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実は私…。鳥人間コンテストの審査員をしているものです!(笑)大変よく調べられ、正確な情報を伝えるこの動画に、とても敬服致しました。本庄氏が自転車の開発をしていたことは、正直、私も存じ上げていませんでした!もともと本庄氏が鳥人間大会用の機体設計をしたのは、よみ〇りテレビから依頼されたこともありました。鳥人間大会を仕掛けた張本人は、「山崎勇助」という㈱UPジャパンという会社を設立した人物です。彼はイギリスで行われていたバードマンラリーを面白いと思い、これを日本で行うべくよみ〇りテレビにその企画を持ち込みました。説得力を出すべく、当時、ハンググライダー連盟理事をされていた宮原旭氏と共に、よみ〇りテレビに話を持ち掛けます。テレビ局はこの企画を採用しますが、番組を面白くするために「本命」の機体が欲しいと感じます。そこで白羽の矢が立ったのが本庄氏…。動画でも紹介されていますが、そういうことに本庄氏は興味津々…。二つ返事で鳥人間大会優勝用の機体設計を行った、そう私は聞いています。機体の製作は、当時ハンググライダーを製作していた、ファルフォーク社の飯田工場で行われます。目論見どうり、この機体は、第一回鳥人間大会で見事優勝!この時のパイロットは岡良樹氏…。この岡氏はその後、鳥人間大会の審査員を長らく務めることになりますが…。どうも、周りがヒコーキオタクばかりの審査員の仕事がしんどくなったらしく…。「俺の代わりしてくれない?」と、代わりの審査員を頼んだのが、この私といういきさつがありました…。上のいきさつについて、既に番組を制作しているよみ〇りテレビも方も、ご存じの方はいないようなので、ちょっとここで公開しておきますね!
1970年頃「Uコン」という模型飛行機をやっていて、私の機体は09や15エンジンだったのですが、有名な「プリンス45」に憧れていました。「鳥人間コンテスト」にその作者の人の名前が出ていたのを見たときは(ずっと飛行機が好きだったんだな)と何だか嬉しかったです。
コブラで有名な楠さんも出ていました。
大学生の頃 飛行機同好会を友人と作りまして その時講演会をやったんですが 第一回目の講師がこの本庄季郎さんでした。どうやってお願い出来たのかは解りませんが 学生がやってるのならと二つ返事でOKされたみたいです。懐かしいです。
一式陸攻で凄い所は、あの長大な燃料タンクを含む主翼が、胴体に片持ち式に取り付けてあり、胴体内部はコクピットから尾部銃座までフラットな居住空間が有り、爆弾倉はその床下にあった事です。これは、アメリカのB-17やB-29さえ、胴体を貫通する主桁を必要として、爆弾倉は胴体を まんま利用して、乗員は爆弾の間を縫って後部に移動しなければならなかった事を考えると、まさに画期的だったと言えます。(兵器)として考えたら、どちらが合理的かと言われたら、とにかく爆弾を多く積めた方が勝ちなんでしょうが、この辺りに居住性や使い勝手にこだわった、日本人の感性を感じます。平和な時代なればこそ、その感性が生かされたんでしょうね。
鳥人間コンテストに、本物の技術者が出場していたとは😱😱😱空への熱い思いが、心の中に燃え続けていたんですね😊でも戦後は、知識と経験を遺憾なく発揮してくれた事は、日本の復興の一助になったと思いますね☺鳥人間コンテストと聞いて、心に熱き思いが蘇ったのは、本当に良かったです☺戦時中に亡くなられたパイロットの英霊達も、応援していたかも知れませんね☺
あれが線路の上走ったら新幹線ですな
第一回鳥人間コンテストは「びっくり日本新記録」の1競技だった第一回大会、見てたなぁ~でも優勝機しか記憶にない(笑)
第一回鳥人間コンテストで本庄季郎さんが登場したのもすごけりゃ、解説してるのは木村秀政さんwアナ「設計は本庄さんと言うことでご存じなんですか?」木村「ええ…大先輩です(苦笑」なんてやり取りがあった
懐かしいやり取りですね
@@tigerbirkin 懐かしいと言うか凄い時代でしたねw
一式陸攻、本当にかっこよくて大好き。護衛機も無い状態で落とされたのを弱いからと言われてしまう不憫さ。
戦後の技術革新には、多くの航空機技術者が関わっていますね。常に未知の最先端分野で活躍された方々が、日本の技術革新に貢献されています。
この方だったか記憶が定かではありませんが旧軍軍用機の設計者が人力飛行機設計に参加!とアナウンスしていて結果は思ったほど飛距離が伸びず、不本意だったのか首をひねっていたのをうっすらと覚えています。
第2回大会ですね。
今回の動画は非常に興味深い!あの自転車見た事あるけど、この人の設計とは驚いたわ~
初期の「鳥人間コンテスト」は既製品の様なハンググライダーや、素人が見ても強度不足と思える外見で発進直後に主翼が付け根から折れたり、コミカル部門か?みたいなのばかりでまともなのはありませんでした。
9:22 重要軍需物質だったが死蔵していた航空機用ジュラルミン材を使用
リクエストです。KC-10とかって解説できますか?お願いします
鳥人間コンテスト、40年?近い長年で1回目、滑空機部門で優勝は、約88mでも、今年は、550m越え!・・・実に凄い! 人力プロペラ機部門では、琵琶湖の対岸へその後、往復、その後、1周での、約60km飛行など・・・
トンボで実験!トンデモ実験!ヒサヒトも思い付かない?
6000kmでは東京-ニューヨーク間は飛べませんね。マイルと間違ったかな?
1:20 桜花を抱えた一式陸攻 R.I.P
新幹線は月光が元
なんか一式陸攻の太い胴体を見ていたらこれに堀越二郎はインスパイアされて雷電のあのデザインをした気がしてきたエンジンも同じ三菱の火星だしアニメで見るといろいろ協力しあってるし影響はあったと想像
一式陸攻の太い胴体は「人が立って歩ける」様にしたんじゃなかったかな。
雷電はその必要はないですけどね96艦戦、零式と極限まで軽量にこだわった堀越二郎が何故雷電で極端な変化を見せたのか不思議だったなにせエンジン部より胴体部の方が太いですからねとても同じ設計者とは思えないし他の日本機から見ても異質
雷電は大径のエンジンを積んでも空気抵抗が少なくなるように胴体を紡錘形(ぼうすいけい)にした。エンジンカウルの先を絞って強制空冷ファンを付けて、胴体中央は太くして機尾に向かってまた絞った。当時は表面積が増える分空気抵抗が増えてしまい紡錘形のメリットを上回るのが分からなかった。
堀越二郎曰く、雷電は会心の作という自己評価だし本人の言を信じるならエンジンの振動問題を除けばそこまで酷くなかったのでは
二郎さんは本庄さんの事嫌いな気がする本庄さん改造の32型の翼端、速攻で直された雷電の胴体はあの形が空気抵抗が少ないとの考えに取り憑かれてたから烈風も似た感じ
一式陸攻が低空飛行してる有名なあれ写真が取られた後、海面に衝突してるんですよ……
この飛行機は、 印象に残る 飛行機ですね。そんな飛行機でしたか さすが。
人力飛行機じゃなくて滑空機だよ・・・。彼は人力飛行機には関わっていない・・・。
一式陸攻て米国からワンショットライターと呼ばれてたよ、一度の機銃掃射でボーツと🔥がつき墜落だわさ。
それ程簡単には火は吹かんよ、敵機の搭載機銃の多さから弾幕で分解されるように墜とされる
米軍パイロットの認識では弾を撃ち込んでもなかなか落ちないし、後ろを取ると20mm機銃の反撃が強力で手強いと聞いたことがあります。「撃たれたらおしまい」という陸攻搭乗員の自嘲が一人歩きしたのではと思います。
@@Yumekui1166 ワンショットライターって呼んでたのは当の日本側搭乗員で米軍側ではタフな機体でなかなか落ちないって評価されてますよ?
一式ライター…😱
実は私…。鳥人間コンテストの審査員をしているものです!(笑)
大変よく調べられ、正確な情報を伝えるこの動画に、とても敬服致しました。
本庄氏が自転車の開発をしていたことは、正直、私も存じ上げていませんでした!
もともと本庄氏が鳥人間大会用の機体設計をしたのは、よみ〇りテレビから依頼されたこともありました。
鳥人間大会を仕掛けた張本人は、「山崎勇助」という㈱UPジャパンという会社を設立した人物です。
彼はイギリスで行われていたバードマンラリーを面白いと思い、これを日本で行うべくよみ〇りテレビにその企画を持ち込みました。
説得力を出すべく、当時、ハンググライダー連盟理事をされていた宮原旭氏と共に、よみ〇りテレビに話を持ち掛けます。
テレビ局はこの企画を採用しますが、番組を面白くするために「本命」の機体が欲しいと感じます。
そこで白羽の矢が立ったのが本庄氏…。
動画でも紹介されていますが、そういうことに本庄氏は興味津々…。
二つ返事で鳥人間大会優勝用の機体設計を行った、そう私は聞いています。
機体の製作は、当時ハンググライダーを製作していた、ファルフォーク社の飯田工場で行われます。
目論見どうり、この機体は、第一回鳥人間大会で見事優勝!
この時のパイロットは岡良樹氏…。
この岡氏はその後、鳥人間大会の審査員を長らく務めることになりますが…。
どうも、周りがヒコーキオタクばかりの審査員の仕事がしんどくなったらしく…。
「俺の代わりしてくれない?」と、代わりの審査員を頼んだのが、この私といういきさつがありました…。
上のいきさつについて、既に番組を制作しているよみ〇りテレビも方も、ご存じの方はいないようなので、ちょっとここで公開しておきますね!
1970年頃「Uコン」という模型飛行機をやっていて、私の機体は09や15エンジンだったのですが、有名な「プリンス45」に憧れていました。「鳥人間コンテスト」にその作者の人の名前が出ていたのを見たときは(ずっと飛行機が好きだったんだな)と何だか嬉しかったです。
コブラで有名な楠さんも出ていました。
大学生の頃 飛行機同好会を友人と作りまして その時講演会をやったんですが 第一回目の講師がこの本庄季郎さんでした。どうやってお願い出来たのかは解りませんが 学生がやってるのならと二つ返事でOKされたみたいです。懐かしいです。
一式陸攻で凄い所は、あの長大な燃料タンクを含む主翼が、胴体に片持ち式に取り付けてあり、胴体内部はコクピットから尾部銃座までフラットな居住空間が有り、爆弾倉はその床下にあった事です。
これは、アメリカのB-17やB-29さえ、胴体を貫通する主桁を必要として、爆弾倉は胴体を まんま利用して、乗員は爆弾の間を縫って後部に移動しなければならなかった事を考えると、まさに画期的だったと言えます。
(兵器)として考えたら、どちらが合理的かと言われたら、とにかく爆弾を多く積めた方が勝ちなんでしょうが、この辺りに居住性や使い勝手にこだわった、日本人の感性を感じます。
平和な時代なればこそ、その感性が生かされたんでしょうね。
鳥人間コンテストに、本物の技術者が出場していたとは😱😱😱空への熱い思いが、心の中に燃え続けていたんですね😊でも戦後は、知識と経験を遺憾なく発揮してくれた事は、日本の復興の一助になったと思いますね☺
鳥人間コンテストと聞いて、心に熱き思いが蘇ったのは、本当に良かったです☺戦時中に亡くなられたパイロットの英霊達も、応援していたかも知れませんね☺
あれが線路の上走ったら新幹線ですな
第一回鳥人間コンテストは「びっくり日本新記録」の1競技だった
第一回大会、見てたなぁ~でも優勝機しか記憶にない(笑)
第一回鳥人間コンテストで本庄季郎さんが登場したのもすごけりゃ、解説してるのは木村秀政さんw
アナ「設計は本庄さんと言うことでご存じなんですか?」
木村「ええ…大先輩です(苦笑」
なんてやり取りがあった
懐かしいやり取りですね
@@tigerbirkin 懐かしいと言うか凄い時代でしたねw
一式陸攻、本当にかっこよくて大好き。
護衛機も無い状態で落とされたのを弱いからと言われてしまう不憫さ。
戦後の技術革新には、多くの航空機技術者が関わっていますね。
常に未知の最先端分野で活躍された方々が、日本の技術革新に貢献されています。
この方だったか記憶が定かではありませんが旧軍軍用機の設計者が人力飛行機設計に参加!とアナウンスしていて結果は思ったほど飛距離が伸びず、不本意だったのか首をひねっていたのをうっすらと覚えています。
第2回大会ですね。
今回の動画は非常に興味深い!
あの自転車見た事あるけど、この人の設計とは驚いたわ~
初期の「鳥人間コンテスト」は既製品の様なハンググライダーや、素人が見ても強度不足と思える外見で発進直後に主翼が付け根から折れたり、コミカル部門か?みたいなのばかりでまともなのはありませんでした。
9:22 重要軍需物質だったが死蔵していた航空機用ジュラルミン材を使用
リクエストです。KC-10とかって解説できますか?お願いします
鳥人間コンテスト、40年?近い長年で
1回目、滑空機部門で優勝は、約88m
でも、今年は、550m越え!・・・実に
凄い!
人力プロペラ機部門では、琵琶湖の対岸へ
その後、往復、その後、1周での、約60km
飛行など・・・
トンボで実験!トンデモ実験!ヒサヒトも思い付かない?
6000kmでは東京-ニューヨーク間は飛べませんね。マイルと間違ったかな?
1:20 桜花を抱えた一式陸攻 R.I.P
新幹線は月光が元
なんか一式陸攻の太い胴体を見ていたらこれに堀越二郎はインスパイアされて雷電のあのデザインをした気がしてきた
エンジンも同じ三菱の火星だしアニメで見るといろいろ協力しあってるし影響はあったと想像
一式陸攻の太い胴体は「人が立って歩ける」様にしたんじゃなかったかな。
雷電はその必要はないですけどね
96艦戦、零式と極限まで軽量にこだわった堀越二郎が何故雷電で極端な変化を見せたのか不思議だった
なにせエンジン部より胴体部の方が太いですからね
とても同じ設計者とは思えないし他の日本機から見ても異質
雷電は大径のエンジンを積んでも空気抵抗が少なくなるように胴体を紡錘形(ぼうすいけい)にした。エンジンカウルの先を絞って強制空冷ファンを付けて、胴体中央は太くして機尾に向かってまた絞った。当時は表面積が増える分空気抵抗が増えてしまい紡錘形のメリットを上回るのが分からなかった。
堀越二郎曰く、雷電は会心の作という自己評価だし本人の言を信じるならエンジンの振動問題を除けばそこまで酷くなかったのでは
二郎さんは本庄さんの事嫌いな気がする
本庄さん改造の32型の翼端、速攻で直された
雷電の胴体はあの形が空気抵抗が少ないとの考えに取り憑かれてたから
烈風も似た感じ
一式陸攻が低空飛行してる有名なあれ写真が取られた後、海面に衝突してるんですよ……
この飛行機は、 印象に残る 飛行機ですね。そんな飛行機でしたか さすが。
人力飛行機じゃなくて滑空機だよ・・・。彼は人力飛行機には関わっていない・・・。
一式陸攻て米国からワンショットライターと呼ばれてたよ、一度の機銃掃射でボーツと🔥がつき墜落だわさ。
それ程簡単には火は吹かんよ、敵機の搭載機銃の多さから弾幕で分解されるように墜とされる
米軍パイロットの認識では弾を撃ち込んでもなかなか落ちないし、後ろを取ると20mm機銃の反撃が強力で手強いと聞いたことがあります。「撃たれたらおしまい」という陸攻搭乗員の自嘲が一人歩きしたのではと思います。
@@Yumekui1166 ワンショットライターって呼んでたのは当の日本側搭乗員で米軍側ではタフな機体でなかなか落ちないって評価されてますよ?
一式ライター…😱