さいはて鈍行最終列車キハ40(根室本線5635D)

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  • Опубликовано: 11 сен 2024
  • 根室本線末端区間(通称:花咲線)は通常キハ54が運用されていますが
    ここしばらくキハ40が入っています。
    最終列車で根室まで行く列車がちょうどキハ40なので、周遊券時代の汽車旅を思い出しながら弁当と酒を楽しみたいと思います
    弁当は札幌駅立売商会 北海道五大めし 1,580円
    酒は瑞穂の雫 江別の純米酒 1,480円
    ※本文中追分機関区の最後の蒸気の年代が昭和50年となっていしましたが、正しくは51年です。
    #国鉄 #鉄道 #JAPAN Rail way
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Комментарии • 33

  • @TKG-mo7he
    @TKG-mo7he 2 месяца назад

    乗り鉄飲み鉄を楽しんでるお姿拝見するとこちらも同じ道中の列車に乗ってるようで楽しいです👍
    チャンネル登録しました
    よろしくお願いします🤲

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro  2 месяца назад +1

      @@TKG-mo7he ありがとうございます。北海道のキハ40もいよいよ終わりなので最後の夏に乗りに行く予定を立てています。
      またよろしくお願い申し上げます。

  • @Su----
    @Su---- 6 месяцев назад +4

    厚床駅の交換風景。「JR標津線」というレアな時代の貴重な風景ありがとうございます。
    私はもうちょい前の国鉄時代、根室標津へ向かう際に乗り換え利用しましたが、当時はホーム上で売り子さんが「ほたてめし」の立売をしていましたよ。

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro  6 месяцев назад

      国鉄末期に標津線に乗るため朝の列車で訪れました。駅弁屋がいたかどうかは覚えていないです。
      その時は厚岸と厚床を間違え、釧路からの列車を後ろの厚岸切り離し車両に乗ってしまいました。

    • @bibilu2007-man
      @bibilu2007-man 6 месяцев назад

      @@user-tabiichiro 様
      厚床駅 駅前の売店でカップラーメンにお湯を入れてもらって食べた記憶があります。駅弁は時間にもよるのでしょうが、その時は売り切れとのことでした。
      昭和62年の夏ですね。もう国鉄じゃなかった。

  • @nnon4924
    @nnon4924 6 месяцев назад

    4:10
    旅一郎さん、完全にやまべ鮭寿司にノックダウンされてましたね。
    それにしても、お弁当3つ、何時間で完食ですか?
    日本酒に御当地のお弁当に北海道なんて、最高ですね。

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro  6 месяцев назад +1

      おおぞらで二つ食べましたが、あれは昼十二時前後ですね。
      カロリー表記を見ると400kcくらいなので二つ食べてもそこまでガッツリでもないようです。
      もう一つは19時位です。
      その間居酒屋に行ってますが、つまみだけで主食は食べてないので軽めでした

    • @nnon4924
      @nnon4924 6 месяцев назад

      いいですね~
      いきなりお弁当3つ買い込んだ、と映像映されたときは、こっちまでテンション上がりました。

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro  6 месяцев назад +1

      @@nnon4924 本番が根室行きだったんですが、釧路で駅弁が買えない事を想定して先に買っておきました。
      最近は駅弁屋も早くに店じまいするので、夜は要注意ですね

    • @nnon4924
      @nnon4924 6 месяцев назад

      @@user-tabiichiro
      参考にさせていただきます。
      駅弁は、早め早めですね。

  • @user-iu3pq9cm9i
    @user-iu3pq9cm9i 6 месяцев назад

    釧路から根室までヨンマルで行けるのが当たり前でなくなるんですね。夜の雪、厚岸の地元利用、根室のさいはて感、体験したくなりました。折り返しもお疲れ様です!

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro  6 месяцев назад

      もともと代走だったので時限的でした。今回のH100置き換え区間に入ってないのでキハ54では楽しめますね

  • @user-cu3ll3ti8p
    @user-cu3ll3ti8p 6 месяцев назад

    厳寒期に日本最東端までお疲れ様です。
    最果て道東ヨンマル・ラストライドの旅になりそうでしょうか。
    花咲線にヨンマルが臨時で駆り出されている情報ゲットされての即座の現地入り、いつもながらの機動力に恐れ入りました。
    旅一郎さんが召し上がる駅弁が、いつも本当に美味そうで.... 
    最後の厚床駅のシーン、3つのホームが元気だった時代、鉄道が元気だった時代、を思い出しますね。
    国鉄末期に釧路から浜中のユースに行くのに、釧路→標茶→中標津→厚床→浜中とぐるっと回ってキハ22・キハ56に揺られたあの夏の日を思い出しました。

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro  6 месяцев назад +1

      Twitterで毎日代走しているので間に合うかもしれないと想って来ましたが上手くいきました。
      同じ最果てに向かっても車両により雰囲気が変わりますね。
      昔からの青シート、ホックスだと本当に国鉄にも思えてきます。

  • @noraneko7
    @noraneko7 6 месяцев назад

    今晩は。
    釧路から厚岸まではキハ54で何回か行きましたが,終点根室ではまだ行ったことがありません。
    ダイヤ改正以降はデクモなんですかね。
    デクモのシートの形状や材質はイマイチですよね…。

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro  6 месяцев назад +1

      rail.hobidas.com/news/490532/
      これを見ると根室まではそのままのようですね。
      完全置き換えは釧網本線と石北本線のようです

    • @noraneko7
      @noraneko7 6 месяцев назад

      @@user-tabiichiro 情報ありがとうございます。また折を見て根室まで行ってみます。

  • @user-mm7wm6dp9i
    @user-mm7wm6dp9i 6 месяцев назад

    自分の記憶だと花咲線のヨンマル運用は以前だと稀に代走として運用される程度ですが、最近では定期運用されてるのでしょうか?因みに、先日お話した「はぐれ刑事純情派」の根室ロケで主演の藤田まことさん一同が乗車した列車がヨンマルでしたが、そのエピソードが1998年頃に撮影されたのを考えると、その頃の花咲線はヨンマルが主力車両だったのでしょうかね。

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro  6 месяцев назад

      基本はキハ54で代走の時だけですね。
      観光増結の指定席もキハ40がありました。
      民営化してしばらくはキハ22や56でしたが、その後キハ40になったと思います

  • @wa33785
    @wa33785 6 месяцев назад

    日本全国に言えることですが地元駅に根差した古くからある駅弁でも、主要ターミナル駅か都市部の物産展以外で購入困難になりましたね。網走駅のモリヤ商店の様な駅弁の方が遥かに旅情を唆られます。根室の地酒は北の勝。室蘭の蘭の舞は鳥取県で造られており、昔は蔵元があったんでしょうね。ラピダス効果で千歳や苫小牧等益々道央に人口が集まっていくのでしょう。

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro  6 месяцев назад

      そうですね。年々本当の地物がなくなり、新しい東京駅での売上の方が大きいとなると資本の理論でそちら側ばかりになります。
      そうやって「作られた旅情」でしか楽しめなくなるのを苦々しく想っています

  • @user-dz5jj5zo6m
    @user-dz5jj5zo6m 6 месяцев назад

    今時、根室本線(花咲線区間)でキハ40に乗れるのはラッキー以外の何物でもないですね・

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro  6 месяцев назад

      そうなんです。Twitterで見ているとずっと代走が続いていたので掛けてみました。
      狙い通りキハ40に乗れ満足てす

  • @user-dq5eb1ps3v
    @user-dq5eb1ps3v 6 месяцев назад

    手洗所って表記は国鉄感があります。釧路駅舎も国鉄感ありです。

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro  6 месяцев назад

      手洗所の文字を見た時、「あ!」と思ったので撮りました。懐かしい感じがありましたね

  • @Kiwipedia.
    @Kiwipedia. 6 месяцев назад

    根室本線といえば、富良野ー新得間が災害復旧もされずに廃止になります。

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro  6 месяцев назад

      そうですね。
      今回は滝川側も行きましたので両端区間乗車となりました

  • @user-lg5ld5ox5v
    @user-lg5ld5ox5v 6 месяцев назад

    日本の最東端まで、お疲れさまでございます!
    時刻表を改めて確認して驚いたのですが、釧路〜根室は特急がないのですね!
    かつて札幌からの「特急・急行」が存在したと思いますが…。
    根室↔札幌の移動手段は、バスか釧路からは「空路」なのでしょうか?
    これじゃ益々の過疎化になりますね?
    早速、JR北海道の聞く象?デスクに架電しまして、せめて”夏季限定”でも「札幌↔根室の特急ダイヤ設定」をお願いしました。(まあこのエリアの要望は”ロシアの代理人たる鈴木ムネヲ”に言うべきか?[笑])。

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro  6 месяцев назад

      国鉄末期の頃から釧路ー根室は本線とは切れていて列車も乗り換え(急行まりも→急行ノサップ)が基本でした。もっと昔はわからないですが。
      優等列車は急行だけでした

    • @bibilu2007-man
      @bibilu2007-man 6 месяцев назад

      @@user-tabiichiro 様
      やはり、一般の方は、遠くへいくのは飛行機が基本のようですね。
      その昔、根室発函館行きの上りだけの急行ニセコ号がありました。
      特急はおおぞらと夜行のまりもしかなかったので、根室に臨時以外の特急は走ってはいません。
      根室発札幌行き急行狩勝もありましたね。
      準急の時代はさすがに時刻表を見ていないのでわかりません。もっと古いことを知っている方が教えてくれるかもしれませんね。

  • @bibilu2007-man
    @bibilu2007-man 6 месяцев назад

    15:20 「汽車は人生を運んだ」いいですね。 
    よく人生は旅であるといいますが、単なる移動ではその言葉は実感できない。うまくいかない、予想外のこと、やってはいけないことをやってしまったことなど、そういったものを乗り越えて今がある。
    旅に出ても、大雨に前後を閉ざされ、車掌に騙され途中下車先に置き去りにされ、飲みすぎて折り返しの列車に乗ってもと来たところに戻る。そんなことはいくらでもありました。でもそんなときに、逆境にあったときにいかに立て直すかが腕の見せ所ではないかと思っています。
    今や駅弁も、1000円以下のものはほとんどなく、いざ買おうとすると1500円はしますね。1500円だと昔は、近江牛ステーキ弁当や松坂の特選牛肉弁当あたりしか思いつきません。(ほかにもあったのでしょうけれど)
    昔から駅弁は見つけたところで買えと言われ(鉄道ジャーナルの紀行文より)実際に当てにしていたものがないということは昔からありました。
    ご飯に合うおかずは、同じコメのお酒にも合う。いつのころからか、幕の内弁当が最強の酒の肴だと思っています。
    今回は、キハ54がシカにぶつかったため、旭川からキハ40を借りているという話を聞きました。表記も釧クシのままだったので、違和感なく運用に着けたのではないでしょうか。
    これからデクモになるとはたして人を裁けるのでしょうか。インバウンドで人がやってきても、小樽と余市の間のように積み残しが起きるのではないでしょうか。
    昭和の最後の時代は、根室本線はキハ56とキハ22が主力でした。キハ54がやってきましたが、キハ54の強力エンジンで峠を越える釧網本線専用と思っていたものです。
    そこから35年以上たっているわけですから時代の流れなのでしょうけれどいい方向には向かっていないような気がします。

    • @user-tabiichiro
      @user-tabiichiro  6 месяцев назад

      今回も夜に少なくなる客をみながら「残され感」を楽しみました。
      青モケットのボックスは昔を思い出すのにいい舞台だと思います。駅弁一つとっても日本がどんどん貧しくなっていくのが感じられますね。
      いい方向にに向かっていない、全くおっしゃる通りだと思います

    • @bibilu2007-man
      @bibilu2007-man 6 месяцев назад

      @@user-tabiichiro 様
      あれから何度か、国鉄客車列車1984見ていました。
      当時は、石勝高原でしたね。また池田のワイン城も懐かしいです。
      そういえば、よねくらのワインステーキ弁当は健在なのでしょうか。
      去年行った時はもう夜だったので無理でしたが、今でも要予約で買えるものなのでしょうか。