』と話す。
元少年兵の髙瀬秋治(たかせあきじ)さん、93歳。
『戦争に行くことが当たり前で行かない人間はダメというような世の中だった』
群馬県で生まれ育った髙瀬さんは、中学生のとき両親に黙って願書を提出、海軍の少年兵に。
髙瀬さんは親元を離れ昭和19年2月、軍艦の乗組員を養成する学校に入った。
神奈川県・横須賀市。現在は防衛関連の施設などになっている学校の跡地を訪ねた。
学校では、音で海中の潜水艦を探す訓練などを受ける中、
成績が悪かったり注意を受けたりすると様々な制裁が待っていたそう。
中でも特に痛いのが「バッター」と呼ばれた罰。
『廊下の柱を持ってこうして尻を出す。そうすると3本とか』
固くて太い木の棒で尻を勢いよくたたかれるバッター。
訓練の厳しさから、自殺者が出ることもあったという。
学校を卒業したあと、駆逐艦「春風」に乗り込むことになった髙瀬さん。
現在も海上自衛隊の基地などがある長崎県佐世保の港の岸壁で
初めて「春風」を見たとき、驚きを隠せなかったそう。
『ケガだらけの船、赤くさびていて…これに乗るのかと』
春風はそれまでの戦いで傷だらけの状態だった。
昭和20年6月になると戦局は悪化。
佐世保港はたびたび航空機による攻撃を受け、髙瀬さんも戦闘を経験した。
役割は機関銃の弾運び。
銃撃を加えてくる米軍の戦闘機に「春風」も機関砲で反撃。
「アメリカのパイロットの顔が突っ込んでくるのが見えた」と話す髙瀬さん
「この野郎!なにくそ」っていう気持ちだったという。
1200人以上が犠牲になったアメリカ軍による佐世保空襲も「春風」から目撃。
双眼鏡を向けると逃げ惑う人たちが見えたが、どうすることもできなかった。
髙瀬さんが戦争を体験した場所を一緒に訪れた孫のさやかさんは…
『戦闘のときの思い、空襲を見ていたときの思い、よりわかるような気がする』
昭和20年8月。日本は敗戦。故郷に戻ると両親は大変喜んだという。
ただ、4人の兄のうち2人が戦死。髙瀬さんと同じ学校で訓練を受けた同郷の青木さんも
卒業直後に戦死していた。第2次世界大戦で日本の犠牲者はおよそ310万人。
数多くの人が家族を失った。
終戦から78年。髙瀬さんは『安心できる静かな世界が望ましい』と話す。
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93歳、高橋さん元気でこれからも長生きしてほしいです😢
学生時代に老人ホームでバイトしていました。
そこの施設でもアメリカ軍のパイロットの顔が見えたというお婆さんがいました。
話を聞くと、空襲警報がなってしばらくした時、戦闘機(本人はB29といってましたが)が機銃掃射をする為に降下してきて、殺されると思った時、パイロットが左手で「逃げろ!」というような合図をしながら一発も発砲されなかったそうです。
この話はお子さんやお孫さんには話した事がないと仰っていました。
さやかさんのように、こんな小さな話でも自分の中だけに留めるのではなく、その方の戦争体験の話として残したいと思いコメントしました。
こういう記録は残すべきですね、
お孫さんの行動力と高瀬さんのご協力に感謝です👏
お孫さん似てらっしゃいますね😊
辛い思い出を抱えてらっしゃるおじいちゃんに寄り添い平和について考えてらっしゃって素晴らしいお孫さんですね😢
14歳から日本を担ってこられた方々に恥じないような日本国でなくてはならない。
平和教育されてきたけど、間違った平和になってないか考えていく必要がある時代になってる。
努めて笑顔でお話してくださる姿に、返って心のいたみと辛さを感じました。
戦争はくりかえしてはいけない。
あの時代を生きたお方は本当にしっかりされていますね。
私の祖父もシベリア抑留から帰還した1人でしたが、なくなる直前まで真の通った素晴らしい人でした。
93歳でこんなにもハキハキしてるのは凄いなさすが元兵士これからもあの戦争の事を後世に伝え続けて欲しい
ウチのおじいちゃんも海軍で戦争いってました。ガナルカナル島にもいったようです。生きて日本に帰ってきました。75歳で亡くなりました。
高瀬さんの発する言葉の一つ一つに重みを感じました。
駆逐艦春風の証言者か。ご当人は戦中も戦後も葛藤抱えて生きておられたけど、後世へ生きて証言残せるなんて凄いと思うよ。
93歳にしてはすごい若々しくてしっかりしてらっしゃる
さすが元軍人という感じ
ご兄弟みな良い男ですね…カッコいい。
家族、友人との話をされる時、涙をこらえて、話してくださっている…。言葉にしたら、いろいろ思い出すんだろう。
戦争経験者は、起こったことを話して、気持ちを言葉にすることは少ないのに、戦争はだめだ、という気持ちが伝わってくる。
当時の出兵する我が子を送る父母の我が身削られる様な気持ちが身にしみました。涙が出て堪らない!
お爺さんの言う通りです。安心できる静かな世界。。。。
生きててくれてありがとうございます
今の世界最高齢でさえ、終戦時は男性は36歳、女性は38歳。40代の人は地球上どこにもいない。
終戦時41歳だった人が去年まで生きてたけど、もういない。
40代となると軍の上層部にいてもおかしくない人達は既にこの世の人ではないし、元若い兵士たちも減ってきている。映像にできる限り残して欲しい。
うちの祖父と同い年だ。
うちの祖父とは真逆の人なのだなと思いました。
うちの祖父は一般人が徴兵されるくらいじゃ戦争には負けるからと、学徒動員すらサボっていたそうです。
戦時中でも色々な考えの人がいたのだなと思います。
頭の良い方ですね
戦争で、悲しい思いをする人を一人でも少なくする努力を私達がしていかなければならないと痛切に感じました。子供が辛い思いをする事のない世の中にしなくちゃ。
配信感謝致します🙏🏻✨
感謝です
お孫さんの働きかけで証言してくださってありがとうございました。
日本最後の戦争を知る人がもう93歳か・・・。きっと皆忘れていくんだろうな。
めっちゃ関係なくて申し訳ないけど、兄弟含め本人もイケメンすぎんか??
当時の日本人にしてはかなり目鼻立ちくっきりしてますよね。
当時の写真屋さんは写真に加工を施してから現像をしていたそうです
わいの死んだジッジも駆逐艦乗ってた
ラバウルで山本五十六を見たことがあるってのが自慢でしたなー
生前従軍回顧録残してくれた
実家帰るとたまに読んでる
14歳なのに.....春風の証言者なんてすごい貴重やわ....
軍人の方って、今でもしっかりされてある。
14歳で兵士になって厳しい訓練にも耐えてるのに今の俺は怠惰な生活を送ってると痛感した
スマホばっか見てるんか?俺も同じやで
俺も😢
良い娘さんですね。
証言は貴重ですから映像に残すのは良いと思います。
平和な世の中も大切です。
だからこそ、"戦争はダメ"だけではなく、武力の均衡によって平和を維持するという現実的な手法を広める必要があるかと思います。
「戦争がダメ」もなにも、戦争は外国から仕掛けられて、引きずり込まれて起こるもの。仕掛けられないよう、抑止力を堅持すべきです。大東亜戦争はルーズベルト他米国がわが国を締め上げるために引き起こした。「ダメ」なのは彼らだ。
「戦争の記憶、記録を残さないといけない」すごく身に染みる。
わたしの祖父も戦争経験者、父島要塞の守備隊でした。今年で98歳、認知症で今はもうまともな会話が難しいです。
太平洋戦争の話はテレビや映画と違って余りにも酷すぎる話で、当時子供のわたしは聞くに耐えない話で真面に聞かなった事を後悔してます。
あまりにも過酷な環境のなかの敗戦でわたしの祖母祖父以外の親戚はみな自決してしまいました。
幸運にもわたしはイギリスで留学、アメリカの企業に就職、アメリカ人からみた第二次世界大戦の話も聞いています。
アメリカ、日本どちらの国も当時はお互いの国を憎み、恐怖し、そしてたくさんの家族と友人を失いました。わたしも戦争の記憶を語り繋げなければいけないと思う。
とても元気でかっこいいです!
自分の親父は志願で行ったのを子供の時に良く軍隊の話しを聞いた!国防意識が強かつた!
93歳などにめっちゃ元気!
孫きれいだな
14歳の我が子を半年以上見ていなかったら背格好もたくましくなっているだろうしその後戦地に赴くと思うと親としたらそりゃ涙もこぼれるよ
自分の祖父は富士山かどこかで壕を掘っている間に終戦だったとか言ってたな…もっと聞いておけばよかった
ダウンフォール対策か、、?
@@user-ie6vu6zf4k富士山で塹壕…もし起きてたらなかなか激しい戦いになってそう
私も、この方が93歳とは思えません。70代半ばか、せいぜい行っても80歳手前くらいの年齢に見えますね。
高瀬のおじいちゃん達のお陰で、今平穏無事な日本が 有ると言う事を忘れてはいけない
自分だったら無理かも
お母様のお気持ち。お察しいたします。まだ成人していない息子が二度と会えないところに行ってしまうかと思ったら…なんのために産んだのか、愛しい息子と。わたしだったら思ってしまいます
神風型駆逐艦の春風は1944年11月4日にアメリカ潜水艦セイルフィッシュの雷撃を受け艦尾を切断していますが、CGはそれを再現しています。動画を見ると高橋さんは3番12センチ単装砲の前の甲板にあった魚雷発射管を撤去した後に設置された96式25ミリ単装機銃の弾薬運搬員をやっていたと思われます。
家の今亡き お祖父ちゃんの海軍予科練時代の話も
ちゃんと聞いて 残しておくべきだったなあ~。。。
これは正式には「海軍特別年少兵」と言われます。
広島県の私の周りに、級友の父親が、やはり志願しておられました。
その方は、大和の出撃に伴い会敵して、乗艦は沈没して重油の海を泳いだ話をされておられました。
その方は、戦後繊維関係のT社に勤めておられました。
佐世保にいた春風に乗った、となると、調べれば1945年3月に佐世保港に帰投した記録がありました
恐らくその時に乗られたのではないでしょうか
太平洋戦争末期、春風のような旧式駆逐艦は、修繕をしてもボロボロで、とても戦闘をするための艦の姿ではなかったと聞きます
結果的には終戦まで耐え切りはしましたが、ボロボロの艦に命を預けるのは、不安もあったでしょう
今も尚長生きされて、当時のお話を聞かせて頂けるのは、非常に貴重でありがたいことですね
ご苦労様でした😢今の日本があるのは 貴方達のおかげです!お疲れ様でした
人殺しに対してお疲れ様って狂ってる
@@user-is8wt3be4hこの人たちが居なければ
今のあなたは居ないかもしれない
先人方に感謝しなければならない
@@user-is8wt3be4hお前のその思考の方が狂ってるけどな
@@user-is8wt3be4h 別に狂ってはいない。兵士が過酷な戦場から帰還したこと、生きて帰ってきたことに「お疲れ様」と言うのはおかしくない。
あくまでも彼らは仕事を完遂するために人を殺したに過ぎないのだからね。
@@user-is8wt3be4hお前自分の頭が狂ってるのにお気づき?
なんでしょうね..この時代は..
私の父は彼より4歳上で、18で陸軍に招集され、岩手で訓練を受けていて終戦。父の兄は南太平洋の島で戦死している。13年前に亡くなっている。
今の日本を見たら、皆さん悲しいでしょうね…
なんでこんな国になってしまったのかな😢
合掌🙏
イケメン
昨年亡くなった親父は、昭和ニ十年入隊の、海軍特別年少兵で、終戦は
海軍電測学校で迎えてます、親父の
先輩だなぁ~
そのバッターって痛さのレベルは実際それほどの何か効果あるんかな
ある程度痛みに強くなったり精神のタフさ、体が屈強になるなら良いと思うけどおケツって
子供ながらに写真イケメンだなおじいちゃん笑あとご兄弟も
そしてサムネの引力
0:01在りし日の高瀬さんの写真の後ろに写り込んでるのは伊勢型?扶桑型?
よく気付いたね
仮に今、ウクライナのような状態になって自分の息子が戦争中の軍隊に取られるなんてなったら、なんとかして国外に逃がす道をさがすもんなー。戦前だとそういうわけにもいかんだろうから、お父さまもお母さまも辛かったんだろうな。自衛隊に入ると言われたら、昨今の情勢を考慮すると、よく考えて欲しいとは伝えるなー。命をかけるって簡単なことではないので頭が下がります。
おじいちゃんそっくり!
何のための戦争だったんですかねえ
日本は戦争によって何か得られたんでしょうか?
工業等の発展はありましたがやはり負の遺産の方が大きいと思いますねぇ。。。
負けてしまったので何も得られませんでした
なんか、裏でフリーメーソンが絡んでて、大きくなりすぎた軍隊を解体して高度経済成長の土台にしたとか、色々噂は有りますがね。明治以降は日本政府は欧米とグルだって話しも。
そんなこともないよ
日本は最初「大東和共栄圏」(当時植民地が多かったアジアの国々の開放)を掲げていました、本当はこれはただの名目で実際はアジア諸国から石油や資源を巻き上げる行為を正当化するために作った物だったけど、これのおかげでたくさんの国が戦後独立して国として認められたから
日本の本来の目標は達成できなかったけど、名目上の目標は達成できたって言う皮肉な話
アフリカの国々が戦後続々と独立していったのも、「戦時中に日本軍が欧州の国々を次々と打ち破ってアジアの植民地を制覇していった姿に勇気づけられた」ことが要因の一つだったって聞いたことがあるな。
何年か前にアメリカの世論を賑わせたオバマの天皇・皇后両陛下に対する深いお辞儀だって、「日本人は白人相手でも怯まず戦い有色人種全体の地位や発言力を向上してくれた」っていう有色人種初のアメリカ大統領としての感謝の気持ちがあったのかもしれないし。
まあとは言っても戦時中の日本で(特に戦局が悪化してからの)占領地域の現地人に対する見下したような態度や仕打ちが多かれ少なかれあったのは事実だろうし、そこは当時の日本兵にもあの世で悔いてもらわんといけないな。
お題目だけでパワハラを合法化した世界そのもの
俺の曾祖父は満州で中国人と戦ってたらしいからな、日中戦争の時点で負け戦だと思って内地に引っ込んで憲兵やってたらしいけど
これ女性が見たらどう思うのだろう。男女平等って、とてもじゃないけど難しいよね。こういった状況も男女が平等に請け負うことができるのかな?
この手の話で戦いは悲惨だ、この人らは国に無理やり兵士にさせられた被害者だみたいなまとめ方しがちだけど、
当時の軍人として戦った方々が居なければ情勢的に日本は欧米の植民地になっててもおかしくなかった
俺も中学生の頃、プラスチック製のバットで、根性バット、股の名をがんばっと。と言って、体育の授業で、遅刻したら、けつ、叩かれた。
戦争体験系のコメントに現れる、わたしの祖父も戦争経験者はどれくらいが本物の方なんですかね。
なんでそんな悲しい話をしているのに笑顔で話せているんだ
一見笑ってますけど12:00見たらわかるように急に涙が込み上げてきています。
無理にでも明るく話さなければとても思いだしたくない体験だったのでしょう、トマウマものですよ。
大東亜戦争だ
佐世保は僕の地元なんだがw
鉄拳制裁は時代が時代だし軍だし仕方なくね?
高瀬さんよくまぁ御無事で、あなた方のお陰で現在の我々の生活があると思っております。ありがとうございます。これから先も御身体、御自愛ください。お元気で。
さいしょのやつげーむやんw