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うる星やつら が連載されていた頃週刊少年サンデー 読んでいました☺️懐かしいですねー🎵
うる星やつらでサンデーを定期的に買うようになりました。この頃のサンデーはジャンプやマガジン以上に好みの面白い作品が目白押しでお買い得感が高かったですね。
ヒット作を連発しながら未だに週刊連載を続けてる高橋留美子先生スゴすぎ
なんか妖かい!?すきだった
Dr.スランプとうる星やつらの水曜午後7時台のゴールデンコンビ感は伝説にして、お台場に移ってしまうまで続くフジテレビ全盛期の始まりでもあった
平成になってからうる星やつらの原作者の高橋留美子氏はアラレちゃんの原作者の鳥山明氏と水曜夜7時台のゴールデンコンビを降りた
サンデーの絶頂期はちょうど1980~84年の学生時代にあたりますのでものすごく懐かしいです。古くは水木先生が「河童の三平」や「ゲゲゲの鬼太郎」を連載していた頃や石川先生の「ゲッターロボ」、梶原・桑田両先生の「ゴッド・アーム」が印象深いです。
今回とりあげられた時期はちょうど私の中学・高校時代にあたり、教室内での反響はまさにサンデー、ジャンプの順だったのを記憶しています。あと「なんか妖かい!?」は絵もキレイで、短い連載期間でしたが、雑誌付属のアンケートはがきを贈ったら翌年のお正月に里見先生の絵の年賀はがきが届いてビックリしたのを覚えてます。
どうも、週刊サンデー系の好きな漫画は後半のようです楽しみにしています
サンデーは六三四の剣、ふたり鷹、火の玉ボーイとか線がシャープなのが好きでした。ふたり鷹は連載当初はハード路線とお笑い路線を行ったり来たりしていましたが、耐久バイクレースに的を絞ってからしっかりとしてきた印象がありますね。同じ頃マガジンではバリバリ伝説やあいつとララバイなどありましたが、メカニカルな箇所の描写はやはり新谷先生が一歩抜きん出ていました。
六三四の剣の裏番組は 週刊少年ジャンプの人気アニメ 北斗の拳が放送していた
ピントぴったし!懐かしすぎて吹いた
現代だといろいろアウトですよねw
あれだけスカートの中に情熱をかけるのは素晴らしい。
ありがとうございます。放課後店番してるとお客のお兄さんから貰って読んでました。みやたけし先生がいる!アニメ作品がある!と見ているうち、上條淳士、安永航一郎、島本和彦、ゆうきまさみ、克・亜樹、そして中津(うかつ)賢也先生など多くの大先生の登場を楽しく読んでました。
2:29うる星やつらが出てる目次・・の左ページ「ダメおやじ」じゃないですか・・1974年にアニメ化(ナック)され1982年まで連載されましたが「テレビ東京がアニメを放送しているうちは大丈夫」と云われるテレビ東京の国産アニメ放送第1作目。歴史の1ページ目なんですよね。EDは今でも心に滲みてしまいます。サンデーは良かった。58年頃はサンデーとチャンピオンとスピリッツを買ってたかなと。1度だけ小山田いく(チャンピオン)とたがみよしひさ(スピリッツ)の田上兄弟(喜久、勝久)の合作が有ったのもこの頃だったかな。良き時代でした。
週刊少年サンデーの古くからのファンです。創刊~60年代のサンデーは名作揃い!挙げていくと、0マン・W3・どろろ(手塚治虫)、伊賀の影丸・仮面の忍者赤影(横山光輝)、おそ松くん・もーれつア太郎(赤塚不二夫)、オバケのQ太郎・パーマン(藤子F不二雄)、ビッグ3(藤子不二雄A)、サブマリン707・青の6号(小澤さとる)、スーパージェッター(久松文雄)、河童の三平(水木しげる)、サスケ(白土三平)、おろち(楳図かずお)、…レジェンドの作品多数!是非この時代のサンデーも特集してほしい!
タッチとうる星やつらは再放送で観てましたかっちゃんが死んだ回は泣きましたね後GU-GU-ガンモはリアルタイムで観てました
自分はプロレスファンだったので『プロレススーパースター列伝』が大好きでした😁てか自分のHMは、この作品がなかったら、今とは違ったものとなっていたでしょうし🥺
懐かしい!当時プロレスごっこをしながら列伝風に「ホゲ~ッ」と悲鳴をあげるのが流行ってました。
サンデーといえば、ゲッターロボ、サバイバル、漂流教室、どっきりドクター、ただいま授業中 おやこ刑事、読んでたなぁ
当時うる星やつらが好き過ぎてサンデーは買うけどコミックでまとめて読みたかったため「うる星やつら」のページだけ破いてサンデーを読むといった奇行をしていた。
「うる星やつら」と「プロレススーパースター列伝」好きでした。雪山で髪と髭が延び放題になった龍之介の親父がブルーザー・ブロディに酷似していたのを思いだしました。
ブルーザー・ブロディは石原裕次郎の命日の当日1年後に殺害された
ブッチャーの地獄突きの練習が印象的。
ブッチャーの空手の師匠でグレート・カブキ編でも出てきたガマ・オテナ先生は実在しないのよね
@@user-ij6d さま へえそうなんですか。それは知りませんでした。
昭和56〜57年当時、自分はジャンプ派でサンデーは読んだことがなかった。しかし、昭和59年に入ってから、兄貴が『タッチ』の単行本を買い始めたのをきっかけにサンデーの購読を始め、自分もその影響でサンデー派になった。フジテレビでアニメ化された作品は、サンデーを読み始める前から見ていたな。80年代中盤、タッチとうる星やつらが連載終了したのは、サンデーの一つの時代の終わりを象徴していたようでもある。
うる星やつらのラムちゃんてのは当初は第1話だけのゲストキャラの予定だったって知った時ビビったわ
第2話は出てないもんね。それと作中昭和生まれじゃないと分からないネタが沢山ある。
週刊サンデーも好きな漫画が載っていた雑誌ですが、いつか、増刊サンデーや少年ビックも取り上げて欲しいですね
ファントム無頼、ナイン、風の戦士ダン、人類ネコ科、とってもひじかたくん、八神くんの家庭の事情、徳川生徒会・・・
少年ビッグコミックなら、エリア88とみゆき以外ではミュウの伝説(野部 利雄)、あ!MYみかん(柳沢きみお)、一撃伝(大島やすいち)が記憶に残ってる
舞(池上遼一)にラブZ。マガジンだとコータローまかりとおる、コンポラ先生、ガクラン八年組。何故こうも評価が低いのか。
青春のバイブル「プロレス・スーパースター列伝」「苦労した話は自慢話」、「「地道な二段だから良い」など、タイガーマスク編は影響を受けました
梶原一騎の創作だとは分かってるけどミル・マスカラスの苦境の中にあっても「俺は男だ!信念の為に血を流すメキシカン」という言葉の響きに熱くなりました。
此の頃は結構漫画に嵌まったなー月曜日が少年ジャンプ、水曜日が少年サンデー、マガジン木曜日がヤングジャンプ、金曜日が少年ビッグ後にヤングサンデー、ビジネスジャンプ結構金を使った時代
サンデー一筋64年❤貴女一押し致します😂
うる星やつらの最初のロゴ、凄いな・・・
サンデーのピークってそんなに昔だったんですね。僕はがサンデー買い始めたのは、究極超人あ〜るがきっかけだったので、凋落はもう始まってたのか。
ラブコメブームで、勢いに乗りまくっていた当時の少年サンデー。まだ高校生だった「浦安鉄筋家族」の浜岡賢次が、自作を持ち込んだが、「何だ、このマンガは女の子が登場しないのか」と、編集者に相手にされなかったと語っていましたね(笑)。
最近になって浜岡先生萌え傾向になってきているけど、でも作中あんなに💩を描く人サンデーには合わないと思う。
うる星やつら、連載開始当時はあたる達の方が年上でしたが、あっという間に追い抜いてしまいました。アニメ版ふたり鷹、オープニングを歌っていたのが陣内孝則さんでビックリしたのを憶えています。
サクラ先生の歳も超えてチェリーの歳に近づきつつある…定めだな ぁ
5:25エリート街道まっしぐらと言うべき鶴田のプロレス人生を、どういう風に列伝的な泥臭さで描いていたのか今となっては誰もわからないですね。
殆どフィクションだったんですけどね。どういう描かれた方したんでしょう?
ハンセン編で鶴田が「スタン、僕の国の力道山先生は首へのチョップで活躍したらしい」と言った言葉がヒントになってラリアートを開発し腕が腫れるまでタイヤに叩きつけた、という創作エピソードがありました。(後年ハンセンがこのシーンを見て「こんな練習やったことないな」と笑ったと聞きました)
プロレススーパースター列伝のA・猪木、談について猪木は語った記憶がないそうだ
連載が始まって2年目くらいの話、梶原邸にて原田久仁信先生「毎週猪木さんにはお話を聞いてるんですよね。あの忙しい猪木さんが毎回解説してくれるのは凄いですね」そうしたら、梶原先生は実にあっさり即答しましたよ。「・・・おめえナニ言ってんだ。そんな訳ねえだろう!」あれは衝撃だったなあ…ほとんど梶原先生の創作だったんですから(笑)。でも後から思うと、それに対して何も注文をつけなかった猪木さんの度量も凄いですよね。作品がプロレス人気に繋がるならと全部許していたんでしょうから。
プロレススーパースター列伝といえばやはり「ホゲェ〜!!」だな😅
うる星とタッチの他にもこの頃は六三四とかふたり鷹とかただいま授業中とか男大空とか粒ぞろいだったんよね。今はラブコメと言えばマガジン、って感じだけどこの頃はラブコメといえばサンデーで、アニメ化作品も多かった。ただダッシュ勝平とかさすがの猿飛(増刊)は今なら完全にアウトだな…w
なんかこの頃のサンデー関連は良い意味でも悪い意味でもTVアニメで興味持って漫画のほう読んでみたら絵柄の違いにえっ?となった事が多いよなぁってのが個人的印象
サンデーは高橋留美子先生という天才の出現が編集部を誤解させてしまったのかもしれませんね。それはうる星連載以降いわゆるサンデーっぽい作品の割合が多くなっていったような気がするところからも伺えます。
岡崎つぐおはジャスティがかっこよかったな、あの頃のサンデーはSFテイストが多かったように思う。
新人賞入選作「2年A組星子先生」とリンクしてたんだよね。姉の星子先生は、死亡してしまいましたが
80~90年代に一世を風靡した「らんま1/2]」「機動警察パトレイバー」もサンデーの部数アップに貢献していないとは…
キックオフの見つめ合う二人は他の漫画でよくネタにされてたwww
アニメのダッシュ勝平は、漫画版と違い最初からかなり低い頭身で話が進むにつれ、さらに低くなり幼稚園児並みにまでなりました。ラグナロックガイは、ただいま〜を読んでいた身としてはいきなりハードSFで、驚きましたね。あの当時、美樹本晴彦氏のキャラっぽくて安彦良和氏の鼻影がついた細野不二彦氏似の絵が好きでしたw 村上もとか先生の作品は、F1ブームの時読んだ赤いペガサスが好きでした。 ふたり鷹のアニメ化は酷かった。作画崩壊がひどくて新谷かおる先生が可哀想で…。まあ、キャラデザしたけど酷かったのは、宇宙大帝ゴッドシグマも同様か。というか、国際映画社の作画が酷いのか❗️たがみよしひさ氏キャラデザの超光速ガルビオンも酷かったからなぁ。まあ、アニメ化には気をつけようって事でw
この時期にサンデー購読し始め(列伝が読みたくて)たので、ジャンプには負けてもマガジンには勝ってるだろ!?と今でも思ってしまう…。1982年の少年誌を比較したブログを今書いてますが、この時期のサンデー面白いよ、やっぱり。86、87年あたりから酷くなってる印象だな。
あだち充、高橋留美子、細野不二彦、石渡治、原秀則、六田登、村上もとか世代から青山剛昌、藤田和日郎、満田拓也、河合克敏、西森博之、藤原芳秀、久米田康治世代になるまでの間に失敗があったと思う。本来ならこの世代の間であるゆうきまさみ、上條淳士、島本和彦、中津賢也、安永航一郎、鈴宮和由、中原裕世代がサンデーを支えなければいけなかったはずなのだが…。
サンデーに男臭い「列伝」は異色かな、と思ってたけど意外にマッチした。プロレスと言えば「1・2の三四郎」「愛しのボッチャー」「四角いジャングル」等のマガジンの独壇場と思ってたんで新鮮だった
サンデーの衰退って言うか、ジャンプをはじめ全体的に終わってきてるんだなぁ、漫画が終焉とは思わないけど紙の漫画は終わりなのかもね。
子供の数が今とは段違いなので
サンデー全盛期から衰頽奇❤
ダッシュ勝平と六三四の剣もサンデーだったんだ
さわやか路線のサンデーは肌に合わなかった。チャンピオンは濃すぎて胃もたれ。ジャンプを主食にしてマガジンを汁物にしてた小中高時代。
毎週水曜日夜7時30分はうる星やつら派と水曜スペシャル派と別れていたな
少年サンデーと言うと、古くは「サブマリン707」や「男組」が真っ先に思いだしますよ。80年代は、当時よく行った喫茶店に置いてある少年誌や青年雑誌を読んでいて、なんのマンガがどの雑誌か分からないことがありました。
@@AkMs-wk6mz 「男組」懐かしいな。(拳法漫画の走りという事になるのかな)こんなヤクザ顔負けの高校生達がいてたまるか 、と思うんだけど高橋留美子先生も憧れたという圧倒的な劇画力で作品を成立させてしまう池上僚一先生流石でした。
うる星やつらは当時の大黒柱的存在アニメもだけどうる星ファンマニアは、半端じゃあなかった
さよなら三角やん!コミックぜんぶもってた、
段々絵が上手くなっていく原秀則の、成長を見てるようだった。スクリーントーンさえ、知らなかったというから…
サンデーの凋落かぁ…当時のサンデーはスタイリッシュだった当時の中高生には、それなりに刺さったけど、それは「ダメおやじ」とか「まことちゃん」とかでサンデーが好きになった世代キッズはコロコロコミックとハッキリ住み分けちゃったから、まあ、読者層のエスカレーターがおこらなくなるわな…あと、焦らして焦らす「ラブZ」が、突然路線の変更して、取り返しがつかないほどつまらなくなったせいというのは、個人的な偏見
六三四の剣、ダッシュ勝平、ふたり鷹、炎の転校生と、ハマった漫画は数あれど、どれも後に単行本で読んだクチだし、猿飛、ガンモ、タッチはアニメのみで原作に手を出すほどにはハマらんかったなあ。実際サンデーを買うようになったのはうしとらのあたりだから、既にピークは過ぎていたのか…うーん…。
六三四の剣がテレビ東京で放送していた時間帯裏番組のフジテレビは週刊少年ジャンプの人気アニメ 北斗の拳が放送していた
少年漫画誌ってほとんどの場合主人公が少年なんだけど、なぜかサンデーって社会人が主人公のがいくつもあって、そこがなんかちょっとだけ大人っぽい雑誌を感じてた。ただいま授業中、どっきりドクター、ダメおやじ(の後期、ギャグ路線が薄れた頃)、プロレススーパースター列伝など…そこが好きだったんだけど、あるいは凋落の原因かしら?
言われてみると他誌でおっさんが主人公なのは「こちら葛飾区亀有公園前派出所」「ブラックジャック」「空手バカ一代」くらいしか思い浮かばないな…
サンデーは読んでいませんでしたが、うる星やつら、タッチ、ダッシュ勝平、グーグーガンモ、さすがの猿飛テレビアニメ見てましたね📺️❇️懐かしいですね😄
サンデーも全盛期があったんですねえ、ジャンプに迫る位の。じゃあ、今に至る低落の原因は何なのだろう?後編が楽しみ。全く個人的に思うのは、サンデーは絵柄とかおしゃれだけど、芯が無いていうか、しっかりしたメッセージが無くて軟弱なイメージがあるけど、それが原因かな?
ジャンプ、マガジンよりもサンデー派だった。
炎の転校生を立ち読みした雑誌
うる星以前に好きだったのは池上遼一、小山ゆう、大島やすいち。当時の人間が今の通勤電車に乗ったら、誰もマンガ週刊誌を読んでない事態に驚愕するでしょうね (^^)
「友情・努力・勝利」はジャンプのスローガンだけど「男組」も「おれは直角」も100%それに当てはまる作品ではあったと思いました。
デビュー作、高橋留美子の「勝手なやつら」とあさりよしとおの「木星ピケットライン」は衝撃だったなあwチャンピオンのとりみき「ぼくの宇宙人」も衝撃だった、この程度の作画でデビュー出来るんだとwwwww
動画の内容すごいいいんだけど..もう少し普通に話してくれませんか?
小学館って作者を使い捨ての道具程度にしか思ってないって本当なんかなセクシー田中さんの作者さんも日テレと小学館が追い詰めて自殺させたようなものだし ドル箱作者連中以外は本当酷い扱いしてる所なのか
小林よしのりが集英社も酷いと書いてましたね。
一球さんだろ
う~ん、微かに記憶がある。一球さんの友人で拳骨でボールを受け止める男。彼は硬貨しか持った事がなく紙幣という物を知らない…記憶違いだったらご免なさい。
月刊少年サンデーってやりましたっけ?
月刊少年サンデーって雑誌は雑誌自体がなかったですよ
@@user-ribonchan ああ増刊号でしたっけ?
@@OhkamiAkira 現在のゲッサンが創刊される前は週刊少年サンデー超などが週刊サンデーの増刊って感じで月刊だったり隔月刊で出てましたそのさらに前には別冊少年サンデーっていうのがかなり昔70年代半ばぐらいまでは月刊誌として出てたらしいけど…
増刊サンデーは月刊でした。ジャンプやマガジンは週刊と月刊は別の編集部だったけどサンデーは名前の通り同じ編集部でやってたもんだから、週刊がキツくなった作家が増刊に連載移したり、増刊で人気が出てきたら週刊に移ったりしてました。当時増刊しか買ってなかったもんだから「戦国甲子園」や 「今日から俺は」が週刊に移っちゃったの個人的には残念だったなぁ。もちろん作家さん的には本社栄転的ないい話だったんだろうけど…
さすがの猿飛がリアルタイムで放送していた頃は風呂に入っていたのでさすがの猿飛は視れなかった、丁度さすがの猿飛と同じ時期に放送していた日曜昼2時のマクロスは視ていた中でもマクロスの最終回は小学校の運動会がなかったので忘れずにマクロスの最終回は視られた
グーグーガンモは大嫌い
少年サンデーは60年代の末期にF先生がウメ星デンカを最後に降板されてしまったので、以後は今一面白くありませんでした。
えっ!貴殿は60年以上も面白い漫画に出会えてない、という事でありますか。
Je me suis perdu sur RUclips..... Me voilà ! 😁
すごい部数だろうそみたいだろ売れてたんだぜそれで………
プロレススーパースター列伝の幻の「ジャンボ鶴田編」は、相当話を膨らませないと持たなかったろうなあwプロレス会社に就職したサラリーマンの話だし。
83年なので日本人初のAWA世界王者になる迄の軌跡になるのではないかと。この年のMVPジャンボだしね。
ハンセン編でファンクス道場の若手の1人として出てきましたよね。あとブロディ編でもちょっとだけ「あの鶴田って奴はアマレスをやっていただけあって本格的」と評してるシーンがありました。
長州も新日に「就職」したんだが(笑
@@ひでちゃん-j9i 長州の列伝の登場シーンってホーガン編でアバランシュホールドを食らってる所しか思い出せない
「可哀想な あだち充」「高橋留美子は、タイミングだけで生きている」
The best of timing !
ちなみに島本和彦著・アオイホノオの焔モユルのセリフ
うる星やつら が
連載されていた頃
週刊少年サンデー 読んで
いました☺️
懐かしいですねー🎵
うる星やつらでサンデーを定期的に買うようになりました。この頃のサンデーはジャンプやマガジン以上に好みの面白い作品が目白押しでお買い得感が高かったですね。
ヒット作を連発しながら未だに週刊連載を続けてる高橋留美子先生スゴすぎ
なんか妖かい!?すきだった
Dr.スランプとうる星やつらの水曜午後7時台のゴールデンコンビ感は伝説にして、お台場に移ってしまうまで続くフジテレビ全盛期の始まりでもあった
平成になってからうる星やつらの原作者の高橋留美子氏はアラレちゃんの原作者の鳥山明氏と水曜夜7時台のゴールデンコンビを降りた
サンデーの絶頂期はちょうど1980~84年の学生時代にあたりますのでものすごく懐かしいです。
古くは水木先生が「河童の三平」や「ゲゲゲの鬼太郎」を連載していた頃や石川先生の「ゲッターロボ」、梶原・桑田両先生の「ゴッド・アーム」が印象深いです。
今回とりあげられた時期はちょうど私の中学・高校時代にあたり、教室内での反響はまさにサンデー、ジャンプの順だったのを記憶しています。あと「なんか妖かい!?」は絵もキレイで、短い連載期間でしたが、雑誌付属のアンケートはがきを贈ったら翌年のお正月に里見先生の絵の年賀はがきが届いてビックリしたのを覚えてます。
どうも、週刊サンデー系の好きな漫画は後半のようです
楽しみにしています
サンデーは六三四の剣、ふたり鷹、火の玉ボーイとか線がシャープなのが好きでした。ふたり鷹は連載当初はハード路線とお笑い路線を行ったり来たりしていましたが、耐久バイクレースに的を絞ってからしっかりとしてきた印象がありますね。同じ頃マガジンではバリバリ伝説やあいつとララバイなどありましたが、メカニカルな箇所の描写はやはり新谷先生が一歩抜きん出ていました。
六三四の剣の裏番組は 週刊少年ジャンプの人気アニメ 北斗の拳が放送していた
ピントぴったし!懐かしすぎて吹いた
現代だといろいろアウトですよねw
あれだけスカートの中に情熱をかけるのは素晴らしい。
ありがとうございます。放課後店番してるとお客のお兄さんから貰って読んでました。みやたけし先生がいる!アニメ作品がある!と見ているうち、上條淳士、安永航一郎、島本和彦、ゆうきまさみ、克・亜樹、そして中津(うかつ)賢也先生など多くの大先生の登場を楽しく読んでました。
2:29うる星やつらが出てる目次・・
の左ページ
「ダメおやじ」
じゃないですか・・
1974年にアニメ化(ナック)され1982年まで連載されましたが
「テレビ東京がアニメを放送しているうちは大丈夫」
と云われるテレビ東京の国産アニメ放送第1作目。歴史の1ページ目なんですよね。EDは今でも心に滲みてしまいます。サンデーは良かった。
58年頃はサンデーとチャンピオンとスピリッツを買ってたかなと。
1度だけ小山田いく(チャンピオン)とたがみよしひさ(スピリッツ)の田上兄弟(喜久、勝久)の合作が有ったのもこの頃だったかな。
良き時代でした。
週刊少年サンデーの古くからのファンです。創刊~60年代のサンデーは名作揃い!挙げていくと、0マン・W3・どろろ(手塚治虫)、伊賀の影丸・仮面の忍者赤影(横山光輝)、おそ松くん・もーれつア太郎(赤塚不二夫)、オバケのQ太郎・パーマン(藤子F不二雄)、ビッグ3(藤子不二雄A)、サブマリン707・青の6号(小澤さとる)、スーパージェッター(久松文雄)、河童の三平(水木しげる)、サスケ(白土三平)、おろち(楳図かずお)、…
レジェンドの作品多数!是非この時代のサンデーも特集してほしい!
タッチとうる星やつらは再放送で観てましたかっちゃんが死んだ回は泣きましたね後GU-GU-ガンモはリアルタイムで観てました
自分はプロレスファンだったので『プロレススーパースター列伝』が大好きでした😁
てか自分のHMは、この作品がなかったら、今とは違ったものとなっていたでしょうし🥺
懐かしい!当時プロレスごっこをしながら列伝風に「ホゲ~ッ」と悲鳴をあげるのが流行ってました。
サンデーといえば、ゲッターロボ、サバイバル、漂流教室、どっきりドクター、ただいま授業中 おやこ刑事、読んでたなぁ
当時うる星やつらが好き過ぎてサンデーは買うけどコミックでまとめて読みたかったため「うる星やつら」のページだけ破いてサンデーを読むといった奇行をしていた。
「うる星やつら」と「プロレススーパースター列伝」好きでした。雪山で髪と髭が延び放題になった龍之介の親父がブルーザー・ブロディに酷似していたのを思いだしました。
ブルーザー・ブロディは石原裕次郎の命日の当日1年後に殺害された
ブッチャーの地獄突きの練習が印象的。
ブッチャーの空手の師匠でグレート・カブキ編でも出てきたガマ・オテナ先生は実在しないのよね
@@user-ij6d さま へえそうなんですか。それは知りませんでした。
昭和56〜57年当時、自分はジャンプ派でサンデーは読んだことがなかった。しかし、昭和59年に入ってから、兄貴が『タッチ』の単行本を買い始めたのをきっかけにサンデーの購読を始め、自分もその影響でサンデー派になった。
フジテレビでアニメ化された作品は、サンデーを読み始める前から見ていたな。
80年代中盤、タッチとうる星やつらが連載終了したのは、サンデーの一つの時代の終わりを象徴していたようでもある。
うる星やつらのラムちゃんてのは当初は第1話だけのゲストキャラの予定だったって知った時ビビったわ
第2話は出てないもんね。それと作中昭和生まれじゃないと分からないネタが沢山ある。
週刊サンデーも好きな漫画が載っていた雑誌ですが、いつか、増刊サンデーや少年ビックも取り上げて欲しいですね
ファントム無頼、ナイン、風の戦士ダン、人類ネコ科、とってもひじかたくん、八神くんの家庭の事情、徳川生徒会・・・
少年ビッグコミックなら、エリア88とみゆき以外ではミュウの伝説(野部 利雄)、あ!MYみかん(柳沢きみお)、一撃伝(大島やすいち)が記憶に残ってる
舞(池上遼一)にラブZ。マガジンだとコータローまかりとおる、コンポラ先生、ガクラン八年組。何故こうも評価が低いのか。
青春のバイブル「プロレス・スーパースター列伝」
「苦労した話は自慢話」、「「地道な二段だから良い」など、タイガーマスク編は影響を受けました
梶原一騎の創作だとは分かってるけどミル・マスカラスの苦境の中にあっても「俺は男だ!信念の為に血を流すメキシカン」という言葉の響きに熱くなりました。
此の頃は結構漫画に嵌まったなー月曜日が少年ジャンプ、水曜日が少年サンデー、マガジン木曜日がヤングジャンプ、金曜日が少年ビッグ後にヤングサンデー、ビジネスジャンプ結構金を使った時代
サンデー一筋64年❤貴女一押し致します😂
うる星やつらの最初のロゴ、凄いな・・・
サンデーのピークってそんなに昔だったんですね。僕はがサンデー買い始めたのは、究極超人あ〜るがきっかけだったので、凋落はもう始まってたのか。
ラブコメブームで、勢いに乗りまくっていた当時の少年サンデー。まだ高校生だった「浦安鉄筋家族」の浜岡賢次が、自作を持ち込んだが、「何だ、このマンガは女の子が登場しないのか」と、編集者に相手にされなかったと語っていましたね(笑)。
最近になって浜岡先生萌え傾向になってきているけど、でも作中あんなに💩を描く人サンデーには合わないと思う。
うる星やつら、連載開始当時はあたる達の方が年上でしたが、あっという間に追い抜いてしまいました。
アニメ版ふたり鷹、オープニングを歌っていたのが陣内孝則さんでビックリしたのを憶えています。
サクラ先生の歳も超えてチェリーの歳に近づきつつある…定めだな ぁ
5:25エリート街道まっしぐらと言うべき鶴田のプロレス人生を、どういう風に列伝的な泥臭さで描いていたのか今となっては誰もわからないですね。
殆どフィクションだったんですけどね。
どういう描かれた方したんでしょう?
ハンセン編で鶴田が「スタン、僕の国の力道山先生は首へのチョップで活躍したらしい」と言った言葉がヒントになってラリアートを開発し腕が腫れるまでタイヤに叩きつけた、という創作エピソードがありました。(後年ハンセンがこのシーンを見て「こんな練習やったことないな」と笑ったと聞きました)
プロレススーパースター列伝のA・猪木、談について猪木は語った記憶がないそうだ
連載が始まって2年目くらいの話、梶原邸にて
原田久仁信先生「毎週猪木さんにはお話を聞いてるんですよね。あの忙しい猪木さんが毎回解説してくれるのは凄いですね」
そうしたら、梶原先生は実にあっさり即答しましたよ。「・・・おめえナニ言ってんだ。そんな訳ねえだろう!」あれは衝撃だったなあ…ほとんど梶原先生の創作だったんですから(笑)。でも後から思うと、それに対して何も注文をつけなかった猪木さんの度量も凄いですよね。作品がプロレス人気に繋がるならと全部許していたんでしょうから。
プロレススーパースター列伝といえばやはり「ホゲェ〜!!」だな😅
うる星とタッチの他にもこの頃は六三四とかふたり鷹とかただいま授業中とか男大空とか
粒ぞろいだったんよね。今はラブコメと言えばマガジン、って感じだけどこの頃はラブコメといえば
サンデーで、アニメ化作品も多かった。
ただダッシュ勝平とかさすがの猿飛(増刊)は今なら完全にアウトだな…w
なんかこの頃のサンデー関連は良い意味でも悪い意味でもTVアニメで興味持って漫画のほう読んでみたら絵柄の違いにえっ?となった事が多いよなぁってのが個人的印象
サンデーは高橋留美子先生という天才の出現が編集部を誤解させてしまったのかもしれませんね。それはうる星連載以降いわゆるサンデーっぽい作品の割合が多くなっていったような気がするところからも伺えます。
岡崎つぐおはジャスティがかっこよかったな、あの頃のサンデーはSFテイストが多かったように思う。
新人賞入選作「2年A組星子先生」とリンクしてたんだよね。
姉の星子先生は、死亡してしまいましたが
80~90年代に一世を風靡した「らんま1/2]」「機動警察パトレイバー」もサンデーの部数アップに貢献していないとは…
キックオフの見つめ合う二人は他の漫画でよくネタにされてたwww
アニメのダッシュ勝平は、漫画版と違い最初からかなり低い頭身で話が進むにつれ、さらに低くなり幼稚園児並みにまでなりました。ラグナロックガイは、ただいま〜を読んでいた身としてはいきなりハードSFで、驚きましたね。あの当時、美樹本晴彦氏のキャラっぽくて安彦良和氏の鼻影がついた細野不二彦氏似の絵が好きでしたw
村上もとか先生の作品は、F1ブームの時読んだ赤いペガサスが好きでした。
ふたり鷹のアニメ化は酷かった。作画崩壊がひどくて新谷かおる先生が可哀想で…。まあ、キャラデザしたけど酷かったのは、宇宙大帝ゴッドシグマも同様か。というか、国際映画社の作画が酷いのか❗️たがみよしひさ氏キャラデザの超光速ガルビオンも酷かったからなぁ。まあ、アニメ化には気をつけようって事でw
この時期にサンデー購読し始め(列伝が読みたくて)たので、ジャンプには負けてもマガジンには勝ってるだろ!?と今でも思ってしまう…。
1982年の少年誌を比較したブログを今書いてますが、この時期のサンデー面白いよ、やっぱり。86、87年あたりから酷くなってる印象だな。
あだち充、高橋留美子、細野不二彦、石渡治、原秀則、六田登、村上もとか世代から
青山剛昌、藤田和日郎、満田拓也、河合克敏、西森博之、藤原芳秀、久米田康治世代になるまでの間に失敗があったと思う。
本来ならこの世代の間である
ゆうきまさみ、上條淳士、島本和彦、中津賢也、安永航一郎、鈴宮和由、中原裕世代がサンデーを支えなければいけなかったはずなのだが…。
サンデーに男臭い「列伝」は異色かな、と思ってたけど意外にマッチした。プロレスと言えば「1・2の三四郎」「愛しのボッチャー」「四角いジャングル」等のマガジンの独壇場と思ってたんで新鮮だった
サンデーの衰退って言うか、ジャンプをはじめ全体的に終わってきてるんだなぁ、
漫画が終焉とは思わないけど紙の漫画は終わりなのかもね。
子供の数が今とは段違いなので
サンデー全盛期から衰頽奇❤
ダッシュ勝平と六三四の剣もサンデーだったんだ
さわやか路線のサンデーは肌に合わなかった。チャンピオンは濃すぎて胃もたれ。ジャンプを主食にしてマガジンを汁物にしてた小中高時代。
毎週水曜日夜7時30分はうる星やつら派と水曜スペシャル派と別れていたな
少年サンデーと言うと、古くは「サブマリン707」や「男組」が真っ先に思いだしますよ。
80年代は、当時よく行った喫茶店に置いてある少年誌や青年雑誌を読んでいて、なんのマンガがどの雑誌か分からないことがありました。
@@AkMs-wk6mz 「男組」懐かしいな。(拳法漫画の走りという事になるのかな)こんなヤクザ顔負けの高校生達がいてたまるか 、と思うんだけど高橋留美子先生も憧れたという圧倒的な劇画力で作品を成立させてしまう池上僚一先生流石でした。
うる星やつらは当時の大黒柱的存在アニメもだけどうる星ファンマニアは、半端じゃあなかった
さよなら三角やん!コミックぜんぶもってた、
段々絵が上手くなっていく原秀則の、成長を見てるようだった。
スクリーントーンさえ、知らなかったというから…
サンデーの凋落かぁ…
当時のサンデーはスタイリッシュだった
当時の中高生には、それなりに刺さったけど、それは「ダメおやじ」とか「まことちゃん」とかでサンデーが好きになった世代
キッズはコロコロコミックとハッキリ住み分けちゃったから、まあ、読者層のエスカレーターがおこらなくなるわな…
あと、焦らして焦らす「ラブZ」が、突然路線の変更して、取り返しがつかないほどつまらなくなったせい
というのは、個人的な偏見
六三四の剣、ダッシュ勝平、ふたり鷹、炎の転校生と、ハマった漫画は数あれど、どれも後に単行本で読んだクチだし、猿飛、ガンモ、タッチはアニメのみで原作に手を出すほどにはハマらんかったなあ。実際サンデーを買うようになったのはうしとらのあたりだから、既にピークは過ぎていたのか…うーん…。
六三四の剣がテレビ東京で放送していた時間帯裏番組のフジテレビは週刊少年ジャンプの人気アニメ 北斗の拳が放送していた
少年漫画誌ってほとんどの場合主人公が少年なんだけど、なぜかサンデーって社会人が主人公のがいくつもあって、そこがなんかちょっとだけ大人っぽい雑誌を感じてた。
ただいま授業中、どっきりドクター、ダメおやじ(の後期、ギャグ路線が薄れた頃)、プロレススーパースター列伝など…
そこが好きだったんだけど、あるいは凋落の原因かしら?
言われてみると他誌でおっさんが主人公なのは「こちら葛飾区亀有公園前派出所」「ブラックジャック」「空手バカ一代」くらいしか思い浮かばないな…
サンデーは読んでいませんでしたが、うる星やつら、タッチ、ダッシュ勝平、グーグーガンモ、さすがの猿飛テレビアニメ見てましたね📺️❇️懐かしいですね😄
サンデーも全盛期があったんですねえ、ジャンプに迫る位の。じゃあ、今に至る低落の原因は何なのだろう?後編が楽しみ。
全く個人的に思うのは、サンデーは絵柄とかおしゃれだけど、芯が無いていうか、しっかりしたメッセージが無くて軟弱なイメージがあるけど、それが原因かな?
ジャンプ、マガジンよりもサンデー派だった。
炎の転校生を立ち読みした雑誌
うる星以前に好きだったのは池上遼一、小山ゆう、大島やすいち。当時の人間が今の通勤電車に乗ったら、誰もマンガ週刊誌を読んでない事態に驚愕するでしょうね (^^)
「友情・努力・勝利」はジャンプのスローガンだけど「男組」も「おれは直角」も100%それに当てはまる作品ではあったと思いました。
デビュー作、高橋留美子の「勝手なやつら」とあさりよしとおの「木星ピケットライン」は
衝撃だったなあwチャンピオンのとりみき「ぼくの宇宙人」も衝撃だった、この程度の作画で
デビュー出来るんだとwwwww
動画の内容すごいいいんだけど..
もう少し普通に話してくれませんか?
小学館って作者を使い捨ての道具程度にしか思ってないって本当なんかな
セクシー田中さんの作者さんも日テレと小学館が追い詰めて自殺させたようなものだし ドル箱作者連中以外は本当酷い扱いしてる所なのか
小林よしのりが集英社も酷いと書いてましたね。
一球さんだろ
う~ん、微かに記憶がある。一球さんの友人で拳骨でボールを受け止める男。彼は硬貨しか持った事がなく紙幣という物を知らない…
記憶違いだったらご免なさい。
月刊少年サンデーってやりましたっけ?
月刊少年サンデーって雑誌は雑誌自体がなかったですよ
@@user-ribonchan
ああ増刊号でしたっけ?
@@OhkamiAkira 現在のゲッサンが創刊される前は週刊少年サンデー超などが週刊サンデーの増刊って感じで月刊だったり隔月刊で出てました
そのさらに前には別冊少年サンデーっていうのがかなり昔70年代半ばぐらいまでは月刊誌として出てたらしいけど…
増刊サンデーは月刊でした。ジャンプやマガジンは週刊と月刊は別の編集部だったけどサンデーは名前の通り同じ編集部でやってたもんだから、週刊がキツくなった作家が増刊に連載移したり、増刊で人気が出てきたら週刊に移ったりしてました。
当時増刊しか買ってなかったもんだから「戦国甲子園」や 「今日から俺は」が週刊に移っちゃったの個人的には残念だったなぁ。もちろん作家さん的には本社栄転的ないい話だったんだろうけど…
さすがの猿飛がリアルタイムで放送していた頃は風呂に入っていたのでさすがの猿飛は視れなかった、丁度さすがの猿飛と同じ時期に放送していた日曜昼2時のマクロスは視ていた中でもマクロスの最終回は小学校の運動会がなかったので忘れずにマクロスの最終回は視られた
グーグーガンモは大嫌い
少年サンデーは60年代の末期にF先生がウメ星デンカを最後に降板されてしまったので、以後は今一面白くありませんでした。
えっ!貴殿は60年以上も面白い漫画に出会えてない、という事でありますか。
Je me suis perdu sur RUclips.....
Me voilà ! 😁
すごい部数だろ
うそみたいだろ
売れてたんだぜ
それで………
プロレススーパースター列伝の幻の「ジャンボ鶴田編」は、相当話を膨らませないと持たなかったろうなあw
プロレス会社に就職したサラリーマンの話だし。
83年なので日本人初のAWA世界王者になる迄の軌跡になるのではないかと。この年のMVPジャンボだしね。
ハンセン編でファンクス道場の若手の1人として出てきましたよね。あとブロディ編でもちょっとだけ「あの鶴田って奴はアマレスをやっていただけあって本格的」と評してるシーンがありました。
長州も新日に「就職」したんだが(笑
@@ひでちゃん-j9i 長州の列伝の登場シーンってホーガン編でアバランシュホールドを食らってる所しか思い出せない
「可哀想な あだち充」
「高橋留美子は、タイミングだけで生きている」
The best of timing !
ちなみに島本和彦著・アオイホノオの焔モユルのセリフ