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家久のスタンドプレーだったとはいえ、隆信だけでなく四天王も討ち取ったのは本当に凄い。
花の慶次って漫画の一文を思い出しました「勝ち戦では誰も死にたくない」勝って帰れば褒章を受け取れるのにわざわざ死兵と相打ちはしたくなかったんでしょうな結果、誰も能動的に動かない集団心理が働いて龍造寺本陣まで家久が届いてしまった戦場を数学で見れば龍造寺の圧勝でも人の心で見れば負けてたのかなと
島津以外でこの展開だったら「新説ねぇ・・・ヤケクソで突っ込んだら、準備万端で構えてた数倍の敵に勝てましたぁ?ふざけんな」ってなる所だけど、島津だと「ああ・・・まあ、島津だからそういう事もあるかな」と、何となく納得出来てしまうのが怖い
特に天才家久ならやりかねない(笑)
島津だと大部バカになんねえ話でもなんとなく納得できるのえぐいんよなぁ
中国史屈指のチート級の呂布や項羽なら戦局の盤面をひっくり返せるかもしれん。
全てにおいて島津は戦闘民族薩魔人だからで納得出来ちゃうあたりなぁ・・
@@blackwidowiispider それはそう
九州戦国史は本当に面白い。島津、大友、龍造寺と三者とも見せ場があり魅力的な人物も多い。また戦国時代ではないが、南北朝時代でも菊池武光や懐良親王のタッグで九州を制覇したエピソードも熱い。
最後意味わからん勝ち方が好き
フロイス「日本史」からの引用です。
島津軍は四兄弟や重臣の能力も凄いけど、圧倒的なのは兵の質だよね他の兵なら総崩れになりそうな状況では平然として戦い続けられるこの戦いも島津の方が崩れておかしくないのに逆に有利な方が命を惜しんで総崩れになるという意味の分からなさ兵の強さならまず薩摩最強は間違いないでしょう
これって、薩摩が武田の甲斐や長尾の越後、長宗我部の土佐よりも貧しい国だったから、兵を食わせるには強くなって他国から食料とかを奪わなければいけなかったからでしょうかね?
@@峻-k5k とにかく、他の軍なら当たり前に逃げ帰る状況でも戦い続ける恐ろしい士気と忠誠心の高さが強さの根源で理由は軍法やいろは歌のおかげとも勝って国を豊かにする為とも言われていたりもするけどここまでになるのを説明出来る程じゃないのよ明確な理由が知りたいなら申し訳ないが、薩摩兵はそういうものと思ってもらうしか
太平洋戦争の時も薩摩出身と津軽出身の部隊は飛び抜けて強かったそうで。地域性とか風土とかあるんでしょうね。
@@蛤万太郎 昔から厳しい環境やハングリー精神は人を強くする恵まれている環境は素晴らしいけど、やはり人を腑抜けにすることが多い
@@蛤万太郎 太平洋戦争に従軍していた東北出身者は、その多くが昭和6年付近の大飢饉を経験していて、その時の状況に比べれば軍隊での生活は恵まれていると話していたという逸話がありますね。死生観が根本から違ってしまっているのでしょう。
このやたらと下郎とか腐れ外道とかいう単語が出てくるノリ大好き
龍蔵寺隆信の有能さが感じられた面白い動画でした。
ルイス・フロイスから、指揮官としての素質や決断力はジュリアス・シーザーに匹敵するとまで評価されてるみたいですからね。
この顔汁合戦シリーズの面白いところは、各勢力が不安と疑心に苛まれながら、手探りで内政外征を進めるリアリティだよね事前に立てた策謀が完璧に決まるようなドラマチックな展開も面白いけど、実際はこんな感じで手探りで進めていかざるを得ないだからこそリアリティがある
家久ハンパないって❗️アイツマジでハンパないって❗️ 織田信長よりも精密なことをアウェイに近い中立地でやっちまうもん、できる普通? またまたまたまた一面や(滝川ニ高の某Nキャプテン風
戦場の霧といわれる言葉がありますからねかのナポレオンですら、あのアウエルシュタットでプロイセン主力を自軍で叩いたと思いこみましたが実際は少数のダブー元帥が2倍以上の敵主力と遭遇、これを巧妙な部隊移動と連携で、少数の不利を補い、2倍以上の損害を与え結果援軍もない状態で退却させるという離れ業を成し遂げたにも関わらず貴公は物が二重に見えているに違いない、とダブー(極度の近眼)を馬鹿にしたくらいですから
マジでそれ
勝者となる人も現在進行形では結果を知らず判断の根拠となる情報も正しいとは限らない中で不安を抱えながら決断行動していた訳でね。
フロイスにカエサルを超えているとまだ絶賛された龍造寺隆信。それを力技で押しつぶす島津。イカれてるね。そんな島津を圧倒的な物量で降伏させる秀吉は天才。
秀吉に負けたとはいっても一度秀吉の送った大軍をハンニバルがごとく殲滅してるから戦果としては十分なんだよな
龍造寺家に滅ぼされた柳川城主蒲池家ゆかりの者です。我が先祖もこの動画にきっと喜んでいることに存じます
松田聖子さんなら朽網氏?氏族一族で佐賀藩士になった犬塚、大木、久納、酒見、佐賀藩諫早(藩士)家中で柳川最後城主蒲池鎮並の兄・蒲池鎮久の遺児・貞久(熊千代)は蒲池正統として蒲池名乗り後に宇都宮姓に本復し諫早宇都宮祖に一方蒲池分家の鎮永も龍造寺家晴に仕え嫡子杢之助政明は蒲池改め横田姓に家晴随中し諫早藩士に後本藩への謀反で蓮池藩主連座で諫早藩主蟄居で側用人横田杢左衛門は切腹家名断絶し後に嫡男英明は大木に改姓新規召し抱えられる、又地元柳川なら今村、江崎氏等がいる。
「逃げたら死罪」というと恐怖で人心掌握したのではなく、それ以前の結束が高かったからこそ、この死を決した猛攻が成功したのかもしれませんね。関ヶ原の島津軍の勇猛なエピソードも、この戦がきっかけだったのかも。
家久「逃げたら殺す😉」ワイ「ヒドイなぁ😨」島津兵「うおぉぉぉ!😆」ワイ「🙄」
さりげなく男色要素入れるのすき
現代のミリオタにも分かるよう、攻勢限界だとか重心とか現代の用語使ってくれて有り難い…!
「信長の野望」シリーズをプレイしていて、隆信がなぜ優秀だったか分からずじまいでしたが、この動画の掛け合いを見て優秀さがわかりました。
あえて沖田畷に進ませたそれまでの説もすごいけど、この動画で取り上げてる新説の島津の死兵はもっと怖い…隆信もちゃんと考えてこの結果ならもうどうにもならないですね…後の泗川の戦いを考えると島津軍恐るべし…
泗川の半扉とか関ヶ原撤退戦でのステガマリ志願者の多さとか聞くと薩摩は死兵の概念が数レベル上で違うと思います
@@syu4779それだけ島津家は慕われていたんでしょうね…家臣から兵士達まで大切にしていたから命を懸けても惜しくないほどだったと思います…
まさに鬼島津ここにありな凄まじい戦だったのかと感嘆しました。
凄い!こんな凄い戦史があったなんて知りませんでした!九州の大名も超レベルが高かったんですね。まさに韓信の背水の陣の話よりも強烈なストーリーでした。ありがとうございました!
龍造寺隆信って産まれもなかなかハードモードだしな。義久、宗麟と比べて最初の領土も人材も少ない。鍋島とか四天王(5人)もいたが肥前の熊の名前を持った程の闘将は伊達じゃない。ってか歴史的には武力1本で統一した感あるけど極めて手堅い手を打ってるなw ほぼ勝ち確で挑んだ中に大軍投入に家柄的には上じゃないとすれば隆信が畿内だったら信長に変わっていたかもしれない程のポテンシャルを感じる。
途中までは龍造寺ペースだったのに、島津軍強すぎる。
最初から乗せられてた、てのが正しいかもしれませんね。島津はイメージがアレだけど戦略家が多いですから。
これ見ると龍造寺隆信は超有能なんだろうな、有能で完璧過ぎて逃げ場が無くて敵を背水の陣に追い込んでしまった感じ。敵に一か所逃げ場を用意しとくのもやっぱり大切なのかと思える戦い。島津を死兵にしたらいかんよな、それは悪手だわ。
戦術で勝っても、龍造寺隆信は肥満で馬にも乗れないほどの運動音痴だった。輿に乗っているところを襲われたのだから、戦術より、先ず自身のダイエットを優先するべきだった。
@@シコ龍 輿の話で言ったら今川義元もそうですが、一方立花道雪という例もあります。あまり関係ない気がしますけどね。
@@woodbook1014 俺が輿の担ぎ手だったら、ピンチになったら主を置き去りにさっさと逃げるね。他国を力でねじ伏せ、人望に乏しい龍造寺の末路なんてそんなもん。たとえ戦術に勝っても自国の統治を疎かにするようでは戦(いくさ)には勝てないことを証明した結果だね。おごりの塊の龍造寺側には死んでも我が身を盾に主を守る忠臣がいなかったに違いない。
@@シコ龍 木下昌直以外の龍造寺四天王(いわゆる四本槍と呼ばれる旗本)はこの戦で全員死んでいますが。
主君を守って討ち死にする四天王も立派ですよねしっかり仕事してる負けたけど
結局最後死ぬ気で戦えばどうにかなってしまう、最強脳筋武装集団好きだわ
島津の強さは弟たちにある程度の好き勝手を許す義久の胆力にあった可能性が微レ存!\(^o^)/
歴史の本とかだと島津が戦略も戦術も最初から龍造寺を圧倒してたみたいに書いてあるけど実際はこうだったんだ(;´Д`) 勉強になりました!
この戦を見ると真田が最後に家康に突撃したのも間違っては無かったのではないかな
家康が自刃を覚悟したっていわれてるくらいなので運が良ければ。。。でも秀忠がいるので崩壊はせず物量で圧殺されたでしょうね。
やっぱり、こういう細かい部分あった方がリアリティーあって良いですね....!
この悪い顔ええわ・・・唯一無二なのが凄いいつか岩屋城をお願いします
家久「イんだょ細けぇ事は。最後は気合いだ」最強は脳筋なんだね
薩摩隼人はやっぱりおかしいわ、関ヶ原の正面撤退といい無茶苦茶だわ
脳筋島津だから機能してるだけで、他の大名が真似したら壊滅してるw
スパルタよりは劣るがやってることは古代ギリシャのスパルタ並みの強さ😂
戦略、戦術全てにおいて龍造寺が勝っていたのに、兵の強さという一点のみで逆転されてしまった。やっぱ、島津っておかしいわ。
そんな島津らに道雪ら三老らの次世代中堅殺戮されても完全に併呑はされず新世代若手の力(宗茂・佐伯惟定・志賀親次等)で持ちこたえた大友も大家だったんだなって思うし、70年代までほぼ抑えてた伊東氏(義久・義弘・歳久三人同時も勝利経験&山田宗昌ら島津キラーもいて日向追い出された後もしぶとく生き残り伊東は旧領復帰)や肝付(貴久の弟を討つ)はなんなんだってなるし、小勢力でも九州版真田の筑紫等いるという… そんな強い兵をもってしても堀秀政に「弱すぎる」って言われる全国の壁の厚さ…
家久ハンパないって❗️アイツマジでハンパないって❗️ 織田信長よりも精密なことをアウェイに近い中立地でやっちまうもん、できる普通? またまたまたまた一面や(滝川ニ高の某Nキャプテン風って感じだったのではないかと😅
でも後の根白坂の戦いに於いて豊臣軍と戦った島津軍は多くの家臣を失い、好戦的な家久は戦死してしまうんだけどね。かくて島津家は九州制覇を目前にし、最後は豊臣軍にフルボッコ。せっかく平定した領地も豊臣方にことごとく没収される結末。
「戦術は戦略の不利を覆すためにあり、将兵の武勇は戦術の不利を覆すためにある」という名言がありまして…まさに島津の強兵は戦術レベルの不利を覆してしまったわけですね!
窮鼠猫を噛むとも言われそういえば幕末長州藩の大村は退路をひとつだけ残しておいた方が相手を殲滅しやすいとか言ってたような(上野戦争などで実践
@@asakazefuji 横から失礼します。明治維新軍の方々はまだ比較的親切だったっぽいですね、その穴から敵兵を慈悲的に逃がして差し上げたらしいですし。その点、モンゴル軍等はエグいですよ。わざと穴を開けといて、その穴から逃げ出した敵を後ろから撫で切りみたいな感じでボッコボコにやっていた事例があります(ex.モヒの戦い)。近時のウクライナ軍もその穴に地雷を仕掛けたりその近辺に待ち伏せ攻撃的な集中放火を浴びせたりしていたようなので、かなりエグいですよね😅
囲師には必ず闕く@孫子
関ケ原での捨て奸とか完全に戦略を覆す戦術でしたからね。その後島津によって負傷させられた井伊直正が徳川と島津との和平を取り持ったしそのおかげで島津は逆賊ながら領地をほぼ安堵された(というか、こいつら怒らせたら何しでかすかわからん、という恐怖があった)この時の負傷が遠因で直正がその直後に亡くなったというのは皮肉というか
@@yasuyuhara8153 その点、関ヶ原後に手のひら返しで減封処分になったのに「仕方がない」で済ませた長州藩はヘタレだな。これが島津であれば逆上して攻め上っただろうに。
自分の住んでいる九州のことなので興味を持った。
当時の薩摩人は、戦場に出る時点で死ぬ以上につらい期待というストレスを受けていたので(減点要素を受けると一族諸共断罪)、功名と責任逃れができる特攻は望むところだったろうね。
チェストがここまで恐ろしいとは。
戦場が湿地でなかった説はめずらしいですね。これでは沖田畷の意味が分からない。その説明・解釈が欲しかった。それにしても、独断専行、戦略破綻しても前線の兵士が頑張れば勝てる!みたいな弊害のある教訓しか残らないような・・;(笑) 緊迫感あって面白いです。
似たような戦術を関ヶ原合戦でもやってた島津。この戦場の混乱に乗じた「暗殺」に近い状況が、桶狭間の戦いでの今川義元だったのだろうと推測。風向きが龍造寺軍に不利で鉄砲の排煙により前線の状況が掴めなかった事と、防護柵の前面が湿地帯で足場が悪く容易に島津側の弓の的になってしまったという話も聞く。
隆信の首返すよ!からのあっいらないですまでが沖田畷の戦い
龍造寺側は、準備を万全にしすぎで島津軍を追い詰めすぎ、背水の陣に持って行ってしまったのが敗因だと思います。あえて、島津に対しわずかばかりの退路を準備できたら、敗北は無かったのではと思います。(おそらく島津にとって、しょせん助け戦で島原はちっぽけな半島です。)
敵を死兵と化したのは悪手だったなしかも島津兵相手に…
とても楽しく、勉強になりました。どうもありがとうございます!!
この漫画シリーズ面白いです。
やはり、現実の戦場は教科書通りにはいきませんんね
九州の戦国史ってあんま知らなかったから面白い
熊はなんも悪い手打ってないの笑える
まぁ生粋のバーサーカーに睨まれたことが不運としか笑
敢えて言うなら運がなかった(笑)
本陣を真ん中に移動したのが1ミリの隙となってしまった。
あるとすれば大軍を狭い場所で展開させちゃったことかなと思います前線が崩れてそれがドミノ倒し的に友軍に伝染してしまった大坂の陣で家康が危なくなったとこに似てます
普通なら冷や汗くらいで龍造寺が勝ってる内容だが最後の突撃が相変わらず異常だわ多分、退路絶たれたり分断しても意に介さず突撃してくるので根本的に騎馬の車懸かりとかじゃないと勝てないか?そんなの上杉謙信しか勝てそうにない
「後退したら組ごと死を賜う」は、島津兵にとってはこの上なく正しく、公平な方針と受け止められたのだろうなと思う。でなければ、処罰の恐怖だけでは人はあんなに強くあり続けるのは無理だ。
家久の凄い所は有能な武将で自ら大軍を率いていた隆信を討ち取ったこと
薩摩出身です。心から島津ラブです!軍神家久の釣り野伏が大好きなんですけど、家久の良さより、勝手な振る舞いで 島津がピンチになるギリギリ命懸けの戦いだった、、、なんか、かわいそうだったこんなギリギリ戦が既定路線って かわいそうですでも、島津ラブ💓😍💓です!
@@drycool5348 さん コメントありがとう😉 でも、みんなにコピペは、淋しいわ⁉️
@@金ぴか70 嬢とりわけ実質的平等の見地(憲法14条参照)からすれば、貴女が淋しがるようなことをするのはいささか行き過ぎで何気にfantasticなような気がしないでもないですね(激謎👍️
私も薩摩隼人の片割れです。心から島津を愛してます。薩摩偉人伝をお願い致します。牛島満将軍、大山巌、日高雪之丞、西郷従道等です。
@@古城修一-v3g 薩摩出身ですが、勉強不足でしらない方が、、、😞💦別のRUclipsで勉強してきます!薩摩、いいですよねー
伊東家のとき50人とかで奇襲し乱戦で勝ちを得る鬼畜島津
新説といってみても・・・うーん。こんな無茶苦茶な突撃で隆信と四天王を討てました、までなら家久ならやらかしかねんと思うが死者が龍造寺2000超、島津250有馬15ってのはこの展開だとさすがにあり得ないのでは・・・。現時点ではまだ通説側の方が説得力あるかな・・・。
竜造寺の兵力の多さや島津軍の犠牲の少なさには誇張が入ってるのかもね
義弘、家久あたりが率いる場合は偶に不利盤面ひっくり返してはくる急拡大した龍造寺方には統率に難があったか?
2万5000でよもやこんな大敗は想定外だろうな
まあ、この戦から分かる事はどんなに絶望的な状況下にあっても最後まで全力で足掻けって事やな。勿論、そういう状況に陥らないための努力も必要だけれど。
とりあえず義弘か家久、どちらかを派遣すれば勝つ。秀吉が九州にくるまではこの路線でうまく行ってたんですよね。
島津家が活躍したのもここまで。後に豊臣軍との根白坂の戦いで島津軍はフルボッコされ家久が討ち死にする結末。
@@シコ龍 その後、家久指揮で戸次川の戦いでは豊臣軍に勝ってるし、討ち死にではなく何らかの原因での急死でしたよね?
@@田中拓也-l3t 島津は豊臣軍とは戸次川の戦いと根白坂の戦いで二度と戦ってますね。戸次川の戦いでは豊臣方の長宗我部元親の嫡男と十河まさやすを打ち取り、総大将の仙石秀久を敗走させています。しかし根白坂の戦いでは豊臣方の圧倒的兵力とかねてより豊臣方と戦うことに反対していた島津家の家臣の伊集院忠棟の裏切り?(伊集院は戦う素振りすらしなかった)で大敗し家久はその時の戦傷が元で亡くなったとされているそうな。なお島津軍の九州制覇を目前に控えた時、大友宗麟のいる豊後攻めにこだわった家久とその前に筑前の岩屋城攻めに決定した当主の義久との意見が分かれ、岩屋城の城攻めで家久が加勢してくれなかったせいで城は落とすものの島津側に多くの将兵を失う結果を招いています。
@@シコ龍 さん島津からすれば九州各地で戦ってきて疲弊している状態で根城坂の戦いだったので勝てる見込みはなかったですね。対陣がが長引くと別ルートから薩摩に入られていただろうし。
家久は毒殺って説もありますね
「窮鼠、猫を咬む」っていうけど、まさにこのことだな。死を恐れないものほど怖いものはねぇな。
小倉はオグラじゃなくてコクラですね
ほんと島津家は日本のスパルタよなもう最期だから覚悟キメて1人辺り10人な、とかを普通にやったらだめだと思う龍造寺も勝ち戦っぽい流れの所にヤケクソで突っ込んできた死兵の相手なんてしたくないから怯んだんでしょうね
鬼島津軍のヤバさはやっぱスゴすぎる。本州におったらいったいどうなっていたか
あれだけの突撃敢行して島津側の死者が250人!?!?(^_^;島津の兵士は戦闘狂過ぎる…
ここでも桶狭間が起きていたんだなイチ戦闘の勝利が、その後の勢力戦略も覆してしまう
勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし。
敗色濃厚な島津軍がやけくそになって突撃を敢行。これで九州の戦国史を変えてしまうのだから、歴史は面白い…😂。
隆信は合理的で理知的な判断を下し、戦況も良くみえていたのにね…何も間違わなかった故に負けてしまった
新説面白いですね結局は大軍であることでの慢心、勝利が見えてきて緊張感が薄れた所に強襲され敵味方入り乱れ大混乱になり壊滅した隆信の失敗は必要以上に兵力を投入したこと人が多いと横の連携が難しくなるから混乱を立て直すのはとても大変急速に拡大した龍造寺軍は大兵力を指揮するのに不慣れだったのが仇になったね
隆信は有能ゆえに最も危険で重要な場所に自ら出陣した。そして最悪の裏目を引いてしまった。大友宗麟のように部下に任せて後方にいたなら勝っただろう。戦と言うのは場合によって正解が不正解になってしまうから恐ろしい。
ある意味、島津義久も宗麟と同じでほとんど部下に任せるというスタイルだったというか似たもの同士だったという気がします。ただ二人の一番違う点は、宗麟があまり責任を背負いたくないから部下任せにしていたのに対して、義久の場合は本当は心の中で前線で指揮して全員と戦いたいという気持ちはあったけど、それだと和を乱すことになりかねないから自らはそれを堪えつつ、部下を100%信頼して戦いや作戦立案は全て任せるけど、いざというときの責任は自分が全て被るし、負け戦となったら自分が前線で指揮を執るという覚悟で戦いに臨んでいたというところでしょうか。実際に、義弘が関ヶ原から命辛々帰ってきた後、家康から軍事的圧力をかけられたとき「今度は自分が兵を率いて家康と戦うぞ」と発言したり、家康から耳川や沖田畷や戸次川の戦いについての話をして欲しいと求められたときに「自分に功績なんて何一つありません。大友や龍造寺の戦いや戸次川では、自分はただ出陣していただけで、義弘や家久たちをはじめとする部下たちの頑張りによって勝てたものです」という発言から、責任感が強くて謙虚な性格だっていうことが強く感じられるし、何となく明治時代の西郷隆盛さんや弟の従道さんや大山巌さんと共通するものを感じます。
島津の野戦は戦国最強レベルそれで家康も取り潰しは諦めた
沖田畷の戦いは、島津のジャイアント・キリングだったのは知りませんでした!
前年の天正11年には伊集院忠棟・平田光宗らが義久に黙って隠密作戦で阿蘇領攻めたは良いが返り討ちにされ甲斐宗運との和平も破綻で義久は慌てて家臣らを叱責するというグダグダな状況でもあったのになんでこれで勝てるねんwwという(この戦いの直前は秋月種実の案にのって龍造寺との和睦を試みるが失敗)戦国時代の野戦では鉄砲を有する敵に対して突撃し混淆白兵戦に持ち込むのが常套戦術の一つでもあるのよね。接近されすぎて鉄砲を活用できなくなり混乱→そのまま勝ち確と油断して前線に近づきすぎていた本陣に突撃で勝利を狙う 地味に有馬晴信(鎮貴)もいい仕事してるよね
隆信は幼少期かなり苦労してなかったっけそれが影響して疑心暗鬼になったのかな
確か一族諸共 主家の少弐氏の家臣 馬場頼周を中心に暗殺したのがきっかけで冷酷な性格になったらしいよ…
4:00くらいに出てくる地図で、壱岐が間違っていますよ。今更ながらゴーストオブツシマをやってるので、気づきました😂
肉体的にも愛した!!!
竜造寺がなんかミスしたとも思えないのにチートみたいな強さ漫画かよ
龍造寺側はミスしてますよ。吉田清内という不埒な家来が越権行為的な伝令ミスをやらかしてしまっているようです。
肥りすぎ、ですかねぇ・・・。
「小倉」は「こくら」と言います「おぐら」は間違いですよ(^.^)
九州で暴れた、黒田官兵衛ってすごいんだな。
兵の強さが勝敗を決めたが、他国は薩摩兵がこんなに強いとは知らなかったんだろうな。
他県の人はオグラと読み間違えるけど、小倉コクラです。
私は競馬場と日本軍の航空基地の名前で覚えていました。ちなみに私は関東です。
@@mahoroba6332 そういう覚え方は間違えないですね。私も提督の決断などのゲームから読み方に興味を持ちました。アジアの都市名なども学校では教えてくれませんから。グァムがどこの国か知らない方も多いですし。実用されたものは読み間違えがないですね。
家久達島津の集頭おかしい(大賛辞)
龍造寺は何一つ最後まで間違った戦略してないんだよな。島津がおかしいだけ。しいて言えば島津を死地に置いた事が敗因
36:14 誰だよドサクサに紛れて どこまでも一緒だよ♡ て言ったのww
家久と共に突撃した死兵と本陣まで切り崩された隆信の兵とどうしてここまで差がついたのか.....
「我が島津軍最強」何かヤンキーの決めセリフに聞こえるが釣り野伏や捨て奸みたいな基〇外じみた戦術についてくれる兵士がいる島津軍って本当に最強だと思う伊達に鎌倉時代から領主やっているだけはないなと
鬼島津
@@koharumomokiti2020 泗川の戦いこれが未だにNHKの大河ドラマで映像化されてないのが理解に苦しむ
@@yasuyuhara8153 キムチ国では水軍が日本に勝利したドラマを作っていたようですが、中央電視台日本支店は忖度してそんなドラマはつくりません。過去に、軍艦島の映像も反日捏造で作った。
沖田畷の裏でこんな濃厚な駆け引きがあったとは!流石戦国は面白い!私も関東関西にばかり注力しておらず、もっと広い目で戦国を見なければな(上杉家ファンだからどうしてもそっち方面に興味が行きがち(−_−;)
さすがは島津豊久の親父殿😅この親にしてこの子あり🎉豊久はこの戦が初陣…こんな激戦に出すなんて凄いことする父親だな…
家久強いな。。某野望ゲーで戦闘力がそれほど評価されてないのはなぜなんだろう。。
36:24 男色アッー
島津って不思議な勝ち方するよな。戦術、戦略の不利を武勇だけで押し返したとか意味がわからん。。
@@橋本英一郎 書こうと思った事を既に書かれてて草
むしろ、戦術・戦略的にはある程度上手くハマったという印象も受けますけどね。桶狭間よりも精密なことを島津家久がやってますもん。家久ハンパないって❗️アイツマジでハンパないって❗️ 織田信長よりも精密なことをアウェイに近い中立地でやっちまうもん、できる普通? またまたまたまた一面や(滝川ニ高の某Nキャプテン風って感じだったのではないかと😅
龍造寺からしたら不思議の負けやろ
信長の野望烈風伝や天道の龍造寺は使いづらかった記憶あるなぁ
数作品しかやった事ないですが、隆信は後作品になる程凡庸化して行ってますね( ̄▽ ̄;)苦笑風雲録では「さすが九州3強の一角だね〜」でしたが、天下創世や、そのあと作品の隆信なんて「え?何こいつ?雑魚すぎん?」てなった記憶があります( ̄▽ ̄;)苦笑
戦略においては龍造寺が優勢でも戦術で浜の城救援に縛られ迅速に突破をできなかった。もし、龍造寺が準備万端で緩やかに陣を詰めていれば島津の敗退となったと思います。一番の島津勝利に繋がったのは追撃の手を弛めずに徹底的に追撃したこと。少数で追撃は逆に島津のお家芸の釣り野伏せに会うのにしたのは流石、鬼島津ですね。
龍造寺が勢いに任せずに本陣をもう少し早めに後退さて本陣を固めにして突撃して来た島津を包囲してたら殲滅戦が出来てたら島津が完全な敗北だったのか
お疲れさまです。島津は「釣り野伏」がお家芸みたいなもんですから、おそらくその手には乗らんでしょうな😅
島津家久こういう独断することも嫌われて毒殺されたのかな。
一意見だけど、新説とあるからいろいろと考察することも歴史浪漫だと思う。だが、この動画の説には俺は否定的だな。もちろん、この動画シリーズは大好きだけどね!
兵法もくそもあったもんじゃねぇな。
ずっと龍造寺優勢だったのに最後1,2分で気がついたら形勢逆転してたんだけど‼️意味がわからなすぎる😂😂😂
後に島津の運命を決定づける根白坂の戦いが起きるが、皮肉にも大友の大軍を破った耳川の戦いの場所のすぐ近くだった
だから家久は消されたんだろう😊『倉満ちて弓蔵われ狡兎狩て走狗煮られる』強過ぎた
龍造寺さん、小倉は「おぐら」ではなく「こくら」って呼ばれてると思いますが。尾張の人間でも知っていますよ。
浜の城も攻撃をかければ挟撃できたのに・・・何をしてたんだろう。竜造寺本隊の動きに合わせて動かなかっただなんて。
秋月って低評価されがちだが有能な武家だと思うんだ
ただ、この流れも秀吉にはきかなかったのかな:^)
どちらかというと弟の秀長さん。
なんか戦国時代って魔境やな
肉体的にも!❤
リアルバーサーカー。島津軍。狂ってますね。
家久のスタンドプレーだったとはいえ、隆信だけでなく四天王も討ち取ったのは本当に凄い。
花の慶次って漫画の一文を思い出しました
「勝ち戦では誰も死にたくない」
勝って帰れば褒章を受け取れるのにわざわざ死兵と相打ちはしたくなかったんでしょうな
結果、誰も能動的に動かない集団心理が働いて龍造寺本陣まで家久が届いてしまった
戦場を数学で見れば龍造寺の圧勝でも人の心で見れば負けてたのかなと
島津以外でこの展開だったら「新説ねぇ・・・ヤケクソで突っ込んだら、準備万端で構えてた数倍の敵に勝てましたぁ?ふざけんな」ってなる所だけど、島津だと「ああ・・・まあ、島津だからそういう事もあるかな」と、何となく納得出来てしまうのが怖い
特に天才家久ならやりかねない(笑)
島津だと大部バカになんねえ話でもなんとなく納得できるのえぐいんよなぁ
中国史屈指のチート級の呂布や項羽なら戦局の盤面をひっくり返せるかもしれん。
全てにおいて島津は戦闘民族薩魔人だからで納得出来ちゃうあたりなぁ・・
@@blackwidowiispider それはそう
九州戦国史は本当に面白い。島津、大友、龍造寺と三者とも見せ場があり魅力的な人物も多い。
また戦国時代ではないが、南北朝時代でも菊池武光や懐良親王のタッグで九州を制覇したエピソードも熱い。
最後意味わからん勝ち方が好き
フロイス「日本史」からの引用です。
島津軍は四兄弟や重臣の能力も凄いけど、圧倒的なのは兵の質だよね
他の兵なら総崩れになりそうな状況では平然として戦い続けられる
この戦いも島津の方が崩れておかしくないのに逆に有利な方が命を惜しんで総崩れになるという意味の分からなさ
兵の強さならまず薩摩最強は間違いないでしょう
これって、薩摩が武田の甲斐や長尾の越後、長宗我部の土佐よりも貧しい国だったから、兵を食わせるには強くなって他国から食料とかを奪わなければいけなかったからでしょうかね?
@@峻-k5k
とにかく、他の軍なら当たり前に逃げ帰る状況でも戦い続ける恐ろしい士気と忠誠心の高さが強さの根源で理由は軍法やいろは歌のおかげとも勝って国を豊かにする為とも言われていたりもするけどここまでになるのを説明出来る程じゃないのよ
明確な理由が知りたいなら申し訳ないが、薩摩兵はそういうものと思ってもらうしか
太平洋戦争の時も薩摩出身と津軽出身の部隊は飛び抜けて強かったそうで。地域性とか風土とかあるんでしょうね。
@@蛤万太郎 昔から厳しい環境やハングリー精神は人を強くする
恵まれている環境は素晴らしいけど、やはり人を腑抜けにすることが多い
@@蛤万太郎
太平洋戦争に従軍していた東北出身者は、その多くが昭和6年付近の大飢饉を経験していて、その時の状況に比べれば軍隊での生活は恵まれていると話していたという逸話がありますね。
死生観が根本から違ってしまっているのでしょう。
このやたらと下郎とか腐れ外道とかいう単語が出てくるノリ大好き
龍蔵寺隆信の有能さが感じられた面白い動画でした。
ルイス・フロイスから、指揮官としての素質や決断力はジュリアス・シーザーに匹敵するとまで評価されてるみたいですからね。
この顔汁合戦シリーズの面白いところは、各勢力が不安と疑心に苛まれながら、手探りで内政外征を進めるリアリティだよね
事前に立てた策謀が完璧に決まるようなドラマチックな展開も面白いけど、実際はこんな感じで手探りで進めていかざるを得ない
だからこそリアリティがある
家久ハンパないって❗️アイツマジでハンパないって❗️ 織田信長よりも精密なことをアウェイに近い中立地でやっちまうもん、できる普通? またまたまたまた一面や(滝川ニ高の某Nキャプテン風
戦場の霧といわれる言葉がありますからね
かのナポレオンですら、あのアウエルシュタットでプロイセン主力を自軍で叩いたと思いこみましたが
実際は少数のダブー元帥が2倍以上の敵主力と遭遇、これを巧妙な部隊移動と連携で、少数の不利を補い、2倍以上の損害を与え
結果援軍もない状態で退却させるという離れ業を成し遂げたにも関わらず
貴公は物が二重に見えているに違いない、とダブー(極度の近眼)を馬鹿にしたくらいですから
マジでそれ
勝者となる人も現在進行形では結果を知らず判断の根拠となる情報も正しいとは限らない中で不安を抱えながら決断行動していた訳でね。
フロイスにカエサルを超えているとまだ絶賛された龍造寺隆信。それを力技で押しつぶす島津。イカれてるね。そんな島津を圧倒的な物量で降伏させる秀吉は天才。
秀吉に負けたとはいっても一度秀吉の送った大軍をハンニバルがごとく殲滅してるから戦果としては十分なんだよな
龍造寺家に滅ぼされた柳川城主蒲池家ゆかりの者です。我が先祖もこの動画にきっと喜んでいることに存じます
松田聖子さんなら朽網氏?氏族一族で佐賀藩士になった犬塚、大木、久納、酒見、佐賀藩諫早(藩士)家中で柳川最後城主蒲池鎮並の兄・蒲池鎮久の遺児・貞久(熊千代)は蒲池正統として蒲池名乗り後に宇都宮姓に本復し諫早宇都宮祖に一方蒲池分家の鎮永も龍造寺家晴に仕え嫡子杢之助政明は蒲池改め横田姓に家晴随中し諫早藩士に後本藩への謀反で蓮池藩主連座で諫早藩主蟄居で側用人横田杢左衛門は切腹家名断絶し後に嫡男英明は大木に改姓新規召し抱えられる、又地元柳川なら今村、江崎氏等がいる。
「逃げたら死罪」というと恐怖で人心掌握したのではなく、それ以前の結束が高かったからこそ、この死を決した猛攻が成功したのかもしれませんね。
関ヶ原の島津軍の勇猛なエピソードも、この戦がきっかけだったのかも。
家久「逃げたら殺す😉」
ワイ「ヒドイなぁ😨」
島津兵「うおぉぉぉ!😆」
ワイ「🙄」
さりげなく男色要素入れるのすき
現代のミリオタにも分かるよう、攻勢限界だとか重心とか現代の用語使ってくれて有り難い…!
「信長の野望」シリーズをプレイしていて、隆信がなぜ優秀だったか分からずじまいでしたが、この動画の掛け合いを見て優秀さがわかりました。
あえて沖田畷に進ませたそれまでの説もすごいけど、この動画で取り上げてる新説の島津の死兵はもっと怖い…
隆信もちゃんと考えてこの結果ならもうどうにもならないですね…
後の泗川の戦いを考えると島津軍恐るべし…
泗川の半扉とか関ヶ原撤退戦でのステガマリ志願者の多さとか聞くと薩摩は死兵の概念が数レベル上で違うと思います
@@syu4779
それだけ島津家は慕われていたんでしょうね…
家臣から兵士達まで大切にしていたから命を懸けても惜しくないほどだったと思います…
まさに鬼島津ここにありな凄まじい戦だったのかと感嘆しました。
凄い!
こんな凄い戦史があったなんて知りませんでした!
九州の大名も超レベルが高かったんですね。まさに韓信の背水の陣の話よりも強烈なストーリーでした。ありがとうございました!
龍造寺隆信って産まれもなかなかハードモードだしな。義久、宗麟と比べて最初の領土も人材も少ない。鍋島とか四天王(5人)もいたが肥前の熊の名前を持った程の闘将は伊達じゃない。ってか歴史的には武力1本で統一した感あるけど極めて手堅い手を打ってるなw ほぼ勝ち確で挑んだ中に大軍投入に家柄的には上じゃないとすれば隆信が畿内だったら信長に変わっていたかもしれない程のポテンシャルを感じる。
途中までは龍造寺ペースだったのに、島津軍強すぎる。
家久ハンパないって❗️アイツマジでハンパないって❗️ 織田信長よりも精密なことをアウェイに近い中立地でやっちまうもん、できる普通? またまたまたまた一面や(滝川ニ高の某Nキャプテン風
最初から乗せられてた、てのが正しいかもしれませんね。島津はイメージがアレだけど戦略家が多いですから。
これ見ると龍造寺隆信は超有能なんだろうな、有能で完璧過ぎて逃げ場が無くて敵を背水の陣に追い込んでしまった感じ。敵に一か所逃げ場を用意しとくのもやっぱり大切なのかと思える戦い。島津を死兵にしたらいかんよな、それは悪手だわ。
戦術で勝っても、龍造寺隆信は肥満で馬にも乗れないほどの運動音痴だった。輿に乗っているところを襲われたのだから、戦術より、先ず自身のダイエットを優先するべきだった。
@@シコ龍 輿の話で言ったら今川義元もそうですが、一方立花道雪という例もあります。あまり関係ない気がしますけどね。
@@woodbook1014
俺が輿の担ぎ手だったら、ピンチになったら主を置き去りにさっさと逃げるね。他国を力でねじ伏せ、人望に乏しい龍造寺の末路なんてそんなもん。たとえ戦術に勝っても自国の統治を疎かにするようでは戦(いくさ)には勝てないことを証明した結果だね。
おごりの塊の龍造寺側には死んでも我が身を盾に主を守る忠臣がいなかったに違いない。
@@シコ龍 木下昌直以外の龍造寺四天王(いわゆる四本槍と呼ばれる旗本)はこの戦で全員死んでいますが。
主君を守って討ち死にする四天王も立派ですよね
しっかり仕事してる
負けたけど
結局最後死ぬ気で戦えばどうにかなってしまう、最強脳筋武装集団好きだわ
島津の強さは弟たちにある程度の好き勝手を許す義久の胆力にあった可能性が微レ存!\(^o^)/
歴史の本とかだと島津が戦略も戦術も最初から龍造寺を圧倒してたみたいに書いてあるけど実際はこうだったんだ(;´Д`) 勉強になりました!
この戦を見ると真田が最後に家康に突撃したのも
間違っては無かったのではないかな
家康が自刃を覚悟したっていわれてるくらいなので運が良ければ。。。でも秀忠がいるので崩壊はせず物量で圧殺されたでしょうね。
やっぱり、こういう細かい部分あった方がリアリティーあって良いですね....!
この悪い顔ええわ・・・唯一無二なのが凄い
いつか岩屋城をお願いします
家久ハンパないって❗️アイツマジでハンパないって❗️ 織田信長よりも精密なことをアウェイに近い中立地でやっちまうもん、できる普通? またまたまたまた一面や(滝川ニ高の某Nキャプテン風
家久「イんだょ細けぇ事は。最後は気合いだ」
最強は脳筋なんだね
家久ハンパないって❗️アイツマジでハンパないって❗️ 織田信長よりも精密なことをアウェイに近い中立地でやっちまうもん、できる普通? またまたまたまた一面や(滝川ニ高の某Nキャプテン風
薩摩隼人はやっぱりおかしいわ、関ヶ原の正面撤退といい無茶苦茶だわ
脳筋島津だから機能してるだけで、他の大名が真似したら壊滅してるw
スパルタよりは劣るがやってることは古代ギリシャのスパルタ並みの強さ😂
戦略、戦術全てにおいて龍造寺が勝っていたのに、兵の強さという一点のみで逆転されてしまった。
やっぱ、島津っておかしいわ。
そんな島津らに道雪ら三老らの次世代中堅殺戮されても完全に併呑はされず新世代若手の力(宗茂・佐伯惟定・志賀親次等)で持ちこたえた大友も大家だったんだなって思うし、70年代までほぼ抑えてた伊東氏(義久・義弘・歳久三人同時も勝利経験&山田宗昌ら島津キラーもいて日向追い出された後もしぶとく生き残り伊東は旧領復帰)や肝付(貴久の弟を討つ)はなんなんだってなるし、小勢力でも九州版真田の筑紫等いるという… そんな強い兵をもってしても堀秀政に「弱すぎる」って言われる全国の壁の厚さ…
家久ハンパないって❗️アイツマジでハンパないって❗️ 織田信長よりも精密なことをアウェイに近い中立地でやっちまうもん、できる普通? またまたまたまた一面や(滝川ニ高の某Nキャプテン風
って感じだったのではないかと😅
でも後の根白坂の戦いに於いて豊臣軍と戦った島津軍は多くの家臣を失い、好戦的な家久は戦死してしまうんだけどね。かくて島津家は九州制覇を目前にし、最後は豊臣軍にフルボッコ。せっかく平定した領地も豊臣方にことごとく没収される結末。
「戦術は戦略の不利を覆すためにあり、将兵の武勇は戦術の不利を覆すためにある」
という名言がありまして…まさに島津の強兵は戦術レベルの不利を覆してしまったわけですね!
窮鼠猫を噛むとも言われ
そういえば幕末長州藩の大村は退路をひとつだけ残しておいた方が相手を殲滅しやすいとか言ってたような
(上野戦争などで実践
@@asakazefuji
横から失礼します。
明治維新軍の方々はまだ比較的親切だったっぽいですね、その穴から敵兵を慈悲的に逃がして差し上げたらしいですし。
その点、モンゴル軍等はエグいですよ。わざと穴を開けといて、その穴から逃げ出した敵を後ろから撫で切りみたいな感じでボッコボコにやっていた事例があります(ex.モヒの戦い)。近時のウクライナ軍もその穴に地雷を仕掛けたりその近辺に待ち伏せ攻撃的な集中放火を浴びせたりしていたようなので、かなりエグいですよね😅
囲師には必ず闕く@孫子
関ケ原での捨て奸とか完全に戦略を覆す戦術でしたからね。
その後島津によって負傷させられた井伊直正が徳川と島津との和平を取り持ったし
そのおかげで島津は逆賊ながら領地をほぼ安堵された
(というか、こいつら怒らせたら何しでかすかわからん、という恐怖があった)
この時の負傷が遠因で直正がその直後に亡くなったというのは皮肉というか
@@yasuyuhara8153 その点、関ヶ原後に手のひら返しで減封処分になったのに「仕方がない」で済ませた長州藩はヘタレだな。
これが島津であれば逆上して攻め上っただろうに。
自分の住んでいる九州のことなので興味を持った。
当時の薩摩人は、戦場に出る時点で死ぬ以上につらい期待というストレスを受けていたので(減点要素を受けると一族諸共断罪)、功名と責任逃れができる特攻は望むところだったろうね。
チェストがここまで恐ろしいとは。
戦場が湿地でなかった説はめずらしいですね。これでは沖田畷の意味が分からない。その説明・解釈が欲しかった。
それにしても、独断専行、戦略破綻しても前線の兵士が頑張れば勝てる!みたいな弊害のある教訓しか残らないような・・;(笑) 緊迫感あって面白いです。
似たような戦術を関ヶ原合戦でもやってた島津。
この戦場の混乱に乗じた「暗殺」に近い状況が、桶狭間の戦いでの今川義元だったのだろうと推測。
風向きが龍造寺軍に不利で鉄砲の排煙により前線の状況が掴めなかった事と、防護柵の前面が湿地帯で足場が悪く容易に島津側の弓の的になってしまったという話も聞く。
隆信の首返すよ!からのあっいらないですまでが沖田畷の戦い
龍造寺側は、準備を万全にしすぎで島津軍を追い詰めすぎ、背水の陣に持って行ってしまったのが敗因だと思います。
あえて、島津に対しわずかばかりの退路を準備できたら、敗北は無かったのではと思います。(おそらく島津にとって、しょせん助け戦で島原はちっぽけな半島です。)
敵を死兵と化したのは悪手だったな
しかも島津兵相手に…
とても楽しく、勉強になりました。どうもありがとうございます!!
この漫画シリーズ面白いです。
やはり、現実の戦場は教科書通りにはいきませんんね
九州の戦国史ってあんま知らなかったから面白い
熊はなんも悪い手打ってないの笑える
まぁ生粋のバーサーカーに睨まれたことが不運としか笑
敢えて言うなら運がなかった(笑)
本陣を真ん中に移動したのが1ミリの隙となってしまった。
あるとすれば大軍を狭い場所で展開させちゃったことかなと思います
前線が崩れてそれがドミノ倒し的に友軍に伝染してしまった
大坂の陣で家康が危なくなったとこに似てます
普通なら冷や汗くらいで龍造寺が勝ってる内容だが最後の突撃が相変わらず異常だわ
多分、退路絶たれたり分断しても意に介さず突撃してくるので根本的に騎馬の車懸かりとかじゃないと勝てないか?そんなの上杉謙信しか勝てそうにない
「後退したら組ごと死を賜う」は、島津兵にとってはこの上なく正しく、公平な方針と受け止められたのだろうなと思う。でなければ、処罰の恐怖だけでは人はあんなに強くあり続けるのは無理だ。
家久の凄い所は有能な武将で自ら大軍を率いていた隆信を討ち取ったこと
薩摩出身です。心から島津ラブです!
軍神家久の釣り野伏が大好きなんですけど、
家久の良さより、勝手な振る舞いで 島津がピンチになるギリギリ命懸けの戦いだった、、、
なんか、かわいそうだった
こんなギリギリ戦が既定路線って かわいそうです
でも、島津ラブ💓😍💓です!
家久ハンパないって❗️アイツマジでハンパないって❗️ 織田信長よりも精密なことをアウェイに近い中立地でやっちまうもん、できる普通? またまたまたまた一面や(滝川ニ高の某Nキャプテン風
@@drycool5348 さん コメントありがとう😉 でも、みんなにコピペは、淋しいわ⁉️
@@金ぴか70 嬢
とりわけ実質的平等の見地(憲法14条参照)からすれば、貴女が淋しがるようなことをするのはいささか行き過ぎで何気にfantasticなような気がしないでもないですね(激謎👍️
私も薩摩隼人の片割れです。心から島津を愛してます。薩摩偉人伝をお願い致します。牛島満将軍、大山巌、日高雪之丞、西郷従道等です。
@@古城修一-v3g
薩摩出身ですが、勉強不足でしらない方が、、、😞💦
別のRUclipsで勉強してきます!
薩摩、いいですよねー
伊東家のとき50人とかで奇襲し乱戦で勝ちを得る鬼畜島津
新説といってみても・・・うーん。
こんな無茶苦茶な突撃で隆信と四天王を討てました、までなら家久ならやらかしかねんと思うが
死者が龍造寺2000超、島津250有馬15ってのはこの展開だとさすがにあり得ないのでは・・・。
現時点ではまだ通説側の方が説得力あるかな・・・。
竜造寺の兵力の多さや島津軍の犠牲の少なさには誇張が入ってるのかもね
義弘、家久あたりが率いる場合は偶に不利盤面ひっくり返してはくる
急拡大した龍造寺方には統率に難があったか?
2万5000でよもやこんな大敗は想定外だろうな
まあ、この戦から分かる事はどんなに絶望的な状況下にあっても最後まで全力で足掻けって事やな。勿論、そういう状況に陥らないための努力も必要だけれど。
とりあえず義弘か家久、どちらかを派遣すれば勝つ。
秀吉が九州にくるまではこの路線でうまく行ってたんですよね。
島津家が活躍したのもここまで。後に豊臣軍との根白坂の戦いで島津軍はフルボッコされ家久が討ち死にする結末。
@@シコ龍 その後、家久指揮で戸次川の戦いでは豊臣軍に勝ってるし、討ち死にではなく何らかの原因での急死でしたよね?
@@田中拓也-l3t
島津は豊臣軍とは戸次川の戦いと根白坂の戦いで二度と戦ってますね。戸次川の戦いでは豊臣方の長宗我部元親の嫡男と十河まさやすを打ち取り、総大将の仙石秀久を敗走させています。しかし根白坂の戦いでは豊臣方の圧倒的兵力とかねてより豊臣方と戦うことに反対していた島津家の家臣の伊集院忠棟の裏切り?(伊集院は戦う素振りすらしなかった)で大敗し家久はその時の戦傷が元で亡くなったとされているそうな。
なお島津軍の九州制覇を目前に控えた時、大友宗麟のいる豊後攻めにこだわった家久とその前に筑前の岩屋城攻めに決定した当主の義久との意見が分かれ、岩屋城の城攻めで家久が加勢してくれなかったせいで城は落とすものの島津側に多くの将兵を失う結果を招いています。
@@シコ龍 さん
島津からすれば九州各地で戦ってきて疲弊している状態で根城坂の戦いだったので勝てる見込みはなかったですね。対陣がが長引くと別ルートから薩摩に入られていただろうし。
家久は毒殺って説もありますね
「窮鼠、猫を咬む」っていうけど、まさにこのことだな。死を恐れないものほど怖いものはねぇな。
小倉はオグラじゃなくてコクラですね
ほんと島津家は日本のスパルタよな
もう最期だから覚悟キメて1人辺り10人な、とかを普通にやったらだめだと思う
龍造寺も勝ち戦っぽい流れの所にヤケクソで突っ込んできた死兵の相手なんてしたくないから怯んだんでしょうね
鬼島津軍のヤバさはやっぱスゴすぎる。本州におったらいったいどうなっていたか
あれだけの突撃敢行して島津側の死者が250人!?!?(^_^;
島津の兵士は戦闘狂過ぎる…
ここでも桶狭間が起きていたんだな
イチ戦闘の勝利が、その後の勢力戦略も覆してしまう
勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし。
敗色濃厚な島津軍がやけくそになって突撃を敢行。これで九州の戦国史を変えてしまうのだから、歴史は面白い…😂。
家久ハンパないって❗️アイツマジでハンパないって❗️ 織田信長よりも精密なことをアウェイに近い中立地でやっちまうもん、できる普通? またまたまたまた一面や(滝川ニ高の某Nキャプテン風
隆信は合理的で理知的な判断を下し、戦況も良くみえていたのにね…何も間違わなかった故に負けてしまった
新説面白いですね
結局は大軍であることでの慢心、勝利が見えてきて緊張感が薄れた所に強襲され敵味方入り乱れ大混乱になり壊滅した
隆信の失敗は必要以上に兵力を投入したこと
人が多いと横の連携が難しくなるから混乱を立て直すのはとても大変
急速に拡大した龍造寺軍は大兵力を指揮するのに不慣れだったのが仇になったね
隆信は有能ゆえに最も危険で重要な場所に自ら出陣した。そして最悪の裏目を引いてしまった。大友宗麟のように部下に任せて後方にいたなら勝っただろう。
戦と言うのは場合によって正解が不正解になってしまうから恐ろしい。
ある意味、島津義久も宗麟と同じでほとんど部下に任せるというスタイルだったというか似たもの同士だったという気がします。
ただ二人の一番違う点は、宗麟があまり責任を背負いたくないから部下任せにしていたのに対して、義久の場合は本当は心の中で前線で指揮して全員と戦いたいという気持ちはあったけど、それだと和を乱すことになりかねないから自らはそれを堪えつつ、部下を100%信頼して戦いや作戦立案は全て任せるけど、いざというときの責任は自分が全て被るし、負け戦となったら自分が前線で指揮を執るという覚悟で戦いに臨んでいたというところでしょうか。
実際に、義弘が関ヶ原から命辛々帰ってきた後、家康から軍事的圧力をかけられたとき「今度は自分が兵を率いて家康と戦うぞ」と発言したり、家康から耳川や沖田畷や戸次川の戦いについての話をして欲しいと求められたときに「自分に功績なんて何一つありません。大友や龍造寺の戦いや戸次川では、自分はただ出陣していただけで、義弘や家久たちをはじめとする部下たちの頑張りによって勝てたものです」という発言から、責任感が強くて謙虚な性格だっていうことが強く感じられるし、何となく明治時代の西郷隆盛さんや弟の従道さんや大山巌さんと共通するものを感じます。
島津の野戦は戦国最強レベル
それで家康も取り潰しは諦めた
沖田畷の戦いは、島津のジャイアント・キリングだったのは知りませんでした!
前年の天正11年には伊集院忠棟・平田光宗らが義久に黙って隠密作戦で阿蘇領攻めたは良いが返り討ちにされ甲斐宗運との和平も破綻で義久は慌てて家臣らを叱責するというグダグダな状況でもあったのになんでこれで勝てるねんwwという(この戦いの直前は秋月種実の案にのって龍造寺との和睦を試みるが失敗)
戦国時代の野戦では鉄砲を有する敵に対して突撃し混淆白兵戦に持ち込むのが常套戦術の一つでもあるのよね。接近されすぎて鉄砲を活用できなくなり混乱→そのまま勝ち確と油断して前線に近づきすぎていた本陣に突撃で勝利を狙う 地味に有馬晴信(鎮貴)もいい仕事してるよね
家久ハンパないって❗️アイツマジでハンパないって❗️ 織田信長よりも精密なことをアウェイに近い中立地でやっちまうもん、できる普通? またまたまたまた一面や(滝川ニ高の某Nキャプテン風
隆信は幼少期かなり苦労してなかったっけそれが影響して疑心暗鬼になったのかな
確か一族諸共 主家の少弐氏の家臣 馬場頼周を中心に暗殺したのがきっかけで冷酷な性格になったらしいよ…
4:00くらいに出てくる地図で、壱岐が間違っていますよ。
今更ながらゴーストオブツシマをやってるので、気づきました😂
肉体的にも愛した!!!
竜造寺がなんかミスしたとも思えないのにチートみたいな強さ
漫画かよ
龍造寺側はミスしてますよ。吉田清内という不埒な家来が越権行為的な伝令ミスをやらかしてしまっているようです。
肥りすぎ、ですかねぇ・・・。
「小倉」は「こくら」と言います
「おぐら」は間違いですよ(^.^)
九州で暴れた、黒田官兵衛ってすごいんだな。
兵の強さが勝敗を決めたが、他国は薩摩兵がこんなに強いとは知らなかったんだろうな。
他県の人はオグラと読み間違えるけど、小倉コクラです。
私は競馬場と日本軍の航空基地の名前で覚えていました。ちなみに私は関東です。
@@mahoroba6332 そういう覚え方は間違えないですね。私も提督の決断などのゲームから読み方に興味を持ちました。
アジアの都市名なども学校では教えてくれませんから。グァムがどこの国か知らない方も多いですし。
実用されたものは読み間違えがないですね。
家久達島津の集頭おかしい(大賛辞)
龍造寺は何一つ最後まで間違った戦略してないんだよな。島津がおかしいだけ。しいて言えば島津を死地に置いた事が敗因
36:14 誰だよドサクサに紛れて どこまでも一緒だよ♡ て言ったのww
家久と共に突撃した死兵と
本陣まで切り崩された隆信の兵と
どうしてここまで差がついたのか.....
「我が島津軍最強」
何かヤンキーの決めセリフに聞こえるが
釣り野伏や捨て奸みたいな基〇外じみた戦術についてくれる兵士がいる島津軍って
本当に最強だと思う
伊達に鎌倉時代から領主やっているだけはないなと
鬼島津
@@koharumomokiti2020 泗川の戦い
これが未だにNHKの
大河ドラマで映像化されてないのが理解に苦しむ
@@yasuyuhara8153
キムチ国では水軍が日本に勝利したドラマを作っていたようですが、中央電視台日本支店は忖度してそんなドラマはつくりません。過去に、軍艦島の映像も反日捏造で作った。
沖田畷の裏でこんな濃厚な駆け引きがあったとは!流石戦国は面白い!
私も関東関西にばかり注力しておらず、もっと広い目で戦国を見なければな(上杉家ファンだからどうしてもそっち方面に興味が行きがち(−_−;)
さすがは島津豊久の親父殿😅
この親にしてこの子あり🎉
豊久はこの戦が初陣…こんな激戦に出すなんて凄いことする父親だな…
家久強いな。。某野望ゲーで戦闘力がそれほど評価されてないのはなぜなんだろう。。
36:24 男色アッー
島津って不思議な勝ち方するよな。戦術、戦略の不利を武勇だけで押し返したとか意味がわからん。。
勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし。
@@橋本英一郎 書こうと思った事を既に書かれてて草
むしろ、戦術・戦略的にはある程度上手くハマったという印象も受けますけどね。桶狭間よりも精密なことを島津家久がやってますもん。
家久ハンパないって❗️アイツマジでハンパないって❗️ 織田信長よりも精密なことをアウェイに近い中立地でやっちまうもん、できる普通? またまたまたまた一面や(滝川ニ高の某Nキャプテン風
って感じだったのではないかと😅
龍造寺からしたら不思議の負けやろ
信長の野望烈風伝や天道の龍造寺は使いづらかった記憶あるなぁ
数作品しかやった事ないですが、隆信は後作品になる程凡庸化して行ってますね( ̄▽ ̄;)苦笑
風雲録では「さすが九州3強の一角だね〜」でしたが、
天下創世や、そのあと作品の隆信なんて「え?何こいつ?雑魚すぎん?」てなった記憶があります( ̄▽ ̄;)苦笑
戦略においては龍造寺が優勢でも戦術で浜の城救援に縛られ迅速に突破をできなかった。もし、龍造寺が準備万端で緩やかに陣を詰めていれば島津の敗退となったと思います。
一番の島津勝利に繋がったのは追撃の手を弛めずに徹底的に追撃したこと。少数で追撃は逆に島津のお家芸の釣り野伏せに会うのにしたのは流石、鬼島津ですね。
龍造寺が勢いに任せずに本陣をもう少し早めに後退さて本陣を固めにして突撃して来た島津を包囲してたら殲滅戦が出来てたら島津が完全な敗北だったのか
お疲れさまです。
島津は「釣り野伏」がお家芸みたいなもんですから、おそらくその手には乗らんでしょうな😅
島津家久こういう独断することも嫌われて毒殺されたのかな。
一意見だけど、新説とあるからいろいろと考察することも歴史浪漫だと思う。だが、この動画の説には俺は否定的だな。もちろん、この動画シリーズは大好きだけどね!
家久ハンパないって❗️アイツマジでハンパないって❗️ 織田信長よりも精密なことをアウェイに近い中立地でやっちまうもん、できる普通? またまたまたまた一面や(滝川ニ高の某Nキャプテン風
兵法もくそもあったもんじゃねぇな。
ずっと龍造寺優勢だったのに最後1,2分で気がついたら形勢逆転してたんだけど‼️
意味がわからなすぎる😂😂😂
後に島津の運命を決定づける根白坂の戦いが起きるが、皮肉にも大友の大軍を破った耳川の戦いの場所のすぐ近くだった
だから家久は消されたんだろう😊『倉満ちて弓蔵われ狡兎狩て走狗煮られる』強過ぎた
龍造寺さん、小倉は「おぐら」ではなく「こくら」って呼ばれてると思いますが。尾張の人間でも知っていますよ。
浜の城も攻撃をかければ挟撃できたのに・・・何をしてたんだろう。
竜造寺本隊の動きに合わせて動かなかっただなんて。
秋月って低評価されがちだが有能な武家だと思うんだ
ただ、この流れも秀吉にはきかなかったのかな:^)
どちらかというと弟の秀長さん。
なんか戦国時代って魔境やな
肉体的にも!❤
リアルバーサーカー。島津軍。狂ってますね。