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軍師連盟のドラマめっちゃ面白い。毎日録画してみてる。
最高!
イェイ!!
ようやく観終わりました、三国志・司馬懿軍師連盟を‼️後半はエピソードが急いでたけど、なかなかの傑作でした‼️俳優さん達も皆上手いし、美しいし、よく泣きながら観れました❕
司馬懿エピソードだけあって長編ですね。見応えがありました。ありがとうございます。
司馬懿は諸葛亮に戦って勝ってしまうと仕事が終わるし、負けると左遷される、そんな難しい立場を泳ぎ切った。
多分、曹一族に内心うんざりして裏切るタイミングを計ってたよな。
司馬炎天下統一後がアカン過ぎ………
240年代って呉は二宮事件の混乱、蜀漢は北伐反対派が強くなって大規模な軍事動員ができなくなった時期、つまり外圧が弱くなったのも名士と宗室の対立が激化した原因かもしれませんね。
外に向ける力が弱まると、内側で混乱が起きるの法則
昔、三国無双や蒼天航路が好きでしたが、晋への継りは知らんかったので、ここら辺の話は超楽しい👍
BS日本で「三国志・司馬懿・軍師連盟」を毎日見ています。昨日は、空城の西城でひとりの諸葛亮と15万の軍勢を率いる司馬懿が対決し、孔明が琴を弾いて、仲達が退却した出来事と、「孔明、泣いて馬謖を斬る」の馬謖処刑の場面でした。三国志演義とは違った角度から三国志の時代を描いているので、とても楽しく見ています。
孔明の宿敵というよりは、もはや天敵だと思います
孔明の天敵は、損得度外視モードの劉備だと思います(´・ω・`)荊州を乗っ取れたのに乗っ取らず、荊州から逃げだす時に難民ほっておけば簡単に逃げれたのにほっとかず、呉と戦うのはどう考えても魏の得なのに戦い、さらに和睦せず継戦。だいたい孔明の言う事聞かない時に結構やらかしてるからね(´・ω・`)その結果、宿敵と対する時には苦労人孔明の出来上がりで寿命縮んでる始末(´・ω・`)
司馬懿は何だかんだ曹丕や国への義理は果たしてたと思うんですよね…息子たち、特に司馬昭は魏を乗っ取る気満々ですが諸葛亮とよく比較される司馬懿ですが、国内の名士のリーダー格というポジションは陸遜のそれと近いと思いました。
司馬懿は権力の独占を目論む曹爽の画策で太傅に任命された時にも軍権は剥奪されなかった。この時、司馬懿の軍権を保障するために大司馬を兼任させる予定だったけど、不吉な先例があるとして大司馬兼任は取り止めになった。(この時点での大司馬の前任者は司馬懿に討たれた公孫淵だった)
軍師連盟、録画して見ています😊現在BS でやっているので、見ている人多いんですね😆ThreeKingdomsで劉備役やってた人が、軍師連盟で曹操役やってるのが面白い😅
しかもこれが見事に曹操だから、本当に驚きます(笑)
邪馬台国の位置が解らないのも、司馬懿への忖度が原因だという説もあります。司馬懿が東の大国を服從させたと印象付ける為に、魏志の中で倭の国をやたら大きく記述したと言う説です。
自身と司馬家を守り続けて気がついたら自分より力のあるものが居なくなってた。天下の覇者は天が決めるってこういう事なんだと思った。
賈詡が有力者との縁談を避けて保身したのとは真逆ですね。司馬懿には有力者を敵にしないための保身だった、とも見てとれますが。曹操~曹爽まで常に味方に警戒され続けるが故でしょうか。
【三国志未解明の謎😃
このときの三公はもう名誉職というか、長老に与えられる職だったので、もう引退したいと考えていた司馬懿が敢えて受け取ったのかも、という浅めの見解を呟いてみます(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA 確かにこの時はまだ司馬懿は宗室(※軍事最高職は宗室の既得権と少なくとも彼ら自身は考えていた)とことはかまえたくなかった、というのはあるかもしれません大将軍位なり進めて大司馬職なりを維持し続けるのは言い換えれば彼らとの権力闘争を展開していく、ということを意味するわけですしね かといって将軍位を元の驃騎将軍に戻すのもそれこそ変ですし落としどころとして『軍関係職だけど文官職の最高位”大尉”(今で言う『背広組』ってやつですね)』で何となくふわっとお茶を濁すといった状態だったのかもしれません 余談ですが実は陳羣大師匠はこの三公(司空)を自身のメイン官職としており録尚書事と共に、拝命してから死ぬまで一切手放さず自身の権力基盤としていました(司馬懿と違い彼の軍官位の鎮軍大将軍が国権の最高位ではなかった(二品官相当)ためと思われる)
司馬懿の最大の能力は「長生き」だと思っています呉:大都督3人早死に蜀:諸葛亮、法正、馬超魏:曹丕、曹叡諸葛亮は短命ってほどではないですが重要ポジってことで
諸葛亮はあの時代ならまだよく生きた方ですが、諸葛亮に続く人材が短命だったのが蜀の難だったと思います。
司馬懿が諸葛亮より長生き出来たのは曹操が存命中に魏に人材と地盤を確保していたからと思います色んな理由で蜀が人材不足になったがために諸葛亮のようにたった一人で全部やる羽目(多少の誇張あり)にならずに済んだってのも大きいですね
軍師連盟のドラマの司馬懿は曹一族からの弾圧を恐れてひたすら平身低頭を貫く姿が一番印象に残ってたな。権力入手後の強硬姿勢にはその鬱憤晴らし的な意味も少なからず含まれていたかもしれない。
後の世でもそうなのですが、1度得た権力は手放せばあっという間に一族郎党殲滅されるっていう中華の悪癖があります。結局1度走り出したら行くところまで行かないと一族がヤバいって事なんですよね(´・ω・`)
あのドラマは完全作れ話だ
最後まで魏の臣下で有ることを貫いた弟の司馬孚とはやはり仲が悪かったんですかね?、確か皇族の監禁は司馬懿存命時の出来事だから曹叡の存命中か、死からそんにしないうちには簒奪の意志は持ってたんじゃないかなぁ…
一番乗り。個人的には司馬懿が曹爽を討ったのは、このままでは司馬一族が危ういと感じ、曹爽を捨ておけなかったからで、魏を乗っ取ろうとまでは企んでいなかったのではないかと思う。ただ、曹髦が弑逆された時、司馬昭はその気になっていたと確信している。それにしても思う。三国は名士を抜きにして成り立たなかったのだと。
司馬懿を見ていると、天命というのがどういうものなのか、というのが何となく見えてくる気がしますね。
後の歴史を見れば司馬一族が滅んだ方が良かったのでは。
本当に三國志を掘り尽くしてみると皆司馬懿を好きになれるはず…まあ司馬一族まで好きになれとは言わない笑
息子2人はムリ
司馬懿自身は必ずしも取って変わろうとは思っていなかったんだろうと考えています。曹丕が長生きしていれば優秀な腹心、でいられたような気がします。曹丕死後、司馬懿が有能すぎて皇帝でも制御できそうにないと皆が考えた結果、皆が司馬懿を押さえつけようとした為、取って変わらないと自分たちがやられる、と思って動いたような気がします。買詡の処世術を考えると、同じようにしたかったけど、功績が大きすぎて目立たず引退することが難しい立場だったでしょう。ある意味、諸葛亮との対決が逆説的に司馬懿を追い込んだ?と考えれば、諸葛亮は司馬懿を利用して魏を滅ぼしたと言えるのかな?と思ってしまいました。
曹一族に警戒され続けてたからいつかは裏切る気だったと思うよ。ただ、家康みたいに忍耐強く時期を見てたのだと思う。司馬懿としては自分はともかく自分の一族の事考えると 現役のうちにこの問題解決しておかないと一族皆殺しにいつかはなるだろうと予測してるだろうし。最高権力者の一族に警戒されてると気付いた瞬間に忠誠心は消えたと思う。
司馬懿は病的に世間体を気にする男だった、なので曹丕が長生きしてたらクーデターは絶対なかったと言える。
後世の評価で、司馬懿は公孫淵討伐の折、反乱の芽を摘むため遼東地域の15歳以上の男性を皆殺しにし京観を作り、司馬昭は皇帝弑逆を行った。このような無道の果てに建てられた国の末路が良かろうはずもない、というものがあったそうな。こじつけな上結果論ではありますが、確かにやり過ぎた感はありますよね…
でも曹叡危篤の中、反乱を再発させないためにと考えると、こういう手段しか取れなかったのかも……という推察も。にしても酷ではありますが。
のちに呉が属国化した時とかを思えば手加減できなかったのかも。それに遼東はかつて張遼が異民族討伐に赴いたからそっちの反乱抑制で連携出来ないようにとか。
まあ、曹丕はともかく曹叡は司馬懿を警戒していたと思うんですよね。劉放・孫資が「もっとも寵愛と信頼を受け(劉放伝)」ていたのも、司馬懿らが牛耳っていた尚書台から中書省に実権を移そうという意図があったわけで。ただ、2人に軍事的な能力はなかったし、曹爽が失敗した時点で誰も魏を守ろうとは考えなくなったんですが。
横山三国志でも作中で、離間計により、1度失脚はしてますからね。初期の頃なので、それにより信用しきれなくなったか、初めから警戒されてたから引っかかったかは微妙ですが
司馬懿、荀彧、諸葛亮、周瑜、この時代の参謀達って優秀過ぎる。さすが現代まで名前を残している英雄よ。
戦乱が長く続いたからこそ出てきた人物達ですね。平和であるなら世に埋もれていたであろうですね
方正と郭嘉とかも凄い
というか魏に関しては曹操が頭良すぎる
一番、徳があったのは個人的に魯粛だな
曹丕が…いやせめて曹叡でも長生きしてたらまた違ったのかな…でも司馬懿と一緒に大きな戦いに出るとその後死んでしまうのは何故なのか
それが天命なのか……それとも……(´・ω・`)
司馬懿もコロコロ替わる皇帝を見ながら「曹一族早死にし過ぎ…」と思っていたことだろう
TVドラマでいまやっていて参考にしてます。細かい説明解説有賀と御座います。これで更なる面白さ倍増だな~
試験に出る三国志さん 解説の時に流れているBGMは何のBGMですか?
魔王魂様の「お城のBGM」みたいなタイトルだったかと。
楽しみにお待ちしていました。ラスボスというか、三国志の真の勝利者・司馬懿。若い頃は孔明中心で三国志を見ていたので、なんとも憎たらしい陰湿な奴、みたいに思っていましたが、自分も歳をとってくると、本を読んで静かに暮らしていたいという気持ちもあっただろうなぁ、と思うようになりました。現代のような先の読めない時代にあれば、攻めるばかりではなく、引き際を上手く使い、時の運が向いてくるのを待つ。司馬懿の老獪な処世術には大いに学ぶべきかと思う次第です。
スリキンの司馬懿は「剣を抜いたのは一度、だが剣を磨くは十数年怠らなかった」という台詞を残しましたが、この老獪さは見事と言う他ないですね。
横山光輝のおかげで曹操は若々しいイメージ、司馬懿はじいさんのイメージしかないので司馬懿が曹操の年下と言われてもピンとこない。
孔明より3つしか上でないようでもあるが…。
とにかく失敗してない。三国時代から忠誠を尽くした。野心があっても実行に移さなかったのは曹家をみてたからかな?速さと我慢強さを兼ね備えた英雄。長寿で子沢山の家系に助けられた部分もあったが、それが裏目になったのはすぐ後起きたけどね。
「曹爽は司馬懿を太傅へと祭り上げ・・・」のところで、日本でも江戸時代に似たようなことがあったのを思い出しました。水野忠邦や鳥居耀蔵らから庶民の生活を守ろうとして北町奉行から大目付に祭り上げられ実務から遠ざけられた遠山景元(遠山の金さんのモデル)です。こちらも水野忠邦の失脚などの後に南町奉行として返り咲きましたね。
諸葛亮みたいに物事を急いで進めなくてもいい環境に置けて内省をしっかりと踏まえられた性格が時代の背景とものの見事に嚙み合って栄達を掴めたのでしょう。そんな父親の教えを守れた司馬師と司馬昭が魏をたやすく平らげず盛り立ててたから実際は天下国家より家を守る事に気を配ってたんだろうな。
私の遺体は曹丕様の臣下として埋葬してくれよ
三国志軍師連盟を最近見始めてから こんな動画待ってたよ(・∀・)いいね 横山光輝三国志の後の世が知りたかった ありがとうございます
郷挙里選の問題点は兵法の六韜にも「評判で人材を登用するな」とありますねそして「人の内心を見破る法」というのも有ってその中にお酒を飲ませると言うものがあります。人が本音を話すときはリラックスしてて気持ちがおおらかになった時ですね。それさえ押さえていれば必ずしもお酒である必要は無い訳で、その上でおだてて自尊心をくすぐれば間違いなく本音は漏れると思います。そこは今でも通ずるところは有るのかなと見ています。
司馬懿は有能な軍政家ですね。ただ、軍事に関しては少しずつ鍛えられていった気がします。荊州時代にある程度鍛えられ、そっから蜀方面軍に配属されましたが、今まで他の州に居たのに急に蜀方面に配属されても人間関係云々があって上手く指揮できなかったんじゃないでしょうかね。で、諸葛亮相手に更に鍛えられて・・・ってな感じでしょうか。孟達に対しての速攻戦とか、公孫淵討伐とかは諸葛亮を相手にして蓄積した経験を存分に発揮したものではないかと。そのせいか人生後半は政治家というより軍国爺ちゃんになってましたがw
引きこもって学者を志してたのに、どうしてこうなったという、なんとも数奇な運命…
@@KOUMEI_NO_WANADA 司馬防「大体わしのせい(まじで」
仲達の凄い所は内外に敵が多いのに巧みに暗殺を逃れてきた所やな。諸葛亮はそういう苦労しらいない分 外だけに集中すればよかったからな。
司馬懿、諸葛亮両名の個人的能力では恐らく諸葛亮に軍配が上がると思いますが……ベースの地力が司馬懿は圧倒的だったと思います。諸葛亮が司馬懿と同じだけ生きたとしても、五丈原の戦いに持ち込まれた時点で恐らく余程じゃないとひっくり返らない背景を持っていると思います
そもそも北伐自体無理ゲーだからね。
諸葛亮がヤベェって言われる所以は一度死んだ蜀を立て直して再び魏を恐怖に陥れるレベルの軍隊(北伐隊)を作り出したことにあるそもそもそれ以前の蜀包囲網を打破する指揮も頭おかしいし諸葛亮ポジに司馬懿がいても同じ働きはできないし、諸葛亮もまた司馬懿ポジならクーデターなんか起こさないから権力手にする前に早々に隠居を視野に入れたムーブをしてたんじゃね
諸葛亮が上とは一概には言えないのでは?
このコメで語ってる事は全てロマンでしかない。これは2000年前の話し。
司馬懿にしたら諸葛亮倒してからが本番まであるよねまさかさらに一国落とさなきゃならなくて本人涙目だったと思う
諸葛亮倒したらイージーモード
曹丕が親征で呉を取れなかった時点で名士の誰かが曹一族に取って代わる構造だった。司馬一族がトップだった。名士の中でも一枚岩ではない。だから鍾会も独立戦争をはじめた。
「本人がどう考えているかではなく、大衆が既に司馬懿を押し上げようとしている」というくだりを聴いて、池上彰氏のことが頭に浮かびました。(間違いなく本人にその気はないのですが)彼が本気で権力を獲るべく動いたら、2年かそこらで日本の独裁者になれるかもしれない、常々思っているからです。
重用(ちょうよう)では?重要(じゅうよう)だったらこっちを使うべき。どっちですか?
文字のほうが基本的には正しいです。読みは、ゆっくりムービーメーカーくんが誤読し、投稿主がチェックを怠ることでミスが発生します。誰か編集代わってクレメンス(ぇ
@@KOUMEI_NO_WANADA 成程!ムービーメーカーが誤読しているんですね。(*^_^*)編集も大変ですから頑張ってください👍
参考までに、他所のゆっくり解説では水上(みなかみ)駅をすいじょう駅と読んでました。男のロマンか!
司馬懿は曹丕、曹叡からの信任が厚く司馬懿も期待に応えていた。司馬懿が魏の実権を握れたのは曹真や曹休、陳羣などの政治、軍事の重鎮が相次いで亡くなった事が大きい。曹真や曹休が長生きしていたら司馬懿がクーデターを起こす事もなかったかも。魏は良くも悪くも名士が中心の国家。
ですねぇ。たぶん、それが一番大きいまであるかもしれない。
曹叡の跡を継いだ曹芳は幼君で出生が謎だから曹芳以降の魏の皇帝は司馬氏のお飾りになっていく。曹叡が諸葛亮が死んでから腑抜けになったのが大きい。特に陳羣が死去してから曹叡の政治は乱れ始めた。
三国志で一番好き
簒奪した曹丕とその後の曹魏凋落っぷりを見て、自身があるべき姿は曹操のようにあくまで臣下第一位であるべきと思ったのでしょうね。地盤を築いておけばいずれ自分の子孫が皇帝になる日も遠くないと気付いていたと思います。
張郃へ追撃を出したのは意見が合わない張郃の事が煩わしくなって相手の伏兵を装って暗殺…とか「なんか司馬懿だからありそうだなぁ」と色々考察が捗りました!1時間超える解説、お疲れ様でした!
張コウは唯一、司馬懿の他に西方の軍部を担える実力者だったし、ただの軍人ではなく、儒学にも通じた文武両道の名将。司馬懿が自らの実権拡大を強く望むなら、消しておいたほうが良いかもしれない……という邪推もできなくはない(๑•﹏•)(笑)
張郃が居なくなっても全然なんとかなる辺りはさすが魏の人材量だとは思いますね。だからこそ暗殺しても……ってな感じにも邪推出来ますね(´・ω・`)これが蜀だと魏延ですらかなりの後半になるまで孔明が手を下せなかった(しかも失敗してる)ので(´・ω・`)
やっぱり張郃が蜀漢の北伐で討たれたのは司馬懿絡んでると思うわ。初めて蜀漢に対峙する司馬懿的にも蜀漢的にも、新米都督赴任直後にベテランが亡くなるのは都合が良い。司馬懿的には舐められるから都合が良く釣り易い。多分に駆け引き要素も有るが、これが知略の真髄だとも言える。
司馬師と司馬昭のせいで…
司馬懿って世間の印象よりずっと人間っぽい感じがします。野心家という訳でも無さそうですし、曹操の後継者が無能過ぎたとしか(((´∀`*))ヶラヶラ)孔明相手にも負けて、持久戦に切り替えるあたり堅実ですよね
河内司馬氏は秦末漢初の時代(項羽が分封した秦末の十八路諸侯の殷王・司馬卬の直系子孫)からすでに高度に繁栄し、出将入相る地方大豪族であり。司馬懿の曽祖父司馬鈞は大漢朝廷の征西将軍であったが、戦場での重大な失職行為のため獄死した,司馬懿の祖父司馬量は豫章郡の太守を務めたことがあり、彼の世代から河内司馬氏は武道を放棄し、儒学を専攻し始めた。司馬懿の父の代から河内司馬氏は後漢末期になるとさらに「新興の儒学文化家族」となり、その「郷の複雑な人間関係を通じて、他の世家大族と結婚ネットワークを通じて地方から中央に発展し、最終的に皇族になる」.....ある意味で言えば、司馬氏三代で三国を統一できたのは、本質的に河内司馬氏が十数代にわたって400年以上奮闘した結果である....zh.m.wikipedia.org/zh-hk/%E6%B2%B3%E5%85%A7%E5%8F%B8%E9%A6%AC%E6%B0%8F%E4%B8%96%E7%B3%BB%E5%9C%96_(%E5%8F%B8%E9%A6%AC%E9%88%9E%E7%B3%BB)
漢末から魏晋まで、朝廷の圧倒的大部分の官職と社会地位を独占し,家臣、部下、門徒が天下に及んだ颍川陳氏、颍川鐘氏、颍川荀氏、弘農楊氏、平陽賈氏、東海王氏、琅琊王氏はスぺで河内司馬氏と結婚関係にあり、曹魏皇族である谯郡夏侯氏/曹氏を勢力的に徹底的に圧倒した。三国時代にはほとんど存在感のなかった譙国桓氏は魏晋時代に急速に発展し、両晋南北朝時代には皇権を狙う野心家となり、清河崔氏は漢末の三国の崔琰・崔林から700年以上発展し続け、南北朝時代に北朝の謀聖と称えられた崔浩が出た,唐王朝には崔姓の宰相が13人もいた。
代々河内司馬氏と結婚してきた弘農楊氏は、紀元前の前漢から700年以上奮闘し、7世紀には皇族となり、隋朝(隋文帝楊堅と隋煬帝楊広)を築いた。隋朝が滅亡した後も楊貴妃と楊国忠を出して、唐明皇を昏君+暴君に魅惑することができる。
曹叡までは従ってたんだよな。以降の曹家の皇帝でやってらんねって思わせる何かがあったんだろうか?
司馬氏が司馬懿の存在を大きくする為にライバルとして諸葛亮の存在を大きくした説が有るが、庶民の間では判官贔屓で諸葛亮の存在が大きくなりその反動で司馬懿親子は悪役として名を残す事に…曹操の法を基にした政治は皮肉にも弱小の蜀の宰相である諸葛亮に引き継がれ、曹操が潰そうとした儒は司馬氏により復活し後に司馬師・司馬昭兄弟の儒教の悪用つまり皇帝の不品行による太后にたいする不孝という名目(無論、でっち上げの大嘘)で次々と曹氏の皇帝は廃位や弑逆されるに至ったやっぱ司馬懿を重用した曹丕は曹操に比べてクソだわ人を見る目が致命的に無い司馬懿の曹丕の後継者争いの功績は後の司馬氏の簒奪を考えると有っても記録には残さないだろうなぁ司馬氏は既に史書に対して大きな影響力を持っていたし
日本では諸葛亮は人気凄いけど、司馬懿ってどうなんだろうか?自分は司馬懿の方が好きだし、もちろん軍師連盟も見ました。
軍師連盟、最高
孟徳しても法家のお膝元の秦を本拠地にした孔明ですら名士儒家の束縛から逃れられなかったんだよなぁ孟徳は名士儒家の荀彧を「我が子房」と絶賛して迎え入れ孔明は玄徳に「名士儒家を無視しては国を得られませんよ」と諭している二人とも法で国を治めるのを理想としている人物なのに名士儒家を無視できない現実が歯痒かったに違いない
本人は兎も角、圧倒的だった息子の代でも臣下に留まって訳ですから、野望は無かったに1票。頭の良い人ですから、皇帝なんざ割に合うもんじゃねえぞという教育を行き渡らせてたんでしょうな。超馬鹿どもの椅子争いを苦笑して見ながら。
映画用に煽って書けば、望めばいつでも王になれた天才同士の戦い。白は信じてくれた人の遺志を守る為に、黒は信じてくれてる仲間と良識を守る為に戦った。同じ陣営に居れば尊敬し合える親友になれただろうに。願わくば、パリピ孔明で出会えて、うまい酒を酌み交わせることを祈る。養老の滝で。
白:塩だれ軟骨如何ですか?黒:うむ、いけるな。白:ちょっとした工夫で風味が全く異なってくる、料理って策と似てますよね?黒:同感だ。・・・、なあ、何故こっちに来なかった?あんな山国じゃやりたいことが全くできないなんて判りきってただろうが。白:確かに1/3も出来ませんでしたが、それでも一生懸命考えて、実行できましたから。私は幸せでしたよ?そちらこそ色々大変そうに見えましたが。黒:まあな、でも勝ったのはうちだ。白:・・・周りが私の言う事を全く判ってくれなくて、周りではなく、私が馬鹿なんだと思い始めたときに、あの方が来てくれましたからね。私が正しい事を証明して見せると言われた時、私の幸せは確定しましたよ。黒:・・・しまった、俺が行くべきだったのか。白:私たちが組めば、長安ぐらい取れましたかね?黒:馬鹿め。政と智のお前、軍と謀の俺が組めば長安どころでは・・・・、いや、良そう。確かに俺たちは力を出し切れて、幸せだったよな。白:・・・辛マヨネーズだれ軟骨は如何です?黒:いや、それはちょっと。
諸葛亮に負けず劣らずの才能と実績を持つ司馬懿、諸葛亮の引き立てみたいな書かれ方することが多いけど、実は逆だったりするんですね。今迄の三国志の英雄達、曹操や劉備とも引けを取らない英雄(もしくは梟雄?)であることは間違いないですね。
司馬懿には北伐を敢行できるほどのカリスマがないので個人の能力なら雲泥の差があると思いますよ。対北伐軍の功績や手腕に限れば曹真にも及ばないと思ってるので演義補正抜きで考えたら昨今の司馬懿のゲームのステータスは高すぎです特に統率
曹操同様、司馬懿も自分自身は簒奪しなかった。二人共、一般的には悪人と評されるが、実際はどうだったのでしょうね?
善悪は見る人によって変わるものですので、まぁ、難しいですよね
三国志演義とか劉備を主役になってるから敵の位置付けなだけで、一般的に悪人って評されてないだろww
歴史は勝者が作ります……つまり晋側の記録が三国志の原本。晋が正統を主張するためにも魏が正統で無ければならなかった。しかし、この後の歴史で蜀の株が上がるような出来事が……。同じ時代の歴史でも中身がまるで違う事があるのが中国史の面白いところですよね(´・ω・`)
司馬仲達殿は孫子を知らなかったのでしょうか評伝を読む限りではどうもそうであったように思われます敵の隙を突くばかりでは武人としては役不足と言われても仕方ないとは言えると思われました
楽しい😃🎶話( *´д)/(´д`、)💦有り難う😉ございます🎵
勝者とは言ったものの、結局三国志で出てくる国はすぐ滅んでるからなぁ〜。
日本の偉人に当てはめると秀吉や斎藤道三とか、毛利元就になるのかな?
司馬懿は職務を遂行して、政敵の芽を摘んで地盤を固めたのに子孫がやらかしてしまった司馬懿が一時間なら三国の君主と諸葛亮は更なる長編になりそう
このコメントで動画が1時間あることに気づいた
3代で食い潰すとは良く言ったものだなとは思います(´・ω・`)司馬懿の直系だけ皇族なら八王の乱までは行かなかったとは思います。まぁ司馬炎の子供の数が多すぎる問題もありますが……
いつも楽しく拝見しています^ ^長尺動画でしたが、1時間が短く感じられるほど面白かったです(*゚▽゚*)b今回の考察で、司馬懿が自ら引退を考えていたとは、とても驚きました(゚o゚;;今より寿命が短いぶん、ある程度安定した時点で、余生を穏やかに過ごしたいと思う気持ちも、きっとあったのかもしれませんね^ ^
曹叡より長く生きるとは、普通は思えませんからね。でも、それが成立してしまった。運命とはわからないものです(๑´•.̫ • `๑)
「英雄、振り返れば神仙」結構隠者志向だったのかも。仮病使ったり、ボケたふりとかも「このまま埋もれてもいいや」、なんて腹のくくりの上では?ただ周りが(敵も味方も)許してくれない。
曹氏政権を支えた曹操の辟召の朝廷高官らが最後に奮起したのが曹爽排除だったというところに何かを感じる…魏の歴代三公が司馬懿支持だしどこかで曹氏に対しての不信感が生まれていたのかなぁ…
正直、曹爽は不自然なまでに焦りすぎているようにも見えますから、そのあたりで不満が爆発したのかも(´ . .̫ . `)
@@KOUMEI_NO_WANADA 個人的に魏朝の高官らは曹操-曹丕の継承時のゴタゴタに対して不満持っててとかは妄想してます…
司馬懿を評価、推挙した崔琰と楊俊は曹操、曹丕に処刑されているのがなんとも…
勝者は任城王の子供かもね彰が幕僚に恵まれなかったのならそれは朝廷全体の責任ですもう軍隊を率いることがかなわなくても仕方がない
三國志は名前が似ていて混乱する
長生きも芸のうち。いや最大の芸か。三国志世界のあの人この人が七十歳まで生きていたら...ねえ?
致命的なミスを犯さずに長生き、これが最強(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA 「知力体力時の運」ですね。
当時人生50年と言われてますし、今の感覚だと耄碌せずに110歳まで頑張ったって事だよなぁ(;・ω・)
カエサルみたい
三國志は名士の権力争い。
晋から隋の前まで、中国は、混沌の時代が続き、魏志倭人伝以降の日本に関する、これと言った記録が無い。皇室に成立もはっきりしない。誠に残念。
司馬懿はどうしても敵役になりますね
曹操好きとしては苦々しい思いもあるものの、司馬懿の有能さは否定できない。持ち上げられた面もあるだろうけど、それこそ諸葛亮ほどじゃないだろう。
後漢が滅んでから戦国時代なので臣下の中には大望を抱く(皇帝になる)ものが常に出てくる
宣王?宣帝、?
そんな司馬懿もまさか代々優秀な人間をだしてきた司馬家が孫以下の代で中華の歴史上一番といってもいい醜い争いをするとは思わなかっただろうなw
司馬師と夏侯徽が結婚したことで、司馬懿が準皇族とも言える立場になったことが一番大きい。
実際には...漢末から魏晋まで、朝廷の圧倒的大部分の官職と社会地位を独占し,家臣、部下、門徒が天下に及んだ颍川陳氏、颍川鐘氏、颍川荀氏、弘農楊氏、平陽賈氏、東海王氏、琅琊王氏はスぺで河内司馬氏と結婚関係にあり...曹魏時代にはほとんど司馬懿父子の党羽と親戚となった。三国時代の上記のいくつかの姓の人は、琊琊諸葛氏を含め、ほとんどの人が名門氏族出身だったが、しかし三国誌ゲームのテキストでは汝南袁氏出身の袁紹袁術だけがわざと自分の出身を誇示していた......彼らは漢末、三国、両晋時代に巨大な私兵(部曲)を持っていた,朝廷の官職は基本的にこれらの家族の子弟を選ぶだけだ,地方郡県の役人は基本的に彼らの学生と家臣である。そのため晋王朝の社会はひどく不公平で、「上品無寒門,下品無世族」(上品官には寒門や庶民の子弟がなく、下品には世家大族の子弟がいない)。
公孫淵謎だよな
爪を隠し続けて最後には勝者になる異端の天才司馬懿ですがその偉大な足跡も後がゴタゴタで可哀想でもありましたね
司馬炎...あんたイージーモード過ぎるよ父と祖父がラスボスまで進めて残りの体力1ミリって所で司馬炎にバトンタッチ
だからこそ司馬炎も不出来な息子のために、皇族や外戚の力をマシマシにして、息子の周りを固めた結果…(
国を守る為に、動き続けたら、こうなった感しか無い🤭軍事政治を冷静過ぎるぐらいに、見れる英雄ですね🤔孫以降はしらんけど(^^)
儒学学閥vs実務家と言う底流がとても重要だとわかりました。戦乱の時代であれば有能な実務家が輩出されますが、組織が巨大化してくると、結局学問に秀でた者たちの行政手腕、戦略学が大きな比重を占めてしまう。儒学が中華に於いて唯一の大学研究機関という現状の限界や危険性を、傑出した実務家であり学者であった曹操なればこそ、実学双方の頂点として両者に君臨し、理解し変えることが出来たのだが、曹丕、曹叡とも傑出した実務家であっても学問の頂点ではなかった。曹氏は曹操の志を遂げることは出来ず、殊に諸葛亮というコレまた傑出した戦略家(彼もまた学閥のでなわけですが)を相手するために、学閥のもたらす優れた人材と行政機構、戦略学に頼るしか無かった、と言うところでしょうか。後年、中華王朝が巨大な生産力を持ちながら、しばしば超人的君主による才能の虐殺を繰り返し、引き継いだ行政機関が発展の一定のラインを超えることなく自壊する事を繰り返したのは、この学術機関の偏りが大きな要因になっていたと思えてなりません。曹操こそが最大のターニングポイントであった、あるいは、すでに彼の時点で1代では変えることが出来ないほどこの方向が定まっていたのかもしれない、孫権などの英傑が晩年おかしくなってしまうのも、自分達の作った時代が結局儒教学閥の作る世界を超えることが出来ない、自分達にはその力がない、それを悟って自暴自棄に陥ってしまったのか…などと思いました。
曹操様がここまで魏を大きくしたのに、横取りした司馬懿はどうしても好きになれない。
いちじかん?
大変でした(๑´•.̫ • `๑)
私から見たら、こー名こそラスボスだ何故ならば、私は足の裏が白いままの歴史の勝者であるからだby 歴史の勝者チュー建
軍師連盟のドラマめっちゃ面白い。毎日録画してみてる。
最高!
イェイ!!
ようやく観終わりました、三国志・司馬懿軍師連盟を‼️
後半はエピソードが急いでたけど、なかなかの傑作でした‼️
俳優さん達も皆上手いし、美しいし、よく泣きながら観れました❕
司馬懿エピソードだけあって長編ですね。見応えがありました。ありがとうございます。
司馬懿は諸葛亮に戦って勝ってしまうと仕事が終わるし、負けると左遷される、そんな難しい立場を泳ぎ切った。
多分、曹一族に内心うんざりして裏切るタイミングを計ってたよな。
司馬炎
天下統一後がアカン過ぎ………
240年代って呉は二宮事件の混乱、蜀漢は北伐反対派が強くなって大規模な軍事動員ができなくなった時期、つまり外圧が弱くなったのも名士と宗室の対立が激化した原因かもしれませんね。
外に向ける力が弱まると、内側で混乱が起きるの法則
昔、三国無双や蒼天航路が好きでしたが、
晋への継りは知らんかったので、
ここら辺の話は超楽しい👍
BS日本で「三国志・司馬懿・軍師連盟」を毎日見ています。昨日は、空城の西城でひとりの諸葛亮と15万の軍勢を率いる司馬懿が対決し、孔明が琴を弾いて、仲達が退却した出来事と、「孔明、泣いて馬謖を斬る」の馬謖処刑の場面でした。三国志演義とは違った角度から三国志の時代を描いているので、とても楽しく見ています。
孔明の宿敵というよりは、もはや天敵だと思います
孔明の天敵は、損得度外視モードの劉備だと思います(´・ω・`)
荊州を乗っ取れたのに乗っ取らず、荊州から逃げだす時に難民ほっておけば簡単に逃げれたのにほっとかず、呉と戦うのはどう考えても魏の得なのに戦い、さらに和睦せず継戦。
だいたい孔明の言う事聞かない時に結構やらかしてるからね(´・ω・`)
その結果、宿敵と対する時には苦労人孔明の出来上がりで寿命縮んでる始末(´・ω・`)
司馬懿は何だかんだ曹丕や国への義理は果たしてたと思うんですよね…息子たち、特に司馬昭は魏を乗っ取る気満々ですが
諸葛亮とよく比較される司馬懿ですが、国内の名士のリーダー格というポジションは陸遜のそれと近いと思いました。
司馬懿は権力の独占を目論む曹爽の画策で太傅に任命された時にも軍権は剥奪されなかった。この時、司馬懿の軍権を保障するために大司馬を兼任させる予定だったけど、不吉な先例があるとして大司馬兼任は取り止めになった。(この時点での大司馬の前任者は司馬懿に討たれた公孫淵だった)
軍師連盟、録画して見ています😊
現在BS でやっているので、見ている人多いんですね😆
ThreeKingdomsで劉備役やってた人が、軍師連盟で曹操役やってるのが面白い😅
しかもこれが見事に曹操だから、本当に驚きます(笑)
邪馬台国の位置が解らないのも、司馬懿への忖度が原因だという説もあります。司馬懿が東の大国を服從させたと印象付ける為に、魏志の中で倭の国をやたら大きく記述したと言う説です。
自身と司馬家を守り続けて気がついたら自分より力のあるものが居なくなってた。天下の覇者は天が決めるってこういう事なんだと思った。
賈詡が有力者との縁談を避けて保身したのとは真逆ですね。
司馬懿には有力者を敵にしないための保身だった、とも見てとれますが。
曹操~曹爽まで常に味方に警戒され続けるが故でしょうか。
【三国志未解明の謎😃
このときの三公はもう名誉職というか、長老に与えられる職だったので、もう引退したいと考えていた司馬懿が敢えて受け取ったのかも、という浅めの見解を呟いてみます(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA 確かにこの時はまだ司馬懿は宗室(※軍事最高職は宗室の既得権と少なくとも彼ら自身は考えていた)とことはかまえたくなかった、というのはあるかもしれません
大将軍位なり進めて大司馬職なりを維持し続けるのは言い換えれば彼らとの権力闘争を展開していく、ということを意味するわけですしね
かといって将軍位を元の驃騎将軍に戻すのもそれこそ変ですし
落としどころとして『軍関係職だけど文官職の最高位”大尉”(今で言う『背広組』ってやつですね)』で何となくふわっとお茶を濁すといった状態だったのかもしれません
余談ですが実は陳羣大師匠はこの三公(司空)を自身のメイン官職としており
録尚書事と共に、拝命してから死ぬまで一切手放さず自身の権力基盤としていました(司馬懿と違い彼の軍官位の鎮軍大将軍が国権の最高位ではなかった(二品官相当)ためと思われる)
司馬懿の最大の能力は「長生き」だと思っています
呉:大都督3人早死に
蜀:諸葛亮、法正、馬超
魏:曹丕、曹叡
諸葛亮は短命ってほどではないですが重要ポジってことで
諸葛亮はあの時代ならまだよく生きた方ですが、諸葛亮に続く人材が短命だったのが蜀の難だったと思います。
司馬懿が諸葛亮より長生き出来たのは曹操が存命中に魏に人材と地盤を確保していたからと思います
色んな理由で蜀が人材不足になったがために諸葛亮のようにたった一人で全部やる羽目(多少の誇張あり)にならずに済んだってのも大きいですね
軍師連盟のドラマの司馬懿は曹一族からの弾圧を恐れてひたすら平身低頭を貫く姿が一番印象に残ってたな。
権力入手後の強硬姿勢にはその鬱憤晴らし的な意味も少なからず含まれていたかもしれない。
後の世でもそうなのですが、1度得た権力は手放せばあっという間に一族郎党殲滅されるっていう中華の悪癖があります。
結局1度走り出したら行くところまで行かないと一族がヤバいって事なんですよね(´・ω・`)
あのドラマは完全作れ話だ
最後まで魏の臣下で有ることを貫いた弟の司馬孚とはやはり仲が悪かったんですかね?、確か皇族の監禁は司馬懿存命時の出来事だから曹叡の存命中か、死からそんにしないうちには簒奪の意志は持ってたんじゃないかなぁ…
一番乗り。個人的には司馬懿が曹爽を討ったのは、このままでは司馬一族が危ういと感じ、曹爽を捨ておけなかったからで、魏を乗っ取ろうとまでは企んでいなかったのではないかと思う。ただ、曹髦が弑逆された時、司馬昭はその気になっていたと確信している。それにしても思う。三国は名士を抜きにして成り立たなかったのだと。
司馬懿を見ていると、天命というのがどういうものなのか、というのが何となく見えてくる気がしますね。
後の歴史を見れば司馬一族が滅んだ方が良かったのでは。
本当に三國志を掘り尽くしてみると皆司馬懿を好きになれるはず…
まあ司馬一族まで好きになれとは言わない笑
息子2人はムリ
司馬懿自身は必ずしも取って変わろうとは思っていなかったんだろうと考えています。曹丕が長生きしていれば優秀な腹心、でいられたような気がします。曹丕死後、司馬懿が有能すぎて皇帝でも制御できそうにないと皆が考えた結果、皆が司馬懿を押さえつけようとした為、取って変わらないと自分たちがやられる、と思って動いたような気がします。買詡の処世術を考えると、同じようにしたかったけど、功績が大きすぎて目立たず引退することが難しい立場だったでしょう。ある意味、諸葛亮との対決が逆説的に司馬懿を追い込んだ?と考えれば、諸葛亮は司馬懿を利用して魏を滅ぼしたと言えるのかな?と思ってしまいました。
曹一族に警戒され続けてたからいつかは裏切る気だったと思うよ。ただ、家康みたいに忍耐強く時期を見てたのだと思う。
司馬懿としては自分はともかく自分の一族の事考えると 現役のうちにこの問題解決しておかないと一族皆殺しにいつかはなるだろうと予測してるだろうし。
最高権力者の一族に警戒されてると気付いた瞬間に忠誠心は消えたと思う。
司馬懿は病的に世間体を気にする男だった、なので曹丕が長生きしてたらクーデターは絶対なかったと言える。
後世の評価で、司馬懿は公孫淵討伐の折、反乱の芽を摘むため遼東地域の15歳以上の男性を皆殺しにし京観を作り、司馬昭は皇帝弑逆を行った。このような無道の果てに建てられた国の末路が良かろうはずもない、というものがあったそうな。こじつけな上結果論ではありますが、確かにやり過ぎた感はありますよね…
でも曹叡危篤の中、反乱を再発させないためにと考えると、こういう手段しか取れなかったのかも……という推察も。にしても酷ではありますが。
のちに呉が属国化した時とかを思えば手加減できなかったのかも。それに遼東はかつて張遼が異民族討伐に赴いたからそっちの反乱抑制で連携出来ないようにとか。
まあ、曹丕はともかく曹叡は司馬懿を警戒していたと思うんですよね。劉放・孫資が「もっとも寵愛と信頼を受け(劉放伝)」ていたのも、司馬懿らが牛耳っていた尚書台から中書省に実権を移そうという意図があったわけで。
ただ、2人に軍事的な能力はなかったし、曹爽が失敗した時点で誰も魏を守ろうとは考えなくなったんですが。
横山三国志でも作中で、離間計により、1度失脚はしてますからね。
初期の頃なので、それにより信用しきれなくなったか、初めから警戒されてたから引っかかったかは微妙ですが
司馬懿、荀彧、諸葛亮、周瑜、この時代の参謀達って優秀過ぎる。
さすが現代まで名前を残している英雄よ。
戦乱が長く続いたからこそ出てきた人物達ですね。
平和であるなら世に埋もれていたであろうですね
方正と郭嘉とかも凄い
というか魏に関しては曹操が頭良すぎる
一番、徳があったのは
個人的に魯粛だな
曹丕が…いやせめて曹叡でも長生きしてたらまた違ったのかな…
でも司馬懿と一緒に大きな戦いに出るとその後死んでしまうのは何故なのか
それが天命なのか……それとも……(´・ω・`)
司馬懿もコロコロ替わる皇帝を見ながら「曹一族早死にし過ぎ…」と思っていたことだろう
TVドラマでいまやっていて参考にしてます。細かい説明解説有賀と御座います。これで更なる面白さ倍増だな~
試験に出る三国志さん 解説の時に流れているBGMは何のBGMですか?
魔王魂様の「お城のBGM」みたいなタイトルだったかと。
楽しみにお待ちしていました。ラスボスというか、三国志の真の勝利者・司馬懿。若い頃は孔明中心で三国志を見ていたので、なんとも憎たらしい陰湿な奴、みたいに思っていましたが、自分も歳をとってくると、本を読んで静かに暮らしていたいという気持ちもあっただろうなぁ、と思うようになりました。現代のような先の読めない時代にあれば、攻めるばかりではなく、引き際を上手く使い、時の運が向いてくるのを待つ。司馬懿の老獪な処世術には大いに学ぶべきかと思う次第です。
スリキンの司馬懿は「剣を抜いたのは一度、だが剣を磨くは十数年怠らなかった」という台詞を残しましたが、この老獪さは見事と言う他ないですね。
横山光輝のおかげで曹操は若々しいイメージ、司馬懿はじいさんのイメージしかないので司馬懿が曹操の年下と言われてもピンとこない。
孔明より3つしか上でないようでもあるが…。
とにかく失敗してない。三国時代から忠誠を尽くした。野心があっても実行に移さなかったのは曹家をみてたからかな?
速さと我慢強さを兼ね備えた英雄。
長寿で子沢山の家系に助けられた部分もあったが、それが裏目になったのはすぐ後起きたけどね。
「曹爽は司馬懿を太傅へと祭り上げ・・・」のところで、日本でも江戸時代に似たようなことがあったのを思い出しました。
水野忠邦や鳥居耀蔵らから庶民の生活を守ろうとして北町奉行から大目付に祭り上げられ実務から遠ざけられた遠山景元(遠山の金さんのモデル)です。
こちらも水野忠邦の失脚などの後に南町奉行として返り咲きましたね。
諸葛亮みたいに物事を急いで進めなくてもいい環境に置けて内省をしっかりと踏まえられた性格が
時代の背景とものの見事に嚙み合って栄達を掴めたのでしょう。
そんな父親の教えを守れた司馬師と司馬昭が魏をたやすく平らげず盛り立ててたから
実際は天下国家より家を守る事に気を配ってたんだろうな。
私の遺体は曹丕様の臣下として埋葬してくれよ
三国志軍師連盟を最近見始めてから こんな動画待ってたよ(・∀・)いいね 横山光輝三国志の後の世が知りたかった ありがとうございます
郷挙里選の問題点は兵法の六韜にも「評判で人材を登用するな」とありますね
そして「人の内心を見破る法」というのも有ってその中にお酒を飲ませる
と言うものがあります。人が本音を話すときはリラックスしてて気持ちがおおらかに
なった時ですね。それさえ押さえていれば必ずしもお酒である必要は無い訳で、
その上でおだてて自尊心をくすぐれば間違いなく本音は漏れると思います。
そこは今でも通ずるところは有るのかなと見ています。
司馬懿は有能な軍政家ですね。ただ、軍事に関しては少しずつ鍛えられていった気がします。荊州時代にある程度鍛えられ、そっから蜀方面軍に配属されましたが、今まで他の州に居たのに急に蜀方面に配属されても人間関係云々があって上手く指揮できなかったんじゃないでしょうかね。で、諸葛亮相手に更に鍛えられて・・・ってな感じでしょうか。孟達に対しての速攻戦とか、公孫淵討伐とかは諸葛亮を相手にして蓄積した経験を存分に発揮したものではないかと。そのせいか人生後半は政治家というより軍国爺ちゃんになってましたがw
引きこもって学者を志してたのに、どうしてこうなったという、なんとも数奇な運命…
@@KOUMEI_NO_WANADA 司馬防「大体わしのせい(まじで」
仲達の凄い所は内外に敵が多いのに巧みに暗殺を逃れてきた所やな。諸葛亮はそういう苦労しらいない分 外だけに集中すればよかったからな。
司馬懿、諸葛亮両名の個人的能力では恐らく諸葛亮に軍配が上がると思いますが……ベースの地力が司馬懿は圧倒的だったと思います。
諸葛亮が司馬懿と同じだけ生きたとしても、五丈原の戦いに持ち込まれた時点で恐らく余程じゃないとひっくり返らない背景を持っていると思います
そもそも北伐自体無理ゲーだからね。
諸葛亮がヤベェって言われる所以は一度死んだ蜀を立て直して再び魏を恐怖に陥れるレベルの軍隊(北伐隊)を作り出したことにある
そもそもそれ以前の蜀包囲網を打破する指揮も頭おかしいし
諸葛亮ポジに司馬懿がいても同じ働きはできないし、諸葛亮もまた司馬懿ポジならクーデターなんか起こさないから権力手にする前に早々に隠居を視野に入れたムーブをしてたんじゃね
諸葛亮が上とは一概には言えないのでは?
このコメで語ってる事は全てロマンでしかない。
これは2000年前の話し。
司馬懿にしたら
諸葛亮倒してからが本番まであるよね
まさかさらに一国落とさなきゃならなくて本人涙目だったと思う
諸葛亮倒したらイージーモード
曹丕が親征で呉を取れなかった時点で名士の誰かが曹一族に取って代わる構造だった。司馬一族がトップだった。名士の中でも一枚岩ではない。だから鍾会も独立戦争をはじめた。
「本人がどう考えているかではなく、大衆が既に司馬懿を押し上げようとしている」というくだりを聴いて、池上彰氏のことが頭に浮かびました。
(間違いなく本人にその気はないのですが)彼が本気で権力を獲るべく動いたら、2年かそこらで日本の独裁者になれるかもしれない、常々思っているからです。
重用(ちょうよう)では?重要(じゅうよう)だったらこっちを使うべき。どっちですか?
文字のほうが基本的には正しいです。
読みは、ゆっくりムービーメーカーくんが誤読し、投稿主がチェックを怠ることでミスが発生します。誰か編集代わってクレメンス(ぇ
@@KOUMEI_NO_WANADA 成程!ムービーメーカーが誤読しているんですね。(*^_^*)編集も大変ですから頑張ってください👍
参考までに、他所のゆっくり解説では水上(みなかみ)駅をすいじょう駅と読んでました。男のロマンか!
司馬懿は曹丕、曹叡からの信任が厚く司馬懿も期待に応えていた。司馬懿が魏の実権を握れたのは曹真や曹休、陳羣などの政治、軍事の重鎮が相次いで亡くなった事が大きい。曹真や曹休が長生きしていたら司馬懿がクーデターを起こす事もなかったかも。魏は良くも悪くも名士が中心の国家。
ですねぇ。たぶん、それが一番大きいまであるかもしれない。
曹叡の跡を継いだ曹芳は幼君で出生が謎だから曹芳以降の魏の皇帝は司馬氏のお飾りになっていく。曹叡が諸葛亮が死んでから腑抜けになったのが大きい。特に陳羣が死去してから曹叡の政治は乱れ始めた。
三国志で一番好き
簒奪した曹丕とその後の曹魏凋落っぷりを見て、自身があるべき姿は曹操のようにあくまで臣下第一位であるべきと思ったのでしょうね。地盤を築いておけばいずれ自分の子孫が皇帝になる日も遠くないと気付いていたと思います。
張郃へ追撃を出したのは意見が合わない張郃の事が煩わしくなって相手の伏兵を装って暗殺…とか「なんか司馬懿だからありそうだなぁ」と色々考察が捗りました!
1時間超える解説、お疲れ様でした!
張コウは唯一、司馬懿の他に西方の軍部を担える実力者だったし、ただの軍人ではなく、儒学にも通じた文武両道の名将。司馬懿が自らの実権拡大を強く望むなら、消しておいたほうが良いかもしれない……という邪推もできなくはない(๑•﹏•)(笑)
張郃が居なくなっても全然なんとかなる辺りはさすが魏の人材量だとは思いますね。だからこそ暗殺しても……ってな感じにも邪推出来ますね(´・ω・`)
これが蜀だと魏延ですらかなりの後半になるまで孔明が手を下せなかった(しかも失敗してる)ので(´・ω・`)
やっぱり張郃が蜀漢の北伐で討たれたのは司馬懿絡んでると思うわ。
初めて蜀漢に対峙する司馬懿的にも蜀漢的にも、新米都督赴任直後にベテランが亡くなるのは都合が良い。司馬懿的には舐められるから都合が良く釣り易い。
多分に駆け引き要素も有るが、これが知略の真髄だとも言える。
司馬師と司馬昭のせいで…
司馬懿って世間の印象よりずっと人間っぽい感じがします。
野心家という訳でも無さそうですし、曹操の後継者が無能過ぎたとしか(((´∀`*))ヶラヶラ)
孔明相手にも負けて、持久戦に切り替えるあたり堅実ですよね
河内司馬氏は秦末漢初の時代(項羽が分封した秦末の十八路諸侯の殷王・司馬卬の直系子孫)からすでに高度に繁栄し、出将入相る地方大豪族であり。司馬懿の曽祖父司馬鈞は大漢朝廷の征西将軍であったが、戦場での重大な失職行為のため獄死した,司馬懿の祖父司馬量は豫章郡の太守を務めたことがあり、彼の世代から河内司馬氏は武道を放棄し、儒学を専攻し始めた。司馬懿の父の代から河内司馬氏は後漢末期になるとさらに「新興の儒学文化家族」となり、その「郷の複雑な人間関係を通じて、他の世家大族と結婚ネットワークを通じて地方から中央に発展し、最終的に皇族になる」.....ある意味で言えば、司馬氏三代で三国を統一できたのは、本質的に河内司馬氏が十数代にわたって400年以上奮闘した結果である....
zh.m.wikipedia.org/zh-hk/%E6%B2%B3%E5%85%A7%E5%8F%B8%E9%A6%AC%E6%B0%8F%E4%B8%96%E7%B3%BB%E5%9C%96_(%E5%8F%B8%E9%A6%AC%E9%88%9E%E7%B3%BB)
漢末から魏晋まで、朝廷の圧倒的大部分の官職と社会地位を独占し,家臣、部下、門徒が天下に及んだ颍川陳氏、颍川鐘氏、颍川荀氏、弘農楊氏、平陽賈氏、東海王氏、琅琊王氏はスぺで河内司馬氏と結婚関係にあり、曹魏皇族である谯郡夏侯氏/曹氏を勢力的に徹底的に圧倒した。三国時代にはほとんど存在感のなかった譙国桓氏は魏晋時代に急速に発展し、両晋南北朝時代には皇権を狙う野心家となり、清河崔氏は漢末の三国の崔琰・崔林から700年以上発展し続け、南北朝時代に北朝の謀聖と称えられた崔浩が出た,唐王朝には崔姓の宰相が13人もいた。
代々河内司馬氏と結婚してきた弘農楊氏は、紀元前の前漢から700年以上奮闘し、7世紀には皇族となり、隋朝(隋文帝楊堅と隋煬帝楊広)を築いた。隋朝が滅亡した後も楊貴妃と楊国忠を出して、唐明皇を昏君+暴君に魅惑することができる。
曹叡までは従ってたんだよな。以降の曹家の皇帝でやってらんねって思わせる何かがあったんだろうか?
司馬氏が司馬懿の存在を大きくする為にライバルとして諸葛亮の存在を大きくした説が有るが、庶民の間では判官贔屓で諸葛亮の存在が大きくなりその反動で司馬懿親子は悪役として名を残す事に…
曹操の法を基にした政治は皮肉にも弱小の蜀の宰相である諸葛亮に引き継がれ、曹操が潰そうとした儒は司馬氏により復活し後に司馬師・司馬昭兄弟の儒教の悪用つまり皇帝の不品行による太后にたいする不孝という名目(無論、でっち上げの大嘘)で次々と曹氏の皇帝は廃位や弑逆されるに至った
やっぱ司馬懿を重用した曹丕は曹操に比べてクソだわ人を見る目が致命的に無い
司馬懿の曹丕の後継者争いの功績は後の司馬氏の簒奪を考えると有っても記録には残さないだろうなぁ司馬氏は既に史書に対して大きな影響力を持っていたし
日本では諸葛亮は人気凄いけど、司馬懿ってどうなんだろうか?
自分は司馬懿の方が好きだし、もちろん軍師連盟も見ました。
軍師連盟、最高
孟徳しても法家のお膝元の秦を本拠地にした孔明ですら名士儒家の束縛から逃れられなかったんだよなぁ
孟徳は名士儒家の荀彧を「我が子房」と絶賛して迎え入れ孔明は玄徳に「名士儒家を無視しては国を得られませんよ」と諭している
二人とも法で国を治めるのを理想としている人物なのに名士儒家を無視できない現実が歯痒かったに違いない
本人は兎も角、圧倒的だった息子の代でも臣下に留まって訳ですから、野望は無かったに1票。
頭の良い人ですから、皇帝なんざ割に合うもんじゃねえぞという教育を行き渡らせてたんで
しょうな。超馬鹿どもの椅子争いを苦笑して見ながら。
映画用に煽って書けば、望めばいつでも王になれた天才同士の戦い。
白は信じてくれた人の遺志を守る為に、黒は信じてくれてる仲間と
良識を守る為に戦った。同じ陣営に居れば尊敬し合える親友になれ
ただろうに。願わくば、パリピ孔明で出会えて、うまい酒を酌み交
わせることを祈る。養老の滝で。
白:塩だれ軟骨如何ですか?黒:うむ、いけるな。白:ちょっとした工夫で風味が全く異なってくる、料理って策と
似てますよね?黒:同感だ。・・・、なあ、何故こっちに来なかった?あんな山国じゃやりたいことが全くできない
なんて判りきってただろうが。白:確かに1/3も出来ませんでしたが、それでも一生懸命考えて、実行できましたから。
私は幸せでしたよ?そちらこそ色々大変そうに見えましたが。黒:まあな、でも勝ったのはうちだ。白:・・・周り
が私の言う事を全く判ってくれなくて、周りではなく、私が馬鹿なんだと思い始めたときに、あの方が来てくれまし
たからね。私が正しい事を証明して見せると言われた時、私の幸せは確定しましたよ。黒:・・・しまった、俺が行
くべきだったのか。白:私たちが組めば、長安ぐらい取れましたかね?黒:馬鹿め。政と智のお前、軍と謀の俺が組
めば長安どころでは・・・・、いや、良そう。確かに俺たちは力を出し切れて、幸せだったよな。白:・・・辛マヨ
ネーズだれ軟骨は如何です?黒:いや、それはちょっと。
諸葛亮に負けず劣らずの才能と実績を持つ司馬懿、諸葛亮の引き立てみたいな書かれ方することが多いけど、実は逆だったりするんですね。
今迄の三国志の英雄達、曹操や劉備とも引けを取らない英雄(もしくは梟雄?)であることは間違いないですね。
司馬懿には北伐を敢行できるほどのカリスマがないので個人の能力なら雲泥の差があると思いますよ
。対北伐軍の功績や手腕に限れば曹真にも及ばないと思ってるので演義補正抜きで考えたら昨今の司馬懿のゲームのステータスは高すぎです特に統率
曹操同様、司馬懿も自分自身は簒奪しなかった。
二人共、一般的には悪人と評されるが、実際はどうだったのでしょうね?
善悪は見る人によって変わるものですので、まぁ、難しいですよね
三国志演義とか劉備を主役になってるから敵の位置付けなだけで、一般的に悪人って評されてないだろww
歴史は勝者が作ります……つまり晋側の記録が三国志の原本。
晋が正統を主張するためにも魏が正統で無ければならなかった。
しかし、この後の歴史で蜀の株が上がるような出来事が……。
同じ時代の歴史でも中身がまるで違う事があるのが中国史の面白いところですよね(´・ω・`)
司馬仲達殿は孫子を知らなかったのでしょうか
評伝を読む限りではどうもそうであったように思われます
敵の隙を突くばかりでは武人としては役不足と言われても仕方ないとは言えると思われました
楽しい😃🎶話( *´д)/(´д`、)💦有り難う😉ございます🎵
勝者とは言ったものの、結局三国志で出てくる国はすぐ滅んでるからなぁ〜。
日本の偉人に当てはめると秀吉や斎藤道三とか、毛利元就になるのかな?
司馬懿は職務を遂行して、政敵の芽を摘んで地盤を固めたのに子孫がやらかしてしまった
司馬懿が一時間なら三国の君主と諸葛亮は更なる長編になりそう
このコメントで動画が1時間あることに気づいた
3代で食い潰すとは良く言ったものだなとは思います(´・ω・`)
司馬懿の直系だけ皇族なら八王の乱までは行かなかったとは思います。まぁ司馬炎の子供の数が多すぎる問題もありますが……
いつも楽しく拝見しています^ ^
長尺動画でしたが、1時間が短く感じられるほど面白かったです(*゚▽゚*)b
今回の考察で、司馬懿が自ら引退を考えていたとは、とても驚きました(゚o゚;;
今より寿命が短いぶん、ある程度安定した時点で、余生を穏やかに過ごしたいと思う気持ちも、きっとあったのかもしれませんね^ ^
曹叡より長く生きるとは、普通は思えませんからね。でも、それが成立してしまった。運命とはわからないものです(๑´•.̫ • `๑)
「英雄、振り返れば神仙」結構隠者志向だったのかも。仮病使ったり、ボケたふりとかも「このまま埋もれてもいいや」、なんて腹のくくりの上では?ただ周りが(敵も味方も)許してくれない。
曹氏政権を支えた曹操の辟召の朝廷高官らが最後に奮起したのが曹爽排除だったというところに何かを感じる…魏の歴代三公が司馬懿支持だし
どこかで曹氏に対しての不信感が生まれていたのかなぁ…
正直、曹爽は不自然なまでに焦りすぎているようにも見えますから、そのあたりで不満が爆発したのかも(´ . .̫ . `)
@@KOUMEI_NO_WANADA 個人的に魏朝の高官らは曹操-曹丕の継承時のゴタゴタに対して不満持っててとかは妄想してます…
司馬懿を評価、推挙した崔琰と楊俊は曹操、曹丕に処刑されているのがなんとも…
勝者は任城王の子供かもね
彰が幕僚に恵まれなかったのなら
それは朝廷全体の責任です
もう軍隊を率いることがかなわなくても仕方がない
三國志は名前が似ていて混乱する
長生きも芸のうち。いや最大の芸か。三国志世界のあの人この人が七十歳まで生きていたら...ねえ?
致命的なミスを犯さずに長生き、これが最強(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA 「知力体力時の運」ですね。
当時人生50年と言われてますし、今の感覚だと耄碌せずに110歳まで頑張ったって事だよなぁ(;・ω・)
カエサルみたい
三國志は名士の権力争い。
晋から隋の前まで、中国は、混沌の時代が続き、魏志倭人伝以降の日本に関する、これと言った記録が無い。皇室に成立もはっきりしない。誠に残念。
司馬懿はどうしても敵役になりますね
曹操好きとしては苦々しい思いもあるものの、司馬懿の有能さは否定できない。
持ち上げられた面もあるだろうけど、それこそ諸葛亮ほどじゃないだろう。
後漢が滅んでから戦国時代なので
臣下の中には大望を抱く(皇帝になる)ものが常に出てくる
宣王?宣帝、?
そんな司馬懿もまさか代々優秀な人間をだしてきた司馬家が孫以下の代で中華の歴史上一番といってもいい醜い争いをするとは思わなかっただろうなw
司馬師と夏侯徽が結婚したことで、司馬懿が準皇族とも言える立場になったことが一番大きい。
実際には...漢末から魏晋まで、朝廷の圧倒的大部分の官職と社会地位を独占し,家臣、部下、門徒が天下に及んだ颍川陳氏、颍川鐘氏、颍川荀氏、弘農楊氏、平陽賈氏、東海王氏、琅琊王氏はスぺで河内司馬氏と結婚関係にあり...曹魏時代にはほとんど司馬懿父子の党羽と親戚となった。三国時代の上記のいくつかの姓の人は、琊琊諸葛氏を含め、ほとんどの人が名門氏族出身だったが、しかし三国誌ゲームのテキストでは汝南袁氏出身の袁紹袁術だけがわざと自分の出身を誇示していた......彼らは漢末、三国、両晋時代に巨大な私兵(部曲)を持っていた,朝廷の官職は基本的にこれらの家族の子弟を選ぶだけだ,地方郡県の役人は基本的に彼らの学生と家臣である。そのため晋王朝の社会はひどく不公平で、「上品無寒門,下品無世族」(上品官には寒門や庶民の子弟がなく、下品には世家大族の子弟がいない)。
公孫淵謎だよな
爪を隠し続けて最後には勝者になる異端の天才司馬懿
ですがその偉大な足跡も後がゴタゴタで可哀想でもありましたね
司馬炎...あんたイージーモード過ぎるよ
父と祖父がラスボスまで進めて残りの体力1ミリって所で司馬炎にバトンタッチ
だからこそ司馬炎も不出来な息子のために、皇族や外戚の力をマシマシにして、息子の周りを固めた結果…(
国を守る為に、動き続けたら、
こうなった感しか無い🤭
軍事政治を冷静過ぎるぐらいに、
見れる英雄ですね🤔
孫以降はしらんけど(^^)
儒学学閥vs実務家と言う底流がとても重要だとわかりました。
戦乱の時代であれば有能な実務家が輩出されますが、組織が巨大化してくると、結局学問に秀でた者たちの行政手腕、戦略学が大きな比重を占めてしまう。
儒学が中華に於いて唯一の大学研究機関という現状の限界や危険性を、傑出した実務家であり学者であった曹操なればこそ、実学双方の頂点として両者に君臨し、理解し変えることが出来たのだが、曹丕、曹叡とも傑出した実務家であっても学問の頂点ではなかった。
曹氏は曹操の志を遂げることは出来ず、殊に諸葛亮というコレまた傑出した戦略家(彼もまた学閥のでなわけですが)を相手するために、学閥のもたらす優れた人材と行政機構、戦略学に頼るしか無かった、と言うところでしょうか。
後年、中華王朝が巨大な生産力を持ちながら、しばしば超人的君主による才能の虐殺を繰り返し、引き継いだ行政機関が発展の一定のラインを超えることなく自壊する事を繰り返したのは、この学術機関の偏りが大きな要因になっていたと思えてなりません。
曹操こそが最大のターニングポイントであった、あるいは、すでに彼の時点で1代では変えることが出来ないほどこの方向が定まっていたのかもしれない、孫権などの英傑が晩年おかしくなってしまうのも、自分達の作った時代が結局儒教学閥の作る世界を超えることが出来ない、自分達にはその力がない、それを悟って自暴自棄に陥ってしまったのか…などと思いました。
曹操様がここまで魏を大きくしたのに、横取りした司馬懿はどうしても好きになれない。
いちじかん?
大変でした(๑´•.̫ • `๑)
私から見たら、こー名こそラスボスだ
何故ならば、私は足の裏が白いままの歴史の勝者であるからだ
by 歴史の勝者チュー建