Yoshi Kawai様 『別に私自身、院号にこだわっている人じゃないし。』とのYoshi Kawai様のお言葉。 こだわっていないから、何だというのでしょうか? Yoshi Kawai様が、金額の話をされたのですよ。 『動画の趣旨は理解しています。』とのYoshi Kawai様ご自身のお言葉も… 主旨を理解しているのなら、なぜ金額の話をされたのですか? 主旨を理解しているにもかかわらず、金額に関するコメントし、 金額の話ではないと指摘されると、 院号にこだわっているわけではないと、話をすり替え、 動画の主旨は理解していると言い張ってくる。 さて、Yoshi Kawai様の今回のコメントのやり取りで、 Yoshi Kawai様ご自身が見えていない、気づいていない Yoshi Kawai様の性根、心根が見えてくるのではないでしょうか。 Yoshi Kawai様ご自身が、なぜ、金額に関するコメントをしたのか… Yoshi Kawai様ご自身が、なぜ、話しをすり替えたのか… Yoshi Kawai様ご自身が、なぜ、理解していると言い張ったのか… Yoshi Kawai様ご自身が、そうせざるを得ない性根、心根とは一体何なのか… どうぞ、もう一度動画を見返しながら、Yoshi Kawai様ご自身でYoshi Kawai様ご自身に自問自答してみてください。 それが、浄土真宗の自身に問うということです。 南無阿弥陀仏 合掌 高科修
大変参考になりました。またよろしくお願いいたします。
勝 山口様
ご視聴、コメントありがとうございます。
ますますの日々の精進に努めます。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
私が法名を授かるきっかけに弟の死がありましたが、自分も大病で命を失いかけ心臓に障害を負ってしまい仏に真剣に向かい合う気持ちが大きくなった事があります。
人によって様々な理由や覚悟が有ると思いますが冥加金も定まっているので浄土真宗では?ですね。今は体調が許す限り仏教壮年会の活動に力を入れています。
坊守様には何時も私の身体に気遣い下さり感謝の念に堪えない次第です。南無阿弥陀仏 合掌
金猫様
ご視聴、コメントありがとうございます。
『命』
『死』
この2つを『自分自身の命・死』として向かいあった時、初めて人は『今!を生きる』を考えることができます。
真宗大谷派において…
南無気づけ阿弥陀仏気づきましたの南無阿彌陀仏を軸に生きていく告白・決意・覚悟が法名を授かることであります。
しかしながら、真宗大谷派門徒でも、この『法名を授かる』そのことを、亡くなった人の名前を授かると捉えている方が少なくありません。
ひとえに私ども真宗僧侶の責任であります。
法名を授かるという意味合い、意義、決意についてのみならず…
真宗の生活について、もっともっとお話をしていかねば!と、決意を新たにしております。
あからめず…
なげださず…
くさらず…
の真宗の宗を軸として!
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
なんか……
また、泣いてしまいました…
完修さんは、人を泣かせるお話しをなさいます。
村上 祥様
ご視聴、コメントありがとうございます。
その涙が…
今!を生きる村上 祥様の『力!糧!』に成られますことを、切に願っております。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
高科様、答え辛い質問にも真摯にお答えされていて、初めてコメントさせて頂きます。
私は主人の実家のお寺様には不信感しかなく、主人の姉妹とも相談し引っ越しを機に私の実家のお寺様に代わらせて頂きました。幸い両家とも真宗大谷派でした。勿論、私達夫婦だけでなく姉妹達もずっと感じていた為です。
法事ごとでも、お経さまの最中にモゾモゾ、頭ボリボリなど毎回です。15年くらいのお付き合いですが、お経さまも上達せず、ちょっとしたご法話もなく、お斎の際にも話がないので間がもたず、親戚の叔父達も近寄らない等
。決定的だったのは、院号法名の短冊を頂けなかった事で、渡したと誤魔化されたことです。私の実家のお寺様が基準になってしまいお気の毒でしたが、不正はダメだと思います。
ですから、ご質問された方もお聞きして納得できなければ、お手次のお寺様代わると気持ちも安らかになるのでは?と思い、長文コメント致しました。
はる様
ご視聴、コメントありがとうございます。
はる様のご経験から語られるお言葉を、真摯に拝読させて頂きました。
昨今のお寺離れと言われている言葉は…
お寺離れではありません。
住職離れなのです!
真宗大谷派では、住職になるにあたり、大谷派教師という資格を習得しなければなりません。
この大谷派教師…
資格と言いましたが資格ではありません。
この大谷派教師の教師の教と師の間にレ点がはいります。
つまり、教える師ではないということです。
レ点の意味は、私が出会う全てを師と仰ぎ、師として、そこから学び気づきを得て生きていく生き方を生涯していくという告白・宣言・覚悟なのです。
その生きる姿勢を見せて行くことが住職の日々の勤めであります。
これを真宗の生活と呼ぶのです。
故に…
真宗の生活をしていない僧侶は、すでに、真宗の僧侶でもなく住職でもありません。
大谷派教師を、誤解、理解、認識をしていない住職の存在が、お寺離れをさせております。
故に…
真宗の生活をしている住職のお寺に、お手次のお寺を代わる選択肢は、至極当然であります。
共に歩む友・仲間の意味の、真宗門徒(僧侶を含む)は御同朋御同行なのですから!
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
ご丁寧な返信ありがとうございます。
お寺離れではなく住職離れ!納得です。高科様がおっしゃってくださって、とても嬉しいです。
我が家の御住職は月参りの時でも、気付きがあるといろいろお話してくださいます。知らない事を教えて頂ける楽しさがあります。お経の難しいことを噛みくだいて説明してくださったり、勿論、世間話もあります。忘れてしまうこともありますが忘れずに心に響いてる事もあり、私は感謝しております。
まだまだ不足の私ですが、真宗門徒として歩んでいきたいです。
お話しありがとうございました。法についてお話しされてる時と違い、人の決めた仕来りのような事は話すのが大変そうに思いました。
確かに、仏弟子でも無い人から法名を「授けられる」のもおかしな話ですよね。
お話しありがとうございました。
A・シキミ様
ご視聴、コメントありがとうございます。
『ケースバイケース』…
この言葉を、しばらく心にとどめておいてください。
この言葉について法話動画を撮影済みです。
そして…ケースバイケースの動画のお話が、ある意味、今回の質問者様への答えになります。
そして、もう1つ…
浄土真宗は
『亡くなった方→遺された者』
亡くなった方から遺された者(私)です。
浄土真宗以外は全て、
『亡くなった方←遺った者』
遺った者(私)から亡くなった方です。
この矢印の方向が頷けなければ、浄土真宗を頷くことは、どれだけ…それこそ真宗を学び勉強しても頷けません。
しかしながら、この矢印が頷けたなら、知識・学問として浄土真宗を学び勉強する必要など皆無です。
『亡くなった方→遺された者』
この矢印が、浄土真宗!なのです。
今回の動画は、この矢印の方向のお話であります。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
@@buddhism_japan 返信ありがとうございます。
返信見て「あ!」っと言ってしまいました。矢印の向き、以前に教わっていた考えでした。つい、矢印の向きが逆になってしまいます。
ありがとうございました。
今日のお話は歯切れが悪くお寺さんに対する
不信感はぬぐい切れないと思いますが、、!
omasa4552 Oya様
ご視聴、コメントありがとうございます。
この動画は…
ご質問者様の仰るご住職の「不信感」を「ぬぐう」ための動画(お話・法話)ではございません。
当人同士でなければ不信感は拭えません。
当人同士膝を突き合わせてお話をしなければならい!と動画でお話致しております。
その上で…
真宗大谷派の『法名』とは、如何なる意味を持つものなのかをお話しておる動画であります。
もし、最後までご視聴頂けていないのであれは、最後までご視聴くださいませ。
最後までご視聴済みでございましたら、どうかもう一度のご視聴をお願い申し上げます。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
少なくとも門徒の思いがこもった、デカい柱が、京都本山のデカい寺を支えていますね。
あっちよりデカくて、長くて立派、勝ったと思って嬉しかった私は・・・・・
深森熊がおーぅ様
ご視聴、コメントありがとうございます。
「あっちよりデカくて、長くて立派、勝ったと思って嬉しかった私は・・・」とのお言葉。
「あっちより」の「あっち」は、何処なのかは、私には押し量ることは出来ませんが……
勝ち負けでないことは確かです。
「デカい柱が、京都本山のデカい寺を支えています」の「デカい柱」は、柱ではありません。
人の…
当時の人の…
『願い』そのものです。
その願いが、お寺と呼ばれる『道場』を支えているのです。
道場とは、仏法を聞法する場所をそう呼びます。
真宗大谷派において、法名を授かる懇志も、法事・法要のお布施も、本山または、僧侶が頂くお金は全てが、この道場を未来永劫護持相続していくために使われます。
それが、真宗大谷派の宗教宗派の姿勢であります。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
お疲れ様です!
高科先生!
ちょっと今回の動画の内容は、あまりにも難しいですね😅
村上 祥様
ご視聴、コメントありがとうございます。
何も難しいお話しは致しておりません。
不信感があるのなら、その不信感のある人に直接お話をいたしましょう!
そして法名は…
阿弥陀仏の仏弟子である覚悟の名前である以上、授かるものである!
というお話であります。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
いつもより。高科先生の歯切れが悪かったですね。昨今、寺離れとか葬式仏教とかいわれていて懐事情が苦しいと聞いています。質問者の方のお寺の経営が苦しいのかもしれませんね。
私は菩提寺が遠いのと年に1回なので、家から割と近い本山で法名を授与していただきました。高い高いと言うならこれもひとつの方法ですが、他宗派よりは懐に優しいと思います。
自分の法名は、本山の方が与えたものではなく、そのずっと先におられる阿弥陀様からのものと理解してます。受付で職員には、父親の法名と同じ釋○○はやめて下さいとお願いしましたが…
それでも、生前に法名を授与されてよかったです。両親は凄いものを遺してくれたと感謝してます。
パトリック3世様
ご視聴、コメントありがとうございます。
「デカい柱が、京都本山のデカい寺を支えています」と仰った方がおります。
「デカい柱」は、柱ではありません。
人の…
当時の人の…
『願い』そのものです。
その願いが、お寺と呼ばれる『道場』を支えているのです。
道場とは、仏法を聞法する場所をそう呼びます。
真宗大谷派において、法名を授かる懇志も、法事・法要のお布施も、本山または、僧侶が頂くお金は全てが、この道場を未来永劫護持相続していくために使われます。
それが、真宗大谷派の宗教宗派の姿勢であります。
「懐に優しい」のではありません。
「懐に優しい」と感じておいでなら、それは大きな間違いです。
「懐」は関係ございません。
さらに、
昨今のお寺離れと言われている言葉は…
お寺離れではありません。
住職離れなのです!
真宗大谷派では、住職になるにあたり、大谷派教師という資格を習得しなければなりません。
この大谷派教師…
資格と言いましたが資格ではありません。
この大谷派教師の教師の教と師の間にレ点がはいります。
つまり、教える師ではないということです。
レ点の意味は、私が出会う全てを師と仰ぎ、師として、そこから学び気づきを得て生きていく生き方を生涯していくという告白・宣言・覚悟なのです。
その生きる姿勢を見せて行くことが住職の日々の勤めであります。
これを真宗の生活と呼ぶのです。
故に…
真宗の生活をしていない僧侶は、すでに、真宗の僧侶でもなく住職でもありません。
真宗の生活者であり、
そこが道場足るものであるなら、自ずと人は集うのです。
その集う同朋同行の集う場所の護持相続は、自と護持相続されていきます。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
真宗を信じることの基本的な考え方ですね。これは。
仏弟子になる意味で、法名をつけてもらうことだし、
その法名に院号をつけるかどうかについては別に私はこだわる事はないです。
Yoshi Kawai様
Yoshi Kawai様はいったい何を仰っておいでなのでしょうか……
A「真宗を信じることの基本的考え方ですね」
と頷けて…
B「仏弟子になる意味で、法名をつけてもらうことだし」
と頷けて…
なぜ次に、C「その法名に院号をつけるかどうかについては私はこだわる事はないです」と言葉が続くのでしょうか?
AとBが、真に頷けているなら、Cを語る必要はありません。
真宗大谷派の院号授与の意味を認知されておられない故に発っせられる『C』の言動であります。
前回のご返信にて、
『知ったかぶり』でさえない言動ですとご返信させて頂きましたが、今回のYoshi Kawai様のコメントは『知ったかぶり』の言動であります。
Yoshi Kawai様…
知ったかぶりは、
何処までいっても、
知ったかぶりなのです。
知ったかぶりは、知っていないということです。
知ったかぶりでいる以上、知ることは永遠にありません。
なぜなら、知ったかぶりだから。
知ったかぶりの自分自身を、私は知ったかぶりをしてしまう私であると自覚しなければ、知ったかぶりからは抜け出せません。
さらに、自分自身が物事を『知る』ことは未来永劫不可能なのです。
『知る』ためには…
自身の『知らない』の認識が『必要不可欠』だからです。
浄土真宗において、
法名を授与される!
法名を頂く!
法名を名告る!
それは、ある意味、自分自身の『知ったかぶりの自覚』でもあるのです。
Yoshi Kawai様…
前回のYoshi Kawai様のコメントでの私とのやりとり。
今回のYoshi Kawai様のコメント。
それらは、
知らない。
知ってるつもり。
知ったかぶり。
を、何とか隠そうとする、Yoshi Kawai様ご自身の体裁をつくろっている内容です。
世の中では、それを『いいわけする』と申します。
いいわけする!
話をすりかえる!
知ったかぶりする!
全力で『体裁をつくろう』Yoshi Kawai様のお姿満載のコメントが、今回の動画のコメント欄に並んでおります。
さて…以上のことをYoshi Kawai様にお伝えした上で、Yoshi Kawai様にお話を致しておかなければならないことが、真宗大谷派の僧侶としてはどうしてあるのです。
Yoshi Kawai様。
善き機会なのです。
今が、Yoshi Kawai様が自分自身の自分自身で認めたくないけれど…それでも私自身の内にある(Yoshi Kawai様自身の内にある)
その『正体』に気づく!
どうぞ、
知らない。
知ってるつもり。
知ったかぶり。
を、何とか隠そうと全力で体裁をつくろご自身の、なぜ?そうしてしまうのか!
なぜ?体裁をつくろうと思うのか!
を、自問自答して頂きたく切に切に願っております。
自問自答!
自身に問う!
この姿勢が真宗です。
曰く…
真宗大谷派は、昔から以下に記した言葉が宗であり軸なのです。
自己とはなんぞや
これ真宗
南無阿彌陀仏
合掌
高科修
@@buddhism_japan
それは両親が院号をつけていないんだから、
自分が院号をつける事はできません。
私が院号をつけるなら、まず最初に両親に院号をつけますから。分かりますか?
その意味で、院号はこだわっていません。
別に知ったかぶりをしてる気は毛頭ありません。
Yoshi Kawai様
もう一度、返信内容をお読みください。
院号法名の意味を全くはき違えておりますと申しておるのです。
『その意味で、院号はこだわっていません。』とのYoshi Kawai様のお言葉。
その意味でという意味が、知ったつもりになっている知ったかぶりだと言っているのです。
その意味という意味がすでに院号法名の意味では無いのです。
Yoshi Kawai様が院号にこだわっていようがいまいがYoshi Kawai様は院号法名の事を何も分かっていないと申しておるのです。
Yoshi Kawai様ご自身がこのコメントのやり取りから、
言い訳するYoshi Kawai様ご自身を…
話をすり替えるYoshi Kawai様ご自身を…
知ったかぶりするYoshi Kawai様ご自身を…
私は間違っていないと言い張るYoshi Kawai様ご自身を…
どうぞどうぞ、このやり取りを『機』として
Yoshi Kawai様ご自身を見つめ直し
Yoshi Kawai様ご自身を問うて
言い訳する、話をすり替える、知ったかぶりをする、間違っていないと言い張る
そんなYoshi Kawai様ご自身は何なのかを一生をかけて問うていく事を切に切に願っております。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
@@buddhism_japan
別に知ったかぶりするつもりはないし、
そもそも院号と言うのがある事を知ったのは、つい最近ですから、院号付きの法名と、そうでない法名の差は知りません。
大谷派の住職も院号をつけていない人がいる事を知ってます。
そもそもよく分からないのが、本音です。
Yoshi Kawai様
知ったかぶりの次は、
開き直りですか…
『知ったかぶり』でとことん自分自身を押し通されて、知ったかぶりの意味が違うと指摘されると、今度は『知らなかったもん』と開き直る。
知らなかったのなら、なぜ、初めから『知らなかった』と言わなかったのですか?
『知ったかぶり』をして『開き直る』のなら、なぜ、『知らなかった』と言わなかったのですか?
さんざん知ったかぶりで物言いをしたあとで、知らんかったもんでは、物事の道理が通りません。
知ったかぶりして、開き直るのなら、検索すればすぐに正しい意味を知ることが出来るにもかかわらずです。
真宗大谷派
院号法名
たったこの2つの単語を
検索するだけて、意図も簡単に知ることができるのです。
真宗大谷派の院号法名は
御礼です。
東本願寺(お東)の本山護持相続(道場)のために、8万円からのご寄付(懇志)を頂いた方への、御礼の院号であります。
僧侶は、その生きている限り、僧侶として本山護持相続のために、身を粉にして生きる!(親鸞聖人の開顕された阿弥陀如来の南無阿彌陀仏を護持相続に尽くす)のが勤めであります。故に…生前に御礼である院号法名を授かることはありません。
前回の返信でお知らせいたしました通り、知らないの自覚なしに知ることは不可能である典型であります。
何が不可能なのかお分かりでしょうか、正しい意味を知るという事だけではございません。
言い訳するYoshi Kawai様ご自身を…
話をすり替えるYoshi Kawai様ご自身を…
知ったかぶりするYoshi Kawai様ご自身を…
私は間違っていないと言い張るYoshi Kawai様ご自身を…
あげくの果てに開き直るYoshi Kawai様ご自身を…
自覚することが出来ないのです。
Yoshi Kawai様…
おわかりですか?
こだわるもこだわらないも、そのことじたいが論じることではございません。
文句や逆ぎれ!
知ったかぶり!
開き直り!
をする前に、自分自身をしっかりと、きちんと見つめ直しなさい。
還暦を過ぎた爺坊主の老婆心でありますが、ご指摘させていただきます。
Yoshi Kawai様ご自身を見つめ直し
Yoshi Kawai様ご自身を問うて
言い訳する、話をすり替える、知ったかぶりをする、間違っていないと言い張る、開き直る、
そんなYoshi Kawai様ご自身は何なのかを一生をかけて問うていく事を切に切に願っております。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
坊主、うんじゃないだろ はいと言え
bun様
ご視聴、コメントありがとうございます。
なぜ?
坊主は…
『うん』ではダメなのでしょう…
なぜ?
坊主は…
『はい』でなければいけないのでしょう…
丁寧な言葉を坊主は使うべきとのお考えでしょうか?
それとも聖職者だから丁寧な言葉使いをせよとのご指摘でしょうか?
もし、そうならば、
bun様…
あなた様の「…言え」こそ、「うん」を越えた表現であります。
なぜなら、知らない人にそのように命令される筋合いはございません。
お気をつけあそばせ。
あなの言葉遣いも五十歩百歩。目くそ鼻くそでございます。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
大体分かりました。4才の子が死んだのは特に意味は無い。偶偶そこに居たから。私もそう思います。そして死んだら浄土に行く。そして仏に成る。何の為に仏にならなければならん。そこが浄土真宗のずるい所。そんなものは無い。
利一 八田様
あなたは、とことん『かわいそうな人』ですね。
「4才の子が死んだのは特に意味は無い。偶偶そこに居たから。私もそう思います。」…とのお言葉。
利一 八田様が、そんな風に思っているから、浄土真宗大谷派僧侶高科修の話しを、正確に聞くこと、さらに話している内容が理解できないのです。
利一 八田様のお尋ねされた…4才の子は、なぜ死ななければ成らなかったのか?
のお尋ねの答えに、
私、真宗大谷派僧侶高科修は『生まれたから』
とお答えいたしました。
4才の子の死が…
4才の子の死に…
意味が無いとはお答えいたしておりません。
4才の子の死が…
4才の子の死に…
その『死』には、それこそ深い重い大切で重大な意味があります。
人が生まれたから死ぬことと…
人が生きて死んでいくこととは、全く別なお話しです。
人の死を、特に意味が無いと思っている利一 八田様に、お分かりにならないかと存じますが、
『人が生まれたから死ぬことと…
人が生きて死んでいくこととは、違う。
そして、人の死には意味がある。
その意味は、遺された私が、その死から、様々なことを気づかされ、学ばされ、教えられて行くという意味がある。』
という頷きが利一 八田様に無い上、利一 八田様ご自身の今回のコメントでの疑問『何のために仏になららければならん』の答えは、それこそ永遠にわかりません。
そもそも、
「何のために仏にならなければならん」とのお尋ね自体が間違っております。
仏に成るのではなく…
遺された私が、死した人を仏として仏と成して行くのです。
利一 八田様のように
人の死を、特に意味が無いと思っている人が居ないから、今!現在も、利一 八田様が生きている人の世が続いております。
すでに、人の世に、人として生きておりながら…
さらに、先に亡くなった方々の屍のうえに立って生きて(人の死が意味あるモノ)おりなから、そのことを棚にあげて、それこそ、戯言ばかりをいい散らかす。
利一 八田様のお歳を私は存じ上げておりませんが、幼稚園児や小学生じゃあるまいし、自分に甘え、いつまでも自分自身と向き合わずに生活するのは如何なものかと存じます。
一度…
イエ…
三度か四度…
顔を洗って出直しておいで下さいませ。
ちなみに…
先の返信に添付致しました動画はご視聴頂けましたでしょうか…
是非ともご視聴くださいませ。
ご視聴いただけたなら、それこそ、今回の私の返信の内容が、ご理解いただけるかと存じます。
ただ…
その動画をご視聴して、なおかつまだ戯言を利一 八田様が仰るのであれば、それこそ『かわいそうな人利一 八田様』と、あなた様に、お伝えするしか術はありません。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
今午後4時45分。部屋の温度は42度、エアコン無い我が部屋は世間の暑さを感じながら世の憂いに同情しながら今コメントをして居る。大雨の被災地は泥だらけ、大汗流しながら、それでも声を掛けられれば笑顔で応えてくれる。作物はひねくれ、稲もあやしい。この灼熱・大雨・又すぐ来る台風、今年も沖縄周辺から神々の踊りくねったものが通り過ぎる。人の心に引っ付き細かい事を言っている神仏は、人をこけにした振る舞いにいつもバカヤロウと俺は怒鳴っている。何が縁だ因果だふざけるんじゃ無い。
利一 八田様
ご視聴、コメントありがとうございます。
「いつもバカヤロウと俺は怒鳴っている。」と、利一 八田様が言いつづけた「果」が、今の利一 八田様でございます。
先刻も申しましたが、どうぞゆっくりと、鏡の中の悪人とお話しください。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
お元気ですか。親鸞・蓮如にしても大した人では無い。只の顕示欲の強い・策略家。より民衆に受けるよう教えを練っただけの事。欲たかりの普通の人。あなたと同じ。今の人の方が普通に余程素晴らしい人が沢山います。しかし日本人も経済界・政治家真摯に生きてる人少ないわ。分からなければ陰で何やってるか、本当に信用出来なく成るよ。仏教しっかりしろ。それとも仏教の成れの果てか?。仏教の責任ですよ。ああしたらいい・こうしたらいいと、本当に欲に目がくらんでる人を相手に、手めえが良くなるそんな事ばっかり言っとるから、人間が狡く成っている。
利一 八田様
夜中にご視聴、コメントまでしていただき、ありがとうございます。勉強熱心なのですね。
浄土真宗の末席を汚す僧侶としてRUclipsを通して布教活動を致しておりますが、親鸞聖人、蓮如上人と同じとお褒めの言葉までいただきありがとうございます。
利一 八田様のコメント
「今の人の方が普通に余程素晴らしい人が沢山います。」
「真摯に生きてる人少ないわ。」
「本当に信用出来なく成るよ。」
「仏教しっかりしろ。」
「仏教の責任ですよ。」
以前のコメントでも
「宗教・仏教が言う様な人間に成ってしまったらこの世では役に立たん。」
「苦を感じて生きてる人は居ない。」
「私は宗教と関係を持ってないので身内が亡くなっても宗教的葬儀はしません。」
「神仏からの苦言は一切有りません。」
コメント内容が支離滅裂になっておりますが大丈夫ですか?
何をざわついておいでなのでしょうか?
利一 八田様が何を信じ、何を軸にして、自分の人生を生きていくかは、自由です。なぜなら、あなたの人生ですもの。
しかしながら、利一 八田様が心に何か深い闇をお抱えでしたなら、告白いただければ、それについて浄土真宗の僧侶としてお話を出来るかと存じます。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
有難うございます。私自身は告白するものは何も有りませんが、日本列島は自然災害が多すぎる。その都度普通の方々が豪い目に遭っている。近々は能登の大地震。復興が難しい地区もある。自然災害の少ない国の人と比べて、天が年に何回も与えるのは、何か日本人に問題が有りますか。
だから言外に何回も言ってます。紳士面して心底不誠実な人間にして来たのは仏教の教えに決まってるじゃ無いですか。日本は仏教が主流だったんだから。そして今も紳士面してのうのうとして居る。
哀れ!
既成概念に留まっている。滑稽。
法名はそんなに高額とは思わないけど、浄土真宗大谷派において院号をつけると、それは高いですね。
Yoshi Kawai様
ご視聴、コメントありがとうございます。
高い安いのお話しをしているのでは、ございません。
悪しからず。
もう一度最後まで動画をごらんください。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
@@buddhism_japan
別に私自身、院号にこだわっている人じゃないし。
動画の趣旨は理解しています。
Yoshi Kawai様
『別に私自身、院号にこだわっている人じゃないし。』とのYoshi Kawai様のお言葉。
こだわっていないから、何だというのでしょうか?
Yoshi Kawai様が、金額の話をされたのですよ。
『動画の趣旨は理解しています。』とのYoshi Kawai様ご自身のお言葉も…
主旨を理解しているのなら、なぜ金額の話をされたのですか?
主旨を理解しているにもかかわらず、金額に関するコメントし、
金額の話ではないと指摘されると、
院号にこだわっているわけではないと、話をすり替え、
動画の主旨は理解していると言い張ってくる。
さて、Yoshi Kawai様の今回のコメントのやり取りで、
Yoshi Kawai様ご自身が見えていない、気づいていない
Yoshi Kawai様の性根、心根が見えてくるのではないでしょうか。
Yoshi Kawai様ご自身が、なぜ、金額に関するコメントをしたのか…
Yoshi Kawai様ご自身が、なぜ、話しをすり替えたのか…
Yoshi Kawai様ご自身が、なぜ、理解していると言い張ったのか…
Yoshi Kawai様ご自身が、そうせざるを得ない性根、心根とは一体何なのか…
どうぞ、もう一度動画を見返しながら、Yoshi Kawai様ご自身でYoshi Kawai様ご自身に自問自答してみてください。
それが、浄土真宗の自身に問うということです。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
@@buddhism_japan
書かない方が良かったことですね。
動画を見る前の感想を書いただけですから。
動画を見る前と見た後の感想を併記すればよかったんですね。
失礼しました。
Yoshi Kawai様
ご返信の最後のお言葉…「失礼しました」は、そう仰る必要はございません。
なぜ必要ないのかをお話しさせていただきます。
「動画を見る前の感想を書いただけですから」とのYoshi Kawai様の言い訳のお言葉。
Yoshi Kawai様は何を意味不明、理解不能なことを仰っているのでしょうか。
書くも書かないも…
動画を見ずに感想・コメントをするなど、暴挙としか言いようのない、世の中ではあり得ないお言葉であります。
映画評論家が、その評論する映画を見ずに評論する…
読書家が、その本を読まずにその本の感想を述べる…
大学の教授か、学生の卒業論文を読まずに評価する…
食堂に食事に来た人が、注文したその料理を食べずにその食堂、料理の感想を述べる…
等々例をあげればきりがありませんが、これらの行為は、あってはならない事、イエあり得ない事、イエイエある筈のない行為であります。
「動画を見る前の感想を書いただけですから」は、それ事態…ある意味、誰も相手などしてくれない行為です。
世の中には …
Yoshi Kawai様の「動画を見る前の感想を書いただけですから」と似た行為はあります。
例えば…
乗ったことのない北陸新幹線に、あたかも乗ったことのあるように語る。
行ったことのない場所(国・都市・町等々)に、あたかも住んでいたかのように話す。
これらの行為を世の中では、『知ったかぶり』と呼びます。
ただ…Yoshi Kawai様の「動画を見る前の感想を書いただけですから」は、この『知ったかぶり』にさえ及ばない行為であります。
くわえて…
「動画を見る前と見た後の感想を併記すればよかったんですね」とのYoshi Kawai様のお言葉。
併記する必要は…
併記する意味は …
併記する道理は…
一ミリもございません。
何故なら、動画を見ずに感想・コメントをすること事態が、ある筈のない事なのですから。
よって、ご返信くださいましたご返信の最後のお言葉…「失礼しました」は、そう仰る必要はございません。
失礼にもなっておりませんので…
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
苦を感じて生きてる人は居ない。そう云う状況に成ったら何とか直し・又は脱しようと色々と手を尽くす。人生は圧倒的に楽しみを以って前進するもの。死が苦だとかバカじゃないの、いい加減になったらみんな死んで行くよ。
利一 八田様
何を、ざわついておいででしょうか?
そして利一 八田様は、
何を直そうというのでしょうか?
何から脱しようと色々手を尽くすのでしょうか?
楽しみがないと前進できないのでしょうか?
生きているからには、四苦八苦の中で生きていくしかないのです。
4歳の子どもが生き返ることはございません。
4歳の子どものご遺族の悲しみも、寂しさも、辛さも消える事はありません。
事故を起こした老人も事故を起こさなかったことには、なりません。
陰口を言ったからといって、悪く思わなくなる事もございません。
利一 八田様の楽観的な思考を、お人柄を、お知らせいただきありがとうございます。
利一 八田様は、どうぞ、自分の信じる生き方をしていただければ良いのですよ。利一 八田様の自由でございます。
利一 八田様も、私も、いつかその時がくれば死にます。
それが、道理です。
しかしながら、どのように生ききるのか、生ききったのか、それを一生をかけて聞法していくのが、浄土真宗でございます。
老婆心で一言申し上げます。
利一 八田様は心に何か深い闇をお抱えでしたなら、告白いただければ、それについてお話を出来るかと存じます。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
下らん事を言ってるから、私も言ってるだけのこと。あなたはユーチューバー何を欲しての事か知りませんが、聴いた以上は看過出来ないものには一言・二言?言います。楽しい?。この世に苦何てものは有りません。欲長けてるからだよ。
坊主は皆ぼったぐり
bun様
ご視聴、コメントありがとうございます。
『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』的な…
『味噌も糞もいっしよ』的な…
どの世界(業界・生きている世界)も…
『皆』は、ありません。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
和尚様貴方の宗派ではなくご相談者の言う戒名など高く無いですかって言うことなのです。相談者の貴方の宗派に聞きなさいはでは答えになって無い様なお答えがくるしいですね。何か立派そうにおっしゃりたいのでしょうが私の心には全然響きません!私の感じた気持ちです。
加山隆史様
ご視聴、コメントありがとうございます。
「私の心には全然響きません!」との加山隆史様のお言葉。
それは、それで構いません。動画を見てどのように思うのかは人それぞれ違って当たり前ですから。
しかしながら、もう一度動画をご視聴ください。
ご相談者は同じ浄土真宗、真宗大谷派のご門徒様です。
戒名の話ではなく法名の話を致しております。
「相談者の貴方の宗派に聞きなさい」ではなく、ご相談者のお手次のお寺の住職に、納得いくまで話し合いなさいとお話しいたしております。
悪しからず。
加山隆史様に申し上げます。
どこをどのように話を聞いたら、加山隆史様のようにこの話を勘違いするのかは、私には分かりかねますが、人に物を申すのであれば、それこそ、相手が何と言っているのか理解しようとする気持ちがなければ、会話・対話には成り得ません。
お気をつけあそばせ。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
処で何回か質問した様な気がするんだけど、1回も真理らしく応えて無いですよね。何故幼い子が死ななければならなかったのか❓。そんな因をその子が持っていたって事ですか❓。殺してしまったら意味無いでしょうに。そしてついでに聞きますけど、死んだら又この世に何かに成って生まれて来るのですか❓。なんの為に❓。そんな事釈迦が本当に言ったのですか❓。
利一 八田様
ご質問については、すでにお答え致しております。
どうぞ、もう一度コメントの返信を熟読し熟考してください。
難しい言葉を使ったつもりはございませんが、理解できないようであれば、分からなかった所をお知らせください。
それと、ひとつ重要なことをお知らせいたしておきます。
浄土真宗大谷派は、鎌倉時代より今日まで続く日本仏教十三宗四十八派の中の一つであるということです。
その他の十二宗四十七派とは、教義・宗・軸としているものは違います。
当然他の十二宗四十七派も、それぞれに教義・宗・軸は違います。
全てを同じにして、お尋ねされましても、それはお門違いと言うことになります。
ご認知のほどを…
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
お寺さんの車庫には外車や高級車ばかり。同級生が聞くと坊さんは医者と同格だって。いや医者より位は上、医者が死んで坊さんさんが送ってあげるからだと。なるほどと思った。🙏 団塊。
ツ様
ご視聴、コメントありがとうございます。
「なるほどと思った」
とのツ様のお言葉。
ツ様…
そこは「なるほどと思った」と「なるほど」となってはイケないところです。
どこの主催の「格付け」
でしょうか?
そんな格付けなど、この娑婆世界には『無い』ものであります。
なぜ?
ツ様は、「なるほど」
と頷いてしまったのでしょうか…
なぜ?
ツ様は、その「なるほど」を私にコメントしておいでたのでしょうか…
「お寺さんの車庫には外車や高級車ばかり」と、
わざわざ冒頭に記述してまで…
ツ様が、どこの誰で、どこの地域の方で、どのような方々と接しておられるかは、私は知るよしもありません。
ですので、浄土真宗大谷派の僧侶といたしまして……
ツ様が、このコメントを書かずにおれなかった…
そのご自身の心情は何なのかを自問自答されてくださいと、お伝えいたすしかございません。
御了承くださいませ。
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
そもそも、、、質問者さんは、、、
寺の行事や法話会に参加した事はお有りでしょうか、、、?
仏法を聴いてみましょう。
親鸞様の話を聴いてみましょう。
質問の前に先ずは、そこから始めましょう、、、😢
金額が高い高いと言えば、今日の米代さえも高い、、、、。
自分で自分でと言えば浅学を愛情の故に相手に押し付ける事に成る。
先ずは仏法を聴いてみよう、、、。
ああ様
ご視聴、コメントありがとうございます。
浄土真宗は
『亡くなった方→遺された者』
亡くなった方から遺された者(私)です。
浄土真宗以外は全て、
『亡くなった方←遺った者』
遺った者(私)から亡くなった方です。
この矢印の方向が頷けなければ、浄土真宗を頷くことは、どれだけ…それこそ真宗を学び勉強しても頷けません。
しかしながら、この矢印が頷けたなら、知識・学問として浄土真宗を学び勉強する必要など皆無です。
『亡くなった方→遺された者』
この矢印が、浄土真宗!なのです。
今回の動画は、この矢印の方向のお話であります。
ああ様…
「先ずは仏法を聴いてみよう、、、」とのお言葉を、私・高科修・釋完修への叱咤激励と承りました!
ますますの日々の精進に努めます!
南無阿弥陀仏
合掌
高科修
そんな法名なんぞ付ける必要無し。付けなきゃ仲間外れは、そこ止めた方がいい。