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初代三平師匠…昭和が生んだ大偉人です。「つけ麵大王」は最高です!
改めて三平師匠の凄さに、圧倒されます。同じ時代に生きられた事に感謝です。今テレビに出ている吉本のセコタレントに爪のあかを煎じて飲またい。
落語をかじり始めたときは「三平なんて…」と思った。でも今こうやってみると、確実に芸がある。
今の時代なら、確実に林家正蔵を襲名してたよね。
間の取り方秀逸亡きケーシ高峰さんも間の取り方が恐ろしいですさすが、笑わせようとする事には間の取り方を一番大切にしているこれは日常生活の人間が一番知っているという事実を大切芸人の鑑です!
この動画を100回以上観た人も少なくないだろう。
五億代目林家三平おじさんかなと思いますよ。
@@アスパラトマト-p6u
今の三平よりも数百倍面白い。
本当に愛嬌のある落語家さんでしたね‼️偉ぶらない中に努力が見えてますね‼️
間の取り方・呼吸が天才的なんだよなあ。古典やらせても素晴らしい。
アルフィーの坂崎さんが一時弟子入りしていたらしい。「ジュリーの話をしますから」が一番好き。
三平師匠懐かしいなあ。客いじりが上手で、腹の底から笑わせてくれました。頭の良さ、人の良さを感じる素晴らしい師匠、三平師匠の落語をもう生で見られないのが残念です。
ねふ
何回聞いても面白い。笑えます。何故か古さを感じない、自分の笑いのお手本です。
TVの爆笑王のイメージあるけど普通にマクラからして上手いのよね初代三平師匠。間の取り方がやっぱり上手い。
客弄りがホントうまい。間の取り方。天下一品。天才だな‼️息子も見習うべきだな!何回聞いても面白い🤣2/14 am2時22分
さたのしく面白い聞いていて元気が沸いてきますね。
この動画を見つけてからもう何十回観たかしれません。落ちがわかっているのにそのたびに爆笑。何でしょう、この面白さ。抜群の間の取り方。引き込む力。平成ももうすぐ終わってしまいますから二時代前になってしまいますが、間違いなく昭和の爆笑王ですね。時代を越えて笑わせていただきます。
三平師匠は、かなり世の中のことや学問的なことまで、コツコツ勉強されていらっしゃいました。さすがです。 他の追随を許さない独自の落語スタイルは、稀有です。 頭の回転は、抜群で大変素晴らしいです。 私は、そんな三平師匠がとても好きです。 ありがとう😆💕✨ございました。 64歳の万年少年より 2021.4.17
昔子供の頃📺でよく見ました😃懐かしいです❤️何度聞いても笑えます。会場との一体化も愉快で、とてもチャーミングな師匠が好きです😃
三平さんはサラブレッドなのに変なプライドがないところがめちゃくちゃ面白い。息子たちは見習うべき。
何度見ても面白い。。。最早落語じゃないけど、これぞ天才の芸。あの間や客席弄りの呼吸は天下一品。誰にも真似は出来ない。
😅天才ですヨ!談志の天災と違う!客の心をガッチリ掴んでる。息子たちは何で同じ道に入ったんかな?落語界に入ったことが凡才の証明ですね。
5代目志ん生と当時の三平の人格を瞬時に切り替えつつ笑いを取る十数秒(1:51)、何度見てもスゲェって思う。「三ちゃん?」って呼びかける仕草一つで客を末広の楽屋に連れていってくれる。談志師匠は天災だろうが三平師匠は間違いなく天才的。
あとラジオなどの進化などにもいいみたいですよ。
同感です。まさしく天才です。たくさん笑わせてもらいました。ありがとうございました。
うまいうまい😋
昔に東京タワーから昼の三平さんの番組をやってましてね母と見にいった事があります。中継が終わってからも集まったファンを大笑いさせてましたね。本当に大好きでした!こんな不思議な芸を確立された師匠はやっぱ名人でしたよ。
タワーバラエティーと呼ばれてましたね。森進一が初めてテレビに出た番組だった。
全然世代じゃないけど何回も聞いちゃう。おもしろいなぁ
『可愛げ』があるというのか、今の芸能界のどこにもいない凄いキャラクター。毒舌なのに、聞いてる側は、清涼水を飲んでるみたいな曇りのなさで爆笑できる。間や動きや声や表情も含め、持って生まれた才能という他、言いようがない。特にお客さんいじりは天才的。
何回も拝見しました。これぞ名人でしょうね。時代と共に、落ち着きと、重厚感を感じさせる芸人さんが、少なくなっているように感じています。(私は)
お茶なんか飲んでる場合じゃないですよ。何度聞いても笑ってしまいます☺️
こんな面白い人を生み出す世の中にしないといけないね。
林家正蔵の名を落語協会に取られた三平さんはまだ若く「その悔しさ」を芸に紛れ込ませていた苦悩を知る噺家はいないのではないでしょうか。普段の顔は「ヤクザもしり込みする」苦み走った顔が高座に上がると林家三平の顔に切り替わる姿はすごい芸人でした。時は昭和30年代、文化放送の前でお会いした時、アロハにアメ車に乗る三平さんの姿が今でも目に焼き付いています。親の苦労を知らずに林家正蔵の名を継ぐセガレさん「もっと気張れや」ですね。三平さんは頭の回転の速い、たぐいまれないい噺家でした。
昭和の爆笑王は、やはり面白い。登場しただけで吹き出したことが思い出します。
子供の頃、初代三平の落語を横浜で聞いたのを覚えている。子供は自分を含めて走り回っていた。テレビあげるから走らないで、テレビの入ってた箱だけあげるから、と言って笑いをとっていた。
これほど客に寄り添って笑わせてくれる名人は他にない。
全ての東京の落語家などの山にもついに郵便切手に大変身してくるのは本当ですよ。だから幸せの絆ですよ。簡単な絆ですよ。がんばろう!日本。
高座に座るだけで笑える落語家ってすごいですね。タイプや芸風はそれぞれで良い悪いを言うのは意味がありませんが、先代三平は人間三平が良かった。寄席が三平という空気で包まれてしまいます。談志とは真逆の立ち位置ですから客に緊張感を持たせません。愛すべき噺家でした。
まさにその通りです
高座に上がって来るだけで笑いが起こる落語家はこの師匠だけです😂😂😂😃
めくりに三平の文字が出ただけで、まだ本人が高座に上がっていないのに、拍手喝采だったそうですな。(*゚∀゚)=3
昔、上野鈴本演芸場で三平師匠の高座観ましたけどホントに出てきただけで爆笑でした(笑)私も笑いましたけど😂😂😂
@@からすカラス-v4f 羨ましいです!
ドタバタの叫んでるところばかりの印象だったけど、こんなに面白かったとは。抜群の間だね!
先代三平師匠の芸風なんて、誰も真似できないですよ。確かに、正統派の噺家さんではない。古典落語なんて源平盛衰記をされてましたが横道に逸れて客席を弄ってばかり。けどね、この方の芸はできませんよ。それに、歌も唄われてましたがかなり上手いんです。マルチな活躍をされたタレント噺家の先駆けになられた方だと思います。唯一無二の稀代の芸人だった林家三平師匠は、歴史に名を遺したと思います。
本寸法の源平盛衰記聞きたくて来ていた客は誰もいないと思うw
先代の林家三平は、確かに脳梗塞から生還してから程なくして、源平盛衰記を披露しました。確かに話は脱線しまくりでしたが、それでも源平盛衰記を一通り進めていましたよ。本来なら、父親の先代の林家正蔵から口伝で、源平盛衰記を習得する予定でしたが、正蔵が早くに亡くなったため、習得することができず、当時ライバルの立川談志に頭を下げて、源平盛衰記を教わったそうです。 ちなみに源平盛衰記は、弟弟子の橘家圓蔵や元義理の息子の春風亭小朝も、高座で扱いました。
そもそも源平盛衰記の落語自体が「源平盛衰記」の名を借りた小咄集で、身構えて聴いていた観客に肩透かしを食らわせる、つまりタイトル自体がオチという落語。
30秒に1回、笑わせていたと言われる不世出の大天才。ダジャレがダジャレに聞こえない。袖を見て顔色をうかがったり、顔をズンと突き出すあの間。もう笑うしかない。笑い涙と、もうこの世にいないという事実で涙が止まらない。この話はビデオ化されていますが、DVDになった事がない。それが自分の事の様に悲しい。本当に有難うございました。
お客が席を離れると、すかさず「お客様どちらへ?」「あぁトイレですかお待ちしてしてます」すると周りがドットうける、そんなアドリブが面白かった。
泣きながら笑いました、ありがとう。
昔から大ファンです。この人は生まれてくる時代を間違えたかも⁉️今、聴いても、イヤ、今のが面白い❗これ程、お客様の♥️を掴める人はそうは居ません🙇
これまでの落語の常識を覆した噺家。そこにいるだけで笑いが起こる。古典落語が出来なくてもいいじゃないか、三平だものなんちゃって…笑お客さんが大好きで、お客さんを弄ったり時々逆に弄られたりするのも三平落語の醍醐味だと思います。三平さんには今でも人を惹きつける魅力を感じますね。
三平の芸はこの人一代の物息子たちには申し訳ないが追いつけないし追いかけるものでもないそれにしてもお元気そうで、ほどなく亡くなるとは思えない親から聞いた話だが叔母が三平師匠と知り合いで子供のころ高座に上がる直前まで自分を抱っこしていてくれたとか当然覚えていませんが、とても身近に感じた噺家さんでした
フラがあるんだよね。ほんと最高です。
爆笑。お腹の底から笑える。スゴいの一言。生で見て見たかった。
亡くなってから知った自分。動画だけで知ってきました(根岸には行ったけど)。落語を知るきっかけがこの師匠(いいんだか、わるいんだか(笑))本当に面白い!!この人の前にも後にもこの人を超える人はいない。亡くなってちょうど40年、40年過ぎても出てこない!前に真打ちになってから亡くなるまでの動画があったんだけど…。座ってる、いるだけで吹き出す不思議さ(笑)。話の脱線は当たり前(笑)、相変わらずの客いじり(笑)、ぶっ倒れて、リハビリしても、亡くなる直前まで仕事しっぱなし…第一線を突っ走った(違う病気だったとは…涙)。ちょっと痩けちゃってるのが悲しい…。一度、生で観たかったな涙。師匠の映像が無さすぎるような。
アドリブの天才みたいな評価あるけど。この動画ならマクラのクーデターやイラン国王の時事ネタとか。土台が培われたうえでの応用たるアドリブ気味や客イジリ。志ん生からして「得難い」と言わしめた唯一無二の人なんだろうな。
次に何を言うかわかる程見たのです。でもまた見ちゃう。❤
うわぁ〜、メチャクチャ、面白い🤣🤣🤣初めて見たけれど、引き込まれました。三平師匠は天才ですね❣️
間が素晴らしいですよね✨
今でも御徒町の二木の店内では師匠のCM流してますな。こんな粋な人生送りたい!
昭和の爆笑王、今も最高です。
三平さんはホント面白い 楽しくて気持ちがスカッとする 懐かしいな~
三平さん、観れた!私の大好きな落語家。レンタルビデオ店などでさがしても無く、がっかりしてました。有り難うございます。子供ながら、この方は凄い。と、思っていました。今の笑点はじめ、落語家(テレビ用(時代))の先駆け。そう思います。なにしろ、面白かった、お年寄りから子供まで、黙っいても笑える。登場しただけで笑える。本当に面白かった。あぁ~面白かった(涙が出るくらい)。
コントレオナルド
後期の志ん朝師匠、素晴らしかったです。普段は古典しか聞かないのに、三平師匠の高座は面白くて仕方ないです。
文書にしたら、そこまで面白い事を言っているわけじゃないけど、間と強弱なんだろうね。
これ昭和55年なんですね。この年の9月に亡くなられたですよねぇ、54歳で。。。早過ぎた‼️
間の取り方が抜群に上手いんだね。文字起こしはもちろん、音源で聴いてもこの方の面白さは伝わらない。寄席で生で見たら腹筋がいくらあっても足りないくらい面白かったんだろうな。
これ、「談志・円鏡二人会」だったか(フジの花王名人劇場?ともかくテレビ放送が入ってるという事)、そこに三平さんが急遽来ちゃったっていう状況だったかな。↑の動画は、ワイプで談志さんが出てる事からも分かるように、昔の演芸を振り返るっていう番組1990年代後半から2000年代前半頃にテレビ東京系で放送されたものだったと思う。で、その時使われた映像がこれなんだけど、この映像もわずかに抜粋されてて、最初の20秒か30秒くらいが欠けてる。スタンドマイクの前で談志さんと円鏡さんが二人で「(三平さんが)本当に来ちゃったの?」「来ちゃったんだよ、本当に」とか言ってたら三平さんがのこのこ出てきてマイクの前に立ち、「…お招きいただき…」って言ってドって会場が笑いに包まれるという、そのシーンが欠けてるw その、ちょっとしたやり取りがあった後の、↑の三平さんの喋りという流れ。だから、最初の時点で結構会場はあったまってるわけね。後ろに談志さんも円鏡さんもいるという状況があるわけ。それでこういう話をしてるので尚おかしい、というのがある。
70票…の で、客席の女性の凄まじい叫笑い声、後の三平師匠の顔!間の取り方、、定番の なんてたって大変なんすから!好きです好きです、よしこさん はもう直接聞く事はできないのですね、、、
残念なのは、当時のテレビは放映後、テープの上から別番組を重ねていたので、貴重な映像のほとんどが現存していない。子供の頃から寄席番組のテレビが好きで三平さん思い出は沢山ある。
古いも新しいもない面白いw
やっぱり天才ですね。何回見ても面白い!真のエンターテイメント。
「三平の落語は落語じゃない」という批判があったが、それまでの落語は玄人向けの難しい芸だったが、先代三平師匠が落語を「大衆化」された功労者だ。「三平が出ているからテレビの寄席番組を観よう」「三平が出ているから寄席に行ってみよう」と大衆の耳目を落語に向けさせ、そして、いろいろな落語家の話も聴くようになった。その点先代三平師匠は立派だ。この師匠に「正蔵」名跡が継げなかったとは、まったく残念だ
私の推測ですが、テレビの台頭で寄席のお客さんが少なくなったので、そのテレビに出演して落語界を盛り上げて、寄席にもお客さんを呼ぼうとしたと思います。実際にどんなに忙しくてもギャラが決っして高くない寄席にも必ず三平師匠は出演されてました。
@@スコッチ 昔はテレビで演芸番組をたくさんしていましたから、寄席に足を運ぶ人が少なくなった事はありますね。しかし先代三平師匠は積極的にテレビに出演されていましたね。自身の高座での番組、バラエティ番組にも出演されていました。「落語家があんな事までしていいのか?」という批判的声がありましたが、私の考えでは先代師匠は何とか人を落語界に呼び込みたい。寄席に来て欲しいという思いがあったのでしょう。ですから批判をあえて受けても、バラエティ番組にまで出演されたのでしょう。落語を大衆化し、自身への批判をあえて受ける。先代師匠は本当に立派です。
観たものでなければ分からない凄さ、その名人芸は記録には残せません。
息子たちが可哀想なくらい面白い。
まああのモンペ母がね。
桂枝雀さんの息子さんと同じで、一時代を築いた父親の子は大変ですよね。まして三平さんの子は林家正蔵と三平だからなおのこと大変ですよね。
正蔵師匠(ていうかコブちゃん!)の息子さんが、なかなかですよね
長男の正蔵師匠は精進して、何度か噺を聴きましたが、上手になられましたよ。次男の三平師匠は正直今一つですが、噺を聴いた限り頑張っているのは分かります。
お客さんに愛されている笑いですね😃笑いながら泣いている😢こういう笑いは他の落語家にはないですね。
初代林家三平、3代目古今亭志ん朝、5代目三遊亭圓楽、8代目橘家圓蔵、7代目立川談志これらの師匠方はあの世の皆様を楽しませていることでしょう
歌丸は?
春風亭柳朝が入りますね。
桂歌丸さんは芸術協会だから、柳橋、今輔、枝太朗、柳昇や師匠の桂米丸と同様にかっては新作落語の色合いが濃かったですね。
@@戦う顔しているベイファン 歌丸は全然格下。そりゃ落語も下手ではなかったけど、三平や四天王みたいに時代を作ったわけじゃない。単に長寿番組の司会やってただけ。
@@3311教授 それ以前に格が全然違うでしょうよ。
人の悪口を言ってはいけない人を傷つける芸はいけないっていうけど三平師匠みたいなら、家元みたいなら私は良いと思います結局のところ悪口にも技量がいるってことなんだと思ってます私が単に悪口いうのと高座で師匠方が言うんじゃ全然違いますし
こんなの誰も継げる訳が無い天才、三平は永久欠番。
次男坊が継いでしまいましたが、顔に泥を塗ったようで……😭
子供の頃、新宿の末広亭の高座を見たことがありますが三平さんが出てきただけで客席のボルテージが一気に高まったのを覚えている。他の咄家や芸人とは観客の期待感がまるで違っていた。まさに昭和の爆笑王だった
わかっていても笑ってしまう雰囲気がすごい。今の落語家にはない、ちょっと早めのテンポで考える間を与えずに笑わされる。初代三平さんは類い稀な落語家であることは誰もが認めるはず。
早めのテンポ…そうは思えないなあ…
天才だなぁ。今みても笑える🎉
三平師匠は古典をやらなかった。いや、古典はほかの噺家にまかせて自分の道を進んだ。邪道と言われたが天下を取った。誰も三平師匠を馬鹿にしなかった。三平師匠は面白かった。本当に。
林家三平の真の面白さは寄席に行かないと分からない。親父に連れられて、上野鈴本、人形町末広、東宝名人会で爆笑してました。
リアルタイムで見れて羨ましい一度も見れませんでした。
場の空気と客の心を完全につかんでるのが笑い声からもわかりますね。うらやましい。
そのとおり!寄席に行かなきゃわかりません。
小さい頃は分からなかったがこの人の「間」は絶妙なんだな。
浅草キッド
枕だけで銭とれる噺家でした…!!
根岸の口癖に、大変が必ず出てくる。
家が下町だったので、近所に多くの噺家さんたちが住んでいました。近くの酒屋で、志ん生さんが風呂帰りに立ち飲みしてました。乳母車にポメラニアンを入れて散歩していた三木松さんとか、黒門町の文楽さんや、谷中の馬生さん、、懐かしいですねえ。
すごい街ですね!すごい時代だったんでしょうか。
「つけめん大王」イイな~。
三平師匠は独自路線を開拓していったところがオモロイw噺家ではないけどケーシー高峰が医療漫談という未知の領域開拓してったのと同じ風味
67年前おいら10才の時当時出たばかりの縦長の2つ目のセト゚リックから後ろノ席から身をのリ出して手を降ってくれました今だに強列に印象に残ったいます、
この年に亡くなるとは思えない。
なんど見ても、天才芸。
寄席のモンスター天才初代三平師匠いいですね。ネタ帳がたくさんあって努力家だったんだよな。
やっぱりすごい、三平、、、おもろすぎ!!
亡くなったこん平師匠が憧れのものわかります
七転八倒しながらの苦労芸人、咄家。いいねぇ☺️三平ここにあり❗
これからいよいよ芸が円熟を迎えるまさにその時に病で亡くなられるとは余りにも無念天才に50代の死は夭折だなぁ…せめて後10年は生きて欲しかった…😭
三平師匠の優しい人柄でしょうね。人を引き付けて夢中にさせるのは... 同じ優しさを感じるのが三代目金馬師匠。戦災の焼け野原で家族を失った香葉子さんが育てられ、後に三平師匠に嫁ぐことになる。金馬師匠の温かみも引き継いだのでしょう。四天王などと言って平気で後輩を立てる謙虚さ。三平師匠と比べられるのは志ん朝師匠しかいないと思いますよ。勿論、噺家の芸を比べるものでないのは承知の上です。
いい男なんだよなぁー
後世に伝えたい芸!!時勢、間、客との暗黙の会話。現代の噺家にどれだけ出来るか?
5:00で高笑いしている女性は、まさか林家パー子さんじゃないでしょうね。
上手い‼️
わたくし58歳です。思春期には三平?古いおっちゃんだ、という感覚でした。その後落語を好きになり、録音中心ですが常に落語に接してましたが、まさか令和6年に三平さんで爆笑するとは、、、、、、、、いやあ、、、めちゃくちゃ面白いですね。選挙運動のところで、円鏡が自分の名前ばかり言って、「談志のだの字もいわないですから」っていうところなんか、東京っ子のぼやきがたまりません。
二代目三平はこれを見て勉強すべき
今日も1日頑張れそう。ありがとうございます
これ見ると木久翁師匠は初代三平師匠をものすごく参考にしてるんだなと思った
父が面白い過ぎて、息子は大変だと思います。
継げばそうなるね
抜群におもろい!
0:13「(立川)談志・(三遊亭)圓楽・(古今亭)志ん朝・(月の家)圓鏡、これを称して四天王。」のくだりでもう既に面白い。このあとすぐに亡くなるとは思えない軽快な落語
面白い微笑ましい
お餅も入ってベタベタと、安くて美味くてどうもスミマセン。ちびっ子大将の三平師匠のナレーターも大好きでした。
息子は落語家になっちゃいけない素質だなぁ!
志ん生→馬生/志ん朝 親子は例外
こぶ平くんも一平くんも三平師匠には遠く及びませんが、暖かい目で見守ってあげましょうよ。
2代目は、品がありすぎるんだよね。笑いをとるより、真面目な落語をやった方がいいと思うんだよなぁ・・・こぶ平は知らん、たま平は頑張ってるけど。
間だけで笑わせるってのは、三平師匠は志ん生師匠並みですね。志ん生師匠は高座で寝ちゃっても笑わせたくらいだから(笑)
こんなに面白かったんだ。もっと色々見たいですね。
談志は天災、欠点は(参院選で)全国区に立候補したこと、超受けたw
初代三平師匠…昭和が生んだ大偉人です。「つけ麵大王」は最高です!
改めて三平師匠の凄さに、圧倒されます。同じ時代に生きられた事に感謝です。
今テレビに出ている吉本のセコタレントに爪のあかを煎じて飲またい。
落語をかじり始めたときは「三平なんて…」と思った。でも今こうやってみると、確実に芸がある。
今の時代なら、確実に林家正蔵を襲名してたよね。
間の取り方
秀逸
亡きケーシ高峰さんも
間の取り方が恐ろしいです
さすが、
笑わせようとする事には間の取り方を一番大切にしている
これは
日常生活の人間が
一番知っているという事実を大切
芸人の鑑です!
この動画を100回以上観た人も少なくないだろう。
五億代目林家三平おじさんかなと思いますよ。
@@アスパラトマト-p6u
今の三平よりも数百倍面白い。
本当に愛嬌のある落語家さんでしたね‼️
偉ぶらない中に努力が見えてますね‼️
間の取り方・呼吸が天才的なんだよなあ。古典やらせても素晴らしい。
アルフィーの坂崎さんが一時弟子入りしていたらしい。
「ジュリーの話をしますから」が一番好き。
三平師匠懐かしいなあ。客いじりが上手で、腹の底から笑わせてくれました。頭の良さ、人の良さを感じる素晴らしい師匠、三平師匠の落語をもう生で見られないのが残念です。
ねふ
何回聞いても面白い。笑えます。何故か古さを感じない、自分の笑いのお手本です。
TVの爆笑王のイメージあるけど普通にマクラからして上手いのよね初代三平師匠。
間の取り方がやっぱり上手い。
客弄りがホントうまい。
間の取り方。天下一品。
天才だな‼️
息子も見習うべきだな!
何回聞いても面白い🤣
2/14 am2時22分
さたのしく面白い
聞いていて元気が沸いてきますね。
この動画を見つけてからもう何十回観たかしれません。落ちがわかっているのにそのたびに爆笑。何でしょう、この面白さ。抜群の間の取り方。引き込む力。平成ももうすぐ終わってしまいますから二時代前になってしまいますが、間違いなく昭和の爆笑王ですね。時代を越えて笑わせていただきます。
三平師匠は、かなり世の中のことや学問的なことまで、コツコツ勉強されていらっしゃいました。さすがです。
他の追随を許さない独自の落語スタイルは、稀有です。
頭の回転は、抜群で大変素晴らしいです。
私は、そんな三平師匠がとても好きです。
ありがとう😆💕✨ございました。
64歳の万年少年より 2021.4.17
昔子供の頃📺でよく見ました😃懐かしいです❤️何度聞いても笑えます。会場との一体化も愉快で、とてもチャーミングな師匠が好きです😃
三平さんはサラブレッドなのに変なプライドがないところがめちゃくちゃ面白い。息子たちは見習うべき。
何度見ても面白い。。。
最早落語じゃないけど、これぞ天才の芸。
あの間や客席弄りの呼吸は天下一品。誰にも真似は出来ない。
😅天才ですヨ!談志の天災と違う!客の心をガッチリ掴んでる。息子たちは何で同じ道に入ったんかな?
落語界に入ったことが凡才の証明ですね。
5代目志ん生と当時の三平の人格を瞬時に切り替えつつ笑いを取る十数秒(1:51)、何度見てもスゲェって思う。「三ちゃん?」って呼びかける仕草一つで客を末広の楽屋に連れていってくれる。談志師匠は天災だろうが三平師匠は間違いなく天才的。
あとラジオなどの進化などにもいいみたいですよ。
同感です。まさしく天才です。
たくさん笑わせてもらいました。
ありがとうございました。
うまい
うまい😋
昔に東京タワーから昼の三平さんの番組をやってましてね母と見にいった事があります。中継が終わってからも集まったファンを大笑いさせてましたね。本当に大好きでした!こんな不思議な芸を確立された師匠はやっぱ名人でしたよ。
タワーバラエティーと呼ばれてましたね。森進一が初めてテレビに出た番組だった。
全然世代じゃないけど何回も聞いちゃう。おもしろいなぁ
『可愛げ』があるというのか、今の芸能界のどこにもいない凄いキャラクター。毒舌なのに、聞いてる側は、清涼水を飲んでるみたいな曇りのなさで爆笑できる。間や動きや声や表情も含め、持って生まれた才能という他、言いようがない。特にお客さんいじりは天才的。
何回も拝見しました。これぞ名人でしょうね。
時代と共に、落ち着きと、重厚感を感じさせる芸人さんが、少なくなっているように感じています。(私は)
お茶なんか飲んでる場合じゃないですよ。何度聞いても笑ってしまいます☺️
こんな面白い人を生み出す世の中にしないといけないね。
林家正蔵の名を落語協会に取られた三平さんはまだ若く「その悔しさ」を芸に紛れ込ませていた苦悩を知る噺家はいないのではないでしょうか。普段の顔は「ヤクザもしり込みする」苦み走った顔が高座に上がると林家三平の顔に切り替わる姿はすごい芸人でした。時は昭和30年代、文化放送の前でお会いした時、アロハにアメ車に乗る三平さんの姿が今でも目に焼き付いています。親の苦労を知らずに林家正蔵の名を継ぐセガレさん「もっと気張れや」ですね。三平さんは頭の回転の速い、たぐいまれないい噺家でした。
昭和の爆笑王は、やはり面白い。登場しただけで吹き出したことが思い出します。
子供の頃、初代三平の落語を横浜で聞いたのを覚えている。子供は自分を含めて走り回っていた。テレビあげるから走らないで、テレビの入ってた箱だけあげるから、と言って笑いをとっていた。
これほど客に寄り添って笑わせてくれる名人は他にない。
全ての東京の落語家などの山にもついに郵便切手に大変身してくるのは本当ですよ。だから幸せの絆ですよ。簡単な絆ですよ。がんばろう!日本。
高座に座るだけで笑える落語家ってすごいですね。タイプや芸風はそれぞれで良い悪いを言うのは意味がありませんが、先代三平は人間三平が良かった。寄席が三平という空気で包まれてしまいます。談志とは真逆の立ち位置ですから客に緊張感を持たせません。愛すべき噺家でした。
まさにその通りです
高座に上がって来るだけで笑いが起こる落語家はこの師匠だけです😂😂😂😃
めくりに三平の文字が出ただけで、まだ本人が高座に上がっていないのに、拍手喝采だったそうですな。(*゚∀゚)=3
昔、上野鈴本演芸場で三平師匠の高座観ましたけどホントに出てきただけで爆笑でした(笑)私も笑いましたけど😂😂😂
@@からすカラス-v4f 羨ましいです!
ドタバタの叫んでるところばかりの印象だったけど、こんなに面白かったとは。
抜群の間だね!
先代三平師匠の芸風なんて、誰も真似できないですよ。
確かに、正統派の噺家さんではない。
古典落語なんて源平盛衰記をされてましたが横道に逸れて客席を弄ってばかり。
けどね、この方の芸はできませんよ。
それに、歌も唄われてましたがかなり上手いんです。
マルチな活躍をされたタレント噺家の先駆けになられた方だと思います。
唯一無二の稀代の芸人だった林家三平師匠は、歴史に名を遺したと思います。
本寸法の源平盛衰記聞きたくて来ていた客は誰もいないと思うw
先代の林家三平は、確かに脳梗塞から生還してから程なくして、源平盛衰記を披露しました。確かに話は脱線しまくりでしたが、それでも源平盛衰記を一通り進めていましたよ。本来なら、父親の先代の林家正蔵から口伝で、源平盛衰記を習得する予定でしたが、正蔵が早くに亡くなったため、習得することができず、当時ライバルの立川談志に頭を下げて、源平盛衰記を教わったそうです。
ちなみに源平盛衰記は、弟弟子の橘家圓蔵や元義理の息子の春風亭小朝も、高座で扱いました。
そもそも源平盛衰記の落語自体が「源平盛衰記」の名を借りた小咄集で、身構えて聴いていた観客に肩透かしを食らわせる、つまりタイトル自体がオチという落語。
30秒に1回、笑わせていたと言われる不世出の大天才。ダジャレがダジャレに聞こえない。
袖を見て顔色をうかがったり、顔をズンと突き出すあの間。もう笑うしかない。笑い涙と、もうこの世にいないという事実で涙が止まらない。
この話はビデオ化されていますが、DVDになった事がない。それが自分の事の様に悲しい。
本当に有難うございました。
お客が席を離れると、すかさず「お客様どちらへ?」「あぁトイレですかお待ちしてしてます」すると周りがドットうける、そんなアドリブが面白かった。
泣きながら笑いました、ありがとう。
昔から大ファンです。この人は生まれてくる時代を間違えたかも⁉️今、聴いても、イヤ、今のが面白い❗これ程、お客様の♥️を掴める人はそうは居ません🙇
これまでの落語の常識を覆した噺家。
そこにいるだけで笑いが起こる。
古典落語が出来なくてもいいじゃないか、三平だもの
なんちゃって…笑
お客さんが大好きで、お客さんを弄ったり時々逆に弄られたりするのも三平落語の醍醐味だと思います。
三平さんには今でも人を惹きつける魅力を感じますね。
三平の芸はこの人一代の物
息子たちには申し訳ないが追いつけないし追いかけるものでもない
それにしてもお元気そうで、ほどなく亡くなるとは思えない
親から聞いた話だが叔母が三平師匠と知り合いで子供のころ高座に上がる直前まで自分を抱っこしていてくれたとか
当然覚えていませんが、とても身近に感じた噺家さんでした
フラがあるんだよね。ほんと最高です。
爆笑。お腹の底から笑える。スゴいの一言。生で見て見たかった。
亡くなってから知った自分。動画だけで知ってきました(根岸には行ったけど)。落語を知るきっかけがこの師匠(いいんだか、わるいんだか(笑))本当に面白い!!この人の前にも後にもこの人を超える人はいない。亡くなってちょうど40年、40年過ぎても出てこない!前に真打ちになってから亡くなるまでの動画があったんだけど…。座ってる、いるだけで吹き出す不思議さ(笑)。話の脱線は当たり前(笑)、相変わらずの客いじり(笑)、ぶっ倒れて、リハビリしても、亡くなる直前まで仕事しっぱなし…第一線を突っ走った(違う病気だったとは…涙)。ちょっと痩けちゃってるのが悲しい…。一度、生で観たかったな涙。師匠の映像が無さすぎるような。
アドリブの天才みたいな評価あるけど。
この動画ならマクラのクーデターやイラン国王の時事ネタとか。
土台が培われたうえでの応用たるアドリブ気味や客イジリ。
志ん生からして「得難い」と言わしめた唯一無二の人なんだろうな。
次に何を言うかわかる程見たのです。でもまた見ちゃう。❤
うわぁ〜、メチャクチャ、面白い🤣🤣🤣
初めて見たけれど、引き込まれました。
三平師匠は天才ですね❣️
間が素晴らしいですよね✨
今でも御徒町の二木の店内では師匠のCM流してますな。こんな粋な人生送りたい!
昭和の爆笑王、今も最高です。
三平さんはホント面白い 楽しくて気持ちがスカッとする 懐かしいな~
三平さん、観れた!私の大好きな落語家。レンタルビデオ店などでさがしても無く、がっかりしてました。有り難うございます。子供ながら、この方は凄い。と、思っていました。今の笑点はじめ、落語家(テレビ用(時代))の先駆け。そう思います。なにしろ、面白かった、お年寄りから子供まで、黙っいても笑える。登場しただけで笑える。本当に面白かった。あぁ~面白かった(涙が出るくらい)。
コントレオナルド
後期の志ん朝師匠、素晴らしかったです。普段は古典しか聞かないのに、三平師匠の高座は面白くて仕方ないです。
文書にしたら、そこまで面白い事を言っているわけじゃないけど、間と強弱なんだろうね。
これ昭和55年なんですね。
この年の9月に亡くなられたですよねぇ、54歳で。。。
早過ぎた‼️
間の取り方が抜群に上手いんだね。
文字起こしはもちろん、音源で聴いてもこの方の面白さは伝わらない。
寄席で生で見たら腹筋がいくらあっても足りないくらい面白かったんだろうな。
これ、「談志・円鏡二人会」だったか(フジの花王名人劇場?ともかくテレビ放送が入ってるという事)、そこに三平さんが急遽来ちゃったっていう状況だったかな。↑の動画は、ワイプで談志さんが出てる事からも分かるように、昔の演芸を振り返るっていう番組1990年代後半から2000年代前半頃にテレビ東京系で放送されたものだったと思う。
で、その時使われた映像がこれなんだけど、この映像もわずかに抜粋されてて、最初の20秒か30秒くらいが欠けてる。
スタンドマイクの前で談志さんと円鏡さんが二人で「(三平さんが)本当に来ちゃったの?」「来ちゃったんだよ、本当に」とか言ってたら三平さんがのこのこ出てきてマイクの前に立ち、「…お招きいただき…」って言ってドって会場が笑いに包まれるという、そのシーンが欠けてるw その、ちょっとしたやり取りがあった後の、↑の三平さんの喋りという流れ。だから、最初の時点で結構会場はあったまってるわけね。後ろに談志さんも円鏡さんもいるという状況があるわけ。それでこういう話をしてるので尚おかしい、というのがある。
70票…の で、客席の女性の凄まじい叫笑い声、後の三平師匠の顔!間の取り方、、定番の なんてたって大変なんすから!好きです好きです、よしこさん はもう直接聞く事はできないのですね、、、
残念なのは、当時のテレビは放映後、テープの上から別番組を重ねていたので、貴重な映像のほとんどが現存していない。子供の頃から寄席番組のテレビが好きで三平さん思い出は沢山ある。
古いも新しいもない
面白いw
やっぱり天才ですね。何回見ても面白い!真のエンターテイメント。
「三平の落語は落語じゃない」という批判があったが、それまでの落語は玄人向けの難しい芸だったが、先代三平師匠が落語を「大衆化」された功労者だ。「三平が出ているからテレビの寄席番組を観よう」「三平が出ているから寄席に行ってみよう」と大衆の耳目を落語に向けさせ、そして、いろいろな落語家の話も聴くようになった。その点先代三平師匠は立派だ。この師匠に「正蔵」名跡が継げなかったとは、まったく残念だ
私の推測ですが、テレビの台頭で寄席のお客さんが少なくなったので、そのテレビに出演して落語界を盛り上げて、寄席にもお客さんを呼ぼうとしたと思います。実際にどんなに忙しくてもギャラが決っして高くない寄席にも必ず三平師匠は出演されてました。
@@スコッチ 昔はテレビで演芸番組をたくさんしていましたから、寄席に足を運ぶ人が少なくなった事はあります
ね。しかし先代三平師匠は積極的にテレビに出演されていましたね。自身の高座での番組、バラエティ番組にも出演され
ていました。「落語家があんな事までしていいのか?」という批判的声がありましたが、私の考えでは先代師匠は何とか
人を落語界に呼び込みたい。寄席に来て欲しいという思いがあったのでしょう。ですから批判をあえて受けても、バラエ
ティ番組にまで出演されたのでしょう。落語を大衆化し、自身への批判をあえて受ける。先代師匠は本当に立派です。
観たものでなければ分からない凄さ、その名人芸は記録には残せません。
息子たちが可哀想なくらい面白い。
まああのモンペ母がね。
桂枝雀さんの息子さんと同じで、一時代を築いた父親の子は大変ですよね。まして三平さんの子は林家正蔵と三平だからなおのこと大変ですよね。
正蔵師匠(ていうかコブちゃん!)の息子さんが、
なかなかですよね
長男の正蔵師匠は精進して、何度か噺を聴きましたが、上手になられましたよ。次男の三平師匠は正直今一つですが、噺を聴いた限り頑張っているのは分かります。
お客さんに愛されている笑いですね😃笑いながら泣いている😢
こういう笑いは他の落語家にはないですね。
初代林家三平、3代目古今亭志ん朝、5代目三遊亭圓楽、8代目橘家圓蔵、7代目立川談志
これらの師匠方はあの世の皆様を楽しませていることでしょう
歌丸は?
春風亭柳朝が入りますね。
桂歌丸さんは芸術協会だから、柳橋、今輔、枝太朗、柳昇や師匠の桂米丸と同様にかっては新作落語の色合いが濃かったですね。
@@戦う顔しているベイファン 歌丸は全然格下。
そりゃ落語も下手ではなかったけど、三平や四天王みたいに時代を作ったわけじゃない。
単に長寿番組の司会やってただけ。
@@3311教授 それ以前に格が全然違うでしょうよ。
人の悪口を言ってはいけない
人を傷つける芸はいけないっていうけど
三平師匠みたいなら、家元みたいなら
私は良いと思います
結局のところ悪口にも技量がいるってことなんだと思ってます
私が単に悪口いうのと高座で師匠方が言うんじゃ全然違いますし
こんなの誰も継げる訳が無い天才、三平は永久欠番。
次男坊が継いでしまいましたが、顔に泥を塗ったようで……😭
子供の頃、新宿の末広亭の高座を見たことがありますが三平さんが出てきただけで客席のボルテージが一気に高まったのを覚えている。他の咄家や芸人とは観客の期待感がまるで違っていた。まさに昭和の爆笑王だった
わかっていても笑ってしまう雰囲気がすごい。
今の落語家にはない、ちょっと早めのテンポで考える間を与えずに笑わされる。
初代三平さんは類い稀な落語家であることは誰もが認めるはず。
早めのテンポ…そうは思えないなあ…
天才だなぁ。今みても笑える🎉
三平師匠は古典をやらなかった。いや、古典はほかの噺家にまかせて自分の道を進んだ。邪道と言われたが天下を取った。誰も三平師匠を馬鹿にしなかった。三平師匠は面白かった。本当に。
林家三平の真の面白さは寄席に行かないと分からない。
親父に連れられて、上野鈴本、人形町末広、東宝名人会で爆笑してました。
リアルタイムで見れて羨ましい
一度も見れませんでした。
場の空気と客の心を完全につかんでるのが笑い声からもわかりますね。うらやましい。
そのとおり!寄席に行かなきゃわかりません。
小さい頃は分からなかったがこの人の「間」は絶妙なんだな。
浅草キッド
枕だけで銭とれる噺家でした…!!
根岸の口癖に、大変が必ず出てくる。
家が下町だったので、近所に多くの噺家さんたちが住んでいました。近くの酒屋で、志ん生さんが風呂帰りに立ち飲みしてました。乳母車にポメラニアンを入れて散歩していた三木松さんとか、黒門町の文楽さんや、谷中の馬生さん、、懐かしいですねえ。
すごい街ですね!すごい時代だったんでしょうか。
「つけめん大王」イイな~。
三平師匠は独自路線を開拓していったところがオモロイw
噺家ではないけどケーシー高峰が医療漫談という未知の領域開拓してったのと同じ風味
67年前おいら10才の時当時出たばかりの縦長の2つ目のセト゚リックから後ろノ席から身をのリ出して手を降ってくれました今だに強列に印象に残ったいます、
この年に亡くなるとは思えない。
なんど見ても、天才芸。
寄席のモンスター天才初代三平師匠いいですね。ネタ帳がたくさんあって努力家だったんだよな。
やっぱりすごい、三平、、、おもろすぎ!!
亡くなったこん平師匠が
憧れのものわかります
七転八倒しながらの苦労芸人、咄家。いいねぇ☺️三平ここにあり❗
これからいよいよ芸が円熟を迎えるまさにその時に病で亡くなられるとは余りにも無念
天才に50代の死は夭折だなぁ…
せめて後10年は生きて欲しかった…😭
三平師匠の優しい人柄でしょうね。人を引き付けて夢中にさせるのは... 同じ優しさを感じるのが三代目金馬師匠。戦災の焼け野原で家族を失った香葉子さんが育てられ、後に三平師匠に嫁ぐことになる。金馬師匠の温かみも引き継いだのでしょう。四天王などと言って平気で後輩を立てる謙虚さ。三平師匠と比べられるのは志ん朝師匠しかいないと思いますよ。勿論、噺家の芸を比べるものでないのは承知の上です。
いい男なんだよなぁー
後世に伝えたい芸!!
時勢、間、客との暗黙の会話。
現代の噺家にどれだけ出来るか?
5:00で高笑いしている女性は、まさか林家パー子さんじゃないでしょうね。
上手い‼️
わたくし58歳です。
思春期には三平?古いおっちゃんだ、という感覚でした。
その後落語を好きになり、録音中心ですが常に落語に接してましたが、まさか令和6年に三平さんで爆笑するとは、、、、、、、、
いやあ、、、めちゃくちゃ面白いですね。
選挙運動のところで、円鏡が自分の名前ばかり言って、「談志のだの字もいわないですから」っていうところなんか、東京っ子のぼやきがたまりません。
二代目三平はこれを見て勉強すべき
今日も1日頑張れそう。ありがとうございます
これ見ると木久翁師匠は初代三平師匠をものすごく参考にしてるんだなと思った
父が面白い過ぎて、息子は大変だと思います。
継げばそうなるね
抜群におもろい!
0:13「(立川)談志・(三遊亭)圓楽・(古今亭)志ん朝・(月の家)圓鏡、これを称して四天王。」のくだりでもう既に面白い。このあとすぐに亡くなるとは思えない軽快な落語
面白い
微笑ましい
お餅も入ってベタベタと、安くて美味くてどうもスミマセン。ちびっ子大将の三平師匠のナレーターも大好きでした。
息子は落語家になっちゃいけない素質だなぁ!
志ん生→馬生/志ん朝 親子は例外
こぶ平くんも一平くんも三平師匠には遠く及びませんが、暖かい目で見守ってあげましょうよ。
2代目は、品がありすぎるんだよね。
笑いをとるより、真面目な落語をやった方がいいと思うんだよなぁ・・・
こぶ平は知らん、たま平は頑張ってるけど。
間だけで笑わせるってのは、三平師匠は志ん生師匠並みですね。志ん生師匠は高座で寝ちゃっても笑わせたくらいだから(笑)
こんなに面白かったんだ。もっと色々見たいですね。
談志は天災、欠点は(参院選で)全国区に立候補したこと、
超受けたw