カラーで蘇る昭和30年代の秋田県(佐々木直亮)
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- Опубликовано: 13 окт 2024
- このスライドショーは、佐々木直亮弘前大学医学部教授が、衛生学者として弘大に赴任して、昭和30年初期から数十年撮りためた白黒写真群から、秋田県内の写真を選びました。
秋田大学に医学部ができるのは、昭和45(1970)年4月です。これ以前、秋田県内の保健婦さんからの依頼がきっかけで、秋田市や旧西目村などに大学の夏季休暇や冬季休暇を活用して、健康診断などにでかけていたようです。
今回使用した写真は、ほとんどがその機会に撮影されたものと思われます。半世紀以上前の秋田県民の暮らしを伝える貴重な写真群です。
使用したデジタルデータは、佐々木悦さんから提供していただきました。記して、感謝申し上げます。
なお、今回のカラー化は、人工知能を利用したものであり、色の再現性については担保されていませんので、ご了承下さい。
この時私の祖父は角館で20歳の時を過ごしていました。
今年でその祖父も89歳。
施設にいてなかなか会えないけど会いたいなぁ。
素晴らしい動画です
秋田県秋田市の29歳です
俺が生まれたときは平成でしたがその一つ前の時代は戦争してましたが復興も形になってますね
いい動画です
戦後生まれの私はこの時代 育ち盛りの十代でした。大家族でした。親、祖父母が体にムチ打って過酷な労働に励みながら
農業に勤しむ時代でした。なんと素晴らしい映像でしょう。涙があふれてきます。決して忘れません ありがとう。
なんと貴重な動画でしょうか 感動しました ありがとうございました
この風景こそが 何千年も続けてきたmade in japan
わずか50年程の期間でこの日本も終わった
この笑顔 この風景は もう見る事はできません
私の故郷ですね。貴重な映像ありがとうございます。
豊かさ=幸福ではないことがよく伝わりました。現代ほどの便利さは無いでしょうが、それでも人々はよりよい生活・未来を夢見て頑張ってた。
調べ物があり、秋田の古い時期の新聞をマイクロフィルムで見ていますが、当時このような風景だったのですね。
鮮明なカラー映像に直して頂いてありがとうございます。
明日、秋田出身の義父にこの映像を見せてあげます😊
私は昭和28年鷹ノ巣駅前で生まれましたがこの木造駅舎は記憶にないので仮に30年代としてもかなり前半ですね,も含めupされた写真は薄っぺらで均一文化が長年培って来た人々の営みを瞬時に消滅させた高度経済成長前の貴重な記録です,デジタル処理カラー化は記憶の修正書き換えされやすいので個人的には反対です
私も鷹ノ巣町で生まれた者です。遠く離れてずいぶん過ぎました帰るたびに街が寂しくなるのが切ないです😌
鎌倉市大船に会社の寮があって、休みの日は数ヶ月に一度有楽町や渋谷に遊びに見て回るだけ当時給料安くて!
今は福岡県に生まれ故郷です。
残念なのは大船に居る時に東北地方に旅行に行ってみたいと此の年になあって思ってます。
🤩🤩🤩🤩🤩🤩