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日本での初演はたしか天理高校だったかしら。すぐるとも劣らぬ名演ですね。難曲なのに、ソロもアンサンブルもお見事。素晴らしいの一言。
野庭の定演は名演の宝庫ですね。これも名演としか言いようがない。
私も約30年前に演奏会で吹きました。この難曲がアップロードされているとは。ただ感動です。とにかく難しくて不完全なまま舞台に立った記憶があります。鍵盤の方々の見事さ、アルトサックスの泣かせるソロなど、本当に素敵な演奏をありがとうございます。
私も1991年の年末に、社会人吹奏楽団でこの曲を演奏しました。よくやったなぁ、と思いました。ちなみに、その翌々日に(エキストラですが)大学の吹奏楽団でメトセラⅡなどを含む演奏会でした。若さで 演奏会と打上げ🍺🍺を 乗り切った日々を思い出します。
断章のノーカットを野庭の音で聞かせていただきありがとうございました。一楽章・・音の緊張感が伝わってきて「さすが」です。中澤先生が指揮台に立たれただけで、音が創られていきそうです。音を変える力が中澤先生には感じたことがありました。先生のイメージに引き込まれていくというのか・・・・力がありました。
当時、野庭、桜ヶ丘など、学区外に進学も考えていました。自身は、県大会までしか進めませんでしたが、当時の合言葉は『目指せ、普門館!』でした。野庭吹の皆さん、学校は統合されてしまいましたが、一時代を築いた野庭のサウンドを守り続けてください。
+らーはーぽーさん コメントありがとうございます自分にとって野庭高は学区内でしかも中学で吹奏楽やってたから高校でもというやや軽い気持ちで入部してしまったので入ってからエライとこきちゃったなーと感じてました(^^;今年で先生が亡くなられて20年たちますが今なお野庭の音楽を聞いてこのようにコメント頂けるのは大変嬉しく思いますありがとうございました
この曲を日本に持ち込んで演奏したのは天理高校吹奏楽部と聞きました。天理高校出身の中澤先生との縁を感じました。
F Toruさんコメントありがとうございます日本での初演は天理高校だったのですか? 初めて知りました貴重な情報ありがとうございます
吹コン全国大会での初演は確かに1977年の天理高ですが、楽譜の出版は1970年です。実際、前年1976年の支部大会で福島県の高校が演奏しています。
scoreupingさんコメントありがとうございますそれもまた初耳です。。。情報提供ありがとうございました
けっこう前の映像ありがとうございます。今の時代とは違う時代の雰囲気がわかって興味深いです。難しそうな曲だが、意欲的に挑戦しているのが良いですね。
ikuo kitamuraさんコメントありがとうございます逆に私は今の時代をちゃんと把握できてないのですが今は学生でも難しい曲を普通にやってるイメージがあるので今の子は自分たちが学生の時と比べたらかなりレベル高いんだろうなぁ
これを現代のマイクで撮れたらどれほどいい音なんだろう
私は、これをホールの生演奏で聴けたらどれほどいい演奏なんだろう・・・って思いました。
@@mよし-h7d それが正解です笑笑
clarinet Aflat さんコメントありがとうございました先生が作り出す音楽は人を惹きつける力があるんだなーと何十年もたった現在になって改めて私も感じました。
11:29
6:37
子ぼえさんコメントありがとうございます
日本での初演はたしか天理高校だったかしら。すぐるとも劣らぬ名演ですね。難曲なのに、ソロもアンサンブルもお見事。素晴らしいの一言。
野庭の定演は名演の宝庫ですね。これも名演としか言いようがない。
私も約30年前に演奏会で吹きました。この難曲がアップロードされているとは。ただ感動です。とにかく難しくて不完全なまま舞台に立った記憶があります。鍵盤の方々の見事さ、アルトサックスの泣かせるソロなど、本当に素敵な演奏をありがとうございます。
私も1991年の年末に、社会人吹奏楽団でこの曲を演奏しました。よくやったなぁ、と思いました。
ちなみに、その翌々日に(エキストラですが)大学の吹奏楽団でメトセラⅡなどを含む演奏会でした。
若さで 演奏会と打上げ🍺🍺を 乗り切った日々を思い出します。
断章のノーカットを野庭の音で聞かせていただきありがとうございました。
一楽章・・音の緊張感が伝わってきて「さすが」です。中澤先生が指揮台に立たれただけで、音が創られていきそうです。
音を変える力が中澤先生には感じたことがありました。先生のイメージに引き込まれていくというのか・・・・力がありました。
当時、野庭、桜ヶ丘など、学区外に進学も考えていました。自身は、県大会までしか進めませんでしたが、当時の合言葉は『目指せ、普門館!』でした。野庭吹の皆さん、学校は統合されてしまいましたが、一時代を築いた野庭のサウンドを守り続けてください。
+らーはーぽーさん
コメントありがとうございます
自分にとって野庭高は学区内で
しかも中学で吹奏楽やってたから高校でも
というやや軽い気持ちで入部してしまったので
入ってからエライとこきちゃったなー
と感じてました(^^;
今年で先生が亡くなられて20年たちますが
今なお野庭の音楽を聞いて
このようにコメント頂けるのは
大変嬉しく思います
ありがとうございました
この曲を日本に持ち込んで演奏したのは天理高校吹奏楽部と聞きました。
天理高校出身の中澤先生との縁を感じました。
F Toruさん
コメントありがとうございます
日本での初演は天理高校だったのですか? 初めて知りました
貴重な情報ありがとうございます
吹コン全国大会での初演は確かに1977年の天理高ですが、楽譜の出版は1970年です。実際、前年1976年の支部大会で福島県の高校が演奏しています。
scoreupingさん
コメントありがとうございます
それもまた初耳です。。。
情報提供ありがとうございました
けっこう前の映像ありがとうございます。今の時代とは違う時代の雰囲気がわかって興味深いです。難しそうな曲だが、意欲的に挑戦しているのが良いですね。
ikuo kitamuraさん
コメントありがとうございます
逆に私は今の時代をちゃんと把握できてないのですが
今は学生でも難しい曲を普通にやってるイメージがあるので
今の子は自分たちが学生の時と比べたら
かなりレベル高いんだろうなぁ
これを現代のマイクで撮れたらどれほどいい音なんだろう
私は、これをホールの生演奏で聴けたらどれほどいい演奏なんだろう・・・って思いました。
@@mよし-h7d
それが正解です笑笑
clarinet Aflat さん
コメントありがとうございました
先生が作り出す音楽は人を惹きつける力があるんだなーと
何十年もたった現在になって改めて私も感じました。
11:29
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子ぼえさん
コメントありがとうございます