柳生心眼流と八極拳の比較
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- Опубликовано: 18 окт 2024
- Aライン,Bライン,ライン取りについての説明動画
• 武術の型で戦う方法 Aライン、Bライン、ライ... #ゆっくり武術解説#柳生心眼流#八極拳
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確かに八極拳と体の使い方が似てるなと思ってました。島津先生に5年間教わりましたが、打撃で拳を打ち出す振り方は腕を取られ折られるのでなるべく体の芯から離さない腕の振りになります。あと腰の高さと体の正中線の位置は柳生心眼流ではもっと低く安定してると思います。拳の握りは指を取られて折られない握り方です。本だと基本しか書いてないから誤解されやすいかもです。懐かしくて嬉しくなりました。本当にありがとうございます!
他流派に共通点を見出していくと意外なルーツに気づいたり、発見があって楽しいですね。やはり人間が戦うためにより効率的な方法を模索していくので似たような手法が用いられることも多かったりもしますしね。
柳生心眼流は甲冑兵法なので八極拳とは発生過程や時代背景が違うし、手足・腰の使い方や体裁きは似て非なるものですね。
昔、少しだけ柳生心眼流を教わったので分かります。
ただ、面白い動画でした。
大昔に柳生心眼流をほんの少し齧った程度ですが、その立場から申しますと、八極拳と柳生心眼流は確かに似ている部分はあります。ただ、力の出し方と言いますか、体の使い方はだいぶ違うのではないかとも思えます。柳生心眼流の場合、表、中極、落と型を進めて行くと、表は劈掛拳に似ている部分が多く、中極、落になるほど八極拳に似ている部分が増える気がします。ただし、あくまでも私見ですが、かつてネット上にあった話で、「柳生心眼流のルーツはジャワ島の武術ではないか」と言う見解に、私は強く興味を持ちました。現在この記事は見当たらないのですが、その方によると、ジャワ島で見た舞踊の動きが心眼流の型そのものだったと言う事です。ご存知のように、武術の動きと古典舞踊には深い関係がある事が多く、その方は「ジャワ島の古代の武術の動きが古典舞踊に取り込まれて今まで伝えられているのではないか」と言う事でした。
何かの書物で、古流柔術は剣術の影響から右構えが主流ですが、柳生心眼流はその右構え対策として、珍しく左構えにしたとか。
柳生心眼流は基本の型に左右対称の構えがあります。
柳生新陰流の源流…愛州陰流の開祖の愛洲移香斎は、若い時に明国に出国したという説もあるので、中国武術の色があっても不思議ではないのかもしれませんね
私も今から44年前に島津先生に習ったことがあります。当時、島津先生を通じて松田先生にもお会いした記憶がありますし、王樹金老師に会ったとも仰ってましたので交流はあったのでしょうが、佐藤金兵衛先生とは違い、島津先生は中国武術に師事はされていないと思います。
当時、私の兄や友人は佐藤先生の所に習いに行ってたので、大和道の柳生心眼流も見ましたが、中国武術の影響を受けて型が異なっていました。(RUclipsで現在の大和道の心眼流をみると、ずいぶん本家帰りしているので驚きました。)島津先生からは柳生心眼流の立場から中国武術との違いを友人と一緒によく教えていただきましたが、先生の教えは中国武術の手法と混在はしていませんでした。
なお、心眼流の握り方で正拳突きをすると指が折れてしまいますよね。
勿論、稽古用の握りではあるのですが、正拳突きをするのでは無く、手の甲を曲げている所に口伝があり、素振りで相手の手を絡め取る技を沢山教えていただいた記憶があります。
肥田式強健術における「集約拳」なる握り方が
この動画の柳生心眼流の握り方とほぼ同じ気がします。
余談ながら刃牙に登場した死刑囚スペックも同じ握り方でした。
どっちかというと心意六合拳に近いと思う。
似てるのは振り打ちの最後だけと思ったなぁ。
猿のように声で自分を奮い立たせ、相手をびびらすとか、懐抱含石や(心意の)野馬翻槽に近すぎる技もあるし。
心眼流は『素振り三年刃のごとし』って言葉が好きだなぁ
打撃主体の柔術ですか・・・
カッコいいですね
柳生心眼流に興味を掻き立てられました
習得したい
島津先生から教わった経験がありますが。心眼流には剛身と言う内功に似た身体操作法があり。これが最も重視されています。
個人的見解ですが。どこかで中国武術の影響があったのかもしれません。あるいは戦国の武術として発展した過程から。結果的に中国武術と似たのでしょうか?
初コメです。拳の握り方、肥田式強健術の集約拳と一緒です。
自分の見解ですが、柳生心眼流にも『仙台傳』『江戸傳』『関西傳』が有り、柳生心眼流が出来上がった頃は『江戸傳』『関西傳』の様に、二人一組で組む、柔だったと思われます。
時代が下り、柳生心眼流近代祖として有名な『星貞吉』師範が、今の一人型の柳生心眼流を作り出したのでは⁉️と思われます。
もし最初から有るなら、『江戸傳』『関西傳』の柳生心眼流にも一人型が無ければ、おかしいですから❗
古本屋で手に入れた「柳生心眼流兵術」によると、竹永隼人からのち、新興の祖とされる「星貞吉」という人は心眼流を学んだあとで1年ほど数人に師事して修行を深めているが、その数人の名前はあれど居住地や子孫が不明で、もしかするとその時期に渡来人に徒手の拳法技法を学んだのでは、と作者は「あくまでの推測」をしています。
個人的には生物学でいう収れん進化な気がしますなあ。
機能を突き詰めれば遺伝的に関係無くても姿が似てくるというやつ。
「真島クン」もカンフー使いを八極拳士にすれば盛り上がったのにねえ。
確か蟷螂拳使いが出てたはずだけど、このあたり振り切れないのがあの先生がいまいちヒットに恵まれない理由なのかなw
あと、柳生心眼流に突きの技法が存在しないということは、「真島クン」の鉄菱で打ち抜くような突き技はマンガのオリジナルってことか。
あの頃、サンデーで拳児やってなかったけ?
柳生心眼流って、仙台に多いよね。松田先生の本にも出ていたな。
『真島クンすっとばす!!』なつい
柳生新陰流の極意を授かったということは、合気もできるんかな?
柳生新陰流の極意って刀と刀が接触した瞬間に相手を固めたり崩したりする合気剣と聞いたことある。
これが使える先生は今、日本に1人しかいないそう。
ファンタジー物のアクションRPGとかで
古武術や昨今の達人系youtuberの武術でごいんごいんモンス狩りするゲーム出ないかなぁ
こんばんわ
心眼流のDVD買いました。
強いですね~心眼流🐯
その昔、仙台の酒場で喧嘩した相手が柳生心眼流をやっててボコボコにされたという話しがあるようなので、ごろごろとまでは言えないまでもそれなりに修行者がいたんでしょうね。
豁打頂肘や小纏に関して套路の形や動きに囚われすぎてて、、、
今回は形が似ているという話だし仕方ないのかと思うところもありますが、、、、
何も知らない人が見て、これが八極拳の技法なのかと思われると少し残念に思います、、、
柳生の無刀取りの考えが柔術を生んだのかも。
こんばんは。
江戸時代の初期に紀効新書が輸入され、かなりの数の兵法家が読書したとか。
技術を自門に取り入れ、技名を少し変えたり、中にはそのまま使っている門派もあるようですね。
真島くん
近年では刃牙のモデルである平直行氏が学んでいるそうだ。
漫画で刃牙が本部流柔術の本部以蔵に入門しようとする場面があるがその影響によるものではないだろうか?
漫画で、自分がモデルのキャラクターが古流柔術を学ぶシーンを見て影響を受けた、ということでしょうか?
それはないと思いますよ。
柳生心眼流を学ぶ前に、整体(操体法)や中国拳法(大気拳)を学んでいるので、そちらの影響の方が強いと思いますよ。
この心眼流って真島クンの陣内流柔術のモデル?
こんばんは。間違いないと思います。八極と心眼流が比較された記事が出て間もなくして連載されましたから。
作者が島津師範に取材してます
@@平唱尊 やはり、そうでしたか。
途中出てきた、山勢巌がまんますぎてもしやと思ってましたw
真島くんで出てくる拳の握り「鉄菱」(中高一本拳の陣内流における名称)は創作なのか?
名称までは覚えていませんが、柳生心眼流では親指を相手に取られて折られない為に、親指を内側に握り込むような拳をつくりますから、自然と一本拳のような形になるようです。
日本兵法大和道の道場は、柳生心眼流を習えるだけじゃなく、八卦掌も学べるみたいですよ。
それは佐藤金ベイ先生のおかげ、私は孫弟子です
仙台城の本丸御殿が背景になっているぞ
そこで御前試合も悪く無い
7:31
スペックじゃん
柳生心眼流と中国武術は似ているが、当然だ!
なぜなら、柳生心眼流を広めた島津先生は中国武術を習っていたから。
あと、佐藤金兵衛先生も中国武術家だよね!
宮城県総合武道が似合う‼️大道塾も宮城が発祥だしな‼️
六分弱で、仕舞いにしていれば、よろしいのに…
真っ直ぐの突きがないのが面白い。
どんな国の武術でも本能的にありそうなのに。
相手が鎧想定だからかな?
でもそれだと肘も痛そう。
振り回してくっついて投げる方が鎧同士の戦いにはいいのかも?
柳生心眼流は強い!
それが結果ですね?
全く違う
古流柔術は相撲とカンフーがルーツなんだろうかな?
どちらかというと、古流剣術(或いは他の武器術)の身法や、戦場での鎧徹し(短刀)を使った首取りの際の組討ち等の方が直接のルーツでは。
江戸時代の武芸、の一言で片付く内容だな。
は?