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面白かったです。
後一条天皇は威子が皇女しか恵まれず肩身の狭い思いをしていた際に皇女でも即位することができると女性天皇の先例を出してフォローをしたエピソードがあります!
↑そのエピーソードは誤り。 推古天皇が最初の女性天皇。そして、いままでの女性天皇は全て男系の女子であることを、忘れてはならない。
元正天皇と 孝謙(称徳)天皇は未婚のまま即位しています。それと後代、近衛天皇が崩御した際に、鳥羽天皇皇女の暲子内親王(八条院)が次の天皇候補の一人に挙がっています。つまり、あの時代は内親王が天皇になる事に現実性があった。後朱雀天皇の危篤の際に、藤原能信(道長の息子で頼道の異母弟)が、尊仁親王(後の後三条天皇)を次の東宮にするよう懇願したのも、その辺を踏まえての事だったのでしょう🤔
とても、分かりやすかったです‼︎
ありがとうございます!そう言っていただけてとても嬉しいです☺️今後ともよろしくお願いします🙇♂️
しょうしと読むと思ってた。彰子は継子の事を考える所は優しいな。
当時の名前の読み方は『あきこ』『しょうし』どちらが正しいか、現代ではハッキリしていないそうです。中宮定子も『ていし』説と『さだこ』説があるそうですよ。
@@春-v4o 解答有難うございます。定子もそうなんですね。
当時は音読みの名前はないとされているので「しょうし」では99%ないと思います。なぜ教科書などで「しょうし」と書かれているかといえば、読み方が不明なため。例えば紫式部の娘、賢子は「かたいこ」はまだしも、明子は「あきらけいこ」と読むような、現代の感覚からは想像もつかないような読み方をすることが多く、読み方がわからない以上、下手に訓読みの読み方を当ててしまうと、それが本当の読みと誤解されることを避けるため、敢えて完全にあり得ない音読みでの「しょうし」とふりがなをふっているのだそうです。道長の周りに「詮子」「明子」「彰子」と、“あきこ”がたくさんいたとは考えにくいので、それぞれまったく異なる読み方だっただろうと思います。
「ショウこ」かもしれないよ?
@@春-v4o 定子に関しては「ていし」でも合ってると思います昔から天皇の后は濁点がつく名前は忌み嫌われていたので濁点が付かない名前になってます仮に生まれた時に「さだこ」でも入内の時に「ていし」に改めた可能性があります徳川秀忠の娘の和姫も「かず」と言う名前でしたが後水尾天皇に入内するにあたって「まさこ」(字は和子のまま)と改名していますし
歴史がとてもわかりやすく 理解出来ました。
彰子と頼道からしてみれば、弟の敦良親王(後の後朱雀天皇)もいるからそっちに男子が産まれればいいと考えたのでしょうが。ですが、その後朱雀天皇の第二皇子、後の後三条天皇の存在が摂関家の凋落を招くとは流石に予測できなかったようで‥
動画内の藤原彰子の絵は、彰子でなく母の倫子の絵ですね。顔が描かれている中宮彰子の絵は存在しないと思います。
威子は叔母なのですよね。天皇は特別だったのでしょうか。ドラマでは描きにくいと思いますが。
拙者ので出番じゃ様-初めて書かせていただきます。今お時めく-nhk大河ドラマの光るの君えーのご解説-恐れ入るます。大石静先生も大変なご努力で、現代語訳されており、分かり易く、お話が進んでおります。演者さんも、意外な方々の抜擢で驚ろかされます。何処までお話が進みますのか解りませんが代3女が、嫁ぎ、その後色々ありまして、宇治十条迄つずき紫式部が命を終える迄で結ぶのでしょうか。後半益々もりあがります。拙者様ーぐいぐい掘り下げて‐ご披露いただきたく存じます。本日わありがとうございました。
大河ドラマを先取りしてしまった でもおもしろかったです 今ドラマの敦康親王は、利発な感じの、伯父さんに酷いことを言ってしまった子供。まさかの最期でした。
敦成親王が主なテーマなのに、分かりにくいですが、敦康親王について思ったことを書いてしまった。敦成、後一条天皇だって、またもや体が弱くて早く亡くなって可哀想でしたね。あの赤ちゃん(今放送中の大河ドラマでは赤ちゃん)が30前後で亡くなるのか…。
この時代の近親相姦が凄まじくて皆正気だったんだろうかと思いながら大河見てます。
マラリアに感染するくらい当時の日本は今より温暖だった。
赤子を抱いているのは源倫子です。
主上はおかみと呼びます
しゅじょうでも間違いではない
4人の娘を全員入内させ、皇后、中宮にしても、皇子2人を生んだのは長女の彰子だけですものね。【仰せのままに】の彰子は、偉大な国母。定子皇后の生んだ親王を 皇太子に推薦するなど 身贔屓しないのも性格の良さがわかる。
当時は男より女を生む方が喜ばれたんだよ(藤原氏の場合)女なら入内させて天皇の后に出来たからね頼道、教道(道長の息子たち)は女の子が生まれなくて藤原家は衰退した
面白かったです。
後一条天皇は威子が皇女しか恵まれず肩身の狭い思いをしていた際に皇女でも即位することができると女性天皇の先例を出して
フォローをしたエピソードがあります!
↑そのエピーソードは誤り。 推古天皇が最初の女性天皇。そして、いままでの女性天皇は全て男系の女子であることを、忘れてはならない。
元正天皇と 孝謙(称徳)天皇は未婚のまま即位しています。
それと後代、近衛天皇が崩御した際に、鳥羽天皇皇女の暲子内親王(八条院)が
次の天皇候補の一人に挙がっています。
つまり、あの時代は内親王が天皇になる事に現実性があった。
後朱雀天皇の危篤の際に、藤原能信(道長の息子で頼道の異母弟)が、
尊仁親王(後の後三条天皇)を次の東宮にするよう懇願したのも、
その辺を踏まえての事だったのでしょう🤔
とても、分かりやすかったです‼︎
ありがとうございます!
そう言っていただけてとても嬉しいです☺️
今後ともよろしくお願いします🙇♂️
しょうしと読むと思ってた。彰子は継子の事を考える所は優しいな。
当時の名前の読み方は『あきこ』『しょうし』どちらが正しいか、現代ではハッキリしていないそうです。
中宮定子も『ていし』説と『さだこ』説があるそうですよ。
@@春-v4o 解答有難うございます。定子もそうなんですね。
当時は音読みの名前はないとされているので「しょうし」では99%ないと思います。
なぜ教科書などで「しょうし」と書かれているかといえば、読み方が不明なため。
例えば紫式部の娘、賢子は「かたいこ」はまだしも、明子は「あきらけいこ」と読むような、現代の感覚からは想像もつかないような読み方をすることが多く、読み方がわからない以上、下手に訓読みの読み方を当ててしまうと、それが本当の読みと誤解されることを避けるため、敢えて完全にあり得ない音読みでの「しょうし」とふりがなをふっているのだそうです。
道長の周りに「詮子」「明子」「彰子」と、“あきこ”がたくさんいたとは考えにくいので、それぞれまったく異なる読み方だっただろうと思います。
「ショウこ」かもしれないよ?
@@春-v4o
定子に関しては「ていし」でも合ってると思います
昔から天皇の后は濁点がつく名前は忌み嫌われていたので
濁点が付かない名前になってます
仮に生まれた時に「さだこ」でも入内の時に「ていし」に改めた可能性があります
徳川秀忠の娘の和姫も「かず」と言う名前でしたが
後水尾天皇に入内するにあたって「まさこ」(字は和子のまま)と改名していますし
歴史がとてもわかりやすく 理解出来ました。
彰子と頼道からしてみれば、弟の敦良親王(後の後朱雀天皇)もいるから
そっちに男子が産まれればいいと考えたのでしょうが。
ですが、その後朱雀天皇の第二皇子、後の後三条天皇の存在が
摂関家の凋落を招くとは流石に予測できなかったようで‥
動画内の藤原彰子の絵は、彰子でなく母の倫子の絵ですね。顔が描かれている中宮彰子の絵は存在しないと思います。
威子は叔母なのですよね。
天皇は特別だったのでしょうか。
ドラマでは描きにくいと思いますが。
拙者ので出番じゃ様-初めて書かせていただきます。今お時めく-nhk大河ドラマの光るの君えーのご解説-恐れ入るます。大石静先生も大変なご努力で、現代語訳されており、分かり易く、お話が進んでおります。演者さんも、意外な方々の抜擢で驚ろかされます。何処までお話が進みますのか解りませんが代3女が、嫁ぎ、その後色々ありまして、宇治十条迄つずき紫式部が命を終える迄で結ぶのでしょうか。後半益々もりあがります。拙者様ーぐいぐい掘り下げて‐ご披露いただきたく存じます。本日わありがとうございました。
大河ドラマを先取りしてしまった でもおもしろかったです 今ドラマの敦康親王は、利発な感じの、伯父さんに酷いことを言ってしまった子供。まさかの最期でした。
敦成親王が主なテーマなのに、分かりにくいですが、敦康親王について思ったことを書いてしまった。敦成、後一条天皇だって、またもや体が弱くて早く亡くなって可哀想でしたね。あの赤ちゃん(今放送中の大河ドラマでは赤ちゃん)が30前後で亡くなるのか…。
この時代の近親相姦が凄まじくて皆正気だったんだろうかと思いながら大河見てます。
マラリアに感染するくらい当時の日本は今より温暖だった。
赤子を抱いているのは源倫子です。
主上はおかみと呼びます
しゅじょうでも間違いではない
4人の娘を全員入内させ、皇后、中宮にしても、皇子2人を生んだのは長女の彰子だけですものね。
【仰せのままに】の彰子は、偉大な国母。
定子皇后の生んだ親王を 皇太子に推薦するなど 身贔屓しないのも性格の良さがわかる。
当時は男より女を生む方が喜ばれたんだよ(藤原氏の場合)
女なら入内させて天皇の后に出来たからね
頼道、教道(道長の息子たち)は女の子が生まれなくて藤原家は衰退した