イヤー、素晴らしい!有難うございました。喉元でつっかえて居たものが つつーっと 胃腑に流れ落ち、五臓六腑に行き渡って、活力がメラメラと沸き上がってくるような喜びを覚えました。まるで、高市早苗さんの 自民党総裁選のりっこうほに立ち上がった時の政策演説を拝聴した時と同じような日本という国の持つ心強さ、といったものを痛感させていただきました。皆さんが既に言い尽くされていることではありますが、私の学生時代にこのような素晴らしい講義が聞きたかった、という思いと、この年になっては居ても先生のこうした講義を拝聴できた、という感謝と喜びと興奮とで、じっとしては居られないような気分になっております。多々感謝! N Y 在住
神仏のせめぎ合い、習合、政策による分離、などなど、近くて遠く、遠くて違い、神仏の関わり合いの歴史を、分かり易く解きほぐしている名講義だ、と思いました。問題は、引き継がれて来た宗教のあり方の歴史を、我々が現代に置いて、どの様に理解し、体現して行くかですね。
知らないことばかり。講義ありがとうございました。
法隆寺が、コロナにより拝観者数激減により境内維持費用捻出が困難となり、思い切ってクラウドファンディングにより募集を掛けたところ、一日で目標額2000万円を達成し、募集終了日には7倍を超える1億5,000万円が集まったそうです。
日本人の古来から文化を大切にする心、日本人の平和や秩序、安寧を大切にする心がいまも受け継がれていることを確認したものであります。
これは、古くから民衆の生活を想う行いの積み重ねがあったからであると思います。先祖に深く感謝する。今ある人々にも感謝する。広く世に感謝する。後世にしっかりと受け継いで行きたい心です。
日本を格好良く!
ありがとうございました。
私が神社参拝する時の祈り方は住んでる地域と名前を名のり自分の願望を叶った様に申し上げる。例えば「私の事業は好調で私は豊かに幸せに過ごしております」って感じ。それから神々に感謝を申し上げて柏手、一礼。としています。そうする事で神々は「そうか!じゃぁもっと応援してやるぞ」って助けてくれると教えられました。
日本人は新し物好き。新技術にものすごい好奇心を示す。そして、伝来されたものを技術としての完成度高さで表現すること賛美する国民性なのでしょうね。宗教は新しい技術として広まるのだと思います。土木・建築・医療・貨幣制度・文字なのだと思います。新しい技術を渇望し、完成度の高さを誇る民族性が仏教美術をあれだけの精度で完成させたのでしょう。その他の宗教を受け入れないのは、植民地主義と奴隷制に抵抗を感じるからなのでしょう。差別しないのは考えを持つ事を否定しないが、私にかまうなが日本人気質だからでしょう。
日本という国は本当に不思議な国ですね。中東では元々ユダヤ教から派生したキリスト教、イスラム教などは相容れないしキリスト教の中にもカトリック、プロテスタントなどが対立しイスラム教もしかりです。でも、日本はそういった全てを受入れ融合させていくことが出来る。今もハロウィン、クリスマス何でもありですよね。だから中東問題を解決できるのは日本しか無いのでは?と思います。いつも為になるお話しありがとうございます。
日々,目から鱗の連続です。小名木先生に感謝申し上げます。ご著書を数冊拝読し動画もいくつか拝聴させていただいています。戦後教育を受けた私は孫世代には真実を正確に伝えたいと思い,最近は詳細を動画でも確認させていただいています。おかげさまで家にある神棚と仏壇の謎が今更ながら氷塊しました。
先日、40年ぶりに奈良の大仏見て来ました。コロナも落ち着き日曜日と言う事もありましたが観光客で溢れていました。外国人が半分位で欧米人も多かった。改めて1271年前にこんな凄いものを作った日本人に感動しました!!!
ありがとうございます。🌼 とても興味深く拝聴しました🙇
ありがとうございます。小名木先生が偉いお坊様に見えました。日本の文化や日本人の創造力というものの源泉を教わった気がします。奇跡の国日本、今また歴史の変わり目にあたって、新しいものが生まれてうまく融合できるといいですね。世界中の偉い政治家にこの講義をしてあげてほしいくらいです。
本当に目から鱗。
年貢がお米で納める仕組みの原点が理解出来た。
何故の?ひとつが解決しました。ありがとうございました😊。
「日本をかっこよく」の歴史 これから勉強していこうと思います。先生のお話し 楽しくてわかりやすいです。ありがとうございます。
行基さん凄い❣️ 三千体以上 仏像を作くって各地に寄進。
ありがとうございます。
先生の様々なお話をお伺いして、学校では習えなかった日本、我が国の成立と天皇の関係など基礎的なことを学ばせて頂いてます。これからも宜しくお願い致します。私は昭和24年生まれです。
いい話だった。
感動した。
分かりやすく内容も濃いもので大変参考になりました、ありがとうございました。
ニッポンの歴史を今日も学ばせて頂きました、初めて知ったことばかりです。発音がお奇麗ですね、早口が聞き取れなくダメになった僕にもよく理解できました。イイお話でした、なんか映画を観てるような感じです、今は、暇なときは僕は、洋画ですが80年?90年?昔の洋画DVDを観て暇を楽しんでいまする89歳です。
神仏習合の例で日本人はすごい、ですが、お互い干渉しなけれは共存できますが、正反対の考えでは共存出来ません。
かたや、干渉する考えの人達と、干渉しない、尊重する考えの人達ではうまくやることはとても困難です。もし出来たとしても、我慢は強いられます。それでは、幸せとは言えないと思います。
なので、別々の世界に生きるしかないと思います。干渉しない、お互い尊敬尊重することが前提なら、努力はするが、干渉し尊重しない人達にする努力は無駄だと思います。適切な判断対応が必要です。別々の世界に生きることはできます。
善光寺に守屋柱があることや諏訪大社の関係、7年に一度の共通点とか物部守屋のことを調べるといろいろと面白い!
小名木さんが言う願うとか違うと思うんですが❓
難しい内容ですが 覚えたいです。
行基ってそういう人だったのだな。
聖武天皇の天平時代の話は感動しました。先生がいつも仰る歴史学ですね。ストーリー立てて話して貰うと、スー…っと腑に落ちる思いです。ありがとうございました。
教科学習に足りないものを知る機会になりました。
今まで疫病を過去の出来事だと思い込んでいた。昔は国民が心をひとつにして立ち向かっていたと知って感動した。今回のコロナはどうだろう?
浜村淳さんのことばですが、七草粥の頃、畑からの収穫が激減し、野菜不足になりがちです。
子供たちが七草粥を仕込むときのわらべ歌の一節に「唐から病の来ぬうちに」というのがあるそうです。
インフルエンザをはじめとして、天平の頃には、唐から病気が来るとわかっていたのですね。
これからの野菜不足の時期を控え、そして温室野菜には、目的とする栄養が少ない。これも、冬場にコロナが猛威を振るうだろうと予想する根拠でしょうね。
柿をたらふく食べて、病気を予防しましょう。
あれ?秀吉は住民登録のために寺を使ったんですよね。古代にそれだけ神社が仕事していたなら、秀吉が寺を使う必要なくないですか?
🌴🌏🐎配信ありがとう📱御座います仏教も気になりますね🐭そうか〜ソウカも世界規模で覚醒しないとね📱
ブッダは神様は独り独りに宿るもので、偶像に拝むものではない。私の書物は全て処分しなさい。と、弟子に言ったのに、弟子は言う事も聞かず、独自の解釈で枝分かれして広まったと聞いた事があります。日本で仏教が広まった1つに、質素な造りの神社よりもお寺の方が豪華なので、外国に対して技術の高さを見せつけて簡単には攻め込めないと思わせる為だと聴きました。
神道の全ての物に神様が宿り、全て物に感謝する教えはその通りだと思ってます。今の仏教の先祖に感謝するのもその通りだと思ってます。お婆ちゃんが亡くなった時に、泣いてる僕の横で寝ているお婆ちゃんに姪っ子が、「良いカードが当たりますように」て拝んでいた時は笑いましたが…。まあ、いいとこ取りで穏やかに過ごす様にしています。
わたしは、日本に誇りを持っており日本大好き人間ですが、津々浦々まで3日ほどで中央の指令が届くネットワークが構築されていた⁈
俄かに信じがたい‼️
全てにおいて、「日本は凄い、凄かった」の講釈は、かえって逆効果になると思う。
仏教は、経典とかお墓とか仏像など、形に見えるものがあったから、皆が安心できたんじゃないでしょうか。
大仏建立の大事業に拠ってかなりの規模の経済復興が出来たはずと思いますが、ルーズベルトのニューディール政策よりもっと古く、西洋のルネッサンスに匹敵する価値があったと思いますね。文化的な価値と共に経済的な価値も教えて貰えると有り難いです。何時も素晴らしい講義、有難うございます。
日本ってスゲー!!!
行基って何宗なんですか?
神社と仏教って今と逆だったんですね。現在は神社が神頼み、仏教が先祖供養。そう思ってる人が多いと思うんですよね。
いつも面白く見させていただいてます。聖徳太子が言われた三宝を敬えとは仏法僧だったのでしょうか?仏教、儒教、神道? 和をもって貴しとなす、という第一条は当時の宗教争いはしてはいけないという意味でも捉えてました。仏教が貴族会の中だけで言われて尊ばれていたとすれば民衆に語られた言葉ではなかったということなになるのですね。当時の民衆はまず古来からの神道を信じて高度な新来の教えなどは浸透してなかったということになるのですから。物部が古来の神道に対して「あだし神を取り入れればこの国は亡びるだろう」と言ったのでしたが争いに敗れてしまいました。しかし、事実お話のように様々な災いがその後起こったのでした。新し物が好きで、とにかく対象物としてシンボルを造形したところに現在も美術品としても観光先にも今も高く評価されているところは現世的ですが、色即是空などと今生においてもそれらの造形物が方便なのですよということに日本信者はもっと求むる先に学ぶべきところがあるのやもしれません。
仏教に現世利益の教えってありました?
いつも思うけど、先生の小芝居は最高です。毎回目から鱗です。
これらの逸話を何冊でもいいので、本にしてください。
本当にわかりやすい説明で小難しい歴史の本では語っていない事を明るく語っていただけるので思わず最後まで聞いてしまいます。田舎の論理と都市の論理で動いてる人の差がやっと理解出来ました。
無茶苦茶勉強になりました😊ありがとうございます😊
中庸をとり、折り紙の如く折衷案で向き合えば世の中分断しないのにって思います。自分さえ良ければがいかに悲惨な事を産むのか、、、
本日も素晴らしいお話、誠にありがとうございます🌞先日、お大仏建立の時代、金算出由来の宮城県金華山黄金山神社に伺い、同時期に宇佐神宮にも参拝がかない、八幡大神様のお力を知り、涙致しました💕全てのつながりに感謝申し上げます☀️💞😊❣️🌕🌞
仏教と言えば、、インド、インドで物凄ーく良かった。
教えや学びそのものが、時間軸と空間軸と願望によって、捻じ曲げられて、それを代々継承していたりしますね。それは宗教然り、あらゆる学問然り、歴史然り。
産声上げた赤子にとっては、教えや学びに関しては、三つ子の魂百までじゃないけど、幼少期の教育によって教え学んだ事が、大人になっても根強く神経に張り巡らされて、それが分母になっている。直近で教え学んだ事は、全て分子である。
悟りの境地に至るまでには、やはり一人ひとりが、己を素直に受け入れ、己を愛して、弱い己に負けない己に克つ事で、己の視界が開ける。
己と相手は、水と油の相容れないものだとしても、己自身が上記のことを意識すれば、必ず相手には伝わる。当然伝わるまでには、時間軸と空間軸は必要ではある。
当時の貴族から600名も出家されたんですね!
先生はいつ出家されたんですか?(笑)
日本の宗教観は素晴らしいですね。神道だって色々な国の神や、元々の地の神様がいますね。元々海洋民族の私達は視野が広く。いいところを学びそれを更に向上させる能力をもっているのですね。まずは同じ日本人、同じ仲間で高め合いたいですね。自分だけ良ければいいだけの社会は間違っている。世界に合わす必要は無い。それは皆もうわかっているはずだ。
自分がこうなりたいという意思を固めるから鏡があるんですよね!
かがみのがは我、我を無くすとががなくなり神になる!
うまいことを言う。
イヤー、素晴らしい!有難うございました。喉元でつっかえて居たものが つつーっと 胃腑に流れ落ち、五臓六腑に行き渡って、活力がメラメラと沸き上がってくるような喜びを覚えました。まるで、高市早苗さんの 自民党総裁選のりっこうほに立ち上がった時の政策演説を拝聴した時と同じような日本という国の持つ心強さ、といったものを痛感させていただきました。皆さんが既に言い尽くされていることではありますが、私の学生時代にこのような素晴らしい講義が聞きたかった、という思いと、この年になっては居ても先生のこうした講義を拝聴できた、という感謝と喜びと興奮とで、じっとしては居られないような気分になっております。多々感謝! N Y 在住
1970年台の半ば過ぎ1ドルが320円くらいであったと思いますが、周りが舶来ものを崇め奉っている状況の中で、あえて、日本人としての世界に認められてこそ日本のためになるのだ、などと、なんとも若気の至りで日本を飛び出して、なんとまあ、40年以上の歳月が過ぎてしまいました。自分のこの目で見、肌で感じられるもの以外、何一つ信用できない、信用しない、最悪を覚悟して事に臨む、石橋を叩いて 少し欠けたからといって 渡らない という様な心がけで毎日を全力で突っ走ってきました。親兄弟は今もすべて日本にいますが、墓守を引き受けている弟から、自分が隠居したら、先祖の墓石の面倒は跡取りが見ない様な事を言い出している、という事を伝えてきました。ニューヨークの我が家には、仏壇も神棚もない事に今更ながら気がつきました。多くの友達が、日本にさっさと引き上げてゆき、結構その環境の中で、新しい生活を見出している、という中で、ニューヨークという街は依然として私を引き留めようとしている、こちらの米国人の友達が私を必要としていてくれている、と感じていて、ついつい、日本に帰るチャンスをにがしてしまった様です。息子に、日本にある墓石の事を話したら、寺に相当のお金を払えばそのままの状態にして置けるのでは、と、一案を出してきました。では私が死んだらどうするか?という事になると未だ回答は得られていません。宗教の指針があれば、物事は簡潔なのでしょうが、未だに無神論者のような状態ですので、最後の身の振り方まで自分できめておかないと残されたものに迷惑がかかる、と案ずるくらいです。この3年間ほど、ようやく子供達の巣立ちを見届け、自分で、納得のゆく ”完結” まで辿り着けた節目に、今一度、歴史を新しい観点から学び直し、その時々の世の中の必然的な動きが、どの様にして生まれ、流れ、流れていったのか。時代が、それらの底辺で必死に活動し、今の日本を存続に至らしめてきた人間達を如何様に生み出して来たのか、と言った様な事を知りたいと思う様になったというわけです。そうして、運良く小名木先生の動画に巡り会えた、というわけです。貴重な講義を拝聴する様になってから、自らの日本人としてのルートの一点一点に光を与えられ、今ある自分の立ち位置が、さもありなん と納得できる様になって来たことも事実としてお伝えしたいところです。” 日本を格好良く! ” というお題目が、正に、自分は、これを体現するために今までこの地に這いつくばるようにして生きて来たのだ、という意義とかさなってきた、ということは、なんとも嬉しい限りです。
共済保険「御屋庫」の
①末端の代理店が「神社」
②地域営業所が「国司」
③本社が「朝廷」
と言うことか😉
日の国
護国鎮守ですから、真言宗が主力ですよね。
神道で言う神とは親の親の親のずーッと遡って行くと神さまに到達する。なので我々は神の子で神さまを親神さまと言います。
非常にわかりやすく本質をついたお話。
神道というのは、まさに先祖を含むあらゆる神様をおそれ敬うこと。特に教義もないし、神様は「信じた人を救う」というようなものではない。日本人の自然観、死生観みたいなもの。
一方、仏教は、確かに宗教だが、聖武天皇の時代には、むしろ最先端の科学に近いものと理解されていたのではないだろうか。道鏡なども、やっていたことは医者の仕事だった。
特に疫病がはやっていたわけだから、外国から最先端の医学・科学を取り入れようと思うのは、極めて合理的。
「コロナワクチン」の例を見てもわかるように、現代の医学でも実は「医学を信じること」は結構重要。現代でも宗教と科学が衝突する例は多い。
仏教は、当時の最先端科学であったと理解すれば、神道と衝突しなかったことも当然だと思われる。
日本の仏教は、神道の補完機能でしか無い。
だいたいお墓の御霊なんて、神道のシステムであり、本来の仏教とは完全に別物。
仏教と神様、ごちゃ混ぜですよね、だから大抵の家に仏壇と、神棚が有るのか❓
自分も同じことを両方にお願いする
宗教の特異点である部分。
質問ですがお願いします。寺の寺子屋で子供の教育がありましたが。仏教が国民に広がる前に、神社子屋がありましたか?
ところが、大坂城の北まで続く上町台地ですが、淀川を横切っています。
歴史に残らない過去に、淀川の流れを横目に上町台地を切り開いて川筋を変更した、という大土木工事があったそうです。
愛知県の河口改修(木曽川と揖斐川)では、薩摩藩が請け負い、多大の出費と犠牲を出して完成させ、普請奉行は完成後に切腹したそうです。
犠牲者と出費をかけさせた藩侯へのお詫びだとか。
江戸時代でこういう工事。淀川はそれと変わらないくらいの大河川です。
手順、工法、気管の設定、資材調達、人数の手配等々、巨大土木工事をやったという経緯があるから、支那に教わったという解説にちょっと疑問を持っていました。
しかしこの工事で巨大な湖だった大阪が平野になり、その後の江戸期の大和川付け替えで広大な田んぼが開けました。
各地の神社は、行政機能のために創設されとの由、目からうろこですが、神社に祭られている祭神と行政機構との関係、即ち、行政機構には、中央を頂点にしたヒエラルキーがあるように、祭神にも、行政機構に対応したヒエラルキーがあると思われますが、それについて講義下されば幸いです。
行基さん、近鉄奈良駅前でずっと立って、奈良に来た人々を、よぉ来なさったと歓迎してくれてますよね。そして行基に見送られ、すぐそばの開化天皇陵などを参拝し、鹿に噛まれながら煎餅をあげ、正倉院展で聖武天皇が実際にお召しになられた衣服を見て感激し、
東大寺の大仏を拝みにいきます。そして大仏の鼻の穴に入れるかをキャーキャー言って楽しみます(笑)さらに興福寺の阿修羅像に感激し、春日大社の武甕槌神にお力を頂く。帰りは奈良名物柿の葉寿司を食べて、行基さんに再会して近鉄奈良駅へ。これが奈良市観光の基本ルートです(笑)
今回のtitleの"意外な理由" がよくわかりました。有難う御座います。
詔の深い意味も当時の様相を知る大きな手懸かり。そして神仏の折り合いと。この辺を上手く伝えられる話者は少なく、"所謂学校"などに(歴史の深い部分を)委ねることは当然困難かと。しかし、相変わらず、コメ欄には回の内容と無関係な質問や、誉め殺しかと思われる動画を明らかに見ていない(或は理解能力が皆無と思える)投稿が多く、先生や日本の歴史を舐めてるのかと思うようなの不快なのが多く、拙著等と宣う輩が存在する"事態"も納得してしまう残念さ。
質問です。木造建造物としてのお寺と神社はどちらが古いのでしょうか?お寺を真似て神社の建造物が作られたのならば仏教伝来以降の様式となります。そうなると仏教伝来以前の神社は建造物だったのでしょうか?気になります。
”サイの角のように一人で歩め”という教えの仏教で願いが叶う、って聞いたことがないが。
日本人の力と言うよりは当時も今も仏教の教義すら誰も知らないだけなのでは無いのか?
仏教が国を救うとか庶民を救済するとか意味不明すぎだろ?
撤廃されず今も続いている日本の「法律」、大部分は、仏教が元になっていて、昔は「仏法」と言ったそうですよ。近年に、仏教由来でないことがいろいろ加わって「法律」と言い替えられたけど。
日常使う言葉「あいさつ」「諦める」「悪魔」「一大事」「意表」「因果」「学者」「過去」「我慢」……など、手元にある本からアイウエオ順に抜粋したが、もちろんラ行まである。これらも元は仏教語だそうで。
仏教は、想像以上に日本人の生活に浸透してて、当たり前になりすぎたから意識もされないってことです。
日本の仏教徒に菩薩はいないですね
ああ、これは伺いたかった。
何故、商品経済が発達しても、中央集権ネットワークができても、江戸時代になっても、米で年貢をとっていたか?災害対策とは思いもよらなかった。すると一揆の意味合いが、またちがった認識になる。
高床式倉庫は、出雲や伊勢の作りと似ているといえば似ているのは、そのせいか。
行基が禁制を破っていたとは知らなかった。てっきり国家のバックアップの元、大仏の資金を集めるための宣布僧であったから、仏教が広まったかと思っていた。
聖武天皇は三宝の奴と宣言したのが、非常に影響が強かったと聞いた覚えがある。
皇后の藤原光明子が主導したという話しもあるそうなので、そちらもいずれやって頂きたい。
問題は、宗教ではなく宗教団体であるが、行基の場合、威光治療という点もある。信ずるものは救われる、のは事実であるとして、この点は聖痕効果で、手首ではなく、手のひらにイエスの磔の時に負った傷が痣としてあらわれた、という事からすると妊娠したり、治癒したりするのもよく分かるが、本来は本人が起こした奇跡という氣がする。
米の貯蔵庫としての潔斎され、清浄化した場の変化が、聖なる場へと発展していったとしたら、神道は宗教ではなく作法である点も、理解できる。また、聖なる場となって祝詞、聖音、その他の、言語をともなった音律の影響で、米の突然変異、品種改良、が進んだ理由もわかる。かの大本教の出口王仁三郎も、合気道開祖植芝盛平も、言葉の音響を利して荷物を運び、ハワイあるいは南洋諸国には、木を切り倒す時に罵詈雑言悪口を言って木を伐採するということがなされていたようだが、米や作物を褒め讃えることで、より人に適した作物となったことも理解できる。農薬や、除草剤などやはり野暮なことであろう。
祭祀が行われ、祝詞が、頻繁に唱えられていた伊勢神宮の田で、イセヒカリが自然発生したのもこのあたりに理由があるのではないか。
古代人や中世ののほうが、現代人より優れているという言い方も可能であるので、
無闇に現代人は利口で古代人はオロカ、迷信、俗説、等々を理由にバカにするものでもないと思う。量子力学で科学がやっと、古代人においついた、と思ったりする。
悟りや涅槃を求めるのが仏教じゃないですか? ですからブッダとは覚者と訳されますよ。
神社とお寺の区別がいい年になるまで意識もしないしわかりませんでした。今は、無意識でいられたことが、天皇陛下の大御心と、感謝しております。
動画内「稲を収穫して全部奉納した」
それで稲荷(稲の荷)神社って言うんだ。通りで地元にある狐形の像が睨んでるような顔つきしてるわけだ。米泥棒が侵入したらギョッとするだろうし。罰当たりな事をしないようになのか、神社自体がちょっと怖い雰囲気出ているし
稲荷は秦氏「ハタシ」がひろめたことになってます。実は秦氏は秦の始皇帝の末裔だとかユダヤ人だとか。ヤハウェ「八幡」「矢秦」の「インリイ」=磔(はりつけ)の罪状書が由来だとか言います。インリイが稲荷になったと。一説には始皇帝は鼻は鷲のように高く、彫が深い顔立ちだと記載されてて中東人の特徴を持っていたとか。ユダヤ教とも関わりが有る様に思います。
質問です。
アイヌについてですが、約700年前にシベリア大陸から逃げてきたと認識しています。
アイヌの遺跡も700年より前のものは、見つかっていない。モンゴル帝国ができるときに逃げて来たという認識です。
アイヌが来たから殺しあいがはじまったのではないですか。
私は違う認識です。邪馬台国の謎について書かれた(いわゆる疑似科学?)本で読んだことですが、卑弥呼の時代の日本列島は、今とは南北が逆で、地殻変動で対馬海峡を支点に90度回転して現在の位置になった、そう考えれば、「魏志倭人伝」に書かれた邪馬台国の位置にピッタリ一致するので可能性は高いとのこと。
それとは別に、RUclipsコメントで読んだ話で、北海道に伝わる話では、かつて南方からやってきたアイヌが先住民コロボックルを侵略し、消え去る直前にコロボックルが言った呪いの言葉が「トカップチ」で、「十勝」の語源になったとのこと。
これに私は、こう返信しました。
「(日本列島回転説を説明してから)この、アイヌが南方から来たという話の南方とは、関東や東北方面ではなく、東北や北海道がもっと南にあった頃に、今でいうパラオ・グアム・サイパンあたりから来た可能性がある」と。
そしたら「遺伝子的にはアイヌと琉球(沖縄)人のDNAが同じとも言われているのでその通りかも」と返ってきました。
つまり、アイヌは、位置で言うと沖縄、フィリピン、パラオあたりから来た可能性があるというのが私の考え。
仏様 早くコロナを 止めてください。
日本の仏教っておかしいよね。
霊魂を否定しているのに葬式を担当してる。
霊や魂の概念は神道の概念
うちは神棚もあるし、仏壇もありますね。まさに神道と仏教両方です。
ただ、日本の仏教は祖父母や父母などの霊を祀っている…あたりは神道の先祖神と似た感じですかね。
神棚と仏壇に祖母と母がいる我が家って…神棚には何を祀ってるんだろう?笑
大仏建立の話は多少聞いたことがありますが、ここまで詳しく走りませんでした。聖武天皇の詔、素晴らしいですね。260万人の寄付があつまるということは、神社ネットで天皇の意思が正確に民草まで伝わったということの証明ですね。普通に考えたら伝言ゲームってなかなか正確に伝えるの難しいけど、昔から日本人は真面目で勤勉だったということですね
これが学者の言うことだろうか。彼の自説は彼の自説として聞いておくとしても、家長三郎氏が生きていたら一笑に付すだろう。
い
聖武天皇はユダヤ人と言われてますね。
渡来人の聖徳太子らの仏教派の蘇我氏が、神道の物部氏に勝ったから日本に仏教が広まったのだと思っていたが。しかし、神道と仏教が共存しているのは、やっぱし日本人は平和が好きな民族だって事を表しちょる。それと、行基悪いの行基と言えば、行基図を思い出す。
聖徳太子って渡来人だったんですか!?
@@MatsubaAgeha 間違ってました。蘇我馬子の娘と聖徳太子が結婚したという事だから、聖徳太子は蘇我氏では無かった。
神道と仏教の違い
神道:自立を支援する
仏教:依存させ支配する
強者は自ら立ち弱者は依って存する
それぞれに合った信仰を選ぶ事が出来る