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わかりやすく、面白かったです!
江戸時代の旅事情、興味深いです。庶民が一か月も楽しみのために旅行できるって昔から平和な日本だったのですね。
面白かったです犬の代参の話を別の動画でやってほしい
たいへん面白かったです。一日40キロを踏破するとは健脚が過ぎますね。多い年には400万人以上がお伊勢参りしていたようで、まさしく国民的行事ですね。大店のボンボンの弥次さんと、男前だが売れない役者上がりの喜多さんの関係ですが… 当時で言う陰間の関係でした。原作には、弥次さんが宿で催して、喜多さんにケツを借せと強要する下りがありました。
この動画の良いところ、ナレーターの声が聴きやすい、分かりやすい解説、その他色々、私のお気に入りです。
ありがとうございます。
現代のアスリートの中には一日で40キロを歩きとおすことのできる人は結構いるだろうけど、それを毎日一か月続けられる人と言うのはさすがにそんなに多くないでしょうね。
一生に1度しか遠出の旅行に行けないとか厳しい時代ですね。。。旅行はせめて月イチでいきたい。。。
当時は身代わりに犬がお参りに行った、と聞いたことがあります。一生に一度の一大イベントだったのですね。
面白うございました
江戸時代の健脚な方なら、松尾芭蕉が真っ先に思い浮かびました。また、松尾芭蕉の健脚ぶりなどの話もお願いします。
健脚といえば、大日本沿海輿地全図を作った伊能忠敬もすごいですね。松尾芭蕉は忍者説もあるので、そのうち取りあげたいと思います。
私は以前バックパッカーのような形で歩いて旅をしていたことがあります。その時は1日だいたい30㎞~40㎞でした。でも毎回ほとんど途中の観光抜きだったので、江戸時代の人の健脚ぶりを肌で感じていますそれと江戸市中の庶民については、かなりの文献が残っていますが、地方の庶民はどうだったのか?有名なお伊勢参りや善光寺参り、四国の八十八か所巡礼とか、仙台や新潟の庶民も行ったのか?草津温泉や有馬温泉などは有名な湯治場として有名ですが、ケガや病気を患っているのに遠い距離をどのように行ったのか?考えると疑問ばかりです。
わらじや着替えはどうしたんだろうか?ずっと着た切り雀かな。
お金はどうやって持ち歩いてたんでしょうね。100文の銭差しでも相当な重さがありますけど、紙幣みたいなものがあったのでしょうか?
江戸の人々は丁稚や奉公人を卒業していれば、みんな自営業の一人親方ですから、1か月ぐらいの休暇は取れたんでしょうね。〇〇講という組織自体は東京近郊の農村では昭和期までありました。自分の父親は大山講やら高尾講やらでしょっちゅうお参りに(遊びに)行っていたそうです。費用は各自が出しましたから、講という形態が費用の支弁手段だけではなかったということですね。脚力については、お百姓さんは言うに及ばず、江戸期の一般人は旅路でなくとも、朝から晩まで徒歩で動いてましたからね。農民なら日の出とともに野良にでて、お茶と昼飯以外はずっと歩いているのと同じですし、商人なら外回りはすべて徒歩ですから、市中のお得意さんを回ったり仕入れにいったりすれば10キロ20キロは平気で歩くことになったでしょう。時には早馬に道を譲ることがあったにしても、車に追い立てられることもなく東海道を旅できた当時の人がうらやましい気もします。楽しいお話ありがとうございました。
犬の伊勢参りが盛んだった位に、お伊勢参りは一大ブームだったんだろうね。其も、伊勢神宮の御師の力も有ったんだろうな。
ナンパ歩きだと疲れないだって。右足と右手を一緒出す歩き方。柄杓持って、ただ旅も出来た。
1ヶ月も旅行を楽しめた江戸の人たち。単純に比較すると今の方が貧しい生活かも?😅😂😅😂
2食付きで4千~6千円中山道なら3千~5千円なのに1日1万円って 何に使うんだ??
飯盛り女代!
途中の茶店での休息や、大井川等での渡河、あとは夜遊び…ゲフンガフン旅籠で弁当持たせてくれるならいざ知らず、普通に考えると、道中にはちょっとした休憩所や、草鞋の補修販売を行うトコだってあっただろうし、宿場町以外でも中継地点となる宿坊があったのでは?
わらじ
犬が一人で行ったってホンマかな?トリスウィスキーCMの ダビダビダビダ~♪ かなw
つまり、いまのわいが江戸時代でお伊勢参りをしたら、単純計算で25回も葬式あげられてしまう、ということや………いやまて。20kmでも歩いたらポックリいきそうなので、そう考えると倍の50回も葬式あげにゃならんよな!旅籠代どころの出費やないでホンマ!
わかりやすく、面白かったです!
江戸時代の旅事情、興味深いです。
庶民が一か月も楽しみのために旅行できるって
昔から平和な日本だったのですね。
面白かったです
犬の代参の話を別の動画でやってほしい
たいへん面白かったです。一日40キロを踏破するとは健脚が過ぎますね。多い年には400万人以上がお伊勢参りしていたようで、まさしく国民的行事ですね。
大店のボンボンの弥次さんと、男前だが売れない役者上がりの喜多さんの関係ですが… 当時で言う陰間の関係でした。原作には、弥次さんが宿で催して、喜多さんにケツを借せと強要する下りがありました。
この動画の良いところ、ナレーターの声が聴きやすい、分かりやすい解説、その他色々、私のお気に入りです。
ありがとうございます。
現代のアスリートの中には一日で40キロを歩きとおすことのできる人は結構いるだろうけど、それを毎日一か月続けられる人と言うのはさすがにそんなに多くないでしょうね。
一生に1度しか遠出の旅行に行けないとか厳しい時代ですね。。。
旅行はせめて月イチでいきたい。。。
当時は身代わりに犬がお参りに行った、と聞いたことがあります。
一生に一度の一大イベントだったのですね。
面白うございました
江戸時代の健脚な方なら、松尾芭蕉が真っ先に思い浮かびました。
また、松尾芭蕉の健脚ぶりなどの話もお願いします。
健脚といえば、大日本沿海輿地全図を作った伊能忠敬もすごいですね。
松尾芭蕉は忍者説もあるので、そのうち取りあげたいと思います。
私は以前バックパッカーのような形で歩いて旅をしていたことがあります。その時は1日だいたい30㎞~40㎞でした。でも毎回ほとんど途中の観光抜きだったので、江戸時代の人の健脚ぶりを肌で感じています
それと江戸市中の庶民については、かなりの文献が残っていますが、地方の庶民はどうだったのか?有名なお伊勢参りや善光寺参り、四国の八十八か所巡礼とか、仙台や新潟の庶民も行ったのか?草津温泉や有馬温泉などは有名な湯治場として有名ですが、ケガや病気を患っているのに遠い距離をどのように行ったのか?考えると疑問ばかりです。
わらじや着替えはどうしたんだろうか?ずっと着た切り雀かな。
お金はどうやって持ち歩いてたんでしょうね。100文の銭差しでも相当な重さがありますけど、紙幣みたいなものがあったのでしょうか?
江戸の人々は丁稚や奉公人を卒業していれば、みんな自営業の一人親方ですから、1か月ぐらいの休暇は取れたんでしょうね。
〇〇講という組織自体は東京近郊の農村では昭和期までありました。自分の父親は大山講やら高尾講やらでしょっちゅうお参りに(遊びに)行っていたそうです。費用は各自が出しましたから、講という形態が費用の支弁手段だけではなかったということですね。
脚力については、お百姓さんは言うに及ばず、江戸期の一般人は旅路でなくとも、朝から晩まで徒歩で動いてましたからね。農民なら日の出とともに野良にでて、お茶と昼飯以外はずっと歩いているのと同じですし、商人なら外回りはすべて徒歩ですから、市中のお得意さんを回ったり仕入れにいったりすれば10キロ20キロは平気で歩くことになったでしょう。時には早馬に道を譲ることがあったにしても、車に追い立てられることもなく東海道を旅できた当時の人がうらやましい気もします。
楽しいお話ありがとうございました。
犬の伊勢参りが盛んだった位に、お伊勢参りは一大ブームだったんだろうね。
其も、伊勢神宮の御師の力も有ったんだろうな。
ナンパ歩きだと疲れないだって。右足と右手を一緒出す歩き方。柄杓持って、ただ旅も出来た。
1ヶ月も旅行を楽しめた江戸の人たち。単純に比較すると今の方が貧しい生活かも?😅😂😅😂
2食付きで4千~6千円中山道なら3千~5千円なのに1日1万円って 何に使うんだ??
飯盛り女代!
途中の茶店での休息や、大井川等での渡河、あとは夜遊び…ゲフンガフン
旅籠で弁当持たせてくれるならいざ知らず、普通に考えると、道中にはちょっとした休憩所や、草鞋の補修販売を行うトコだってあっただろうし、宿場町以外でも中継地点となる宿坊があったのでは?
わらじ
犬が一人で行ったってホンマかな?トリスウィスキーCMの ダビダビダビダ~♪ かなw
つまり、いまのわいが江戸時代でお伊勢参りをしたら、単純計算で25回も葬式あげられてしまう、ということや………いやまて。
20kmでも歩いたらポックリいきそうなので、そう考えると倍の50回も葬式あげにゃならんよな!
旅籠代どころの出費やないでホンマ!