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誰も助けてくれなかった姉弟 救いきったのは凄い。
思い出すのは、昭和50年代に幼馴染が母子家庭で、繊維工場に住み込みでした。住居はプレハブ小屋で夏冬は辛かったと想像できます。小学校に上がる時に母子は引越し、以来会っていませんが後年、大学生になったと聞き、あの環境からグレず、這い上がった彼を想うと目が潤みました。
今みたいにホイホイ大学に行ける時代じゃなかったしねすごい努力したんだろうなぁ
こういう話、珍しくなかった。最初の動機はどうあれ関わったヤクザもんにしたってその子達がちゃんとなってくれりゃ嬉しいし図らずも任侠しちゃった気分だし。昔、マンモスうれぴ~とか言ってた子もそんな類いのところから出てきた子だった。娘のためにお父さんもすっぱり足を洗って、それを、『頑張りやい』と何の咎めもなしに送り出した親分の男心。菱形直参のその親分も一人娘をもつ父親だった。嗚呼、今は昔の話。
今回は姐さんのおかげで助かった話でしたwちょっと隙を見せると「悪魔」になりかける若頭でしたww
これが本当のアウトローだよ。良くはないけども、暮らせない人を受け入れる度量。
北海道帯広市自由が丘住んで居る合牛義之嘘ばかつくなよ。北海道帯広市自由が丘住んで居る合志義之旭川旭導会嘘ばかつくなよ。泥棒やろ
@@五明政彦 それは赤だしなの?
これもし「お役所」連中に投げてたら絶対ロクなことにならなかったでしょうね。倒れたホームレスのお婆さんに生米の袋乗せて死ぬまでじっと見てることが正しいと思っている連中だし。
30数年前ぐらいだと、まだ街中のラーメン屋とかでなら、夜逃げしてきたような身元不明な2人連れとかでも、住み込みで雇い入れたりしてたよなぁ男なら、川崎とかの港湾施設の仕事とか、早朝に新宿区の高田馬場の線路沿いの公園とかで日雇いを募るワンボックスカーがずらりと並んでて、身分証明もなにもなくても見た目が健康そうなら即雇ってもらえたりもしたしさこういうのも現代では、手配師が関与するってことでダメなんだよね
西成ぐらいですかね?今は?
ブラックな会社や重搾取派遣は見ないフリで許容するくせに、おかしな社会になってしまいましたね。
今もそうだけど、結局行政や法では守り切れない人たちがいて、そういう人たちの受け皿としてグレーゾーンってのはやっぱ要るんだよ・・・正しさだけじゃ救えねぇんだよ。
本当、それは思います。世の中白か黒かじゃないんだよ。(==)政治家だってほとんど真っ黒だろうに。其の中からよりグレーな人を探すのがまた難しいんですよね。
若頭は良くも悪くも昭和の任侠者だったんだろうな
せっかく感動して、涙が溢れる寸前に「風呂、沈めちゃおうか」で一気に涙が引いてしまった。感動を返せ!w 結局笑い話になってしまったけれど、地域や任意団体が、子供を育てていた時代が、確かにあった。相互扶助、寄り合い、寄る辺、寄り親寄り子、結、地域の普請。子供だけじゃなく、もっと民草は親密で、支えあって生きていた。
「じゃあ、ここでヤクザでもやらせるのか?」って言うのは草w
昔はある意味はぐれもので助け合いができる社会構造だったけど、今は近所の付き合いも薄くなって自己防衛の社会になったのかな?良い悪いはともかく、その家族が今幸せに生活できているなら嬉しい
6:50いいことして照れちゃって、ちょっと悪ぶってバランスとりたかった。本心ではないと思いたい。
時代や法律が変わっても、仁義は大切。それが今や失われつつある。
若頭沈めるって(笑)若頭は妻の姐さんに弱いのかなw昔のバブルの頃のヤクザは色んな人の世話焼いたり役場とも交渉できる時代だったんすね〜
なんちゃらパークの橋の下…あそこも最近キレイになっちゃいましたね磨いたら光った女の子を「沈めちゃおうか」ってとこはさすがヤクザ
俺たちは天使じゃないを思いだした。手を出すと相手が依存してしまい、自立につながらないこともあるので、適切に対応した若頭と姐さん素晴らしいです。若頭だけだとどうなってたかわかりませんが。戦後の写真で、靴磨きをする少年達がいましたが、道具や場所を提供したりして、ヤクザが浮浪児を面倒見ていたのかな。売上金は取り上げていたでしょうが、ごはんと寝る場所が提供されれば、子供としてはあの当時はそれだけでもありがたかったかも。
30年以上前に亡くなった叔父がヤクザでした自分は まだ子供でしたが凄く優しい人でした本当はめちゃくちゃ悪かったんだろうけど
都会の方のなんとかパークのシンナー売り…昔はそういうのいましたねえ。もう少し後の時代だと、イラン人の変造テレカ売りがいっぱいいたような場所ですな。
そうですね。浮浪者では有りませんが、私の母(昭和20年生まれ)は地方の生まれで近辺では働き口が無く、時代も「中卒は金の卵」と言われていた世代の最中で、中学を卒業し、単身東京に出て、働き、結婚するまでは実家に仕送りをしていたと昔話していた事を思い出しました。私の世代でも、早い内からその道を極めるんだと中卒で住み込みで料理屋さんに就職してなんて話をよく耳にしました。そんな光景を見聞きしたりしてきた所為か、はたまた親の教育の所為か、最近の中高生がとても幼く見えてしまいます。(私の場合、兄がリアルビーバップハイスクール世代だったので、もう高校生辺りになるとオッサンの様に見える人達が沢山いましたが💧^^;)
ほんとに沈めちゃう組織もある中で、たまたまちゃんとした手続きをしてくれる人達に出会えてよかったと思います確かに資金源として良くないものを売ったり暴力沙汰になったり厄介なところもありますが、昔はちょっといい事しちゃう893さんもいてましたからねぇそういう世界でしか生きて行けないけど、根は案外優しいとかそういう人今は厳しい時代になりましたけど、一般人でも893顔負けのクズもいますから…むしろ893の看板掲げてないだけタチ悪い
バブルで、金儲けができる人が重用されていましたが、その前は、こういう任侠道を貫いていた人がいたんだなあと思いました。
ちょっと関係ありませんが、60年以上前の話です。時々、自宅で花札をやっていました。お客さんは、私の知る限り商店主、指物師、司法書士、働かない人等々です。幼い私は、その開帳が結構楽しみでした。と言うのは、儲けたお客さんが100円札、時には500円札をくれるのです。そのお金をどうしたかは記憶にありませんけど。今は亡き母は、自分で注射を打って奮闘していました。それが合法なのか否かは、不明です(^^;
懲役さんの話を聞く度に反社の人らのイメージが変わりますね。
なんだかんだそういう立場の人たちがいてこその、社会の仕組みが回っていたんだろうなぁこの子供たちみたいにそれで助かった人もいれば、逆に不幸になった人もいただろうし太郎さんが言うように一面だけであって、それだけで昔は良かったなんて一概に言える話でもないんだろうけど
最近こちらのチャンネルを知って、毎日楽しく拝見しています。阪神淡路大震災の時、当時被災地に居た友達から聞いた話ですが、道路が寸断されたり電線が垂れ下がる危険な道で自衛隊ぐらいしか入ってこれない状況だったにもかかわらず、893の方々がトラックいっぱいに物資を積んで、一番にやってきてくれたそうです。すごく助かったし、怖い外見と違いとても親切にしていただいて、涙がでるほどありがたかったと言ってました。太郎さんのお話を聞く度に、その話を思い出します。
カシラの悪いところは散々聞いてるし大丈夫
暴対法が昭和の必要悪を、消してしまいましたね。山一抗争が無ければ懲役太郎さんは、今とは、全然違う人生かも。どちらにしても成功者でしたね。チョット羨ましいです。今後の配信楽しみにしています。
いやぁ久しぶりに聞きました。浮浪時私の時代には本当にいましたよ、あの時代は良くも悪くも昭和でしたね。太郎さんのお話を聴いてると本当に懐かしくなりました。もう60年くらい前の事でした。ありがとうございました。
ちなみに❗私も16才で部屋住みしてました。
これはなかなか珍しい、心温まるカシラの話
泣かせる話しや…😭幸せになって良かったでもオチもついてる話しで面白かったです(笑)
貴重なお話ありがとうございました😭🙏
人助けした良い話ですね
お笑い芸人の誰かが「ホームレス小学生」という自伝を出してたけど、考えて見ればあれは昔でいう『浮浪児』なんだよなぁ。しかし、なんとかパークで大体わかってしまうw 確かにあの辺は…
そういえば、あの公園って橋がありますな。確かにあそこは都会の中の公園です
ちょっと感動してしまいました✨
感謝されながら目ざとく金の生る木を探す、一流ですよw
太郎さん、スゴい軽〜いノリでお話しされてましたが…どえらいいい話‼️じゃないっすかーーー‼️流石、最強の若頭👏✨😆
昔は役所よりヤクザだったかもなぁ....今は役所の人間が調子に乗ってほぼ「反社」だけどね
これぞ任侠道って途中まで感動してました。連れてこい で崩壊し涙があふれ出そうになる所でした。若頭の話しって忘れてました。こういう事が気持ち一つでできてしまう人達を反社とか暴力団と括り付けてしまうのは間違っていると思います。結婚した彼女がどの様なお母さんになったのか気になりますが、良くも悪くも人から受けた事は忘れません。人助けとかよく言いますがこんな事できる人なかなかいませんよ。現代でこれをやったら捕まるんですよね?可笑しな国ですね。
若頭シリーズめっちゃ面白いです!沢山お願いします😁
こんばんは!お疲れ様です!悪い若頭と良い姐さん。
30数年で、世の中もガラッと変わるんですね...時代の変化、聞けて楽しかったです🙇♀️
良くも悪くも、自然発生的なセイフティーネットですね。若頭さんも結果的に良い人になってますね(^^;;姐さんが優しい人で良かったです。
昔はそういう社会の一助を担っていたということですね。今のやくざが情けを失ったというよりもそういった子供達に対する公的ケアが進み、役割を終えたという事でしょう。
公的ケアは本当に進んだのだろうか?まだまだ不全でしかないようにしかみえないが…
@@onhon8484 少なくとも浮浪児はいなくなりました。それで助かったと感じたとしてもやくざが児童就労の斡旋をしなければならないレベルよりは底上げされて来たんだと思います。完全ではないし、今でも子供の貧困や痛ましい事件もありますからさらなる充実は望まれますがやくざのできる範囲は超えたと思います。
シンナーの小売りとは昭和の終わり頃のお話ですか。とすると、懲役太郎さんは還暦前後ということですか?浮浪児って、戦災孤児で浅草あたりが有名でした。1950年代まで、民家でヒロポン打っていました。いいお話でした。
ネカフェ難民や無低で搾取される人の中にも、住み込みで働ける場所があれば立ち直れる人はいるんだろうなぁ。”支援者”名乗るなら、そっちの方をちゃんと支援すべきだと思うんですよねぇ…。
いやー、私も60代ですけどあの頃ヤクザさんっていうのはなんか必要悪っていうかそんなところがありましたよね高校生の頃その筋のスナックでバイトで生バンドのドラム叩かせてもらったんですけどなんか年末か年初でその組の総会かなんかで呼ばれてその会派の組長さんに挨拶に行ってピシとしたどっかの会社の役員みたいな感じの人で「頑張ってくださいね」って10000円頂いたこと忘れられませんその方も数年後に◯されてしまったって聞きましたけれどその後バイト辞めてからも年末に正月飾りの出店みたいなの出していて通りがかると「おー✖︎✖︎買っていってくれよー」とか声かけられて「金ないっすよー」というと「しょーがねーなー ほれ持ってけ」とかって感じでしただからあの頃(昭和45年くらいの)は自分的にはヤクザさんってあまり悪い印象はなかったです今は全くそんな感じはありませんね そういう組織があるのかどうかもわからない感じですあ 自分はそういうものには全く染まらなかったですけど
ちゃんとした姐さんあっての頭なんですねー笑なんとかパーク……‼ ローラースケートのってて、若い子見て転ぶ人かぁ…😶
良い話ありがとうございました昔は今より社会全体が貧しくて目を覆うようなことも沢山あったけど、今よりもう少しだけ思いやりもあったように思います。法律や規則ではなく、この人達にとって何が良いのか…それが最初でなければ
姐さんがもう知っているから・・・最強の若頭でも姐さんには一目置いてるんですねwそこがいいねw
悪いところはもう充分伝わってます、大丈夫です😁
春日一番みたいな話だあぁ……残されるべきグレーゾーンの世界。
これは昔気質のヤクザだ、暴力団では無いわ。うちの親も林業の飯場に行ってたときにヤクザの親分に挨拶に行ってたみたいだけど、良い人達だったって。もう30年も前なんで、そういうのも有りだったんですよね。
話を聞いている限り本来のヤクザって感じ今じゃ金と暴力ってイメージしかないけど昔は生活に困っている人のセーフティでもあったんだなって
終戦直後なんかは他人同士が親子、親戚のフリして一緒に住んでるとかよくあったらしいですね合意で助け合って生きてるなら行政も目こぼししたらいいんですよそういうのは
昔は「それで斡旋料取っていた人もいたな」温泉地の、「派遣マッサージ」とか「舘山寺温泉」では「豊橋から『ステッキ』『酌婦』とか呼ばれるサービス業」の人が「マイクロバス」で連れて来られてたわな。いわゆる「ポン引き」で「6:4分」だったろうね。何でそんなん、やってるか分からんかったけど「お互いの利害関係」だったのね。おばさんは、「そんな生活は嫌だな〜」と10代の頃に、思ったわ。「自分が客になるのはいいけど、仕事は嫌だな」と今でも思うね。「需要と供給」なのかな?そんなんして、生きなきゃいけないなんて、可哀想だね。
昔はパチンコ屋も訳あり夫婦がよく住み込みで働いてたな大概嫁のほうが客と出来て居なくなってた嫁は?って旦那に聞いたら朝起きたら居なくなってたって何回か聞いたことがある
浮浪児ってとてつもなく久しぶりに聞いた。そういえばあった、こんな言葉
若頭が相手の家族と交渉したからすんなりいけた面もあるんでしょうね一般人が交渉したら逆にややこしくなっていたのかも
小林少年も浮浪児でした。○イオンってビアホールは、むかーしは若いうちから住み込みで働くシステムだったな。今でもそうなのかな? 「集団就職」も昭和40年代で消えたんだっけなぁ
昔の893は任侠を実践している方が多かったですね。もしかして今でもこういう精神のある人いるのかなと少し期待はしますが、もう過去の神話の世界と同じでしょうね。
時代が変わってしまいましたよね。昔の893は余裕があった。その分堅気には優しかった。今はもう893てだけで制限される。必要悪としても役目は終わった。世知辛い世の中になった。
@@k.5204 さん。今は堅気も生きにくい世の中です。何もかも雁字搦めにしないと気がすまない世の中になりつつありますね。
イカ太郎 浮浪児、まだいました。今は悪い事だけど、約半世紀前は当たり前でした。まだまだ至るところに傷痍軍人やルンペンもゴロゴロしてました。
太郎さん 昔の旅館なんかも有りましたね。男は調理見習い、女性は客室係りで集団就職 なんかな~
30年くらい前だけど俺が子供の頃は浮浪者家族いたな
毎回楽しみに拝見しております。😃
なんちゃらパークですよね、確かにその頃シンナー売ってる人たくさんいましたね。しかしなんとも良い話でした。
難しい話ですよねずっと良いことしてる人も少ないし、ずっと悪いことしてる人も少ないのかなと思います(笑結局は比率の問題なのかなと出来ればずっと良いとこやって、お天道様の下を歩いて行きたいもんです
ドラマみたいな劇的なお話。悪い人たちなんだろうけどたまにこういうことがあるんだねえw
浮浪児って響き懐かしいですね。風呂に入るのを嫌がると浮浪児になると怒られたことを思い出します。当時の日本には浮浪児はいませんでしたが、まだまだ貧しい時代でしたので浮浪児然とした子供はたくさんいました。
この話だけ聞いたら若頭めっちゃいい人w
良いお話しをありがとうございました。若頭は太郎さんにだから冗談を言ったんですよね、分かってますとも(涙)。
みんな道を空けろー、仁義のお通りだー。
35年くらい前、近所の橋の下に子供連れたホームレス一家が居たわそいえば!当時、橋の下で近所の子供はみんな釣りをするのでなんとなくホームレスの子と喋るようになって、夏場で臭かったから開放されてる小学校のプールに、身体洗うついでに泳ぎに行った記憶がある!夏休みが終わる頃には居なくなってたけど、住み込みで働ける職場でも見つかったんだろうねきっと!
数年前公園に住んでいたホームレスの子供が親に虐待され死んだ事件、思い出して辛かったです。
数年前?えらい最近だな
あったなあ、そんなことが。埼玉だったかな?
太郎さん…まぁ…いい話だね。面白かったですよ。💕
まぁ若頭、閻魔大王の前で、私は人助け‼️しました‼️と言えますね地獄に落ちる前に、執行猶予がつくでしょうね😅
昔のヤーさんは良いっすねえ。情があって
悲しいね親は選べない
いい話で涙出た
メチャクチャいい話映画化してほしい(笑)
若頭があいかわらずで笑う
任侠とはこうあるべき
風呂に沈めるww照れ隠しなのかガチなのかその時の状況見ないとわからないけどわるいひとやなぁw
今だと東横キッズになるのかな
考えさせられる話しですね🙄🙄🙄現代の方が良いのか、昔の方が良かったのか🤔🤔
古き良き任侠話
今じゃ、時給900円でも保証人を要求したりするの多いよな。でも、探せば保証人無しで働ける所もある。
たしかに3、40年前は他人や近所のおかげで育つことのできる子供はいましたよね。今は親から引き離す事が困難で結果、虐待や餓死する子供が増えたような気がします。他人や近所が手を出せないようになってしまいましたからね。
我々含めみ~んな良い事しながら悪い事してますからね。
太郎様、こんばんはm(__)m いい話をきかせていただき、ありがとうございます。
スンゲーーーーーー!!!人生変わっとる!🙄
昔は親も手の付けられない様な暴れん坊はヤクザの一家に行儀見習いに預けたりしたからね、
意外って言うと失礼だけどヤクザさんは、本当に弱いドン底の人には寄り添うんですよね。自分たちもそういう経験があるからじゃないですか?最近ではそんな感じは無いように思いますけど。
今でも母親が子供を置いて出ていってしまう離婚とかありますけど、70年代80年代の方があ‘、・・今より多かったのでは?この頃って役所などの窓口対応ってひどかったから相手にもしなかったとかってありかも!10代の子供の風貌もおじさんおばさんに見間違うたくましい子供が多かったと、今の10代の方が見た目幼いかもですね?きっかけがあってしっかりとした職業に就けてよかったですね😃
やはり、風呂に沈めちゃうのかなと思ったら、意外な展開
任侠道すね
昭和30年代40年代は、かなり ヤバイでしょ(笑)私の祖母も広島の『岡(岡組)の道場』に通ってました。岡組とは、仁義なき戦いに出てくるの広島の893です。
途中までほっこりして聴いてたら、「あれすげえ美人じゃねえか沈めたろうか」とか言い始めて、やっぱりこの若頭はクソだなあと思ったw
何かのテレビで昔山健さんが言ってたここまでなれたのは女房のおかげで言ってました。
昔のパチンコ店さんも住み込みで訳ありな人でも従業員募集していましたよね
良い話ですよね。悪いこともしながら、良いこともする。池波正太郎先生の世界観の様な…かたぎでも、日〇自動車のような、外道みたいなやり方しますしね。表も裏も、あったもんじゃないですね。
昭和40年代の記憶が普通にある年代ですが、浮浪児という言葉はありましたね、ですが以外にリアルに出遭った事はありませんでした。あの有名な漫画の「ど根性ガエル」の原作版で架空キャラですがゲスト出演してて普通に少年ジャンプに掲載されていましたが今ならアウトでしょうね。
誰も助けてくれなかった姉弟 救いきったのは凄い。
思い出すのは、昭和50年代に幼馴染が母子家庭で、繊維工場に住み込みでした。住居はプレハブ小屋で夏冬は辛かったと想像できます。小学校に上がる時に母子は引越し、以来会っていませんが後年、大学生になったと聞き、あの環境からグレず、這い上がった彼を想うと目が潤みました。
今みたいにホイホイ大学に行ける時代じゃなかったしね
すごい努力したんだろうなぁ
こういう話、珍しくなかった。最初の動機はどうあれ関わったヤクザもんにしたってその子達がちゃんとなってくれりゃ嬉しいし図らずも任侠しちゃった気分だし。昔、マンモスうれぴ~とか言ってた子もそんな類いのところから出てきた子だった。娘のためにお父さんもすっぱり足を洗って、それを、『頑張りやい』と何の咎めもなしに送り出した親分の男心。菱形直参のその親分も一人娘をもつ父親だった。嗚呼、今は昔の話。
今回は姐さんのおかげで助かった話でしたw
ちょっと隙を見せると「悪魔」になりかける若頭でしたww
これが本当のアウトローだよ。良くはないけども、暮らせない人を受け入れる度量。
北海道帯広市自由が丘住んで居る合牛義之嘘ばかつくなよ。北海道帯広市自由が丘住んで居る合志義之旭川旭導会嘘ばかつくなよ。泥棒やろ
@@五明政彦 それは赤だしなの?
これもし「お役所」連中に投げてたら絶対ロクなことにならなかったでしょうね。
倒れたホームレスのお婆さんに生米の袋乗せて死ぬまでじっと見てることが正しいと思っている連中だし。
30数年前ぐらいだと、まだ街中のラーメン屋とかでなら、夜逃げしてきたような
身元不明な2人連れとかでも、住み込みで雇い入れたりしてたよなぁ
男なら、川崎とかの港湾施設の仕事とか、早朝に新宿区の高田馬場の線路沿いの公園とかで
日雇いを募るワンボックスカーがずらりと並んでて、身分証明もなにもなくても
見た目が健康そうなら即雇ってもらえたりもしたしさ
こういうのも現代では、手配師が関与するってことでダメなんだよね
西成ぐらいですかね?今は?
ブラックな会社や重搾取派遣は見ないフリで許容するくせに、おかしな社会になってしまいましたね。
今もそうだけど、結局行政や法では守り切れない人たちがいて、そういう人たちの受け皿として
グレーゾーンってのはやっぱ要るんだよ・・・正しさだけじゃ救えねぇんだよ。
本当、それは思います。世の中白か黒かじゃないんだよ。(==)政治家だってほとんど真っ黒だろうに。其の中からよりグレーな人を探すのがまた難しいんですよね。
若頭は良くも悪くも昭和の任侠者だったんだろうな
せっかく感動して、涙が溢れる寸前に「風呂、沈めちゃおうか」で一気に涙が引いてしまった。感動を返せ!w 結局笑い話になってしまったけれど、地域や任意団体が、子供を育てていた時代が、確かにあった。相互扶助、寄り合い、寄る辺、寄り親寄り子、結、地域の普請。子供だけじゃなく、もっと民草は親密で、支えあって生きていた。
「じゃあ、ここでヤクザでもやらせるのか?」って言うのは草w
昔はある意味はぐれもので助け合いができる社会構造だったけど、今は近所の付き合いも薄くなって自己防衛の社会になったのかな?
良い悪いはともかく、その家族が今幸せに生活できているなら嬉しい
6:50
いいことして照れちゃって、
ちょっと悪ぶってバランスとりたかった。本心ではないと思いたい。
時代や法律が変わっても、仁義は大切。
それが今や失われつつある。
若頭沈めるって(笑)
若頭は妻の姐さんに弱いのかなw
昔のバブルの頃のヤクザは色んな人の世話焼いたり役場とも交渉できる時代だったんすね〜
なんちゃらパークの橋の下…あそこも最近キレイになっちゃいましたね
磨いたら光った女の子を「沈めちゃおうか」ってとこはさすがヤクザ
俺たちは天使じゃないを思いだした。
手を出すと相手が依存してしまい、自立につながらないこともあるので、適切に対応した若頭と姐さん素晴らしいです。
若頭だけだとどうなってたかわかりませんが。
戦後の写真で、靴磨きをする少年達がいましたが、道具や場所を提供したりして、ヤクザが浮浪児を面倒見ていたのかな。売上金は取り上げていたでしょうが、ごはんと寝る場所が提供されれば、子供としてはあの当時はそれだけでもありがたかったかも。
30年以上前に亡くなった叔父がヤクザでした
自分は まだ子供でしたが
凄く優しい人でした
本当はめちゃくちゃ悪かったんだろうけど
都会の方のなんとかパークのシンナー売り…昔はそういうのいましたねえ。
もう少し後の時代だと、イラン人の変造テレカ売りがいっぱいいたような場所ですな。
そうですね。浮浪者では有りませんが、私の母(昭和20年生まれ)は地方の生まれで近辺では働き口が無く、時代も「中卒は金の卵」と言われていた世代の最中で、中学を卒業し、単身東京に出て、働き、結婚するまでは実家に仕送りをしていたと昔話していた事を思い出しました。私の世代でも、早い内からその道を極めるんだと中卒で住み込みで料理屋さんに就職してなんて話をよく耳にしました。そんな光景を見聞きしたりしてきた所為か、はたまた親の教育の所為か、最近の中高生がとても幼く見えてしまいます。(私の場合、兄がリアルビーバップハイスクール世代だったので、もう高校生辺りになるとオッサンの様に見える人達が沢山いましたが💧^^;)
ほんとに沈めちゃう組織もある中で、たまたまちゃんとした手続きをしてくれる人達に出会えてよかったと思います
確かに資金源として良くないものを売ったり暴力沙汰になったり厄介なところもありますが、昔はちょっといい事しちゃう893さんもいてましたからねぇ
そういう世界でしか生きて行けないけど、根は案外優しいとかそういう人
今は厳しい時代になりましたけど、一般人でも893顔負けのクズもいますから…
むしろ893の看板掲げてないだけタチ悪い
バブルで、金儲けができる人が重用されていましたが、その前は、こういう任侠道を貫いていた人がいたんだなあと思いました。
ちょっと関係ありませんが、60年以上前の話です。時々、自宅で花札をやっていました。お客さんは、私の知る限り商店主、指物師、司法書士、働かない人等々です。
幼い私は、その開帳が結構楽しみでした。と言うのは、儲けたお客さんが100円札、時には500円札をくれるのです。そのお金をどうしたかは記憶にありませんけど。
今は亡き母は、自分で注射を打って奮闘していました。それが合法なのか否かは、不明です(^^;
懲役さんの話を聞く度に反社の人らのイメージが変わりますね。
なんだかんだそういう立場の人たちがいてこその、社会の仕組みが回っていたんだろうなぁ
この子供たちみたいにそれで助かった人もいれば、逆に不幸になった人もいただろうし
太郎さんが言うように一面だけであって、それだけで昔は良かったなんて一概に言える話でもないんだろうけど
最近こちらのチャンネルを知って、毎日楽しく拝見しています。
阪神淡路大震災の時、当時被災地に居た友達から聞いた話ですが、道路が寸断されたり電線が垂れ下がる危険な道で自衛隊ぐらいしか入ってこれない状況だったにもかかわらず、893の方々がトラックいっぱいに物資を積んで、一番にやってきてくれたそうです。
すごく助かったし、怖い外見と違いとても親切にしていただいて、涙がでるほどありがたかったと言ってました。
太郎さんのお話を聞く度に、その話を思い出します。
カシラの悪いところは散々聞いてるし大丈夫
暴対法が昭和の必要悪を、消してしまいましたね。
山一抗争が無ければ懲役太郎さんは、今とは、全然違う人生かも。
どちらにしても成功者でしたね。
チョット羨ましいです。
今後の配信楽しみにしています。
いやぁ久しぶりに聞きました。浮浪時私の時代には本当にいましたよ、あの時代は良くも悪くも昭和でしたね。太郎さんのお話を聴いてると本当に懐かしくなりました。もう60年くらい前の事でした。ありがとうございました。
ちなみに❗私も16才で部屋住みしてました。
これはなかなか珍しい、心温まるカシラの話
泣かせる話しや…😭
幸せになって良かった
でもオチもついてる話しで面白かったです(笑)
貴重なお話ありがとうございました😭🙏
人助けした良い話ですね
お笑い芸人の誰かが「ホームレス小学生」という自伝を出してたけど、考えて見ればあれは昔でいう『浮浪児』なんだよなぁ。
しかし、なんとかパークで大体わかってしまうw 確かにあの辺は…
そういえば、あの公園って橋がありますな。確かにあそこは都会の中の公園です
ちょっと感動してしまいました✨
感謝されながら目ざとく金の生る木を探す、一流ですよw
太郎さん、スゴい軽〜いノリでお話しされてましたが…
どえらいいい話‼️じゃないっすかーーー‼️
流石、最強の若頭👏✨😆
昔は役所よりヤクザだったかもなぁ....今は役所の人間が調子に乗ってほぼ「反社」だけどね
これぞ任侠道って途中まで感動してました。
連れてこい で崩壊し涙があふれ出そうになる所でした。
若頭の話しって忘れてました。
こういう事が気持ち一つでできてしまう人達を反社とか暴力団と括り付けてしまうのは
間違っていると思います。
結婚した彼女がどの様なお母さんになったのか
気になりますが、良くも悪くも人から受けた事は忘れません。
人助けとかよく言いますがこんな事できる人なかなかいませんよ。
現代でこれをやったら捕まるんですよね?
可笑しな国ですね。
若頭シリーズめっちゃ面白いです!
沢山お願いします😁
こんばんは!お疲れ様です!
悪い若頭と良い姐さん。
30数年で、世の中もガラッと変わるんですね...
時代の変化、聞けて楽しかったです🙇♀️
良くも悪くも、自然発生的なセイフティーネットですね。
若頭さんも結果的に良い人になってますね(^^;;
姐さんが優しい人で良かったです。
昔はそういう社会の一助を担っていたということですね。
今のやくざが情けを失ったというよりもそういった子供達に対する公的ケアが進み、役割を終えたという事でしょう。
公的ケアは本当に進んだのだろうか?
まだまだ不全でしかないようにしか
みえないが…
@@onhon8484 少なくとも浮浪児はいなくなりました。
それで助かったと感じたとしてもやくざが児童就労の斡旋をしなければならないレベルよりは底上げされて来たんだと思います。
完全ではないし、今でも子供の貧困や痛ましい事件もありますからさらなる充実は望まれますがやくざのできる範囲は超えたと思います。
シンナーの小売りとは昭和の終わり頃のお話ですか。とすると、懲役太郎さんは還暦前後ということですか?浮浪児って、戦災孤児で浅草あたりが有名でした。1950年代まで、民家でヒロポン打っていました。いいお話でした。
ネカフェ難民や無低で搾取される人の中にも、住み込みで働ける場所があれば立ち直れる人はいるんだろうなぁ。”支援者”名乗るなら、そっちの方をちゃんと支援すべきだと思うんですよねぇ…。
いやー、私も60代ですけどあの頃ヤクザさんっていうのはなんか必要悪っていうか
そんなところがありましたよね
高校生の頃その筋のスナックでバイトで生バンドのドラム叩かせてもらったんですけど
なんか年末か年初でその組の総会かなんかで呼ばれてその会派の組長さんに挨拶に行って
ピシとしたどっかの会社の役員みたいな感じの人で「頑張ってくださいね」って
10000円頂いたこと忘れられません
その方も数年後に◯されてしまったって聞きましたけれど
その後バイト辞めてからも年末に正月飾りの出店みたいなの出していて通りがかると
「おー✖︎✖︎買っていってくれよー」とか声かけられて「金ないっすよー」というと
「しょーがねーなー ほれ持ってけ」とかって感じでした
だからあの頃(昭和45年くらいの)は自分的にはヤクザさんってあまり悪い印象はなかったです
今は全くそんな感じはありませんね そういう組織があるのかどうかもわからない感じです
あ 自分はそういうものには全く染まらなかったですけど
ちゃんとした姐さんあっての頭なんですねー笑
なんとかパーク……‼ ローラースケートのってて、若い子見て転ぶ人かぁ…😶
良い話ありがとうございました
昔は今より社会全体が貧しくて目を覆うようなことも沢山あったけど、今よりもう少しだけ思いやりもあったように思います。法律や規則ではなく、この人達にとって何が良いのか…それが最初でなければ
姐さんがもう知っているから・・・最強の若頭でも姐さんには一目置いてるんですねwそこがいいねw
悪いところはもう充分伝わってます、大丈夫です😁
春日一番みたいな話だあぁ……残されるべきグレーゾーンの世界。
これは昔気質のヤクザだ、暴力団では無いわ。うちの親も林業の飯場に行ってたときにヤクザの親分に挨拶に行ってたみたいだけど、良い人達だったって。もう30年も前なんで、そういうのも有りだったんですよね。
話を聞いている限り本来のヤクザって感じ
今じゃ金と暴力ってイメージしかないけど昔は生活に困っている人のセーフティでもあったんだなって
終戦直後なんかは他人同士が親子、親戚のフリして一緒に住んでるとかよくあったらしいですね
合意で助け合って生きてるなら行政も目こぼししたらいいんですよそういうのは
昔は「それで斡旋料取っていた人もいたな」
温泉地の、「派遣マッサージ」とか「舘山寺温泉」では
「豊橋から『ステッキ』『酌婦』とか呼ばれるサービス業」の人が
「マイクロバス」で連れて来られてたわな。
いわゆる「ポン引き」で「6:4分」だったろうね。
何でそんなん、やってるか分からんかったけど
「お互いの利害関係」だったのね。
おばさんは、「そんな生活は嫌だな〜」と
10代の頃に、思ったわ。
「自分が客になるのはいいけど、仕事は嫌だな」
と今でも思うね。「需要と供給」なのかな?
そんなんして、生きなきゃいけないなんて、可哀想だね。
昔はパチンコ屋も訳あり夫婦がよく住み込みで働いてたな
大概嫁のほうが客と出来て居なくなってた
嫁は?って旦那に聞いたら朝起きたら居なくなってたって何回か聞いたことがある
浮浪児ってとてつもなく久しぶりに聞いた。そういえばあった、こんな言葉
若頭が相手の家族と交渉したからすんなりいけた面もあるんでしょうね
一般人が交渉したら逆にややこしくなっていたのかも
小林少年も浮浪児でした。○イオンってビアホールは、むかーしは若いうちから住み込みで働くシステムだったな。今でもそうなのかな? 「集団就職」も昭和40年代で消えたんだっけなぁ
昔の893は任侠を実践している方が多かったですね。もしかして今でもこういう精神のある人いるのかなと少し期待はしますが、もう過去の神話の世界と同じでしょうね。
時代が変わってしまいましたよね。
昔の893は余裕があった。
その分堅気には優しかった。
今はもう893てだけで制限される。
必要悪としても役目は終わった。
世知辛い世の中になった。
@@k.5204 さん。今は堅気も生きにくい世の中です。何もかも雁字搦めにしないと気がすまない世の中になりつつありますね。
イカ太郎 浮浪児、まだいました。今は悪い事だけど、約半世紀前は当たり前でした。まだまだ至るところに傷痍軍人やルンペンもゴロゴロしてました。
太郎さん 昔の旅館なんかも有りましたね。男は調理見習い、女性は客室係りで集団就職 なんかな~
30年くらい前だけど俺が子供の頃は浮浪者家族いたな
毎回楽しみに拝見しております。😃
なんちゃらパークですよね、確かにその頃シンナー売ってる人たくさんいましたね。しかしなんとも良い話でした。
難しい話ですよね
ずっと良いことしてる人も少ないし、ずっと悪いことしてる人も少ないのかなと思います(笑
結局は比率の問題なのかなと
出来ればずっと良いとこやって、お天道様の下を歩いて行きたいもんです
ドラマみたいな劇的なお話。悪い人たちなんだろうけどたまにこういうことがあるんだねえw
浮浪児って響き懐かしいですね。風呂に入るのを嫌がると浮浪児になると怒られたことを思い出します。当時の日本には浮浪児はいませんでしたが、まだまだ貧しい時代でしたので浮浪児然とした子供はたくさんいました。
この話だけ聞いたら若頭めっちゃいい人w
良いお話しをありがとうございました。若頭は太郎さんにだから冗談を言ったんですよね、分かってますとも(涙)。
みんな道を空けろー、仁義のお通りだー。
35年くらい前、近所の橋の下に子供連れたホームレス一家が居たわそいえば!
当時、橋の下で近所の子供はみんな釣りをするのでなんとなくホームレスの子と喋るようになって、夏場で臭かったから開放されてる小学校のプールに、身体洗うついでに泳ぎに行った記憶がある!夏休みが終わる頃には居なくなってたけど、住み込みで働ける職場でも見つかったんだろうねきっと!
数年前公園に住んでいたホームレスの子供が親に虐待され死んだ事件、思い出して辛かったです。
数年前?えらい最近だな
あったなあ、そんなことが。埼玉だったかな?
太郎さん…まぁ…いい話だね。
面白かったですよ。💕
まぁ若頭、閻魔大王の前で、私は人助け‼️しました‼️と言えますね
地獄に落ちる前に、執行猶予がつくでしょうね😅
昔のヤーさんは良いっすねえ。情があって
悲しいね親は選べない
いい話で涙出た
メチャクチャいい話
映画化してほしい(笑)
若頭があいかわらずで笑う
任侠とはこうあるべき
風呂に沈めるww照れ隠しなのかガチなのかその時の状況見ないとわからないけどわるいひとやなぁw
今だと東横キッズになるのかな
考えさせられる話しですね🙄🙄🙄
現代の方が良いのか、昔の方が良かったのか🤔🤔
古き良き任侠話
今じゃ、時給900円でも保証人を要求したりするの多いよな。
でも、探せば保証人無しで働ける所もある。
たしかに3、40年前は他人や近所のおかげで育つことのできる子供はいましたよね。今は親から引き離す事が困難で結果、虐待や餓死する子供が増えたような気がします。他人や近所が手を出せないようになってしまいましたからね。
我々含めみ~んな良い事しながら悪い事してますからね。
太郎様、こんばんはm(__)m いい話をきかせていただき、ありがとうございます。
スンゲーーーーーー!!!
人生変わっとる!🙄
昔は親も手の付けられない様な暴れん坊はヤクザの一家に行儀見習いに預けたりしたからね、
意外って言うと失礼だけど
ヤクザさんは、本当に弱いドン底の人には寄り添うんですよね。
自分たちもそういう経験があるからじゃないですか?
最近ではそんな感じは無いように思いますけど。
今でも母親が子供を置いて出ていってしまう離婚とかありますけど、70年代80年代の方があ‘、・・今より多かったのでは?この頃って役所などの窓口対応ってひどかったから相手にもしなかったとかってありかも!10代の子供の風貌もおじさんおばさんに見間違うたくましい子供が多かったと、今の10代の方が見た目幼いかもですね?きっかけがあってしっかりとした職業に就けてよかったですね😃
やはり、風呂に沈めちゃうのかなと思ったら、意外な展開
任侠道すね
昭和30年代40年代は、かなり ヤバイでしょ(笑)
私の祖母も広島の『岡(岡組)の道場』に通ってました。岡組とは、仁義なき戦いに出てくるの広島の893です。
途中までほっこりして聴いてたら、「あれすげえ美人じゃねえか沈めたろうか」とか言い始めて、やっぱりこの若頭はクソだなあと思ったw
何かのテレビで昔山健さんが言ってたここまでなれたのは女房のおかげで言ってました。
昔のパチンコ店さんも住み込みで訳ありな人でも従業員募集していましたよね
良い話ですよね。
悪いこともしながら、良いこともする。
池波正太郎先生の世界観の様な…
かたぎでも、日〇自動車のような、外道みたいなやり方しますしね。
表も裏も、あったもんじゃないですね。
昭和40年代の記憶が普通にある年代ですが、浮浪児という言葉はありましたね、ですが以外にリアルに出遭った事はありませんでした。あの有名な漫画の「ど根性ガエル」の原作版で架空キャラですがゲスト出演してて普通に少年ジャンプに掲載されていましたが今ならアウトでしょうね。