【ゆっくり解説】日本海軍の幻の未完成空母5選~日本海軍はどのような空母を計画したのか~

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  • Опубликовано: 17 окт 2024
  • #ゆっくり解説 #ゆっくり #空母 #歴史
    今回は日本海軍の未完成空母5選と題して、
    改大鳳型、空母伊吹、浅間丸型空母、G18 型空母、雲竜型空母笠置、阿蘇、生駒、鞍馬を解説していきます。
    この動画を見て感想や、意見などございましたら、コメントください。

Комментарии • 29

  • @しゅわりん
    @しゅわりん 2 года назад +16

    箱があっても載せるものが無いのが哀しいところ(泣)

  • @湯中奏
    @湯中奏 2 года назад +4

    早期に戦線を絶対国防衛ラインまで下げれば搭乗員の確保もできたかもしれないけれど、未完成空母が完成した頃にはその搭乗員も特攻に使われてたんだろうな。

  • @ーロヤカバ
    @ーロヤカバ 2 года назад +4

    そもそも完成していても積むべき艦載機も無いし、燃料も無いからただ浮いているだけの巨大な鉄の塊になっていたのかなぁ....

    • @木村秀人-y5f
      @木村秀人-y5f 2 года назад +2

      艦載機や燃料もそうですが空母に着艦出来るパイロットも、もうほとんど居ませんでした。特にマリアナ沖海戦でのパイロット損失が多く、以後の戦いに響きました💦

    • @robroxnavy6712
      @robroxnavy6712 Год назад +1

      @@木村秀人-y5fもしやられずに多くの搭乗員が残っていたのならマリアナ沖海戦でもましな戦いが出来ていたであろう1942年の南太平洋海戦では多くの優秀な搭乗員を失った真珠湾攻撃時からいた搭乗員もやられたこの戦いが多分以後の戦いに影響したと思う

  • @tetsumiyokoyama823
    @tetsumiyokoyama823 2 года назад +3

    戦前に翔鶴級空母が4隻建造されていたら、ましな戦いが出来ていたでしょう。

    • @ゆっくり戦争資料館
      @ゆっくり戦争資料館  2 года назад

      大和、、、

    • @guugoosuka6909
      @guugoosuka6909 9 месяцев назад +1

      戦時急増ではない正規計画だと装甲空母の方向性だったから、大鳳型の追加建造だろうね。

  • @伊335
    @伊335 Год назад

    伊吹は重巡洋艦としてはとても優秀な艦だったと記憶してます。たしか、雷撃が強かったと聞いたような気がします あと、伊吹は私と同じ誕生日(進水日)だったらしいです(笑)

  • @小山義一-x5e
    @小山義一-x5e Год назад +2

    空母だけ作っても乗組員と航空隊と護衛艦の巡洋艦と駆逐艦は?

  • @tigerii5946
    @tigerii5946 2 года назад +6

    重巡洋艦としての伊吹の計画最高速力は35ノット予定で、29ノットは空母に改装された後の最高速力ですね

    • @guugoosuka6909
      @guugoosuka6909 9 месяцев назад

      機関減らしちゃったからね。まあ日本海軍は小型空母は30ノット程度あればいいと考えていた節がある。

  • @マナガツオ-p6l
    @マナガツオ-p6l 2 года назад +4

    雲龍型は改飛竜型になります
    船体は飛竜の図面を使い、艦橋の位置と舵を蒼龍の形式にして、工程簡略化の為エレベーターを2つにしたものです
    福井静夫「日本空母物語」より

    • @kii1053
      @kii1053 Год назад +4

      飛龍ですね。

    • @正木茂雄
      @正木茂雄 Месяц назад

      改飛龍ですな。

  • @わし-t8t
    @わし-t8t 8 месяцев назад

    未成艦や計画艦の多い枢軸陣営だが、グラーフツェッペリンやアクィラ1隻すら完成できなかったドイツやイタリアに比べたら、よく頑張っていた方だよな。

  • @西風太
    @西風太 2 года назад +2

    「伊吹」は空母に改造せずにそのまま重巡洋艦として建造したほうが良かったと思う。
    空母として竣工してもその頃には積む艦載機が無くて結果、雲龍型空母と同じ運命を辿ったと思うね。
    重巡のまんまで建造するなら建造途中で主砲塔を一基ないし二基少なくしてそのかわりに対空火器を増設して竣工すればまだ間に合ったかも知れない。
    「伊吹」が重巡洋艦から空母に改装〜建造中止までの経緯を考えると時間と資材の無駄遣いと思うのだが。

  • @高橋研司-v7b
    @高橋研司-v7b 2 года назад

    伊吹は、架空戦記小説やコミックで活躍するイメージ。

  • @yugureyamanaka2730
    @yugureyamanaka2730 2 года назад +1

    ●作者さん、今回の動画の音楽は、動画の内容とあっていましたよ。解説も丁寧でした。次に解説する日本の兵器は何になりますか?

    • @ゆっくり戦争資料館
      @ゆっくり戦争資料館  2 года назад

      ありがとうございます!次回からは太平洋戦争のこと知らない人でも楽しめるような日本海軍の巨大空母6選等をしようかなと思っています。

    • @yugureyamanaka2730
      @yugureyamanaka2730 2 года назад

      ●作者さん空母のリクエストなのですが、僕は、マリアナ沖海戦の時の空母瑞鶴の行動を詳細に調べると面白いと思いました。
      空母瑞鶴では、マリアナ沖海戦の前に、人事異動や、戦訓の確認の上でのダメージコントロールの話が出ています。
      追加ですが、実は、最近はミッドウエー海戦の時期の海軍の上層部の証言は、嘘が多いことがわかってきています。運命の5分も嘘であり、南雲長官や山本連合艦隊司令長官や部下の参謀たちの複数のミスは5分で、カバーできるものではなかったようです。空母「瑞鶴」では、ミッドウェー海戦の戦訓から空母艦載機への燃料補給と爆弾・魚雷装着は飛行甲板で行うようになった。理由は、飛行甲板の上は、破壊エネルギーが、運が良ければ外側に抜けることがあるからです。しかし、給油パイプは飛行甲板まで延長できたものの揚爆弾筒は格納庫までしか延ばせず、最後はエレベーターで爆弾や魚雷を飛行甲板まで揚げる必要があった。ミッドウエーでは、実は、空母の格納庫での誘爆が酷かったようです。なので、古い映画の中での
      飛行甲板の上に、たくさん並んでいる飛行機と爆弾が、次々、誘爆する映像は嘘に近いようです。これは、日本海軍の生存した上層幹部が運命の5分と言った嘘が映画での、空母搭載機の場所にも影響して、虚飾に近くなったようです。
      1944年の6月20日の午後5時25分すぎに、百機以上のアメリカ機動部隊艦載機の空襲を日本機動部隊は受けた。日本機動部隊は生き残った「瑞鶴」を中心に、第五戦隊(妙高、羽黒)、第十戦隊(矢矧、浦風、磯風、朝雲)、秋月型駆逐艦4隻(初月、若月、秋月、霜月)という輪形陣を組んでアメリカ軍機を迎撃した。このアメリカ軍の攻撃で瑞鶴は至近弾6発を受け、さらに瑞鶴艦橋後部の飛行甲板に爆弾1発が命中し、小規模な火災が発生した。実は、空襲下では投棄するはずの小型移動式ガソリン車が戦闘中も飛行甲板に放置されており、これに引火したとされる。また、格納庫でも火災が発生した。消火用の水と至近弾による破孔から浸水により艦内に水が溢れて、恐怖心から勝手に、総員退艦と叫ぶような気が狂った乗組員もあったという。結局のところ瑞鶴は、艦橋を小破した状態で日本本土に帰還した。 ●●幻になった突入計画について、6月21日、マリアナで敗北した軍令部は、陸海軍総力を挙げたサイパン島奪還作戦を立案していた。小沢機動部隊残存空母は、日本本土の練習航空隊や陸軍機を搭載し、特設航空母艦(大鷹型航空母艦)も含めて7月4日に内地を出発し、サイパンに突入する予定とされていた。連合艦隊参謀の神重徳大佐は、自ら戦艦「山城」の艦長となってサイパンへ突入すると宣言したほどである。だが、この無謀な計画は、日本陸軍の協力が得られずに中止となった。こうして、瑞鶴を含めたサイパン突入作戦は実施されなかったそうです。

    • @yugureyamanaka2730
      @yugureyamanaka2730 2 года назад +3

      真珠湾攻撃に参加した日本の空母6隻の中で、1番対空装備が貧弱だったのは実は空母「赤城」だったそうです。
      空母「赤城」は、武装面では、空母「加賀」と違って旧式の十年式45口径12cm高角砲を、新式の八九式40口径12・7cm高角砲に換装・増強できなかった。さらに、設置位置も低い位置のままだったので、そして依然として反対舷方向は撃てなかった。機銃についても、九六式25mm機銃の数は中型空母の蒼龍と同じで空母飛龍よりも少なかった。4万トン級という船体の大きさの割に、真珠湾攻撃に参加した空母6隻の中で対空火力は最も貧弱だった。さらに、艦尾舷側に装備した計6門の20cm砲にも、発射すると赤城にダメージを与える問題があった。空母「赤城」の若手士官は「艦尾舷側に装備した計6門の20cm砲は配置場所や設計からおかしかったので、発射すると飛行甲板がめくれあがる無用の長物」と皮肉をいっていた。ミッドウェー海戦で赤城は20cm砲を最低54発発射しているが、飛行甲板への影響については不明である。さらに、飛行甲板に手すりはなかったが、1段低い高角砲と機銃甲板の間にポケットと呼ばれる整備兵退避場所がある。 さらにネットが張ってあり、落下事故を防止していた。

    • @yugureyamanaka2730
      @yugureyamanaka2730 2 года назад

      ミッドウエー海戦で空母「赤城」に、爆弾が命中した時に赤城の格納庫内で、実際に起きていたことは、以下のようなことだったようです。赤城の格納庫では、兵装転換で取り外された爆弾が乱雑に転がっている状態となった。
      そんな時に、アメリカ軍の第六爆撃飛行隊の「ディック・ベスト」大尉は、部下の小隊機(3機乃至5機)をひきいて赤城に向かった。ベスト大尉の部隊が直上にきていたのに赤城は高射砲も撃たず、飛行機の発進準備をしつつ(零戦1機が発艦するのが見えたという)空母赤城は直進していた。ベスト大尉の部隊の急降下爆撃がはじまってから赤城は面舵にて回避に努めたが爆弾が2発が命中した。他に1発が至近弾となった。至近弾となった最初の1発は、艦橋左舷数十mで炸裂した。赤城に命中した2発は、1発目が中部エレベーター付近に命中し、飛行甲板を突き破って格納庫内で炸裂した。そして、格納庫内部の誘爆によって、赤城は内部から焼き尽くされていった。2発目が左舷後部甲板縁で炸裂した。方向に関係する舵は取舵20度で固定し、赤城は旋回しかできなくなる。赤城の飛行甲板にいた牧島カメラマンによれば、初弾が左舷艦橋附の近至弾になり、次発が、飛行甲板中央に命中し、三発目が艦尾至近弾となり、飛行甲板後部がめくれあがったという。艦橋にいた増田飛行長や橋本信号兵曹も、三発目は命中弾ではなく艦尾至近弾と回想している。赤城に乗り込んでいた草鹿参謀長は、攻撃隊に準備ができたものから発艦するように命じ、攻撃隊の戦闘機が飛び立とうとしたところに爆撃を受け、あと5分あれば攻撃隊は発艦できたと回想する嘘を言っていた]。これは「運命の5分間」と言われたが、実際には攻撃隊の準備はできておらず、5分で発艦するのは不可能だった。当時、赤城の飛行甲板上では直衛戦闘機の発艦準備中で、零戦1機(木村惟雄一飛曹)が発艦を終えた直後だった。木村によれば、加賀・蒼龍が被弾炎上するのを見て、発進準備中の飛行機に乗り発進したと回想している。少し遅れて飛び立とうとした2番機は大穴が開いた状態の甲板中央で逆立ちとなり、炎上した。●●当時、空母「赤城」の格納庫内には3機の零戦と、魚雷装備艦攻18機と、第1次攻撃隊として着艦収容したばかりの艦爆18機があった。特に九七艦攻は、アメリカ軍機動部隊攻撃を予定したいたために燃料を満載していた。そして、魚雷を装備中だった。その周囲には艦攻から外した陸用爆弾も散乱していたという。空母赤城の中央部に命中したアメリカ軍機の爆弾により、これら可燃物が赤城の格納庫の中で次々と誘爆を始め、赤城の致命傷となった。生き残った増田さん(赤城の飛行長)は、生き残った4空母幹部との対談で「四万トンの『赤城』が250キロの爆弾1発でもってゲームセット。全くこれはあっけなかった。脆弱性を如実に示しているんでしょうね」と語っている。仮にベスト大尉率いる5機のドーントレスが攻撃に失敗した場合、健在艦は空母2隻(赤城、飛龍)となるため、本海戦の流れ全体が変わっていた可能性がある。

    • @yugureyamanaka2730
      @yugureyamanaka2730 2 года назад +1

      ●●リクエストですが、日本海軍の巨大空母6選の時に、今までの動画で紹介できなかった空母の戦闘中のエピソードの追加も検討してみてください。南太平洋海戦の時の、空母翔鶴の被弾について非常に重要な追加エピソードで以下のようなものがありました。。旗艦の空母(翔鶴)が南下する一方、瑞鶴は航空隊発進のため風上へ向かい、20kmも離れる。孤立した翔鶴は珊瑚海海戦に続いてアメリカ軍機の集中攻撃を受けることになった。爆弾4発(飛行甲板後部左舷3発、右舷後部に1発)が命中、高角砲弾の1部誘爆はあったが致命傷にはならず、機関は健在だった。特に煙突冷却用ポンプは効果を発揮し、事前に被弾火災想定訓練をおこなっていた事が被害を最小限にしたといえる。また艦橋防空指揮所の有馬(翔鶴艦長)が右舷前方から接近するドーントレスの1群に対し「取舵」を下令したところ、塚本(翔鶴航海長)は珊瑚海海戦の経験から独断で面舵へ転舵(アメリカ軍艦爆隊と反航態勢)した。。これによって、翔鶴の被弾を爆弾4発命中にとどめた。塚本航海長は、「有馬艦長の命令だからといって、ミスミス悪いことと知りながら、艦長命令に盲従していたら、おそらく全弾命中して『翔鶴』の運命は終わりであったろうと思う」と語っている。当然ながら、翔鶴は旗艦だったので、南雲長官や、草鹿参謀長も乗り込んでいた。その面前でも、あえて、艦長に恥をかかせることになるが、命令違反を犯したと回想している。結果として、後から、有馬艦長が、自分が指示した「取舵転舵を下令した事は失敗だった」と認めて、部下の塚本さんを叱責する事態にはならなかった。「有馬さんは、自分のプライドよりも、塚本さんの勇気と行動力は、1番最適な判断だったと認めたわけです。有馬さんは、優れた人なので、自分のプライドなどは小さなものだと理解していました。
      南雲機動部隊が攻撃を受けていたころ、日本軍攻撃隊もアメリカ軍機動部隊を空襲し 空母隼鷹と共同で空母ホーネットと駆逐艦1隻撃沈、エンタープライズ大破という戦果をあげている。その一方、村田少佐を含む艦攻10機、関少佐を含む艦爆22機、零戦12機、など、多くの搭乗員を失った。●●午後5時、南雲司令部は駆逐艦「嵐」に移乗して翔鶴から離れた。