1964年の「スカイラインの伝説」
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- Опубликовано: 15 сен 2024
- 個人的に大好きな話を動画にしました。
当時の話は色々と面白いので興味を持った方は調べてみては如何でしょうか。
あと意外とスカイラインを開発したのがプリンス自動車だって知られてない気がする。
※式場壮吉氏は2016年に永眠されています。
きっと天国でもクルマを楽しんでいるんでしょうね。
◆VOICEVOX:冥鳴ひまり
voicevox.hiros...
#スカイライン
#日本グランプリ
#式場壮吉
#生沢徹
#1963年
1978年に日産ディーラーに就職して下取りで入ってくる車を乗りまくった。敷地が凄く広かったので検ナシでも。問題点故障個所を正確に申告したもんで「入庫したから頼むわ」。で、一度も見たことが無かったのがロードペーサーと54スカイライン。デボネアやフローリアンさえ入庫したのにね。街でも見なかったなぁ。
S54のシルエットは米国で当時爆発的に売れたフォードマスタングの影響が強いと思う。
負け戦だったけれど戦争で培われた技術は本物。
やっぱりスカGと言えばプリンスのS54Bだよね。
式場壮吉さんは市川市の自宅近くにある小さな車修理屋さんで904の整備をしてもらいそのまま鈴鹿まで自走してレース後も自走で帰宅したと思います。ガレージが私の家の近くなので覗きにいっていましたが904と浮谷東次郎さんが船橋で優勝したレーシングエランがいつもありました。
904は普通?のナンバー付GTカーですから普通に近所を走っていましたよ。その修理屋にはレース前に取り外した904のエアクリーナー等がそのままあります。数年前にプリンスのGTAとBの両方乗ってみましたがBは1速にシンクロメッシュがないのでAの方が街乗りに向いていると思います。(多少の記憶違いがあるかもしれませんけど)
式場と生沢とはライバルでもあり
友人であった
生沢が一周でいいから
トップを走らせてくれと頼み込んだって話は
本人より聞いたことあるよ
ご本人からお話が聞けたなんて本当に羨ましいなぁ〜🤩
テストドライバーの人からもききました
接戦にして盛り上げようと二人で話してたそうです
頼み込んだというのは気遣いでしょう
生澤さんいつまでもお元気でいて下さい。🎉
1956年生まれの私が中学生だった頃、スカイラインはC10型だと思っていました。しかしS54型もたまに走っていた時代です。
車には疎い頃だったのではありますが、このS54型がスカイラインだと知った時は驚きました。形が全然違うのに何で?という思いだったんです。
その後車の事を知る様になってきた頃には、車にはモデルチェンジが有り、モデルチェンジ前と後だと言う事で納得が行った事を覚えています。
勿論、S54型はプリンス自動車製でC10型は日産プリンス製だと言う事はあまり意識が無かったですけれど。
旧車と言われている車に人気が集まっている昨今、このS54型はとても格好いい車だと思いますね。乗ってみたいです。
こういう動画を見ると、当時の事に思いを馳せてしまいます。
式場壮吉さん、生沢徹さん本当に懐かしいですね。
コメントありがとうございます。
以前、旧車を所有している知人の自宅へ行った時に、同じ車種の旧車が3台も車庫にありました。
「何で同じ車を3台も持ってるの?」って訊いたら旧車は故障などをした時に部品が手に入らないことがあるから予備パーツ用に買ったと言ってました(笑)。
今の時代に旧車に乗るのは大変そうですが、いつかは所有してみたいですねぇ〜(๑>◡
@@sabatoralog 様
返信有難う御座います。
予備パーツ様にとはかなりのマニアかプロの方ですよねホント。
以前縦目のグロリアが走っているのを見掛けました。
いやもう~よだれが出ましたね。
縦目のグロリアは今見てもカッコイイですよねぇ〜( ^∀^)
@@sabatoralog 様
本当に格好いいですよ。
デザインのセンスの良さは国内でもズバ抜けていましたからね。
そのプリンスは日産プリンスになるのは1966年でしたね。by酒向正也
スカイラインはプリンス自動車が製作した車種だった。製造元のプリンス自動車はやがてNISSANに吸収合併されるのは知る由すらありませんでした。by酒向正也
国と銀行の都合ですよね
かの櫻井慎一郎氏は両車のレースについて、「海を泳ぐエイと陸を歩くダックスフントを競走させるようなものだった」 と言ってましたね。(2015 NHK プロジェクトX -スカイライン・名車よ 永遠なれ- )
コメントありがとうございます。
当時の外車と国産車では性能差は歴然ですからね。
でも、数年後にはポルシェなどと互角に戦えるまでにした日本の技術者は本当に凄いと思います。
ダックスフンド=マーケットリサーチを兼ねたテストでイギリスに持ち込んだ際に現地でも言われたそうです。
スカイラインの時代なつかしいかった。
スカイラインの話題より、一瞬の欧陽菲菲の話題にびっくりした。
そっちでしたか〜( ^∀^)
生まれる前だけど、日本グランプリで、一瞬だけ、ポルシェの前を走ったスカイライン!ホイールベースを、200ミリ伸ばし、グロリア用の直列六気等エンジンを、ぶち込み、果敢にポルシェに挑んだ!
まさに魔改造!!
徳大寺有恒さんの著書によると、ほぼレーシングカーのポルシェ904カレラとS50スカイラインのボディを伸ばして6気筒を積んだバランスの悪い
S54では最初から勝負にはならなかったらしいです。
ただ当日のレースには免許を取ってまもない初心者レベルの人がフェアレディで参加して、数周もしないうちに周回遅れになる程のお世辞にも運転
が上手とは言えない人がおり、式場さんのポルシェはその周回遅れのフェアレディを抜こうとしたら、そのドライバーは直線さえもまともに走れず
式場さんが困っていたところに生沢さんが抜いたらしく、式場さんは何時でも抜き返すことはできたのですが、レース前の約束を思い出して、メイ
ンスタンドまでは生沢さんに華を持たせたみたいですね。
1:11頃に映っているフェアレディがその当事者かもしれません。
「当時の日本グランプリには普通のおばさんも参加していた」みたいなことを式場氏が話していた覚えがあります。
その「おばさん」がフェアレディのドライバーだったのかもしれませんね(^^)。
そのオバサンって河口湖自動車博物館オーナーの夫人だったはず
それは知りませんでした!!👍
此のレースが八百長噂されるのはポルシェの修理と車検を友人の生沢さんが手伝っていたからなんだよね!(^_^;)
その周回遅れの車はフェアレディではなく、トライアンフTR-4の事と思います。JAFのサイトからリザルトを参照できます。
世間ではAよりBのが評価が高いが、第2回日本グランプリでポルシェを抜いたのは54A(運輸省へ提出された仕様書の型式はS54A-Ⅰ)だかんね。
標準はシングルキャブ、ウェーバーはあくまでオプションだった。
コメントありがとうございます。
この時のスカイラインはボディーを切って伸ばしたりと、かなりバランスの悪い車だったみたいですね。でも運転したら面白そう( ^ω^ )。