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菊」、特に大輪の花は崇高で恐れ多くて、俳句を作るにもリスペクトの方が勝ってなかなか難しいのですが、、、ちこさんが紹介して下さった俳句の三句までは平仮名が殆どで、視覚的にも緊張感を和らげていただいた感じがして、なんだか少しほっと息がつけました。有難うございました♪🌼♪平仮名の丸味と菊がすごくマッチしていますね。(2:04)整然と並ぶ菊、きっと大きな花壇なのでしょうね。花壇菊起立敬礼灯しけり 桉音(👀「花壇菊」は季重なりかも…)(5:33)(9:13)白菊のクローズアップはまるで雲のようだと思ったら、(9:16-)飯田龍太の句「白菊に遠い空から雨が来る」と来ました。天に雨雲地に白きかな菊の雲 桉音(12:04)小振りの菊が、ここでも真っ白な雲のよう… 白小菊もくもくと湧く小鉢かな 桉音
確かに花野、花園、花圃、そして花壇も秋の季語として歳時記に載っていますね。これらの語が季語だと個々の草花をメインに詠む際に措辞にちょっと制限を受けてしまう感じがありますね~。(^_^;)
こんにちは~。今回も素晴らしい朗読と深い鑑賞をありがとうございます。d(^-^)/季語「菊」ですか~。身近に見る花ではありますが、個人的には特に好きな花ではありませんw。どうも葬儀関係の花というイメージが強くあるからかな~w。個人的には鄙の路傍に見かける「野菊(仲秋)」の方が好きですね。尤もこれも昔読んだ『野菊の墓』のイメージからの様な気がしますがw。あと菊には「菊の友」「菊の主」なんていう傍題がある様に、手塩にかけて愛育しているマニアのイメージもあるのですよね~。季語としては類想・類句の沼に嵌りやすい部類の季語かに感じるのですが、そういう意味でちこさんの”菊への感動をオリジナリティーある配合、発想で表現する”というテーマは勉強になりますねー。・(2:08)「たましひのしづかにうつる菊見かな 飯田蛇笏」の句ですが、今回の紹介句中ではこの句が一番かに私は感じました。ちこさんの解説に付け足すことは特に無いのですが、我々が句作する場合、「たましひ」という措辞は勇気がなくて持って来れませんねーw。「内観造型論」は石原八束が提唱したものですが、掲句も正にその理論に則っており、”風景”を描くのではなく”心そのもの”を言葉に造型して描いていますねー。名句中の名句だと思います。・(7:04)「しらぎくの夕影ふくみそめしかな 久保田万太郎」、(7:22)「大輪の白菊の辺がまづ暮れぬ 加藤楸邨」(”辺”は”べ”と読むべきかと思います)の両「白菊」の句ですが、共に客観写生による堂々たる一物仕立ての句ですねー。万太郎の句は一瞬の気付きを、楸邨の句は数分程の時間経過を経ての気付きと時間軸のスパンに違いはあるにしても、共に情景描写から作者の感動が伝わって来る秀句ですねー。上掲の蛇笏の句の型とどっちが好きかは読み手によって分かれると思いますが、類句はこちらの二句の型の方が多いのかな~という気がします。菊大輪アンドロメダといふ隣人 紅屑φ(- - )
紅屑さん 私も野菊ファンです。それから花より団子で、春菊。😋石原八束氏が「内観造型論」を提唱されたのですね。また勉強になりました♪ 飯田蛇笏の俳句では、作者の添え書きがなければ、お仏壇の菊が故人の魂を写しているような感じを受けます。菊好きな方だったのかも、とか。「菊大輪アンドロメダといふ隣人」Wow、凄いスケールで天文的発想を飛ばされましたね!✨☄️✨先日「類想」の話しをしたばかりでした。お見事です♪
@@An-On_Ym さん、コメントありがとうございます。拙句、ちょっと付き過ぎかも…ですw。
@@benikuzutobeさん 付きすぎ?お厳しいですねw。折角天文スケールでいかれたのだから、ブラックホールとか超新星とかいう手もあるかも。私はそれでもアンドロメダが好きですけど。😅
菊」、特に大輪の花は崇高で恐れ多くて、俳句を作るにもリスペクトの方が勝ってなかなか難しいのですが、、、
ちこさんが紹介して下さった俳句の三句までは平仮名が殆どで、視覚的にも緊張感を和らげていただいた感じがして、なんだか少しほっと息がつけました。有難うございました♪🌼♪平仮名の丸味と菊がすごくマッチしていますね。
(2:04)整然と並ぶ菊、きっと大きな花壇なのでしょうね。
花壇菊起立敬礼灯しけり 桉音
(👀「花壇菊」は季重なりかも…)
(5:33)(9:13)白菊のクローズアップはまるで雲のようだと思ったら、
(9:16-)飯田龍太の句
「白菊に遠い空から雨が来る」
と来ました。
天に雨雲地に白きかな菊の雲 桉音
(12:04)小振りの菊が、ここでも真っ白な雲のよう…
白小菊もくもくと湧く小鉢かな 桉音
確かに花野、花園、花圃、そして花壇も秋の季語として歳時記に載っていますね。これらの語が季語だと個々の草花をメインに詠む際に措辞にちょっと制限を受けてしまう感じがありますね~。(^_^;)
こんにちは~。今回も素晴らしい朗読と深い鑑賞をありがとうございます。d(^-^)/
季語「菊」ですか~。身近に見る花ではありますが、個人的には特に好きな花ではありませんw。どうも葬儀関係の花というイメージが強くあるからかな~w。個人的には鄙の路傍に見かける「野菊(仲秋)」の方が好きですね。尤もこれも昔読んだ『野菊の墓』のイメージからの様な気がしますがw。あと菊には「菊の友」「菊の主」なんていう傍題がある様に、手塩にかけて愛育しているマニアのイメージもあるのですよね~。季語としては類想・類句の沼に嵌りやすい部類の季語かに感じるのですが、そういう意味でちこさんの”菊への感動をオリジナリティーある配合、発想で表現する”というテーマは勉強になりますねー。
・(2:08)「たましひのしづかにうつる菊見かな 飯田蛇笏」の句ですが、今回の紹介句中ではこの句が一番かに私は感じました。ちこさんの解説に付け足すことは特に無いのですが、我々が句作する場合、「たましひ」という措辞は勇気がなくて持って来れませんねーw。「内観造型論」は石原八束が提唱したものですが、掲句も正にその理論に則っており、”風景”を描くのではなく”心そのもの”を言葉に造型して描いていますねー。名句中の名句だと思います。
・(7:04)「しらぎくの夕影ふくみそめしかな 久保田万太郎」、(7:22)「大輪の白菊の辺がまづ暮れぬ 加藤楸邨」(”辺”は”べ”と読むべきかと思います)の両「白菊」の句ですが、共に客観写生による堂々たる一物仕立ての句ですねー。万太郎の句は一瞬の気付きを、楸邨の句は数分程の時間経過を経ての気付きと時間軸のスパンに違いはあるにしても、共に情景描写から作者の感動が伝わって来る秀句ですねー。
上掲の蛇笏の句の型とどっちが好きかは読み手によって分かれると思いますが、類句はこちらの二句の型の方が多いのかな~という気がします。
菊大輪アンドロメダといふ隣人 紅屑φ(- - )
紅屑さん 私も野菊ファンです。それから花より団子で、春菊。😋
石原八束氏が「内観造型論」を提唱されたのですね。また勉強になりました♪ 飯田蛇笏の俳句では、作者の添え書きがなければ、お仏壇の菊が故人の魂を写しているような感じを受けます。菊好きな方だったのかも、とか。
「菊大輪アンドロメダといふ隣人」
Wow、凄いスケールで天文的発想を飛ばされましたね!✨☄️✨
先日「類想」の話しをしたばかりでした。お見事です♪
@@An-On_Ym さん、コメントありがとうございます。拙句、ちょっと付き過ぎかも…ですw。
@@benikuzutobeさん 付きすぎ?お厳しいですねw。折角天文スケールでいかれたのだから、ブラックホールとか超新星とかいう手もあるかも。
私はそれでもアンドロメダが好きですけど。😅