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5:26これは仮駅舎であって、工事中になっている隣の更地に一昨年まで駅舎がありました9:32上山田線や現在の平成筑豊鉄道はそれぞれ1~2年JR九州として活躍しました20:28町外れですが鞍手町民のために後から設置されました25:04廃線時は他の駅と同じように土地が余っていましたが駅が作られるまでに埋まってしまい窮屈になりました31:40それが現在は利用者3000人/日を超えます。県内には同様の駅が数多くあります
昭和40年代の風景を、さも見てきたかのように語る平成産まれ
地元の筑豊取り上げていただきありがとうございます!動画の中間あたりに出てきた筑前植木~筑前垣生は以外にも九州で始めての複線区間です。また直方の機関区はとんでもなくでかく直方のお隣、新入駅までが構内だったんです。直方の石炭記念館にはたくさんの石炭関連の道具が展示されています。直方市の頓野にある汽車倶楽部には九州では有名な通称ハチロクがブレーキがうごくとてもいい状態で静態保存されています。長々とコメントすみません…次の動画楽しみにしてます
最近旅行、背広、ゲームもいろいろ見てたけど、やっぱり交通チャンネルのこういう動画が最高
筑豊を取り上げていただきありがとうございます。生まれ故郷の筑豊をお楽しみください〜
@@かしわご飯-h1g 俺直方出身〜
電車の窓から風景が流れていくの見るとすごく懐かしい感じになる
筑豊の路線紹介ありがとうございます😆若松駅の機回しのホームの切り込みの紹介もありがとうです😊
筑豊はおちぶれたイメージがあるけど、意外と都会だし、列車に乗ってると人も多いんですよね。筑豊本線の列車だって毎時3本あるし、そこそこ乗ってます。
50年前は まだ蒸気機関車が石炭積んだ貨車を引いて ばあちゃんの家の裏を走ってたんだよ。懐かしい。若松駅の海沿いの黒いのは煙じゃなしに 野積みの石炭だと思う。
衰退した筑豊ですが、色々と遺構残されてますから楽しめますよね~旧炭鉱王の邸宅だったり、大衆劇場だったり、八幡製鉄へ送るポンプ所とか、古い元銀行や海運会社の建物、炭鉱で栄えてた街の姿が今でも沿線あちこちにあり、撮影へ私もよく出かけてますので、そちらもスーツさんには見ていただきたいですね~
スーツさんの動画をずっと観て本当に鉄道が大好きになりました。スーツさんのお話大変勉強になります。興味深いお話がいっぱいです。スーツさん大好きです。
出身地です。取り上げてくださりありがとうございます
10:10 そもそも筑豊という地域名は、それまで個人単位でこの地域の各地に散在していた炭田の統合・組織化を進める流れで「筑前豊前石炭鉱業組合」が設立されたことに端を発しています。筑豊本線もまたその流れで「川ひらた」に代わる大規模かつ安定した石炭輸送の手段として必要とされたもので、麻生財閥などの出資で筑豊興業鉄道として誕生しました。列車の運行や路線の拡張は炭鉱の開発と積出港の容量によって決められました。現在では僅かな本数しか運転がない「原田線」はそれまで頼ってきた北九州の積出港が容量オーバーを起こしたことで新たな積出港へのルートとして建設されたものです。また、山側でも炭鉱が新たに開発される度に支線の新設・撤去が繰り返されたため、記録にない廃線が実際にはかなりあると考えられています。現在では炭鉱が全て閉山しているため複線以上の区間は皆無ですが、全盛期には1.5複線や複々線という贅沢な線路がこの山あいに整備され、その線路上を石炭を積んだ列車が埋め尽くしていました。21:17 架線柱が上下線の間に立てられているのは撤去された線路の跡で、この線路も石炭を積んだ貨物列車が往来していました。21:30 この鞍手駅は電化の際に新設されたものですが、その昔こことは別の場所の室木線に存在しました。38:21 客車列車の牽引機はDD51で、前面のナンバープレートがオレンジに塗られているのが九州仕様の特徴でした。50系を使用していましたが、トイレタンクの設置を行わなかったため、最末期には50系のトイレは封鎖して「トイレ要員」としてスハフ12を連結したちょっと変わった編成が組まれていました。
素晴らしい説明で知見が増えました!有り難う御座いました!
今まで折尾駅の構造がよく分からなかったんですが、スーツさんのこの動画を拝見して漸く分かりました!ありがとうございます。
このシリーズ待ってた!
15:19 この場面に映っている歩道橋として架かっているエメラルド色の構造物は、昔転車台で使っていた部品を転用したものだと、元国鉄マン(筑豊本線のSLで乗務されていたらしい)の直方市石炭記念館の学芸員さんが言ってました
直方機関区の転車台ですよね。そのまま転車台の主桁を上下ひっくり返したようでおもしろいです。
38:20九州最後の客車列車はDE10では無くてDD51牽引でした。ちなみに、所属はJR貨物の門司だったので貨物の車両をJR九州が借りている形でした。
確か貨物のDD51が門司港から出ていたで50系のトイレが使用禁止になって元日南だかかいもんあたりの12系がトイレとして後部に連結されていた。
ゴリッゴリの地元で草でございます。筑豊本線を利用して北九州予備校黒崎校に通っていたのを思い出して涙が出そうになりました。
やっぱ神の映像はサイコーだぜー!
おつかれさまです。これは良い歴史の勉強になりました。
待ってました!
たくさん撮り貯めておられてさすがですね。おかげで楽しませて頂いております。現在の状況が解決して、再び日本や世界を飛び回れる日が来るよう祈ってます。
西鉄バス北九州の香月営業所のバス停に旧国鉄香月線の「香月駅」駅銘板があるよ。
筑豊と言うと青春の門を思い出します。ボタ山と大竹しのぶ。五木寛之先生。
30:48 つい先日複線化工事が完成しました。特にダイヤには影響はないみたいですが、夏のくきのうみ花火大会臨時列車のピストン輸送の時にその真価を発揮しそうです。
やっと出た!待ちわびた!以前、桂川駅で動画終了してここから先は次回と言っておきながらなかなか出てこなかったので、なくなったのかと思ってました…
このシリーズもう無くなったのかなって思ったけど、まだ続いててよかった!
落ち着いた聞きやすい声で、ずっと解説して下さったので、車窓から見える景色、廃線跡など最後まで楽しめたし、勉強になりました♪
折尾駅の複雑な構造も図を交えての説明で分かりやすかったです。
忘れかけてたけど、スーツ君の動画って本当はこんなだったよね~(≧∇≦)b いつまでも続けて欲しいです
地元の駅を取り上げていただきありがとうございます!
直方と言うと、平成の時代は大関魁皇(今は浅香山親方)の出身地ということで駅前に銅像がありますね。博多と直方を結ぶ特急「かいおう」としても有名です。
4:38 炭鉱住宅のようにも見受けられますが、家作住宅かなぁ。家作住宅とは高度成長期に伴い急速に増大する住宅需要の高まりに対して地主等の土地持ちが敷地の庭等の空き地に賃貸目的に建てた住宅で独立した平屋が多い。基本安普請なので築年数もさることながら、老朽化の目立つ住宅。鉄分多目に表現するならば「住めルンです」住宅界の209系のであればような存在。低家賃ということもあり、住民は高齢者や家を買うまでの仮の住まいや独立平屋なので子供の泣き声等を気にしなくても良い事から若い夫婦などにも需要があると個人的なフィールドワークの結果感じています。茨城の方へ行くと築浅のお洒落なプレハブの家作住宅なんかも見受けられますね。妙に高い車なんかも置いてあって低収入でも車に金掛けたい世帯にも人気があるようにも思われる。家作住宅が複数世帯くっつくと長屋という共同住宅となります。共同住宅とは「壁」を共同で使用しているので共同住宅と呼びます。
新入駅の隣には「直方気動車区」があって50系やキハ200形などが大量にいました。現在は直方駅のお隣に直方車両センターがありますので建物ができて当時の面影はなくなってしまいました
スーツさんから平筑って聞けたのとても嬉しいです!!
地元が映ると嬉しいですね😍😍
待ってたこの企画
亡父が直方機関区の機関士でした。D51の先駆機関車であるD50 140を、梅小路駅に動態保存する直前まで直方機関区が保有、運転していたことを懐かしみよく話していました。国鉄民営化を機に退職し、その後平成筑豊鉄道の乗務員をしていました。平成筑豊鉄道は、仰るとおり金田(かなだ)駅に本部があります。ちなみに巷ではよくD51が取り沙汰されていますが、機関士の立場ではD52が素晴らしかったようです。
ありがとうございました。54~55年前、直方市に住んでいたころを懐かしく思い出しました。
亡夫が筑豊出身でして、義父(亡夫と知り合った時点ですでに鬼籍)が炭鉱で働いていたそうです。その当時を視覚的に思い起こさせる動画で、とても楽しませてもらいました。
久しぶりのこのシリーズ
直方駅手前(上り)のレンガの跨線橋は左側の多賀神社への参道で、下りの蒸気機関車が通ると黒煙に包まれるので、列車の接近に注意して渡らないとひどい目にあっていました。もちろん跨線橋の手すりは煤まみれで触ると手が真っ黒。
本当スーツさんって物知りだなぁ…一応九州の鉄道マニアですが勉強になります。
スーツさんが色々な事を教えてくださるので面白いでーす!お話にドンドン引き込まれていきます。楽しいでーす!
最近スーツさんの動画見て電車好きになりつつあります笑
地元の駅周辺を地元民よりも詳しく解説して頂いてありがとうございます! 桂川駅もリニューアルして綺麗になりましたよ😀
17:18 1070年代、めちゃくちゃ近代的で草
1070年に航空写真撮れてるの草
日 本 の 技 術 は す ば ら し い
平安時代で草
ありがとう。勝野からの宮田線覚えています。宮田町、現在の宮若町はトヨタ九州があり、レクサス作っています。1973年、北九州市水道局に入った年に宮田町の貝島炭鉱が閉山しました。貝島炭鉱は露天掘りでした。当時、宮田線には動輪が二つ、煙突の長いかわいいSLが走っていました。
遠賀川を渡る前の筑前垣生駅から中間市ですよ。
昔ここに線路があったんだなぁと妄想するのが楽しかったりします。九州はこういうのがたくさんあるので面白そうですね。
うぉー!実家の近くだー!取り上げていただきありがとうございました!
1950年代(当時小学生)の漆生線はいつもギュウギュウ、片足でデッキにぶら下がり、あふれた人は蒸気機関車の先頭に並び、飯塚駅へとモクモクと運んでいた。あの頃の勢いが懐かしい。
待ってました
とうとう栄光の筑豊本線の歴史が取り上げられるとは・・
地元を扱ってもらえてめっちゃ嬉しいです。自分が生まれた頃にはとっくに廃線になってたので実際に列車が走っているのを見たかったですねー
今まで気にも留めなかったけどこの路線には色んな情報があったんだ
新入駅横の駐車場、各商業施設はかつての直方気動車区(本カタ)があったところです。ちなみに、福北ゆたか線が電化開業した2001年10月6日よりJR九州の在来線電車列車は、それまでの知らせ灯発車から、ブザー発車に変更されました。
室木線が廃線になった際、金をもらった鞍手町は、その金で室木線にあった鞍手駅を筑豊本線に移設したのです。
駅の目の前が養鶏場で臭いが・・・
篠栗線沿線はベッドタウン化が進んで、非電化時代は、江若鉄道か関東鉄道常総線並みの雑多な車種が入り乱れて混結されていましたね。キハ66,67系は豪華な車両ですよね。エアサスだし、パワーもあって、キハ65の次はこういう急行型気動車の時代が来るのかと思わせましたが。50系客車のあまりを改造したキハ37系とかもありましたね。南武線もそうですが、もう電化しないのがおかしいくらいのものだったと存じます。
南武線は最初から電車のはずですが・・・相模線のことですかね?
@@apland1438さん、そうでした。
毎日がスーツ日和だね❗
私が子供の頃は篠栗線と筑豊本線は非電化でした。キハ200形の赤い車両で赤い快速が走っていた頃が懐かしい
上山田では今でも廃線が残っており、山を超えた川崎町では廃線跡を歩くこともできますよ
昔は川崎との間のトンネルも散策出来ましたが今は封鎖されてますね
コージーってBlitzの?
紙コップ そうだで
22:10 香月線の遺構ですが、当時の香月線の終点であった香月駅の用地は西鉄香月営業所となっており、その待合所に記念スペースのようなものが設けられています。駅名標や当時の写真等があり、大変興味深いです。お越しの際は、高速バスで高速千代NTまで行き、香月営業所行のバスに乗り換えるか、筑豊電気鉄道の筑豊香月駅から徒歩で行けます(そこそこ距離あり)。
香椎駅じゃないんですか?
@@S.ゆーさま 香月駅です。北九州市八幡西区にあります。香椎駅は福岡市東区にありますので、別の駅ですね
@@えびフライー交通系ちゃんねる そうなんですか香月線という路線があったんですね😆どうもありがとうございます
剥がされた側線、長すぎるホーム、栄枯盛衰という感じがあっていいですね!
若松に生まれました。昔の若松駅は終着駅風の大きな駅でした。チッキと言われる方法でコオリに入れた荷物を送る時に手伝いました。博多へ行く時は折尾駅で乗り換えていました。帰りは乗り継ぎの時間が少なくて、いつも走って階下のホームへ移動した記憶があります。若戸大橋が出来てからは小倉へ行くようになったと思います。
見ていて面白い
おおー篠栗線だー駅前が狭い桂川もとうとう変わるのかけたたましい66が爆煙ふいてた
18:12新入の先の左側の用地は砂利採取線ではなく、鉄橋の架替えの際の用地です。以前、東海道本線馬入川鉄橋の時にも書きましたが、古い路線は鉄橋の前後でこのように架替えのために使われた用地が広がっている所が多いですよ。
筑豊本線って昔、あかつきや明星が走っていたんですよね。筑豊本線は乗ったことないので1回乗ってみたいです。
筑豊本線に入る「あかつき」が十津川警部シリーズに使われたんですよね。
今の鞍手駅ができた理由は、確か室木線の鞍手駅が廃止になったらからだったと思います。
昭和58年生まれです。小さい頃に祖父と一緒に大隈駅から飯塚駅まで汽車に乗ってたみたいです。記憶にはありませんが。記憶しておきたかったです。
非電化単線電化単線電化複線非電化複線がある筑豊本線
非電化複線というパワーワード
@@野獣の加護を受けし者 関東鉄道にもありますよ。
@@anjinization そうなんだよね石岡の地磁気研究所がどうのこうのって
昔は非電化複々線なんてあったし
待ってました! 筑前植木駅から香椎駅迄利用してました。鹿児島本線から筑豊本線に乗ると方言が変わる…。 楽しく乗車してました。
17:57 この新入駅の右手の敷地までが気道車区の敷地でした。子供の頃に良く遊びに行ってました
香月駅跡は現在西鉄バス北九州株式会社香月自動車営業所です。営業所の敷地内だったかな?駅名標が残されていますよ。
忘れた頃にやってくるな
長い道のり、お疲れさまでした長い動画、鉄道地図片手になんとかついていけました
飯塚駅は国鉄末期~JR初期の頃は50系やキハ147が沢山たむろしていましたね。三線区間、複線の真ん中にずらっと並ぶ架線柱は、少々レア物かもしれません。
筑豊って名前の響きが好きです。
筑豊って名前は好きですが筑豊ナンバーは嫌いです。福岡県民より。
@@Naro____1208 何でですか?やっぱりあまりいい感じの運転をする人がいないんでしょうか?by東京都民
eri htn 運転荒い方が多い印象です。あと、たまに明らかにヤバそうな高級車とか走ってるので。
筑豊地方の名前の由来ですが、明治時代、筑前地方、豊前地方があり炭鉱によりより大きな組合を作るとなったさい筑豊の(筑)と豊前の(豊)が合わさっり発足した組合を筑豊組合と言い、炭鉱が閉山した現在その名残として現在の筑豊地方と言う地名が誕生しました。
筑豊って響きはまず悪いイメージしか浮かばないけどな、福岡市と違って世代問わず柄の悪い奴らばかり。ちょっとのことですぐキレるし。福岡が修羅の国とか言われる原因は北九州と筑豊にある。県民と行政はその悪いイメージをなんとか隠して必死に福岡のいいところばかりアピールしてるけど。
7:48 おばあさん線路に立ち入ってて草
貨物列車は子供の頃、筑豊線で良くみてめした。通過すると長い事、中々通り抜けませんでした。懐かしい!
40年ほど前に博多へ向かうとき筑豊本線・篠栗線(現福北ゆたか線)を良く利用してました。当時から桂川〜原田へ向かう真の筑豊放線の本数は少なく、当時小学生だった私は筑豊本線は若松〜博多間と勘違いしていたのを思い出します。
DD51牽引の客車、原田からはのんびりと、折尾の短絡線を通り鹿児島本線に入ると疾走と言える速さになり門司港まで。今思えば夢のような列車に乗れ、動画まで撮れたのは鉄人生最良の経験の一つでした。今は筑豊線もだいぶ電化され、デンチャまで走ってるんですね。いつか筑豊の廃線巡りがしたいです。この動画は筑豊廃線巡りの素晴らしいガイドだと思います。
2020年5月23日に本城と折尾間は単線から複線になったみたいです折尾駅もいろいろと変わってきてますね~楽しみです
本城も駅員つくんですかね
昨日のライブの時に、続編のこと気になって質問したんですけど読まれなくて。でも今日上げてもらい嬉しいです。
かつては若松港だけではなく、東側の苅田港からも石炭を輸送していたようです。後藤寺方面などから田川線を経由して苅田港へ至り、そこから船に連絡する石炭列車が運行されていました。また、上山田線・柚須原線(未成)を経由することで飯塚方面と苅田港方面を短絡するルートも計画されましたが、石炭産業の斜陽化により中止されたそうです。
香月線がすんなり廃止できたのは、筑豊電鉄があり、そちらの方が本数も多いためだったからでしょうか。廃止当時は西鉄北九州線も現役で直通運転もあり、国鉄より格段に便利だったと思います。香月線の線路跡は大部分が道路に転用されていて跡をたどりやすいとも思います。ただし線路跡がはっきりわかる場所はあまりないのは残念ですが。また2001年の電化開業前日まで50系客車で通学していたのを思い出しました。翌週から真新しい817系電車に乗れると期待しましたが、来たのは415系でしたw
これが続編あるなら、、山手線全駅解説シリーズも続編あるよな、、、
久々のシリーズ
筑豊や北海道の廃線群なら時刻表の路線図を用意して、宮脇俊三 氏の「国鉄全線二万キロ」を読んでみれば良いかと…
筑豊線はまだ、博多や小倉が近くて都市近郊路線として上手く再生に成功したと言えます。
15:20 国鉄伊田線は1989年に平成筑豊鉄道へ転換され、筑豊本線の電化は2001年ですので、架線柱が端にあるのはおそらく平成筑豊鉄道伊田線と筑豊本線の間が狭すぎたからではないでしょうか。分かりませんが。
夜明に向かった、最後のたびだったのです、筑豊に戻り、よかことした‼️
私が子供の頃は非電化だったんですよね。ディーゼルエンジンの車両が走ってました。
副読本で見た気の毒な幸袋線が無くて残念ですが、凄くクオリティ高い動画でした。
二島駅じゃないか。にしまえきじゃないよ
国鉄時代、若松駅長は博多駅長より序列の高い九州の駅長のトップでした。
タイトルにも「◯◯線 第n回」のように通し番号をつけていただけるとわかりやすいと思われます。
貨物線や鉄道用地の跡を見ると、昔の日本の勢いが思い出されるよね!少し難しいけど、大変勉強になりました🙇それにしても、廃線跡を見つけるのが上手でうらやましいです!
視聴日:2022-06-23貴重な映像を有難うございました。
5:26これは仮駅舎であって、工事中になっている隣の更地に一昨年まで駅舎がありました
9:32上山田線や現在の平成筑豊鉄道はそれぞれ1~2年JR九州として活躍しました
20:28町外れですが鞍手町民のために後から設置されました
25:04廃線時は他の駅と同じように土地が余っていましたが駅が作られるまでに埋まってしまい窮屈になりました
31:40それが現在は利用者3000人/日を超えます。県内には同様の駅が数多くあります
昭和40年代の風景を、さも見てきたかのように語る平成産まれ
地元の筑豊取り上げていただきありがとうございます!動画の中間あたりに出てきた筑前植木~筑前垣生は以外にも九州で始めての複線区間です。また直方の機関区はとんでもなくでかく直方のお隣、新入駅までが構内だったんです。直方の石炭記念館にはたくさんの石炭関連の道具が展示されています。直方市の頓野にある汽車倶楽部には九州では有名な通称ハチロクがブレーキがうごくとてもいい状態で静態保存されています。長々とコメントすみません…
次の動画楽しみにしてます
最近旅行、背広、ゲームもいろいろ見てたけど、やっぱり交通チャンネルのこういう動画が最高
筑豊を取り上げていただきありがとうございます。
生まれ故郷の筑豊をお楽しみください〜
@@かしわご飯-h1g 俺直方出身〜
電車の窓から風景が流れていくの見るとすごく懐かしい感じになる
筑豊の路線紹介ありがとうございます😆
若松駅の機回しのホームの切り込みの紹介もありがとうです😊
筑豊はおちぶれたイメージがあるけど、意外と都会だし、列車に乗ってると人も多いんですよね。筑豊本線の列車だって毎時3本あるし、そこそこ乗ってます。
50年前は まだ蒸気機関車が石炭積んだ貨車を引いて ばあちゃんの家の裏を走ってたんだよ。懐かしい。
若松駅の海沿いの黒いのは煙じゃなしに 野積みの石炭だと思う。
衰退した筑豊ですが、色々と遺構残されてますから楽しめますよね~旧炭鉱王の邸宅だったり、大衆劇場だったり、八幡製鉄へ送るポンプ所とか、古い元銀行や海運会社の建物、炭鉱で栄えてた街の姿が今でも沿線あちこちにあり、撮影へ私もよく出かけてますので、そちらもスーツさんには見ていただきたいですね~
スーツさんの動画をずっと観て本当に鉄道が大好きになりました。スーツさんのお話大変勉強になります。興味深いお話がいっぱいです。スーツさん大好きです。
出身地です。取り上げてくださりありがとうございます
10:10 そもそも筑豊という地域名は、それまで個人単位でこの地域の各地に散在していた炭田の統合・組織化を進める流れで「筑前豊前石炭鉱業組合」が設立されたことに端を発しています。筑豊本線もまたその流れで「川ひらた」に代わる大規模かつ安定した石炭輸送の手段として必要とされたもので、麻生財閥などの出資で筑豊興業鉄道として誕生しました。
列車の運行や路線の拡張は炭鉱の開発と積出港の容量によって決められました。
現在では僅かな本数しか運転がない「原田線」はそれまで頼ってきた北九州の積出港が容量オーバーを起こしたことで新たな積出港へのルートとして建設されたものです。また、山側でも炭鉱が新たに開発される度に支線の新設・撤去が繰り返されたため、記録にない廃線が実際にはかなりあると考えられています。
現在では炭鉱が全て閉山しているため複線以上の区間は皆無ですが、全盛期には1.5複線や複々線という贅沢な線路がこの山あいに整備され、その線路上を石炭を積んだ列車が埋め尽くしていました。
21:17 架線柱が上下線の間に立てられているのは撤去された線路の跡で、この線路も石炭を積んだ貨物列車が往来していました。
21:30 この鞍手駅は電化の際に新設されたものですが、その昔こことは別の場所の室木線に存在しました。
38:21 客車列車の牽引機はDD51で、前面のナンバープレートがオレンジに塗られているのが九州仕様の特徴でした。50系を使用していましたが、トイレタンクの設置を行わなかったため、最末期には50系のトイレは封鎖して「トイレ要員」としてスハフ12を連結したちょっと変わった編成が組まれていました。
素晴らしい説明で知見が増えました!
有り難う御座いました!
今まで折尾駅の構造がよく分からなかったんですが、スーツさんのこの動画を拝見して漸く分かりました!ありがとうございます。
このシリーズ待ってた!
15:19 この場面に映っている歩道橋として架かっているエメラルド色の構造物は、昔転車台で使っていた部品を転用したものだと、元国鉄マン(筑豊本線のSLで乗務されていたらしい)の直方市石炭記念館の学芸員さんが言ってました
直方機関区の転車台ですよね。そのまま転車台の主桁を上下ひっくり返したようでおもしろいです。
38:20
九州最後の客車列車はDE10では無くてDD51牽引でした。
ちなみに、所属はJR貨物の門司だったので貨物の車両をJR九州が借りている形でした。
確か貨物のDD51が門司港から出ていた
で50系のトイレが使用禁止になって
元日南だかかいもんあたりの12系がトイレとして
後部に連結されていた。
ゴリッゴリの地元で草でございます。
筑豊本線を利用して北九州予備校黒崎校に通っていたのを思い出して涙が出そうになりました。
やっぱ神の映像はサイコーだぜー!
おつかれさまです。
これは良い歴史の勉強になりました。
待ってました!
たくさん撮り貯めておられてさすがですね。おかげで楽しませて頂いております。
現在の状況が解決して、再び日本や世界を飛び回れる日が来るよう祈ってます。
西鉄バス北九州の香月営業所のバス停に旧国鉄香月線の「香月駅」駅銘板があるよ。
筑豊と言うと青春の門を思い出します。ボタ山と大竹しのぶ。五木寛之先生。
30:48 つい先日複線化工事が完成しました。特にダイヤには影響はないみたいですが、夏のくきのうみ花火大会臨時列車のピストン輸送の時にその真価を発揮しそうです。
やっと出た!待ちわびた!以前、桂川駅で動画終了してここから先は次回と言っておきながらなかなか出てこなかったので、なくなったのかと思ってました…
このシリーズもう無くなったのかなって思ったけど、まだ続いててよかった!
落ち着いた聞きやすい声で、ずっと解説して下さったので、車窓から見える景色、廃線跡など最後まで楽しめたし、勉強になりました♪
折尾駅の複雑な構造も図を交えての説明で分かりやすかったです。
忘れかけてたけど、スーツ君の動画って本当はこんなだったよね~(≧∇≦)b いつまでも続けて欲しいです
地元の駅を取り上げていただきありがとうございます!
直方と言うと、平成の時代は大関魁皇(今は浅香山親方)の出身地ということで駅前に銅像がありますね。
博多と直方を結ぶ特急「かいおう」としても有名です。
4:38 炭鉱住宅のようにも見受けられますが、家作住宅かなぁ。家作住宅とは高度成長期に伴い急速に増大する住宅需要の高まりに対して地主等の土地持ちが敷地の庭等の空き地に賃貸目的に建てた住宅で独立した平屋が多い。基本安普請なので築年数もさることながら、老朽化の目立つ住宅。鉄分多目に表現するならば「住めルンです」住宅界の209系のであればような存在。低家賃ということもあり、住民は高齢者や家を買うまでの仮の住まいや独立平屋なので子供の泣き声等を気にしなくても良い事から若い夫婦などにも需要があると個人的なフィールドワークの結果感じています。茨城の方へ行くと築浅のお洒落なプレハブの家作住宅なんかも見受けられますね。
妙に高い車なんかも置いてあって低収入でも車に金掛けたい世帯にも人気があるようにも思われる。
家作住宅が複数世帯くっつくと長屋という共同住宅となります。共同住宅とは「壁」を共同で使用しているので共同住宅と呼びます。
新入駅の隣には「直方気動車区」があって50系やキハ200形などが大量にいました。
現在は直方駅のお隣に直方車両センターがありますので建物ができて当時の面影はなくなってしまいました
スーツさんから平筑って聞けたのとても嬉しいです!!
地元が映ると嬉しいですね😍😍
待ってたこの企画
亡父が直方機関区の機関士でした。
D51の先駆機関車であるD50 140を、
梅小路駅に動態保存する直前まで
直方機関区が保有、運転していたことを
懐かしみよく話していました。
国鉄民営化を機に退職し、その後平成筑豊鉄道の乗務員をしていました。
平成筑豊鉄道は、仰るとおり金田(かなだ)駅に本部があります。
ちなみに巷ではよくD51が取り沙汰されていますが、機関士の立場ではD52が素晴らしかったようです。
ありがとうございました。54~55年前、直方市に住んでいたころを懐かしく思い出しました。
亡夫が筑豊出身でして、義父(亡夫と知り合った時点ですでに鬼籍)が炭鉱で働いていたそうです。
その当時を視覚的に思い起こさせる動画で、とても楽しませてもらいました。
久しぶりのこのシリーズ
直方駅手前(上り)のレンガの跨線橋は左側の多賀神社への参道で、下りの蒸気機関車が通ると黒煙に包まれるので、列車の接近に注意して渡らないとひどい目にあっていました。もちろん跨線橋の手すりは煤まみれで触ると手が真っ黒。
本当スーツさんって物知りだなぁ…
一応九州の鉄道マニアですが勉強になります。
スーツさんが色々な事を教えてくださるので面白いでーす!お話にドンドン引き込まれていきます。楽しいでーす!
最近スーツさんの動画見て電車好きになりつつあります笑
地元の駅周辺を地元民よりも詳しく解説して頂いてありがとうございます! 桂川駅もリニューアルして綺麗になりましたよ😀
17:18 1070年代、めちゃくちゃ近代的で草
1070年に航空写真撮れてるの草
日 本 の 技 術 は す ば ら し い
平安時代で草
ありがとう。勝野からの宮田線覚えています。宮田町、現在の宮若町はトヨタ九州があり、レクサス作っています。1973年、北九州市水道局に入った年に宮田町の貝島炭鉱が閉山しました。貝島炭鉱は露天掘りでした。当時、宮田線には動輪が二つ、煙突の長いかわいいSLが走っていました。
遠賀川を渡る前の筑前垣生駅から中間市ですよ。
昔ここに線路があったんだなぁと妄想するのが楽しかったりします。九州はこういうのがたくさんあるので面白そうですね。
うぉー!実家の近くだー!
取り上げていただきありがとうございました!
1950年代(当時小学生)の漆生線はいつもギュウギュウ、片足でデッキにぶら下がり、あふれた人は蒸気機関車の先頭に並び、飯塚駅へとモクモクと運んでいた。あの頃の勢いが懐かしい。
待ってました
とうとう栄光の筑豊本線の歴史が取り上げられるとは・・
地元を扱ってもらえてめっちゃ嬉しいです。
自分が生まれた頃にはとっくに廃線になってたので実際に列車が走っているのを見たかったですねー
今まで気にも留めなかったけどこの路線には色んな情報があったんだ
新入駅横の駐車場、各商業施設はかつての直方気動車区(本カタ)があったところです。
ちなみに、福北ゆたか線が電化開業した2001年10月6日より
JR九州の在来線電車列車は、それまでの知らせ灯発車から、ブザー発車に変更されました。
室木線が廃線になった際、金をもらった鞍手町は、その金で室木線にあった鞍手駅を筑豊本線に移設したのです。
駅の目の前が養鶏場で臭いが・・・
篠栗線沿線はベッドタウン化が進んで、非電化時代は、江若鉄道か関東鉄道常総線並みの雑多な車種が入り乱れて混結されていましたね。
キハ66,67系は豪華な車両ですよね。エアサスだし、パワーもあって、キハ65の次はこういう急行型気動車の時代が来るのかと思わせましたが。
50系客車のあまりを改造したキハ37系とかもありましたね。南武線もそうですが、もう電化しないのがおかしいくらいのものだったと存じます。
南武線は最初から電車のはずですが・・・相模線のことですかね?
@@apland1438さん、そうでした。
毎日がスーツ日和だね❗
私が子供の頃は篠栗線と筑豊本線は非電化でした。
キハ200形の赤い車両で赤い快速が走っていた頃が懐かしい
上山田では今でも廃線が残っており、山を超えた川崎町では廃線跡を歩くこともできますよ
昔は川崎との間のトンネルも散策出来ましたが
今は封鎖されてますね
コージーってBlitzの?
紙コップ そうだで
22:10 香月線の遺構ですが、当時の香月線の終点であった香月駅の用地は西鉄香月営業所となっており、その待合所に記念スペースのようなものが設けられています。
駅名標や当時の写真等があり、大変興味深いです。
お越しの際は、高速バスで高速千代NTまで行き、香月営業所行のバスに乗り換えるか、筑豊電気鉄道の筑豊香月駅から徒歩で行けます(そこそこ距離あり)。
香椎駅じゃないんですか?
@@S.ゆーさま 香月駅です。北九州市八幡西区にあります。香椎駅は福岡市東区にありますので、別の駅ですね
@@えびフライー交通系ちゃんねる
そうなんですか香月線という路線があったんですね😆どうもありがとうございます
剥がされた側線、長すぎるホーム、栄枯盛衰という感じがあっていいですね!
若松に生まれました。昔の若松駅は終着駅風の大きな駅でした。チッキと言われる方法でコオリに入れた荷物を送る時に手伝いました。博多へ行く時は折尾駅で乗り換えていました。帰りは乗り継ぎの時間が少なくて、いつも走って階下のホームへ移動した記憶があります。若戸大橋が出来てからは小倉へ行くようになったと思います。
見ていて面白い
おおー篠栗線だー
駅前が狭い桂川もとうとう変わるのか
けたたましい66が爆煙ふいてた
18:12新入の先の左側の用地は砂利採取線ではなく、鉄橋の架替えの際の用地です。以前、東海道本線馬入川鉄橋の時にも書きましたが、古い路線は鉄橋の前後でこのように架替えのために使われた用地が広がっている所が多いですよ。
筑豊本線って昔、あかつきや明星が走っていたんですよね。筑豊本線は乗ったことないので1回乗ってみたいです。
筑豊本線に入る「あかつき」が十津川警部シリーズに使われたんですよね。
今の鞍手駅ができた理由は、確か室木線の鞍手駅が廃止になったらからだったと思います。
昭和58年生まれです。
小さい頃に祖父と一緒に大隈駅から飯塚駅まで汽車に乗ってたみたいです。
記憶にはありませんが。
記憶しておきたかったです。
非電化単線
電化単線
電化複線
非電化複線
がある筑豊本線
非電化複線というパワーワード
@@野獣の加護を受けし者 関東鉄道にもありますよ。
@@anjinization そうなんだよね
石岡の地磁気研究所がどうのこうのって
昔は非電化複々線なんてあったし
待ってました! 筑前植木駅から香椎駅迄利用してました。鹿児島本線から筑豊本線に乗ると方言が変わる…。 楽しく乗車してました。
17:57 この新入駅の右手の敷地までが気道車区の敷地でした。子供の頃に良く遊びに行ってました
香月駅跡は現在西鉄バス北九州株式会社香月自動車営業所です。
営業所の敷地内だったかな?
駅名標が残されていますよ。
忘れた頃にやってくるな
長い道のり、お疲れさまでした
長い動画、鉄道地図片手になんとかついていけました
飯塚駅は国鉄末期~JR初期の頃は50系やキハ147が沢山たむろしていましたね。
三線区間、複線の真ん中にずらっと並ぶ架線柱は、少々レア物かもしれません。
筑豊って名前の響きが好きです。
筑豊って名前は好きですが筑豊ナンバーは嫌いです。
福岡県民より。
@@Naro____1208 何でですか?
やっぱりあまりいい感じの運転をする人がいないんでしょうか?by東京都民
eri htn 運転荒い方が多い印象です。あと、たまに明らかにヤバそうな高級車とか走ってるので。
筑豊地方の名前の由来ですが、明治時代、筑前地方、豊前地方があり炭鉱によりより大きな組合を作るとなったさい筑豊の(筑)と豊前の(豊)が合わさっり発足した組合を筑豊組合と言い、炭鉱が閉山した現在その名残として現在の筑豊地方と言う地名が誕生しました。
筑豊って響きはまず悪いイメージしか浮かばないけどな、福岡市と違って世代問わず柄の悪い奴らばかり。ちょっとのことですぐキレるし。福岡が修羅の国とか言われる原因は北九州と筑豊にある。県民と行政はその悪いイメージをなんとか隠して必死に福岡のいいところばかりアピールしてるけど。
7:48 おばあさん線路に立ち入ってて草
貨物列車は子供の頃、筑豊線で良くみてめした。通過すると長い事、中々通り抜けませんでした。
懐かしい!
40年ほど前に博多へ向かうとき筑豊本線・篠栗線(現福北ゆたか線)を良く利用してました。当時から桂川〜原田へ向かう真の筑豊放線の本数は少なく、当時小学生だった私は筑豊本線は若松〜博多間と勘違いしていたのを思い出します。
DD51牽引の客車、原田からはのんびりと、折尾の短絡線を通り鹿児島本線に入ると疾走と言える速さになり門司港まで。今思えば夢のような列車に乗れ、動画まで撮れたのは鉄人生最良の経験の一つでした。今は筑豊線もだいぶ電化され、デンチャまで走ってるんですね。いつか筑豊の廃線巡りがしたいです。この動画は筑豊廃線巡りの素晴らしいガイドだと思います。
2020年5月23日に本城と折尾間は単線から複線になったみたいです
折尾駅もいろいろと変わってきてますね~楽しみです
本城も駅員つくんですかね
昨日のライブの時に、続編のこと気になって質問したんですけど読まれなくて。でも今日上げてもらい嬉しいです。
かつては若松港だけではなく、東側の苅田港からも石炭を輸送していたようです。後藤寺方面などから田川線を経由して苅田港へ至り、そこから船に連絡する石炭列車が運行されていました。また、上山田線・柚須原線(未成)を経由することで飯塚方面と苅田港方面を短絡するルートも計画されましたが、石炭産業の斜陽化により中止されたそうです。
香月線がすんなり廃止できたのは、筑豊電鉄があり、そちらの方が本数も多いためだったからでしょうか。廃止当時は西鉄北九州線も現役で直通運転もあり、国鉄より格段に便利だったと思います。
香月線の線路跡は大部分が道路に転用されていて跡をたどりやすいとも思います。ただし線路跡がはっきりわかる場所はあまりないのは残念ですが。
また2001年の電化開業前日まで50系客車で通学していたのを思い出しました。
翌週から真新しい817系電車に乗れると期待しましたが、来たのは415系でしたw
これが続編あるなら、、山手線全駅解説シリーズも続編あるよな、、、
久々のシリーズ
筑豊や北海道の廃線群なら時刻表の路線図を用意して、宮脇俊三 氏の「国鉄全線二万キロ」を読んでみれば良いかと…
筑豊線はまだ、博多や小倉が近くて都市近郊路線として上手く再生に成功したと言えます。
15:20 国鉄伊田線は1989年に平成筑豊鉄道へ転換され、筑豊本線の電化は2001年ですので、架線柱が端にあるのはおそらく平成筑豊鉄道伊田線と筑豊本線の間が狭すぎたからではないでしょうか。分かりませんが。
夜明に向かった、最後のたびだったのです、筑豊に戻り、よかことした‼️
私が子供の頃は非電化だったんですよね。
ディーゼルエンジンの車両が走ってました。
副読本で見た気の毒な幸袋線が無くて残念ですが、凄くクオリティ高い動画でした。
二島駅じゃないか。にしまえきじゃないよ
国鉄時代、若松駅長は博多駅長より序列の高い九州の駅長のトップでした。
タイトルにも「◯◯線 第n回」のように通し番号をつけていただけるとわかりやすいと思われます。
貨物線や鉄道用地の跡を見ると、昔の日本の勢いが思い出されるよね!
少し難しいけど、大変勉強になりました🙇
それにしても、廃線跡を見つけるのが上手でうらやましいです!
視聴日:2022-06-23
貴重な映像を有難うございました。