教科書にはない神話から紐解く古代日本の姿|小名木善行

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  • Опубликовано: 19 окт 2024
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    #古代#日本#古事記

Комментарии • 61

  • @天木佐久
    @天木佐久 2 года назад +11

    歴史事実を結びて、
    真実の歴史を大いに学ぶ
    明日が楽しみです❗️

  • @松浦武-l3z
    @松浦武-l3z 2 года назад +2

    小名木先生❗。
    いつも素晴らしい講義をありがとうございます。
    日本の素晴らしい仕組みに心が揺れました。
    敗戦で奪われた教えを取り戻し真の日本復活を目指しこれからも私達をご指導して下さい。

  • @kojiroyamada88
    @kojiroyamada88 2 года назад +12

    小名木先生、毎日観ています。気付いていなかった世界に誘(いざな)って頂いたことに感謝申し上げます。
    私は、持統天皇の「春過ぎて」の歌がとても好きです。
    読む人の想像力で描かれる事柄はそれぞれ違っていても、
    この歌から伝わってくる清々しさは、心あるみなさんの中では、同じなのではないでしょうか。
    描かれた事柄について、私は異なる解釈をしていますが、小名木先生もこの歌から清々しさを感じていらっしゃることに心を強くしました。
    西洋的な解釈で恐縮ですが、芸術を通じて作者と心を一つにすることができ、描かれた事柄は分からなくても、それを見た持統天皇のお気持ちは共にすることができるのでは...?
    和歌という芸術は、小名木先生の仰るタイムマシーンの一つではないかと、私は思っています。

  • @nichihon
    @nichihon 2 года назад +4

    日本人は明治開国から毎日、心は泣いているのではないでしょうか

  • @玉櫛碧
    @玉櫛碧 2 года назад +10

    「おかくれになる」は止んごとなき方が身罷られる表現ということを聞いたことがあります。浅慮ですが、天照大神様の職にあられた方がお亡くなりになり事態が沈静化してから次の天照大神様が受け継ぐ儀式が行われた…という歴史的なイベントを暗示しているのかもしれませんね。「一隅を照らす」とても大切な言葉です。今、自らの身の回りのこと目の前のことに真摯に取り組むことが何より大事ということを再確認できました。教えていただきありがとうございます。感謝してます。

  • @ふわふわ-z8e
    @ふわふわ-z8e 2 года назад +3

    今日のお話を拝聴しまして、置かれた場所で咲く。
    と言うことを大変意識します。
    生きるヒントをありがとうございます😊

  • @玉櫛碧
    @玉櫛碧 2 года назад +7

    (1/16)小名木先生、お誕生日おめでとうございます。

  • @okunobuyuki8796
    @okunobuyuki8796 2 года назад +20

    私も話の根拠が正しいかどうかはあまり重要視していません。大事なのはその解釈によってやる気が出るか、幸せになれるかだと思います。

  • @james-ij4uv
    @james-ij4uv 2 года назад +3

    小名木さん誕生日おめでとうございます。🎌

  • @敦嶋
    @敦嶋 2 года назад +9

    素晴らしいお話し有難う御座います
    ここで学びたいと思うキッカケを頂き、学ぶ楽しさを実感しています
    しょうかんいちぐうは教育勅語とも繋がりを感じました それぞれの場所で勇気を持って励む大切さといいましょうか、素晴らしいなあと思います これからも日本について学びを深め己の意見を持ち行動に移し研鑽してまいりたいと思います

  • @sunsun2181
    @sunsun2181 2 года назад +5

    「庶民の日本史」買いました。これから、読みます。楽しみです。

  • @りゅうちゃん5609
    @りゅうちゃん5609 2 года назад +36

    名のある先生の解釈より大名木さんの解釈が素晴らしいと思います。
    解釈の仕方に人間性がでますね。

  • @38chikuwabu
    @38chikuwabu Год назад

    現代の離婚、どちらが言い出したかは正確には把握することは無理だが推測する手段はある。裁判判例と離婚調停や弁護士会などへの法律相談の状況で推測は可能かと思うが、調べるのは個人情報の関係もあり難しいような気もするが、裁判判例などは調べる気になれば可能なものもあると推察する。正確な実態にはならないけどね。
     話変われけど、持統天皇の洗濯の話小名木先生の解釈が正しいでしょ。思わず、その話に涙ぐんでしまいましたよ。

  • @さかた-c9k
    @さかた-c9k 2 года назад +2

    このレベルが無料で視聴できることに感謝

  • @cafeBramaSole
    @cafeBramaSole 2 года назад

    小名木先生どうも有難うございます!!やっと長年の疑問から解放されました!!
    誓約の後になぜ 須佐之男命はあそこまでする必要があったのかしら、、と心の奥でずっと首を傾げておりました。
    今、感動で 背筋に日の光がすっと走り抜けた気が致します。
    改めてこの国に生まれたことを誇らしく思えました。
    日本人として恥ずかしくないよう生きていきたいと思います。

  • @ネコクミ-s6r
    @ネコクミ-s6r 2 года назад +4

    今日お誕生日なんですね!おめでとうございます㊗️
    立場がどんな人でどんな解釈をしたのしても
    それが正しいとは限らないですよね。
    パソコンが生まれてある世代と途中から出てきた世代では
    受け取り方も考え方も違うと思うことをつくづく思います。
    ソースは?と言うとはネット民ならではかと思いました。
    玉石混交の情報の海に居た人間は全てが正しいとは限らない、
    と思うことが多いからではないかと思っています。
    知識は多いけど、常識知らない子供のような大人が増えているとも思います

  • @powerspot-shrine
    @powerspot-shrine 2 года назад +18

    1/16小名木さんお誕生日おめでとうございます♪
    これからも日本の為、素晴らしい講義を続けて日本人の心を目覚ませてください♪
    絶対的に応援してます!

  • @malkotoisu9730
    @malkotoisu9730 2 года назад +8

    里中満智子先生も怒ってたなあ。持統天皇が悪く言われているが、こんな素晴らしい歌を詠める人が愚かな人とは思えないと言って。

  • @Don-braco
    @Don-braco 2 года назад +8

    いつもありがとうございます。日本人と大麻の歴史、文化伝統について聞いてみたいです。マリファナのせいで悪い印象ばかり伝えられ、失われつつある文化だと思います。神道と大麻、そして日本人の話です。関係ないリクエストで申し訳ありません。

  • @髙橋な洋三
    @髙橋な洋三 2 года назад

    OKです

  • @kohi1015
    @kohi1015 2 года назад +1

    アラビア世界のスルタンカリフ制などはシラスに近いように感じるのですがどうでしょう?
    また西洋の中でも最近の英王室などはシラスではないにしろ西洋の中では独特に感じますがどう解釈されてますかね?

  • @高瀬めんめんコロ
    @高瀬めんめんコロ 2 года назад +1

    明日、用事がありセミナーを見ることができませんが,後日ビデオなどで放映されることはありますか

  • @鹿野裕昭
    @鹿野裕昭 2 года назад +2

    家格の違いは解りませんが妻から離縁を申し出られた口です❗丁度社会に疑問を持ち出した辺りですから結果的には良かったのかも知れませんが‼️少なくとも日本と世界のシステムを理解してなかった頃ですからあのまま婚姻を続けていたらどうなっていたんでしょうか?少しぞっとしますが⁉️小名木先生を含め日本を護ろうとする志士が多数いらっしゃる事を実感する様に成りました、、、、🐒自身応じた出来る事をやる日本の清廉を理解して😁持統天皇も其れ成りの危機を解決した時代ですから🎵

  • @とほかみえみため山下白雨-h5g

    シラスとウシハクー1
    ※憲法草案作成の前後、明治19年(1886年)末から明治20年(1887年)初めにかけて、小中村義象を随伴して相模・房総を訪ねた際、鹿野山登山中に小中村の示唆から『古事記』における「シラス」と「ウシハク」の区別に着目、後に「シラス」の統治理念を研究する。草案は井上のこの閃きで「日本天皇ハ万世一系ノ天皇ノ治(しら)ス所ナリ」と書かれたが、本文で改められて「治ス」が「統治ス」に変化、憲法第1条に記された[6]。
    井上 毅(いのうえ こわし、天保14年12月18日(1844年2月6日) - 明治28年(1895年)3月17日)は、日本の官僚、政治家である[1]。子爵。法制局長官、文部大臣などを歴任する。同時代の政治家・井上馨とは血縁関係は無い。元熊本藩士。
    概説
    肥後国熊本藩家老・長岡是容(監物)の家臣・飯田家に生まれ井上茂三郎の養子になる。必由堂、藩校時習館で学び、江戸や長崎へ遊学。明治維新後は大学南校で学び明治政府の司法省に仕官、1年かけた西欧視察におもむく。帰国後に大久保利通に登用され、その死後は岩倉具視に重用される。明治十四年の政変では岩倉具視、伊藤博文派に属する。
    安定政権を作れる政府与党が出来る環境にない現在の日本で議院内閣制を導入することの不可を説いて、ドイツ式の国家体制樹立を説き、国学等にも通じ、伊藤と共に大日本帝国憲法や皇室典範、教育勅語、軍人勅諭などの起草に参加した。法制局長官、枢密顧問官、第2次伊藤内閣の文部大臣を歴任。
    明治19年(1886年)5月に伊藤の呼びかけで憲法に着手、翌明治20年(1887年)5月に憲法草案に甲案・乙案を伊藤へ提出、ロエスレルも伊藤に出した草案を参考にして憲法作成は始動した。同年6月から8月にかけて夏島(現在の神奈川県横須賀市)にあった伊藤の別荘で作業を行い、伊東・金子も交えて4人で討論しながら草案完成に向けて全力を尽くし、10月に高輪(現在の東京都港区)の伊藤の屋敷に移り重ねて議論、明治21年(1888年)4月27日に草案が完成、3日後の30日に伊藤は首相を辞任、代わりに憲法審議機関として枢密院を創設し、自身は議長として引き続き憲法作成に取り掛かった。井上ら3名も枢密院書記官として伊藤の側に仕えて憲法審議に参加(井上のみ書記官長に就任、法制局長官も兼ねる)、顧問官に任命された政治家達と議論を尽くした末、明治22年(1889年)2月11日に大日本帝国憲法は公布された。
    憲法草案作成の前後、明治19年(1886年)末から明治20年(1887年)初めにかけて、小中村義象を随伴して相模・房総を訪ねた際、鹿野山登山中に小中村の示唆から『古事記』における「シラス」と「ウシハク」の区別に着目、後に「シラス」の統治理念を研究する。草案は井上のこの閃きで「日本天皇ハ万世一系ノ天皇ノ治(しら)ス所ナリ」と書かれたが、本文で改められて「治ス」が「統治ス」に変化、憲法第1条に記された[6]。
    ・うし【大=人】
    ※神道研究者の大宮司朗氏の書籍には、先達の本居宣長、平田篤胤、友清歓真 、川面凡児等々の先達を大人と書いて「うし」とルビを振ってある。
    ※あるいは伊勢講、富士講、等々の神人を御師という例が見られるので、あるいは、派生的影響があるか?
    1 学者や師匠を敬っていう語。先生。たいじん。「県居(あがたい)の大人(=賀茂真淵)」「与謝野の大人(=与謝野鉄幹)」
    2 領主、また、主人や貴人の尊称。
    「瑞歯別皇子(みつはわけのすめみこ)、太子に啓して曰く、-何ぞ憂ふること甚しき」〈履中紀〉
    ・は・く【×穿く/履く/×佩く/▽帯く】
    ※この場合、帯びるの要素であろう。民を自らの物の如く帯びることにより、撫育教導する意図があったと思われる。古事記には素戔嗚が佩帯する剣を叙述する記載がある。
    【一】[動カ五(四)]
    1 (穿く)衣服などを、足先から通して下半身につける。「ズボンを-・く」「袴(はかま)を-・く」
    2 (履く)履物を足につける。「靴を-・く」「たびを-・く」
    3 (佩く・帯く)刀・矢などを腰につける。身に帯びる。「太刀を-・く」
    [可能] はける

  • @とほかみえみため美濃養老滝

    小名木氏の中国の政について指摘しているのは下記である。
    ・天人相関説(てんじんそうかんせつ)
    儒教で主張される教義の一で、天と人とに密接な関係があり、相互に影響を与えあっているという思想。天人感応説とも言う。董仲舒 (紀元前176年? - 紀元前104年?))
    前漢の儒学者、董仲舒は『春秋繁露[1]』で森羅万象と人の営みには密接な関係があると説き、それを1年の月数は人体の12節に、五行は五臓に、昼夜は覚醒と睡眠に対応すると論じた。天文で人の運命を読むのも即ち天人が相関関係にあるがゆえであり、帰する所、人体は全宇宙の縮図にして小宇宙であると説いた。天子が行う政治も天と不可分のものであり、官制や賞罰も天に則って行うべきであるという。孫子、鬼谷子、八陣図、八卦、方位、等々五行説によって整理づけられる。当然、国家や君主にも五行が配当され、相剋相生の理が転用される。
    ・天帝
    ・天帝(てんてい、拼音: tian di)、上帝(じょうてい、拼音: shang di)は、中国における天上の最高神を意味する語[1][2]。天地・宇宙・万物を支配する神、造物主(古代中国)。
    神、ヤハウェ(キリスト教)。帝釈天(仏教)。
    古代中国より天子は天帝を祀ることを義務(天義)とされた。これらは歴代の王朝に受け継がれている。商(殷)の甲骨文に上帝の名でこのことが書かれている。ただし、当時天帝を祀ることは天子にしか出来ないことで、これを天子の天権といった。一般の民が太上老君(老子)や黄帝を祀ると、それが道教の基盤になる。周の時代で天命・革命の概念と結びつく。
    ・上帝
    じょう‐てい ジャウ‥【上帝】
    (「しょうてい」とも)
    [1] 天上にある、万物の主宰者。天の神。天帝。また、地上の主宰者である天子をいう。
    ※家伝(760頃)上「帝臨私第、親問所患、請命上帝、求効翌日、而誓願无レ徴、病患彌重」 〔易経‐鼎卦〕 キリスト教での天地創造の唯一絶対の神。上天皇帝。天主。造物主。ヤハウェ。造化。尚、易経の成立は周の文王にさかのぼるが、上帝、天帝という呼称は古代の三皇五帝の時より呼称であろう。
    ・炎帝神農氏
    神農は初代炎帝ともされる。初代炎帝は、古代中国の王で、姓は姜。120歳まで生き、長沙に葬られたといわれている。もしくは陳に置いていた都を魯に移し、140年間在位したとも伝えられている[9]。『帝王世紀』には五弦の琴を発明し、また伏羲の作った八卦を2段に重ね、さらに研究して8x8の六十四の卦を作ったとある[6]。神農の末裔たち炎帝神農氏は黄帝との衝突ののち合併・融合した。この子孫が後の漢族とみなされている。西晋代に至ると西周以前に漢水流域に居住していた農耕部族の歴山氏と同一視されるようになった。
    ・封禅(ほうぜん)
    帝王が天と地に王の即位を知らせ、天下が泰平であることを感謝する儀式である。始皇帝以前には72人の帝王がこの儀式を行ったと『史記』には伝えられている。その歴史は三皇五帝によって執り行われたのを最初としているが、伝説の時代であるため詳細は不明である。始皇帝以後では、前漢の武帝や北宋の真宗など十数人が、この儀式を行ったと伝えられている。
    ・泰山(たいざん)
    中華人民共和国山東省泰安市にある山。高さは1,545m(最高峰は玉皇頂と呼ばれる)。封禅の儀式が行われる山として名高い。 道教の聖地である五つの山(=五岳)のひとつ
    ・周易(しゅうえき)は易経に記された、爻辞、卦辞、卦画に基づいた占術である。「易」の意味は、変化、蜥蜴、日月、など、昔から諸説ある。易経は、周王朝時代に成立し、周文王の作とされている。
    ・『易経』(えききょう、正字体:易經、拼音: Yì Jīng)は、古代中国の書物。著者は伏羲とされている[1]。商の時代から蓄積された卜辞(ぼくじ)を集大成したものとして易経は成立した。 『卜』(ぼく)が動物である亀の甲羅や牛や鹿の肩甲骨に入ったヒビの形から占うものであるのに対して、『筮』(めどき/めどぎ)は植物である『蓍[2]』(シ、めどぎ)の茎の本数を用いた占いである。 現代では、哲学書としての易経と占術のテキストとしての易経が、一部重なりながらも別のものとなっている。中心思想は、陰陽二つの元素の対立と統合により、森羅万象の変化法則を説く。
    ・かと-らくしょ【河図洛書】
    中国古代伝説上の図や文字の「河図」「洛書」。▽「河図」は伏羲ふっきの世に、黄河から現れた竜馬の背のうず巻いた毛の形を写したという図のこと。易えきの八卦はっかの基になったとされる。「洛書」は夏の禹王うおうが洪水を治めたとき、洛水らくすいという川から現れた神亀の背の文字を写したとされる図。『書経しょきょう』洪範篇こうはんへんのもとになったとされる。転じて、得ることが難しい図書のたとえともなる。「河」は黄河、「洛」は洛水という川。河図が先天八卦。洛書が後天八卦の元となる。
    ・先天八卦
    北宋の儒学者邵雍が考えた易卦の生変に関する学説にもとづく次序や方位によって八卦および六十四卦を配した図である。邵雍はこの図の原作者を天地自然に象って八卦を創り出した伏羲とし、それを復元したと考えた。
    ・後天八卦
    八卦が本来ある場所を示したもの。後天八卦は周の文王が配置したといわれている。先天八卦と後天八卦とがあり、後天八卦では、乾は北西、兌は西、離は南、震は東、巽は南東、坎は北、艮は北東、坤は南西に配置される。
    ・玉皇大帝(ぎょくこうたいてい)[1]、あるいは玉皇[1](ぎょくこう[1]、拼音: Yù Huáng、Jade Emperor)、玉帝[1](ぎょくてい)は、中国道教における事実上の最高神で、天界または宇宙の支配者であり、その下の地上・地底に住むあらゆるものの支配者でもある[1]。現在も庶民から篤く崇拝されており、民間信仰や、東南アジアなどの華僑の間では最高神として扱われる。略さない形の名称は高上玉皇大帝(こうじょうぎょくこうたいてい)[1]。他に昊天金闕至尊玉皇上帝(こうてんきんけつしそんぎょくこうじょうてい)、玉皇上帝(ぎょくこうじょうてい)、天公(てんこう)などと呼ばれる。
    ・元始天尊(げんしてんそん)とは、「太元」を神格化した道教神学中の最高神。また、霊宝天尊(太上道君)、道徳天尊(太上老君)と並ぶ三清の一柱。古名は元始天王で、太上三天正法経などでは九天真王と共に世界を作った道教の最高神とされる。これは中国の創世神話に登場する原初の神盤古が元になっているとされる。
    ・太上老君(たいじょうろうくん、だじょうろうくん)
    道教の神の一人。別名道徳天尊(どうとくてんそん)、混元老君(こんげんろうくん)、降生天尊(ごうせいてんそん、こうせいてんそん)、太清大帝(たいせいたいてい)とも言う。
    ・女媧(じょか、拼音: Nüwa)は、古代中国神話に登場する人類を創造したとされる女神。三皇の一人に挙げる説がある。姓は風(中国語版)、伏羲とは兄妹または夫婦とされている。
    ・盤古(ばんこ)は中国神話の神で、天地開闢の創世神とされる。道教に組み込まれて以後は、盤古真人・元始天王とも称される。古代中国における世界起源神話の一つであり、古典籍および民間伝承にその神話伝説を見ることが出来る。

  • @rednefut
    @rednefut 2 года назад +2

    なぜ天皇皇后両陛下が大災害のとき被災者の元を訪れてお力づけになられるのかが、
    シラス統治を知っていると解ります
    このことを中学校の社会で教えるだけで教育が変わる
    問題は、このことを教える教師が素直に教えるかどうかということだけど

  • @schu282
    @schu282 2 года назад +2

    学者の先生方の解釈などが違うこともあり得ると思っています。
    例えば「漢委奴国王」。この「委」を「ワ」とは絶対に読めないと思います。
    3年生で習う「委員会」の「イ」です。
    「漢」の字も彫れているのだから、にんべんを彫らなかったという説も変だと思っています。

  • @satoshionoe2539
    @satoshionoe2539 2 года назад

    シラスの形はちょっとじゃんけんみたいですね。

  • @js9008
    @js9008 2 года назад +3

    照于一隅大変有難い話でした。とっても素敵で感動しました。しかし民主主義の皮を被る共産主義が勝ちを奪うパワーは其れを待ってはくれないのでしょう。私にはマルクスの資本主義のイデオロギーによって道徳を破壊し、レーニンの組織力により大衆の手足を奪うやり方は、5%の組織で90%の統率が取れることを目の当たりにし、今苦しんでいる大御宝を救う術は、ハワイ王朝の様に呑まれる他無いのかとさえ思えます。そして大きな時の流れのうちに人は元へ帰っていくのでしょう。全ての事象は波と結びですから

  • @馬畠三十郎
    @馬畠三十郎 2 года назад +2

    「佩く」のは太刀ではないですか?
    刀と太刀は違うものだと思います。

  • @gufugamls2268
    @gufugamls2268 2 года назад

    誰がそんな歌に感銘を受けるんだw
    まじか~、そんなにレベル低かったのか・・・・ ( ゚Д゚)

  • @Om-ve8ls
    @Om-ve8ls 2 года назад

    古事記 、日本書記 は、全くの
    偽書です。
    原田 常治 氏 の
    【古代日本正史】が最も良いと思います。

  • @user-jyanome-daisuki
    @user-jyanome-daisuki 2 года назад

    前置き20分は、長いですよ。分かってますから今後は、カットしてね。古事記は、神話で有難いのですが、その解説は、有難くも非現実的で心に届きません。この神話から類推される先生の推論をお聞かせいただきたいものです。

  • @쿠키먹자-d1h
    @쿠키먹자-d1h 2 года назад +2

    흔들으라이기야
    대일본제국만세
    일왕천황폐하만세

  • @tao-ur5pn
    @tao-ur5pn 2 года назад +1

    事実認定と解釈とは分けて考えるべきで、事実認定は確度高くやらないと、どんな優れた解釈も空理空論になる。
    小名木さんの話に、「ホントかしらん」と思うのは、解釈部分ではなく、事実認定の話。
    持統天皇の歌の解釈などは、100%解釈の話であって、議論のすり替えと言われても仕方ない。
    データなく推論に推論で話を展開させてゆくなら、「〇〇の事実に基づいてこう推論する事が妥当だ」と根拠となる事実に着地してくれないと、どこまでが事実でどこからが推論なのか分からなくなってしまう。
    小名木さんの話芸を楽しむだけなら問題ないけど、自分で勉強を進めたり、他人に話したりする時に、困る事になる。

  • @とほかみえみため山下白雨-h5g

    シラスとウシハクー3
    「ウシハク」とは?
    では、「ウシハク」とはどのような意味なのでしょうか?
    先ほどと同じように、「ウシハク」という言葉に漢字をあててみましょう。
    領く
    主はく
    1番目の「領く」は、領有するという意味で、自分のものとして支配をするということです。
    2番目の「主はく」の「主」という字を訓読みでは「あるじ」とも読みますが、主として支配するということです。
    つまり、
    「ウシハク」という国の治め方とは、主として土地や人民を領有するという意味なのです。そこには、力や財力を用いて力を背景にした支配を展開することが想定された概念。
    だということです。
    「シラス」と「ウシハク」という国を治める2つの方法の比較
    シラス(知らす・治らす・添らす) ウシハク(領はく・主はく)
    定義 国の様子を知り、国民に寄り添い、世が治まることを願い祈る。 主として土地や人民を領有する。
    力や財力の
    利用 権力や財力ではなく、
    「在り方」を体現することで影響を及ぼす。 力や財力を用いて、
    力を背景にした支配を展開することが想定されている。
    日本の統治の仕組み
    最後に、日本は天孫降臨の神勅を経て神武天皇が肇国(ちょうこく)された結果、どのような統治形態を取ったのかを見ていきましょう。今までの話のまとめになります。
    権力者と国民の間には「ウシハク」の関係があります。力や財力がなければ秩序を保つことはできないし、経済活動もできません。人々の暮らしは守れません。しかし、この関係だけだと権力者は私利私欲の政治を行ってしまいます。
    ところが、「天孫降臨の神勅(日本書紀では「天壌無窮の神勅」)」により、「シラス」存在として邇邇芸命さらにそこからつながる天皇が存在します。天皇は国民のために祈りを捧げてくださっています。我々国民を大御宝(おおみたから)と思ってくださっています。その御心に少しでも応えるために、天皇から任命された権力を持っている人が政治を行い、国民も天皇のことを尊敬する。これが日本の姿です。これを君民共治(くんみんきょうち)と言います。
    神々の総意により伊耶那岐神(いざなぎのみこと)と伊耶那美神(いざなみのみこと)が国作りを行い、伊耶那岐神(いざなぎのみこと)から天照大御神(あまてらすおおみかみ)が成り、大国主神(おおくにぬしのかみ)に自分が「ウシハク」存在であることを分からせて、その後に邇邇芸命(ににぎのみこと)が「天孫降臨の神勅(日本書紀では「天壌無窮の神勅」)」により天孫降臨をし、その直系の神武天皇が天皇の位に就くプロセスを説明することで、天皇がどんな背景を持って日本にいらっしゃるのかを説明しているのが「古事記」という日本最古の歴史書なのです。

  • @一文字屋広宣
    @一文字屋広宣 2 года назад

    真面目にやられている「ゆっくり動画」の方が比較にならないほどレベルが高いですよ? 霊夢や魔理沙に弟子入りされた方が良いと思います。
    例えば、【天岩戸神話】に関してですが、物語創りの手法をご存知ないんですかね? あれは、『合議制絶対主義』と言う主題のために作られた物語であり、天照大御神はそのための道具にしか過ぎません。だから、用済みになったのでその後には全く出て来ないんです。
    つまりは、みんなで決めた事には『天皇でも逆らう事は絶対に許されない』と言う事です。だから、承久の変では後鳥羽上皇を「島流し」に出来ましたし、事もあろうに皇軍兵士が天皇に逆らう2・26事件も起きました。昭和天皇が、「日本には民主主義が昔からあった」と言ったのもそのためでしょう。
    日本では、天皇の上に民衆の無意識が『絶対の王』として君臨しています。その無意識を代弁する存在としてのみ天皇は国民に支えられており、その実務代行者である為政者に天皇が逆らうのは間違いなく『滅びの道』です。自分を信奉してくれていた足利尊氏すら認めようとせず、ぐだぐたと戦い続けて近世の到来を大幅に遅らせた後醍醐はその代表格でしょうね。

  • @usagitan7
    @usagitan7 2 года назад

    中華型は「天帝」の下部に「皇帝」があるのではありませんね。殷代は祖先神である「上帝」の下部に殷族の首長がいました。周以降は「上天」の下部に「皇帝」がいます。中国人が「天帝」の概念を持ち出したのは、太平天国の時です。ただし、正式名称は殷王朝で用いられた「上帝」を代用しています。詳しくは浅野裕一(東北大学名誉教授)の『古代中国の宇宙論』(2006年岩波書店)を参照して下さい。とにかく、講師の先生は専門外のことを知ったかぶって話すところがあります。一生懸命やっていますが残念です。

  • @さだあ-b8p
    @さだあ-b8p 2 года назад +1

    統計がないのにてきとうに言うって