【縁に生じて現れる】気づきは常にあるけれど、目の前すぎてわからない|清水友邦

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  • Опубликовано: 7 янв 2025

Комментарии • 4

  • @yakko6828
    @yakko6828 2 года назад +5

    お話が面白かったです
    ありがとうございます✨
    『今ここ』だけに生きる難しさ
    人間は何故そんなに
    難しく造られてしまったのだろう

  • @はたはた-g9b
    @はたはた-g9b Год назад +1

    す、すごい…です。

  • @ゆーこ-k4w
    @ゆーこ-k4w 2 года назад +3

    チャンネル登録しました!!学びになる素晴らしいお話ありがとうございました!!

  • @ふるさわこうさく
    @ふるさわこうさく 8 месяцев назад +1

    変化を認識しているのは「私」の意識です。意識が主体で、認識しているのが対象になります。
    意識をどう捉えるかで、考えはそれぞれ変わると思いますが、私は対象と共に常に変化していると感じられます。
    つまり、常に変化している存在が変化する事のない それ 時間も空間も存在しない それ を捕まえる事は不可能です。
    故に私の苦悩は未来永劫続いていくこと、避けられないという結論になります。
    『そこ』に至るどころか一瞥さえわからない私に何が出来るのでしょうか?
    この終わりがない苦悩も私の一部とか、ほんともう激しい嫌悪感しかないです。
    とか言いながら、絶望の淵から、指一本も出せない苦悩から、助けを求め続けている私がいるのも確かです。
    でもなあ、強い希死念慮常に抱きながら、経済的自立の為に社会の集合意識みたいなもんに無理しながら合わせて生きてく事、もうしんどい。
    希望と表現される観念を持てば必ず絶望もやってくる。これは確か。
    なんなんですか、この私を含めたこの世界。